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証巻 正定聚について その⑤
令和6年5月26日 永代経法要より
(定善義)また云わく、西方寂静無為の楽には、畢竟逍遥して、有無を離れたり。大悲、心に薫じて法海に遊ぶ。分身して物を利すること、等しくして殊なることなし。あるいは神通を現じて法を説き、あるいは相好を現じて無余に入る。変現の荘厳意に随いて出ず。群生見る者、罪みな除こる、と。また賛じて云わく、帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、尽(ことごと)くみな径(へ)たり。いたるところに余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平(しょうひょう)を畢(お)えて後、かの涅槃の城に入らん、と。已上
今日が証巻の最後になります。はじめに「(定善義)に云わく」となっておりますように、この引用文は「定善義」にいわれているもので、その中の第二「水想観」に出て来ます。「水想観」は変わっておりまして、「水想観」の中に「氷想観」というのがある。そしてその「氷想観」もまた「瑠璃地の下」と「瑠璃地の上」とに分かれている。このように複雑であります。その中から「瑠璃地の下」がその引用文になっています。またこの「瑠璃地の下」は三つの讃で出来ておりますが、証巻はその中から二番と三番が引用されています。つまり一番が抜けております。
この「瑠璃地の下」の三番目は帰去来といわれて有名がところですが、この「帰去来」は「瑠璃地の下」では「瑠璃地の上」へのつなぎにもなっているようです。しかしこんなことを言ってもですね、いったい何のことかなというふうになる訳ですが、まあ、とにかくここらから初めたいと思います。
「水想観」については以前「証巻 正定聚について その②」で少し話しをしていますので、よかったら後からでも読んでいただければと思います。で、証巻の正定聚の②は「清浄功徳」について話した所になります。その時にこの「水想観」のことを話しております。まず「明鏡止水」という言葉がありますが、この語句の意味を調べると、くもりのない鏡のごとく、波の立たない静かなること水のような心を言うのだそうです。心にやましい点がなく澄みきっていることだとも書いてあります。
「水想観」の方では、心というものを二つに分ける。ひとつは心の器、もうひとつは普通ものを考えている心というもの。で、この心の器の方を鏡や水面に譬える。そしてその鏡に映る心との関係を観る、と、まあこういうことかなと思っております。水面に波が立てば映っている心も歪んでいる。このように水面と心の関係を顕すのでありまして、で、まず私がいろいろと思いはかる処の慮りを止める、そして心の器の方に集中する。そして、その器である心の素地の在りようを尋ねていく、と、こういうことかなと思いますが、なかなか分かりにくくて難しい所でしょうか。「定善観」では、慮りを止めて心を凝らすといいます。この凝らすということを自分なりに表現したつもりです。
この器である心の素地の事は、以前は身体的心の領域というふうに言っていました。善導大師がこの素地を顕されるのに、「水想観」では天親菩薩の『浄土論』を引用されています。「観彼世界相 勝過三界道 究竟如虚空 広大無辺際」を引用されて、初めの二句の「観彼世界相 勝過三界道」が「清浄功徳」といわれるもので、後の二句の「究竟如虚空 広大無辺際」が「量功徳」ですね。この「清浄功徳」と「量功徳」をもって善導大師は「水想観」を顕されます。つまり、この二つの功徳成就文をもって心の素地とされているというのが自分の見解になる訳です。この心の素地は身体的であるがゆえに煩悩に汚されていない、よって清浄である。また身体的であるがゆえに広大であり辺際がない、と、こういうふうに言われているのではないでしょうか。
我が身ということですが、この身は自分だけがそこにポツンとあるわけではない、世間や社会、また国や世界との関係で繋がっています。物質としては、例えばこの身が生きるためにはまず空気が必要ですね。その空気は成層圏の内と外との関係があります。そして成層圏は宇宙へと広がります。身体はこういう広大な関係と広がりの中にある。この「清浄功徳」と「量功徳」をもって善導大師は心の素地とされている、と、こういうふうに考えていく訳です。
曇鸞大師は、「清浄功徳」を自性清浄の心象として顕して、それを「正定聚」とされた。そして「量功徳」においてその「正定聚」の広大と無辺際を顕かにされた。自性とは何かを調べると、事物をそのものたらしめている本来的な不変の性質。本性。本質。性。と書いてあります。自性清浄の心象というのは言語としてはシンプルではありますがすごく大きなテーマなのであります。
親鸞聖人は、この曇鸞大師が顕かにされた「正定聚」をさらに、「大義門功徳」に独自の見解を入れて「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と顕され、「正定聚」に身体的心の領域をも顕かにされた。そしてその心の素地とともに深淵なる業の闇をしめされた。
これまでの流れを簡単にいえばこういうことになるかなと思います。で、このように親鸞聖人は曇鸞大師の「正定聚」に深淵なる業の闇を見ておられることになるわけですが、その心の素地に観る深淵なる業の闇がこの「瑠璃地の下」にあるのであります。それも親鸞聖人は、二番と三番だけを引用されて一番目を外されているのですね。で、やはりこの一番目も読む必要があるので、本論は二番と三番になりますが、まずは一番から読んでいきたいと思います。
「瑠璃地の下」1番目。「地下の荘厳七宝の幢、無量無辺無数億なり。八方八面宝をもって成ず。かれを見れば無生自然を悟る。無生の宝国永く常たり、一々の宝無数の光を流す。行者心を傾けてつねに目に対して、騰神踊躍して西方に入れ。」内容がすごく難解ですが、それでもこの一番の讃を加えた方が二番と三番がまだ分かりやすいですね。
この「瑠璃地の下」の荘厳は過去ということだと思います。それも私の過去というより、身体的な過去ということでしょうか。つまり、どこの誰だれという、今この私がおるまでの時間とその環境だということになりますから、それは私が今ここにこうしておるところの、私における私の業であります。だからこの「瑠璃地の下」とは、私の心の素地にあたるもので、その素地における自らの業を見ればということでしょう。で、そこにはいったい何が見えるのか、それが「無量無辺無数億なり」です。
よく使われる譬えですが、私には当然父母がいます。その父母もまたそれぞれに父母がいる。これを繰り返していくと、自分まで入れて計算すれば、六代で127人ですか、あと何代か遡れば瞬く間に増えます。その一人ひとりも様々な関係に生きた人達であり、それに兄弟や親せき、仕事の同僚や上司、ほか全て入れればそれこそ無量無辺無数となる。そしてこれに憶を足す。身体的な心の領域とは、実はこのよな業の深さと広さを背景にしているのである、と、こういうことかなと思います。
そしてこの身体的心の領域である清浄なる鏡をのぞけば、それは無量無辺無数億の業の深さがあり、それを見れば無生自然を悟るといわれる。何故なら深淵な闇に業の姿が見えるとは、流れ出る光に現れた業の姿を見ているのであり、光がそこに流れるからこそ現れた闇の姿なのですね。善導大師は心の素地を「清浄功徳」と「量功徳」で顕されながらも、「氷想観」を通して、このように業の深さを観ておられます。これが「瑠璃地の下」の一番の讃である。そして二番ではその流れる光の方が述べられている。こういう順序で二番を読んだ方が分かりやすいのですよ。それでは、この一番の続きで二番の讃を読んでいきます。
「瑠璃地の下」二番目。「西方寂静無為の楽(みやこ)には、畢竟逍遥して、有無を離れたり。大悲、心に薫じて法界に遊ぶ。分身して物を利すること、等しくして殊なることなし。あるいは神通を現じて法を説き、あるいは相好を現じて無余に入る。変現の荘厳意(こころ)に随いて出ず。群生見る者、罪みな除こる。」ざっとした解釈しか出来ませんし、ちゃんとそうなっておるのかも分かりませんが、とにかく自分の解釈として聞いていただければと思います。この、畢竟逍遥(ひっきょうしょうよう)してとは、何ごとにもとらわれずあるがままであることだと言われています。西方寂静の楽(みやこ)である阿弥陀仏の浄土は、何ごとにもとらわれずあるがままにして有無を離れている、と、まずこう言われる。で、それはどういうことかと言うことですね。
この大悲ということですが、これはその流れる光のことでしょうか。すると、この大悲とは、大悲の光であり、その光は心の素地に沁みついた業の闇をも法界として遊び、それは光でありながらも業の闇と離れていない。あたかも神通を現じて法を説いているかのごとくである。そしてこの光とともに闇に生きる群生(ぐんじょう)を見る者は罪みな除かれる、と、まあ、このように解釈させていただいております。反論もあるかと思います。
そして三番目の「帰去来」です。 「帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかたみな径(へ)たり。いたるところの余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平(しょうひょう)を畢(お)えて後、かの涅槃の城(みやこ)に入らん、と。」「帰去来」はすごく有名で、何回かこの法座でも話したことがあります。この場合の「帰去来」では「曠劫よりこのかた六道を流転して」というところが「瑠璃地の下」の過去の業をの覗けばと同じ意味になると思いますから、この「瑠璃地の下」で観た全てが、曠劫より流転してきた我が身の業の姿でありましたということでしょう。そして今、この業を終えて涅槃の城に入ろうという、そういう讃ですね。生平(しょうひょう)を畢(お)えてとは、この私の人生を尽くしてということです。
ただし、この三つの讃の解釈は「瑠璃地の下」を通して読めばということですから、証巻のように二番と三番だけが引用された場合では内容が変わってくる。では、どのように変わるのかというのが今回のテーマになっております。
化真土巻「韋提別選の正意に因って、弥陀大悲の本願を開闡す。これすなわちこの経の隠彰の義なり。ここをもって『経』(観経)には「教我観於清浄業処」と言えり。「清浄業処」と言うは、すなわちこれ本願成就の報土なり。」これは前回に「別選所求」ということで話しました。今日はその続きになります。化真土巻ではこの「韋提別撰」の次が「「教我思惟」と言うは、すなわち方便なり。「教我正受」と言うは、すなわち金剛の真心なり。「諦観彼国浄業成者」と言(のたま)えり、すなわちこれ十三観これなり。」と、なっております。
ここに「「教我思惟」と言うは、すなわち方便なり。」とありますね。で、まずこの方便ということを少し話さなければならないですね。まず一般的にこの「方便」で思いつくのは「うその方便」という使い方ですね。こういう使い方は、おそらくスラングと言いますか、方便の意味が俗化されたものでしょうから、すでに方便の本来の意味が変わっていると思います。自分でもよく説明できないとは思いますが、とにかくここに方便という言葉がありますから、少しでもこの方便のことを言わなければならないでしょうね。
で、まず、これは主語と述語の問題かなと思っていまして、この場合の「うその方便」は述語であり、例えば誰かにうそをつく、そうすると、そのうそにだまされた誰かに損失があれば、そのうそは悪質であり、方便という言い方はしない。反面良質のうそがあるのかといえば、うそをついたが、結果が相手や周りに何か得をしたことがあった場合、つまり結果オーライの時はうそも方便だという。また癌の告知で本人には知らせずにうそをつく場合がある。家族はそのことで苛まれながらも相手の事を思い、あえてうそをついた。このようなケースは現在でも多々あるでしょう。ではこの場合のうそは良質だから方便なのかといえば、一応は方便だということになるかなと思いますね。だから悪質な「うそも方便」というものは無いと思います。では良質のうそなら方便だということになりますが、もともとこれは俗化した言葉ですから、方便の意味の本質がすでに違っているはずですね。
それで一応、自分が考えている方便とは何かといいますと、それは何かを捉えようとするようなものの状態であって、例えばその場合は言葉もそうです。言葉で何かを表現しようとする場合には、その言葉によって何かを捉えようとする状態をいうのであり、しぐさにおいてもいま見えない何かをそこに表現しようとするものですね。文字に書こうとするとき、口に称えて、漠然とする何かを捉えようとする状態、その捉えられる処へと限定していくようなものである。方便にはこのように何かに限定していく、あるいは促されていくようなもの、そんな意味があるのかなと思っているわけですが、『浄土論註』に「方便」のことが書いてあります。「正直(まっすぐ)なことを方といい、自分を度外視することを便という。正直によるからあらゆる衆生をうつくしむ心を生じ、自分を度外視するから、自己自身が供養されうやまわれたいという心をはなれるのである。」
私たちが普通思うところの方便とはずいぶん違うでしょう。阿弥陀如来とは衆生を慈しみ、法性の身を自ら度外視して、正直(まっすぐ)に衆生のために来た仏である。このような方便の使い方もあると思います。また、「玄義分」には「「思惟というは、すなわちこれ観の前方便、かの国の依正二報、総別の相を思想するなり。すなわち地観の文の中に説きて「かくのごとく想する者をば名づけてほぼ極楽国土を見るとなす」とのたまえり。すなわち上の教我思惟の一句に合(がっ)す。」と、善導大師は「教我思惟」を観の前方便という言い方をされています。
ここにある観の前方便ですが、この観は阿弥陀仏と浄土を観ようとするときの前方便のこことですが、それが「地観の文に中に説きて」と書いてあるでしょう。「水想観」の次が「地想観」です。ここでは「地観」と書いてあります。この「地想観」の地とは国でありますから阿弥陀仏の国土、つまり浄土のことですね。この「地想観」は「水想観」「氷想観」「瑠璃地の下」「瑠璃地の上」の全体をまとめたもので、総別の相といわれる。この「地想観」では「もしこの地を観ずる者は、八十億劫の生死の罪を除かん。身を捨てて他世に必ず浄国に生ずべし。」と言われております。この「地想観」にある「この地を観ずる者は」のところを、さきほど言った「心の素地をのぞけば」と言い換えることが出来るなら、次の「八十億劫の生死の罪を除かん」は「群生を見る者罪みな除こる」に言い換えることも出来るのではないかと思うのですね。するとその次の「身を捨てて他世に必ず浄国に生ずべし」は帰去来に観ることも出来ます。
こ「地想観」を観る時の前方便を、ここでは「思惟というは、すなわち観の前方便」だと言われています。だからこの「観の前方便」とは、まだ浄土をはっきりと見たと言うわけではないが、ほぼ浄土に近づいている。そしてそれは自らを度外視して浄土の観へと正直に近づいている、こういうことになるかなと思います。これを二つの場合で言うなら、まず法性身が自らを度外視して正直に近づいてくる。もうひとつは凡夫が自らを度外視して正直に近づいていく、もしくは促されていく。こういう立場があると思うのですよ。
