行巻その② 龍樹(十住毘婆沙論)Ⅰ

令和7年3月20日 春彼岸会より

「しかれば、「南無」の言は帰命なり。「帰」の言は、至なり。、また帰説(よりたのむ)なり、設の字、税の音(こえ)、また帰設(よりかかる)なり、説の字は、税の音(こえ)、悦税二つの音は告ぐるなり、述なり、人の意(こころ)を宣述(のぶ)るなり。「命」の言は、業なり、招引なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計(はからう)なり、召(めす)なり。ここをもって、「帰命」は本願召喚の勅命なり。「発願回向」と言うは、如来はすでに発願して、衆生の行を回施したまうの心なり。「即是其行」と言うは、すなわち選択本願これなり。「必得往生」と言うは、不退の位に至ることを獲ることを彰すなり。『経』(大経)には「即得」と言えり、『釈』(易行品)には「必定」と云えり。「即」の言は、願力を聞くに由って、報土の真因決定する時剋の極促を光闡せるなり。「必」の言は、審(あきらか)なり。然(しからしむ)なり、分極なり、金剛心成就の貌(かおばせ)なり。」

これは、教行信証の行巻途中にある御自釈です。予定としてはまだ先になります。でも、ここまでを一つの区切りにしているので、無事にたどり着くかどうか分かりませんが、とにかくこの御自釈を目指して読んでいくことになります。

それでまず、この御自釈の感想を少しだけ述べてみたいと思いますが、まず、南無阿弥陀仏の「南無」は音写ですから、意味は「帰命」ということである。その「帰命」を、「帰」と「命」とに分けてあります。もうすでにこの辺りからよく分からない訳ですね。それでこれをもっと立体的に出来ないものかと考えていまして、この文から少しだけ抜き出して、視野を広げてみたいと思います。

「「帰」の言は、至なり。また帰説(よりたのむ)なり、説の字、悦の音、また帰説(よりかかる)なり、説の字は、税の音、悦税二つの音は告ぐるなり、述なり、人の意を宣述(のぶ)るなり。」

この文には、まず「「帰」の言は、至なり。」と書かれています。そして「帰」は帰説(よりたのむ)であり、説の字は悦の音(こえ)で、帰説(よりかかる)ということであり、これらは人の意(こころ)をしっかりと述べたものである、と、まあ、これでいいのでしょうか。

そこで、まずこの「至」が、その意(こころ)よりも深く、それこそ何か根本的なものを指しているとするなら、帰説の帰は、その根本(よりたのむ)のだということになるでしょうか。そして帰説の説は悦であり、(よりかかる)ということである、と、このようになるかなと思います。

「帰」をこのように言われていることになりますが、しかし普通に考えてみても、この帰命の帰も命も称えるこちらの問題でありますから、それ以上に何かあるのかということですね。しかし、ここでは帰はまず至であると言われます。すると、この至は何かということから考えなければならない訳です。

それで、この「至」を、さきほど私の存在よりも深く、それこそ何か根本的なものではないかと言いました。するとこの「帰説(きえつ)の帰」は、称える私の意よりも深く、何かその根本に至るところ(よりたのむ)ということになり、「帰説(きさい)の説」は、悦であり、その根本に(よりかかる)ことへの表現だということになるでしょうか。

このように読んでいくと、まず帰は至であるということ。そして、それは私たちが普通に考えているよりも何か深い意義があるということですね。そしてこの帰は帰説であり、よりたのむと、よりかかるの二つのことを言われている。

しかし、この「至」を、私の存在よりもっと深く、何か根本的なものだと言いましたが、それが何なのかも分からない訳ですし、またそれでいいのかどうかも定かではないのですね。だからこの時点では「至」とは何か分からない訳ままですが、とにかくこのことを念頭におきながら読んで行かなければなりません。

今回から、この御自釈へ向かって歩きだすことになります。親鸞聖人はここに七高僧から龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師の五人の高僧を挙げておられます。だからこれらを通らなければたどり着けないのですね。出発ぐらいは元気に行きたいものですが、はたして無事にたどり着くかどうか。とにかく始めたいと思います。

それで今回から龍樹菩薩を見ていくことになります。龍樹菩薩は西暦二世紀から三世紀に活躍されたお方です。詳細はよく分かっていないと言われています。それでも八宗の祖であり、日本仏教のすべての宗派の祖だとも言われます。多くの論書が残されていながらも、龍樹菩薩ご自身のものか不明なものも多とのことです。その中で今回の「十住毗婆論」はご本人の論だと言われているものです。

聖人はこの「十住毘婆沙論」から四ヵ所を引かれておられまして、それが「入初地品」「地相品」「浄地品」「易行品」です。この四品をもって聖人は何を言われよとされるのか、そしてそのお心は何かということです。

それではまず「入初地品」から始めます。「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。世間道を転じて出世上道に入るものなり。「世間道」をすなわち「凡夫所行の道」と名づく。転じて「休息(くそく)」と名づく。凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死(まよい)に往来す。これを「凡夫道」と名づく。「世間道」は、この道に因って三界を出ずることを得るがゆえに、「出世間道」と名づく。「上」は、妙なるがゆえに、名づけて「上」とす。「入」は、正しく道を行ずるがゆえに、名づけて「入」とす。この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づく、と。」

文のはじめに「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに」とありますね。この「家」は「家清浄」のことです。この文の前に書いてあります。

「「入初地品」に曰く、ある人の言わく、「般舟三昧および大悲を諸法の家と名づく、この二法よりもろもろの如来を生ず。」この中の般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。(中略) 家に過咎なければ家清浄なり。 (中略) 般舟三昧・大悲・諸忍・この諸法清浄にして過(とが)あることなし。かるがゆえに「家清浄」と名づく。」

この続きが「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけれん。世間道を転じて出世上道にいる・・」になります。

この「家清浄」ですが、これについては後程考えることにしまして、まずは「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。世間道を転じて出世上道に入るものなり。「世間道」をすなわち「凡夫所行の道」と名づく。転じて「休息」と名づく。」のところから考えてみましょう。

そこでまず、この「家清浄」の菩薩が世間道を転じて出世上道に入る。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」に転じられる。それを「休息」と名づく、と、このように読んでいきます。

この菩薩、世間道を転じて出世上道に入るですから、まずは世間道がここにあることになります。一般論でもかまいませんが、何処の誰々の世間道だということの方が分かりやすくなるでしょか。それで、その誰かの世間道が転じられるということ。では、どのように転じられるかといえば、出世上道に入るということだ。

「凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死(まよい)に往来する。」要約すれば、凡夫道はつまるところ涅槃には至ることはない。何故ならまよいから出られないからである。これが「世間道」ですね。これに対して「出世上道」に入るとは、この「世間道」が「凡夫所行の道」に転じられるということであり、そしてこれを「休息」とも言う。

それでは、この菩薩とはどのような菩薩か。世間道を転じて出世上道に入る菩薩である。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」となり、これを「休息」とも言う。この菩薩が出世上道に入ることに因って「世間道」は生死(まよい)を出ることを得る、だから「出世間道」と名づける。

自己流の解釈ですが、おおよそ、こういうことかなと考えています。そして、この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づくですね。だからここまでの内容は初めからずっと「家清浄」の菩薩が書かれていることになります。そしてまた同時に「休息」は単に休むということではなくて、凡夫所行の道を見出すということであり、それを「休息」と言われている。そして休息には時間の短さを表現されているような気がする。この時間の短さはあえて付け足しています。

簡単にまとめると、「家清浄」の菩薩、「世間道」を転じて「出世上道」に入る。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」となり、この心をもって初地に入るを歓喜地という。

それで、次は問になっています。「初地、何がゆえぞ名づけて「歓喜」とするや、答えて曰く、初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし。菩薩この地を得れば、心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得。このゆえに、かくのごとき人を「賢善者」と名づくることを得」。これが「歓喜」の答えです。

それでまず、ここは初地がなぜ歓喜なのかという問いですね。答えは「初果の究竟して涅槃に至ることを得るがごとし」です。すると、「菩薩この地を得れば」ですから、まず、この菩薩は「家清浄」の菩薩のことですね。この菩薩がこの地を得れば、初果はきわめて優れ涅槃に至を得るがごとしである。「ごとし」とは「何々のようだ」ということでしょう。涅槃に至るとは書いてないのですよ。面白いですね、しかしこれどういうことでしょうか。

そしてまた、後の文では「初果を得るがごとし」と書いてあります。しかしここは、「初果の究竟して」ですから、初果のことです。そして次が初果を得るがごとしです。では、初めも初果のごとしかといえば、初果と書いてあります。不思議な文ですね。

そこでまず、この文言の間にあるのが「心常に歓喜多し。自然に諸仏如来の種を増長することを得」になりますが、ここはごとしではありません。

つまり初めは初果であり、次が諸仏如来の種の増長です。しかしその次は「初果を得るがごとし」となっているようですね。つまり初果はこの諸仏如来の種の増長と何か関わっていて、その増長とは何かといえば「初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし」である。この増長は、その度ごとに「諸仏如来の種を増長することを得」である。ただ、この増長は、時間の延長に観た場合と、断片的であり、なおその度に増長しているという場合があると思うのですよ。

断片的とは、結果としたら増長していることになるが、それは断片的であるということ。つまり不連続の連続であるということになるでしょか。そうしたら、まず初果であり、その次もまた初果である。そのそれぞれの初果に「心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得」ということである。その時は「心常に歓喜多し、諸仏如来の種の増長することを得」のである、と、このようになるかもしれません。

では、この後の「初果を得るがごとし」は何でしょうか。まず初果は断片的であり、時間の短さであるということなら、この「初果の究竟して涅槃に至を得るがごとし」の時と、次のその時に間があります。この間こそがその人の「世間道」であり「凡夫所行の道」だということではないでしょうか。だからこれは初果というよりも凡夫所行の道でありますから、この道は初果を得るがごとき道であるということでしょう。

そこで、「入初地品」の初めですが、「ある人の言わく」とありました。次が「家清浄」の菩薩です。そしてこの菩薩、「世間道」を転じて「出世上道」に入るですね。この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づく、です。そして、菩薩この地を得れば、かくのごとき人を「賢善者」と名づく、と、こういうことになっています。

で、この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づくですから、この心の主語は、「家清浄」の菩薩でしょう。すると普通なら初地の菩薩、世間道を転じて出世上道に入る、そのとき世間道は転じられて出世間道の地を得る。これが初地の菩薩の心である。この菩薩の地を歓喜地と名づく。このような言い方が出来るかも知れませんね。しかしこれ、これまでの全体を見たら変わってきます。

まず、初果というのは難しくて説明が出来ませんが、次の初地を何故歓喜と名づけるのかというところです。この答えが「初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし」ですので、この場合、初果の究竟して涅槃に至るとは、いったい何を指しているのかということすね。

仏教では、初果はまだ未熟であり菩薩の位ではありません。この初果が究竟して涅槃に至ることを得るがごとしですから、つまりは、初果でありながらも、それはきわめて優れていて、涅槃に至ることを得るがごとしだと書いてあることになります。

ここに少し言葉を付け加えてみます。すると、この菩薩、この地を得れば(かくのごとき人)、心常に歓喜多し、(その歓喜は)自然に諸仏如来の種を増長す、と、まず、このように読みます。すると、この地とはかくのごとき人の初果です。菩薩がかくのごとき人の初果に地を得ればとなりますから、菩薩が得る地はかくのごとき人の初果ですね。そのときかくのごとき人、心常に歓喜多しとなるでしょう。

しかし、ここでは菩薩この地を得ればとなっていますので、菩薩の心常に歓喜多しですね。そして、かくのごとき人の方は菩薩ではなくて「賢善者と名づく」です。

そこで、ここまでを簡単にまてめると、まず初めが、「ある人の言わく」です。そして「家清浄」の菩薩、その次が「かくのごとき人」ですね。それで「ある人」と「かくのごとき人」にそれぞれ固有名詞を入れてみます。教巻の沿っていくと、この「ある人」はお釈迦様、つまり釈尊のことになります。だから「ある人の言わく」は「釈尊の言わく」です。

釈尊はこう言われた。「家清浄」の菩薩が、かくのごとき人の初果を地にするとき、この菩薩とかくのごとき人は「心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得」。このときの、かくのごとき人を賢善者と名づく。こういうふうに読んで行くと、この「かくのごとき人」とは阿難尊者になります。教巻は釈尊と阿難の出遇いです。

「釈尊はこう言われた。阿難よ、汝は未熟である。しかしこの菩薩が汝の初果を地にしたとき、初果は究竟して涅槃に至ることを得るがごとくである。と、そのとき、この菩薩と阿難は心常に歓喜多くして、自然に諸仏如来の種を増長することを得た」と、まあ、このようになるのではないかと思いますが、どんなものでしょうか。

次に、この初地を得己(おわる)を「「如来の家に生る」と名づく」と、このように書かれています。この己(おわる)ですが、これはどういうことでしょうか。これはおそらくいのちが終わるのでしょうね。つまり一生を終えたとき、この菩薩もまた初地を得己(おわる)のですね。しかし、これまで観てきたのは、このようないのちの終わりではなかったと思います。それは断片的な連続の増長でありました。だからこの得己とは、その一つひとつの断片が己(おわる)のことであり、その一つひとつにおいて、この菩薩とかくのごとき人は初地を得己(おわり)「如来の家に生る」と解するべきではないでしょうか。しかしまた、「凡夫所行の道」においては、その人の一生のいのちが終わるときに「如来の家に生る」ことを成就するということも含まれているわけです。

そこでこの「入初地品」の終わりのところに興味深いことが書いてありまして、「この菩薩所有の余の苦は、二三の水渧のごとし。百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、無始生死の苦においては、二三の水渧のごとし。滅すべきところの苦は大海の水のごとし。このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。」これをどう読めばいいのですかね。

この前文にそのヒントがあります。「一毛をもって百分となして、一分の毛をもって大海の水を分かち取るがごときは、二三渧の苦すでに滅せんがごとし。大海の水は余の未だ滅せざる者のごとし。二三渧のごとき心、大きに歓喜せん。」

この一毛をもって百分となすは何か。百分を百回としたら、一毛の百回分、一生かけて百回、大海の水を取ったとしても、それはほんの少しだけであり、大海の水は未だ滅することがないこのと同じである。この二三渧ような心、大きに歓喜せん。

これに対して、この菩薩です。この菩薩はかくのごとき人と同じ場所にいながらも、また、菩薩のフィールドがある。このフィールドこそ無始生死の苦であり、たとえ菩薩が百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、菩薩の滅すべき苦は大海の水のようなものである。「このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。」

意味内容を詳しく述べることは出来ませんが、文脈とすればこのように読めるかもしれませんね。で、この文脈を見たら、まず一人のいのち、そして菩薩のいのち、この二つが言われていることになります。するとまず、一人の生身の人間がいるでしょう。その人は生身の人間でありながら、同時に菩薩のいのちも生きていることになります。そしてこの大海の水のごとき苦は、菩薩にとってそのまま歓喜多きいのちの量である。

だから、この大海の水のごとき苦とは、おそらく凡夫の量でしょう。煩悩に苦しむ凡夫の量、つまり過去現在未来の全ての凡夫の量であり、凡夫の煩悩の量ではないかと思ったりします。この凡夫の煩悩の量は、そのままが菩薩の歓喜である。このようになるのではないでしょうか。これで「入初地品」を終わります。

『行巻』その① 諸仏称名の願より

令和6年12月1日  御正忌報恩講から

「顕浄土真実行文類二」

「謹んで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。大行とは、すなわち無碍光如来のみ名を称するなり。この行は、すなわちこれもろもろの善法を摂し,もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。かるがゆえに大行と名づく。しかるにこの行は、大悲の願より出たり。すなわちこれ諸仏称揚の願と名づく、また諸仏称名の願と名づく、また諸仏咨嗟の願と名づく。また往相回向の願と名づくべし、また選択称名の願と名づくべきなり。

諸仏称名の願

『大経』に言わく、設(たと)い我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚を取らじ、と。已上  また言わく、我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を成らじ、と。衆のたえに宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん、と。抄要」

・・・・・

今日から教行信証の行巻のところを話すことになります。勉強方々と思って始めた教行信証の読み方ですが、縁あって、こうして当寺の法要で話しています。原稿書きから法話といささか時間に追われていますが、おかげ様で法要でこのように聞いていただけるのは有難いことです。この教行信証の読み方はすでに証巻と教巻を通してきましたが、それをいまさら違う話し方に変えようと思っても無理だろうと思います。もう少しましな話が出来ないものかといつも考えます。しかし、これもまた自分の個性だろうとも思い、表現の仕方については言い訳しまいと、一応心に留めております。

それで、とにかくこれまで読んできた感想をまず述べるとするなら、すごく難解であります。自分がそれをどれだけ消化できて話しているか、そしてその内容が的を得ているかどうかと、いろいろと悩み、思いを巡らして準備をしてきました。今回もそのつもりで準備をしていますが、この行巻はかなり長文でありまして、行巻全体を観ながら話すことが出来ません。それで、それぞれの部分を読み進めながら全体を眺めて行こうと思っています。それが出来るかどうかは別にしても、まとらずお聞き苦しいことがあるかと思います。とにかく精一杯背伸びして話すことにしていますので、何とぞお許し願いましてお聞きいただければ幸いです。

それでは、今回から行巻を読んでいきます。長丁場になりますので宜しくお願い致します。そして先ほど読みました行巻の始めの文ですが、まず読んでみて、そして分からない訳です。「謹んで往相回向を案ずるに、大行あり、大信あり。」と書いてありますね。その次に「大行とは、すなわち無碍光如来のみ名を称するなり」といわれていて、この行は、もろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具している、極速円満であり真如一実の功徳宝海である、と、このように続きます。それをこういうことだから大行というのだということですね。

で、初めに往相回向に大行と大信がある、そしてその次に、大行だけを取り上げて説明をされているでしょう。そこのところを読むと「この行は、もろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり」ですね。そしてそれは極速円満しているということです。極速というのはほんの短い時間を言うのではないですか、だからそれは短い時間であり円満していると言われている。そしてまた、そのことは真如一実の功徳宝海であるとも言われています。で、これはいったい何を言われているのか。

それからまた「かるがゆえに大行と名づく」ですから、いったいこの全体で何を言われようとするのか皆目分からない訳です。次に「しかるにこの行は、大悲の願より出たものであるから、諸仏称揚の願と言い、諸仏称名の願という、諸仏咨嗟の願と名づける。そして往相回向の願と名づけ、選択称名の願と名づけると幾つもの願を並べておられますが、まず大悲の願より出たりと言われ、そして願文が羅列されている、その初めの三つが諸仏称揚の願、諸仏称名の願、諸仏咨嗟の願です。

で、どうもここで一回区切っておられるようでありまして、そしてまた「往相回向の願と名づくべし、また選択称名の願と名づくべきなり」と、このように続いているのではないか。はたしてこのような分け方が正しいのか分かりませんが、自分にはそう読めるわけですから、ここで区切られていることを切り口にしてこれらのことを考えてみようと思います。

すると、まずこの行巻の初めが「謹んで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり」です。その後にその大行とは何かを述べられて、その後に幾つもの願文を挙げておられますが、その中の諸仏称揚の願と諸仏称名の願と諸仏咨嗟の願を取り上げて、まずはこの願文が大行の願であると言われているのではないかということですね。

それでは、その次の往相回向の願と選択称名の願は何かといいますと、初めの「謹んで往相の回向を案ずるに大行あり、大信あり」の所に戻るような書き方をされているのではないか。つまり、まず三つの願文を得てから、そして最初に戻る。そうだとすると、往相回向の願の次の最後の願文である選択称名の願がこの行巻の最終的な願文ということになります。このように考えている訳ですけども、この事が一体どういうことなのかまだ分かりませんし、混乱している訳です。しかしとにかく、これらの事を念頭におきながら先に進んで行きたいと思います。

それでまず、今回は諸仏称揚の願、諸仏称名の願、諸仏咨嗟の願の方を考えていきますが、そこで最初に押さえなければならないのは「大行とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり」と言われていて、次にその行が大行である所以を述べられている。それが、もろもろの善法や徳本が具せられていて、そして極速円満し真如一実の宝海であるからだということですね。

