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行巻その② 龍樹(十住毘婆沙論)Ⅰ
令和7年3月20日 春彼岸会より
「しかれば、「南無」の言は帰命なり。「帰」の言は、至なり。、また帰説(よりたのむ)なり、設の字、税の音(こえ)、また帰設(よりかかる)なり、説の字は、税の音(こえ)、悦税二つの音は告ぐるなり、述なり、人の意(こころ)を宣述(のぶ)るなり。「命」の言は、業なり、招引なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計(はからう)なり、召(めす)なり。ここをもって、「帰命」は本願召喚の勅命なり。「発願回向」と言うは、如来はすでに発願して、衆生の行を回施したまうの心なり。「即是其行」と言うは、すなわち選択本願これなり。「必得往生」と言うは、不退の位に至ることを獲ることを彰すなり。『経』(大経)には「即得」と言えり、『釈』(易行品)には「必定」と云えり。「即」の言は、願力を聞くに由って、報土の真因決定する時剋の極促を光闡せるなり。「必」の言は、審(あきらか)なり。然(しからしむ)なり、分極なり、金剛心成就の貌(かおばせ)なり。」
これは、教行信証の行巻途中にある御自釈です。予定としてはまだ先になります。でも、ここまでを一つの区切りにしているので、無事にたどり着くかどうか分かりませんが、とにかくこの御自釈を目指して読んでいくことになります。
それでまず、この御自釈の感想を少しだけ述べてみたいと思いますが、まず、南無阿弥陀仏の「南無」は音写ですから、意味は「帰命」ということである。その「帰命」を、「帰」と「命」とに分けてあります。もうすでにこの辺りからよく分からない訳ですね。それでこれをもっと立体的に出来ないものかと考えていまして、この文から少しだけ抜き出して、視野を広げてみたいと思います。
「「帰」の言は、至なり。また帰説(よりたのむ)なり、説の字、悦の音、また帰説(よりかかる)なり、説の字は、税の音、悦税二つの音は告ぐるなり、述なり、人の意を宣述(のぶ)るなり。」
この文には、まず「「帰」の言は、至なり。」と書かれています。そして「帰」は帰説(よりたのむ)であり、説の字は悦の音(こえ)で、帰説(よりかかる)ということであり、これらは人の意(こころ)をしっかりと述べたものである、と、まあ、これでいいのでしょうか。
そこで、まずこの「至」が、その意(こころ)よりも深く、それこそ何か根本的なものを指しているとするなら、帰説の帰は、その根本(よりたのむ)のだということになるでしょうか。そして帰説の説は悦であり、(よりかかる)ということである、と、このようになるかなと思います。
「帰」をこのように言われていることになりますが、しかし普通に考えてみても、この帰命の帰も命も称えるこちらの問題でありますから、それ以上に何かあるのかということですね。しかし、ここでは帰はまず至であると言われます。すると、この至は何かということから考えなければならない訳です。
それで、この「至」を、さきほど私の存在よりも深く、それこそ何か根本的なものではないかと言いました。するとこの「帰説(きえつ)の帰」は、称える私の意よりも深く、何かその根本に至るところ(よりたのむ)ということになり、「帰説(きさい)の説」は、悦であり、その根本に(よりかかる)ことへの表現だということになるでしょうか。
このように読んでいくと、まず帰は至であるということ。そして、それは私たちが普通に考えているよりも何か深い意義があるということですね。そしてこの帰は帰説であり、よりたのむと、よりかかるの二つのことを言われている。
しかし、この「至」を、私の存在よりもっと深く、何か根本的なものだと言いましたが、それが何なのかも分からない訳ですし、またそれでいいのかどうかも定かではないのですね。だからこの時点では「至」とは何か分からない訳ままですが、とにかくこのことを念頭におきながら読んで行かなければなりません。
今回から、この御自釈へ向かって歩きだすことになります。親鸞聖人はここに七高僧から龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師の五人の高僧を挙げておられます。だからこれらを通らなければたどり着けないのですね。出発ぐらいは元気に行きたいものですが、はたして無事にたどり着くかどうか。とにかく始めたいと思います。
それで今回から龍樹菩薩を見ていくことになります。龍樹菩薩は西暦二世紀から三世紀に活躍されたお方です。詳細はよく分かっていないと言われています。それでも八宗の祖であり、日本仏教のすべての宗派の祖だとも言われます。多くの論書が残されていながらも、龍樹菩薩ご自身のものか不明なものも多とのことです。その中で今回の「十住毗婆論」はご本人の論だと言われているものです。
聖人はこの「十住毘婆沙論」から四ヵ所を引かれておられまして、それが「入初地品」「地相品」「浄地品」「易行品」です。この四品をもって聖人は何を言われよとされるのか、そしてそのお心は何かということです。
それではまず「入初地品」から始めます。「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。世間道を転じて出世上道に入るものなり。「世間道」をすなわち「凡夫所行の道」と名づく。転じて「休息(くそく)」と名づく。凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死(まよい)に往来す。これを「凡夫道」と名づく。「世間道」は、この道に因って三界を出ずることを得るがゆえに、「出世間道」と名づく。「上」は、妙なるがゆえに、名づけて「上」とす。「入」は、正しく道を行ずるがゆえに、名づけて「入」とす。この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づく、と。」
文のはじめに「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに」とありますね。この「家」は「家清浄」のことです。この文の前に書いてあります。
「「入初地品」に曰く、ある人の言わく、「般舟三昧および大悲を諸法の家と名づく、この二法よりもろもろの如来を生ず。」この中の般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。(中略) 家に過咎なければ家清浄なり。 (中略) 般舟三昧・大悲・諸忍・この諸法清浄にして過(とが)あることなし。かるがゆえに「家清浄」と名づく。」
この続きが「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけれん。世間道を転じて出世上道にいる・・」になります。
この「家清浄」ですが、これについては後程考えることにしまして、まずは「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。世間道を転じて出世上道に入るものなり。「世間道」をすなわち「凡夫所行の道」と名づく。転じて「休息」と名づく。」のところから考えてみましょう。
そこでまず、この「家清浄」の菩薩が世間道を転じて出世上道に入る。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」に転じられる。それを「休息」と名づく、と、このように読んでいきます。
この菩薩、世間道を転じて出世上道に入るですから、まずは世間道がここにあることになります。一般論でもかまいませんが、何処の誰々の世間道だということの方が分かりやすくなるでしょか。それで、その誰かの世間道が転じられるということ。では、どのように転じられるかといえば、出世上道に入るということだ。
「凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死(まよい)に往来する。」要約すれば、凡夫道はつまるところ涅槃には至ることはない。何故ならまよいから出られないからである。これが「世間道」ですね。これに対して「出世上道」に入るとは、この「世間道」が「凡夫所行の道」に転じられるということであり、そしてこれを「休息」とも言う。
それでは、この菩薩とはどのような菩薩か。世間道を転じて出世上道に入る菩薩である。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」となり、これを「休息」とも言う。この菩薩が出世上道に入ることに因って「世間道」は生死(まよい)を出ることを得る、だから「出世間道」と名づける。
自己流の解釈ですが、おおよそ、こういうことかなと考えています。そして、この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づくですね。だからここまでの内容は初めからずっと「家清浄」の菩薩が書かれていることになります。そしてまた同時に「休息」は単に休むということではなくて、凡夫所行の道を見出すということであり、それを「休息」と言われている。そして休息には時間の短さを表現されているような気がする。この時間の短さはあえて付け足しています。
簡単にまとめると、「家清浄」の菩薩、「世間道」を転じて「出世上道」に入る。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」となり、この心をもって初地に入るを歓喜地という。
それで、次は問になっています。「初地、何がゆえぞ名づけて「歓喜」とするや、答えて曰く、初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし。菩薩この地を得れば、心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得。このゆえに、かくのごとき人を「賢善者」と名づくることを得」。これが「歓喜」の答えです。
それでまず、ここは初地がなぜ歓喜なのかという問いですね。答えは「初果の究竟して涅槃に至ることを得るがごとし」です。すると、「菩薩この地を得れば」ですから、まず、この菩薩は「家清浄」の菩薩のことですね。この菩薩がこの地を得れば、初果はきわめて優れ涅槃に至を得るがごとしである。「ごとし」とは「何々のようだ」ということでしょう。涅槃に至るとは書いてないのですよ。面白いですね、しかしこれどういうことでしょうか。
そしてまた、後の文では「初果を得るがごとし」と書いてあります。しかしここは、「初果の究竟して」ですから、初果のことです。そして次が初果を得るがごとしです。では、初めも初果のごとしかといえば、初果と書いてあります。不思議な文ですね。
そこでまず、この文言の間にあるのが「心常に歓喜多し。自然に諸仏如来の種を増長することを得」になりますが、ここはごとしではありません。
つまり初めは初果であり、次が諸仏如来の種の増長です。しかしその次は「初果を得るがごとし」となっているようですね。つまり初果はこの諸仏如来の種の増長と何か関わっていて、その増長とは何かといえば「初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし」である。この増長は、その度ごとに「諸仏如来の種を増長することを得」である。ただ、この増長は、時間の延長に観た場合と、断片的であり、なおその度に増長しているという場合があると思うのですよ。
断片的とは、結果としたら増長していることになるが、それは断片的であるということ。つまり不連続の連続であるということになるでしょか。そうしたら、まず初果であり、その次もまた初果である。そのそれぞれの初果に「心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得」ということである。その時は「心常に歓喜多し、諸仏如来の種の増長することを得」のである、と、このようになるかもしれません。
では、この後の「初果を得るがごとし」は何でしょうか。まず初果は断片的であり、時間の短さであるということなら、この「初果の究竟して涅槃に至を得るがごとし」の時と、次のその時に間があります。この間こそがその人の「世間道」であり「凡夫所行の道」だということではないでしょうか。だからこれは初果というよりも凡夫所行の道でありますから、この道は初果を得るがごとき道であるということでしょう。
そこで、「入初地品」の初めですが、「ある人の言わく」とありました。次が「家清浄」の菩薩です。そしてこの菩薩、「世間道」を転じて「出世上道」に入るですね。この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づく、です。そして、菩薩この地を得れば、かくのごとき人を「賢善者」と名づく、と、こういうことになっています。
で、この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づくですから、この心の主語は、「家清浄」の菩薩でしょう。すると普通なら初地の菩薩、世間道を転じて出世上道に入る、そのとき世間道は転じられて出世間道の地を得る。これが初地の菩薩の心である。この菩薩の地を歓喜地と名づく。このような言い方が出来るかも知れませんね。しかしこれ、これまでの全体を見たら変わってきます。
まず、初果というのは難しくて説明が出来ませんが、次の初地を何故歓喜と名づけるのかというところです。この答えが「初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし」ですので、この場合、初果の究竟して涅槃に至るとは、いったい何を指しているのかということすね。
仏教では、初果はまだ未熟であり菩薩の位ではありません。この初果が究竟して涅槃に至ることを得るがごとしですから、つまりは、初果でありながらも、それはきわめて優れていて、涅槃に至ることを得るがごとしだと書いてあることになります。
ここに少し言葉を付け加えてみます。すると、この菩薩、この地を得れば(かくのごとき人)、心常に歓喜多し、(その歓喜は)自然に諸仏如来の種を増長す、と、まず、このように読みます。すると、この地とはかくのごとき人の初果です。菩薩がかくのごとき人の初果に地を得ればとなりますから、菩薩が得る地はかくのごとき人の初果ですね。そのときかくのごとき人、心常に歓喜多しとなるでしょう。
しかし、ここでは菩薩この地を得ればとなっていますので、菩薩の心常に歓喜多しですね。そして、かくのごとき人の方は菩薩ではなくて「賢善者と名づく」です。
そこで、ここまでを簡単にまてめると、まず初めが、「ある人の言わく」です。そして「家清浄」の菩薩、その次が「かくのごとき人」ですね。それで「ある人」と「かくのごとき人」にそれぞれ固有名詞を入れてみます。教巻の沿っていくと、この「ある人」はお釈迦様、つまり釈尊のことになります。だから「ある人の言わく」は「釈尊の言わく」です。
釈尊はこう言われた。「家清浄」の菩薩が、かくのごとき人の初果を地にするとき、この菩薩とかくのごとき人は「心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得」。このときの、かくのごとき人を賢善者と名づく。こういうふうに読んで行くと、この「かくのごとき人」とは阿難尊者になります。教巻は釈尊と阿難の出遇いです。