法性身とは「いろもなくかたちもましまさず」という仏ですね。その法性身が自らを度外視して正直(まっすぐ)に近づいてくる、と同時に、凡夫は煩悩の我が身を度外視して正直(まっすぐ)に近づいていく、もしくは促されていく。方便にはこういう法性と凡夫とが、何かの拠り所へと近づき限定されていくというような意味を持っていると思うわけです。それではいったいそれは何処へと近づき促されるのかということですが、ここではそれを正受といわれていますから、つまり、お釈迦様の心眼である浄業の相へと近づいていく、お釈迦様の心眼である一切善悪の凡夫の相に近づいてくる。この能動的なはたらきを方便と言われているのではないかと思うのですね。
そして「「教我正受」と言うは、すなわち金剛の真心なり。「諦観彼国浄業成者」と言えり」ですから、お釈迦様の心眼である一切善悪の凡夫の相に本願成就の無碍光如来を観知する時を「教我正受」であり金剛の真心であるといわれている。この正直に自らを度外視して近づいてくる方便において正受の金剛真心ですから、この正受もまた方便との関係を離れていない。その両方がなければならない。すごく難解なところです。
そして証巻では、一番がありませんから、この二番の「群生を見る者。罪みな除こる」と三番の「帰去来」に時間の経過がないのですね。群生を見るがそのまま帰去来である。するとこの群生を見るとは、過去の業を観るにとどまらず、流れ出す光とともに、浄土へ生まれようとするいのちの姿を見るのであり、大悲の光に、群生と生れ出るいのちのコントラストを見ているのでしょう。それを「瑠璃地に下」の二番と三番をもって顕されるのではないかと思っております。
これまで話した内容をもとにすると、果とは弥陀の報土でありますからお浄土のことです。それはお釈迦様の心眼による一切善悪の凡夫の相に本願成就の無碍光如来を観知する時であります。この時が正受であり金剛の真心だといわれている。その果に近づいてくるもの、もしくは促されていく何か、その様々なはたらきを因というのでしょうから、方便もその因のひとつですね。しかしそれにとどまらず、その全てが阿弥陀如来の清浄願心の回向成就されたものである。親鸞聖人は証巻の御自釈で「それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。かるがゆえに、もしは因もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし。因浄なるがゆえに、果また浄なり、しるべしとなり。」と述べられておられます。
私たちは「おかげ様」という言葉をよく使います。これは今こうしておるのも皆様のおかげでございましたということですね。自分一人でこうしておれることじゃなかった。しかし本音はおれもかなり努力したからこうなったのだと多少は思っている。しかし事実から見ればおかげ様である。このように客観的に事実から見ればおかげ様が出てくる。おかげ様を身につければ事実から我が身を見る習慣がついてくる。おかげ様には事実がついている。
「一事として、阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし」と、何か舌がもつれそうな言い回しに思うのは、果として、ここに阿弥陀如来の大悲の報土を観知した事実に、これまでの全てが阿弥陀如来の清浄願心の回向に他ならなかった、と、そう言い得たのではなかったかということでした。
それから還相回向について少しばかり話しておきます。行巻に還相回向の続きが載せてあります。旅の終わりが旅の始まりであり、旅の始まりが旅の終わりを含んでいる。行巻を話す機会があればまた考えることにしまして、証巻における還相回向について自分なりの感想を少しだけ述べることにしました。といってもよく読んだわけではありませんから、何かしらの感想であります。
曇鸞大師は『論註』の初めに「修多羅とは、十二部経の中で仏が直接説かれたものを修多羅という。つまり四阿含の三蔵などがこれである。三蔵以外の大乗の諸経もまた修多羅と名づける。この偈の中で修多羅に依るというのは、三蔵以外の大乗の修多羅であって、阿含などの経ではない。」といわれます。阿含はお釈迦様が直接に説かれたとされる経典です。後に時代の変遷で大乗仏教が興り大乗経典が登場します。『無量寿経』もその一つですが、曇鸞大師はこの『無量寿経』を阿含ではなくて、三蔵以外の大乗の修多羅だといわれる。三蔵とは仏教体系総称です。また『無量寿経』は大乗の経典でありますから大乗の修多羅です。ところが曇鸞大師はこの『無量寿経』は三蔵以外の大乗の修多羅であるといわれる。曇鸞大師は大乗仏教の枠にとらわれない自由な発想をもっておられるのかなと思いますね。
『観経疏』の「瑠璃地の下」は「水想観」の中にあります。この「水想観」は「氷想観」になり「瑠璃地の下」そして「瑠璃地の上」に分かれます。今回はその内の「瑠璃地の下」を述べたことになりますが「瑠璃地の上」がまだ残ってるでしょう。「瑠璃地の下」が過去なら「瑠璃地の上」は当然未来でしょうね。すると「水想観」の心の素地を通して「瑠璃地の下」を過去、「瑠璃地の上」で未来を説かれるのでしょう。これらを纏めたのが次の「地想観」だと思いますが、この「地想観」において「ほぼ極楽国土を見る」と経典にはあります。で、曇鸞大師もこの「地想観」に着眼点を持っておられるのではないかと思っていますが、これを説明すると長くなるので省略します。でもまあ、そういうことではないかと思っているわけです。
『観無量寿経』の「定善義」は十三観あります。「水想観」は第二番、「地想観」は第三番目です。無量寿を観る経典でありますから、ほぼと書いてあるからといって、極楽国土をざっと観る経典ではありません。本来、無量寿仏と国土を観るのは第八の像観と第九の真身観のところです。そこには「ほぼ」なんてついてないのですね。「ほぼ」とはまだ大ざっぱということでしょう。それにもかかわらず「地想観」に着眼点も持たれるのはどういうことだろうか。親鸞聖人もおそらくそうだと思います。
道綽禅師は曇鸞大師の碑文に感銘を受けられて玄忠寺で『浄土論註』と『観無量寿経』を研究された。善導大師はその道綽禅師に逢いに玄忠寺に行かれます。そして後に『観経疏』を顕されました。『観経疏』の結びのところです。「某(それがし)、いまこの『観経』の要義をい出して、古今を楷定せんと欲す。もし三世諸仏・釈迦仏・阿弥陀仏等の大悲の願意に称(かな)わば、願わくは夢の中(つい)にして、上の所願のごときの一切の境界諸相を見ることを得しめたまえと。仏像の前にして願を結しおわって、日別に『阿弥陀経』を誦すること三遍、阿弥陀仏を念ずること三万遍、心を至して発願す。すなわち当夜において見るらく、西方の空中に、上のごときの諸相の境界、ことごとくみな顕現す。雑色の宝山百重演千重なり。種々の光明、下地を照らす、地は金色のごとし。中に諸仏・菩薩ましまして、あるいは坐しあるいは立し、あるいは語しあるいは黙す、あるいは身手を動かし、あるいは住して動ぜざる者あり、すでにこの相を見て、合掌して立観す。やゝ久しくしてすなわち覚(さ)む。覚(さ)めおわって欣喜に勝(た)えず。こゝにすなわち義門を条録す。」
某(それがし)は善導大師のことですね。この結びの解釈ではなく全体の感想を述べるなら、ここで善導大師は大悲の光明に諸仏・釈迦仏・阿弥陀仏の夢を見るといわれます。「種々の光明、下地を照らす、地は金色のごとし」の下地を照らすとは「瑠璃地の下」でありましょうか。そして「地は金色のごとし」は「地想観」のことでしょうか。大悲の光明が下地を照らして金色になり、諸仏・菩薩の相を顕すと、このような表現もできるかなと思います。善導大師は諸仏の心象世界を否定したのではなくて、曇鸞大師の心象世界を自性清浄としながらも、夢の世界にいれ、その夢と事実との乖離を否定しなかったのでしょうか。
ただ、なぜこの辺りなのかなと思うのですね。この辺りというような漠然な言い方になりますが、ほぼ極楽世界を観るのですから、この辺りでもいいかなと思います。そこで思いあたることがひとつあります。これ主体が凡夫なんですね。我ら凡夫という言い方がいいかもしれませんね。我ら凡夫においてこの辺りが着眼点である。そこに曇鸞大師がおられ、道綽禅師がおられ、善導大師がおられる。そして親鸞聖人もまた我ら凡夫に立っておられる。
この曇鸞大師から道綽禅師そして善導大師に一連の流れを観たときに、親鸞聖人のお気持が少し見える気がするのですね。これを本願の歩みと言って良いのかどうか分かりませんが、本願の歩みといえるなら、親鸞聖人もまたこの本願の歩みに生きられたお方であると言えるのかなと思っております。還相回向が証巻の後半に載っていますが、教行信証が我ら凡夫における本願の歩みであることを、未来に向けて発せられたものではないかと思っております。
証巻 正定聚について その④
令和6年3月20日 春彼岸会より
今日は前回の続きなので、「安楽集」の後、『観経疏』からの引用文「序題門」です。
「弘願というは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり。また仏の密意弘深なれば、教門をして暁(さとり)難し。三賢・十聖測(はか)って闚(うかが)うところにあらず。いわんや我信外の軽毛なり、あえて旨趣を知らんや。仰いで惟(おもん)みれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼(かしこ)に喚(よ)ばい此(ここ)に遣わす、あに去(ゆ)かざるべけんや。ただ勤心(ねんごろ)に法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし。」
この文は『観経疏』「序題門」の最後のところです。また、親鸞聖人は若干この語句を変えておられますが、後程述べることにして、まずはこの引用文の位置づけからしてみたいと思います。
「序題門」は『観経疏』「玄義分」の初めにあります。観経の教義の奥義を述べる初めの部分でありまして、全体の奥義を簡潔に述べられたものだと思います。『観経疏』は『観無量寿経』(観経)を善導大師が註釈し、「玄義分」と「正宗分」の二つに分けてあります。また「正宗分」では「序文義」「定善義」「散善義」の三つに分けてありまして、この内の「定善義」「散善義」が要門と言われるところです。
この「序題門」は短文で格調高く表現されています。まず仏教のいう法性、お釈迦様の出家の理由、お悟りとその後の教化の歩みなどが書かれていますが、何分格調高いので何となくは分かりますが、いざ表現しようとしてもとてもできないので、そこは省略してその次から始めることにします。
「しかるに衆生障り重くして、悟りを取るの者明らめ難し。教益多門なるべしといえども、凡惑遍攬(ぼんわくへんらん)するに由(よし)なし」。この由なしは、手立てがないという意味ですから、要約すれば、衆生は障りが多くて悟りを得るのが難しい。お釈迦様の教えは実りが多くても、凡夫の心は惑いが遍満しているので、せっかくの教えを受けとる手立てがない、と、このように読めば何とか内容に沿っているかなと思います。
次が、「たまたま韋提請を致して、我いま安楽に往生せんと楽欲(ぎょうよく)す。ただ願わくは如来我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえというによる。しかるに安楽の能人は別意に弘願(ぐがん)を顕彰す。」と、なりますが、韋提は韋提希のことですから、韋提希が阿弥陀仏の安楽国土(浄土)に往生したいと請い願い、その浄土の思惟と正受を教えて下さいとお釈迦様に願ったと書いてあります。お釈迦様はその韋提希の願いに応えて、広く浄土の要門を開いた。そして、安楽の能人、つまり阿弥陀仏は別意に弘願を顕彰した、と、このようになるでしょか。で、この韋提希が阿弥陀仏の浄土を選んだところですが、ここの所を「別撰所求」というふうに言われています。
この「別選所求」ですが、その前段に、牢獄に閉じ込められた韋提希が、自分の境遇を嘆き「我がために優悩なき処を説きたまえ」と嘆願するところがありまして、経典の意訳では「この濁悪処は地獄・餓鬼・畜生盈満(ようまん)して、不善の聚(ともがら)多し。願わくは我れ、未来に悪声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かいて、五体を地に投げて、求哀し懺悔す。唯、願わくは仏日、我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ、と」なっています。この最後の所を「教我観於清浄業処」と経典には説かれているわけです。ここはまた後から出て来ますから覚えておいて下さい。
で、お釈迦様はこの「教我観於清浄業処」に応じて、眉間の白毫から光を放たれて、その光の中に諸仏の浄妙なる国土を現わされます。しかし、韋提希はその光の中の浄妙な国土を断り、阿弥陀仏の浄土に生れることを願うのですね。「世尊、このもろもろの仏土、また清浄にしてみな光明ありといえども、我いま極楽世界の阿弥陀仏の所に生れんと楽(ねが)う。唯、願わくは世尊、我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえ」と、意訳にあります。ここが先ほどの「別撰所求」の所ですね。今日はこの「別選所求」にスポットをあてながら話そうかなと思っております。
では、「序題門」の続きにもどりますが。次に要門のことが書いてあります。「その要門とは、すなわちこの『観経』の定散二門これなり。定(じょう)はすなわち慮(もんぱか)りを息(や)めてもって心を凝らす。散はすなわち悪を廃してすなわちもって善を修す。この二行を廻して往生を求願せよとなり。」
定は定善義、散は散善義のことです。この定の「慮りを息めて心を凝らす」とは、目の前の色んな思いを止めて、私たちはいつもいろいろ考えているでしょう。ああでもない、こうでもないと、内容の良し悪しはともかく暇なく考えている。そういう考えることをいったん止めて、心に集中することです。散善は、悪を捨てて善を修するですから、善いことをして悪いことをするなということですね。そんなこと三歳の子供も知っておるではないか、と、言われるのは承知でありまして、善悪は人間の思いと深く関わっていますので、それぞれの人の都合で様々に善悪は変容する。だから生涯を通してこの散善を成し遂げる者はいるだろうかと問われるのですね。この散善義に臨終往生が説かれています。それがこれまでよく出て来ます上品・中品・下品の往生ですね。
ここからが初めの引用文です。「序題門」では、「弘願と言うは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得る者はみな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしとなり」となっているようですが、証巻では「弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり」と少し違っているようであります。そこの処もまたこだわって行きたいと思っております。