この事がどういうことなのか。とにかくこの行は大悲の願より出ているから、諸仏称揚の願といい、諸仏称名の願という、そして諸仏咨嗟の願と名づける、とこのようになっています。そこで、まず初めに諸仏称揚の願について見ていくと、揚は下から上に移動させるという意味だそうで、つまりは下から上に揚げることですから、何か持ち揚げるという事でしょう。

するとこの諸仏称揚の願は「大悲の願より出たり」と言われていて、その大悲の願より出て何かを持ち揚げる願である。つまり無碍光如来の名を称することによって、称揚という、ひとつの相を持っているということ。そしてその相とは何かといえば、「揚」という形である。つまり諸仏称揚の願は、諸仏称名の願の相を顕していて、その相とは「揚」という形である。

そこで、前回の教巻で学んだ中に、群萌という言葉がありました。「釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり」つまり、お釈迦様が生涯をかけて説かれた教えを明らかに説き示せば、「群萌を拯(すく)い、恵に真実の利をもってせん、と、欲(おぼ)してなり」とこのように言われています。

それでこの諸仏称名の願は何処に立っているのかというと、この群萌を拯うところに立っている。すると、諸仏称揚の願の揚が群萌を持ち揚げるという意味なら、群萌よりも深く、そして群萌をつつみ、弥陀大悲の中で浄土へと持ち揚げる願であると、このようなるかと思うのですね。このことをどのように考えていくのかまだ分かりませんが、とにかく初めの諸仏称揚の願は大悲の願と交差する願であり、そのことが諸仏称名の願の相のひとつ「形」を顕している。

それでは諸仏咨嗟の願は何かといえば、これも諸仏称名の願の相である。そしてこちらの相は諸仏称名の願の「中身」を顕している。この三つの願文をもって、次のステップである往相回向の願へと繋がっていく、と、このようになるのかなと考えているわけです。そして次に、行を改めて諸仏称名の願とだけ述べられます。

一応ここまでを見ると、行巻(顕浄土真実行文類二)はまず諸仏称名の願であると書いてあります。そして浄土真実の行であり選択(せんじゃく)本願の行であると最初で言われておりますけども、その諸仏称名の願が行巻の願文であると言われながらも、この諸仏称名の願の出し方が変ですね。幾つも願文が羅列されていて、その二番目が諸仏称名の願です。要は何故このような願文の羅列と順番があるのかということですね。しかし、変だと言われてもそんなに変だとは思わないでしょう。それは今そのことを説明しているから変だと思わないのであり、説明がなくていきなり見せられたらやはり変ですよ。

この諸仏称名の願は第十七願といわれているものです。願文を読むと内容は三番目の諸仏咨嗟の願になっています。「『大経』に言わく、設(たと)い我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚をとらじ、と。」お分かりのように、これは諸仏咨嗟の願文です。つまり諸仏称名の願の相のひとつが諸仏称揚の願であり、もうひとつの相が諸仏咨嗟の願である。このように両方で諸仏称名の願を形と中身で顕していることになります。

そこで、この諸仏称名の願を読むと、まず『大経』に言わくと書いてある。「大無量寿経」を略して「大経」と書いてあります。前回の教巻では、この「大無量寿経」を「大」と「無量寿」に分けてその関係を話しました。それをまた、この「諸仏称名の願」でも同じように考えていいのかどうか。正直なところよく分かりませんが、「大無量寿経」を「大経」とまで強調されているかのように読めるものですから、これはやはり前回と同じように「大」と「無量寿」の関係を通して見た方がいいのかなと思っていましてね。

でも前回はそれなりの理由があって、それで「大」と「無量寿」の関係として、ちょっぴり無理に分けたつもりでいましたが、今回もはたしてそういう事でいいかどうか、正直少々とまどっています。しかし、とにかく真偽は後のお任せすることにして、引き続き前回と同じように「大」と「無量寿」の関係をもって先に進んでみることにしました。

そこでまずこの『大経』に言わくという事ですが、勿論これは「大無量寿経」に言わくですね。その『大経』の四十八願の第十七願が行巻の願文であるといわれる諸仏称名の願です。願文の中身は諸仏咨嗟の願です。「設(たと)い我仏を得たらんにに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚を取らじ、と。」

その次に「また言わく、我仏道を成るに至りて・・」と続いていますね。この文は四十八願を説かれた後に、法蔵菩薩が重ねて誓われるところの偈文ですが、そこから二か所を抜きだしておられます。「また言わく、我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を成らじ、と。」これがひとつ。もうひとつが「衆のために宝蔵を開きて広く宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん」ですね。偈文では別々ですが、親鸞聖人はこれを一緒にされています。そして最後の抄要の文字は親鸞聖人ご自身が付けられたのでしょう。

そこでまず、この抄要ということですが、これは一部分を抜きだして要だと言われるのですから、二つの文を一緒にして諸仏咨嗟の願のあとに付け加えられて、これらの文が第十七願と共に要であるということになるでしょうか。

それでは、この諸仏称名の願を「大」と「無量寿」の関係で見たときにどうなるのかということですが、第十七願の初めの「設い我仏を得たらんに」のところは、「あるとき、阿弥陀仏の浄土のとき、法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏するとき」であり、そのときに十方世界の無量の諸仏は、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚を取らじ、と、このようになります。

「咨嗟」というのは「嘆息して嘆くこと」だそうで、嘆息はため息をつくことですから、嘆きため息をつくことでしょう。しかし、この諸仏咨嗟の願における咨嗟は褒めたたえるとか称賛するという意味だと言われておりまして、辞書などで使われている咨嗟の意味とは違うことになっています。

例えば、親子の場合を考えて見ると、子供がハイハイから歩行へとうまく独り立ちができないときに、親は子供を見守りながら、あぁもうちょっとなのになぁと、嘆きため息をする。そしてその子がやっと上手く自分で立って歩き始めたとき、よくやったと子供を褒め称賛する。このような一連の流れを諸仏咨嗟の願に見ることができるなら、この咨嗟の意味も何とか分かる気がしますね。つまりこの咨嗟には諸仏の願いが込められているということになりますが、しかし、どうもすっきりしないですね。

この咨嗟を称賛の意味だとすると、「大」と「無量寿」の関係で見れば、阿弥陀仏の浄土のとき、法性身が我が身を度外視して正直に阿弥陀仏へ成仏するのに、十法世界の無量の諸仏が、ことごとく称賛して我が名を称えないならば、私は成仏しない、と、このようになりますが、それではこの十方世界の無量の諸仏が褒めたたえて我が名を称えるとは、いったい何を言われているのでしょうか。

この「大」と「無量寿」の関係は、次に「仏の方」と「凡夫の方」に分けて、その関係を見ることになりますが、この場合は「仏の方」が無量寿仏であり「凡夫の方」が群萌ということになります。すると、この諸仏咨嗟の願は、「仏の方」である無量寿仏が「凡夫の方」である群萌に向かって成仏することになりますが、ここでは阿弥陀仏の浄土のとき法性身は我が身を度外視して正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏する、そのときに十方世界の無量の諸仏が咨嗟して我が名を称せずば正覚を取らず、と、このようになる。

そしてこのことを抄要の文に見ると、「我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を成らじ」とありまして、ここでは「名称十方に超えん」と言われている。次では「衆のために宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中に説法獅子吼せん」となっていますから、この十方とは衆であり大衆のことである。その十方の大衆の中で説法獅子吼せんです。これをまた「大」と「無量寿」の関係で見ていくと、これらはすべて「仏の方」の出来事です。「凡夫の方」はありません。

しかし「凡夫の方」のように見えるところがあるでしょう。しかしよく見ると、これは阿弥陀仏の浄土のときの、阿弥陀仏の成仏における諸仏の関係ですから、やはり「凡夫の方」ではなくてすべて「仏の方」です。つまりここには群萌はないのですね。

それでは「凡夫の方」である群萌の代わりとしていったい何があるか。それが「衆のために宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん」の「衆」であり「大衆」です。これらは凡夫でもないし凡小でもない、まして群萌ではありません。だからここに言われている大衆とは、そのまま私たちであり、私たちの姿です。つまり一般大衆ということでしょう。その一般大衆の中で説法獅子吼せんです。そのとき大衆の中に説法獅子吼する諸仏を見る。

凡夫とは自らの自覚にあり、群萌はその自覚の深さにある。群萌が諸仏だということではありませんが、この群萌の姿こそ、諸仏が嘆きため息をし、そしてついには諸仏が称賛する諸仏咨嗟の願ではないかと思うのですね。しかしもうひとつの相、諸仏称揚の願では、一人の自覚である群萌より深く大悲と交差する。諸仏咨嗟の願では名称は十方に超えて、大衆の中で説法獅子吼せるがごとくである、と、このようになるのではないでしょうか。

親鸞聖人は『無量寿如来会』で、「かの貧窮において伏蔵とならん。善法の円満して等倫なけん。大衆の中にして獅子吼せん、と。」このように述べられています。貧窮は「びんぐ」と読みまして、貧しさの度合いが強まって追いつめられることをいうそうですね。するとここでは、心の貧しさが窮まって追いつめられている大衆の伏蔵となり、その大衆の中で説法獅子吼せん、と、このような意味になるかと思います。

このことをその次に「この義利をもってのゆえに、無量無数不可思議有無等等無辺世界の諸仏如来、みな共に無量寿仏の所有の功徳を称讃したまう」と述べられています。ご覧のように、ここではもう諸仏咨嗟の願には嘆きため息をするという意味は無くなっていて、諸仏がすべて無量寿仏の功徳を称讃したまうという意味になっているでしょう。

このことをまた「大」と「無量寿」の関係で見れば、あるとき阿弥陀仏の浄土のときに、法性身は我が身を度外視して正直に、「仏の方」である無量寿仏(阿弥陀仏)は、「凡夫の方」である群萌に向かって成仏する。そのとき、諸仏は貧窮の伏蔵となって、無量無数不可思議無有等等無辺世界に立ち、共に無量寿仏の功徳を称賛して、大衆の中で説法獅子吼する、と、このよのようになりますから、この諸仏称名の願は、一人の自覚である群萌より深く、この無量無数不可思議無有等等無辺世界に立っている願であるといわれているのでしょう。それで、親鸞聖人にとってこの無量無数不可思議無有等等無辺世界とはどんな世界観なのかと言うことですが。

それからこの群萌と諸仏の関係を少し話してみようと思います。おそらく群萌と諸仏はすごく近いのですよ。しかし群萌と諸仏は違いますね。つまり境涯が違う。群萌は何処までも凡夫です。諸仏ではありません。群萌とは一人の煩悩の自覚であり、その自覚の深さである。諸仏は群萌より深く何処までも広い。この二つの関係が諸仏称名の願で一つになる、そういうことかなと思っています。お気づきのように群萌はまだこの中にはありません。

次に『仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(ぶっせつしょぶつあみださんやさるぶつだんかどにんどうきょう)と、聞きなれない経典があります。これは何だろうと思っていましたが、『無量寿経』の異訳である「大阿弥陀経」のことだそうです。「大阿弥陀経」と言わずに俗っぽい経典名を使われています。そこで、ここでもやはり「大」と「無量寿」の関係を述べよと言われている気がしましてね。本当のところは分かりませんが、とにかくそうすることにします。

すると、ここには「大」と「無量寿」の関係はありません。あえて言えば「大」が後ろに隠れている関係である。つまり法性身が後ろに隠れている。それで、とにかく何と書いてあるか。

第四に願ずらく、「それがし作仏せしめん時、我が名字をもって、みな八方上下無数の仏国に聞こえしめん。みな、諸仏おのおの比丘大衆の中にして、我が功徳・国土の善を説かしめん。諸天。人民・蜎飛・蠕動の類、我が名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せん者、みな我が国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、終に作仏せじ、と。已上」

この経文を一つひとつ押さえながら説明することはできません。それで、自分としては一応は冗長性が高いつもりでいますが、まあ単なる逸話というか、ちょっとした小話でもってこの経文の感想を話してみようかと思います。まず、この「八方上下無数の仏国に聞こえしめん」とは何か。八は方向、上下は時間とするなら、これはとにかくある時ある所であり、無数とはその誰でもがということでしょう。つまりいつでも何処でも誰でもが、この仏国に聞こえしめんです。仏国とはそのまま諸仏の国だと思いますから、そのときどきにそれぞれの凡夫にそれぞれの仏国があるということでしょうか。

でこの、いつでもどこでも誰でも仏国がある。まずここを押さえて、あるときある所に、例えば温泉まんじゅうがあるとする。お分かりのように名号を温泉まんじゅうと言い換えている訳です。ふざけた譬えだと思われるかもしれませんが、「大」が隠れているとはどういうことかというと、これはぼくは言葉の問題ではないかと思っていまして、「大」と「無量寿」の関係では、あるとき阿弥陀仏の浄土のとき、法性身は我が身を度外視して正直(まっすぐ)に群萌に向かって成仏する。しかしこの場合は、「大」は「言葉」に隠れていて、そこには言葉の名号(南無阿弥陀仏)がある。つまりその言葉(名号)に向かって法性身は我が身を度外視して阿弥陀仏へと成仏する。

「大」である法性身と言葉の関係ですが、ここではそれを「大」と「名号」との関係でもって顕そうとされるのではないかと思っているものですから、この関係性を単に言葉ということで説明するなら、まあ、このように温泉まんじゅうという、ちょっとふざけた風の譬えの方が考えやすいのではないでしょうか。それで、これは「大」と「無量寿」の関係というよりも、「大」と「言葉」の関係であり、つまりは「大」と「名号」の関係に見る言葉の問題ではないかと思います。

そこで、あるときそこに温泉まんじゅうをじっと見ている人がいた。そして、その傍らで様子を窺う者がいたとするでしょう。この様子を窺う者が皆さんであり主人公だと思ってください。で、そのある人は温泉まんじゅうを感慨深く見ていました。

その温泉まんじゅうには何か書いてある。「諸仏称名の願」と書いてある。まんじゅうの箱にも説明書きがあり「浄土真実の行 選択(せんじゃく)本願の行」と書いてある。その人はこの説明を読んでこのまんじゅうが浄土真実の温泉まんじゅうだと分かった。

説明書には効能も詳しく書いてある。「設い我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば正覚を取らじ、と。また言わく、我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を取らじ、と。衆のために宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん」とある。

その人はこの説明文も読んで、温泉まんじゅうの効能を理解して、そしてそのまんじゅうを食べた。すると店の主人が挨拶をしに来た。名札には「法蔵菩薩」と書いてある。そこでその人は、店の主人に「みごとなまんじゅうです、おそれいりました。」と話した。続けて「このまんじゅうの餡は群萌ですか」と尋ねた。すると店の主人が「はい、そうです」と答えた。

すると「この群萌の餡を支えている称揚シートがいいですね」と言いながら、また尋ねた。「それにしても群萌の餡を包んでいる皮の透明度がすごい、まるで餡に光沢すら見えます。これほどに完成されるとは、ご主人もさぞご修行を積まれたのでしょうね。」と聞くと、やや感動して「五劫の時間がかかりました」と主人は答えた。その人は「有難うございます、あなたのおかげでどれだけの人が救わるでしょうか」「そしてこのまんじゅうはどこか懐かしさがある。この不可思議な温泉まんじゅうはいつからここにあるのですか」と尋ねると、「すでに久遠の時が過ぎました、多くの方が食べていかれました」と、店の主人は答えた。

それをずっと傍らで見ていた者が、ふと気がつくと、自分の前にもその温泉まんじゅうが有るではないか。で、側でじっと見ていたので、自分もそれなりに何となく分かったつもりでいたが、説明書きも効能も一応読んだふりをした。また、まんじゅうの餡が群萌だとは聞いていたが何のことかよく分からないし、餡の実感もない。しかしとにかく食べてみるとそれなりに心地よく悪い気がしない。味はよく分からないにしろ、側で聞いていたのでそれなりにポーズをとって真似をしていたら、店の主人が出てきた、名札には「法蔵菩薩もどき」と書いてある。

今度は観光客が現れた。がやがやと話しながら店に入っては、それぞれがその温泉まんじゅうを頬張っている。まんじゅうにはすべて諸仏称名の願と書いてあるが、まったく見ていない。だから説明書など見向きもせずにがつがつと食べてがやがやと出て行った。「法蔵菩薩もどき」さえ出ず仕舞いである。

それでもそのごった返す人の波にもかかわらず、ほんのわずかだがこの温泉まんじゅうが気になった者がいた。ある者は店に帰って来る。そしてしげしげと温泉まんじゅうを見て、名称や紹介文を読んでいる。するとあることに気づく。そして「このまんじゅうはいつか食べたような気がします。いつからここにあるのですか」と尋ねる。

ここに登場するのは三種類の人にしています。これを「仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経」に当てはめると、一人目が諸天、二人目が人民で三人目が蜎飛・蠕動の類のつもりです。

諸天の説明はできませんが、つまりは私よりも目利きが優れている人だということです。人民はそのまま自分であり、そして皆さんのこととして書いています。ここに蜎飛・蠕動(けんぴ・ねんどう)の類とあります。蠕動とは地にうごめく生き物だそうで、蜎はボウフラのことだそうですね。だから蜎飛・蠕動の類とは、その辺をくねくねして這いまわる虫か、飛び回る虫のような生き物ですね。

これらのすべては「仏の方」「凡夫の方」とは関係がない。いうなればいろんな人を二次元的にベタっと表現した世界です。広さだけがあって深さも奥行きもない、表面的な人間模様であり、群萌とは違います。登場するのは三者三様ですが温泉まんじゅうは同じです。いつでもどこでもだれでも全て同じまんじゅうである。餡も皮もまったく同じですが気づかない。

何故気づかないのか。まず群萌の餡に気づかない。群萌が自己のことだと気づいていないのですね。餡が入っていないから、いくらまんじゅうの効能を読んでも味が無いのです。しかしひとたび群萌の餡が入れば、この温泉まんじゅうは、「大」である阿弥陀仏の浄土のとき法性身は我が身を度外視して阿弥陀仏へ成仏する言葉の仏である。そのとき、この諸仏称名の願は阿弥陀仏の浄土であるがゆえに、諸仏称揚の願と諸仏咨嗟の願で完成する大行まんじゅうなのだという、ちょっとした逸話です。

言葉はいつ始まったのか。言葉はこれまでずっとあります。それでは、言葉はいつ生まれるでしょうか。言葉が言語として生れるのは、その言葉が発せられるときであり、その言葉を聞いているときです。言葉の問題は不思議でありハードルが高い。難問だと思いますが、考えていかなければならない問題でもあると思います。

「教巻への一考察」

令和6年9月22日 秋彼岸会より「教巻」から

「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つは往相。二つには還相なり。往相の回向について、真実の教行信証あり。

⑴それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。⑵この経の大意は、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯(すく)い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり。⑶ここをもって、如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり。

⑷何をもってか、出世の大事なりと知ることを得るとならば、」

今日は教行信証の教巻を読んでいきたいと考えております。前回は証巻でしたが、今回は教巻です。順番が逆ではないかと思われるかもしれませんが、これまでの経緯がありますのでこのような順序もいいかなと思っております。もともと『論註』の途中で証巻に入り、成り行きでこのような順序にもなったのかなとも思っています。それで、まず教巻の始めにあるこのお言葉ですが、これは親鸞聖人の御自釈でありまして文献の引用ではありません。ご覧のとおり短い文でまてめておられます。

今回はこの御自釈を話すことになりますが、とにかく教行信証の始めでもありますから、本来ならば、ここの所は、教行信証を網羅しておかなければならない、などとも考えてしまうのですね。でも、もしそういうことなら、いつまでも読むことは出来ないので、網羅などしておりませんが、とにかくここに読ませて頂こうかと思っている次第です。だからといって、めくらめっぽうに読めばいいという事でもないので、そう言う点では中途半端な中で読むことになります。

それでも、この教巻を読もうと思ったのは、経緯と言いますか、これはどういう事か、何故そうなのかといったような思いがこれまでに幾つかありまして、それが消化しきれないまま残っています。それで、この機会に少し整理するつもりで、まずこの教巻から眺めて行きたいと考えている訳です。なので、今日は偏った見方になるかと思いますし、まとまった話にはならないかもしれませんが、そういうことでありますから、自分なりの角度でこの教巻を見て行こうと思います。

そこで、今日のテーマは「教巻への一考察」ということになります。時々変な事を言うかもしれません。そこのところは、どうぞよろしくご了承いただきまして、お聞きいただければ幸いです。