「釈尊はこう言われた。阿難よ、汝は未熟である。しかしこの菩薩が汝の初果を地にしたとき、初果は究竟して涅槃に至ることを得るがごとくである。と、そのとき、この菩薩と阿難は心常に歓喜多くして、自然に諸仏如来の種を増長することを得た」と、まあ、このようになるのではないかと思いますが、どんなものでしょうか。
次に、この初地を得己(おわる)を「「如来の家に生る」と名づく」と、このように書かれています。この己(おわる)ですが、これはどういうことでしょうか。これはおそらくいのちが終わるのでしょうね。つまり一生を終えたとき、この菩薩もまた初地を得己(おわる)のですね。しかし、これまで観てきたのは、このようないのちの終わりではなかったと思います。それは断片的な連続の増長でありました。だからこの得己とは、その一つひとつの断片が己(おわる)のことであり、その一つひとつにおいて、この菩薩とかくのごとき人は初地を得己(おわり)「如来の家に生る」と解するべきではないでしょうか。しかしまた、「凡夫所行の道」においては、その人の一生のいのちが終わるときに「如来の家に生る」ことを成就するということも含まれているわけです。
そこでこの「入初地品」の終わりのところに興味深いことが書いてありまして、「この菩薩所有の余の苦は、二三の水渧のごとし。百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、無始生死の苦においては、二三の水渧のごとし。滅すべきところの苦は大海の水のごとし。このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。」これをどう読めばいいのですかね。
この前文にそのヒントがあります。「一毛をもって百分となして、一分の毛をもって大海の水を分かち取るがごときは、二三渧の苦すでに滅せんがごとし。大海の水は余の未だ滅せざる者のごとし。二三渧のごとき心、大きに歓喜せん。」
この一毛をもって百分となすは何か。百分を百回としたら、一毛の百回分、一生かけて百回、大海の水を取ったとしても、それはほんの少しだけであり、大海の水は未だ滅することがないこのと同じである。この二三渧ような心、大きに歓喜せん。
これに対して、この菩薩です。この菩薩はかくのごとき人と同じ場所にいながらも、また、菩薩のフィールドがある。このフィールドこそ無始生死の苦であり、たとえ菩薩が百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、菩薩の滅すべき苦は大海の水のようなものである。「このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。」
意味内容を詳しく述べることは出来ませんが、文脈とすればこのように読めるかもしれませんね。で、この文脈を見たら、まず一人のいのち、そして菩薩のいのち、この二つが言われていることになります。するとまず、一人の生身の人間がいるでしょう。その人は生身の人間でありながら、同時に菩薩のいのちも生きていることになります。そしてこの大海の水のごとき苦は、菩薩にとってそのまま歓喜多きいのちの量である。
だから、この大海の水のごとき苦とは、おそらく凡夫の量でしょう。煩悩に苦しむ凡夫の量、つまり過去現在未来の全ての凡夫の量であり、凡夫の煩悩の量ではないかと思ったりします。この凡夫の煩悩の量は、そのままが菩薩の歓喜である。このようになるのではないでしょうか。これで「入初地品」を終わります。
『行巻』その① 諸仏称名の願より
令和6年12月1日 御正忌報恩講から
「顕浄土真実行文類二」
「謹んで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。大行とは、すなわち無碍光如来のみ名を称するなり。この行は、すなわちこれもろもろの善法を摂し,もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。かるがゆえに大行と名づく。しかるにこの行は、大悲の願より出たり。すなわちこれ諸仏称揚の願と名づく、また諸仏称名の願と名づく、また諸仏咨嗟の願と名づく。また往相回向の願と名づくべし、また選択称名の願と名づくべきなり。
諸仏称名の願
『大経』に言わく、設(たと)い我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚を取らじ、と。已上 また言わく、我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を成らじ、と。衆のたえに宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん、と。抄要」
・・・・・
今日から教行信証の行巻のところを話すことになります。勉強方々と思って始めた教行信証の読み方ですが、縁あって、こうして当寺の法要で話しています。原稿書きから法話といささか時間に追われていますが、おかげ様で法要でこのように聞いていただけるのは有難いことです。この教行信証の読み方はすでに証巻と教巻を通してきましたが、それをいまさら違う話し方に変えようと思っても無理だろうと思います。もう少しましな話が出来ないものかといつも考えます。しかし、これもまた自分の個性だろうとも思い、表現の仕方については言い訳しまいと、一応心に留めております。
それで、とにかくこれまで読んできた感想をまず述べるとするなら、すごく難解であります。自分がそれをどれだけ消化できて話しているか、そしてその内容が的を得ているかどうかと、いろいろと悩み、思いを巡らして準備をしてきました。今回もそのつもりで準備をしていますが、この行巻はかなり長文でありまして、行巻全体を観ながら話すことが出来ません。それで、それぞれの部分を読み進めながら全体を眺めて行こうと思っています。それが出来るかどうかは別にしても、まとらずお聞き苦しいことがあるかと思います。とにかく精一杯背伸びして話すことにしていますので、何とぞお許し願いましてお聞きいただければ幸いです。
それでは、今回から行巻を読んでいきます。長丁場になりますので宜しくお願い致します。そして先ほど読みました行巻の始めの文ですが、まず読んでみて、そして分からない訳です。「謹んで往相回向を案ずるに、大行あり、大信あり。」と書いてありますね。その次に「大行とは、すなわち無碍光如来のみ名を称するなり」といわれていて、この行は、もろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具している、極速円満であり真如一実の功徳宝海である、と、このように続きます。それをこういうことだから大行というのだということですね。
で、初めに往相回向に大行と大信がある、そしてその次に、大行だけを取り上げて説明をされているでしょう。そこのところを読むと「この行は、もろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり」ですね。そしてそれは極速円満しているということです。極速というのはほんの短い時間を言うのではないですか、だからそれは短い時間であり円満していると言われている。そしてまた、そのことは真如一実の功徳宝海であるとも言われています。で、これはいったい何を言われているのか。
それからまた「かるがゆえに大行と名づく」ですから、いったいこの全体で何を言われようとするのか皆目分からない訳です。次に「しかるにこの行は、大悲の願より出たものであるから、諸仏称揚の願と言い、諸仏称名の願という、諸仏咨嗟の願と名づける。そして往相回向の願と名づけ、選択称名の願と名づけると幾つもの願を並べておられますが、まず大悲の願より出たりと言われ、そして願文が羅列されている、その初めの三つが諸仏称揚の願、諸仏称名の願、諸仏咨嗟の願です。
で、どうもここで一回区切っておられるようでありまして、そしてまた「往相回向の願と名づくべし、また選択称名の願と名づくべきなり」と、このように続いているのではないか。はたしてこのような分け方が正しいのか分かりませんが、自分にはそう読めるわけですから、ここで区切られていることを切り口にしてこれらのことを考えてみようと思います。
すると、まずこの行巻の初めが「謹んで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり」です。その後にその大行とは何かを述べられて、その後に幾つもの願文を挙げておられますが、その中の諸仏称揚の願と諸仏称名の願と諸仏咨嗟の願を取り上げて、まずはこの願文が大行の願であると言われているのではないかということですね。
それでは、その次の往相回向の願と選択称名の願は何かといいますと、初めの「謹んで往相の回向を案ずるに大行あり、大信あり」の所に戻るような書き方をされているのではないか。つまり、まず三つの願文を得てから、そして最初に戻る。そうだとすると、往相回向の願の次の最後の願文である選択称名の願がこの行巻の最終的な願文ということになります。このように考えている訳ですけども、この事が一体どういうことなのかまだ分かりませんし、混乱している訳です。しかしとにかく、これらの事を念頭におきながら先に進んで行きたいと思います。
それでまず、今回は諸仏称揚の願、諸仏称名の願、諸仏咨嗟の願の方を考えていきますが、そこで最初に押さえなければならないのは「大行とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり」と言われていて、次にその行が大行である所以を述べられている。それが、もろもろの善法や徳本が具せられていて、そして極速円満し真如一実の宝海であるからだということですね。
この事がどういうことなのか。とにかくこの行は大悲の願より出ているから、諸仏称揚の願といい、諸仏称名の願という、そして諸仏咨嗟の願と名づける、とこのようになっています。そこで、まず初めに諸仏称揚の願について見ていくと、揚は下から上に移動させるという意味だそうで、つまりは下から上に揚げることですから、何か持ち揚げるという事でしょう。
するとこの諸仏称揚の願は「大悲の願より出たり」と言われていて、その大悲の願より出て何かを持ち揚げる願である。つまり無碍光如来の名を称することによって、称揚という、ひとつの相を持っているということ。そしてその相とは何かといえば、「揚」という形である。つまり諸仏称揚の願は、諸仏称名の願の相を顕していて、その相とは「揚」という形である。
そこで、前回の教巻で学んだ中に、群萌という言葉がありました。「釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり」つまり、お釈迦様が生涯をかけて説かれた教えを明らかに説き示せば、「群萌を拯(すく)い、恵に真実の利をもってせん、と、欲(おぼ)してなり」とこのように言われています。
それでこの諸仏称名の願は何処に立っているのかというと、この群萌を拯うところに立っている。すると、諸仏称揚の願の揚が群萌を持ち揚げるという意味なら、群萌よりも深く、そして群萌をつつみ、弥陀大悲の中で浄土へと持ち揚げる願であると、このようなるかと思うのですね。このことをどのように考えていくのかまだ分かりませんが、とにかく初めの諸仏称揚の願は大悲の願と交差する願であり、そのことが諸仏称名の願の相のひとつ「形」を顕している。
それでは諸仏咨嗟の願は何かといえば、これも諸仏称名の願の相である。そしてこちらの相は諸仏称名の願の「中身」を顕している。この三つの願文をもって、次のステップである往相回向の願へと繋がっていく、と、このようになるのかなと考えているわけです。そして次に、行を改めて諸仏称名の願とだけ述べられます。
一応ここまでを見ると、行巻(顕浄土真実行文類二)はまず諸仏称名の願であると書いてあります。そして浄土真実の行であり選択(せんじゃく)本願の行であると最初で言われておりますけども、その諸仏称名の願が行巻の願文であると言われながらも、この諸仏称名の願の出し方が変ですね。幾つも願文が羅列されていて、その二番目が諸仏称名の願です。要は何故このような願文の羅列と順番があるのかということですね。しかし、変だと言われてもそんなに変だとは思わないでしょう。それは今そのことを説明しているから変だと思わないのであり、説明がなくていきなり見せられたらやはり変ですよ。
この諸仏称名の願は第十七願といわれているものです。願文を読むと内容は三番目の諸仏咨嗟の願になっています。「『大経』に言わく、設(たと)い我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚をとらじ、と。」お分かりのように、これは諸仏咨嗟の願文です。つまり諸仏称名の願の相のひとつが諸仏称揚の願であり、もうひとつの相が諸仏咨嗟の願である。このように両方で諸仏称名の願を形と中身で顕していることになります。
そこで、この諸仏称名の願を読むと、まず『大経』に言わくと書いてある。「大無量寿経」を略して「大経」と書いてあります。前回の教巻では、この「大無量寿経」を「大」と「無量寿」に分けてその関係を話しました。それをまた、この「諸仏称名の願」でも同じように考えていいのかどうか。正直なところよく分かりませんが、「大無量寿経」を「大経」とまで強調されているかのように読めるものですから、これはやはり前回と同じように「大」と「無量寿」の関係を通して見た方がいいのかなと思っていましてね。
でも前回はそれなりの理由があって、それで「大」と「無量寿」の関係として、ちょっぴり無理に分けたつもりでいましたが、今回もはたしてそういう事でいいかどうか、正直少々とまどっています。しかし、とにかく真偽は後のお任せすることにして、引き続き前回と同じように「大」と「無量寿」の関係をもって先に進んでみることにしました。
そこでまずこの『大経』に言わくという事ですが、勿論これは「大無量寿経」に言わくですね。その『大経』の四十八願の第十七願が行巻の願文であるといわれる諸仏称名の願です。願文の中身は諸仏咨嗟の願です。「設(たと)い我仏を得たらんにに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚を取らじ、と。」
その次に「また言わく、我仏道を成るに至りて・・」と続いていますね。この文は四十八願を説かれた後に、法蔵菩薩が重ねて誓われるところの偈文ですが、そこから二か所を抜きだしておられます。「また言わく、我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を成らじ、と。」これがひとつ。もうひとつが「衆のために宝蔵を開きて広く宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん」ですね。偈文では別々ですが、親鸞聖人はこれを一緒にされています。そして最後の抄要の文字は親鸞聖人ご自身が付けられたのでしょう。