で、安楽の能人は別意に弘願を顕彰すとありますが、それでは阿弥陀仏が別意に弘願を顕彰するのはどの辺りかと言うと、それは韋提希が阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う時ですから「別撰所求」においてということになります。しかし、韋提希は散善義の最後「下品下生」で無生忍を得るのですから、阿弥陀仏の弘願が韋提希に顕彰されるのは「下品下生」ではないかとも思うのですよ。しかしここでは、「別選所求」で弘願は顕彰されていることになっています。
『観経疏』を拝読しますと、この「別選所求」のところはどのように述べられているか。まず「玄義分」では「すなわちこれ韋提みずからために別して所求を選ぶ」と、韋提希がみずから選んだのだとなります。また「序文義」の方でも同じように「まさしく夫人別して所求を選ぶことを明かす」ですね。両方とも、韋提希みずからが阿弥陀仏の浄土を選んだと書いてある。しかし、「序文義」の方ではその次に「如来ひそかに夫人を遣わして、別して選ばしめたもうことを致す」とあります。つまり、韋提希はみずからが阿弥陀仏の浄土を選んだのだといいながら、また、韋提希はすでに阿弥陀仏の大悲に摂取されていて、阿弥陀仏の浄土を選んだとも述べられる訳です。
すると、阿弥陀仏の弘願の顕彰を「別撰所求」に観るとしても、韋提希が「下品下生」で得た無生忍までの過程をもって、阿弥陀仏の別意の弘願は顕彰されているのだという言い方にもなると思うのですね。しかし、阿弥陀仏の四十八願は、韋提希にのみにあらず、普く衆生を悲しんで発(おこ)された願ですから、韋提希の「別選所求」の前段である、牢獄でお釈迦様に嘆願して「我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ」という、つまり「教我観於清浄業処」のところですが、この韋提希の願いもまた阿弥陀仏の弘願の促しではないか、それどころか、そもそもこの観経の成り立ちから全てが阿弥陀仏の弘願があらわされているのである、と、このような解釈にはならないか。
もし阿弥陀仏の別意の弘願が、韋提希の「別選所求」で顕彰されるのならば、この「別選所求」において、阿弥陀仏の浄土を選ぶきっかけが何かなければならないでしょう。それでは何故、韋提希はお釈迦様が現した諸仏の浄妙なる国土を断って、阿弥陀仏の浄土に生れたいと願ったのでしょうか。
善導大師は、韋提希が阿弥陀仏の浄土を願う、つまり「別撰所求」を、韋提希みずからの選びがなければ、韋提希自身の願いがどんなに強くても、なお、惑いが生じるといわれています。だからみずからが選ぶために、まずはもって、それぞれの諸仏の国土を現わしたのだと、こういうふうにも言われています。しかし、その次に「優なるを隠して独り西方の勝なるを顕すべし」と述べられます。これは、お釈迦様の優なるを隠して、独り西方阿弥陀仏の勝れたることを顕すべしということですから、次の言葉にも置き換えることができます。「しかるに二仏の神力まさに斉等なるべし。ただ釈迦如来己が能を申べずして故(ことさ)らにかの長をあらわしたもうことは、一切衆生を斉しく帰せしめざることなからしめんと欲してなり。」この二仏とはお釈迦様と阿弥陀仏ですね。神力はここでは優れているということですから、その優れた力はともに等しいが、お釈迦様の優なるを隠して独りかの長である阿弥陀仏の勝なるを顕すべし、です。
皆さんは忘れたかもしれませんが、この置き換えたものは、前回の「安楽集」における正定聚の文です。何故、韋提希は浄妙なる諸仏の国土を選ばずに、阿弥陀仏の浄土を選んだのか。そのヒントがこの文の最後にあります。「一切衆生を斉しく帰せしめざることなからんと欲してなり」です。
この、一切衆生を斉しく帰せしめようと願う阿弥陀仏の弘願が今日のテーマになっております「弘願と言うは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなし」ということになります。そこで、この「生を得るは、みな」の「みな」とはいったい誰のことを言われているのかなとまず思うのですね。
一切善悪の凡夫ですから、この一切善悪の凡夫において、阿弥陀仏の浄土に生を得るものは「みな」と、普通ならこのように読むのかなと思います。また、厳密に言うなら、一切善悪の凡夫の中で、韋提希のように阿弥陀仏の浄土に生れることを願う者は「みな」と、このようになるかなとも思います。すると、韋提希と同じように「別選所求」という自発的な選びが必要でしょう。ところが、韋提希の周囲には、韋提希の無生忍に感化されて、阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う五百の侍女がいました。これは阿弥陀仏の四十八願が普く衆生を摂取していて、韋提希の周囲のものがそれに感化され、みずからも浄土に生れようと願いを発(おこ)すのです。だから、韋提希をはじめそのような「みな」は、阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしということですね。まあ、普通ならこのようになるのかなと思うのです。
善導大師はこの無生忍のことを「定善義」の第七華座観でも述べています。「弥陀を覩たてまつって、さらにますます心開けて忍を悟なり」。また「散善義」の「下品下生」では、「まさしく夫人第七観のはじめにおいて無量寿仏を覩たてまつる時、すなわち無生の益を得ることを明かす」と、第七観の無生忍を述べています。問題は「ますます心開けて」ということですが、「定善義」の第七観で無量寿を覩(み)たてまつり、そして、ますます心が開けて忍を悟るのですから、これは第七観で韋提希が阿弥陀仏に摂取されていく過程を言われているのでしょう。
それでは、韋提希は「別選処求」で諸仏の浄土を断り、阿弥陀仏の浄土に生れることを選びました。そして、「定善義」の第七華座観でますます心開けて忍を悟り、「散善義」の「下品下生」で無生忍を得たことになりますから、『観経』には阿弥陀仏の別意の弘願が全体に流れていて、「定善義」と「散善義」の要門を説きながら、別意に阿弥陀仏の弘願が韋提希をして顕かにされていくのだ、と、このようになります。しかし、これをもって弘願をおさえて、証巻の「安楽集」の引用のあとに措くと、今回の文が読めなくなるのです。
親鸞聖人は韋提希の「別選所求」を、「韋提別選の正意に因(よ)って、弥陀大悲の本願を開闡(かいせん)す」と「化真土巻」に顕されています。開闡は開き明らかにすることですが、これは韋提希の別選の正意を因として、その因によって弥陀の本願が開き明らかにされたと、このように読むのでしょうか。実は、ここからが今日の本題でありまして、親鸞聖人はこの「別選所求」において、弥陀大悲の本願が開闡すと言われています。つまり、阿弥陀仏の弘願を、韋提希が阿弥陀仏の大悲に育まれていくといったような時間の経過には見ないで、「韋提別選」というひとつの出来事に見ておられることになると思うのですね。
何故、韋提希はお釈迦様の現した浄妙なる諸仏の国土を断って、阿弥陀仏の浄土に生れんと願ったのか。その「別選の正意に因って弥陀大悲の本願を開闡す」ですから、韋提希をして阿弥陀仏の浄土を選ばしめたその正意とは何かということでしょう。そして、その韋提希の正意に向かって弥陀大悲の本願が開闡している、そのことを親鸞聖人は弘願と言われているのではないでしょうか。
ここで、「別選所求」の前段に戻りますが、韋提希は「この濁悪処は地獄・餓鬼・畜生盈満して、不善の聚多し。願わくは我、未来に悪声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かいて、五体を地に投げて、求哀し懺悔す。唯、願わくは仏日、我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ」、この「教我観於清浄業処」ですが、この「清浄業処」を化身土巻には「本願成就の報土なり」と言われます。韋提希が願った「清浄業処」が本願成就の報土だということは、その「清浄業処」に向かって弥陀大悲の本願が開闡す、と、いわれていることになると思うのですね。
そこで、今日のテーマである「弘願というは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなし」を読むことになりますが、この「一切善悪の凡夫、生を得るは、みな」の「みな」は、さっきまでの読みでは、韋提希のように阿弥陀仏の浄土に生れんと願うところの「みな」は、阿弥陀仏の大願業力に乗じて(無生忍を得る)増上縁とせざることなし、と、このようになるかなと思いますが、証巻では、この弘願文だけが引用されていますから、そのようには読まない。
では、どのように読むか。「生を得るは、みな」をそのまま読む。一切善悪の凡夫は、一切だからこれも「みな」です。その「一切善悪の凡夫のみな」において、生を得るは、の「みな」ですね。その生を得る「みな」が阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしですから、一切善悪の凡夫である「みな」と、生を得るは、の「みな」は違いますね。では、この生を得るはとは何かということになります。そしてこの生を得るところの「みな」は阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしです。
すると、一切善悪の凡夫の一切は「みな」であり、その中に生を得る「みな」があるでしょう。この一切善悪の凡夫の「みな」と、生を得る「みな」は何が違うのでしょうか。まず、この一切善悪凡夫の「みな」は、一切ですから過去・現在・未来の一切善悪の凡夫です。すると私たちもそれぞれその「みな」の独りです。
韋提希はまず、清浄の業処を観たいとお釈迦様に願うわけですね。その時にお釈迦様は、眉間から放たれた光の中に諸仏の浄妙なる国土を現わしました。この諸仏の国土が、韋提希が観たいと願ったはずの「清浄業処」です。親鸞聖人の「韋提別選」における正意とは、この清浄業処であり、その清浄業処に向かって弥陀大悲は開闡すと言われていると思うのですね。だから韋提希はまずこの清浄業処を観たいと願うわけです。そこでお釈迦様はその清浄業処を浄妙なる諸仏の国土をもって現わされたのですね。
この浄妙なる諸仏の国土とは何か。それは、お釈迦様が見ている一切善悪の凡夫の姿ではないでしょうか。しかし凡夫は自らを一切善悪の凡夫だと知らない。凡夫の関心ごとは自分なのですね。だから自分における清浄なる業処が観たい。しかし、お釈迦様の眼は、一切善悪の凡夫であるがゆえに一切は浄妙なる国土であると、一切善悪の凡夫の「みな」に浄妙なる国土を見ている。このお釈迦さんの眼における浄妙なる国土の世界に、すでに弥陀大悲の本願が開闡されているのだということでしょう。韋提希は何か気づいたのではないですか。
で、ここまでを要約すると、「弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫(において、お釈迦様の見る浄妙なる国土に)、生を得る(ところの善悪の凡夫)は、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり」と、こういうふうになるかと思います。
この「生を得るは、みな」とは、正定聚を輝かすところの深淵なる業の闇をいうのであり、その業の闇をも、お釈迦様は清浄業処の浄妙なる国土として見ておられることになります。その清浄業処にひときわ輝く正定聚の諸仏を見る。その「生を得るは、みな」が阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしです。親鸞聖人は、このお釈迦様の心眼である「清浄業処」に、弥陀大悲の本願が開闡されるのを、増上縁と見ておられることになるのではないでしょうか。
そして、この弘願の次に、「また仏の密意広深なれば、教門をして暁(さと)りがたし。三賢十聖測りて闚(うかが)うところにあらず。」と、まだまだ密意は深く広いので、教門を顕かにしたのではない。そして「況や我信外の軽毛なり。あえて旨趣を知らんや」です。まだまだ信には浅く仏の旨趣を知っているのではない。「仰ぎ惟(おもん)みれば、釈迦はこの方に発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼(かしこ)に喚(よ)ばい此(ここ)に遣わす。あに去(ゆ)かざるべけんや。」この「あに去かざるべけんや」は、どうして去らないでおることができようか、と、いうことでしょうか。去をゆく読みますから、どうしてゆかないことがあろうかと読むのでしょうね。だから、まだ去かないで此にいるということですが、ここにはすでに弥陀が来迎しているから、去かないことがないではないか、と、このように読むのでしょうね。
不思議な表現で、漠然とした感想しか言えませんけど、何か確かなものを見る佇まいですね。そして「ただねんごろに法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし、と」。この「畢命を期(ご)として」は命が終わるときをまって、そして「この穢身を捨てて」は、煩悩具足の凡夫の身を捨てて、「法性の常楽を証すべし」です。命が終わるときに煩悩具足の身を捨てて、法性常楽を証するのである、と、親鸞聖人の信心の深みを、この証巻に顕されたところだと思っています。
証巻 正定聚について その③
令和5年11月26日 御正忌報恩講より
「(如来会)また言わく、かの国の衆生、もしは当に生れん者、みなことごとく無上菩提を究竟し、涅槃の処に到らしめん。何をもってのゆえに。もし邪定聚および不定聚は、かの因を建立せることを了知することあたわざるがゆえに、と。」
前回までは『論註』を読みながら証巻を進めてきました。今回は少し『論註』を離れて、道綽禅師『安楽集』と善導大師『観経疏』が登場します。今日は邪定聚および不定聚の問題です。
では、まずはじめに邪定聚ということですが、邪定聚は観経の信心といわれます。この邪はよこしまという意味ですから、よこしまに定まる聚(なかま)ということになりますね。また「よこしま」は正しくないとか道に外れているという意味でもあるから、邪定聚は正定聚からすれば正しくないとか、道から外れているということになります。すると、この正定聚の正に対しての邪ですから、正と邪を比べて正が正しいと、語句としては当たり前ですね。しかし、これを往生浄土においてと言った場合、何をもって往生浄土かということですね。すると、この往生浄土の意義は何かといえば、それは、我が心の偽りと、我が身のいたらなさです。我が心が偽りなく、我が身が正しければ、別に阿弥陀仏の浄土往生はいならいのです。心身ともに凡夫の身であるからこそ往生浄土の門は開いているのですから、この場合の正とは、正しい凡夫の身としての自覚です。オレのほうが正しいぞ、お前はよこしまだ、と、高慢からの正と邪ではない、ということでしょう。