⑴それではまず、教巻の最初にあるこの文ですが、お分かりのように二つに分かれています。一つは往相回向、もう一つが還相回向です。そして往相回向についてこの真実の教行信証がある、と、このように言われています。次にその往相回向について、まず「真実の経を顕さば『大無量寿経』これなり」と言われているわけですが、私たちが普通接している経典は何かというと、これは『仏説無量寿経』であります。

同じ経典でも教巻では『仏説無量寿経』とは言わず『大無量寿経』これなり、と、このように言われています。普段は『無量寿経』と言ったり、『大経』とも言ったりしますから、ちょっとした表現の違いだといわれればそれまでですが、しかし、親鸞聖人ご自身の捉え方が『大無量寿経』これなりですから、そこには聖人ご自身のこだわりが当然あるはずですね。だからこのことについては諸先生方のご意見がございますが、自分においても、また、ここの所はこだわって見て行きたいと考えておりまして、そのことが今回のテーマになっています。

それではいったいこの『大無量寿経』これなりについて、何をこだわっているのかといいますと、この『大無量寿経』の「大」と「無量寿」の関係にこだわりを持っておりまして、だからまずはそこに焦点をあててみたいと思います。

そこで、この「大」ということですが、これは他には「勝」などの字もそうですが、これらはだいたいにして仏の方を顕すときに使われたりします。凡夫を凡小といい、それに対して仏の広大さを顕すと、このような使い方があります。だからこの『大無量寿経』の「大」もまた、このような仏の方を顕すところの意味だろうと、まず、そう考える訳ですね。

ところが、この「大」を仏の方だとしても、次の「無量寿仏」の方もそもそも仏でありますから、当然こちらも仏の方である。すると「大」と「大」とが二重になっていますね。別に屁理屈を述べるつもりはありませんが、そういうふうに聴こえなくもない。まあ、それはともかくとして、この「大」が二重になっている関係ですが、これはいったい何を意味するのかなという事ですね。

『大無量寿経』は見ての通り、「大」が無量寿の前におかれているでしょう。だから、この『大無量寿経』をそのままの形として見ると「大」は「無量寿」の前にあり、「無量寿」とならしめるものである、と、このように「大」と「無量寿」の関係を観た場合に、『大無量寿経』とは「大」と「無量寿」の関係を顕す経典であることになるかと思います。それに対して『仏説無量寿経』は「仏説」ですから、これはお釈迦様がお説きになられた無量寿仏の経典であるという事ですね。このように『大無量寿経』を「大」と「無量寿」の関係として見る。

すると、これは「大」と「無量寿」の後先の問題でありまして、この事を少し説明しますが、まず、ここにあるひとつの定位置があるとします。この場合の後先の先とは定位置の前をいいますから、時間軸でいえは定位置以前という事になります。すると、『大無量寿経』の「大」は無量寿の前ですから、後先で言えば「大」は「無量寿」の先である。つまり時間軸では無量寿仏になる前です。

先験的という言葉がありまして、哲学ではこれをアプリオリと言いますが、「より先のもの」と言う意味です。調べると「経験に先立って与えられている意」だとも書いてあります。しかし、これだけではよく分からないから、これを自分なりにアレンジすると、そこに、ある認識みたいなものが仮にあるとした場合に、そこは「より先のもの」という意があるということですね。

これでもなかなか分かりずらいので、まず、ここに一つの経験があるとするでしょう。これをさっきは定位置と言っていました。この場合は経験と言っています。だから、これは私たちが普段に考えている経験とはかなり違いますから、いったん私たちが思っているような経験は忘れて下さい。

で、まず私たちには意識があります。これは間違いないですね。しかし、意識と一言でいっても、意識の幅はすごく広いでしょう。意識に対して無意識がある。心理的と言ったり深層心理だと言ったりもする。普通言われている意識には幅も深さもある。そしてそのどれもがハッキリと解明されているわけではない。特に無意識なんかは研究の途上で、学問としてまだ定まっていないとも聞いています。

しかし、間違いなく意識は有るわけですね。皆さんも意識がなくてここに来られたのなら大変なことでしょう。これら無意識も含めて意識全体とした場合に、その最も深い処、つまり、意識が発生する場所です。そういう最深部があるのかどうかですが、実際に意識は有るわけですから、意識が生れる処もなければならないですね。解明されていないからといって無いということではない。

この意識の最深部と、そして、そのまた先。ここで言うそのまた先とは当然意識の領域ではありません。そうじゃないと意識の最深部とその先にはならないですね。この意識の最深部とそのまた先の関係についての話になります。この意識の最深部を経験すると言った場合、その最深部のとき「より先のも」という意がある、と、このように言うのだと思います。

出来る出来ないは別にして、意識の最深部のとき「より先のもの」という意があるということですから、これは、意識の最も深い処のそのまた先に、意識を支えている何かがあると言っている訳です。そしてこれはアプリオリであると、このような言い方だと思うのですが、この意識のそのまた先である「より先のもの」が私たちの意識とどのように関わるかを顕そうとする、そういう哲学の領域があります。

日本的には、心の背景といえばすっと入って来るでしょう。ただし、この場合は背景と言うよりも心の芯の処ですから、どちらかというと心の底のことになります。玉ねぎをむいていくと最後は何が残るでしょうか。何も残らないですか。では、玉ねぎと同じように、意識を一つずつ削いでいくとしたら最後に何が残るでしょうか。

私たちの意識の先にそのような「より先のもの」などない、だから無であると言ってみる。しかし、それは、そういうあなたの意識の範囲で捉える無であるから、単に無だと自分が言っているだけの話で、あなたの意識から外れた「本来の無」とは別物ではないですか、と、この問いに答えられるかどうかという事になります。人間の意識のぎりぎりの処に意識を超えた何かを直感した。しかしそれはアプリオリであり、見ることも触ることも出来ない、と、このように言われるのかなと思います。

この先験的ということですが、このことを『大無量寿経』における「大」と「無量寿」の関係においても窺われるのじゃないかと考えておりまして、つまりは、無量寿仏(阿弥陀仏)の成仏のとき、これを便宜上さっきの経験という言葉に置き換えてみたら、それは先験的であるという事ですね。つまり、弥陀成仏のとき「より先のも」という意があるということになります。

それでは、無量寿仏つまりは阿弥陀仏の成仏のとき「より先のもの」とはいったい何かということになりますが、それは、法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に弥陀へ成仏するという、この内容が弥陀成仏における「より先にもの」であると、このようになります。

法性身を、親鸞聖人は「いろもなくかたちもましまさず」とこのように言われます。私たちには捉えることが出来ない、思慮分別を超えているから法性身というのですが、その法性身が我が身を度外視して正直に弥陀へ成仏する、この物語が弥陀成仏のとき「より先のもの」の意であるなら、この場合の弥陀成仏は先験的である、と、こういうふうに言えるのかなと思うわけです。

「いろもなくかたちもましまさず」という法性身ですから、凡夫には見ることも触ることも出来ない。そのいろもなくかたちもましまさないはずの法性身が、その我が身を度外視して、凡夫に向かって正直に弥陀へ成仏するということ、そしてまた、このことを別の言い方にすれば、弥陀成仏のとき、法性が法性の身として凡夫に関係を開いたということだと思うのですね。

ただしかし、先験的をこのように弥陀成仏に当てはめてしまうと、どこか何かが足らないような気がするのですよ。で、これはずいぶん考えました。そしてこういうふうに言葉を入れたら何とかなるかなと思いました。で、それは何かということですが、「にもかかわらず」という言葉を入れてみるのです。

そうするとどうなるか、弥陀成仏のとき「より先のもの」の意がある、「にもかかわらず」、法性身が我が身を度外視して正直に弥陀へ成仏する、と、このようになります。これね、読んでお分かりのように、これはこれですごく変でしょう。でもね、こっちの方かなと思うのですよ。先験的を時間軸でいえば、過去現在未来と一方向に沿っていなければなりません。

すると、このアプリオリというのは、そう言う意味では意識の最深部において、常に「より先のもの」ですから、この「より先のもの」という以外に表現が出来ないのであって、もしそこに何か内容を入れようとした場合は、それはすでに意識の範囲内であって、その時点でアプリオリではないことになってしまう。

だから、ここでいう法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に弥陀へ成仏するという、このような内容を、そのまま「より先のもの」に当てはめることは出来ないと思うのですね。だから「にもかかわらず」と言葉を入れると何とかつじつまが合うかなと考えたわけです。しかし、だったらですよ、わざわざ知ったかぶりして、先験的であるなどと初めから言わなければ良いわけです。

でもね、今回のテーマがこの弥陀成仏と先験的ですから、とにかくも、ここに「にもかかわらず」と入れれば、まあ、何とかなるかなと思ったりしたわけですが、で、このことをしばらく考えておりました。そこで、このアプリオリという概念ですが、やはりこれは時間軸に沿ったものですから、この場合の法性身と弥陀成仏については、このような時間軸とはまた違うものが必要だと思うに至ったのです。

それでは、いったい何をもって先験的とするかですが、定位置を時間軸の点では押さえずある場所とする。そして、そのある場所は先験的であるとします。何か知らぬが、あるときその場所のとき「より先のもの」という意があると、このように変換出来なかということですね。

そうすると、これはそこがある場所に変化していることですから、もともとの処が、あるとき何かの縁で、ある場所に変化したことになります。新旧の時系列は一応あるが場所は同じです。それで、その変化している場所ですが、これを何といえばいいのかという事になりますが、弥陀成仏を阿弥陀仏の浄土と言い換えていることになります。つまり阿弥陀仏の浄土のとき、法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏するという、この内容が「より先のもの」としての意だということになります。

お前そんな勝手なことをするなと言われそうですが、この辺りの処はすごく大きな問題だと思いますので、今後の成り行きを見ながら考えて行こうと思っていますが、しかし、とにかくも従来のアプリオリとはまた違う概念が、このようにして確認できたのではないかというのが正直なところです。

しかし、そうなるというと、当然ちょっと待てよと言われる。何故なら、阿弥陀仏の因位の菩薩である法蔵菩薩はどうなっているのか。『無量寿経』は法蔵菩薩が兆歳永劫のご修行をされて四十八の願を成就された経典です。細かい内容はともかくとして、法性身がいきなり阿弥陀仏へ成仏するとなると、法蔵菩薩はいったい何処に行ったのだと、このような理屈も出てくるわけです。

そして、これは大変もっともな話であります。しかし、教巻では「真実の教を顕さば『大無量寿経』これなり」と言われていて、それをお釈迦様と阿難尊者の出遇いとして述べられているわけですね。だからお釈迦様と仏弟子阿難の出遇いをもって、真実の教を顕さば『大無量寿経』これなりです。

『無量寿経』は、お釈迦様と阿難尊者の出遇いで始まり、そこから阿難に法蔵菩薩のご修行を説かれます。法蔵菩薩が世自在王仏のみもとで一切の諸仏の世界を覩見されて、そして四十八の願を建てられた。このように経典はなっておるわけですが、教巻はお釈迦様が法蔵菩薩を説かれる前段であって、お釈迦様と阿難の出来事の方なのですね。そしてこれをもって、真実の教を顕さば『大無量寿経』これなりです。

だから唐突ではありますが、法性身が自らを度外視して阿弥陀仏へ成仏された。この成仏こそが、そのままお釈迦様と阿難の出来事である、と、そう書いてあるのではないか。そして、そうしておいて、この出来事を紐解いていく。そうすると、阿弥陀仏が因位のときに、つまり法蔵菩薩が世自在王仏の御前で一切諸仏の浄土を覩見して、四十八願を建てられたと、このように法蔵菩薩のご修行が説かれる。つまりは、弥陀成仏という果に従ってその因を尋ねるという従果向因の説ではないかと思うわけです。

⑵そして次に「この経の大意は、弥陀、誓と超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす」とありまして、ここまでがまず仏の方である。つまり、法性身の弥陀成仏により、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開かれた。そして凡小を哀れみて、選んで功徳の宝を施することをいたす、と、ここまでが仏の方である。そして次の「釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯(すく)い、恵に真実の利をもってせんと欲(おぼ)してなり」は、これは凡夫の方。「道教を光闡して」の訳が、釈迦一代の教説を明らかに説き示すことだとありますから、つまりは、お釈迦様が生涯をかけて説かれた教えを明らかにすれば、それは「群萌を拯い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり」ですから、これは仏の方というよりも凡夫の方である。そうすると、ここに仏の方と凡夫の方との関係がまた出てくるわけです。

⑶ここに仏の方と凡夫の方とあえて分けている訳ですが、これは証巻の感想でありまして、証巻を通したらこのように分けるということが出てくるのですね。教巻にはそのような事は書いてありせんが、こういう分け方になるのではないかと思っております。そして、この仏の方と凡夫の方の関係成就がその次の文である。つまり「如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり」が仏の方と凡夫の方の関係成就でありますから、仏の方だけの成就が弥陀成仏ではなくて、凡夫もまた凡夫として成就していなければならない。

それで、まず仏の方を見ていくと、阿弥陀仏の浄土のとき、法性身は正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏して、その誓は阿弥陀如来の本願として超発されている。そこに広く法蔵を開き、凡小を哀れんで、選んで功徳の宝を施す。これを「如来の本願を説きて、経の宗致とす」と、『大無量寿経』を「大」と「無量寿」の関係に見て行けばこのような捉え方になるかと思います。

そして凡夫の方は「釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり」ですから、お釈迦様がこの世にお出ましになり、そして生涯をかけて教えを説かれたのは、ひとえに群萌を拯い、真実の利をもってせんと欲されたのである。つまり、群萌を拯うのに真実の利をもってせんですから、凡夫の姿を群萌と明らかにして、その群萌に向かって真実の利を恵み救いとる。このことが「すなわち、仏の名号をもって経の体とするなり」です。

で、さっきから仏の方とか、凡夫の方だとか言っている訳ですが、この凡夫の方を考えると、このように凡夫の方だと言ってみてもですね、実際のところ、それは仏とそして私たちの出来事かといえば一概にそうとは言えませんね。私たちはだいたいにして自らを凡夫だと思っていないのです。だから凡夫の方というのは、これは私たちの方というより、お釈迦様が顕かにされた、ただ凡夫であるという方でしょう。ぼくはこの凡夫ということで思い出したことがありまして、調べたら令和4年秋彼岸会と書いてある。2年前に話した『論註』上巻の作願門のところでした。

亀の甲羅に毛が生えているのかどうかという問題でしたが、これは亀が年と共に甲羅に毛が生えてくるように見えるが、それは錯覚であるという話ですね。人間は年を重ねていくと、亀の甲羅に生える毛ではないが、何やらもやっとした、どうも私と言うものがあるような気がする。確かに何となくではあるがそんな気もする。しかし、それは甲羅に毛が生えているかのように見えているだけで、それは錯覚であるという話ですね。これが私だと言えるような感覚は、本来は無いのだけれどまるで有るかのように錯覚しているのだというのです。この亀の甲羅の話は考えると衝撃的ですね。これが私だと、これ、間違いありませんか、ホントですか。じゃあ、その私とは何かと問われたらどのように答えますか。ここまで長生きしてきたことが自分の証であるとすると、では、その生きた時間があなたですかと問われる。ちゃんと答えられますか。ひょっとすると、まるで年老いた亀の甲羅に生えた毛のようなもので、ただ自分がそう思いこんでいるだけではないですか。

この私という感覚は錯覚であり、亀の甲羅に張り付いた苔のようなものだという譬えは、ほんと衝撃的です。私はあれもしたこれもした、そしていろいろして満足した。人生の終盤にこのように言える人はそんなにはいないと思いますが、まあ、話だけなら出来るでしょう。しかし、それでもですよ、もしもそれだけだったら何かの拍子で歪めばガラガラと崩れますよね。これが私ですと案外と答えが出ない。自分を探すと見えなくなりますね。しかし、ハッキリしているのは、いろいろと考えながら生きているし、そして、生きるために一所懸命になってきたということでしょうか。しかし、この生きるという事においてもまた、『論註」はダメ押しします。それは因縁生だという。

この因縁生というのは、生はこの私から始まるのではないということですね。久遠の過去からずっと繰り返された、それこそ様々な因縁により私がいて、この人生があるという事でしょうね。まあ、そういわれるとそうかもしれんな、と、何かそういう思いがありませんか。実際にこの自分自身というものに立ってみたら、まずは何となく自分というのが始まっていて、そして気づいたらこのようなものとして私がいる、こういうことで間違いありませんかね。しかしそうだとすると、この私というのは、因縁生という掴みどころの無い、何やら漠然としたものだという事になりませんか。

ところで皆さんは、親鸞聖人が言われている群萌という言葉にどのようなイメージを持たれるでしょうか。お釈迦様は生涯を通して、この因縁生よりももっと深い、群萌という姿をもって私たちを顕かにされた。そしてただ凡夫である方を開かれた、と、こういうことかなと思っております。

⑷「何をもってか、出世の大事なりと知ることを得るとならば、『大無量寿経』に言(のたま)わく、今日世尊、諸根悦予(しょこんえっちょ)し姿色清浄にして、光顔魏魏(こうげんぎぎ)とましますこと、明らかなる鏡、清き影表裏に暢(とお)がごとし、威容顕曜にして、超絶したまえること無量なり。未だかって瞻覩(せんと)せず、殊妙なること今(きょう)のごとくましますをば」

文献学の素養もないのに、これらを述べるのはどうかと思いますが、とにかく教巻では「明らかなる鏡、清き影表裏に暢るがごとし」と読まれています。経典には「如明浄鏡 影暢表裏」とありまして、直訳すれば「明らかなる浄鏡の表裏に影暢するがごとし」だそうです。親鸞聖人はこの文を「明らかなる鏡、浄き影表裏に暢るがごとし」と読まれました。文献学に無知なぼくでも無理な読み方かなと思いますね。

経典のこの「如明浄鏡 影暢表裏」は、阿難尊者がお釈迦様のお姿を拝して、今日の世尊は、自らの全身に悦びがあふれておられて、お顔も魏魏と光ましますこと、まるで「明らかなる浄鏡の表裏に影暢されているようです」と、このようになるでしょうか。もう少し自己流に直せば、明らかに浄く澄みきった鏡がまるで影をも表裏に暢しているかのようです、と、このような訳でいいのでしょうか。正しい読み方は分かりませんが、このような訳ならこの「如明浄鏡 影暢表裏」は、阿難がお釈迦様の悦びのお姿を、お悟りの姿として表現したものでしょうね。

親鸞聖人の場合では、お釈迦様が諸根悦予して、お顔が魏魏と光輝くのが、「明らかなる鏡、浄き影表裏に暢るがごとし」ですから、その全身から悦びがあふれて、光顔魏魏とましますのは、明らかなる鏡、浄き影が表裏に暢るがごとし、と、このようになるでしょうか。そうすると、これはお釈迦様の「諸根悦予 光顔魏魏」のご様子を言い換えて、「明らかなる鏡、浄き影が表裏に暢るがごとし」ですから、この「明らかなる鏡」は主語だと思うのですが、これでいいのでしょうか。そうすると、これも阿難がお釈迦様のご様子を表現したものですが、ここではお釈迦様ご自身が「明らかなる鏡」だということになります。

すると、明らかなる鏡であるお釈迦様は、浄き影表裏に暢るですから、明らかなる鏡であるお釈迦様、あなた様はまさに浄き影が表裏に暢っているかのようだ、と、阿難がお釈迦様を拝見していることになります。こういうふうにした場合、この明らかなる鏡には表裏があるということですね。そしてその表裏に浄き影が暢っている。

では、この浄き影とは何でしょうか。鏡の表が浄きで裏が影ですか。それとも浄き影が表裏に暢るですから、鏡の表も裏も浄き影でしょうか。ぼくはこれは両方だと考えていまして、仏の方が表だとすると、仏の方は浄であり凡夫の方が裏で影になるでしょうね。しかし表裏に暢るですから、これは表裏一体である。阿難尊者にはお釈迦様御自身が「明らかなる鏡」だと映った。その明らかなる鏡(お釈迦様)は、浄き影が表裏、つまり仏の方と凡夫の方に暢っているかのようである、と、阿難がお釈迦様を拝見した、と、このようになるのではないでしょうか。

初めに申しましたように、これらは私見でありまして偏った見解です。一応哲学的な思考も含めたつもりです。信心とは離れたかもしれませんが、こういう角度からの研鑽もまた必要になるのではないかと考えております。