そこでまず、この抄要ということですが、これは一部分を抜きだして要だと言われるのですから、二つの文を一緒にして諸仏咨嗟の願のあとに付け加えられて、これらの文が第十七願と共に要であるということになるでしょうか。
それでは、この諸仏称名の願を「大」と「無量寿」の関係で見たときにどうなるのかということですが、第十七願の初めの「設い我仏を得たらんに」のところは、「あるとき、阿弥陀仏の浄土のとき、法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏するとき」であり、そのときに十方世界の無量の諸仏は、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚を取らじ、と、このようになります。
「咨嗟」というのは「嘆息して嘆くこと」だそうで、嘆息はため息をつくことですから、嘆きため息をつくことでしょう。しかし、この諸仏咨嗟の願における咨嗟は褒めたたえるとか称賛するという意味だと言われておりまして、辞書などで使われている咨嗟の意味とは違うことになっています。
例えば、親子の場合を考えて見ると、子供がハイハイから歩行へとうまく独り立ちができないときに、親は子供を見守りながら、あぁもうちょっとなのになぁと、嘆きため息をする。そしてその子がやっと上手く自分で立って歩き始めたとき、よくやったと子供を褒め称賛する。このような一連の流れを諸仏咨嗟の願に見ることができるなら、この咨嗟の意味も何とか分かる気がしますね。つまりこの咨嗟には諸仏の願いが込められているということになりますが、しかし、どうもすっきりしないですね。
この咨嗟を称賛の意味だとすると、「大」と「無量寿」の関係で見れば、阿弥陀仏の浄土のとき、法性身が我が身を度外視して正直に阿弥陀仏へ成仏するのに、十法世界の無量の諸仏が、ことごとく称賛して我が名を称えないならば、私は成仏しない、と、このようになりますが、それではこの十方世界の無量の諸仏が褒めたたえて我が名を称えるとは、いったい何を言われているのでしょうか。
この「大」と「無量寿」の関係は、次に「仏の方」と「凡夫の方」に分けて、その関係を見ることになりますが、この場合は「仏の方」が無量寿仏であり「凡夫の方」が群萌ということになります。すると、この諸仏咨嗟の願は、「仏の方」である無量寿仏が「凡夫の方」である群萌に向かって成仏することになりますが、ここでは阿弥陀仏の浄土のとき法性身は我が身を度外視して正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏する、そのときに十方世界の無量の諸仏が咨嗟して我が名を称せずば正覚を取らず、と、このようになる。
そしてこのことを抄要の文に見ると、「我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を成らじ」とありまして、ここでは「名称十方に超えん」と言われている。次では「衆のために宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中に説法獅子吼せん」となっていますから、この十方とは衆であり大衆のことである。その十方の大衆の中で説法獅子吼せんです。これをまた「大」と「無量寿」の関係で見ていくと、これらはすべて「仏の方」の出来事です。「凡夫の方」はありません。
しかし「凡夫の方」のように見えるところがあるでしょう。しかしよく見ると、これは阿弥陀仏の浄土のときの、阿弥陀仏の成仏における諸仏の関係ですから、やはり「凡夫の方」ではなくてすべて「仏の方」です。つまりここには群萌はないのですね。
それでは「凡夫の方」である群萌の代わりとしていったい何があるか。それが「衆のために宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん」の「衆」であり「大衆」です。これらは凡夫でもないし凡小でもない、まして群萌ではありません。だからここに言われている大衆とは、そのまま私たちであり、私たちの姿です。つまり一般大衆ということでしょう。その一般大衆の中で説法獅子吼せんです。そのとき大衆の中に説法獅子吼する諸仏を見る。
凡夫とは自らの自覚にあり、群萌はその自覚の深さにある。群萌が諸仏だということではありませんが、この群萌の姿こそ、諸仏が嘆きため息をし、そしてついには諸仏が称賛する諸仏咨嗟の願ではないかと思うのですね。しかしもうひとつの相、諸仏称揚の願では、一人の自覚である群萌より深く大悲と交差する。諸仏咨嗟の願では名称は十方に超えて、大衆の中で説法獅子吼せるがごとくである、と、このようになるのではないでしょうか。
親鸞聖人は『無量寿如来会』で、「かの貧窮において伏蔵とならん。善法の円満して等倫なけん。大衆の中にして獅子吼せん、と。」このように述べられています。貧窮は「びんぐ」と読みまして、貧しさの度合いが強まって追いつめられることをいうそうですね。するとここでは、心の貧しさが窮まって追いつめられている大衆の伏蔵となり、その大衆の中で説法獅子吼せん、と、このような意味になるかと思います。
このことをその次に「この義利をもってのゆえに、無量無数不可思議有無等等無辺世界の諸仏如来、みな共に無量寿仏の所有の功徳を称讃したまう」と述べられています。ご覧のように、ここではもう諸仏咨嗟の願には嘆きため息をするという意味は無くなっていて、諸仏がすべて無量寿仏の功徳を称讃したまうという意味になっているでしょう。
このことをまた「大」と「無量寿」の関係で見れば、あるとき阿弥陀仏の浄土のときに、法性身は我が身を度外視して正直に、「仏の方」である無量寿仏(阿弥陀仏)は、「凡夫の方」である群萌に向かって成仏する。そのとき、諸仏は貧窮の伏蔵となって、無量無数不可思議無有等等無辺世界に立ち、共に無量寿仏の功徳を称賛して、大衆の中で説法獅子吼する、と、このよのようになりますから、この諸仏称名の願は、一人の自覚である群萌より深く、この無量無数不可思議無有等等無辺世界に立っている願であるといわれているのでしょう。それで、親鸞聖人にとってこの無量無数不可思議無有等等無辺世界とはどんな世界観なのかと言うことですが。
それからこの群萌と諸仏の関係を少し話してみようと思います。おそらく群萌と諸仏はすごく近いのですよ。しかし群萌と諸仏は違いますね。つまり境涯が違う。群萌は何処までも凡夫です。諸仏ではありません。群萌とは一人の煩悩の自覚であり、その自覚の深さである。諸仏は群萌より深く何処までも広い。この二つの関係が諸仏称名の願で一つになる、そういうことかなと思っています。お気づきのように群萌はまだこの中にはありません。
次に『仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(ぶっせつしょぶつあみださんやさるぶつだんかどにんどうきょう)と、聞きなれない経典があります。これは何だろうと思っていましたが、『無量寿経』の異訳である「大阿弥陀経」のことだそうです。「大阿弥陀経」と言わずに俗っぽい経典名を使われています。そこで、ここでもやはり「大」と「無量寿」の関係を述べよと言われている気がしましてね。本当のところは分かりませんが、とにかくそうすることにします。
すると、ここには「大」と「無量寿」の関係はありません。あえて言えば「大」が後ろに隠れている関係である。つまり法性身が後ろに隠れている。それで、とにかく何と書いてあるか。
第四に願ずらく、「それがし作仏せしめん時、我が名字をもって、みな八方上下無数の仏国に聞こえしめん。みな、諸仏おのおの比丘大衆の中にして、我が功徳・国土の善を説かしめん。諸天。人民・蜎飛・蠕動の類、我が名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せん者、みな我が国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、終に作仏せじ、と。已上」
この経文を一つひとつ押さえながら説明することはできません。それで、自分としては一応は冗長性が高いつもりでいますが、まあ単なる逸話というか、ちょっとした小話でもってこの経文の感想を話してみようかと思います。まず、この「八方上下無数の仏国に聞こえしめん」とは何か。八は方向、上下は時間とするなら、これはとにかくある時ある所であり、無数とはその誰でもがということでしょう。つまりいつでも何処でも誰でもが、この仏国に聞こえしめんです。仏国とはそのまま諸仏の国だと思いますから、そのときどきにそれぞれの凡夫にそれぞれの仏国があるということでしょうか。
でこの、いつでもどこでも誰でも仏国がある。まずここを押さえて、あるときある所に、例えば温泉まんじゅうがあるとする。お分かりのように名号を温泉まんじゅうと言い換えている訳です。ふざけた譬えだと思われるかもしれませんが、「大」が隠れているとはどういうことかというと、これはぼくは言葉の問題ではないかと思っていまして、「大」と「無量寿」の関係では、あるとき阿弥陀仏の浄土のとき、法性身は我が身を度外視して正直(まっすぐ)に群萌に向かって成仏する。しかしこの場合は、「大」は「言葉」に隠れていて、そこには言葉の名号(南無阿弥陀仏)がある。つまりその言葉(名号)に向かって法性身は我が身を度外視して阿弥陀仏へと成仏する。
「大」である法性身と言葉の関係ですが、ここではそれを「大」と「名号」との関係でもって顕そうとされるのではないかと思っているものですから、この関係性を単に言葉ということで説明するなら、まあ、このように温泉まんじゅうという、ちょっとふざけた風の譬えの方が考えやすいのではないでしょうか。それで、これは「大」と「無量寿」の関係というよりも、「大」と「言葉」の関係であり、つまりは「大」と「名号」の関係に見る言葉の問題ではないかと思います。
そこで、あるときそこに温泉まんじゅうをじっと見ている人がいた。そして、その傍らで様子を窺う者がいたとするでしょう。この様子を窺う者が皆さんであり主人公だと思ってください。で、そのある人は温泉まんじゅうを感慨深く見ていました。
その温泉まんじゅうには何か書いてある。「諸仏称名の願」と書いてある。まんじゅうの箱にも説明書きがあり「浄土真実の行 選択(せんじゃく)本願の行」と書いてある。その人はこの説明を読んでこのまんじゅうが浄土真実の温泉まんじゅうだと分かった。
説明書には効能も詳しく書いてある。「設い我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば正覚を取らじ、と。また言わく、我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を取らじ、と。衆のために宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん」とある。
その人はこの説明文も読んで、温泉まんじゅうの効能を理解して、そしてそのまんじゅうを食べた。すると店の主人が挨拶をしに来た。名札には「法蔵菩薩」と書いてある。そこでその人は、店の主人に「みごとなまんじゅうです、おそれいりました。」と話した。続けて「このまんじゅうの餡は群萌ですか」と尋ねた。すると店の主人が「はい、そうです」と答えた。
すると「この群萌の餡を支えている称揚シートがいいですね」と言いながら、また尋ねた。「それにしても群萌の餡を包んでいる皮の透明度がすごい、まるで餡に光沢すら見えます。これほどに完成されるとは、ご主人もさぞご修行を積まれたのでしょうね。」と聞くと、やや感動して「五劫の時間がかかりました」と主人は答えた。その人は「有難うございます、あなたのおかげでどれだけの人が救わるでしょうか」「そしてこのまんじゅうはどこか懐かしさがある。この不可思議な温泉まんじゅうはいつからここにあるのですか」と尋ねると、「すでに久遠の時が過ぎました、多くの方が食べていかれました」と、店の主人は答えた。
それをずっと傍らで見ていた者が、ふと気がつくと、自分の前にもその温泉まんじゅうが有るではないか。で、側でじっと見ていたので、自分もそれなりに何となく分かったつもりでいたが、説明書きも効能も一応読んだふりをした。また、まんじゅうの餡が群萌だとは聞いていたが何のことかよく分からないし、餡の実感もない。しかしとにかく食べてみるとそれなりに心地よく悪い気がしない。味はよく分からないにしろ、側で聞いていたのでそれなりにポーズをとって真似をしていたら、店の主人が出てきた、名札には「法蔵菩薩もどき」と書いてある。
今度は観光客が現れた。がやがやと話しながら店に入っては、それぞれがその温泉まんじゅうを頬張っている。まんじゅうにはすべて諸仏称名の願と書いてあるが、まったく見ていない。だから説明書など見向きもせずにがつがつと食べてがやがやと出て行った。「法蔵菩薩もどき」さえ出ず仕舞いである。
それでもそのごった返す人の波にもかかわらず、ほんのわずかだがこの温泉まんじゅうが気になった者がいた。ある者は店に帰って来る。そしてしげしげと温泉まんじゅうを見て、名称や紹介文を読んでいる。するとあることに気づく。そして「このまんじゅうはいつか食べたような気がします。いつからここにあるのですか」と尋ねる。
ここに登場するのは三種類の人にしています。これを「仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経」に当てはめると、一人目が諸天、二人目が人民で三人目が蜎飛・蠕動の類のつもりです。
諸天の説明はできませんが、つまりは私よりも目利きが優れている人だということです。人民はそのまま自分であり、そして皆さんのこととして書いています。ここに蜎飛・蠕動(けんぴ・ねんどう)の類とあります。蠕動とは地にうごめく生き物だそうで、蜎はボウフラのことだそうですね。だから蜎飛・蠕動の類とは、その辺をくねくねして這いまわる虫か、飛び回る虫のような生き物ですね。
これらのすべては「仏の方」「凡夫の方」とは関係がない。いうなればいろんな人を二次元的にベタっと表現した世界です。広さだけがあって深さも奥行きもない、表面的な人間模様であり、群萌とは違います。登場するのは三者三様ですが温泉まんじゅうは同じです。いつでもどこでもだれでも全て同じまんじゅうである。餡も皮もまったく同じですが気づかない。
何故気づかないのか。まず群萌の餡に気づかない。群萌が自己のことだと気づいていないのですね。餡が入っていないから、いくらまんじゅうの効能を読んでも味が無いのです。しかしひとたび群萌の餡が入れば、この温泉まんじゅうは、「大」である阿弥陀仏の浄土のとき法性身は我が身を度外視して阿弥陀仏へ成仏する言葉の仏である。そのとき、この諸仏称名の願は阿弥陀仏の浄土であるがゆえに、諸仏称揚の願と諸仏咨嗟の願で完成する大行まんじゅうなのだという、ちょっとした逸話です。
言葉はいつ始まったのか。言葉はこれまでずっとあります。それでは、言葉はいつ生まれるでしょうか。言葉が言語として生れるのは、その言葉が発せられるときであり、その言葉を聞いているときです。言葉の問題は不思議でありハードルが高い。難問だと思いますが、考えていかなければならない問題でもあると思います。
「教巻への一考察」
令和6年9月22日 秋彼岸会より「教巻」から