観経は「下品下生」のお救いといいまして、この「下品下生」は、目の前に死が近づいているにもかかわらず、とにかくも自分に何もかもない人のことです。何もかもないというのは、どうしようもない人をいうので、ろくでもない人、言い方はいろいろあるでしょうが、ま、とにかく『観無量寿経』の「下品下生」の処を読んでみます。
「仏、阿難および韋提希に告げたまわく、「「下品下生」というは、あるいは衆生ありて、不善業たる五逆・十悪を作る。もろもろの不善を具せるかくのごとき愚人、悪業をもってのゆえに悪道に堕すべし。多劫を経歴して、苦を受くること窮まりなからん。かくのごときの愚人、命終の時に臨みて、善知識の、種々に安慰して、ために妙法を説き、教えて念仏せしむるに遇わん。この人、苦に逼(せ)められて念仏するに遑(いとま)あらず。善友告げて言わく、「汝もし念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべし」と。かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念々の中において八十億劫の生死の罪を除く。命終の時、金蓮華を見る。猶し日輪のごとくしてその人の前に住す。一念の頃(あいだ)のごとくに、すなわち極楽世界に往生することを得ん。蓮華の中において十二大劫を満てて、蓮華方(まさ)に開く。観世音・大勢至、大悲の音声をもって、それがために広く諸法実相・除滅罪の法を説く。聞き己(おわ)りて歓喜す。時に応じてすなわち菩提の心を発す。これを「下品下生の者」と名づく。これを「下輩生想」と名づく。「第十六の観」と名づく。」
①この語を説きたまう時に、韋提希、五百の侍女と、仏の諸説を聞きて、時に応じてすなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。仏身および二菩薩を見たてまつることを得て、心に歓喜を生ず。未曾有なりと歎ず。廓然(かくねん)として大きに悟りて、無生忍を得。②五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず。世尊ことごとく「みな当(まさ)に往生すべし」と記す。
この「下品下生」の長い引用の一つひとつを押さえることは出来ませんが、全体的な雰囲気を感じていただければいいのではないかと思います。で、要約すると、一応は凡夫の自覚はあるし、仏に帰依しているものの、日常はてんでそういうものとかけ離れた生活をしてしまっている。その日々は五逆十悪の日々であり、それがいよいよ自らの臨終が迫ってきた。そのときに、善知識から念仏の教えを教わり、その教えの通りに心を集中して念仏しようとするが、苦しさが逼迫してそれどころではない。と、その時に、よき友から「無量寿仏と称すべし」と、声をだして南無阿弥陀仏と称えよと勧められた。その人は無我夢中にひたすら南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と称えた。この無我夢中の念仏は、そのまま無心の南無阿弥陀仏であるがゆえに、その一念一念の念仏に罪が除かれていく。そして、いよいよ命終のとき、その一念のときのように極楽世界に往生するのである、これを聞き己って、念仏とともに歓喜して菩提の心を発した、と、まあ、このような内容かなと思います。
で、この下品下生のことを考えるときに、道綽禅師の『安楽集』を思いだすのですが、これは以前に、この『安楽集』を読んだ時にことです。読みながら、この『安楽集』という書物は何だろうとずっと考えていましてね。まず読んでも、何を言われようとしているのか分からない。これまで、少しぐらいは難解な書物も読んできたつもりでいましたが、とにかく毛色が違うというか、さっぱり分からんのですよ。内容も難しいが、どういう意味でこういうふうに言われるのかさっぱり分からない。とにかく受け付けないのですね。はじめて本を放り投げました。後からノコノコと拾ってきて、また読み始めましたが、とにかく分からん、ということでした。しばらくしてから、今度は角度を変えて調べることにしました。そのうちに、ふと、ご門徒のある方のことを思いだした。すると、何となく読めるような気がするのですね。
その方はすごくユニークは発想をされるお人で、毎月のお参りでも話し込むこともよくありました。ある日、いつものようにお参りに伺うと、「この前、具合が悪くなり救急車を呼んだ」と言われるのですよ。で、どうされましたかと尋ねると、とにかくすごく体の具合が悪いと、でも、救急車を呼ぶのは少しためらうでしょう。それでも辛いし、いてもたってもおられず救急車を呼んだそうです。その時に、その方がどうされたのかですが、救急車を待つ間に、痛い場所をマジックインクで丸く囲まれたそうです。一目でどこが悪いか分かるように、辛い場所に印をつけておいた。それで病院まで運ばれたそうです。そのことを聞いて二人で大笑いしましたが、この事を思いだした。
この話と『安楽集』がどんな関係があるかということですよね。まあ、とにかくフトそのことを思いだしました。すると何となく読める気がしたのですよ。つまり、道綽禅師も、自分も分からないと言っているのではないかということです。ただしかし、ここだと、ここが要だと、でもオレもよく分からないのだ。そういうことかなと思いました。だからこの『安楽集』は道綽禅師の直感の書であり、大事な場所をいろいろと抜き出してある。そしてそれは仏教においてもすごく大事なことであるが、しかし自分もまだそれがよく分からないのである。だからそこに印の○を付けておいた、そういう書である、と、まあ、このような思いがしたわけです。すると何となく読めるような気がしたわけですね。
そのひとつに、観経のことで言われている処がありますので、まずそこを見ながら「下品下生」のことを考えようと思います。「弥陀の浄国は位上下を該(か)ね、凡聖通じて往くことを明かす。教興の所由を明かして時に約し機に被(こうむ)らしめて浄土に歓帰せしむれば、もし教時機に赴けば修し易く悟り易し、もし機と教と乖(そむ)けば修し難(がた)く入り難し。」
難しい表現ですので詳細に説明はできませんが、この「位上下を該(か)ね」の該は当てはまるという意味だそうです。「位の上下が当てはまり、凡夫と聖とが共に通じて往生することを明らかにした」と、こういう言い方が出来そうですね。つまり観経は上品から下品までの九品の位があったとしても、上品の聖と下品の凡夫とが同じように通じていることを明らかにした、と、こういうふうになるのだと思うのですよ。
で、その理由が次にあります。観経の教えが興るゆえんとは「時に約し機に被らしめて」ですから、観経の教えが興る理由は、その機が熟す時において興るのであり、その時に(はじめて)浄土を歓び、浄土に帰らしめるのである、と、このような意味でしょう。そして、このことは上下を通じてすべて当てはまるのである、と、こういうことかなと思うのですね。だから、機が熟さなければ上品の聖であろうが、また、下品の凡夫であろうが、浄土を歓び帰らしむることはないということですから、浄土に帰らしむるのは機が熟すかどうかによるのであって、上下は関係ないということですね。では、その機が熟すとはどういうことなのかといいますと、それは観経に説かれている王舎城の悲劇を通して、韋提希の機が熟していきます。
この観経に説かれた王舎城の悲劇は、善導大師の「観経疏」序分義にも書かれており、有名な物語ですので、いずれ話したいと思っておりますが、今回の「下品下生」は、観経の最後の処であり、韋提希が救われて無生忍を得るところの最後の部分になるでしょうか。
それでは、さっき読んだ「下品下生」①のところをもう一回読んでみましょうか。①「この語を説きたもう時に、韋提希、五百の侍女と、仏の諸説を聞きて、時に応じてすなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。仏身および二菩薩を見たてまつることを得て、無生忍を得。」
この①を「観経疏」は「まさしく夫人第七観において無量寿仏を見たてまつる時、すなわち無生の益を得ることを明かす。」と、書いてあります。善導大師は、韋提希が第七観で無量寿仏を見たてまつり、そして、無生(忍)の益を得たといわれますね。この第七観とは定善観の第七観のことですが、今話しているのは、その定善観ではなくて、次の散善義であり、その散善義でも最後の下品下生のところです。善導大師は、韋提希が定善観の第七観華座観で無生の益を得たといい、そして下品下生で無生忍を得たといわれているのですが、これはどういう意味だろうか。
そこでまず、この第七観の前、つまり第六観ですが、この第六観は「宝楼観」といいまして、「総観想」という別名があります。「名づけて粗(ほぼ)極楽世界の宝樹・宝池・宝地を見るとす。これを「総観想」とす。「第六観」と名づく。」と、経典に書かれています。この第六宝楼観の「粗極楽世界」の粗(ほぼ)は、おおざっぱ、きめ細かでない、荒っぽいなどの意味ですから、つまり韋提希はこの「第六観」でまだ大ざっぱではあるが極楽世界を見て、そして無量寿仏を見たてまつります。だから、韋提希が見たてまつるところの無量寿仏もまた、韋提希にとってはまだきめ細やかな無量寿仏ではなかった。そこで、韋提希は第七観において「世尊、我いま仏力に因るがゆえに、無量寿仏および二菩薩を見たてまつることを得つ。未来の衆生、当にいかにしてか無量寿仏および二菩薩を観たてまつるべき。」と、お釈迦様に問いかけるということになるでしょう。
この、お釈迦様の力によって、こうして無量寿仏を見たてまつることが出来ました、しかし、お釈迦様がおられない未来の衆生はどうしたら無量寿仏および二菩薩を観ることが出来るのでしょうか、という韋提希の問いに対して、第七観の華座観が説かれていきます。善導大師は、韋提希が得た無生の益が、未来の衆生への問いになっているといいたいのだろう、と、そのように考えておるのですが、そして、その韋提希の問いが、第七華座観を通して、最後の下品下生でその答えを見る、と、善導大師は言われておるのかなと思うわけです。
そして②の「五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず」ですね。ここのところを観経疏では「まさしくこの勝相を覩(み)て、おのおの無上の心を発して、浄土に生ぜんと求むることを明かす。」と、書いてあります。この「覩」は視線を集めて見る、はっきりとわかる、見てとる、理解するなどの意味ですね。韋提希の側にいた五百の侍女もまた、無生忍を得た韋提希の姿を見てとって理解した。そして自らもまた無上の心を発して、浄土に生れることを求めた、ということですね。そして、世尊ことごとく「みな当に往生すべし」と記す、です。
この時に五百の侍女もまた、韋提希と同じように阿耨多羅三藐三菩提心を発したとありますが、これを「安楽集」では「時に約し機に被らしめて」とありまして、約とは誓ということですから、機はこの場合は韋提希でありますが、側にいた五百の侍女も、韋提希が無生忍を得たことを覩て、同じように極楽世界の広さそして深さを観ている。つまり、機がまだ熟さない五百の侍女も、韋提希と同じように極楽世界の誓に、浄土の広長の相(すがた)を観た、と、このように思っております。余計な事のようですが、この五百の侍女が何処まで広がるかといえば、ここに御参詣いただいている皆様もそこに入るということでしょう。居眠りしておられてもですね、時を超えて、いまもこの場において、その極楽世界の広長の相が誓われているということではないでしょうか。そして、世尊ことごとく「みな当に往生すべし」です。この響きはいいですね。
この観経の信心は「下品下生」にあると言われておりまして、私たちの姿そのものがこの「下品下生」であるとおさえられております。そしてこの「世尊ことごとくみな当に往生すべし」に見る、浄土への「みな」とは、みなそれぞれが浄土への道を頂いていくことですね。こんな私が浄土に往生するのか、こんな私だからこそ浄土往生をいただくのか、と、世尊のことごとくみな当に往生すべしに感動するわけがそこにあるのですね。
そして少し角度を変えて、韋提希のことを考えてみますと、その後の韋提希であります。お釈迦様がおられない未来の衆生にこの韋提希本人もいるとしたら、その後の韋提希はどのように生きたのだろうか。無生忍がどういった悟りなのか何も書いてないので、この無生忍を得ることが韋提希にとって何だったのかと、その後の韋提希に見ることは出来るだろうかと思っています。
さて、親鸞聖人はこの「ことごとく、みな当に往生すべし」の「ことごとく、みな」という世界を邪定聚と言われるのでしょうね。するとこの「ことごとく、みな」の世界がよこしまな心だろうかということですが、そういうことはないでしょう。証巻の正定聚は、往生するものとすでに往生を得たものが響き合う世界であるといわれます。観経の「下品下生」にある「ことごとく、みな」は、浄土往生への機会均等のなかまではあるが、まだ正定聚のように往生するものと往生を得たものとが、響き合い出遇う世界ではないのである、と、このように言われるのかなと思っております。
それでは、邪定聚はこのくらいにして、今度は不定聚とは何かということですが、これは阿弥陀経の信心だと言われております。ああそうか、阿弥陀経の世界だなと納得される方もおられるでしょうが、この阿弥陀経の信心は「論註」ですでに述べていると自分では思っておりまして、「論註」の持つ立ち位置が、この不定聚から正定聚を得ることを眼目にしたものかなと思います。だから、その個所を押さえると、この不定聚と正定聚の違いが見えてくるのではないでしょうか。
では、それはどこに言われるのかと言いますと、「論註上巻」讃嘆門にあります。最後の文です。「もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。」と、ありまして、曇鸞大師はここでは声聞の論ずる中の説だと言われますが、この声聞が論ずる中の説を、親鸞聖人は不定聚といわれるのでしょう。
曇鸞大師がこの「論註」を顕すにおいて、何がその主たるテーマかというと、それは菩薩の死であり、そしてその菩薩の死を超えるということですね。菩薩はある程度まで行くと、これ以上求めるものもなく、済度する衆生もいなくなるといわれます。つまり声聞に引きこもるのですよ。これを菩薩の死といわれるのですが、ここをどう超えるか、これが曇鸞大師の大きなテーマでありますから、声聞は少し厳しい言い方かもしれないが、大乗に目を開けと、叱咤激励で声聞という言葉を使われるのかもしれません。そして、ここで言われる不定聚とは、すでに阿弥陀仏の浄土往生を得たものだと思いますね。しかし何かが足らない、それがさっき話した「下品下生」にある最後のところです。
廓然として大きに悟りて、無生忍を得。五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず。世尊ことごとく「みな当に往生すべし」と、記す。