証巻 正定聚について その②

令和5年9月23日 秋彼岸会より

(付録)ー「淄澠の一味なるがごとし」の意味をみると、淄と澠は斉の国にある川の名であり、この二つの川が異なった味を持ちながら海に流れ込めばそのまま一味になるといわれます。しかし、この「淄澠の一味なるがごとし」に、親鸞聖人は(食陵の反)の文言を付けくわえられておりまして、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と「大義門功徳」を読みかえられています。このことについて「正定聚その①」の不足分として、今回の「正定聚その②」の前に(付録)を付けておくことにしました。ー

陵はみささぎと読み、王の墓などを意味しますから、この食陵をそのまま読めば王の墓を食うというような意味になります。ここでの王とはもちろん阿弥陀仏のことになりますから、阿弥陀仏の墓を食うということになる訳です。では、その阿弥陀仏の墓とは何か。もしこの墓の意味するものを一言でいうならば、阿弥陀仏の浄土が成就するとき除外されているものということでしょう。すると、ここに言われている食陵とは、その除外されているものを食うという意味になります。そしてその反(かえし)がこの「淄澠の一味なるがごとし」に付け加えらた意味になります。これらのことを前回の最後に話しました。今回はその続きでもありますから、この「食陵の反」をもう少し見ていきます。

宇宙の壮大さとは、漆黒の宇宙における星群の共演です。様々な星や銀河がありますが、普段私たちは圧倒されるほどの銀河を夜空に見ることはできません。しかし、本来の夜空にはその圧倒されるほどの星が降り注いでいます。もしそれらを間近に観ることができたら、その満天の星に感動をも覚えるでしょう。しかし、その満天の星を彩るところの漆黒の闇までを観るものは少ないはずです。しかし満天の星はその深淵なる漆黒の闇に輝く星なのです。もし満天の星の共演を浄土の相(すがた)とすれば、阿弥陀仏の浄土が成就するとき、そこに除外されている深淵なる漆黒の闇を、王の墓、つまり陵(みささぎ)という意味にあたえることは出来ないでしょうか。

淄川をどす黒い漆黒の闇だとするならば、澠川は亀のような生き物が住む川です。この二つの川が混ざりあう時、漆黒の中に飲み込まれる澠川の生き物の姿に、闇に閉ざされていく私たちの業を連想します。親鸞聖人は「淄澠の一味なるがごとし」にこの(食陵の反)を付け加えられ、聖人独自の意味に変えられています。その(食陵の反)の意味とは何か、それは阿弥陀仏の浄土を浄土たらしめるところの漆黒の闇をも見据えて、そして、往生の光を得た自らも、また、この深淵なる漆黒に浮かぶ星の一つであると、自らの信心を述懐されているのだと思うのです。

証巻 正定聚について その②

(証巻の文)「また、『論』(論註)に曰く、「荘厳清浄功徳成就」は、「偈」に「観彼世界相 勝過三界道」のゆえにと言えり。これいかんぞ不思議なるや。凡夫人の煩悩成就せるにありて、またかの浄土に生るることを得ば、三界の繋業畢竟じて牽かず。すなわちこ煩悩を断ぜずして涅槃分を得、いずくんぞ思議すべきや。」

(論註下巻)「荘厳清浄功徳成就」の 解読文

(一点のにごりもない)清浄さとしてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「彼の世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。凡夫人の、煩悩にみちているものでも、彼の浄土に生れることができれば、三界につながれてはなれることができない業のきづなも、ついにはそのはたらきを失う。つまり、(法の徳のゆえに)煩悩を断じえないまま、しかも涅槃の分を得るのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。

「荘厳清浄功徳成就」略して「清浄功徳」は、観察門の国土荘厳十七種の第一種目にありまして、国土荘厳の総相といわれます。本来なら、この「清浄功徳」が前回の三つの「功徳成就文」の前にあるはずですが、証巻では、国土荘厳の順番が逆になっていまして、「清浄功徳」がこの三つの「功徳成就文」の後に措かれてあります。これは、要するに十七種の中で、この「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三種の功徳文をもって国土荘厳とされたということでしょう。そしてまた、この三種の後に「大義門功徳」の一部だけを付けくわえられております、それが、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」ですね、そしてその次に、この「清浄功徳」を顕しておられます。今回はこれらのことを含みながら読んでいけたらと思っております。

まずは、論註の下巻に気になることが書いてありますので、そちらの方から国土荘厳を見ることにしますが、そこに何が書いてあるのかといいますと、相似相対だと書いてある。相似というのは似ている形態ということで、姿形や性質が写したようによく似ているということですね。相対の方は向かい合う、または対立するとか、関係を持ち合って成立するという意味だそうです。で、この国土荘厳十七種は相似相対であると書いてあります。

そして、この国土荘厳の十七種は摩尼如意宝において相似相対すると書いてあります。これは何を言っているのかといいますと、まずこの摩尼如意宝ですが、まあ、よく分からんわけです。とにかく不思議な表現でありまして、でも、これをあえて現代風にアレンジして言えば、おそらくドラゴンボールのようなものでしょうか。この珠を得ればいかなる願いもかなえてくれるという、不思議な摩尼如意宝珠です。国土荘厳はこの如意宝珠が相似相対するといわれているのですね。つまり、国土荘厳十七種は、この摩尼如意宝のように不思議であり、それは相似相対する、と、このようになります。

こういう処はあまり関わらず通り過ぎても構わんのかなとも思いますし、これにこだわってどうするんだとも思いますよ。しかしですね、あえてこだわると、国土荘厳十七種のそれぞれが摩尼如意宝であり、その十七種は相似相対しているということであります。

「多盲のゾウ」という譬えがありまして、これは目が不自由な人たちが集まって、それぞれがゾウに触れてみる。すると、ひとりは足を触りゾウは大きな木のようだという。鼻を触ったひとは長い管のようだという。もうひとりは耳を触って大きな葉っぱのようだといい、もうひとりはお腹を触り山のようだという。それぞれが自分の触った感覚でゾウを表そうとしたが、結局は誰も本当のゾウの姿を知る者はいなかったという話ですが、このゾウを「真理」と言い換えればすごく哲学的になりますし、また「生死」と言い換えれば宗教的にもなります。で、お分かりのようにこの「ゾウ」とは何かということです。

国土荘厳の場合は十七種それぞれに摩尼如意宝というゾウがいる、摩尼如意宝とは何でも願いがかなうといわれる不思議な如意宝珠ですから、現代風にいえばドラゴンボールかなと思うのですね。ドラゴンボールは7個集めるとどんな願いでも一つだけかなう。このひとつだけというのがみそですが、摩尼如意宝はこの十七種がそれぞれ摩尼如意宝だから、十七の摩尼如意宝珠があるわけです。でも、摩尼如意宝は一つしかない。ここに理屈に合わんものがあるわけですね。また、この摩尼如意宝は十七種に分かれていながらも、それぞれが摩尼如意宝であると説かれているのですが、この摩尼如意宝をそれではだれが十七に分けたのかといえば、摩尼如意宝自身であるというわけですね。

国土荘厳が相似相対するというのは、この摩尼如意宝が自らを十七種に顕して、そしてその摩尼如意宝がそれぞれ相似相対するということだと思うのですよ。もうこの辺になるとよく分からんでしょう。不思議な表現ですね。

しかし、この摩尼如意宝とは国土荘厳を顕しているのですから、仏土つまり仏国土の不思議を顕す譬えですね。つまり、国土荘厳を不思議な摩尼如意宝の譬えで表現したということでしょう。で、この摩尼如意宝は何でも願いをかなえる不思議な珠です。そして、その珠を得ればどんな願いもかなう、こんなふうに聞けばまるでドラゴンボールのようじゃないですか。ところが、この摩尼如意宝は国土荘厳の譬えですから、じゃあこの国土荘厳とはドラゴンボールのようなものかといえば、違います。

国土荘厳は阿弥陀仏の浄土のことですから、完成された仏国土です。不足という字が無いのですね。しかし摩尼如意宝の譬えでは、あなたが不足しているものを与えましょうということですから、本来この国土荘厳と意味が違いのですよ。では、なぜ国土荘厳を摩尼如意宝に譬えるのか、それは自らこの国土荘厳を顕すためだということです。国土荘厳を十七種に分けて、それぞれの角度から国土荘厳を顕す。そういう仏国土として十七種の立場を造ったということでしょう。完成しているからこちらから見えないし、見られる必要もないけれど、観るこちら側に立って、あえて欠損させてそこを見せる。すると、欠損したところから見れば、その不足したものを満たす国土が荘厳されている。それはまるでその願いが満たされているかのようだから、摩尼如意宝のようであるという。それが十七種あり、そしてその十七種の国土荘厳はそれぞれが相似相対するといわれるわけです。相似相対しているというのは、似ているものが並んで見えるということでしょうか。

私たちはドラゴンボールの方はすぐ分かるし、そっちの方が魅力的ですね。しかしそれは現実的ではなくてファンタジーですね。私たちは足らないことばかりですから、あれがあればいいな、こうなればいいな、と、ずっと考えていませんか。だからドラゴンボールの方はすぐに分かるし、そちらがおもしろそうでしょう。それは私たちが完成していないからですが、とにかく足らないものがいっぱいある。これが私たち凡夫の姿ですね。

国土荘厳の「清浄功徳」とは、そういう私たち凡夫から見た仏国土です。「(一点のくもりもない)清浄さとしてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「彼の世界の相を観ずるに、三界に道に勝過せり」といわれているからである。」と、まず、国土荘厳の総相として私たちに最初に顕された清浄の国です。

ところが、聖人はこの国土荘厳十七種から「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三つを選んで「清浄功徳」の内容とした、つまり、この三つをもって「国土荘厳」だとしたということですが、その次にまた「大義門功徳」を一部とりあげて載せてあります、その中に、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」という言葉がある。この言葉を少し取り上げて前回が終わりましたので、冒頭に付録をつけてもう少し詳しくしております。

で、この証巻の「清浄功徳」の前に、「また、『論註』に曰く」と書いてあるでしょう。この「また」は、三種の功徳文と「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」のどちらにもかかっているわけですが、どちらかといえば「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」の方に重きを措かれていると思っているわけです。

『浄土論』での「清浄功徳」は、「偈に「観彼世界相 勝過三界道」と言えるがゆえに。」とこれだけです。これを曇鸞大師が開かれて、今回の「清浄功徳」の文になっています。そして、この国土荘厳十七種では、「清浄功徳」の次にあるのが「量功徳」です。『浄土論』では、この「量功徳」もまた「偈に、「究竟如虚空 広大無辺際」と言えるがゆえに」とこれだけでして、「清浄功徳」と同じような表現になっています。聖人はこちらの「量功徳」の方は引用されていませんが、この「量功徳」を曇鸞大師がどのように開かれたかを見たいと思いますので、上下巻の両方とも読むことにします。

まず上巻の方から。解読文より、上巻は長いので(その一)と(その二)とに分けてあります。

「「荘厳量功徳成就」究竟して虚空の如く、広大にして辺際無し」この二句は荘厳量功徳と名づける。(その一) 仏がもと、この荘厳量功徳を起こされた所以は、三界を見られるに、狭く小さく、土地がくぼんだところや裂けたようなところがあるかと思えば、小高いところや水面に土が盛り上がったところがある。あるいは宮殿の高どのは迫くきゅうくつであり、土地田畑はせばまってせまくるしい。また、どこかへ行こうとしても路はせまく、あるいは山や河が行く手をはばみさえぎり、あるいは国境にへだてられて行くことができない。このようにさまざまのせわしなさで息ぐるしく、うろたえるようなことがある。だから菩薩はこの荘厳量功徳の願いを興され、我が国土は虚空の如く広大で辺際ないように願われたのである。

(その二) 虚空の如しとは、この国に来生する者がいかに衆(おお)くても、なお一人もいないように感じられるほどだという意味である。広大にして辺際なしとは、上の虚空の如しという意味を全うするものである。つまり、どうして虚空のようかといえば、広大で際限がないからである。量功徳の成就とは、十方衆生の中の往生する者ーすでに往生したもの、これから往生すべきものーは量りなく、はてしなくあっても、つづまるところ常に虚空のように広大で際限なく、終に満ちてしまうときがないということである。だから「究竟にして虚空の如く、広大にして辺際無し」といわれているのである。

問う。維摩居士などは、小さな部屋に、高さ八万四千由旬の獅子座を三万二千つつみ入れて、なお余りがあったという。どうして国の界のはかりないところにかぎって広大と称するのか。答う。ここにいう広大は、必ずしも五十畝を畦といい、三十畝を畹というような場所の広さを喩えにしているのではない。ただ空のようだというのである。そのうえどうして部屋の広さなどのたとえにかかずらう必要があろうか。また維摩の部屋がつつみいれるのは、狭いところにあって広いのである。厳密に結果の優劣を論ずれば、どうして広いところにあって広いというのに及ぼうか」

次に下巻から。解読文より。

「これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。彼の安楽国の人天(ひとびと)は、もしこころに宮殿楼閣の広さを、あるいは一由旬あるいは百由旬あるいは千由旬にしたいとおもい。(またその部屋数を)千間、万間にしたいとおもえば、心のままにそうなり、人それぞれにおもいどおりになるのである。また、十方世界の衆生が往生を願うに、すでに生じたもの、今生じたもの、これから生じるもの、一時一日の頃(あいだ)の数をかぞえても、それがどれくらいの数になるか知ることができないほどである。にもかかわらず、彼の世界はつねに虚空のごとくであって、せまっくるしさがまったくないのである。彼の安楽国土の中の衆生は、このような量(ひろさ)の中に住んで、自ずとその志願が広大になることもまた虚空のようで、まったく限りがないのである。(つまり)彼の国土の量(ひろさ)になっているのであるから、どうして(われわれが)思いはからうことができるであろうか。」

この論註上下の「量功徳」を比べると、一応上巻では(その一)と(その二)に分けましたが、下巻では(その二)の方を主に述べられていると思うのですね。読んでいただければいいのでして、間違いなら指摘してください。

で、下巻の方を読むとわりと分かりやすく、例えば「彼の安楽国土の中の衆生は、このような量(ひろさ)の中に住んで、自ずとその志願(ねがい)が広大になることもまた虚空のようで、まったく限りがないのである」と、このような文章になっているでしょう。志願にしたがって世界の広さは虚空のようにもなる、と、その志願が広大な世界を見せていくというような、いわば、心象的な世界観が窺われます。

このことについて、善導大師が述べられているところが観経疏にありますので、そこのところを紹介することにします。この「清浄功徳」は観経疏では水想観に登場しますが、国土荘厳第二の「量功徳」もこの「清浄功徳」と一緒に書いてあります。

「「①かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。②究竟して虚空のごとし広大にして辺際なし」と、これすなわち総じて彼の国の国の地の分量を明かす」。②の文が「量功徳」です。このように、「清浄功徳」と「量功徳」はセットになっています。そして、この両方において「これ彼の国の地の分量を明かす」です。観経疏の玄義分ではここのところを「仮というはすなわち日想・水想・氷想等、これその仮依なり」と言われておりまして、ここに水想観も入っているでしょう。だからこの水想観も仮依であると善導大師は述べていることになりますね。この仮依については、次の文で「これこの界の中の相似の可見の境相なるによるがゆえに。」と説明されています。

まず、これはどういう意味なのかということですね。難しくてよう分からん。こういう文を見ると論註の解読がほんとうに有難いなぁと思いますよ。しかし、それで終わるわけにはいかないので、あえて自己流に解釈すれば、この仮依とは仏教でいうところの悟りといいますか、無分別智の境界というものではなくて、この界の中の相似の可見であるところの境相だということです。

で、「この界の中」とは、今見ているものはということでしょうか。すると、今見ているもの、それは、相似の可見である、可見とは今見えているものはということですから、今見ていることで見えているものはということですね。それは、実は、写したように似ているが、それそのものではないということです。だから相似しているが本質そのものではないということですね。だからそれは「仮依なり」と善導大師は言われているのだと思うのですよ。

境を分かりやすくすると鏡と考えればいいのかなと思います。つまり、それは鏡に映っているようなものだということですね。デコボコしたものを鏡に映すと、その映ったデコボコがくっきりと映れば映るほど、その鏡のクオリティーは高いことになるでしょう。同じように、水面に映るデコボコがくっきりと映しだされるほど水面には波が立ってなくて穏やかであり、水面は平らである。つまり私の心を水面の如くに表現される。境というのはその水面自体のことであり、界とはそこに写し出されているものということでしょう。

つまり、私の心について水面のごとくと表現され、それを境といわれている。これまでこの境のことを身体的心の領域とずっと言ってきました。知覚という言葉もありますが、これは感覚器官のはたらきで外界の事物・事象を認識することだということでして、視覚のほかにも聴覚・味覚・嗅覚・触覚がふくまるそうですね。哲学ではこのようなものを知覚より以前のもとして、直接の知といったり、感覚的確信という言葉で表現されたりしています。とにかくすごく分かりにくい所であることは間違いない。

この相似の可見の境相をもって「清浄功徳」と「量功徳」を顕している、そういうことかなと思います。つまり、善導大師の「量功徳」の「広大にして辺際なし」に言われる広大さとは、心象的なものではなくて身体的なもの、身体に属する物質的な広がりですね。身体を物質的な観点から観れば成層圏をこえて宇宙にもつながっていきますから、心象的な広大さとはまた違うのです。

善導大師が「清浄功徳」と「量功徳」をセットにしていわれる場合はこういう広大さがある。だからといって心象世界の広がりとどちらが正しいかと言っているのではありませんよ。「清浄功徳」にはこういう二つの見解があるということですね。そして善導大師の場合はどちらかといえば身体的な側面を強調されています。

曇鸞大師は「清浄功徳」に自性清浄の浄土を見られた。善導大師は、たしかにそれが自性清浄の浄土であれ、やはり、心に映る世界であるとした。自性というのは本質とか本性という意味で、本来的な不変の性質だといわれております。法身は色もなく形もないし、見ることもできない。だから善導大師は心に見る世界ならば、たとえそれが自性清浄の浄土であれ、本来の真如法海ではなくて、自性清浄の浄土を示すところの心象世界であるとした。つまり重力で再び身体の領域の押し戻した、と、こういうことかなと思っております。

こういうえらい大変な問題をかかえているのですが、この問題を親鸞聖人はどのように捉えなおされたのかということですね、それが、この三種の功徳文の後にある「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」であります。歎異抄13条に、親鸞聖人が宿業ということを述べておられますので、そこを読んでみます。

(意訳 歎異抄13条から)

「 弥陀の本願不思議にまかせて悪をおそれないのは、本願ぼこりであるということで往生はできないということ、この条は本願を疑うことであり、善悪の宿業をこころえていないからなのである。よいこころがおこるのも宿善がもよおしているからである。また悪業をおもってしまうのも、悪業のはからいがそうさせるのである。故(親鸞)聖人がいわれていたことに「ウサギの毛や羊の毛の先にあるちりのような小さな罪も、宿業に依らないものは無い。」といわれていた。またあるときに「唯円房は私のいうことを信じるか」と聞かれたので、「もちろんでございます」と、お答えしたところ、「そうであれば、私のいうことに従うのか」と重ねて聞かれたので、つつしんで承知しましたと答えました。「たとえば、人を千人殺してみなさい、そうすれば往生は決まる」と、聖人からいわれたときに「おおせではありますが、一人でさえも自分の器量では殺すことは出来ないと思います。」と、お答えしたところ、「ではどうして親鸞のいうことを疑わないといったのか」といわれ、「これで(唯円房も)知ることができるだろう。何事も心にまかせて決められるなら、往生のために千人殺せといわれたらそのとき殺すはずである。しかしながら、(自分に)一人として殺すような業縁がないからそうしないのである。自分のこころがよくて殺さないのではない。また殺すまいと思っても、百人千人を殺すこともあるのだ」と、(聖人が)おおせられたのは、私たちは、(自分の)こころがよいと思うことをよいと思い、悪いと思うことを悪いと思って、(弥陀の)本願不思議においてすくわれることを知らないでいるからであるといわれた。」

この13条にある宿業ということですが、いろんな見解もあるかと思います、で、今回話しております身体的心の領域ですが、これはまだ分別心が起きない状態の心ということですから、分別心が起きる前であり、邪心のない状態だと考えるのですね。しかし、この身体は社会的そして歴史的領域の身でもあります。この社会的そして歴史的領域とは、そのままこの私の身にまでなった煩悩の歴史です。ここに歎異抄でいわれる宿業を見るのだろうと思うのですね。