「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つは往相。二つには還相なり。往相の回向について、真実の教行信証あり。
⑴それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。⑵この経の大意は、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯(すく)い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり。⑶ここをもって、如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり。
⑷何をもってか、出世の大事なりと知ることを得るとならば、」
今日は教行信証の教巻を読んでいきたいと考えております。前回は証巻でしたが、今回は教巻です。順番が逆ではないかと思われるかもしれませんが、これまでの経緯がありますのでこのような順序もいいかなと思っております。もともと『論註』の途中で証巻に入り、成り行きでこのような順序にもなったのかなとも思っています。それで、まず教巻の始めにあるこのお言葉ですが、これは親鸞聖人の御自釈でありまして文献の引用ではありません。ご覧のとおり短い文でまてめておられます。
今回はこの御自釈を話すことになりますが、とにかく教行信証の始めでもありますから、本来ならば、ここの所は、教行信証を網羅しておかなければならない、などとも考えてしまうのですね。でも、もしそういうことなら、いつまでも読むことは出来ないので、網羅などしておりませんが、とにかくここに読ませて頂こうかと思っている次第です。だからといって、めくらめっぽうに読めばいいという事でもないので、そう言う点では中途半端な中で読むことになります。
それでも、この教巻を読もうと思ったのは、経緯と言いますか、これはどういう事か、何故そうなのかといったような思いがこれまでに幾つかありまして、それが消化しきれないまま残っています。それで、この機会に少し整理するつもりで、まずこの教巻から眺めて行きたいと考えている訳です。なので、今日は偏った見方になるかと思いますし、まとまった話にはならないかもしれませんが、そういうことでありますから、自分なりの角度でこの教巻を見て行こうと思います。
そこで、今日のテーマは「教巻への一考察」ということになります。時々変な事を言うかもしれません。そこのところは、どうぞよろしくご了承いただきまして、お聞きいただければ幸いです。
⑴それではまず、教巻の最初にあるこの文ですが、お分かりのように二つに分かれています。一つは往相回向、もう一つが還相回向です。そして往相回向についてこの真実の教行信証がある、と、このように言われています。次にその往相回向について、まず「真実の経を顕さば『大無量寿経』これなり」と言われているわけですが、私たちが普通接している経典は何かというと、これは『仏説無量寿経』であります。
同じ経典でも教巻では『仏説無量寿経』とは言わず『大無量寿経』これなり、と、このように言われています。普段は『無量寿経』と言ったり、『大経』とも言ったりしますから、ちょっとした表現の違いだといわれればそれまでですが、しかし、親鸞聖人ご自身の捉え方が『大無量寿経』これなりですから、そこには聖人ご自身のこだわりが当然あるはずですね。だからこのことについては諸先生方のご意見がございますが、自分においても、また、ここの所はこだわって見て行きたいと考えておりまして、そのことが今回のテーマになっています。
それではいったいこの『大無量寿経』これなりについて、何をこだわっているのかといいますと、この『大無量寿経』の「大」と「無量寿」の関係にこだわりを持っておりまして、だからまずはそこに焦点をあててみたいと思います。
そこで、この「大」ということですが、これは他には「勝」などの字もそうですが、これらはだいたいにして仏の方を顕すときに使われたりします。凡夫を凡小といい、それに対して仏の広大さを顕すと、このような使い方があります。だからこの『大無量寿経』の「大」もまた、このような仏の方を顕すところの意味だろうと、まず、そう考える訳ですね。
ところが、この「大」を仏の方だとしても、次の「無量寿仏」の方もそもそも仏でありますから、当然こちらも仏の方である。すると「大」と「大」とが二重になっていますね。別に屁理屈を述べるつもりはありませんが、そういうふうに聴こえなくもない。まあ、それはともかくとして、この「大」が二重になっている関係ですが、これはいったい何を意味するのかなという事ですね。
『大無量寿経』は見ての通り、「大」が無量寿の前におかれているでしょう。だから、この『大無量寿経』をそのままの形として見ると「大」は「無量寿」の前にあり、「無量寿」とならしめるものである、と、このように「大」と「無量寿」の関係を観た場合に、『大無量寿経』とは「大」と「無量寿」の関係を顕す経典であることになるかと思います。それに対して『仏説無量寿経』は「仏説」ですから、これはお釈迦様がお説きになられた無量寿仏の経典であるという事ですね。このように『大無量寿経』を「大」と「無量寿」の関係として見る。
すると、これは「大」と「無量寿」の後先の問題でありまして、この事を少し説明しますが、まず、ここにあるひとつの定位置があるとします。この場合の後先の先とは定位置の前をいいますから、時間軸でいえは定位置以前という事になります。すると、『大無量寿経』の「大」は無量寿の前ですから、後先で言えば「大」は「無量寿」の先である。つまり時間軸では無量寿仏になる前です。
先験的という言葉がありまして、哲学ではこれをアプリオリと言いますが、「より先のもの」と言う意味です。調べると「経験に先立って与えられている意」だとも書いてあります。しかし、これだけではよく分からないから、これを自分なりにアレンジすると、そこに、ある認識みたいなものが仮にあるとした場合に、そこは「より先のもの」という意があるということですね。
これでもなかなか分かりずらいので、まず、ここに一つの経験があるとするでしょう。これをさっきは定位置と言っていました。この場合は経験と言っています。だから、これは私たちが普段に考えている経験とはかなり違いますから、いったん私たちが思っているような経験は忘れて下さい。
で、まず私たちには意識があります。これは間違いないですね。しかし、意識と一言でいっても、意識の幅はすごく広いでしょう。意識に対して無意識がある。心理的と言ったり深層心理だと言ったりもする。普通言われている意識には幅も深さもある。そしてそのどれもがハッキリと解明されているわけではない。特に無意識なんかは研究の途上で、学問としてまだ定まっていないとも聞いています。
しかし、間違いなく意識は有るわけですね。皆さんも意識がなくてここに来られたのなら大変なことでしょう。これら無意識も含めて意識全体とした場合に、その最も深い処、つまり、意識が発生する場所です。そういう最深部があるのかどうかですが、実際に意識は有るわけですから、意識が生れる処もなければならないですね。解明されていないからといって無いということではない。
この意識の最深部と、そして、そのまた先。ここで言うそのまた先とは当然意識の領域ではありません。そうじゃないと意識の最深部とその先にはならないですね。この意識の最深部とそのまた先の関係についての話になります。この意識の最深部を経験すると言った場合、その最深部のとき「より先のも」という意がある、と、このように言うのだと思います。
出来る出来ないは別にして、意識の最深部のとき「より先のもの」という意があるということですから、これは、意識の最も深い処のそのまた先に、意識を支えている何かがあると言っている訳です。そしてこれはアプリオリであると、このような言い方だと思うのですが、この意識のそのまた先である「より先のもの」が私たちの意識とどのように関わるかを顕そうとする、そういう哲学の領域があります。
日本的には、心の背景といえばすっと入って来るでしょう。ただし、この場合は背景と言うよりも心の芯の処ですから、どちらかというと心の底のことになります。玉ねぎをむいていくと最後は何が残るでしょうか。何も残らないですか。では、玉ねぎと同じように、意識を一つずつ削いでいくとしたら最後に何が残るでしょうか。
私たちの意識の先にそのような「より先のもの」などない、だから無であると言ってみる。しかし、それは、そういうあなたの意識の範囲で捉える無であるから、単に無だと自分が言っているだけの話で、あなたの意識から外れた「本来の無」とは別物ではないですか、と、この問いに答えられるかどうかという事になります。人間の意識のぎりぎりの処に意識を超えた何かを直感した。しかしそれはアプリオリであり、見ることも触ることも出来ない、と、このように言われるのかなと思います。
この先験的ということですが、このことを『大無量寿経』における「大」と「無量寿」の関係においても窺われるのじゃないかと考えておりまして、つまりは、無量寿仏(阿弥陀仏)の成仏のとき、これを便宜上さっきの経験という言葉に置き換えてみたら、それは先験的であるという事ですね。つまり、弥陀成仏のとき「より先のも」という意があるということになります。
それでは、無量寿仏つまりは阿弥陀仏の成仏のとき「より先のもの」とはいったい何かということになりますが、それは、法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に弥陀へ成仏するという、この内容が弥陀成仏における「より先にもの」であると、このようになります。
法性身を、親鸞聖人は「いろもなくかたちもましまさず」とこのように言われます。私たちには捉えることが出来ない、思慮分別を超えているから法性身というのですが、その法性身が我が身を度外視して正直に弥陀へ成仏する、この物語が弥陀成仏のとき「より先のもの」の意であるなら、この場合の弥陀成仏は先験的である、と、こういうふうに言えるのかなと思うわけです。
「いろもなくかたちもましまさず」という法性身ですから、凡夫には見ることも触ることも出来ない。そのいろもなくかたちもましまさないはずの法性身が、その我が身を度外視して、凡夫に向かって正直に弥陀へ成仏するということ、そしてまた、このことを別の言い方にすれば、弥陀成仏のとき、法性が法性の身として凡夫に関係を開いたということだと思うのですね。
ただしかし、先験的をこのように弥陀成仏に当てはめてしまうと、どこか何かが足らないような気がするのですよ。で、これはずいぶん考えました。そしてこういうふうに言葉を入れたら何とかなるかなと思いました。で、それは何かということですが、「にもかかわらず」という言葉を入れてみるのです。
そうするとどうなるか、弥陀成仏のとき「より先のもの」の意がある、「にもかかわらず」、法性身が我が身を度外視して正直に弥陀へ成仏する、と、このようになります。これね、読んでお分かりのように、これはこれですごく変でしょう。でもね、こっちの方かなと思うのですよ。先験的を時間軸でいえば、過去現在未来と一方向に沿っていなければなりません。
すると、このアプリオリというのは、そう言う意味では意識の最深部において、常に「より先のもの」ですから、この「より先のもの」という以外に表現が出来ないのであって、もしそこに何か内容を入れようとした場合は、それはすでに意識の範囲内であって、その時点でアプリオリではないことになってしまう。
だから、ここでいう法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に弥陀へ成仏するという、このような内容を、そのまま「より先のもの」に当てはめることは出来ないと思うのですね。だから「にもかかわらず」と言葉を入れると何とかつじつまが合うかなと考えたわけです。しかし、だったらですよ、わざわざ知ったかぶりして、先験的であるなどと初めから言わなければ良いわけです。
でもね、今回のテーマがこの弥陀成仏と先験的ですから、とにかくも、ここに「にもかかわらず」と入れれば、まあ、何とかなるかなと思ったりしたわけですが、で、このことをしばらく考えておりました。そこで、このアプリオリという概念ですが、やはりこれは時間軸に沿ったものですから、この場合の法性身と弥陀成仏については、このような時間軸とはまた違うものが必要だと思うに至ったのです。
それでは、いったい何をもって先験的とするかですが、定位置を時間軸の点では押さえずある場所とする。そして、そのある場所は先験的であるとします。何か知らぬが、あるときその場所のとき「より先のもの」という意があると、このように変換出来なかということですね。
そうすると、これはそこがある場所に変化していることですから、もともとの処が、あるとき何かの縁で、ある場所に変化したことになります。新旧の時系列は一応あるが場所は同じです。それで、その変化している場所ですが、これを何といえばいいのかという事になりますが、弥陀成仏を阿弥陀仏の浄土と言い換えていることになります。つまり阿弥陀仏の浄土のとき、法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏するという、この内容が「より先のもの」としての意だということになります。
お前そんな勝手なことをするなと言われそうですが、この辺りの処はすごく大きな問題だと思いますので、今後の成り行きを見ながら考えて行こうと思っていますが、しかし、とにかくも従来のアプリオリとはまた違う概念が、このようにして確認できたのではないかというのが正直なところです。
しかし、そうなるというと、当然ちょっと待てよと言われる。何故なら、阿弥陀仏の因位の菩薩である法蔵菩薩はどうなっているのか。『無量寿経』は法蔵菩薩が兆歳永劫のご修行をされて四十八の願を成就された経典です。細かい内容はともかくとして、法性身がいきなり阿弥陀仏へ成仏するとなると、法蔵菩薩はいったい何処に行ったのだと、このような理屈も出てくるわけです。
そして、これは大変もっともな話であります。しかし、教巻では「真実の教を顕さば『大無量寿経』これなり」と言われていて、それをお釈迦様と阿難尊者の出遇いとして述べられているわけですね。だからお釈迦様と仏弟子阿難の出遇いをもって、真実の教を顕さば『大無量寿経』これなりです。
『無量寿経』は、お釈迦様と阿難尊者の出遇いで始まり、そこから阿難に法蔵菩薩のご修行を説かれます。法蔵菩薩が世自在王仏のみもとで一切の諸仏の世界を覩見されて、そして四十八の願を建てられた。このように経典はなっておるわけですが、教巻はお釈迦様が法蔵菩薩を説かれる前段であって、お釈迦様と阿難の出来事の方なのですね。そしてこれをもって、真実の教を顕さば『大無量寿経』これなりです。
だから唐突ではありますが、法性身が自らを度外視して阿弥陀仏へ成仏された。この成仏こそが、そのままお釈迦様と阿難の出来事である、と、そう書いてあるのではないか。そして、そうしておいて、この出来事を紐解いていく。そうすると、阿弥陀仏が因位のときに、つまり法蔵菩薩が世自在王仏の御前で一切諸仏の浄土を覩見して、四十八願を建てられたと、このように法蔵菩薩のご修行が説かれる。つまりは、弥陀成仏という果に従ってその因を尋ねるという従果向因の説ではないかと思うわけです。