この阿耨多羅三藐三菩提心は無上等正覚といわれまして、菩提心という字が付いているように、無上の等正覚とは無上の菩提心なのです。かの国、つまり阿弥陀仏国に生れんと願う無上の菩提心ですね。邪定聚には菩提心はあるが、それは浄土往生へのそれぞれの願いですね。それに対して不定聚は阿弥陀仏が三千大千世界をすべてつつんでいることを悟るが、その浄土は諸仏が生れ続けており、諸仏が広くすみずみまで行きわたる菩提そのものの相であることを知らない。そして、この度往生のものとすでに往生を得たものが響き合い、出遇い、そしてあまねく十方無量のほとりなき世界をつつむ正定聚の相であることも知らないのだといわれるのでしょう。
ところで、証巻の初めの処にあります願成就文に、「また言わく、かの仏国土は、清浄安穏にして微妙快楽なり、無為泥オンの道に次(ちか)し。それもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧高明にして神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形異状なし。ただ余方に因順するがゆえに、人・天・の名あり。顔貌(ぼう)端政にして世に超えて稀有なり。容色微妙にして天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたるなり、と。」
これは、かの仏国土である、正定聚の浄土を描いておられるわけですが、なかなか不思議で分からん内容です。これを阿弥陀仏の浄土はいろんな方がおられると読めば、正定聚どころか、不定聚も邪定聚もおられるし、それどころか菩薩や声聞、天や人もおられるではないか。
この度往生するものからすれば、すでに往生を得たものは諸仏と見られるのでしょうね。また、すでに往生を得たものからすれば、この度の往生のものは諸仏です。すると、この正定聚の浄土には諸仏のみがおられるのかというと、そうではない。この願成就文には普通の人がいたり、天や声聞、菩薩がいたりしてなかなか混乱するところですね。
このことで思うのは、往生のものとは、往生の人だということですね。この度往生する人は、様々なご縁を頂きながら、この度ここに浄土往生するのです。その人はいままで多くの人に影響されながら、出会いながら、そして浄土の教えをいただき、この度往生する人です。具体的に言えば仏教の教えを訪ね、浄土の教えを聞き、念仏の教えをいただいて、はじめて往生の道をいただくのですね。こういうご縁がなければ難しいのですよ。一人で切り開ける方がどれくらいおられるでしょうか。それに対して阿弥陀仏の浄土はつないでいくいのちです。この度の往生においては、菩薩のお育てがあり、声聞を叱咤されて、多くの人と出会いながら、浄土のいのちに触れて、さまざまなお育ての中で、今日の往生の人がいるのですね。そしてまた、その往生のものである一人ひとりが、それぞれの背景をもって往生されるのです。浄土はその諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいる。そして、その往生のものは、生まれ育った因縁も環境も背景にしています。その全てがこの浄土往生の時、この一人において実を結ぶわけです。その時の浄土の願成就をこのように顕わされているのだろうと思います。
それでは、道綽禅師の「安楽集」を少し見て終わりにさせていただきますが、前回の証巻の話が「清浄功徳」でしたので、次は「安楽集」からの引用になります。
『安楽集』に云わく、①しかるに二仏の神力、また斉等なるべし。ただ釈迦如来己が能を申べずして、故にかの長ぜるを顕したまうことは、一切衆生をして斉しく帰せざることなからしめんと欲(おぼ)してなり。このゆえに釈迦、処々に嘆帰(たんき)せしめたまえり。須(すべか)らくこの意を知るべしとなり。 ②この故に曇鸞法師の正意、西に帰るがゆえに、『大経』に傍(そ)えて奉讃(ぶざん)して曰く、 ③「安楽の声聞・菩薩。人天、智慧ことごとく洞達(とうだつ)せり。身相荘厳殊異(しんそうしょうごんしゅい)なし。ただ他方に順ずるがゆえに名を列(つら)ぬ。顔容端政(げんようたんじょう)にして比ぶべきなし。精微妙躯(しょうみみょうく)にして人天にあらず、虚無(こむ)の身(しん)、無極(むごく)の体(たい)なり。このゆえに平等力を頂礼したてまつる」(讃阿弥陀仏偈)と。
まず、③のところですが、これは「讃阿弥陀仏偈」にある文で、曇鸞大師が正定聚を述べられているところです。今しがた読んだ「願成就文」では「それもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧光明にして神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形異状なし。ただ余方に因順するがゆえに、人・天の名あり。顔貌端政にして世に超えて稀有なり。容色微妙にして天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたるなり、と。」こうなっております。
「願成就文」と「安楽集」の③とに何か違いがあるだろうか。詳細に観たらあるかもしれませんが、内容はほぼ同じです。『大経』の願成就文を曇鸞大師がこういうふうに言い換えたといっても差し支えないとも思いますが、では、顕著な違いは何かというと、①と②の加筆文ですね。この加筆された前の処を観ると、お釈迦様がおられなくなった後のことが書いてあります。お釈迦様がなくなられた後に疫病が流行り出して国は混乱の極みである、と、しかし、もうお釈迦様はお戻りにならないというようなことが書いてあります。そしてその後に続く文がこの①②③の引用文です。二仏はお釈迦様と阿弥陀仏です。これは韋提希が問うた「未来の衆生、当(まさ)にしてか無量寿仏および二菩薩を観たてまつるべき。」と同じ意味になりますね。この『安楽集』のところを、証巻の「清浄功徳」の後に載せられていることになります。つまり親鸞聖人は「清浄功徳」の前後に「願成就文」と「安楽集」と二つ正定聚を措かれていることになります。
そして、「安楽集」の引用①の処です。「このゆえに曇鸞法師の正意、西に帰るがゆえに、『大経』に傍えて奉讃して曰く、」とありますが、「讃阿弥陀仏偈」では「願わくは諸々の衆生とともに安楽国に往生せん。南無して心を至し帰命して西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。」と、繰り返し述べられる「讃阿弥陀仏偈」での反復の言葉でありまして、正定聚だけに使われたのではありません。
道綽禅師が言われる西とは、おそらく身体の死のことだと思うのですね。つまり、私たちが普通に考えているところの死です。しかし、この死の問題を述べられるのは道綽禅師であり、曇鸞大師が「讃阿弥陀仏偈」で述べられているのではないのですね。それをあえて身体の問題と曇鸞大師の正定聚をくっつけておられる、と、そう思われるのです。
親鸞聖人は善導大師の身体的な問題を正定聚につつみ入れて、「論註」の「大義門功徳」にある「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と顕され、そしてそれを「清浄功徳」とされました。そしてまた、この「安楽集」の文をその「清浄功徳」の後に措かれたことになります。「清浄功徳」にある「すなわちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得」、つまり、この身において涅槃分を得ることがどのようなことか、それがこの「安楽集」の引用文であるということになるかと思いますが、もう少し見ていきたいと思っております。
証巻 正定聚について その②
令和5年9月23日 秋彼岸会より
(付録)ー「淄澠の一味なるがごとし」の意味をみると、淄と澠は斉の国にある川の名であり、この二つの川が異なった味を持ちながら海に流れ込めばそのまま一味になるといわれます。しかし、この「淄澠の一味なるがごとし」に、親鸞聖人は(食陵の反)の文言を付けくわえられておりまして、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と「大義門功徳」を読みかえられています。このことについて「正定聚その①」の不足分として、今回の「正定聚その②」の前に(付録)を付けておくことにしました。ー
陵はみささぎと読み、王の墓などを意味しますから、この食陵をそのまま読めば王の墓を食うというような意味になります。ここでの王とはもちろん阿弥陀仏のことになりますから、阿弥陀仏の墓を食うということになる訳です。では、その阿弥陀仏の墓とは何か。もしこの墓の意味するものを一言でいうならば、阿弥陀仏の浄土が成就するとき除外されているものということでしょう。すると、ここに言われている食陵とは、その除外されているものを食うという意味になります。そしてその反(かえし)がこの「淄澠の一味なるがごとし」に付け加えらた意味になります。これらのことを前回の最後に話しました。今回はその続きでもありますから、この「食陵の反」をもう少し見ていきます。
宇宙の壮大さとは、漆黒の宇宙における星群の共演です。様々な星や銀河がありますが、普段私たちは圧倒されるほどの銀河を夜空に見ることはできません。しかし、本来の夜空にはその圧倒されるほどの星が降り注いでいます。もしそれらを間近に観ることができたら、その満天の星に感動をも覚えるでしょう。しかし、その満天の星を彩るところの漆黒の闇までを観るものは少ないはずです。しかし満天の星はその深淵なる漆黒の闇に輝く星なのです。もし満天の星の共演を浄土の相(すがた)とすれば、阿弥陀仏の浄土が成就するとき、そこに除外されている深淵なる漆黒の闇を、王の墓、つまり陵(みささぎ)という意味にあたえることは出来ないでしょうか。
淄川をどす黒い漆黒の闇だとするならば、澠川は亀のような生き物が住む川です。この二つの川が混ざりあう時、漆黒の中に飲み込まれる澠川の生き物の姿に、闇に閉ざされていく私たちの業を連想します。親鸞聖人は「淄澠の一味なるがごとし」にこの(食陵の反)を付け加えられ、聖人独自の意味に変えられています。その(食陵の反)の意味とは何か、それは阿弥陀仏の浄土を浄土たらしめるところの漆黒の闇をも見据えて、そして、往生の光を得た自らも、また、この深淵なる漆黒に浮かぶ星の一つであると、自らの信心を述懐されているのだと思うのです。
証巻 正定聚について その②
(証巻の文)「また、『論』(論註)に曰く、「荘厳清浄功徳成就」は、「偈」に「観彼世界相 勝過三界道」のゆえにと言えり。これいかんぞ不思議なるや。凡夫人の煩悩成就せるにありて、またかの浄土に生るることを得ば、三界の繋業畢竟じて牽かず。すなわちこ煩悩を断ぜずして涅槃分を得、いずくんぞ思議すべきや。」
(論註下巻)「荘厳清浄功徳成就」の 解読文
(一点のにごりもない)清浄さとしてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「彼の世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。凡夫人の、煩悩にみちているものでも、彼の浄土に生れることができれば、三界につながれてはなれることができない業のきづなも、ついにはそのはたらきを失う。つまり、(法の徳のゆえに)煩悩を断じえないまま、しかも涅槃の分を得るのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。
「荘厳清浄功徳成就」略して「清浄功徳」は、観察門の国土荘厳十七種の第一種目にありまして、国土荘厳の総相といわれます。本来なら、この「清浄功徳」が前回の三つの「功徳成就文」の前にあるはずですが、証巻では、国土荘厳の順番が逆になっていまして、「清浄功徳」がこの三つの「功徳成就文」の後に措かれてあります。これは、要するに十七種の中で、この「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三種の功徳文をもって国土荘厳とされたということでしょう。そしてまた、この三種の後に「大義門功徳」の一部だけを付けくわえられております、それが、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」ですね、そしてその次に、この「清浄功徳」を顕しておられます。今回はこれらのことを含みながら読んでいけたらと思っております。
まずは、論註の下巻に気になることが書いてありますので、そちらの方から国土荘厳を見ることにしますが、そこに何が書いてあるのかといいますと、相似相対だと書いてある。相似というのは似ている形態ということで、姿形や性質が写したようによく似ているということですね。相対の方は向かい合う、または対立するとか、関係を持ち合って成立するという意味だそうです。で、この国土荘厳十七種は相似相対であると書いてあります。
そして、この国土荘厳の十七種は摩尼如意宝において相似相対すると書いてあります。これは何を言っているのかといいますと、まずこの摩尼如意宝ですが、まあ、よく分からんわけです。とにかく不思議な表現でありまして、でも、これをあえて現代風にアレンジして言えば、おそらくドラゴンボールのようなものでしょうか。この珠を得ればいかなる願いもかなえてくれるという、不思議な摩尼如意宝珠です。国土荘厳はこの如意宝珠が相似相対するといわれているのですね。つまり、国土荘厳十七種は、この摩尼如意宝のように不思議であり、それは相似相対する、と、このようになります。
こういう処はあまり関わらず通り過ぎても構わんのかなとも思いますし、これにこだわってどうするんだとも思いますよ。しかしですね、あえてこだわると、国土荘厳十七種のそれぞれが摩尼如意宝であり、その十七種は相似相対しているということであります。
「多盲のゾウ」という譬えがありまして、これは目が不自由な人たちが集まって、それぞれがゾウに触れてみる。すると、ひとりは足を触りゾウは大きな木のようだという。鼻を触ったひとは長い管のようだという。もうひとりは耳を触って大きな葉っぱのようだといい、もうひとりはお腹を触り山のようだという。それぞれが自分の触った感覚でゾウを表そうとしたが、結局は誰も本当のゾウの姿を知る者はいなかったという話ですが、このゾウを「真理」と言い換えればすごく哲学的になりますし、また「生死」と言い換えれば宗教的にもなります。で、お分かりのようにこの「ゾウ」とは何かということです。
国土荘厳の場合は十七種それぞれに摩尼如意宝というゾウがいる、摩尼如意宝とは何でも願いがかなうといわれる不思議な如意宝珠ですから、現代風にいえばドラゴンボールかなと思うのですね。ドラゴンボールは7個集めるとどんな願いでも一つだけかなう。このひとつだけというのがみそですが、摩尼如意宝はこの十七種がそれぞれ摩尼如意宝だから、十七の摩尼如意宝珠があるわけです。でも、摩尼如意宝は一つしかない。ここに理屈に合わんものがあるわけですね。また、この摩尼如意宝は十七種に分かれていながらも、それぞれが摩尼如意宝であると説かれているのですが、この摩尼如意宝をそれではだれが十七に分けたのかといえば、摩尼如意宝自身であるというわけですね。