こういう業の深さを背負っている身ですから、たとえ身体的な心の領域として鏡が澄んでいても、その鏡もまた宿業という底の抜けた漆黒の世界を背負ってるのだということではないか。そして、ここに煩悩凡夫の姿を成就させる。

この「清浄功徳」の文の後半ですが、「凡夫人の、煩悩にみちみちているものでも、彼の浄土に生れることができれば、三界につながれてはなれることのできない業のきづなも、ついにはそのはたらきを失う。つまり(法の徳のゆえに)煩悩を断じえないまま、しかも涅槃の分を得るのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。」とありますね。この「凡夫人の煩悩にみちみちているものでも、彼の浄土に生れることができる」と、ここに凡夫の煩悩が成就する時、その凡夫を成就する姿をいただくことが、そのまま浄土に生れる姿であるといわれたのではないでしょうか。

親鸞聖人は、正定聚の世界を、夜空に輝きあう星群に見た、そして、この本願海で往生の光をいただいた自らもまた、この深淵なる漆黒の世界に浮かぶ星の一つであった、と、この深淵なる業の世界を我が身をもって述懐される。

三界とは三つの迷いの世界といわれております。少し難しくてよう説明できませんが、要するに生死を繰り返す凡夫の世界です。その繰り返す煩悩の歴史に繋がれてはなれることができないきづなも、つづまるところ、ずるずると引っ張られない。つまり、その法の徳で煩悩を断じえないままに、しかも涅槃の分を得るのであるといわれるのでしょう。

今回は、この「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」を自分なりに纏めました。いろんな見解もあるかと思いますが、現在、こういうふうに受け取らせて頂いています。

証巻 正定聚について その①

令和5年5月28日 永代経法要より

 今回より親鸞聖人のお書物から浄土論註を見ていくことにしております。前回までで作願門は終了したので,本来ならば次の観察門へと入るはずなのですが、実の処、親鸞聖人はこの観察門を証巻にかなり引用しておられまして、それならば論註の観察門を読むよりも、証巻の方から観察門を読んだほうが真宗の立場とすればいいだろうというふうに思いまして、今回から教行信証の証巻に引用されている観察門を読んでいこうと思いいたりました。結果、論註の続きということにもなりますが、証巻を論註を通して見ることにもなりますので、角度の違う見方になるかとも思います。難易度がかなり上がるのはしかたありませんし、こういう読み進みを当初から計画していたのでもありませんが、これまで論註を読んできたなかで自然にそうなった、と、そういう事でもありました。とにかくそういうことで、このまま流れにまかせて読んでいきたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。

 では、まずは観察門第11「荘厳妙声功徳成就」を読んでいきます。解読文

 [たえなる法を説く声においてかざりあげる功徳とは、偈に「梵声の悟り深遠にして微妙なり、十方に聞こゆ」といわれているからである。これはどのように不思議な功徳なのであろうか。経(大経)に、「もしひとあって彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚(なかま)に入ることができる」といわれている。これは国土の名字(みな)が仏の(衆生教化の)いとなみをするということである。どうして(常なみの)思いの及びうることであろうか。]

 

 実は、この「妙声功徳」にある「国土の名字(みな)」というところはすでに作願門にもでております。どこにあるのかといえば、下巻にありまして「一心に専ら阿弥陀仏を念じて、彼の(国)土に生れたいと願えば、この如来の名号及び彼の国土の名号が、よくすべての悪を止めるのである」のところですね、ここに「国土の名号が」と付けくわえられています。ほんの短い文なので、これが「妙声功徳」と関連があるかどうか分からんではないかといわれそうですが、作願門の願生浄土において、はじめて「国土の名」が登場しています。間違っていたら教えて下さい。で、まずこの国土の名号と名字はどう違うのかということですが、意味としたらだいたい同じではないでしょうか。名号という場合は仏国土(浄土)の名のりですから主体が彼の仏国土でしょうか、名字という場合は単に仏国土の名ということかと思います。その仏国土(浄土)の名をとるか取らないか、こちら側にその主体があるかもしれません。

 そして、この「妙声功徳」には作願門にはないものがありますね。「たちまち正定聚(なかま)に入ることができる」というところです。この正定聚に入るということがどのようなことか、それが今回のテーマになっております。とにかくまとまった話が出来ればといいなと思っております。

 そしてまた、聖人は証巻に観察門をそのまま引用されておりませんので、まずはそこのところから簡単に説明することにします。

 まず観察門は三つに構成されています。国土荘厳、仏荘厳そして菩薩荘厳がその三つになります。国土荘厳が17種、仏荘厳が8種、菩薩荘厳が4種で、計29種の荘厳功徳成就の文があります。そのうち聖人が証巻に引用されているのは、国土荘厳から第11・12・13番目の三種の荘厳功徳成就です。「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」がその三種になります。その内の「妙声功徳」を今読んだわけですね。この三種の功徳成就文の次に、国土荘厳の第1番目にあります「清浄功徳」が引用されています。要するに11と12と13番目の次に1番目が措かれているわけです。何故そうなるのだろうかという問題がありますし、国土荘厳は17種あるのに全文を引用されているのはこの4種だけである。こういうようななかなか捉えどころがない内容にも思えますが、少しずつでもそれなりにひも解ければいいなと考えております。そしてまた、その他、部分的な引用文もありますので後程説明することにしましょう

 次に仏荘厳においては最後8種目の「不虚作住持功徳」が後半部分が引用され、そのまま続けて菩薩荘厳の4種全部が還相回向として引用されています。論註では観察門の次の回向門がこの還相回向にあたりますから、引用の仕方がかなり複雑ですね。しかしこの複雑さもまた、聖人のご信心として一貫するものを顕しておられるのですから、まあどういったものか、とにかく始めることにいたします。

 それでは、今回は国土荘厳から「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三種を話すつもりです。で、まずこの「妙声功徳」にある、「もしひとあって彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚に入ることができる」という文ですが、ここにある「もしひとあって」を、この証巻から見た場合は「もし(往生の)ひとあって」と読むべきだと思うのですね。証巻は教行信証の最終部でありまして、論註を読み進めて行くうちに私たちの方が横から入り込んだわけです。だから教行信証の順序に沿っていくなら、この「もしひとあって」は「もし(往生の)ひとあって」と読んでしかるべきだと思うのですよ。しかし、そうしますと文が少し変になる気がすます。この「もし(往生の)ひとあって」と「すでに往生をえたものとは」と、同じものが何となく並び違和感があるのですね。で、このことについては後から話しますので一応このままにしておきたいと思います。

 作願門では、一心は我一心の完結した相ですから、つまりそれは阿弥陀仏の浄土の相(すがた)であるということになります。その浄土である仏国土が、阿弥陀仏の善根の力によって住持される国土であるというのが、次の「主功徳」です。それでは「主功徳」を読んでいきます。 

観察門第12「荘厳主功徳成就」

[ 主たる力においてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「正覚の阿弥陀法王、善く住持したまえり」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)であろうか。正覚そのものである阿弥陀仏は不思議であらせられる。彼の安楽国土は、その正覚たる阿弥陀仏の善根の力によって住持されているのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。住とは変質せず滅しないことをいい、持とは分散せず消失しないことをいう。たとえば、不朽(という名の)薬を種子に塗ると、水にいれても腐らず、火に入れても焼けずに、因縁をえて(芽を)出すのである。これは不朽薬の力によるからである。(これと同じく)もし人が、一たび安楽国土に生れれば、後になって(再び)三界に生じて、三界のいろいろなまよいの生活―煩悩が火のようにもえさかるただ中にもどっても、無上菩提の種子は、けっして朽ちることがないのである。これは、正覚たる阿弥陀仏が善く住持したもうからである。] 

 この「主功徳」の文は「阿弥陀仏は善く住持したまえり」ということが主な内容だと思っています。この住持を二つに分けて説明されていまして、住の方は変質せず滅しないといい、持は分散せず消失しないといわれます。そしてこの住持という不朽薬を種子に塗ると、水に入れても腐らず、火に入れても焼けないということですね。

 で、まず水と火の譬えがありますが、この水と火の譬えを善導大師が「観経疏」に言われておりますので、そこのところから説明すると、「衆生の貧愛は水のごとし、瞋憎は火のごとしと譬うるなり」と書いてあります。貧はむさぼるで、そのむさぼるに愛という字が付いている。愛の対語は憎だそうでして、愛と憎しみは表裏一体だといいます。仏教にも愛憎異順という言葉がありますね。愛と憎しみはむさぼりの度合いに比例するということでしょうか。テレビのサスペンス劇場でよくやっております人間模様ですが、いうなれば私たちの人生の縮小版ですね、そしてこういう愛欲は貧りに入ります。しかしですね、この愛欲には家族愛や子供に対する愛情も入るし、最近ではペットへの愛情もある、ひょっとすると郷土愛などもあるかもしれない、広げると分からなくなりますね。ただ、やわらかく言ってしまえば、度が過ぎた貪りはするなということかなとも思います。しかし、いったい何処までが度が過ぎるのか分からんのも私たちではないでしょうか。

 そして、火は瞋憎(しんぞう)だと言われていますね。瞋は怒りですから、怒りと憎しみが合わさった意味でしょう。ここにも憎しみが入ります。ちょっとムカッとすることから、気持ちが収まらないことまで様々です。そしてこれらは私たちの日常で避けられないものだということも事実ですね。この貧愛の水に住しても腐らず、また瞋憎の火中でも焼けずに、浄土の種はしっかりと芽を出す因縁であり続ける、そしてその不朽の種子は、安楽国土に生れた後のまよいの三界にあっても、けっして朽ちることのない無上菩提の種であると言われています。

 作願門では「一心」とは阿弥陀仏の浄土の相(すがた)でありますから、阿弥陀仏の正覚の相(すがた)であります。この正覚の相がそのまま無上菩提の相であるというのが「一心」までの内容でした。その無上菩提の相が、この「主功徳」においては無上菩提の不朽の種であると言われています。すると、無上菩提の相と無上菩提の不朽の種とはどう違うのかなと疑問があるでしょう。無上菩提の相というのは一心の相ですから一心そのものです。それに対して無上菩提の不朽の種だというならば、その無上菩提の不朽の種を懐いているところのその人を指しているのだと思うのですね。

 で、ここでさっきそのままにしておりました「もし(往生の)人あって」と「すでに往生を得たもの」とふたつ並んで違和感があるということでしたが、それは違和感ではなくて、このたび往生を得たものと、すでに往生を得たものとは、同じ無上菩提の不朽の種をいだくものとしては共通しているということですね。この証巻の証はさとりという意味ですから、往生の結果を顕かにされているわけです。初めて往生するものであれ、すでに往生を得たものであれ、それぞれが彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願えば、無上菩提の不朽の種が芽を出し、たちまち正定聚に入ることができるのである、と、そういうような読みが出来るのではないでしょうか。

 ただ、しかしですね、この往生ということを思う時に、これから浄土を生きるとか、浄土に生きるといっても、今この自分の生活以外にはないのですから、今のこの自分において、さて浄土を生きるとはいったいどういう事かということになります。すると、もし仮にですよ、その往生を得たもとして意気込んで、浄土に勇ましく生きるのかどうかということですね。勇ましく生きられるのは大したことだと思います。しかし、そういう勇ましさをここで言われているのではなくて、たとえいかなる時であっても法王阿弥陀仏の功徳である、不朽の種が善く住持されているのだということですから、たとえそれが生きることに躓いても、何かに嘆いても、失敗しても、たまたま成功してもですね、正覚の阿弥陀法王の住持する種はいつも芽をだす因縁を待っているのだということです。その因縁が芽をだして、如来の名号と浄土の名字が善く私をまもるのだということではないでしょうか。

それでは観察門第13「荘厳眷属成就」です。

[(仏の)眷属(はらから)においてかざりあげられている功徳の成就とは、偈に「如来浄花の衆、正覚の花より化生す」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。おおよそこの雑生の世界には、胎生や卵生や化生などいろいろな生があって、それぞれ眷属の数もしれず、苦しみや楽しみにもいろいろな種類がある。これは、さまざまな業によっているからである。彼の安楽国土は、阿弥陀如来の開いた正覚の浄花に感化されて生れないものは一人としてない。すべて同じく念仏して、それよりほかの道(より生まれるもの)ははるか遠く世界のはての者にまで通じて、全世界のすべての人々を皆兄弟とするのである。このように眷属の数ははかりしれないのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。]

 この「如来浄花の衆、正覚の花より化生す」ということで思うのは、先ほども言いましたが、「妙声功徳」の「もしひとあって、彼の国土に清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚に入ることができる」の「もしひとあって」を「もし(往生の)ひとあって」と読むなら、次の文は「彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものと(が)、たちまち正定聚に入ることができる」と読むのだろうと思うのですよ。単に「往生をえたものとは」を「往生をえたものとが」と読み変えただけですが、ニュアンスが変わります。

 これね、ずいぶん前でいつ頃か忘れましたけど、あるテレビ放送で、仏師つまり仏像を彫ることを専門にされる方がインタビュウーで、「昔の仏像を眺めていると、ああここを苦労して彫られているなと感じる、と、そのとき時空を超えて、その彫り師と逢えるのが嬉しい」と言われたのを思い出します。同じ道を歩く人には見える世界があるのだなあと思って忘れずにずっと覚えているのですが、念仏の道も同じで、往生浄土への道はその眷属にかざりあげられているということは、このたび往生するものと、すでに往生をえたものとが出逢っていく世界観ではないか。そしてその世界観とは、浄土の清浄と安楽をもって往生浄土を願う時、その往生のひとは、すでに往生を得たものと共にたちまち正定聚に入ることができる、と、このような往生するものと往生を得たものとが共感し共鳴しあう、そういう心象的な世界観を言われているのではないかと思うのですね。

 ただし、この国土荘厳の三種を全体的に捉えた場合、そこに往生を得たものは、それぞれが阿弥陀仏に善く住持されたもの同士なのでしょう。それぞれが阿弥陀仏に住持されて、それぞれが往生の光を頂いているところの世界観ではないかということですね。

 論註上巻の讃嘆門の最後のところにあります、「もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。天親菩薩がいま尽十方無碍光如来といわれるのは、とりもなおさず彼の如来の名によって、彼の如来の光明のはたらきたる智慧の相のごとくに讃嘆するのである」と言われております(諸仏)のところを、(往生を得た者)とするならば、「もし諸仏(往生を得た者)があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である」と同じ意味になるのではないかとも思えるのです。

 論註はもともと観経との関わりがつよいと言われます。この心象的世界観を今後どう見て行くかは自分としても大きな課題でありますが、とにかく論註を観点にしながら観経疏ともあわせて見ていくことができればいいのですが。

 「荘厳眷属功徳成就」をこのように頂いております。そしてこの「眷属功徳」までをもって「正定聚に入る」ということを顕されるのかなとも思います。しかしながら、この三つの功徳成就文の後に「また言わく」と付け加えられた文があります。それが国土荘厳第16の「荘厳大義門功徳成就」です。この「大義文功徳」を入れると引用文がひとつ増えることになりますが。終わりの部分だけを引用されているので、数には入れませんでした。

 で、その抜粋されている文ですが、何が書いてあるのかといいますと「また言わく、往生を願う者、本はすなわち三三の品(ぼん)なれども、今は一二の殊なし。また淄澠の一味なるがごとし。いずくんぞ思議すべきや」淄澠は(しじょう)と読みます。そしてまた、親鸞聖人はこの淄澠と一味の間に「食陵の反」という文言を付けくわえられています。つまり「淄澠(食陵の反し)の一味なるがごとし」と、このような文になっています。「食陵の反」を(じきりょうのかえし)と読みますが、それをわざわざ聖人ご自身が付け加えられていることになります。

 まず、三三の品とは、これは観経の上品上生から下品下生までの九品ですから、阿弥陀仏の浄土往生を願う者のレベルを九つに分けて、そしてそれぞれの機に応じて、阿弥陀如来が救いとるという三三の品でしょう。それが往生のひとにとっては、この三三の品はすでにないということですね。たとえ煩悩の中に生きようとも、浄土に生れたいと願えば、すでに往生をえたものととともに、本願海でたちまち正定聚に入ることができるから、三三の品はもうないのであるということでしょう。

 で、次のところですが、「淄澠の一味なるがごとし」この淄澠とは、淄川と澠川という全く違う川が合流することだそうです。本願海に入ればこの全く違った川も一味であるといわれます。つまり、本願海には三三の品などはすでになく一味の世界であるという意味と、淄澠の一味なるがごとしの意味を重複されているともいえますが、しかしここに「食陵の反」とわざわざ付け加えられていますね。これがいったいどういう意味なのかということであります。それで、とにかく現在の了解をここで話そうかと思っています。真偽は後にまかせて、この問題に自問自答することをもって今回の話を終了させていただこうかと思っておりますので、そういうつもりで聞いていただければ幸いです。

 この淄とはどす黒いとか、泥の色をしたというような意味だそうです。澠はサンズイに亀とも読むそうですね。解説では亀の住むような川や池とありました。そして陵は「みささぎ」と読みまして、王の墓などを言うそうです。だから、食陵「じきりょう」とは王の墓を食うということになります。そしてその反(かえし)ですから、どんなもんでしょうか。聖人がこの「食陵の反」をわざわざ淄澠に付け加えられる意味は何かということなんですが、まず宇宙をイメージしてみると、するとまあ、この宇宙の壮大さというのは輝ける星の共演をいうのだと思うのですね、しかし、その無量無数の輝く星も、宇宙という漆黒に輝く星です。皆さんは息をのむくらい降り注ぐ星に圧倒されたことはありませんか、ぼくはありますよ。とにかく北斗七星がどこにあるのかすら分かりませんでした。天の川が手に届くくらいすぐそこに思えました。それほどの満天の星空でした。今思えばそれほどでもなかったのかもしれませんが、その時は圧倒されました。たまたまそういう光景を目にした訳ですが、ある所に行くともっとすごい満天の星を観ることができるでしょう。しかし、そのような満天の星もまた、漆黒という宇宙での共演です。この漆黒と輝ける星群とのコントラストが壮大な満天の星を表現するのでしょう。

 淄川を漆黒の川だとすると、澠は亀が住むような川です。亀がまた出て来ましたが、この亀のイメージには何の意味があるのでしょうか。とにかく亀に何かいろんな生きものの匂いがしますね。当然私たちのようなものも含まれるのではないでしょうか。で、この淄川と澠川とがまじわり一味になるとすると、だいたい淄川の漆黒に混ざりこむでしょう。すると、その漆黒にはさまざまな生きものが混ざりこむという意味になります。この漆黒を無明といえば何やらすとんと収まるような気がしますが、もう少し違う見方をすれば、この漆黒とは私たちのもっとも深くそしてもっとも暗い場所であり、そこにはさまざまな生きものや、それこそ年取った亀の甲に生えた錯覚という名の毛もまざりあっている、と、そういうものではないか。ぼくはそれを業の深さだと思っているのですが。

 阿弥陀仏の本願海をもしこの宇宙に例えるなら、本願海とはさまざまに輝ける星の世界観だと思うのですよ。しかし、この淄澠が混ざり合う漆黒もまた本願海の輝きの一部であり、本願が本願海として輝く場所である。そして、この本願海に往生の光を得て輝く自らもまた、この漆黒に浮かぶ星の一つである、と、そのように表現されたのではないかと思います。このように本願海と漆黒と往生との関係を「食陵の反し」と言われたのではないでしょうか。で、この「また淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」は当然前後の関係で言われているわけですから、ここだけをもって説明しようとしても無理がありますので、今後の宿題にさせていただくつもりです。ひとまず自分の考えを話してみました。

 

『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門

令和4年6月 永代経法要より

 礼拝門・讃嘆門から

 [ どのように礼拝するのか、身の業(わざ)をもって、阿弥陀如来・応・正遍知を礼拝したてまつるのである。諸仏如来の徳は無量だから、その徳をたたえる号(みな)もまた無量である。もし、それらについてことごとく語ろうとすれば、とても紙や筆でかきしるせるものではない。だから、いろいろの経典に、十名をあたり、三号をのせたりしているが、およそこれらは、最も重要なものだけであって、どうして(仏の徳が)それだけでつくせることがあろうか。ここでいわれている三号は、すなわち如来と応と正遍知とである。