⑵そして次に「この経の大意は、弥陀、誓と超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす」とありまして、ここまでがまず仏の方である。つまり、法性身の弥陀成仏により、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開かれた。そして凡小を哀れみて、選んで功徳の宝を施することをいたす、と、ここまでが仏の方である。そして次の「釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯(すく)い、恵に真実の利をもってせんと欲(おぼ)してなり」は、これは凡夫の方。「道教を光闡して」の訳が、釈迦一代の教説を明らかに説き示すことだとありますから、つまりは、お釈迦様が生涯をかけて説かれた教えを明らかにすれば、それは「群萌を拯い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり」ですから、これは仏の方というよりも凡夫の方である。そうすると、ここに仏の方と凡夫の方との関係がまた出てくるわけです。
⑶ここに仏の方と凡夫の方とあえて分けている訳ですが、これは証巻の感想でありまして、証巻を通したらこのように分けるということが出てくるのですね。教巻にはそのような事は書いてありせんが、こういう分け方になるのではないかと思っております。そして、この仏の方と凡夫の方の関係成就がその次の文である。つまり「如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり」が仏の方と凡夫の方の関係成就でありますから、仏の方だけの成就が弥陀成仏ではなくて、凡夫もまた凡夫として成就していなければならない。
それで、まず仏の方を見ていくと、阿弥陀仏の浄土のとき、法性身は正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏して、その誓は阿弥陀如来の本願として超発されている。そこに広く法蔵を開き、凡小を哀れんで、選んで功徳の宝を施す。これを「如来の本願を説きて、経の宗致とす」と、『大無量寿経』を「大」と「無量寿」の関係に見て行けばこのような捉え方になるかと思います。
そして凡夫の方は「釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり」ですから、お釈迦様がこの世にお出ましになり、そして生涯をかけて教えを説かれたのは、ひとえに群萌を拯い、真実の利をもってせんと欲されたのである。つまり、群萌を拯うのに真実の利をもってせんですから、凡夫の姿を群萌と明らかにして、その群萌に向かって真実の利を恵み救いとる。このことが「すなわち、仏の名号をもって経の体とするなり」です。
で、さっきから仏の方とか、凡夫の方だとか言っている訳ですが、この凡夫の方を考えると、このように凡夫の方だと言ってみてもですね、実際のところ、それは仏とそして私たちの出来事かといえば一概にそうとは言えませんね。私たちはだいたいにして自らを凡夫だと思っていないのです。だから凡夫の方というのは、これは私たちの方というより、お釈迦様が顕かにされた、ただ凡夫であるという方でしょう。ぼくはこの凡夫ということで思い出したことがありまして、調べたら令和4年秋彼岸会と書いてある。2年前に話した『論註』上巻の作願門のところでした。
亀の甲羅に毛が生えているのかどうかという問題でしたが、これは亀が年と共に甲羅に毛が生えてくるように見えるが、それは錯覚であるという話ですね。人間は年を重ねていくと、亀の甲羅に生える毛ではないが、何やらもやっとした、どうも私と言うものがあるような気がする。確かに何となくではあるがそんな気もする。しかし、それは甲羅に毛が生えているかのように見えているだけで、それは錯覚であるという話ですね。これが私だと言えるような感覚は、本来は無いのだけれどまるで有るかのように錯覚しているのだというのです。この亀の甲羅の話は考えると衝撃的ですね。これが私だと、これ、間違いありませんか、ホントですか。じゃあ、その私とは何かと問われたらどのように答えますか。ここまで長生きしてきたことが自分の証であるとすると、では、その生きた時間があなたですかと問われる。ちゃんと答えられますか。ひょっとすると、まるで年老いた亀の甲羅に生えた毛のようなもので、ただ自分がそう思いこんでいるだけではないですか。
この私という感覚は錯覚であり、亀の甲羅に張り付いた苔のようなものだという譬えは、ほんと衝撃的です。私はあれもしたこれもした、そしていろいろして満足した。人生の終盤にこのように言える人はそんなにはいないと思いますが、まあ、話だけなら出来るでしょう。しかし、それでもですよ、もしもそれだけだったら何かの拍子で歪めばガラガラと崩れますよね。これが私ですと案外と答えが出ない。自分を探すと見えなくなりますね。しかし、ハッキリしているのは、いろいろと考えながら生きているし、そして、生きるために一所懸命になってきたということでしょうか。しかし、この生きるという事においてもまた、『論註」はダメ押しします。それは因縁生だという。
この因縁生というのは、生はこの私から始まるのではないということですね。久遠の過去からずっと繰り返された、それこそ様々な因縁により私がいて、この人生があるという事でしょうね。まあ、そういわれるとそうかもしれんな、と、何かそういう思いがありませんか。実際にこの自分自身というものに立ってみたら、まずは何となく自分というのが始まっていて、そして気づいたらこのようなものとして私がいる、こういうことで間違いありませんかね。しかしそうだとすると、この私というのは、因縁生という掴みどころの無い、何やら漠然としたものだという事になりませんか。
ところで皆さんは、親鸞聖人が言われている群萌という言葉にどのようなイメージを持たれるでしょうか。お釈迦様は生涯を通して、この因縁生よりももっと深い、群萌という姿をもって私たちを顕かにされた。そしてただ凡夫である方を開かれた、と、こういうことかなと思っております。
⑷「何をもってか、出世の大事なりと知ることを得るとならば、『大無量寿経』に言(のたま)わく、今日世尊、諸根悦予(しょこんえっちょ)し姿色清浄にして、光顔魏魏(こうげんぎぎ)とましますこと、明らかなる鏡、清き影表裏に暢(とお)がごとし、威容顕曜にして、超絶したまえること無量なり。未だかって瞻覩(せんと)せず、殊妙なること今(きょう)のごとくましますをば」
文献学の素養もないのに、これらを述べるのはどうかと思いますが、とにかく教巻では「明らかなる鏡、清き影表裏に暢るがごとし」と読まれています。経典には「如明浄鏡 影暢表裏」とありまして、直訳すれば「明らかなる浄鏡の表裏に影暢するがごとし」だそうです。親鸞聖人はこの文を「明らかなる鏡、浄き影表裏に暢るがごとし」と読まれました。文献学に無知なぼくでも無理な読み方かなと思いますね。
経典のこの「如明浄鏡 影暢表裏」は、阿難尊者がお釈迦様のお姿を拝して、今日の世尊は、自らの全身に悦びがあふれておられて、お顔も魏魏と光ましますこと、まるで「明らかなる浄鏡の表裏に影暢されているようです」と、このようになるでしょうか。もう少し自己流に直せば、明らかに浄く澄みきった鏡がまるで影をも表裏に暢しているかのようです、と、このような訳でいいのでしょうか。正しい読み方は分かりませんが、このような訳ならこの「如明浄鏡 影暢表裏」は、阿難がお釈迦様の悦びのお姿を、お悟りの姿として表現したものでしょうね。
親鸞聖人の場合では、お釈迦様が諸根悦予して、お顔が魏魏と光輝くのが、「明らかなる鏡、浄き影表裏に暢るがごとし」ですから、その全身から悦びがあふれて、光顔魏魏とましますのは、明らかなる鏡、浄き影が表裏に暢るがごとし、と、このようになるでしょうか。そうすると、これはお釈迦様の「諸根悦予 光顔魏魏」のご様子を言い換えて、「明らかなる鏡、浄き影が表裏に暢るがごとし」ですから、この「明らかなる鏡」は主語だと思うのですが、これでいいのでしょうか。そうすると、これも阿難がお釈迦様のご様子を表現したものですが、ここではお釈迦様ご自身が「明らかなる鏡」だということになります。
すると、明らかなる鏡であるお釈迦様は、浄き影表裏に暢るですから、明らかなる鏡であるお釈迦様、あなた様はまさに浄き影が表裏に暢っているかのようだ、と、阿難がお釈迦様を拝見していることになります。こういうふうにした場合、この明らかなる鏡には表裏があるということですね。そしてその表裏に浄き影が暢っている。
では、この浄き影とは何でしょうか。鏡の表が浄きで裏が影ですか。それとも浄き影が表裏に暢るですから、鏡の表も裏も浄き影でしょうか。ぼくはこれは両方だと考えていまして、仏の方が表だとすると、仏の方は浄であり凡夫の方が裏で影になるでしょうね。しかし表裏に暢るですから、これは表裏一体である。阿難尊者にはお釈迦様御自身が「明らかなる鏡」だと映った。その明らかなる鏡(お釈迦様)は、浄き影が表裏、つまり仏の方と凡夫の方に暢っているかのようである、と、阿難がお釈迦様を拝見した、と、このようになるのではないでしょうか。
初めに申しましたように、これらは私見でありまして偏った見解です。一応哲学的な思考も含めたつもりです。信心とは離れたかもしれませんが、こういう角度からの研鑽もまた必要になるのではないかと考えております。
証巻 正定聚について その⑤
令和6年5月26日 永代経法要より
(定善義)また云わく、西方寂静無為の楽には、畢竟逍遥して、有無を離れたり。大悲、心に薫じて法海に遊ぶ。分身して物を利すること、等しくして殊なることなし。あるいは神通を現じて法を説き、あるいは相好を現じて無余に入る。変現の荘厳意に随いて出ず。群生見る者、罪みな除こる、と。また賛じて云わく、帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、尽(ことごと)くみな径(へ)たり。いたるところに余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平(しょうひょう)を畢(お)えて後、かの涅槃の城に入らん、と。已上
今日が証巻の最後になります。はじめに「(定善義)に云わく」となっておりますように、この引用文は「定善義」にいわれているもので、その中の第二「水想観」に出て来ます。「水想観」は変わっておりまして、「水想観」の中に「氷想観」というのがある。そしてその「氷想観」もまた「瑠璃地の下」と「瑠璃地の上」とに分かれている。このように複雑であります。その中から「瑠璃地の下」がその引用文になっています。またこの「瑠璃地の下」は三つの讃で出来ておりますが、証巻はその中から二番と三番が引用されています。つまり一番が抜けております。
この「瑠璃地の下」の三番目は帰去来といわれて有名がところですが、この「帰去来」は「瑠璃地の下」では「瑠璃地の上」へのつなぎにもなっているようです。しかしこんなことを言ってもですね、いったい何のことかなというふうになる訳ですが、まあ、とにかくここらから初めたいと思います。
「水想観」については以前「証巻 正定聚について その②」で少し話しをしていますので、よかったら後からでも読んでいただければと思います。で、証巻の正定聚の②は「清浄功徳」について話した所になります。その時にこの「水想観」のことを話しております。まず「明鏡止水」という言葉がありますが、この語句の意味を調べると、くもりのない鏡のごとく、波の立たない静かなること水のような心を言うのだそうです。心にやましい点がなく澄みきっていることだとも書いてあります。
「水想観」の方では、心というものを二つに分ける。ひとつは心の器、もうひとつは普通ものを考えている心というもの。で、この心の器の方を鏡や水面に譬える。そしてその鏡に映る心との関係を観る、と、まあこういうことかなと思っております。水面に波が立てば映っている心も歪んでいる。このように水面と心の関係を顕すのでありまして、で、まず私がいろいろと思いはかる処の慮りを止める、そして心の器の方に集中する。そして、その器である心の素地の在りようを尋ねていく、と、こういうことかなと思いますが、なかなか分かりにくくて難しい所でしょうか。「定善観」では、慮りを止めて心を凝らすといいます。この凝らすということを自分なりに表現したつもりです。
この器である心の素地の事は、以前は身体的心の領域というふうに言っていました。善導大師がこの素地を顕されるのに、「水想観」では天親菩薩の『浄土論』を引用されています。「観彼世界相 勝過三界道 究竟如虚空 広大無辺際」を引用されて、初めの二句の「観彼世界相 勝過三界道」が「清浄功徳」といわれるもので、後の二句の「究竟如虚空 広大無辺際」が「量功徳」ですね。この「清浄功徳」と「量功徳」をもって善導大師は「水想観」を顕されます。つまり、この二つの功徳成就文をもって心の素地とされているというのが自分の見解になる訳です。この心の素地は身体的であるがゆえに煩悩に汚されていない、よって清浄である。また身体的であるがゆえに広大であり辺際がない、と、こういうふうに言われているのではないでしょうか。
我が身ということですが、この身は自分だけがそこにポツンとあるわけではない、世間や社会、また国や世界との関係で繋がっています。物質としては、例えばこの身が生きるためにはまず空気が必要ですね。その空気は成層圏の内と外との関係があります。そして成層圏は宇宙へと広がります。身体はこういう広大な関係と広がりの中にある。この「清浄功徳」と「量功徳」をもって善導大師は心の素地とされている、と、こういうふうに考えていく訳です。
曇鸞大師は、「清浄功徳」を自性清浄の心象として顕して、それを「正定聚」とされた。そして「量功徳」においてその「正定聚」の広大と無辺際を顕かにされた。自性とは何かを調べると、事物をそのものたらしめている本来的な不変の性質。本性。本質。性。と書いてあります。自性清浄の心象というのは言語としてはシンプルではありますがすごく大きなテーマなのであります。
親鸞聖人は、この曇鸞大師が顕かにされた「正定聚」をさらに、「大義門功徳」に独自の見解を入れて「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と顕され、「正定聚」に身体的心の領域をも顕かにされた。そしてその心の素地とともに深淵なる業の闇をしめされた。
これまでの流れを簡単にいえばこういうことになるかなと思います。で、このように親鸞聖人は曇鸞大師の「正定聚」に深淵なる業の闇を見ておられることになるわけですが、その心の素地に観る深淵なる業の闇がこの「瑠璃地の下」にあるのであります。それも親鸞聖人は、二番と三番だけを引用されて一番目を外されているのですね。で、やはりこの一番目も読む必要があるので、本論は二番と三番になりますが、まずは一番から読んでいきたいと思います。
「瑠璃地の下」1番目。「地下の荘厳七宝の幢、無量無辺無数億なり。八方八面宝をもって成ず。かれを見れば無生自然を悟る。無生の宝国永く常たり、一々の宝無数の光を流す。行者心を傾けてつねに目に対して、騰神踊躍して西方に入れ。」内容がすごく難解ですが、それでもこの一番の讃を加えた方が二番と三番がまだ分かりやすいですね。