国土荘厳が相似相対するというのは、この摩尼如意宝が自らを十七種に顕して、そしてその摩尼如意宝がそれぞれ相似相対するということだと思うのですよ。もうこの辺になるとよく分からんでしょう。不思議な表現ですね。
しかし、この摩尼如意宝とは国土荘厳を顕しているのですから、仏土つまり仏国土の不思議を顕す譬えですね。つまり、国土荘厳を不思議な摩尼如意宝の譬えで表現したということでしょう。で、この摩尼如意宝は何でも願いをかなえる不思議な珠です。そして、その珠を得ればどんな願いもかなう、こんなふうに聞けばまるでドラゴンボールのようじゃないですか。ところが、この摩尼如意宝は国土荘厳の譬えですから、じゃあこの国土荘厳とはドラゴンボールのようなものかといえば、違います。
国土荘厳は阿弥陀仏の浄土のことですから、完成された仏国土です。不足という字が無いのですね。しかし摩尼如意宝の譬えでは、あなたが不足しているものを与えましょうということですから、本来この国土荘厳と意味が違いのですよ。では、なぜ国土荘厳を摩尼如意宝に譬えるのか、それは自らこの国土荘厳を顕すためだということです。国土荘厳を十七種に分けて、それぞれの角度から国土荘厳を顕す。そういう仏国土として十七種の立場を造ったということでしょう。完成しているからこちらから見えないし、見られる必要もないけれど、観るこちら側に立って、あえて欠損させてそこを見せる。すると、欠損したところから見れば、その不足したものを満たす国土が荘厳されている。それはまるでその願いが満たされているかのようだから、摩尼如意宝のようであるという。それが十七種あり、そしてその十七種の国土荘厳はそれぞれが相似相対するといわれるわけです。相似相対しているというのは、似ているものが並んで見えるということでしょうか。
私たちはドラゴンボールの方はすぐ分かるし、そっちの方が魅力的ですね。しかしそれは現実的ではなくてファンタジーですね。私たちは足らないことばかりですから、あれがあればいいな、こうなればいいな、と、ずっと考えていませんか。だからドラゴンボールの方はすぐに分かるし、そちらがおもしろそうでしょう。それは私たちが完成していないからですが、とにかく足らないものがいっぱいある。これが私たち凡夫の姿ですね。
国土荘厳の「清浄功徳」とは、そういう私たち凡夫から見た仏国土です。「(一点のくもりもない)清浄さとしてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「彼の世界の相を観ずるに、三界に道に勝過せり」といわれているからである。」と、まず、国土荘厳の総相として私たちに最初に顕された清浄の国です。
ところが、聖人はこの国土荘厳十七種から「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三つを選んで「清浄功徳」の内容とした、つまり、この三つをもって「国土荘厳」だとしたということですが、その次にまた「大義門功徳」を一部とりあげて載せてあります、その中に、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」という言葉がある。この言葉を少し取り上げて前回が終わりましたので、冒頭に付録をつけてもう少し詳しくしております。
で、この証巻の「清浄功徳」の前に、「また、『論註』に曰く」と書いてあるでしょう。この「また」は、三種の功徳文と「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」のどちらにもかかっているわけですが、どちらかといえば「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」の方に重きを措かれていると思っているわけです。
『浄土論』での「清浄功徳」は、「偈に「観彼世界相 勝過三界道」と言えるがゆえに。」とこれだけです。これを曇鸞大師が開かれて、今回の「清浄功徳」の文になっています。そして、この国土荘厳十七種では、「清浄功徳」の次にあるのが「量功徳」です。『浄土論』では、この「量功徳」もまた「偈に、「究竟如虚空 広大無辺際」と言えるがゆえに」とこれだけでして、「清浄功徳」と同じような表現になっています。聖人はこちらの「量功徳」の方は引用されていませんが、この「量功徳」を曇鸞大師がどのように開かれたかを見たいと思いますので、上下巻の両方とも読むことにします。
まず上巻の方から。解読文より、上巻は長いので(その一)と(その二)とに分けてあります。
「「荘厳量功徳成就」究竟して虚空の如く、広大にして辺際無し」この二句は荘厳量功徳と名づける。(その一) 仏がもと、この荘厳量功徳を起こされた所以は、三界を見られるに、狭く小さく、土地がくぼんだところや裂けたようなところがあるかと思えば、小高いところや水面に土が盛り上がったところがある。あるいは宮殿の高どのは迫くきゅうくつであり、土地田畑はせばまってせまくるしい。また、どこかへ行こうとしても路はせまく、あるいは山や河が行く手をはばみさえぎり、あるいは国境にへだてられて行くことができない。このようにさまざまのせわしなさで息ぐるしく、うろたえるようなことがある。だから菩薩はこの荘厳量功徳の願いを興され、我が国土は虚空の如く広大で辺際ないように願われたのである。
(その二) 虚空の如しとは、この国に来生する者がいかに衆(おお)くても、なお一人もいないように感じられるほどだという意味である。広大にして辺際なしとは、上の虚空の如しという意味を全うするものである。つまり、どうして虚空のようかといえば、広大で際限がないからである。量功徳の成就とは、十方衆生の中の往生する者ーすでに往生したもの、これから往生すべきものーは量りなく、はてしなくあっても、つづまるところ常に虚空のように広大で際限なく、終に満ちてしまうときがないということである。だから「究竟にして虚空の如く、広大にして辺際無し」といわれているのである。
問う。維摩居士などは、小さな部屋に、高さ八万四千由旬の獅子座を三万二千つつみ入れて、なお余りがあったという。どうして国の界のはかりないところにかぎって広大と称するのか。答う。ここにいう広大は、必ずしも五十畝を畦といい、三十畝を畹というような場所の広さを喩えにしているのではない。ただ空のようだというのである。そのうえどうして部屋の広さなどのたとえにかかずらう必要があろうか。また維摩の部屋がつつみいれるのは、狭いところにあって広いのである。厳密に結果の優劣を論ずれば、どうして広いところにあって広いというのに及ぼうか」
次に下巻から。解読文より。
「これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。彼の安楽国の人天(ひとびと)は、もしこころに宮殿楼閣の広さを、あるいは一由旬あるいは百由旬あるいは千由旬にしたいとおもい。(またその部屋数を)千間、万間にしたいとおもえば、心のままにそうなり、人それぞれにおもいどおりになるのである。また、十方世界の衆生が往生を願うに、すでに生じたもの、今生じたもの、これから生じるもの、一時一日の頃(あいだ)の数をかぞえても、それがどれくらいの数になるか知ることができないほどである。にもかかわらず、彼の世界はつねに虚空のごとくであって、せまっくるしさがまったくないのである。彼の安楽国土の中の衆生は、このような量(ひろさ)の中に住んで、自ずとその志願が広大になることもまた虚空のようで、まったく限りがないのである。(つまり)彼の国土の量(ひろさ)になっているのであるから、どうして(われわれが)思いはからうことができるであろうか。」
この論註上下の「量功徳」を比べると、一応上巻では(その一)と(その二)に分けましたが、下巻では(その二)の方を主に述べられていると思うのですね。読んでいただければいいのでして、間違いなら指摘してください。
で、下巻の方を読むとわりと分かりやすく、例えば「彼の安楽国土の中の衆生は、このような量(ひろさ)の中に住んで、自ずとその志願(ねがい)が広大になることもまた虚空のようで、まったく限りがないのである」と、このような文章になっているでしょう。志願にしたがって世界の広さは虚空のようにもなる、と、その志願が広大な世界を見せていくというような、いわば、心象的な世界観が窺われます。
このことについて、善導大師が述べられているところが観経疏にありますので、そこのところを紹介することにします。この「清浄功徳」は観経疏では水想観に登場しますが、国土荘厳第二の「量功徳」もこの「清浄功徳」と一緒に書いてあります。
「「①かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。②究竟して虚空のごとし広大にして辺際なし」と、これすなわち総じて彼の国の国の地の分量を明かす」。②の文が「量功徳」です。このように、「清浄功徳」と「量功徳」はセットになっています。そして、この両方において「これ彼の国の地の分量を明かす」です。観経疏の玄義分ではここのところを「仮というはすなわち日想・水想・氷想等、これその仮依なり」と言われておりまして、ここに水想観も入っているでしょう。だからこの水想観も仮依であると善導大師は述べていることになりますね。この仮依については、次の文で「これこの界の中の相似の可見の境相なるによるがゆえに。」と説明されています。
まず、これはどういう意味なのかということですね。難しくてよう分からん。こういう文を見ると論註の解読がほんとうに有難いなぁと思いますよ。しかし、それで終わるわけにはいかないので、あえて自己流に解釈すれば、この仮依とは仏教でいうところの悟りといいますか、無分別智の境界というものではなくて、この界の中の相似の可見であるところの境相だということです。
で、「この界の中」とは、今見ているものはということでしょうか。すると、今見ているもの、それは、相似の可見である、可見とは今見えているものはということですから、今見ていることで見えているものはということですね。それは、実は、写したように似ているが、それそのものではないということです。だから相似しているが本質そのものではないということですね。だからそれは「仮依なり」と善導大師は言われているのだと思うのですよ。
境を分かりやすくすると鏡と考えればいいのかなと思います。つまり、それは鏡に映っているようなものだということですね。デコボコしたものを鏡に映すと、その映ったデコボコがくっきりと映れば映るほど、その鏡のクオリティーは高いことになるでしょう。同じように、水面に映るデコボコがくっきりと映しだされるほど水面には波が立ってなくて穏やかであり、水面は平らである。つまり私の心を水面の如くに表現される。境というのはその水面自体のことであり、界とはそこに写し出されているものということでしょう。
つまり、私の心について水面のごとくと表現され、それを境といわれている。これまでこの境のことを身体的心の領域とずっと言ってきました。知覚という言葉もありますが、これは感覚器官のはたらきで外界の事物・事象を認識することだということでして、視覚のほかにも聴覚・味覚・嗅覚・触覚がふくまるそうですね。哲学ではこのようなものを知覚より以前のもとして、直接の知といったり、感覚的確信という言葉で表現されたりしています。とにかくすごく分かりにくい所であることは間違いない。
この相似の可見の境相をもって「清浄功徳」と「量功徳」を顕している、そういうことかなと思います。つまり、善導大師の「量功徳」の「広大にして辺際なし」に言われる広大さとは、心象的なものではなくて身体的なもの、身体に属する物質的な広がりですね。身体を物質的な観点から観れば成層圏をこえて宇宙にもつながっていきますから、心象的な広大さとはまた違うのです。
善導大師が「清浄功徳」と「量功徳」をセットにしていわれる場合はこういう広大さがある。だからといって心象世界の広がりとどちらが正しいかと言っているのではありませんよ。「清浄功徳」にはこういう二つの見解があるということですね。そして善導大師の場合はどちらかといえば身体的な側面を強調されています。
曇鸞大師は「清浄功徳」に自性清浄の浄土を見られた。善導大師は、たしかにそれが自性清浄の浄土であれ、やはり、心に映る世界であるとした。自性というのは本質とか本性という意味で、本来的な不変の性質だといわれております。法身は色もなく形もないし、見ることもできない。だから善導大師は心に見る世界ならば、たとえそれが自性清浄の浄土であれ、本来の真如法海ではなくて、自性清浄の浄土を示すところの心象世界であるとした。つまり重力で再び身体の領域の押し戻した、と、こういうことかなと思っております。
こういうえらい大変な問題をかかえているのですが、この問題を親鸞聖人はどのように捉えなおされたのかということですね、それが、この三種の功徳文の後にある「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」であります。歎異抄13条に、親鸞聖人が宿業ということを述べておられますので、そこを読んでみます。
(意訳 歎異抄13条から)
「 弥陀の本願不思議にまかせて悪をおそれないのは、本願ぼこりであるということで往生はできないということ、この条は本願を疑うことであり、善悪の宿業をこころえていないからなのである。よいこころがおこるのも宿善がもよおしているからである。また悪業をおもってしまうのも、悪業のはからいがそうさせるのである。故(親鸞)聖人がいわれていたことに「ウサギの毛や羊の毛の先にあるちりのような小さな罪も、宿業に依らないものは無い。」といわれていた。またあるときに「唯円房は私のいうことを信じるか」と聞かれたので、「もちろんでございます」と、お答えしたところ、「そうであれば、私のいうことに従うのか」と重ねて聞かれたので、つつしんで承知しましたと答えました。「たとえば、人を千人殺してみなさい、そうすれば往生は決まる」と、聖人からいわれたときに「おおせではありますが、一人でさえも自分の器量では殺すことは出来ないと思います。」と、お答えしたところ、「ではどうして親鸞のいうことを疑わないといったのか」といわれ、「これで(唯円房も)知ることができるだろう。何事も心にまかせて決められるなら、往生のために千人殺せといわれたらそのとき殺すはずである。しかしながら、(自分に)一人として殺すような業縁がないからそうしないのである。自分のこころがよくて殺さないのではない。また殺すまいと思っても、百人千人を殺すこともあるのだ」と、(聖人が)おおせられたのは、私たちは、(自分の)こころがよいと思うことをよいと思い、悪いと思うことを悪いと思って、(弥陀の)本願不思議においてすくわれることを知らないでいるからであるといわれた。」
この13条にある宿業ということですが、いろんな見解もあるかと思います、で、今回話しております身体的心の領域ですが、これはまだ分別心が起きない状態の心ということですから、分別心が起きる前であり、邪心のない状態だと考えるのですね。しかし、この身体は社会的そして歴史的領域の身でもあります。この社会的そして歴史的領域とは、そのままこの私の身にまでなった煩悩の歴史です。ここに歎異抄でいわれる宿業を見るのだろうと思うのですね。