 如来とは、ものの相(すがた)そのままに説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたように、この阿弥陀仏もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「 如( より ) 来(る)」というのである。応は応共(おうぐ)である。仏は煩悩をことごとくのぞきつくして、あらゆるのもに通達した智慧をえて、一切の天地の生きとし生けるものの供養を(真実に)受けるに応(ふさわ)しい唯一のかたである。だから「応」というのである。

 正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相は)心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(の実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変らないのである。だから「正遍知」というのである。(論に阿弥陀とかいてあるのは無碍光ということであるが)無碍光という意味は、前の偈のところで解釈したとおりである。

 その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意(こころ)をなさんがためである。

 どうしてこういわれるかといえば、菩薩の法では、つねに昼三時夜三時に、十方のすべての仏たちに礼拝するが、これは必ずしも願生せんとの意(こころ)があるからではない。つねに願生の意(こころ)をなすべきであるからこそ、阿弥陀如来(一仏)を礼拝したてまつる、というのである。 

 どのように讃嘆するのか。口の業(わざ)をもって讃嘆したてまつるのである。讃はほめあげる、嘆ははうたいたたえることである。讃嘆は(人間においては)口でなければのべあらわされない。だから「口の業」というのである。彼の如来のみ名を称え、彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義(いわれ)のごとく、その実のごとくに修行して相応しようとおもうからである。「彼の如来のみ名を称える」とは、無碍光如来のみ名を称えることである。「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに」とは、仏のひかり明るいかがやきは智慧の相(すがた)である。この光明は、あらゆる世界を照らすにさまたげられることなく、よく生きとし生けるものの無明の(黒)闇をとりのぞくのである。それは、日や月や珠のひかりが、ただ空穴(へや)の中の闇を破るだけのような(小さな)ものではない。「彼の(如来の)み名の義(いわれ)のごとく、実(まこと)のごとくに修行して相応しようとおもうからである。」とは、彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。

しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは(如来の)実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことによるからである。どうして実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことになるかといえば、(この無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生のためにこそ(仏になられたところの)身である、ということを知らずにいるからである。

 また、三種の不相応がある。一には、信ずる心が純朴でない。信じたり疑ったりするからである。二には、信ずる心が(専)一でない。決定がないからである。三には、信ずる心が継続しない。ほかの念(おもい)がまじるからである。この三つは、たがいに展開しあってなりたっている。つまり、信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しないのである。また念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でないのである。これと逆なのを「実(まこと)のごとくに修行し相応する」というのである。だからこそ、論主はまっさきに「我れ一心に」と宣言されたのである。]   

 

 長い引用文になりましたが、前回は、上巻の礼拝門と讃嘆門でしたので、今回は下巻の礼拝と讃嘆を話そうかと思っております。分けて話すことも考えましたが、内容的にあまりよろしくないと思い、両方一緒に話すことにしました。引用が長いぶん話も長くなりますが、勘弁していただいてお付き合い願えれば幸いです。

 で、まずこの下巻の概要を簡単に述べてみたいと思いますが、この礼拝門は、今読みましたように、三号を礼拝すると書かれております。で、その三号とは何かといいますと阿弥陀如来と応と正遍知とである、ということでした。これを身の業(わざ)をもって礼拝する。これが礼拝門の内容です。そして讃嘆門はその三号を讃嘆する。こういう事になっているようです。

 礼拝門では三号ということが説明されていて、讃嘆門においてはその三号を口業の念仏でどのようにとらえていくのかが、ここの問題になっているような気がします。礼拝門の終わりの処に「その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意(こころ)をなさんがためである。」と書いてありますが、この文章が礼拝の終わりに措かれてありまして、そして次の讃嘆門が始まるわけです。おそらくですが、この文章は讃嘆門へのつなぎの役をしているのではないかと思っております。下巻の礼拝門は三号のそれぞれを説明するだけで終わっていますので、讃嘆門はその三号を口業の念仏において主体的にあらわそうとされている。簡単な概要でありますが、そういう事ではないかと思っております。

 それではまず、礼拝においての三号の最初であります阿弥陀如来から話をすることにします。この阿弥陀如来ということですが、こうして読んでみると「如来とは、ものの相(すがた)その如(まま)に説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたように、この阿弥陀如来もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「如(より)来(る)」というのである。」と、こう書かれています。阿弥陀如来だと言いながら、内容は如来とは何かということが主であるわけです。ここでの阿弥陀如来をずっと考えていたわけですが、困ったことにこの阿弥陀如来も次の応もまだよく分からないのが正直なところでして、特に正遍知などはてんで分からない事になってしまうのですね。しかし、礼拝の内容がこの三号の説明でありますから、ただ分かりませんでは事がすまされない。それで至らぬ見解ではありすが、現時点における見解を少し述べさせていただいて、話に代えさせていただこうと思っております。宜しくお願い致します。

 それではこの阿弥陀如来ですが、ここでは「ものの相そのままに説いて、安穏の道より来られ、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから如来というのである」と書かれています。で、ここにおける阿弥陀如来を話す前に、上巻の讃嘆門に「なぜ阿弥陀と名づけるのか」という処がありますのでまずそこを読んでいきたいと思います。資料をご覧ください。                                 

 讃嘆門上巻  [ なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であると知れるかといえば、あとの長行(下巻の讃嘆門)にいわれている。どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名の意義のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめられるからである、と。釈尊が舍衛国で、お説きになられた『無量寿経』(阿弥陀経)によれば、仏自ら阿弥陀如来の名号の心をあきらかにしておられる。即ち、なぜ阿弥陀となづけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏たちをはじめ、そのみもとにある人々の寿命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と ]      

 上巻では、阿弥陀如来とは名号であり、その名号の心をあきらかにしておられると言われています。ただし、礼拝門は身業におい礼拝するのですから、名号はまだ出てきません。また、名号というのは、南無阿弥陀仏の六字の名号のことでしょう。南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏に南無するということ、南無と帰命とは同じ意味ですから、帰命尽十方無碍如来は、私たちが称えるところの口業の念仏になりますと南無阿弥陀仏を称えることになり、その南無阿弥陀仏を名号というわけですね。

 それでは、また下巻の礼拝にもどりますが、三号の阿弥陀如来とは何か。「如来とは、ものの相(すがた)その如(まま)に説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたとうに、この阿弥陀如来もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「如(より)来(る)」というのである。」この如より来るの、如とは、言葉にあらわすことができない、言葉を超えているという意味があります。しかし、この言葉では表現できないものをあえてイメージすることはできないか。浦島太郎の話にある竜宮城が絵にも描けない美しさであるとしても、それぞれが竜宮城を何となくイメージしているでしょう。このイメージというのはそういう漠然としたものから、姿かたちがハッキリしたものまで幅が広いわけですが、三号におけるこの阿弥陀如来をあえてイメージするということで考えると、少しは話が出来るのではないかと思うのですね。では、阿弥陀如来をどのようにイメージするのか。それが今読んだ「なぜ、阿弥陀と名づけたてまつるのか」というところですね。その阿弥陀とは「彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない」この光明無量の阿弥陀如来のひかりをイメージできるかということでしょう。別にイメージできなくてもいいのですよ。

 で、その光明は十方の国々を照らすに少しのさわりもなく、そして彼の仏たちをはじめ、そのみもとにある人々の寿命が永遠である。こういうイメージがそのままにして壊れることがなく、その相をそのままに顕すような手立てとは何かということですね。私たちの思慮分別では捉えることができない、言葉を超えている世界ですが、その世界である光明無量をあえてイメージして、そのイメージのままに光明無量という言葉に置き換える、そして、それを阿弥陀と名づけた。これを「なぜ、阿弥陀と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。」と、阿弥陀と名づけることによって、阿弥陀の光明無量の相がそのまま言葉の仏となってもどることがない。この言葉の仏を阿弥陀如来といわれる、こういう意味があるのではないかと思うのです。

 こちらの願い(南無)に応じて如より来る阿弥陀如来ですから、南無阿弥陀仏、この南無阿弥陀仏をもって如来の名号だというのでしょう。これすごく難しい問題を言っておりまして、このへんで無理に説明することはやめにしたいと思いますが、ひとまず、この三号の阿弥陀如来を説明するにおいては、こういう捉え方があるのではないかと思うわけです。ただし、礼拝は身業をもって礼拝するのですから、言葉の仏というよりも、どちらかといえばそれは阿弥陀如来像であり、その阿弥陀如来の姿とその光明無量なる世界観といったようなものが礼拝においての阿弥陀如来のイメージではないかと思います。

 では、次は応です。「応は応共(おうぐ)である。仏は煩悩をことごとくのぞきつくして、あらゆるものに通達した智慧をえて、一切の天地の生きとし生けるものの供養を(真実に)受けるに応(ふさわしい)唯一のかたである。だから「応」というのである。」この応もまた阿弥陀如来ですね。礼拝の阿弥陀如来は姿かたちの如来ですから、その阿弥陀如来像に人格的な徳を顕すのでしょう。だから、三号の阿弥陀如来と応はどちらも阿弥陀如来ですが、応は如来の姿にその徳を思いはかり、阿弥陀如来の姿に光明無量のひかりの徳をいただく、つまり礼拝の対象となる如来の姿に、その如来となられた背景をも観じていくということではないかと思います。

 それでは次は正遍知です。「正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相)は心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(の実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変らないのである。だから「正遍知」というのである。」ここで諸法の実相ということをいわなければならないわけですが、どうしたらいいのでしょうか。これが分かればそれでいいわけですけど。ま、とにかく、この三号は阿弥陀如来と応であり、そしてこの正遍知であるということですね。阿弥陀如来と応は何となくでも分からなくはないでしょう。そんな気がしませんか。ところがこの正遍知が三号の阿弥陀如来と応とともに言われているわけですね、こうなると分からない。ただこの実相の問題は後程出て来ますので、ここではこのままにしておきたいと思います。

 それでは次は讃嘆門ですが、この讃嘆が始まる前、つまり礼拝の終わり部分ですね、「その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意をなさんがためである。」と言われているところですが、礼拝は三号を説明されるだけで終わりますので、次の讃嘆へのつなぎがここで添えられているのではないかと思うヵ所です。そしてその礼拝での三号の説明に対して、今度は讃嘆において口業の念仏にその三号を主体的に説かれようとする、そういうことかなと思います。

 で、まず「彼の如来のみ名を称え、彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義(いわれ)のごとく、その実のごとく修行して相応しようとおもうからである」と言われます。この短い文章に先ほどの三号が述べられていると思います。で、そのどこが三号の阿弥陀如来であり、どこが応なのか、そして正遍知なのかということになりますが。

 まず、「彼の如来の名を称え」のところがおそらく阿弥陀如来でしょう。この「彼の如来のみ名」は、無碍光如来が阿弥陀如来という言葉の仏になられたみ名ですから、その阿弥陀如来のみ名を称えるとは、南無阿弥陀仏の名号を称えることですね。だからこの「彼の如来のみ名を称え」が三号の阿弥陀如来だと思うのです。

 すると、次の「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義のごとくに、その実のごとく修行して相応しようとおもう」までが応ではないでしょうか。礼拝では阿弥陀如来の徳を思いはかるのですから、讃嘆の応は名号の徳を思いはかる。それではその南無阿弥陀仏の徳とは何かといいますと、次に書いてある「彼の如来のひかり明るい智慧の相」が阿弥陀如来の徳ですね。そして「彼のみ名を義(いわれ)のごとく修行して相応しようとおもう」までが、阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の六字の名号になられた義(いわれ)を、私が念仏において主体的に思いはかり相応しようと思うと、そういうふうにも読めます。

 しかしこの両方の説明をその後に載せてありまして、そこには何と書いてあるかといえば、まず「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに」のところは、「あらゆる世界を照らすにさまたげられることなく、よく生きとし生けるものの無明の(黒)闇をとりのぞくのである。それは、日や月や珠のひかりが、ただ空穴の中の闇を破るだけのような(小さな)ものではない」と、言われますように、光明無量とは、まず普通考える照明のような物質的なひかりではなくて、私の心の無明の闇を破る智慧をひかりだといわれる。

 そして次が問題でありまして、次に何と書いてあるかといいますと、「彼の(如来の)み名の義のごとく、実のごとく修行して相応しようとおもうからである。」とあります。この名号の徳を思いはかりながら、その義のごとく実のごとく修行してと、私が思いはかりながら修行するのだと読んでいくと、読めなくなっていきます。

 それでは、その次はどういうふうに書いてあるかといえば、「彼の無碍光如来の名号は」と書いてある。だから、阿弥陀如来の智慧のひかりが言葉の仏になり、その言葉の仏であるところの「彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるものの無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。」となっているでしょう。阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の名号となられたときに、いつの間にか名号が主体であって、称えている私は、この無碍光如来の名号により、「よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させる」ところの、その一人としての私である、というふうになるのではないですか。称える私が主体だったはずが、名号が主体となり、私が客体である。主客が逆転しているでしょう。

 讃嘆では、阿弥陀如来の徳を思いはかるとことが、名号において、阿弥陀如来の光明無量のひかりが私の方に入ってくる、そういうことを言われているのではないかと思うのですね。なかなかよう分からんようなことですが、この彼の(如来の)み名を義(いわれ)にはこういう主客の逆転が込められているのではないでしょうか。この讃嘆門の応による主体の逆転を通して後に正遍知というものがある、そういう事ではないかと思っております。

 それでは正遍知です。このみ名の義(いわれ)を知って念仏申す身になった。それで何がどうなったのか。「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜか」と、こういう疑問が出てきた。それが次の段です。

「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは(如来の)実のごとく修行しないのと、み名の義に相応しないことによるからである。どうして実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことになるのかといえば、(この無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生のためにこそ(仏になられたところ)の身である、ということを知らずにいるからである。」

 私が称えるところの念仏は、たとえこの名号の義(いわれ)を理解して称えたとしても、無明はなおあり、願いは満たされない。それはなぜかということですね。それに対して如来の実(まこと)のごとく修行しないのと、み名の義(いわれ)に相応しないことによるからだと言われます。この「(如来の)実のごとく修行しない」というのは、さきほどの「彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させる」はずが、実のごとくに修行しないから、そうならないのだということでしょう。彼の無碍光如来の名号が主体ですから、その主体が実のごとくに修行しない。そしてまた、「み名の義(いわれ)に相応しない」というのは、このみ名の義とは名号の義のことですから、その名号が主体となり、私が無碍光如来の智慧のひかりに入ることが分からないからだ、と。だから「(如来の)実(まこと)のごとく修行しないのと、み名の義(いわれ)に相応しないことによるからである。」といわれるのではないでしょうか。

 で、なぜこういう問題が起こるのかといえば、それは「(無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生にためにこそ(仏になられたところ)の身である、ということを知らずにいるからである。」とここに、三号の正遍知でいわれていた実相が出て来ます。そして実相の身であり、(為物)衆生のためにこそ(仏になられたところの)身であることを知らないからだと言われる訳です。「如来は是れ実相の身なり、是れ物の為の身なりと知らざるなり。」ここでいわれてる実相が正遍知でいわれる実相のことでしょう。困ったことにここでこの正遍知を自分なりにでも通らなければならないわけです。                      

 まずここにいわれている衆生ということですが、これを衆生性ということで話が出来ないかと思いますが、調べるとそんな言葉はありませんでした。だから造語になると思いますが、この性という言葉には根性という意味もありますね。だから衆生根性と言えばいいのかもしれませんが、とにかく衆生性という言葉を使って少し話そうかと思います。身口意(しんくい)という言い方がありますね、身は身体のことで私たちの日ごろの動作もそこに入るかと思います。口は言語であり言葉でしょうか。そして意は心ですね。すると、私の心が私の動作や振る舞いに現れ、私の心が言葉になって表現されていくのですね、そしてこの状態が私の生活になるわけでしょう。周りとの関係にこの身口意で関わることにより私の日々の生活がある。その積み重ねを業というのだろうと思うのですよ。だからそれを業というならば、私の生活基盤は、私が生れる前からすでに始まっているわけですから、私よりもこの業の方が古いことになりますね。で、この身口意というのは私の事でありますが、この身口意に先ほど言った衆生性を見るということです。単に身口意を生きているわけではないですから、当然その身口意なるものには何かの根性があるだろうと思ったりするのですね。その根性を衆生性という言葉で説明しようとしている訳です。

 今回はこの衆生性の根性論を通して、「衆生の為に仏になられたところの身である」といわれる為物身の問題を考えてみます。で、この身口意も私の心が思う処の身口意ですから、この身口意を思う私の心がどうしても入ってしまう。心が私ですから、私は心から出ることはありません。だから身口意といっても心が捉えた私の身口意であり、私の心はいつもそこから外れて行きます。衆生というのも同じことで、私の心で私を衆生だといくら思ってみたところで、私そのものの衆生性を自覚することは出来ないですね。私は根性が悪いですくらいは言えますよ。しかし、根性そのものが私なら、衆生性を自覚することなど出来ないでしょう。自覚しているという私がおるのだから、阿弥陀如来のひかりに入り私の闇が破られるといってもですね、そう思っている私もそこにいるのでして、そしてそう思っている私がこの衆生性という根性でもあるということですね。阿弥陀如来の名号の義を聞いて、私のこの根性の闇が破られることは分かった。そして、それに感動して念仏申す身にもなった。しかし、実際のところは、そう思っている私の衆生性という根性は残っている。そしてそれが私である。その私には念仏の実感もなければ満足感もない。

 するとこの(為物身である)衆生のためにこそ(仏になられたところ)の身とは何かというと、如来からたまわるということにおいてはじめて成立するところの衆生の相(すがた)だと思うのです。それが純粋な衆生の自覚ということになるのでしょう。如来の智慧のひかりに入ることで、私に衆生の身をたまわる、その衆生の相(すがた)がそのまま如来の智慧の相であるということではないでしょうか。「是れ如来は実相の身なり、是れ物(衆生)の為の身なりと知らざるなり。」をこういうふうい受け取らせていただいております。

 そしてまた、此れがあるとき彼があり、此れがないとき彼はない。この龍樹菩薩の不二の論理は以前話しましたが、この不二の論理であります不一不異を、この実相身為物身の問題に置き換えますと、実相の身あるとき為物の身あり、実相の身がないとき為物の身はない。実相身為物身は是れ、一ならず異ならず、この不一不異の論理が実相身為物身において展開されているのではないかと思います。

 三号の正遍知は「正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相は)心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変わらないのである。だから「正遍知」というのである。」と、この正遍知にたいして、奥行のない薄っぺらな自分なりの実相についての感想ですが、現時点で精一杯背伸びしてみて、こういうことかなと思っている次第です。

 そして、最後になりますが、もう一つ付け加えられています、それが三種の不相応ですね。

[  一には、信ずる心が純朴でない。信じたり疑ったりするからである。二には、信ずる心が(専)一でない。決定がないからである。三には、信ずる心が継続しない。ほかの念(おもい)がまじるからである。この三つは、たがいに展開しあってなりたっている。つまり、信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しないのである。また念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でないのである。これと逆なのを「実のごとくに修行し相応する」というのである。」

 この三信三不信を実相身為物身の次に言われているのですが、これもまた、正遍知での疑問である、「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは」、という問いに対して、この三信三不信を述べられていると思います。

 この実相身為物身のみではまだ不足分があったのではなかろうかと思う処ですね。この為物身であるところの衆生の相を、ここでは信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しない、念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でない。この展開に衆生の相をいわれていると思うわけですが、この衆生の展開こそが為物身の相であり、それと「逆なのを実のごとくに修行し相応する」という処に、先ほどの実相身を見て行かれるのであれば、その実のごとくに修行し相応する相が、信じたり疑ったりせず、他の思いがまじらず、そして継続して止まない心であるとするならば、それは我一心で言われている「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」願心である、この願心をもって実のごとく修行し相応するといわれている処ではないでしょうか。

 [「彼の(如来の)み名の義のごとく、実のごとくに修行して相応しようとおもうからである」とは、彼の無碍光如来のみ名は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。] と言われている、無碍光如来の智慧のひかりに映る衆生の相において、この三信三不信における願心をも見ておられるのでしょうから、この 讃嘆門の最後に [ だからこそ論主(天親菩薩)はまっさきに「我れ一心に」と宣言されたのである。] と、述べられたのではないかと読ませていただく訳です。

観経疏の発菩提心 そのⅡ

令和3年6月  永代経法要より

「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり、また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。ゆえに発菩提心というなり。」