この「瑠璃地の下」の荘厳は過去ということだと思います。それも私の過去というより、身体的な過去ということでしょうか。つまり、どこの誰だれという、今この私がおるまでの時間とその環境だということになりますから、それは私が今ここにこうしておるところの、私における私の業であります。だからこの「瑠璃地の下」とは、私の心の素地にあたるもので、その素地における自らの業を見ればということでしょう。で、そこにはいったい何が見えるのか、それが「無量無辺無数億なり」です。
よく使われる譬えですが、私には当然父母がいます。その父母もまたそれぞれに父母がいる。これを繰り返していくと、自分まで入れて計算すれば、六代で127人ですか、あと何代か遡れば瞬く間に増えます。その一人ひとりも様々な関係に生きた人達であり、それに兄弟や親せき、仕事の同僚や上司、ほか全て入れればそれこそ無量無辺無数となる。そしてこれに憶を足す。身体的な心の領域とは、実はこのよな業の深さと広さを背景にしているのである、と、こういうことかなと思います。
そしてこの身体的心の領域である清浄なる鏡をのぞけば、それは無量無辺無数億の業の深さがあり、それを見れば無生自然を悟るといわれる。何故なら深淵な闇に業の姿が見えるとは、流れ出る光に現れた業の姿を見ているのであり、光がそこに流れるからこそ現れた闇の姿なのですね。善導大師は心の素地を「清浄功徳」と「量功徳」で顕されながらも、「氷想観」を通して、このように業の深さを観ておられます。これが「瑠璃地の下」の一番の讃である。そして二番ではその流れる光の方が述べられている。こういう順序で二番を読んだ方が分かりやすいのですよ。それでは、この一番の続きで二番の讃を読んでいきます。
「瑠璃地の下」二番目。「西方寂静無為の楽(みやこ)には、畢竟逍遥して、有無を離れたり。大悲、心に薫じて法界に遊ぶ。分身して物を利すること、等しくして殊なることなし。あるいは神通を現じて法を説き、あるいは相好を現じて無余に入る。変現の荘厳意(こころ)に随いて出ず。群生見る者、罪みな除こる。」ざっとした解釈しか出来ませんし、ちゃんとそうなっておるのかも分かりませんが、とにかく自分の解釈として聞いていただければと思います。この、畢竟逍遥(ひっきょうしょうよう)してとは、何ごとにもとらわれずあるがままであることだと言われています。西方寂静の楽(みやこ)である阿弥陀仏の浄土は、何ごとにもとらわれずあるがままにして有無を離れている、と、まずこう言われる。で、それはどういうことかと言うことですね。
この大悲ということですが、これはその流れる光のことでしょうか。すると、この大悲とは、大悲の光であり、その光は心の素地に沁みついた業の闇をも法界として遊び、それは光でありながらも業の闇と離れていない。あたかも神通を現じて法を説いているかのごとくである。そしてこの光とともに闇に生きる群生(ぐんじょう)を見る者は罪みな除かれる、と、まあ、このように解釈させていただいております。反論もあるかと思います。
そして三番目の「帰去来」です。 「帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかたみな径(へ)たり。いたるところの余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平(しょうひょう)を畢(お)えて後、かの涅槃の城(みやこ)に入らん、と。」「帰去来」はすごく有名で、何回かこの法座でも話したことがあります。この場合の「帰去来」では「曠劫よりこのかた六道を流転して」というところが「瑠璃地の下」の過去の業をの覗けばと同じ意味になると思いますから、この「瑠璃地の下」で観た全てが、曠劫より流転してきた我が身の業の姿でありましたということでしょう。そして今、この業を終えて涅槃の城に入ろうという、そういう讃ですね。生平(しょうひょう)を畢(お)えてとは、この私の人生を尽くしてということです。
ただし、この三つの讃の解釈は「瑠璃地の下」を通して読めばということですから、証巻のように二番と三番だけが引用された場合では内容が変わってくる。では、どのように変わるのかというのが今回のテーマになっております。
化真土巻「韋提別選の正意に因って、弥陀大悲の本願を開闡す。これすなわちこの経の隠彰の義なり。ここをもって『経』(観経)には「教我観於清浄業処」と言えり。「清浄業処」と言うは、すなわちこれ本願成就の報土なり。」これは前回に「別選所求」ということで話しました。今日はその続きになります。化真土巻ではこの「韋提別撰」の次が「「教我思惟」と言うは、すなわち方便なり。「教我正受」と言うは、すなわち金剛の真心なり。「諦観彼国浄業成者」と言(のたま)えり、すなわちこれ十三観これなり。」と、なっております。
ここに「「教我思惟」と言うは、すなわち方便なり。」とありますね。で、まずこの方便ということを少し話さなければならないですね。まず一般的にこの「方便」で思いつくのは「うその方便」という使い方ですね。こういう使い方は、おそらくスラングと言いますか、方便の意味が俗化されたものでしょうから、すでに方便の本来の意味が変わっていると思います。自分でもよく説明できないとは思いますが、とにかくここに方便という言葉がありますから、少しでもこの方便のことを言わなければならないでしょうね。
で、まず、これは主語と述語の問題かなと思っていまして、この場合の「うその方便」は述語であり、例えば誰かにうそをつく、そうすると、そのうそにだまされた誰かに損失があれば、そのうそは悪質であり、方便という言い方はしない。反面良質のうそがあるのかといえば、うそをついたが、結果が相手や周りに何か得をしたことがあった場合、つまり結果オーライの時はうそも方便だという。また癌の告知で本人には知らせずにうそをつく場合がある。家族はそのことで苛まれながらも相手の事を思い、あえてうそをついた。このようなケースは現在でも多々あるでしょう。ではこの場合のうそは良質だから方便なのかといえば、一応は方便だということになるかなと思いますね。だから悪質な「うそも方便」というものは無いと思います。では良質のうそなら方便だということになりますが、もともとこれは俗化した言葉ですから、方便の意味の本質がすでに違っているはずですね。
それで一応、自分が考えている方便とは何かといいますと、それは何かを捉えようとするようなものの状態であって、例えばその場合は言葉もそうです。言葉で何かを表現しようとする場合には、その言葉によって何かを捉えようとする状態をいうのであり、しぐさにおいてもいま見えない何かをそこに表現しようとするものですね。文字に書こうとするとき、口に称えて、漠然とする何かを捉えようとする状態、その捉えられる処へと限定していくようなものである。方便にはこのように何かに限定していく、あるいは促されていくようなもの、そんな意味があるのかなと思っているわけですが、『浄土論註』に「方便」のことが書いてあります。「正直(まっすぐ)なことを方といい、自分を度外視することを便という。正直によるからあらゆる衆生をうつくしむ心を生じ、自分を度外視するから、自己自身が供養されうやまわれたいという心をはなれるのである。」
私たちが普通思うところの方便とはずいぶん違うでしょう。阿弥陀如来とは衆生を慈しみ、法性の身を自ら度外視して、正直(まっすぐ)に衆生のために来た仏である。このような方便の使い方もあると思います。また、「玄義分」には「「思惟というは、すなわちこれ観の前方便、かの国の依正二報、総別の相を思想するなり。すなわち地観の文の中に説きて「かくのごとく想する者をば名づけてほぼ極楽国土を見るとなす」とのたまえり。すなわち上の教我思惟の一句に合(がっ)す。」と、善導大師は「教我思惟」を観の前方便という言い方をされています。
ここにある観の前方便ですが、この観は阿弥陀仏と浄土を観ようとするときの前方便のこことですが、それが「地観の文に中に説きて」と書いてあるでしょう。「水想観」の次が「地想観」です。ここでは「地観」と書いてあります。この「地想観」の地とは国でありますから阿弥陀仏の国土、つまり浄土のことですね。この「地想観」は「水想観」「氷想観」「瑠璃地の下」「瑠璃地の上」の全体をまとめたもので、総別の相といわれる。この「地想観」では「もしこの地を観ずる者は、八十億劫の生死の罪を除かん。身を捨てて他世に必ず浄国に生ずべし。」と言われております。この「地想観」にある「この地を観ずる者は」のところを、さきほど言った「心の素地をのぞけば」と言い換えることが出来るなら、次の「八十億劫の生死の罪を除かん」は「群生を見る者罪みな除こる」に言い換えることも出来るのではないかと思うのですね。するとその次の「身を捨てて他世に必ず浄国に生ずべし」は帰去来に観ることも出来ます。
こ「地想観」を観る時の前方便を、ここでは「思惟というは、すなわち観の前方便」だと言われています。だからこの「観の前方便」とは、まだ浄土をはっきりと見たと言うわけではないが、ほぼ浄土に近づいている。そしてそれは自らを度外視して浄土の観へと正直に近づいている、こういうことになるかなと思います。これを二つの場合で言うなら、まず法性身が自らを度外視して正直に近づいてくる。もうひとつは凡夫が自らを度外視して正直に近づいていく、もしくは促されていく。こういう立場があると思うのですよ。
法性身とは「いろもなくかたちもましまさず」という仏ですね。その法性身が自らを度外視して正直(まっすぐ)に近づいてくる、と同時に、凡夫は煩悩の我が身を度外視して正直(まっすぐ)に近づいていく、もしくは促されていく。方便にはこういう法性と凡夫とが、何かの拠り所へと近づき限定されていくというような意味を持っていると思うわけです。それではいったいそれは何処へと近づき促されるのかということですが、ここではそれを正受といわれていますから、つまり、お釈迦様の心眼である浄業の相へと近づいていく、お釈迦様の心眼である一切善悪の凡夫の相に近づいてくる。この能動的なはたらきを方便と言われているのではないかと思うのですね。
そして「「教我正受」と言うは、すなわち金剛の真心なり。「諦観彼国浄業成者」と言えり」ですから、お釈迦様の心眼である一切善悪の凡夫の相に本願成就の無碍光如来を観知する時を「教我正受」であり金剛の真心であるといわれている。この正直に自らを度外視して近づいてくる方便において正受の金剛真心ですから、この正受もまた方便との関係を離れていない。その両方がなければならない。すごく難解なところです。
そして証巻では、一番がありませんから、この二番の「群生を見る者。罪みな除こる」と三番の「帰去来」に時間の経過がないのですね。群生を見るがそのまま帰去来である。するとこの群生を見るとは、過去の業を観るにとどまらず、流れ出す光とともに、浄土へ生まれようとするいのちの姿を見るのであり、大悲の光に、群生と生れ出るいのちのコントラストを見ているのでしょう。それを「瑠璃地に下」の二番と三番をもって顕されるのではないかと思っております。
これまで話した内容をもとにすると、果とは弥陀の報土でありますからお浄土のことです。それはお釈迦様の心眼による一切善悪の凡夫の相に本願成就の無碍光如来を観知する時であります。この時が正受であり金剛の真心だといわれている。その果に近づいてくるもの、もしくは促されていく何か、その様々なはたらきを因というのでしょうから、方便もその因のひとつですね。しかしそれにとどまらず、その全てが阿弥陀如来の清浄願心の回向成就されたものである。親鸞聖人は証巻の御自釈で「それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。かるがゆえに、もしは因もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし。因浄なるがゆえに、果また浄なり、しるべしとなり。」と述べられておられます。
私たちは「おかげ様」という言葉をよく使います。これは今こうしておるのも皆様のおかげでございましたということですね。自分一人でこうしておれることじゃなかった。しかし本音はおれもかなり努力したからこうなったのだと多少は思っている。しかし事実から見ればおかげ様である。このように客観的に事実から見ればおかげ様が出てくる。おかげ様を身につければ事実から我が身を見る習慣がついてくる。おかげ様には事実がついている。
「一事として、阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし」と、何か舌がもつれそうな言い回しに思うのは、果として、ここに阿弥陀如来の大悲の報土を観知した事実に、これまでの全てが阿弥陀如来の清浄願心の回向に他ならなかった、と、そう言い得たのではなかったかということでした。
それから還相回向について少しばかり話しておきます。行巻に還相回向の続きが載せてあります。旅の終わりが旅の始まりであり、旅の始まりが旅の終わりを含んでいる。行巻を話す機会があればまた考えることにしまして、証巻における還相回向について自分なりの感想を少しだけ述べることにしました。といってもよく読んだわけではありませんから、何かしらの感想であります。
曇鸞大師は『論註』の初めに「修多羅とは、十二部経の中で仏が直接説かれたものを修多羅という。つまり四阿含の三蔵などがこれである。三蔵以外の大乗の諸経もまた修多羅と名づける。この偈の中で修多羅に依るというのは、三蔵以外の大乗の修多羅であって、阿含などの経ではない。」といわれます。阿含はお釈迦様が直接に説かれたとされる経典です。後に時代の変遷で大乗仏教が興り大乗経典が登場します。『無量寿経』もその一つですが、曇鸞大師はこの『無量寿経』を阿含ではなくて、三蔵以外の大乗の修多羅だといわれる。三蔵とは仏教体系総称です。また『無量寿経』は大乗の経典でありますから大乗の修多羅です。ところが曇鸞大師はこの『無量寿経』は三蔵以外の大乗の修多羅であるといわれる。曇鸞大師は大乗仏教の枠にとらわれない自由な発想をもっておられるのかなと思いますね。
『観経疏』の「瑠璃地の下」は「水想観」の中にあります。この「水想観」は「氷想観」になり「瑠璃地の下」そして「瑠璃地の上」に分かれます。今回はその内の「瑠璃地の下」を述べたことになりますが「瑠璃地の上」がまだ残ってるでしょう。「瑠璃地の下」が過去なら「瑠璃地の上」は当然未来でしょうね。すると「水想観」の心の素地を通して「瑠璃地の下」を過去、「瑠璃地の上」で未来を説かれるのでしょう。これらを纏めたのが次の「地想観」だと思いますが、この「地想観」において「ほぼ極楽国土を見る」と経典にはあります。で、曇鸞大師もこの「地想観」に着眼点を持っておられるのではないかと思っていますが、これを説明すると長くなるので省略します。でもまあ、そういうことではないかと思っているわけです。
『観無量寿経』の「定善義」は十三観あります。「水想観」は第二番、「地想観」は第三番目です。無量寿を観る経典でありますから、ほぼと書いてあるからといって、極楽国土をざっと観る経典ではありません。本来、無量寿仏と国土を観るのは第八の像観と第九の真身観のところです。そこには「ほぼ」なんてついてないのですね。「ほぼ」とはまだ大ざっぱということでしょう。それにもかかわらず「地想観」に着眼点も持たれるのはどういうことだろうか。親鸞聖人もおそらくそうだと思います。