こういう業の深さを背負っている身ですから、たとえ身体的な心の領域として鏡が澄んでいても、その鏡もまた宿業という底の抜けた漆黒の世界を背負ってるのだということではないか。そして、ここに煩悩凡夫の姿を成就させる。
この「清浄功徳」の文の後半ですが、「凡夫人の、煩悩にみちみちているものでも、彼の浄土に生れることができれば、三界につながれてはなれることのできない業のきづなも、ついにはそのはたらきを失う。つまり(法の徳のゆえに)煩悩を断じえないまま、しかも涅槃の分を得るのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。」とありますね。この「凡夫人の煩悩にみちみちているものでも、彼の浄土に生れることができる」と、ここに凡夫の煩悩が成就する時、その凡夫を成就する姿をいただくことが、そのまま浄土に生れる姿であるといわれたのではないでしょうか。
親鸞聖人は、正定聚の世界を、夜空に輝きあう星群に見た、そして、この本願海で往生の光をいただいた自らもまた、この深淵なる漆黒の世界に浮かぶ星の一つであった、と、この深淵なる業の世界を我が身をもって述懐される。
三界とは三つの迷いの世界といわれております。少し難しくてよう説明できませんが、要するに生死を繰り返す凡夫の世界です。その繰り返す煩悩の歴史に繋がれてはなれることができないきづなも、つづまるところ、ずるずると引っ張られない。つまり、その法の徳で煩悩を断じえないままに、しかも涅槃の分を得るのであるといわれるのでしょう。
今回は、この「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」を自分なりに纏めました。いろんな見解もあるかと思いますが、現在、こういうふうに受け取らせて頂いています。
証巻 正定聚について その①
令和5年5月28日 永代経法要より
今回より親鸞聖人のお書物から浄土論註を見ていくことにしております。前回までで作願門は終了したので,本来ならば次の観察門へと入るはずなのですが、実の処、親鸞聖人はこの観察門を証巻にかなり引用しておられまして、それならば論註の観察門を読むよりも、証巻の方から観察門を読んだほうが真宗の立場とすればいいだろうというふうに思いまして、今回から教行信証の証巻に引用されている観察門を読んでいこうと思いいたりました。結果、論註の続きということにもなりますが、証巻を論註を通して見ることにもなりますので、角度の違う見方になるかとも思います。難易度がかなり上がるのはしかたありませんし、こういう読み進みを当初から計画していたのでもありませんが、これまで論註を読んできたなかで自然にそうなった、と、そういう事でもありました。とにかくそういうことで、このまま流れにまかせて読んでいきたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
では、まずは観察門第11「荘厳妙声功徳成就」を読んでいきます。解読文
[たえなる法を説く声においてかざりあげる功徳とは、偈に「梵声の悟り深遠にして微妙なり、十方に聞こゆ」といわれているからである。これはどのように不思議な功徳なのであろうか。経(大経)に、「もしひとあって彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚(なかま)に入ることができる」といわれている。これは国土の名字(みな)が仏の(衆生教化の)いとなみをするということである。どうして(常なみの)思いの及びうることであろうか。]
実は、この「妙声功徳」にある「国土の名字(みな)」というところはすでに作願門にもでております。どこにあるのかといえば、下巻にありまして「一心に専ら阿弥陀仏を念じて、彼の(国)土に生れたいと願えば、この如来の名号及び彼の国土の名号が、よくすべての悪を止めるのである」のところですね、ここに「国土の名号が」と付けくわえられています。ほんの短い文なので、これが「妙声功徳」と関連があるかどうか分からんではないかといわれそうですが、作願門の願生浄土において、はじめて「国土の名」が登場しています。間違っていたら教えて下さい。で、まずこの国土の名号と名字はどう違うのかということですが、意味としたらだいたい同じではないでしょうか。名号という場合は仏国土(浄土)の名のりですから主体が彼の仏国土でしょうか、名字という場合は単に仏国土の名ということかと思います。その仏国土(浄土)の名をとるか取らないか、こちら側にその主体があるかもしれません。
そして、この「妙声功徳」には作願門にはないものがありますね。「たちまち正定聚(なかま)に入ることができる」というところです。この正定聚に入るということがどのようなことか、それが今回のテーマになっております。とにかくまとまった話が出来ればといいなと思っております。
そしてまた、聖人は証巻に観察門をそのまま引用されておりませんので、まずはそこのところから簡単に説明することにします。
まず観察門は三つに構成されています。国土荘厳、仏荘厳そして菩薩荘厳がその三つになります。国土荘厳が17種、仏荘厳が8種、菩薩荘厳が4種で、計29種の荘厳功徳成就の文があります。そのうち聖人が証巻に引用されているのは、国土荘厳から第11・12・13番目の三種の荘厳功徳成就です。「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」がその三種になります。その内の「妙声功徳」を今読んだわけですね。この三種の功徳成就文の次に、国土荘厳の第1番目にあります「清浄功徳」が引用されています。要するに11と12と13番目の次に1番目が措かれているわけです。何故そうなるのだろうかという問題がありますし、国土荘厳は17種あるのに全文を引用されているのはこの4種だけである。こういうようななかなか捉えどころがない内容にも思えますが、少しずつでもそれなりにひも解ければいいなと考えております。そしてまた、その他、部分的な引用文もありますので後程説明することにしましょう
次に仏荘厳においては最後8種目の「不虚作住持功徳」が後半部分が引用され、そのまま続けて菩薩荘厳の4種全部が還相回向として引用されています。論註では観察門の次の回向門がこの還相回向にあたりますから、引用の仕方がかなり複雑ですね。しかしこの複雑さもまた、聖人のご信心として一貫するものを顕しておられるのですから、まあどういったものか、とにかく始めることにいたします。
それでは、今回は国土荘厳から「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三種を話すつもりです。で、まずこの「妙声功徳」にある、「もしひとあって彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚に入ることができる」という文ですが、ここにある「もしひとあって」を、この証巻から見た場合は「もし(往生の)ひとあって」と読むべきだと思うのですね。証巻は教行信証の最終部でありまして、論註を読み進めて行くうちに私たちの方が横から入り込んだわけです。だから教行信証の順序に沿っていくなら、この「もしひとあって」は「もし(往生の)ひとあって」と読んでしかるべきだと思うのですよ。しかし、そうしますと文が少し変になる気がすます。この「もし(往生の)ひとあって」と「すでに往生をえたものとは」と、同じものが何となく並び違和感があるのですね。で、このことについては後から話しますので一応このままにしておきたいと思います。
作願門では、一心は我一心の完結した相ですから、つまりそれは阿弥陀仏の浄土の相(すがた)であるということになります。その浄土である仏国土が、阿弥陀仏の善根の力によって住持される国土であるというのが、次の「主功徳」です。それでは「主功徳」を読んでいきます。
観察門第12「荘厳主功徳成就」
[ 主たる力においてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「正覚の阿弥陀法王、善く住持したまえり」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)であろうか。正覚そのものである阿弥陀仏は不思議であらせられる。彼の安楽国土は、その正覚たる阿弥陀仏の善根の力によって住持されているのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。住とは変質せず滅しないことをいい、持とは分散せず消失しないことをいう。たとえば、不朽(という名の)薬を種子に塗ると、水にいれても腐らず、火に入れても焼けずに、因縁をえて(芽を)出すのである。これは不朽薬の力によるからである。(これと同じく)もし人が、一たび安楽国土に生れれば、後になって(再び)三界に生じて、三界のいろいろなまよいの生活―煩悩が火のようにもえさかるただ中にもどっても、無上菩提の種子は、けっして朽ちることがないのである。これは、正覚たる阿弥陀仏が善く住持したもうからである。]
この「主功徳」の文は「阿弥陀仏は善く住持したまえり」ということが主な内容だと思っています。この住持を二つに分けて説明されていまして、住の方は変質せず滅しないといい、持は分散せず消失しないといわれます。そしてこの住持という不朽薬を種子に塗ると、水に入れても腐らず、火に入れても焼けないということですね。
で、まず水と火の譬えがありますが、この水と火の譬えを善導大師が「観経疏」に言われておりますので、そこのところから説明すると、「衆生の貧愛は水のごとし、瞋憎は火のごとしと譬うるなり」と書いてあります。貧はむさぼるで、そのむさぼるに愛という字が付いている。愛の対語は憎だそうでして、愛と憎しみは表裏一体だといいます。仏教にも愛憎異順という言葉がありますね。愛と憎しみはむさぼりの度合いに比例するということでしょうか。テレビのサスペンス劇場でよくやっております人間模様ですが、いうなれば私たちの人生の縮小版ですね、そしてこういう愛欲は貧りに入ります。しかしですね、この愛欲には家族愛や子供に対する愛情も入るし、最近ではペットへの愛情もある、ひょっとすると郷土愛などもあるかもしれない、広げると分からなくなりますね。ただ、やわらかく言ってしまえば、度が過ぎた貪りはするなということかなとも思います。しかし、いったい何処までが度が過ぎるのか分からんのも私たちではないでしょうか。
そして、火は瞋憎(しんぞう)だと言われていますね。瞋は怒りですから、怒りと憎しみが合わさった意味でしょう。ここにも憎しみが入ります。ちょっとムカッとすることから、気持ちが収まらないことまで様々です。そしてこれらは私たちの日常で避けられないものだということも事実ですね。この貧愛の水に住しても腐らず、また瞋憎の火中でも焼けずに、浄土の種はしっかりと芽を出す因縁であり続ける、そしてその不朽の種子は、安楽国土に生れた後のまよいの三界にあっても、けっして朽ちることのない無上菩提の種であると言われています。
作願門では「一心」とは阿弥陀仏の浄土の相(すがた)でありますから、阿弥陀仏の正覚の相(すがた)であります。この正覚の相がそのまま無上菩提の相であるというのが「一心」までの内容でした。その無上菩提の相が、この「主功徳」においては無上菩提の不朽の種であると言われています。すると、無上菩提の相と無上菩提の不朽の種とはどう違うのかなと疑問があるでしょう。無上菩提の相というのは一心の相ですから一心そのものです。それに対して無上菩提の不朽の種だというならば、その無上菩提の不朽の種を懐いているところのその人を指しているのだと思うのですね。
で、ここでさっきそのままにしておりました「もし(往生の)人あって」と「すでに往生を得たもの」とふたつ並んで違和感があるということでしたが、それは違和感ではなくて、このたび往生を得たものと、すでに往生を得たものとは、同じ無上菩提の不朽の種をいだくものとしては共通しているということですね。この証巻の証はさとりという意味ですから、往生の結果を顕かにされているわけです。初めて往生するものであれ、すでに往生を得たものであれ、それぞれが彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願えば、無上菩提の不朽の種が芽を出し、たちまち正定聚に入ることができるのである、と、そういうような読みが出来るのではないでしょうか。
ただ、しかしですね、この往生ということを思う時に、これから浄土を生きるとか、浄土に生きるといっても、今この自分の生活以外にはないのですから、今のこの自分において、さて浄土を生きるとはいったいどういう事かということになります。すると、もし仮にですよ、その往生を得たもとして意気込んで、浄土に勇ましく生きるのかどうかということですね。勇ましく生きられるのは大したことだと思います。しかし、そういう勇ましさをここで言われているのではなくて、たとえいかなる時であっても法王阿弥陀仏の功徳である、不朽の種が善く住持されているのだということですから、たとえそれが生きることに躓いても、何かに嘆いても、失敗しても、たまたま成功してもですね、正覚の阿弥陀法王の住持する種はいつも芽をだす因縁を待っているのだということです。その因縁が芽をだして、如来の名号と浄土の名字が善く私をまもるのだということではないでしょうか。
それでは観察門第13「荘厳眷属成就」です。
[(仏の)眷属(はらから)においてかざりあげられている功徳の成就とは、偈に「如来浄花の衆、正覚の花より化生す」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。おおよそこの雑生の世界には、胎生や卵生や化生などいろいろな生があって、それぞれ眷属の数もしれず、苦しみや楽しみにもいろいろな種類がある。これは、さまざまな業によっているからである。彼の安楽国土は、阿弥陀如来の開いた正覚の浄花に感化されて生れないものは一人としてない。すべて同じく念仏して、それよりほかの道(より生まれるもの)ははるか遠く世界のはての者にまで通じて、全世界のすべての人々を皆兄弟とするのである。このように眷属の数ははかりしれないのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。]
この「如来浄花の衆、正覚の花より化生す」ということで思うのは、先ほども言いましたが、「妙声功徳」の「もしひとあって、彼の国土に清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚に入ることができる」の「もしひとあって」を「もし(往生の)ひとあって」と読むなら、次の文は「彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものと(が)、たちまち正定聚に入ることができる」と読むのだろうと思うのですよ。単に「往生をえたものとは」を「往生をえたものとが」と読み変えただけですが、ニュアンスが変わります。