  去年の報恩講で躓いたところです。半年前の話ですからもう忘れておられると思いますが、ホームページのブログでは「観経疏の発菩提心」の続きになっていますので続けて読んでいただければ何とか繋がっているかなとも思います。あの時は突然壁が現れたイメージになり先に行けなくなりました。それがこの発菩提心の処です。この「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり」という言葉に何故躓いたのかといいますと、菩提はたしかに悟りという意味ですから、仏そのものの意味ではあります。しかし菩提心は単にそういう仏を現わす語と言うよりも、私達が何処かに思いえがく向上心のような上りゆくといったようなものが何処かにありませんか。それがここにおいては菩提心から菩提という語だけを取り出して、仏果であるとわざわざ言わなければならないのは何故なのか。すごく違和感があるのですね。

 そして「また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。」ですから、心はあくまで衆生の心です。菩提は仏果、心は衆生、つまり菩提は仏そのものですから初めから仏であり、衆生は何処までも衆生です。言い方を変えるならば、菩提はずっと菩提であり続けるのであるし、衆生は何処までも凡夫であり続ける。菩提と衆生は何処までも平行線をたどるのであり交差しない。もし衆生能求の心が菩提心であるならばそれはすでに衆生能求の心ではなくて菩提そのものである。

 普通ならば菩提心がいつか成就することを願うのであり、まあ成就するかどうかは別問題としても、いつかどこかでひょっとすると叶うかもしれない、そういう先をイメージするような淡い期待感がありますね。しかし「菩提は仏果の名なり」といきなり言い切られた場合には、衆生においてそういう成就は無いのだと断言するのと同じではないですか。これを念頭において菩提心を発しなさいというのがこの「発菩提心」ですね。これね、普通考えると分からないですよ。でも、今回はこの訳が分からないところを中心にしてもがいて行ければと思い、躓いた処であるこの「発菩提心」を再びテーマにしました。御聞き苦しいかとも思いますが宜しくお願い致します。

 まず『観経疏』「序文義」の終わり辺りにこの「発菩提心」が登場します。お釈迦様の前で韋提希は阿弥陀仏の浄土を願います。その時の願いを「教我思惟、教我正受」と言いまして、この「教我思惟、教我正受」とは浄土への手立てである思惟の仕方を教えて下さい、またそれが正しく受けとれることがどういうことか教えて下さい、と言うような事かなと思いますが、で、この韋提希の願いによってお釈迦様がまず定善観を説かれます。ただ、韋提希はまだ阿弥陀仏の浄土を願いはするが、それを自ら受けとる準備が出来ていない。それで浄土への韋提希の基礎認識にあたる三福を説かれます。その最後にこの「発菩提心」が出て来ます。「発菩提心というは、これ欣心大に趣くことを明かす。浅く小因を発すべからず、広く弘心を発(おこ)すにあらざるよりは何ぞよく菩提と相会することを得ん。たゞ願わくは、我が身、身は虚空に同じく心は法界に斉しく、衆生の性を尽くさん。」と書かれています。今回はこの文章を解読することになりますが、まあ、とにかく先に進んで行きたいと思います。

 まず「欣心大」の欣心(ごんしん)とは願い求める心だと言います。「大」は私を超えているものですから仏のはたらきという事ですね、だからこの場合の「大」は阿弥陀仏でありまた阿弥陀仏の浄土という事でいいのでしょう。するとこの「欣心大に趣く」は阿弥陀仏の浄土を願い求める心に趣くという事になります。次に「浅く小因を発すべからず、広く弘心を発すにあらざるよりは何ぞよく菩提に相会することを得ん」ですから、阿弥陀仏の浄土を願い求める心に趣くとはどういうことか、この発菩提心においてこの「浅く小因を発す」と「広く弘心を発す」との違いを見るのですね。で、どこまでが浅く小因を発すことなのか、またどこからが広く弘心を発すというのか、この事についてまず解かなければなりません。

 以前、佐賀城後に行った時のことですが、いつも鉄道沿線に沿って南北ばかりを往来していたので、たまには違う処にも行ってみようということで佐賀方面に出かけて行ったのですね。佐賀市内は久しぶりで勝手もよく分からずとにかく有名なところへ行こうと佐賀城後の本丸御殿に行きました。佐賀市内は県庁所在地でもありそれなりに歴史と街並みがしっかりした処ですね。で、普通天守閣というのは城郭の中央部にあると思いますが、この佐賀城は天守閣が城郭部分に建ててあるようでした。変わった建て方だというのが印象です。ご存じのように佐賀藩は薩長土肥といいまして明治維新を推進した薩摩、長州、土佐、肥前(佐賀)の四藩の一つですね。大隈重信や江藤新平などを輩出した藩です。本丸御殿には藩校の弘道館の様子も沢山紹介してありました。西洋を見据えながら日本の将来に大志を抱く若者も沢山おられたでしょう。こういう世界に広く視野を向けるのをでは弘心というのだろうか。普通に考えたらそういうものを「広く弘心を発す」と言うのじゃないですか。

 それじゃあ、浅い小因とは何でしょう。この幕末当時においてこの地ではすでに石炭は採掘されています。石炭採掘はつねに水処理の問題が障害になっていたようで、炭坑工夫同士の水争いから、鉱山の水没まで水処理の問題は深刻だったと聞いています。明治以後西洋のポンプ導入でようやう収まったそうですが、では、こういう炭坑の話は「広く弘心を発す」内容にはならないだろうか。それとも「浅く小因を発す」ところの類だろうか。石炭産業は当時の日本の近代産業からすればけして浅く小さなものではないと思いますが。それでも時代の変換からすれば中途半端でもありますね。では、いったいどの辺りから広いと言うのだろうか、そしてまたどこからが浅い小因というのだろうか。私事は他人から見ればちっぽけな出来事ですね。だから浅い小因ですか。でも、私事は私自身からしたらこれほど大きい問題はありませんよ。では、この浅く小因というものと、広く弘心ということの違いは何かといいますと、ここでは「欣心大に趣く」ですから、阿弥陀仏の浄土を願っているかどうかです。すると佐賀藩の弘道館も炭坑の水処理もどちらも浄土を願ったものではありませんし、私事も阿弥陀仏の浄土を願った問題かといえばそうじゃない。するとここにある全部が広い弘心ではないのかもしれない。

 私たちは生きていると色んな事がありますから、毎日何かにつれ悩んだり、喜んだり、怒ったり、横着になったり、自分を卑下することもあります。そんな自分の心をよくよく見つめてみると、よろしくないものも結構あるようです。そんなこんなを本音として持っております。いやいやおれはそんなものは全然持っていないぞとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、なるだけそういう方には近づかないようにしております。また、人間関係に悩んでおられる方も多いでしょう。そういう心の問題ですが、この菩提心とは仏になりたいと願う心ですね。ただ何となく願うのではない。強くそうなりたいと願うのでして、健康を願うとか、子供が幸せになってくれることを願う、宝くじが当たる事を願う、こういう願いなら強く願えますが、私は仏になりたいと強く願われる方がどれだけおられるのだろうか。今日の発菩提心はそういう話なのですが、現実的ではないといえばそれまでですが、また人間の深い処での話かとも思います。普段の我々ではあまり考えない事ではありますが、韋提希には人生において、いま、のっぴきならない事が起きているのですね。そこに私自身の耳を傾けて聞いていくのも大事なことだと思います。

 『観経疏』の冒頭に「帰三宝偈」という偈文が書かれています。この偈文の最初の処です。「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣 共発金剛志 横超断四流 願入弥陀界 帰依合掌礼」

 この「道俗時衆等」の「道」は出家した人、「俗」は在家の人という意味です。だから「僧も在家も各々この上ない心を発しても、生まれ死んで行く私たちは、生きることへの執着は甚だ厭(いと)いがたく、仏法をよろこぶことも復困難である。共に金剛志を発(おこ)して、横さまに四流を超断せよ。弥陀界に願入して、帰依し合掌したてまつれ」多少アレンジが入ってますが、だいたいこういう内容かなと思います。で、この二句目の「各発無上心」ですが、これを次の文脈との関連で読むと二つの読み方があります。まず今読んだように「おのおの無上心をおこせども」という読み方です。もう一つが「おのおの無上心をおこしなさい」と読みます。初めの読み方では、それぞれが無上心をおこしても困難だから、共に金剛志をおこしてという意味ですね。次の読み方は「おのおの無上心をおこしなさい、なぜなら生きる事の執着は甚だ厭い難く、仏法をよろこぶことも復難しい。共に金剛志をもって」となります。どちらも一人じゃ困難なので共になっておこせとなりますから、両方とも同じ意味になります。ただこの読みでは「無上心」と「金剛志」は同じ意味ですね。

 で、初めの「道俗時衆等」には「時」の字が措かれていますね。するとこの出家と在家はその時の衆等でしょう。衆等は衆生等ですからその時の衆生等です。この観無量寿経の登場人物では僧は阿難尊者になります。お釈迦様の十大弟子の一人です。そしてこの観無量寿経で韋提希と共にお釈迦様から教えを頂くもう一人の人物です。だからこの時の衆生等は『観無量寿経』からすれば韋提希と阿難ということになります。では、この時とはどんな時でしょうか。先ほどから言っていますように、お釈迦様が韋提希に阿弥陀仏の浄土を説かれる時です。すると「阿難(道)韋提希(俗)もおのおの無上なる心をおこせども、生きる事への執着は甚だ厭い難くして、仏法をよろこぶことも復難しい。共に金剛志をおこして、横さまに四流を超断せよ。弥陀界に願入して、帰依し合掌したてまつれ」と、こういう読みになります。

 この「無上心」とはこの上ない心であり、またこの上ない願心であるという意味ですが、それ以上の事は分かりません。しかしこの無上心をこの二人に限定するならば、阿難の無上心はお釈迦様と同じ境地になる事です。韋提希にとっては阿弥陀仏の浄土への願いが叶うことでしょうか。二人はそれぞれ違う願いですが、お釈迦様からみたらおそらく同じ願いなのでしょう。そして、「共に金剛志をおこして、横さまに四流を超断せよ」です。

 さて、それではこの金剛志とは何でしょうか。サケは生まれ故郷の川に帰って産卵して、サケの一生を終えるでしょう。こういう習性がある生き物は他にも多くいると思います。では人間はどうでしょうか。人生の晩年に故郷の田舎に帰って過ごそうと思われる方はわりと多いかもしれません。そういう晩年の過ごし方もこの習性とどこか似たものがあるのでしょう。比較的奥さんの里に帰られるのが多いようですが。また、沖縄では、お墓の形が女性の子宮を模っていると言われます。毎年お墓で親族が集まり飲んだり食べたりする習慣があるそうですね。お墓が一族のコミュニケーションの場であり、最後はみんなが還っていく処でもある。これもお墓に故郷というワードがあるような気がします。

 また人間は心の生き物ですから、心の故郷もあるかもしれないでしょう。芥川龍之介の作品で『河童』は今度生まれる所を選べる世界だそうです。洒落た世界です。「おっ、予定通りの場所に出て来たぞ、しめしめ」選びの無い私たちの生を、芥川は皮肉を交えて描くのでしょうか。お腹の赤ちゃんがそんな事を考えているとは思えませんが、だからといって何か意識に似たものがないとも言えないですね。お腹の中で動く仕草にはそれぞれすでに個性があるかのように見えます。ではそれよりももっと前、それこそ生の始まりである、私と言うよりも生物的でありますが精子と卵子が結合する時ですが、その時に意識的なものはあるでしょうか。いくらなんでもある訳がないだろうと思うでしょう。しかし、では無いとしたら何故そこから意識が発祥するのだろうか。これは科学者の方にお聞きするしかないと思いますが、お聞きしても分からないかもしれない。ただ何もない所から何かが始まるというよりも、何かのきっかけで何かが始まらなければ説明は出来ませんね。生物学的にまた科学的にはどうだという事ですが、少なくともそこには何かの機能が始まっているという事ではないかと思います。「自の業識」ということを善導大師は言われますが、この自の業識にそれこそ私としての生が始まるその時を見られている。意味としては生きんとする意志と言われています。善導大師においてはこの自の業識が最初の場所であり、私の生の始めです。だからそこは私の心が始まる場所でもある。生きんとする意志は生への意志であり、また自の業識としては心の故郷である。

 「生死甚難厭」韋提希は世俗に生きることを嫌いながらも、生きることへの執着を厭い離れることが出来ない。「仏法復難欣」阿難は仏法に生きる僧でありながら、お釈迦様を拠り所にするあまり本来の仏法をよろこぶ身になれないでいる。そして「共発金剛志」ですね。この「共発金剛志」の金剛は迷いがない、揺るぎのない、変わらないというような意味でしょう。貴方は何事にも揺るぎのない心の持ち主ですかと聞かれたら、いいえそんな心は持ち合わせておりませんと即答致します。もう何事にも揺らぎっぱなしの自分でして、あっちふらふら、こっちふらふら。情けないですが小心者として胸をはってきっぱりと発言させてもらいます。だから自分にはそのような金剛なる心などありません。ただこの金剛志とは変わらず揺るぎのない意志ですから、私のこの心が揺らぐかどうかではなくて私の身にそのような金剛志があるかどうかでしょう。

 韋提希と阿難においてこの金剛志を発して「横さまに四流を超断せよ」です。「横超断四流」の四流は四暴流のことです。暴流とは氾濫した川のような激流の意味だと思いますが、欲暴、有暴、見暴、無明暴を四暴と言いまして、まず欲暴流は欲に激しく流されること、何かのきっかけで途端に暴走する。むさぼりや妬みものそうでして、なかなかこの激流は日常的です。分かりやすいのは瞋恚(しんに)だと言われます。怒りや憎しみ恨みなどがそうです。腹が立つとパッと顔に出るでしょう。生きて行く中でこの欲望流にどれだけ流されるでしょうか。

 そして有暴流です。この辺りから難しくなります。この有暴流からは、実は調べても思うような回答が見つかりませんので、とにかく自分の思う処を申し上げるしかないのですが、まず生物学的に言うと人体の細胞はおよそ半年で全てが入れ替わるのだそうですね。脳細胞からすべての細胞が入れ替わるのだから、半年後は今とは全くの別人なのだそうです。でも、そんなことを言われてもこうして自分はここに居るのだし実感などもありませんね。たとえ科学的に実証されようがこの自分は自分でしかないと普通は考えるじゃないですか。だけど生物学的に言えば無いものを有るものとしている訳でしょう。森羅万象すべて変化の中である。格好つけて言うとそういう事ですね。これ仏教でいう諸行無常という意味です。川の流れをそのまま握ることが出来ますか。川の水を手ですっくてみても、それはすでに川の流れではありません。そしてすくった水を見る私たちもまた諸行無常の存在です。私も変化の中であり捉えようとする対象も変化の中ですね。そういう状況で自分はここに有り、そして対象はそこに有るとする物の捉え方は、本来をそのままに捉えていない事になります。しかしそうは言ってみてもですよ、実際の処はこの私がいてそして貴方がいる。私が有りそしてそこに何かが有る。こういう事でしか物事を測れないでしょう。辞書で認識という語を調べると「物事を見分け、本質を理解し、正しく判断すること。またそうする心のはたらき」だと書いてあります。だから認識するとは、普通にまず考える私がいてそして見ている対象があり、それを私がどのように考えるかということです。

 すると仏教でいうところの本質を知るというのは、一般的にいう物を認識するのとは違うのでしょうね。この有暴の有とはそういう点からして私が普通に考えるところの認識作用の類になりますが、その有に暴流をつけて有暴流ですから、このような様々な有への執着が何かのきっかけで激流のごとくに暴走する様子でしょうか。こうなると思い当たる事がどんどんと出て来ませんか。細かいことはここでは申し上げませんが、いたる所で展開される様々なドラマがこの有暴流の出来事かなとも思います。これらは最初の欲望流とすごく近くて、欲望流が結果なら有暴流はその因となる心の作用なのでしょう。

 次が見暴流ですが、ここで言う見とはこのような有を促す発動のようなものではないかと思っています。有を認識作用とするなら、見はその認識作用へと促すはたらきといいますか、具体的に何かそういう器官が身体にありそれが促すと言うようなことじゃなくて、単に促すところのものということです。これは自分がそう考えているだけですが、自の業識でいう生きんとする意志は私が母親の胎内に宿る時、つまり具体的な生が始まる時を言うのですが、この見はそういう生命の領域に限らないところの促しという事そのもの。そういうふうに考えています。

 そして無明暴ですが、この欲望も有暴も私の心の中の出来事です。そして見暴が私の心そのものを促すものだとしても、これらのことを私は心で捉えようとするのですから、いくらこのような観察をしても私の心から私は出ることは無いのですね。私の心を見るには心の外を通してから見なければ私の心は見えません。『浄土論註』に「蟪蛄(けいこ)春秋を識らず、伊の虫,豈(あ)に朱陽之節を知らん乎、と言うが如し。」という有名な言葉があります。蟪蛄とはひぐらしの事だと言われます、蝉は夏に生れて夏に死んで行くから春秋を知らない、この虫がどうして夏という季節を知ることができるだろうか。私の心が私を測り、その心に私を見る。私の心は私の生きることと共にあります。生まれてから死ぬまでずっと心が私を考えるのですから、心から私は出ることはないのです。だから私の心は私が一番知っているつもりでいながら本来を知らないと言います。この事を無明と言うのですね。この無明であるがゆえに、あるちょっとしたはずみでバランスを崩し、見が暴走して、有にしがみつき、欲が濁流のごとくに貪りだす。こういうシステムになっております。そのままが私の生きて行くところの姿であります。四暴流を簡単ではありますが自分なりに説明してみました。また違う見解も当然あるはずです。

 そして「横超断四流」ですね。このように四暴流は心の産物でありますが、自の業識というのは先ほどからも言いますように、身体に属しながらも私の意識の外にある処の生きんとする意志ですね。言うなれば我が心の外に属しながら、なお且つ身体に備わる変わらない意志でしょう。金剛志を発せとは、この変わらない意志に帰れということではないでしょうか。もしそうならば、それは自の業識へと帰れという事でもあるのです。そして、金剛志が身体に備わるところの意志であるならば、心の産物である四暴流の外でありますから、この金剛志を発すことはすでに四流を横さまに超えているのだというのでしょう。

 「願入弥陀界」はこの「横超断四流」をもって弥陀界に願入せよということです。しかしまた、この『観経疏』では「一切の往生を欲(ほっ)せん知識ら、善くみずから思量せよ。むしろ今世の錯(あやまり)を傷みて仏語を信ぜよ。」と言われています。「往生を欲せん知識ら」という表現が面白いですね。この往生を欲せん知識らとは、知識でこの弥陀界に入ろうとする者のことでしょう。錯はまちがえるということですから、まちがって自分の知識や裁量で弥陀界に入ろうとしても心の中でもがくだけだという事です。そして仏語を信ぜよとは、自らのその錯と傷みの中で帰って来いという阿弥陀仏の願いに気づくことでしょう。ここにおいて「願入弥陀界」「帰依合掌礼」です。そしてこの「帰依合掌礼」の姿がそのまま「横超断四流」の姿であるというのでしょうね。取り急ぎ『帰三宝偈』の「道俗時衆等」から「帰依合掌礼」までを話してみました。

 それでは発菩提心に戻ります。「発菩提心というは、これ衆生の欣心大に趣くことを明かす。」これはもういいでしょう。次の「浅く小因を発すべからず」は心の内なる世界で発すべからず。いくら広い視野でも自分の心から出ることは無いのです。だから「広く弘心を発す」とは私の心よりも広い、広大な外にそのままにしてつながる変わることがない意志に帰ることである。この金剛志を求める心が菩提、つまり仏と相会するのであると言われるのでしょう。「我が身、身は虚空に同じく、心は法界に斉しく、衆生の性を尽くさん」は、我が身は無限に広がる法界にあり、心は金剛志を求める心となり、その心もまた法界に斉しい。ここをもって、ただ願わくは、我ら衆生としてのこの一生を尽くしていこう。

 「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり。また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。ゆえに発菩提心というなり。」この菩提と心を何故わざわざ分けられて言われたのだろうか。消化不良は未だなお継続しますが少しはほぐれて来たかなあとも思います。

 

 

  

「観経疏の発菩提心」に関する(付録)として

2013年3月 『風俗史学』51号「あるひとつのパターンについて」より

  「これ夫人、婉転涕哭することやゝ久しくて、少しき醒めてはじめて身の威儀を正しくして、合掌して仏に白すことを明かす。」観経疏、序文義に登場することばですが、経典においては「時に韋提希、仏世尊を見たてまつりて、みずから瓔珞を絶ち、身を挙げて地に投げ、号泣して仏に向かひてまうさく、世尊、・・」となります。