道綽禅師は曇鸞大師の碑文に感銘を受けられて玄忠寺で『浄土論註』と『観無量寿経』を研究された。善導大師はその道綽禅師に逢いに玄忠寺に行かれます。そして後に『観経疏』を顕されました。『観経疏』の結びのところです。「某(それがし)、いまこの『観経』の要義をい出して、古今を楷定せんと欲す。もし三世諸仏・釈迦仏・阿弥陀仏等の大悲の願意に称(かな)わば、願わくは夢の中(つい)にして、上の所願のごときの一切の境界諸相を見ることを得しめたまえと。仏像の前にして願を結しおわって、日別に『阿弥陀経』を誦すること三遍、阿弥陀仏を念ずること三万遍、心を至して発願す。すなわち当夜において見るらく、西方の空中に、上のごときの諸相の境界、ことごとくみな顕現す。雑色の宝山百重演千重なり。種々の光明、下地を照らす、地は金色のごとし。中に諸仏・菩薩ましまして、あるいは坐しあるいは立し、あるいは語しあるいは黙す、あるいは身手を動かし、あるいは住して動ぜざる者あり、すでにこの相を見て、合掌して立観す。やゝ久しくしてすなわち覚(さ)む。覚(さ)めおわって欣喜に勝(た)えず。こゝにすなわち義門を条録す。」
某(それがし)は善導大師のことですね。この結びの解釈ではなく全体の感想を述べるなら、ここで善導大師は大悲の光明に諸仏・釈迦仏・阿弥陀仏の夢を見るといわれます。「種々の光明、下地を照らす、地は金色のごとし」の下地を照らすとは「瑠璃地の下」でありましょうか。そして「地は金色のごとし」は「地想観」のことでしょうか。大悲の光明が下地を照らして金色になり、諸仏・菩薩の相を顕すと、このような表現もできるかなと思います。善導大師は諸仏の心象世界を否定したのではなくて、曇鸞大師の心象世界を自性清浄としながらも、夢の世界にいれ、その夢と事実との乖離を否定しなかったのでしょうか。
ただ、なぜこの辺りなのかなと思うのですね。この辺りというような漠然な言い方になりますが、ほぼ極楽世界を観るのですから、この辺りでもいいかなと思います。そこで思いあたることがひとつあります。これ主体が凡夫なんですね。我ら凡夫という言い方がいいかもしれませんね。我ら凡夫においてこの辺りが着眼点である。そこに曇鸞大師がおられ、道綽禅師がおられ、善導大師がおられる。そして親鸞聖人もまた我ら凡夫に立っておられる。
この曇鸞大師から道綽禅師そして善導大師に一連の流れを観たときに、親鸞聖人のお気持が少し見える気がするのですね。これを本願の歩みと言って良いのかどうか分かりませんが、本願の歩みといえるなら、親鸞聖人もまたこの本願の歩みに生きられたお方であると言えるのかなと思っております。還相回向が証巻の後半に載っていますが、教行信証が我ら凡夫における本願の歩みであることを、未来に向けて発せられたものではないかと思っております。
証巻 正定聚について その④
令和6年3月20日 春彼岸会より
今日は前回の続きなので、「安楽集」の後、『観経疏』からの引用文「序題門」です。
「弘願というは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり。また仏の密意弘深なれば、教門をして暁(さとり)難し。三賢・十聖測(はか)って闚(うかが)うところにあらず。いわんや我信外の軽毛なり、あえて旨趣を知らんや。仰いで惟(おもん)みれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼(かしこ)に喚(よ)ばい此(ここ)に遣わす、あに去(ゆ)かざるべけんや。ただ勤心(ねんごろ)に法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし。」
この文は『観経疏』「序題門」の最後のところです。また、親鸞聖人は若干この語句を変えておられますが、後程述べることにして、まずはこの引用文の位置づけからしてみたいと思います。
「序題門」は『観経疏』「玄義分」の初めにあります。観経の教義の奥義を述べる初めの部分でありまして、全体の奥義を簡潔に述べられたものだと思います。『観経疏』は『観無量寿経』(観経)を善導大師が註釈し、「玄義分」と「正宗分」の二つに分けてあります。また「正宗分」では「序文義」「定善義」「散善義」の三つに分けてありまして、この内の「定善義」「散善義」が要門と言われるところです。
この「序題門」は短文で格調高く表現されています。まず仏教のいう法性、お釈迦様の出家の理由、お悟りとその後の教化の歩みなどが書かれていますが、何分格調高いので何となくは分かりますが、いざ表現しようとしてもとてもできないので、そこは省略してその次から始めることにします。
「しかるに衆生障り重くして、悟りを取るの者明らめ難し。教益多門なるべしといえども、凡惑遍攬(ぼんわくへんらん)するに由(よし)なし」。この由なしは、手立てがないという意味ですから、要約すれば、衆生は障りが多くて悟りを得るのが難しい。お釈迦様の教えは実りが多くても、凡夫の心は惑いが遍満しているので、せっかくの教えを受けとる手立てがない、と、このように読めば何とか内容に沿っているかなと思います。
次が、「たまたま韋提請を致して、我いま安楽に往生せんと楽欲(ぎょうよく)す。ただ願わくは如来我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえというによる。しかるに安楽の能人は別意に弘願(ぐがん)を顕彰す。」と、なりますが、韋提は韋提希のことですから、韋提希が阿弥陀仏の安楽国土(浄土)に往生したいと請い願い、その浄土の思惟と正受を教えて下さいとお釈迦様に願ったと書いてあります。お釈迦様はその韋提希の願いに応えて、広く浄土の要門を開いた。そして、安楽の能人、つまり阿弥陀仏は別意に弘願を顕彰した、と、このようになるでしょか。で、この韋提希が阿弥陀仏の浄土を選んだところですが、ここの所を「別撰所求」というふうに言われています。
この「別選所求」ですが、その前段に、牢獄に閉じ込められた韋提希が、自分の境遇を嘆き「我がために優悩なき処を説きたまえ」と嘆願するところがありまして、経典の意訳では「この濁悪処は地獄・餓鬼・畜生盈満(ようまん)して、不善の聚(ともがら)多し。願わくは我れ、未来に悪声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かいて、五体を地に投げて、求哀し懺悔す。唯、願わくは仏日、我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ、と」なっています。この最後の所を「教我観於清浄業処」と経典には説かれているわけです。ここはまた後から出て来ますから覚えておいて下さい。
で、お釈迦様はこの「教我観於清浄業処」に応じて、眉間の白毫から光を放たれて、その光の中に諸仏の浄妙なる国土を現わされます。しかし、韋提希はその光の中の浄妙な国土を断り、阿弥陀仏の浄土に生れることを願うのですね。「世尊、このもろもろの仏土、また清浄にしてみな光明ありといえども、我いま極楽世界の阿弥陀仏の所に生れんと楽(ねが)う。唯、願わくは世尊、我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえ」と、意訳にあります。ここが先ほどの「別撰所求」の所ですね。今日はこの「別選所求」にスポットをあてながら話そうかなと思っております。
では、「序題門」の続きにもどりますが。次に要門のことが書いてあります。「その要門とは、すなわちこの『観経』の定散二門これなり。定(じょう)はすなわち慮(もんぱか)りを息(や)めてもって心を凝らす。散はすなわち悪を廃してすなわちもって善を修す。この二行を廻して往生を求願せよとなり。」
定は定善義、散は散善義のことです。この定の「慮りを息めて心を凝らす」とは、目の前の色んな思いを止めて、私たちはいつもいろいろ考えているでしょう。ああでもない、こうでもないと、内容の良し悪しはともかく暇なく考えている。そういう考えることをいったん止めて、心に集中することです。散善は、悪を捨てて善を修するですから、善いことをして悪いことをするなということですね。そんなこと三歳の子供も知っておるではないか、と、言われるのは承知でありまして、善悪は人間の思いと深く関わっていますので、それぞれの人の都合で様々に善悪は変容する。だから生涯を通してこの散善を成し遂げる者はいるだろうかと問われるのですね。この散善義に臨終往生が説かれています。それがこれまでよく出て来ます上品・中品・下品の往生ですね。
ここからが初めの引用文です。「序題門」では、「弘願と言うは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得る者はみな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしとなり」となっているようですが、証巻では「弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり」と少し違っているようであります。そこの処もまたこだわって行きたいと思っております。
で、安楽の能人は別意に弘願を顕彰すとありますが、それでは阿弥陀仏が別意に弘願を顕彰するのはどの辺りかと言うと、それは韋提希が阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う時ですから「別撰所求」においてということになります。しかし、韋提希は散善義の最後「下品下生」で無生忍を得るのですから、阿弥陀仏の弘願が韋提希に顕彰されるのは「下品下生」ではないかとも思うのですよ。しかしここでは、「別選所求」で弘願は顕彰されていることになっています。
『観経疏』を拝読しますと、この「別選所求」のところはどのように述べられているか。まず「玄義分」では「すなわちこれ韋提みずからために別して所求を選ぶ」と、韋提希がみずから選んだのだとなります。また「序文義」の方でも同じように「まさしく夫人別して所求を選ぶことを明かす」ですね。両方とも、韋提希みずからが阿弥陀仏の浄土を選んだと書いてある。しかし、「序文義」の方ではその次に「如来ひそかに夫人を遣わして、別して選ばしめたもうことを致す」とあります。つまり、韋提希はみずからが阿弥陀仏の浄土を選んだのだといいながら、また、韋提希はすでに阿弥陀仏の大悲に摂取されていて、阿弥陀仏の浄土を選んだとも述べられる訳です。
すると、阿弥陀仏の弘願の顕彰を「別撰所求」に観るとしても、韋提希が「下品下生」で得た無生忍までの過程をもって、阿弥陀仏の別意の弘願は顕彰されているのだという言い方にもなると思うのですね。しかし、阿弥陀仏の四十八願は、韋提希にのみにあらず、普く衆生を悲しんで発(おこ)された願ですから、韋提希の「別選所求」の前段である、牢獄でお釈迦様に嘆願して「我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ」という、つまり「教我観於清浄業処」のところですが、この韋提希の願いもまた阿弥陀仏の弘願の促しではないか、それどころか、そもそもこの観経の成り立ちから全てが阿弥陀仏の弘願があらわされているのである、と、このような解釈にはならないか。
もし阿弥陀仏の別意の弘願が、韋提希の「別選所求」で顕彰されるのならば、この「別選所求」において、阿弥陀仏の浄土を選ぶきっかけが何かなければならないでしょう。それでは何故、韋提希はお釈迦様が現した諸仏の浄妙なる国土を断って、阿弥陀仏の浄土に生れたいと願ったのでしょうか。
善導大師は、韋提希が阿弥陀仏の浄土を願う、つまり「別撰所求」を、韋提希みずからの選びがなければ、韋提希自身の願いがどんなに強くても、なお、惑いが生じるといわれています。だからみずからが選ぶために、まずはもって、それぞれの諸仏の国土を現わしたのだと、こういうふうにも言われています。しかし、その次に「優なるを隠して独り西方の勝なるを顕すべし」と述べられます。これは、お釈迦様の優なるを隠して、独り西方阿弥陀仏の勝れたることを顕すべしということですから、次の言葉にも置き換えることができます。「しかるに二仏の神力まさに斉等なるべし。ただ釈迦如来己が能を申べずして故(ことさ)らにかの長をあらわしたもうことは、一切衆生を斉しく帰せしめざることなからしめんと欲してなり。」この二仏とはお釈迦様と阿弥陀仏ですね。神力はここでは優れているということですから、その優れた力はともに等しいが、お釈迦様の優なるを隠して独りかの長である阿弥陀仏の勝なるを顕すべし、です。
皆さんは忘れたかもしれませんが、この置き換えたものは、前回の「安楽集」における正定聚の文です。何故、韋提希は浄妙なる諸仏の国土を選ばずに、阿弥陀仏の浄土を選んだのか。そのヒントがこの文の最後にあります。「一切衆生を斉しく帰せしめざることなからんと欲してなり」です。
この、一切衆生を斉しく帰せしめようと願う阿弥陀仏の弘願が今日のテーマになっております「弘願と言うは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなし」ということになります。そこで、この「生を得るは、みな」の「みな」とはいったい誰のことを言われているのかなとまず思うのですね。
一切善悪の凡夫ですから、この一切善悪の凡夫において、阿弥陀仏の浄土に生を得るものは「みな」と、普通ならこのように読むのかなと思います。また、厳密に言うなら、一切善悪の凡夫の中で、韋提希のように阿弥陀仏の浄土に生れることを願う者は「みな」と、このようになるかなとも思います。すると、韋提希と同じように「別選所求」という自発的な選びが必要でしょう。ところが、韋提希の周囲には、韋提希の無生忍に感化されて、阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う五百の侍女がいました。これは阿弥陀仏の四十八願が普く衆生を摂取していて、韋提希の周囲のものがそれに感化され、みずからも浄土に生れようと願いを発(おこ)すのです。だから、韋提希をはじめそのような「みな」は、阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしということですね。まあ、普通ならこのようになるのかなと思うのです。
善導大師はこの無生忍のことを「定善義」の第七華座観でも述べています。「弥陀を覩たてまつって、さらにますます心開けて忍を悟なり」。また「散善義」の「下品下生」では、「まさしく夫人第七観のはじめにおいて無量寿仏を覩たてまつる時、すなわち無生の益を得ることを明かす」と、第七観の無生忍を述べています。問題は「ますます心開けて」ということですが、「定善義」の第七観で無量寿を覩(み)たてまつり、そして、ますます心が開けて忍を悟るのですから、これは第七観で韋提希が阿弥陀仏に摂取されていく過程を言われているのでしょう。