これね、ずいぶん前でいつ頃か忘れましたけど、あるテレビ放送で、仏師つまり仏像を彫ることを専門にされる方がインタビュウーで、「昔の仏像を眺めていると、ああここを苦労して彫られているなと感じる、と、そのとき時空を超えて、その彫り師と逢えるのが嬉しい」と言われたのを思い出します。同じ道を歩く人には見える世界があるのだなあと思って忘れずにずっと覚えているのですが、念仏の道も同じで、往生浄土への道はその眷属にかざりあげられているということは、このたび往生するものと、すでに往生をえたものとが出逢っていく世界観ではないか。そしてその世界観とは、浄土の清浄と安楽をもって往生浄土を願う時、その往生のひとは、すでに往生を得たものと共にたちまち正定聚に入ることができる、と、このような往生するものと往生を得たものとが共感し共鳴しあう、そういう心象的な世界観を言われているのではないかと思うのですね。
ただし、この国土荘厳の三種を全体的に捉えた場合、そこに往生を得たものは、それぞれが阿弥陀仏に善く住持されたもの同士なのでしょう。それぞれが阿弥陀仏に住持されて、それぞれが往生の光を頂いているところの世界観ではないかということですね。
論註上巻の讃嘆門の最後のところにあります、「もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。天親菩薩がいま尽十方無碍光如来といわれるのは、とりもなおさず彼の如来の名によって、彼の如来の光明のはたらきたる智慧の相のごとくに讃嘆するのである」と言われております(諸仏)のところを、(往生を得た者)とするならば、「もし諸仏(往生を得た者)があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である」と同じ意味になるのではないかとも思えるのです。
論註はもともと観経との関わりがつよいと言われます。この心象的世界観を今後どう見て行くかは自分としても大きな課題でありますが、とにかく論註を観点にしながら観経疏ともあわせて見ていくことができればいいのですが。
「荘厳眷属功徳成就」をこのように頂いております。そしてこの「眷属功徳」までをもって「正定聚に入る」ということを顕されるのかなとも思います。しかしながら、この三つの功徳成就文の後に「また言わく」と付け加えられた文があります。それが国土荘厳第16の「荘厳大義門功徳成就」です。この「大義文功徳」を入れると引用文がひとつ増えることになりますが。終わりの部分だけを引用されているので、数には入れませんでした。
で、その抜粋されている文ですが、何が書いてあるのかといいますと「また言わく、往生を願う者、本はすなわち三三の品(ぼん)なれども、今は一二の殊なし。また淄澠の一味なるがごとし。いずくんぞ思議すべきや」淄澠は(しじょう)と読みます。そしてまた、親鸞聖人はこの淄澠と一味の間に「食陵の反」という文言を付けくわえられています。つまり「淄澠(食陵の反し)の一味なるがごとし」と、このような文になっています。「食陵の反」を(じきりょうのかえし)と読みますが、それをわざわざ聖人ご自身が付け加えられていることになります。
まず、三三の品とは、これは観経の上品上生から下品下生までの九品ですから、阿弥陀仏の浄土往生を願う者のレベルを九つに分けて、そしてそれぞれの機に応じて、阿弥陀如来が救いとるという三三の品でしょう。それが往生のひとにとっては、この三三の品はすでにないということですね。たとえ煩悩の中に生きようとも、浄土に生れたいと願えば、すでに往生をえたものととともに、本願海でたちまち正定聚に入ることができるから、三三の品はもうないのであるということでしょう。
で、次のところですが、「淄澠の一味なるがごとし」この淄澠とは、淄川と澠川という全く違う川が合流することだそうです。本願海に入ればこの全く違った川も一味であるといわれます。つまり、本願海には三三の品などはすでになく一味の世界であるという意味と、淄澠の一味なるがごとしの意味を重複されているともいえますが、しかしここに「食陵の反」とわざわざ付け加えられていますね。これがいったいどういう意味なのかということであります。それで、とにかく現在の了解をここで話そうかと思っています。真偽は後にまかせて、この問題に自問自答することをもって今回の話を終了させていただこうかと思っておりますので、そういうつもりで聞いていただければ幸いです。
この淄とはどす黒いとか、泥の色をしたというような意味だそうです。澠はサンズイに亀とも読むそうですね。解説では亀の住むような川や池とありました。そして陵は「みささぎ」と読みまして、王の墓などを言うそうです。だから、食陵「じきりょう」とは王の墓を食うということになります。そしてその反(かえし)ですから、どんなもんでしょうか。聖人がこの「食陵の反」をわざわざ淄澠に付け加えられる意味は何かということなんですが、まず宇宙をイメージしてみると、するとまあ、この宇宙の壮大さというのは輝ける星の共演をいうのだと思うのですね、しかし、その無量無数の輝く星も、宇宙という漆黒に輝く星です。皆さんは息をのむくらい降り注ぐ星に圧倒されたことはありませんか、ぼくはありますよ。とにかく北斗七星がどこにあるのかすら分かりませんでした。天の川が手に届くくらいすぐそこに思えました。それほどの満天の星空でした。今思えばそれほどでもなかったのかもしれませんが、その時は圧倒されました。たまたまそういう光景を目にした訳ですが、ある所に行くともっとすごい満天の星を観ることができるでしょう。しかし、そのような満天の星もまた、漆黒という宇宙での共演です。この漆黒と輝ける星群とのコントラストが壮大な満天の星を表現するのでしょう。
淄川を漆黒の川だとすると、澠は亀が住むような川です。亀がまた出て来ましたが、この亀のイメージには何の意味があるのでしょうか。とにかく亀に何かいろんな生きものの匂いがしますね。当然私たちのようなものも含まれるのではないでしょうか。で、この淄川と澠川とがまじわり一味になるとすると、だいたい淄川の漆黒に混ざりこむでしょう。すると、その漆黒にはさまざまな生きものが混ざりこむという意味になります。この漆黒を無明といえば何やらすとんと収まるような気がしますが、もう少し違う見方をすれば、この漆黒とは私たちのもっとも深くそしてもっとも暗い場所であり、そこにはさまざまな生きものや、それこそ年取った亀の甲に生えた錯覚という名の毛もまざりあっている、と、そういうものではないか。ぼくはそれを業の深さだと思っているのですが。
阿弥陀仏の本願海をもしこの宇宙に例えるなら、本願海とはさまざまに輝ける星の世界観だと思うのですよ。しかし、この淄澠が混ざり合う漆黒もまた本願海の輝きの一部であり、本願が本願海として輝く場所である。そして、この本願海に往生の光を得て輝く自らもまた、この漆黒に浮かぶ星の一つである、と、そのように表現されたのではないかと思います。このように本願海と漆黒と往生との関係を「食陵の反し」と言われたのではないでしょうか。で、この「また淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」は当然前後の関係で言われているわけですから、ここだけをもって説明しようとしても無理がありますので、今後の宿題にさせていただくつもりです。ひとまず自分の考えを話してみました。
ブログに関するご質問
「教巻への一考察」についての感想
「教巻への一考察」をブログに載せてしばらくが経った。書いた直後はあまり見たくないのでそのままにしておいた。読み返すと(いつものことだが)表現の至らなさと内容の乏しさを痛感する。いまさらではあるが、少しばかりこの「教巻への一考察」についての経緯を述べてみようと思う。まず、この「大」と「無量寿」の関係を、それもやや無理やりであったが、ア・プリオリの概念と結び付けた。これは証巻にときにカント(ドイツ観念論)を意識していたので、それならばと、教巻においても同じことが言えるだろうということでア・プリオリの思考を用いた。結果意外なことに変換が必要になる。そしてその変換が観経における浄土と阿弥陀仏の関係を思い起こさせたのは意外だった。カントが親鸞を知っていたとは考えにくいし、もし知っていたならこの変換も必要がなかっただろう。そして親鸞がカントを知っているはずはない。親鸞とカントとの関連は謎のままである。
次に親鸞の語句の読み変えである。意図的な読み変えなのは間違いない。後程この問題は現れてくる気がするが、釈尊その人という具体性がおそらくキーワードではないかと思っている。ブログにもそれを思わせぶりに書いたつもりである。
証巻 正定聚について その② 曇鸞における自性清浄浄土の定義としての考察
エトムント・フッサール著『イデーン』Ⅰ―1 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想
第一巻 純粋現象への全般的序論 渡辺二郎訳
第三章「純粋意識の領域」
第四十八節 「われわれの世界を離れてその外にある世界というものの、論理的可能性と事象的背理」
『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門の編集後記
『論註』に興味のない人にはつまらないものになったかもしれません。引用文が長いのでそれだけで目を通したくなくなりそうなものでもあります。法話としてかなり無理な試みではありますが、この讃嘆門は以前からクリアしたいところでした。当の本人はというと、けっこう満足しております(笑)。問題点は多々ありそうですが、目下のところはこの程度だろうと一息付けた感じです。しかし、少し時間が過ぎて改めて見直した時に、のっぺらぼうな文章が羅列されているだけのようにも感じました。解読としたら、現時点ではこれ以上のものは自分にはありませんが、法話としたら及第点にも至っていないでしょう。ここで一点だけこの讃嘆門を説明したいと思います。三信三不信の問題でありますが、このヵ所は前日まで書けなかったところです。原稿を構成する暇もなくて、法要の当日に加筆し訂正したところもあります。意味そのものが分からずに戸惑っていたときに、これは付け加えられたものだという思いが飛び込んできました。実感としたらそういったものです。実相身為物身の問題はわりと早くから想像はついておりましたが、三信三不信はそこに付け加えられたものだという発想そのものがなかったのです。考えて見れば、「我一心について」で述べたものがここに出てきただけですが、当の本人はそれにぜんぜん気づかずに悪戦苦闘していたわけです。『論註』はすごく難しくていったいどこまで行けるのか分かりませんが、もう少しだけなら行けるかもしれない、そういう感覚で次回も考えております。のっぺらぼうの文章も悪戦苦闘の末にできた荒れ地の跡である、と想像していただければ幸いです。
観経疏の発菩提心に思う事
本来はこういう発菩提心を話す予定ではなかった。この散善顕行縁はどこか素通りしていたので、こういう壁が有ったことが自分としては驚きだった。分かったつもりで過ぎた処にかなり苦しめられて、結局この発菩提心が主題の原稿となった次第である。最後のヵ所は何回も書き直した場所だ。まだ消化不良の多い所であるがひとまず結論的に置くことにした。親鸞聖人が比叡に居られるころに観経疏はすでに読破されていたと考えるのはかなり前からである。ただ、この原稿が法話として成立するかどうかと考えた時に、ずいぶんと乱暴な原稿だなと思う。もっとざっくばらんに書きたかったなあ。
(自灯明・法灯明)と念仏についての考察
この「(自灯明・法灯明)と念仏」は、聖覚法印の『唯信鈔』を意識して、曽我量深選集の歎異抄聴記の第二条を述べたものである。選集第二条における法の引用文をもとに『唯信鈔』を現代タッチに表現しようと思った。理由は、歎異抄第一条と第三条を続けて構成しようとしたら失敗した経緯があり、この第二条は別の角度からのアプローチが必要だと考えたからである。法の深信とは自己規定を法から示されるものなのかもしれない。また規定として示すとは、法との関係において示すのであり、いうなれば関係性という形である。それに対して機の深信は、法との関係によって現れる自己の深まりである。深まりは動詞であり、深まりつつある自己の姿を現すのだろう。第一条からいきなり第三条へと飛べない理由が、この法との関係を前提にしなければ困難だからだと思ったからである。それを『唯信鈔』をもって表そうとしたわけはまだ自分でもよく分からないところであるが『唯信鈔』が元来そういうものだということなのだろうか。しかしながら当初からそいう事を考えて原稿を作成したわけではない。後から考えたらそういうことじゃないだろうかと思っているだけだが、布石という理由で、ひとまず初めに措いておこうとしたのは確かである。
歎異抄第3条の編集語録
彼岸会での原稿を纏めていたら後半が煩雑になっていることに気がついた。意識とこころ、こころと無意識、身体と無意識。不明なことが多い中で話を進めるのが難しかった。なんとか自分なりに纏めたつもりである。法蔵菩薩の問題は第3条から登場するのはある面必然的だと思うので付け加えている。
「気遣い」と「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを」
「不安」編ではハイデガーの『存在と時間』について自分の所見を書いてみた。そこにおける気遣いは、親鸞における善悪の問題と共通点が多い。正像末和讃で「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがほは おおそらごとのかたちなり」と親鸞は述べている。この「よしあしの文字」だが、これを「気遣い」と「不安」の関係に見るなら、それは「気遣い」における意識関係の前後になる。無に対して「不安」「居心地の悪さ」から発して何かを気遣うまでの過程を気遣いの前後とするなら、親鸞における「よしあしの文字もしらぬひとはみな」は気遣う前の段階である。それはハイデガーにおいては、そこにあるのは「不安」における心の動きだけであって、気遣う処の具体的な内容は無い。これをもしこの和讃に当てはめるなら、それが「まことのこころ」であり、ハイデガーでは身体的な機能に属する意識のあり様ということになる。そして「善悪の字」は気遣う内容を言葉にしたものだろうから、それは何かを意識するということであり、「善悪の字」は「気遣い」として見ても「おおそらごとのかたちなり」なのだ。共通するものは他にも多く見ることが出来るかもしれない。だからと言って全てが同じだということでもないだろうが。そしてすでに十数年たっているのでかなり忘れしまった。こういう論理的な構築は様々な所見の取り扱いに対して目安になる事があるのでとりあえず書いておくことにした。
宝樹観について
数年ぶりに宝樹観を読み直し編集してみたが、迷路に入ったりでとりとめがなくなった気がする。当時の法話原稿とはかなり違ったものになったが、まずはこんな話を黙って聴いていただいた申し訳なさが感想である。これは宝樹観本文全体をまとめた感想を構成としているので、意味内容よりもその関係の仕方が中心になっている。課題の多いヵ所だったことを肝に銘じてひとまず宝樹観を終了することにした。