それでは、韋提希は「別選処求」で諸仏の浄土を断り、阿弥陀仏の浄土に生れることを選びました。そして、「定善義」の第七華座観でますます心開けて忍を悟り、「散善義」の「下品下生」で無生忍を得たことになりますから、『観経』には阿弥陀仏の別意の弘願が全体に流れていて、「定善義」と「散善義」の要門を説きながら、別意に阿弥陀仏の弘願が韋提希をして顕かにされていくのだ、と、このようになります。しかし、これをもって弘願をおさえて、証巻の「安楽集」の引用のあとに措くと、今回の文が読めなくなるのです。
親鸞聖人は韋提希の「別選所求」を、「韋提別選の正意に因(よ)って、弥陀大悲の本願を開闡(かいせん)す」と「化真土巻」に顕されています。開闡は開き明らかにすることですが、これは韋提希の別選の正意を因として、その因によって弥陀の本願が開き明らかにされたと、このように読むのでしょうか。実は、ここからが今日の本題でありまして、親鸞聖人はこの「別選所求」において、弥陀大悲の本願が開闡すと言われています。つまり、阿弥陀仏の弘願を、韋提希が阿弥陀仏の大悲に育まれていくといったような時間の経過には見ないで、「韋提別選」というひとつの出来事に見ておられることになると思うのですね。
何故、韋提希はお釈迦様の現した浄妙なる諸仏の国土を断って、阿弥陀仏の浄土に生れんと願ったのか。その「別選の正意に因って弥陀大悲の本願を開闡す」ですから、韋提希をして阿弥陀仏の浄土を選ばしめたその正意とは何かということでしょう。そして、その韋提希の正意に向かって弥陀大悲の本願が開闡している、そのことを親鸞聖人は弘願と言われているのではないでしょうか。
ここで、「別選所求」の前段に戻りますが、韋提希は「この濁悪処は地獄・餓鬼・畜生盈満して、不善の聚多し。願わくは我、未来に悪声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かいて、五体を地に投げて、求哀し懺悔す。唯、願わくは仏日、我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ」、この「教我観於清浄業処」ですが、この「清浄業処」を化身土巻には「本願成就の報土なり」と言われます。韋提希が願った「清浄業処」が本願成就の報土だということは、その「清浄業処」に向かって弥陀大悲の本願が開闡す、と、いわれていることになると思うのですね。
そこで、今日のテーマである「弘願というは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなし」を読むことになりますが、この「一切善悪の凡夫、生を得るは、みな」の「みな」は、さっきまでの読みでは、韋提希のように阿弥陀仏の浄土に生れんと願うところの「みな」は、阿弥陀仏の大願業力に乗じて(無生忍を得る)増上縁とせざることなし、と、このようになるかなと思いますが、証巻では、この弘願文だけが引用されていますから、そのようには読まない。
では、どのように読むか。「生を得るは、みな」をそのまま読む。一切善悪の凡夫は、一切だからこれも「みな」です。その「一切善悪の凡夫のみな」において、生を得るは、の「みな」ですね。その生を得る「みな」が阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしですから、一切善悪の凡夫である「みな」と、生を得るは、の「みな」は違いますね。では、この生を得るはとは何かということになります。そしてこの生を得るところの「みな」は阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしです。
すると、一切善悪の凡夫の一切は「みな」であり、その中に生を得る「みな」があるでしょう。この一切善悪の凡夫の「みな」と、生を得る「みな」は何が違うのでしょうか。まず、この一切善悪凡夫の「みな」は、一切ですから過去・現在・未来の一切善悪の凡夫です。すると私たちもそれぞれその「みな」の独りです。
韋提希はまず、清浄の業処を観たいとお釈迦様に願うわけですね。その時にお釈迦様は、眉間から放たれた光の中に諸仏の浄妙なる国土を現わしました。この諸仏の国土が、韋提希が観たいと願ったはずの「清浄業処」です。親鸞聖人の「韋提別選」における正意とは、この清浄業処であり、その清浄業処に向かって弥陀大悲は開闡すと言われていると思うのですね。だから韋提希はまずこの清浄業処を観たいと願うわけです。そこでお釈迦様はその清浄業処を浄妙なる諸仏の国土をもって現わされたのですね。
この浄妙なる諸仏の国土とは何か。それは、お釈迦様が見ている一切善悪の凡夫の姿ではないでしょうか。しかし凡夫は自らを一切善悪の凡夫だと知らない。凡夫の関心ごとは自分なのですね。だから自分における清浄なる業処が観たい。しかし、お釈迦様の眼は、一切善悪の凡夫であるがゆえに一切は浄妙なる国土であると、一切善悪の凡夫の「みな」に浄妙なる国土を見ている。このお釈迦さんの眼における浄妙なる国土の世界に、すでに弥陀大悲の本願が開闡されているのだということでしょう。韋提希は何か気づいたのではないですか。
で、ここまでを要約すると、「弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫(において、お釈迦様の見る浄妙なる国土に)、生を得る(ところの善悪の凡夫)は、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり」と、こういうふうになるかと思います。
この「生を得るは、みな」とは、正定聚を輝かすところの深淵なる業の闇をいうのであり、その業の闇をも、お釈迦様は清浄業処の浄妙なる国土として見ておられることになります。その清浄業処にひときわ輝く正定聚の諸仏を見る。その「生を得るは、みな」が阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしです。親鸞聖人は、このお釈迦様の心眼である「清浄業処」に、弥陀大悲の本願が開闡されるのを、増上縁と見ておられることになるのではないでしょうか。
そして、この弘願の次に、「また仏の密意広深なれば、教門をして暁(さと)りがたし。三賢十聖測りて闚(うかが)うところにあらず。」と、まだまだ密意は深く広いので、教門を顕かにしたのではない。そして「況や我信外の軽毛なり。あえて旨趣を知らんや」です。まだまだ信には浅く仏の旨趣を知っているのではない。「仰ぎ惟(おもん)みれば、釈迦はこの方に発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼(かしこ)に喚(よ)ばい此(ここ)に遣わす。あに去(ゆ)かざるべけんや。」この「あに去かざるべけんや」は、どうして去らないでおることができようか、と、いうことでしょうか。去をゆく読みますから、どうしてゆかないことがあろうかと読むのでしょうね。だから、まだ去かないで此にいるということですが、ここにはすでに弥陀が来迎しているから、去かないことがないではないか、と、このように読むのでしょうね。
不思議な表現で、漠然とした感想しか言えませんけど、何か確かなものを見る佇まいですね。そして「ただねんごろに法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし、と」。この「畢命を期(ご)として」は命が終わるときをまって、そして「この穢身を捨てて」は、煩悩具足の凡夫の身を捨てて、「法性の常楽を証すべし」です。命が終わるときに煩悩具足の身を捨てて、法性常楽を証するのである、と、親鸞聖人の信心の深みを、この証巻に顕されたところだと思っています。
ブログに関するご質問
「教巻への一考察」についての感想
「教巻への一考察」をブログに載せてしばらくが経った。書いた直後はあまり見たくないのでそのままにしておいた。読み返すと(いつものことだが)表現の至らなさと内容の乏しさを痛感する。いまさらではあるが、少しばかりこの「教巻への一考察」についての経緯を述べてみようと思う。まず、この「大」と「無量寿」の関係を、それもやや無理やりであったが、ア・プリオリの概念と結び付けた。これは証巻にときにカント(ドイツ観念論)を意識していたので、それならばと、教巻においても同じことが言えるだろうということでア・プリオリの思考を用いた。結果意外なことに変換が必要になる。そしてその変換が観経における浄土と阿弥陀仏の関係を思い起こさせたのは意外だった。カントが親鸞を知っていたとは考えにくいし、もし知っていたならこの変換も必要がなかっただろう。そして親鸞がカントを知っているはずはない。親鸞とカントとの関連は謎のままである。
次に親鸞の語句の読み変えである。意図的な読み変えなのは間違いない。後程この問題は現れてくる気がするが、釈尊その人という具体性がおそらくキーワードではないかと思っている。ブログにもそれを思わせぶりに書いたつもりである。
証巻 正定聚について その② 曇鸞における自性清浄浄土の定義としての考察
エトムント・フッサール著『イデーン』Ⅰ―1 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想
第一巻 純粋現象への全般的序論 渡辺二郎訳
第三章「純粋意識の領域」
第四十八節 「われわれの世界を離れてその外にある世界というものの、論理的可能性と事象的背理」
『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門の編集後記
『論註』に興味のない人にはつまらないものになったかもしれません。引用文が長いのでそれだけで目を通したくなくなりそうなものでもあります。法話としてかなり無理な試みではありますが、この讃嘆門は以前からクリアしたいところでした。当の本人はというと、けっこう満足しております(笑)。問題点は多々ありそうですが、目下のところはこの程度だろうと一息付けた感じです。しかし、少し時間が過ぎて改めて見直した時に、のっぺらぼうな文章が羅列されているだけのようにも感じました。解読としたら、現時点ではこれ以上のものは自分にはありませんが、法話としたら及第点にも至っていないでしょう。ここで一点だけこの讃嘆門を説明したいと思います。三信三不信の問題でありますが、このヵ所は前日まで書けなかったところです。原稿を構成する暇もなくて、法要の当日に加筆し訂正したところもあります。意味そのものが分からずに戸惑っていたときに、これは付け加えられたものだという思いが飛び込んできました。実感としたらそういったものです。実相身為物身の問題はわりと早くから想像はついておりましたが、三信三不信はそこに付け加えられたものだという発想そのものがなかったのです。考えて見れば、「我一心について」で述べたものがここに出てきただけですが、当の本人はそれにぜんぜん気づかずに悪戦苦闘していたわけです。『論註』はすごく難しくていったいどこまで行けるのか分かりませんが、もう少しだけなら行けるかもしれない、そういう感覚で次回も考えております。のっぺらぼうの文章も悪戦苦闘の末にできた荒れ地の跡である、と想像していただければ幸いです。
観経疏の発菩提心に思う事
本来はこういう発菩提心を話す予定ではなかった。この散善顕行縁はどこか素通りしていたので、こういう壁が有ったことが自分としては驚きだった。分かったつもりで過ぎた処にかなり苦しめられて、結局この発菩提心が主題の原稿となった次第である。最後のヵ所は何回も書き直した場所だ。まだ消化不良の多い所であるがひとまず結論的に置くことにした。親鸞聖人が比叡に居られるころに観経疏はすでに読破されていたと考えるのはかなり前からである。ただ、この原稿が法話として成立するかどうかと考えた時に、ずいぶんと乱暴な原稿だなと思う。もっとざっくばらんに書きたかったなあ。
(自灯明・法灯明)と念仏についての考察
この「(自灯明・法灯明)と念仏」は、聖覚法印の『唯信鈔』を意識して、曽我量深選集の歎異抄聴記の第二条を述べたものである。選集第二条における法の引用文をもとに『唯信鈔』を現代タッチに表現しようと思った。理由は、歎異抄第一条と第三条を続けて構成しようとしたら失敗した経緯があり、この第二条は別の角度からのアプローチが必要だと考えたからである。法の深信とは自己規定を法から示されるものなのかもしれない。また規定として示すとは、法との関係において示すのであり、いうなれば関係性という形である。それに対して機の深信は、法との関係によって現れる自己の深まりである。深まりは動詞であり、深まりつつある自己の姿を現すのだろう。第一条からいきなり第三条へと飛べない理由が、この法との関係を前提にしなければ困難だからだと思ったからである。それを『唯信鈔』をもって表そうとしたわけはまだ自分でもよく分からないところであるが『唯信鈔』が元来そういうものだということなのだろうか。しかしながら当初からそいう事を考えて原稿を作成したわけではない。後から考えたらそういうことじゃないだろうかと思っているだけだが、布石という理由で、ひとまず初めに措いておこうとしたのは確かである。
歎異抄第3条の編集語録
彼岸会での原稿を纏めていたら後半が煩雑になっていることに気がついた。意識とこころ、こころと無意識、身体と無意識。不明なことが多い中で話を進めるのが難しかった。なんとか自分なりに纏めたつもりである。法蔵菩薩の問題は第3条から登場するのはある面必然的だと思うので付け加えている。
「気遣い」と「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを」
「不安」編ではハイデガーの『存在と時間』について自分の所見を書いてみた。そこにおける気遣いは、親鸞における善悪の問題と共通点が多い。正像末和讃で「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがほは おおそらごとのかたちなり」と親鸞は述べている。この「よしあしの文字」だが、これを「気遣い」と「不安」の関係に見るなら、それは「気遣い」における意識関係の前後になる。無に対して「不安」「居心地の悪さ」から発して何かを気遣うまでの過程を気遣いの前後とするなら、親鸞における「よしあしの文字もしらぬひとはみな」は気遣う前の段階である。それはハイデガーにおいては、そこにあるのは「不安」における心の動きだけであって、気遣う処の具体的な内容は無い。これをもしこの和讃に当てはめるなら、それが「まことのこころ」であり、ハイデガーでは身体的な機能に属する意識のあり様ということになる。そして「善悪の字」は気遣う内容を言葉にしたものだろうから、それは何かを意識するということであり、「善悪の字」は「気遣い」として見ても「おおそらごとのかたちなり」なのだ。共通するものは他にも多く見ることが出来るかもしれない。だからと言って全てが同じだということでもないだろうが。そしてすでに十数年たっているのでかなり忘れしまった。こういう論理的な構築は様々な所見の取り扱いに対して目安になる事があるのでとりあえず書いておくことにした。
宝樹観について
数年ぶりに宝樹観を読み直し編集してみたが、迷路に入ったりでとりとめがなくなった気がする。当時の法話原稿とはかなり違ったものになったが、まずはこんな話を黙って聴いていただいた申し訳なさが感想である。これは宝樹観本文全体をまとめた感想を構成としているので、意味内容よりもその関係の仕方が中心になっている。課題の多いヵ所だったことを肝に銘じてひとまず宝樹観を終了することにした。