  経典においては「号泣して仏に向かひてまうさく」ですが、観経疏には「久しくして、少し醒めてはじめて身の威儀を正しくして」と慟哭から仏に白すまでの間に時間の経過が示されて内容としてはかなりの違いがあります。通常の意味においてはこの時間の経過はないのだから、感情の高ぶりのままに韋提希が釈尊への愚痴を述べる段階だけということですが、ここに時間の経過を現わした時に感情の高まりは抑えられて、冷静さを装ったなかで釈尊に文句をいいはじめるという状況が想像できるわけです。感情の高まりから愚痴を言い出すのは感情が興奮状態であるためのものであることが予想されますが、ここにさめる時間をおいたのは、次に仏に愚痴を告げることが意識の高揚のために告げたのではないことを言わんがためのものではないでしょうか。

  その後に韋提希は釈尊の沈黙により自らの愚かさを自覚するのですが、その自覚の対象が興奮状態による自らの愚かさを自覚するのか、それとも牢獄で命の危うさを感じながらも冷静さを装う姿を見せて、事の原因の責任を釈尊にまで押しつけるような言葉を発していくこと全体から自らの愚かさを自覚させるのか。王妃として過ごしてきた時間に経過が、この慟哭から愚痴までの間に行われたほんの短い時間と重なり、その一瞬に王妃韋提希として生活した時間全体が愚かであったことを自覚したと強調したかったのではないでしょうか。

  意識のある一面の興奮した状態ではなくて、生活そのものの時間であるならば、それは釈尊の沈黙によりその自らの愚かさが露呈されて韋提希の意識全体が崩れたのであり、単に意識のある一面が否定されたのではないのでしょう。このような心的な状況を善導は何故わざわざここに措かなければならなかったのか。この疑問が後の観経疏を読んでいくときの大きな視点になるのですが、勿論善導が用いた経典が現在のものと違いそういう文言が入っていたことも可能性として出て来ます。しかしもしそうであるなら何故その文言が消されたのかを問題視しなければならないでしょう。韋提希はこの後阿弥陀の浄土を釈尊に請い願うのですが、その起点となるものとしてこれを観ていくことが現在の研究の課題のひとつとしてあります。しかしこの問題は観経疏にとどまらず幾つかに同じような形態が描かれていることに目が向けられるのです。

  例えば、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』においても韋提希の心的な一連の状態が現れているように思われます。この『カラマーゾフの兄弟』におけるアリョーシャの宗教体験が「ガリラヤのカナ」で描かれています。しかしその前に「腐臭」に長老ゾシマの死によるアリョーシャの挫折があり、そこから「ガリラヤのカナ」での宗教体験へと続いていきます。この韋提希の愚かさの自覚(意識の崩壊)とアリョーシャの挫折に観るものはいったい何なのか。

  意識が否定された状態は見かたを変えれば、意識が始まる前の状態だともいえるでしょう。何故ならまたそこから見ている自分が感じられて意識が始まるからです。そういう点では意識よりも前であり、何かを見るということはその意識の前を見るということにもなるのかもしれません。それは見ているものと見られているものとの間には差別はなく、ただそうした状態があるということだけなのでしょう。こうした状態が韋提希の愚かさの自覚やアリョーシャの挫折のなかに窺えます。

  ヘーゲルの『精神現象学』における「1、感覚的確信ー(目の前のこれ)と(思いこみ)」においてこういう文章が書かれています。

  「まっさきにわたしたちの目に飛び込んでくる知は、直接の知、直接目の前にあるものを知ること以外にはありえない。この知を前にして、わたしたちは、目の前の事態をそのまま受けとる以外にはなく、示された対象になんの変更も加えず、そこに概念をもちこんだりしてはならない。感覚的確信の具体的内容を見ると、感覚的確信こそ掛け値なしにもっともゆたかな認識、いや、無限のゆたかさをもつ認識に思える。内容が外へと広がる際の空間と時間に限界はないし、充実した内容からその一部をとりだしてきて、それをこまかく分割していっても、限界にぶつかることはないように思える。その上、もっとも正しい認識であるようにも思える。対象からいまだなに一つとりさることもなく、対象をまるごと目の前に見ているのだから。だが、実際は、感覚的確信が真理だとすると称するものは、もっとも抽象的で、もっともまずしいものである。感覚的確信が、自分の知る対象についていうことは、「それがある」ということだけで、その心理にふくまれるのは、事柄があるということだけである。意識のほうも、なにかを感覚的に確信するかぎりでは、純粋な自我としてあるにすぎず、そこでは、自我は純粋な「この人」という以上のものではなく、対象も純粋な「このもの」以上ではない。」長谷川宏訳『精神現象学』

  韋提希の浄土を願うときに釈尊から見せられた浄土の姿を一種の宗教体験とするなら、『カラマーゾフの兄弟』による「ガリラヤのカナ」でのアリョーシャの宗教体験と一致するものがあるでしょう。そしてその前段階にある意識の前の経験は、ヘーゲルにおいては感覚的確信として示されています。またヘーゲルにおいは宗教体験としてではなくて『精神現象学』の中枢部へと進んでいく始めのものとして現わされているのでしょう。この一連の事柄はキルケゴールにおいても見られます。それぞれの後のあつかわれていく内容は統一的ではないかもしれませんが、こういう一人ひとりのその後の内容を編纂することが目下の目的になっています。その人の思考内容が重なったり反発したりしながら、ある一つのものに向かっているような気がしてならないからです。その人の描く図形がある円を描いていたとしたら、また違う円を描く人がそこに登場した時、それぞれの円は違う形をしていますが微妙にどこか重なる部分がある。現在においてはこういう自分なりの研究をしているつもりです。

  観経疏の話に戻りますが、そういう視点で少しずつですが読んでいきますと善導その人が気になってきます。ある面少し気を使って書いているのではないかと勝手にですが詮索することもあります。そしてそれは西洋の哲学とも深く重なっているように見えるのです。

  「観経疏の発菩提心」は予定外の内容でしたが、だからといってその先に何か予定するものがあったわけではなく、着地点が予想外だったという事でした。以前同じ形態とした善導の独自性を『風俗史学』の「あるひとつのパターンについて」で書いていたので付録として掲載しました。

観経疏の発菩提心

令和2年12月 御正忌報恩講より

  親鸞聖人の御命日を記して、こうして報恩講が全国で執り行われます。親鸞聖人が日本の代表的な高僧であることは間違いありません。しかし日本の仏教において高僧だと認められたのはつい最近のことではないでしょうか。聖人が修業をされた比叡山は様々な高僧たちを輩出してきました。聖人もその一人です。ただ日本仏教を代表とする高僧だと認められていたかといえば定かではありませんでした。

  師である法然上人は比叡におられた頃から智慧第一の法然房と言われ、比叡を降りてもなおその名声は日本を代表するものでした。しかし親鸞聖人は違います。何百年もの間、比叡山の高僧とはなっていません。理由は妻帯をされたからです。仏教には妻帯の概念が無いのですね。高野山にケーブルカーで登りますと、途中で女人禁制の場所が残っています。昔女性はそこから先に入れなかったのです。現在はおかまいなしに入れます。禅の道元は、京の伏見の興聖寺で男女ともに禅の修業をしたと聞いていますが、後程福井の山中に永平寺を建立して厳しい修行場を開かれました。親鸞聖人はこの道元と同時代の方ですが、法然上人のもとに行かれる頃には、すでにこの妻帯の問題をどこかで背負っておられています。親鸞聖人が生きられた鎌倉時代は仏教が民衆に入っていく転換期でありますから、こういう民衆的であり、人間的な課題が登場したのではないかと思います。

  また、社会的な見方からすれば、聖人は知識人や文化人から人間親鸞と称されて、非常に人間味ある高僧だと言われ続けております。若き青年親鸞の悩みは何だったのか。よくこういうストーリーが描かれたのではないでしょうか。形ばかりを聖人ぶるより真正直に一人の人間として悩む姿、そしてその現実を生きる姿勢をそのまま仏教にぶつけられた魅力が聖人にはあります。29歳の時に法然上人の元へ行かれた後も変わらずにご自身の問題をひっさげて生きて行かれました。妻の恵信尼との間には沢山のお子さんもおられます。この人間味が親鸞聖人の魅力なのですが、しかしこういった聖人への捉え方はおそらく明治から大正、昭和とその時代の知識人や文化人が描いた親鸞像でもあったのでしょう。

  親鸞聖人が生きた鎌倉時代にはそういう知識人や文化人はいないのですから、青年親鸞、親鸞と名乗られたのはもっと後の話ですが、とにかく親鸞の悩みがいかに人間味があると言っても親鸞一人だけが悩んだのではないはずですね。時代背景に沿って同じような悩みがそこらじゅうにあったはずです。その頃、民衆仏教の先駆けである法然上人はすでに70歳近いお年でした。20年ほど前にすでに比叡を降り専修念仏を京で開かれておりましたので、法然上人の名声は日本全国に広まっていたことでしょう。当然、当時の親鸞聖人にも聞こえたはずです。ご存じにように法然上人に遇いに行かれる時はかなり悩んでおられます。六角堂の百日間の参籠が有名ですが、恵信尼文書にも晩年の思い出としてこの六角堂の参籠の話が書かれていますので、日常の会話にもよく出ていたのでしょう。

  法然上人と親鸞聖人とのご信心について、歎異抄の後序に書かれています。「善信(親鸞)が信心も聖人(法然)の御信心も一つ」と親鸞聖人が言われるのについて、お弟子の勢観房・念仏房が「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、一つにはあるべきぞ」と文句をつけられます。親鸞聖人は「聖人の(法然)の御智慧・才覚ひろくおはしますに、一つならんと申さばひがごとならめ。往生の信心においは、まったく異なることなし、ただ一つなり」法然上人の智慧や才覚が親鸞と同じだというならば、自分のいうことは間違いである、しかし往生の信心においてはただ一つだと返答をされる。勢観房・念仏房はその答えになお納得がいかいものだから、法然上人にその旨をお聞きすることになります。すると法然上人は「源空(法然)が信心も、如来からたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来からたまはりたる信心なり。されば、ただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」と弟子たちの論争を収められたことが書かれてあります。 

  この「如来よりたまはりたる信心」という表現はよく耳にして聴きなれているから別に何とも感じませんが、しかし普通なら信心と言えば私が何かを信じることですから、まず私がありそして何かを信じる事ですね。たとえば私が神の存在を信じるとか、ご加護を信じる。何ゝ仏の御利益を信じるというような類になるでしょう。しかし、ここで言われている「如来からたまはりたる信心」は、如来が私に信心をくださるということですね。じゃあどういう信心をくださるのか。考えるとよく分からなくなる。

  これは自分の受け取りでありますけども、この「如来からたまはりたる信心」というのは、この私をたまわることで成立する信心である、そういう事かなと思っております。では、その私をたまわるとはどういう事でしょうか。

  私たちは、普段何事もなく暮らしていると、自分というものがさもを分かったかのように暮らしていますが、いざ自分の思慮分別を超えるくらいのごたごたが生じたら、泣いたり、わめいたり、妬んだり、と変化に富んだ自分が現れます。その時心は何かに振り回されるがごとくに変わっていく。場合によっては取り返しのつかないことまで仕出かしてしまいます。あの時ああすればよかった、こうしたらよかったと、振り返りながら後悔先に立たずの現実です。何事もなく全て順調に過ごしてこられた方もおらるでしょうが、概ねこういうものじゃないですか。誤魔化しが利くものなら知らんふりで過ごせますが、この取り返しがつかない事実の積み重ねはどうしようもない。どれが本当の私なのかと改めて考えても、どれもこれも自分に変わりはないし、だからといってどの自分が私だとさっと出せる答もない。あるのは自分が気に入ったものは私として認めたいし、都合が悪い自分は認めたくないという心である。若い時はそういう認めたくない自分の姿を自分で責めて、自己嫌悪に落ちる人もけっこうおられるでしょう。年取ると老化現象か何か知りませんが、そういう感覚が薄れてきますね。だからといって心が深く広くなったのかといえば、一概にそういう事じゃない。ボケてるか、誤魔化し方が上手くなったのか、そういう事かなとも思います。

  ただ、老いは時間経過の加速する感覚が強いですから、これからどうなるんだろうって、何がどうなるか分からないのにせかされているみたいで、外見よりかなり焦った様子がある気がしますね。老後の心配は勿論あるし、子供が大きくなれば心配の内容が変わるだけで、より心配が増す気がする。身体的にも誤魔化しが利かない。そしていよいよ死が具体的に近づいてくる。それに伴いかえって死にたくない気持ちが増す。問題は山積みです。ずっと前に読んだ夏目漱石の、たしか『門』だと思いますが、その最後辺りに、主人公が門の前にたたずみ、そこから前にも帰ることもできないまま、門の前でただ茫然と日が暮れるのを待つだけだった。そのような内容だったと思いますが、ふと思い出しました。

  若い時は若い時の悩みがありますが、老人には漠然としたそして深刻な悩みがありますよね。この死が漠然としすぎて自分の器量をはみ出しますから考えようがないだけです。しかしこういう周囲や年齢による変化においても変わらずに、この私としていつも還れるような、私本来のこの私自身をいただく。それを「如来からたまはりたる信心」と、こう言われるのだろうと思う訳です。

  観経疏の序文義に「たゞこれ相因って生ずればすなはち父母あり、すでに父母あればすなはち大恩あり。もし父なくんば能生(のうしょう)の因すなはち欠けなん。もし母なくんば所生の縁すなはち乖(そむ)きなん。もし二人ともになくんばすなはち託生の地失わん。かならず須からず父母の縁具して、まさに受身の処あるべし。すでに身を受けんと欲(ほっ)するに、自の業識(ごっしき)をもって内因なし、父母の精血(しょうけつ)をもって外縁(げえん)となす。因縁和合するがゆえにこの身あり。・・・」観経疏は序文義、定善観、散善義 と別れていまして、この文章はその中の序文義の最後辺りのものですが、韋提希がいよいよ阿弥陀仏の浄土をお釈迦様から享受される前段階のところになります。

  韋提希が阿弥陀仏の浄土を求める意義は正しいのですが、その心の根といいますか、浄土を求めるところの心の発する場所がまだ明らかでない。そこで定善観に入る前に、韋提希の心根を正すために設けられた場所ではないかと思っています。普通いうところの本論に入る前の基礎認識ですね。ここを散善顕行縁と言いますが、その初めの文になります。そして次に韋提希の発菩提心が明らかになる。

  この発菩提心に入るまえに、善導大師はひとつの物語を載せています。飢饉で苦しんでいる町にお釈迦様が托鉢に出かけられる場面ですね。町中が飢饉に苦しんでいる状態ですから、誰もお釈迦様に食を施すものはいませんでした。三日たってもひと鉢の食もないまま次第に体が衰えていくお釈迦様に、一人の比丘が心配して何かお召し上がりになりましたかと尋ねます。お釈迦様は衰弱がひどく話す力さえ無くなりつつありました。お釈迦様のその姿を見た比丘は悲しみ泣いて、自分の三衣を売りお釈迦様に食事を施そうとします。するとお釈迦様は「貴方の三衣は、三世諸仏の幢相なり、この衣の因縁極めて重く、極めて恩あり」(あなたの着られている三衣はあなただけにとどまらず、過去・現在・未来に極めて重い因縁があるのです。それは極めて恩があります。)と言われ、私はそれをいただく事は出来ませんと、その食を断ります。

  その時、比丘は「仏(お釈迦様)はこれ三界の福田、聖の中の極みなり、それでも頂いてもらえないなら、他の誰かに施します。」(お釈迦様のような聖の極みのお方においても御召し上がていただけないなら、誰かに施すしかありません)。するとその時、お釈迦様はあなたの親は居られますかと尋ねます、そしてあなたの両親にこの食を与えなさいと言われる。比丘はお釈迦様がお食べにならないのに、どうして私の親が食べることが出来るでしょうか、と返答しました。お釈迦様は、「あなたの両親は食べて良いのです。あなたの両親はあなた自身をこの世に生んだのです。あなたにとってそれは大きな重い恩です。これがためにあなたの両親は食べてよいのです。」と告げられ、そしてまた「あなたの両親は信心がありますか」と尋ねます。比丘は両方とも信心はないと答える。その時にまたお釈迦様は「だからこそあなたの両親に与えなさい、いまそこに信心があるのです。」「あなたの両親もまた親がいます。いままでの経緯を教えてこの食を与えなさい。そうすればあなたの両親はこの食を得ることが出来ます。」

  比丘が言うところの「仏はこれ三界の福田。聖の極みなり」に対して、お釈迦様が比丘に言われた福田とは何だったでしょうか。それはこの三界(過去・現在・未来)において、あなたとして生を受けたことによる両親への恩だということでしょう。この文の最初の処ですが「すでに父母あればすなはち大恩あり」という言葉は、この私のいのちは、過去・現在・未来を貫いている福田であり、大きな恩があると言われるのです。その私のいのちの初めを、次の文に「すでに身を受けんと欲(ほっす)るに、自の業識をもって内因となし、父母の精血をもって外縁となす。因縁和合するがゆえにこの身あり。この義をもってのゆえに父母の恩重し」と、こういう言葉で続けられます。「自の業識をもって内因となし、父母の精血を外縁となす。因縁和合するがゆえにこの身あり」です。だからこそ父母の恩重しですね。

  この自の業識は生きんとする意志だと言われます。生の初めが父母の精血であることは分かりますが、その精血が生きんとする意志と因縁和合することによってという言い方です。自らのいのちが始まる時をこういうふうに表現されのですね。この生きんとする意志を、私が生きようと思うということなら、親の恩を決めるのも私の思い次第です。しかし、この生きんとする意志は、いのちが始まる時を言うのですから、今の私の気持ちがどうであれ否応なしにこの身として始まっているという事実ですね。ここに気づけば父母の恩重しです。私の思いよりも深く、私の意識よりも前に、生きんとする意志が私の生の初めとしてすでに始まっている。そういう私を頂くのでしょう。こういう生の根源を韋提希に享受して、そして発菩提心へと続いていきます。

  で、この発菩提心なのですが、正直困っております。なかなか難しい。当初はそう気にしてなかったのですけど、いざそこを通り過ぎようとした時に大きな壁みたいになってしまいました。

  この発菩提心は最後に「また菩提というは、すなはちこれ仏果の名なり。また心というは、すなはちこれ衆生能求の心なり。ゆえに発菩提心というなり。」の言葉で終わります。これも難しいですが、その前の菩提心の説明もなかなか難しい。「我が身、虚空に同じく心は法界に斉しく、衆生の性を尽くさん。」これをどう解釈するのだろうか。

  とにかく、この「菩提というは仏果の名なり」ですから、ここで言う菩提とは仏果の名前だということですね。仏果の名前なら他にもあります。法、法性法身がある。涅槃もそうでしょうか。まだ他にもあると思いますが、ここで言う菩提はその名の一つであるということです。また、衆生能求の心は衆生自らが求める心でしょう。これは仏果ではありません。あくまでも衆生という人間の心です。だからこの「菩提は仏果の名なり、また心は」というのは、菩提は仏果であり、また韋提希の菩提心は衆生が浄土を求める心である、とこうなるわけです。

  衆生を超える仏果と、韋提希の菩提心は違います。しかし、ここではある関係としてこの両方が生まれている。こういうふうにも読めるのですね。「我が身、虚空に同じく心は法界に斉しく」我が身をどこの我が身と捉えるかですが、この場合はやはり生の初めとしての我が身でしょうね。そしてその身は虚空に同じです。そして心は法界に斉しですね。するとこの心は韋提希の衆生能求の心というよりも、自の業識である生きんとする意志になるでしょう。ここでの法界も虚空も同じことだと思います。だからこの生の初めの我が身と心は法界に斉しい。その我が身と心を基礎認識としている韋提希の衆生能求心が発菩提心である。こういう言い方ではないかと思うのですね。

  そしてこの韋提希の発菩提心を私の信心としていただく時が、今この私を頂くという信心である。「如来よりたまはりたる信心」をこういうふうに思うのです。なかなか難しい所で、かなり消化不良な処になっています。ただこれは善導大師の念仏における信心ということで話しておりまして、法然上人は偏依善導と言われますように、善導大師の御信心を自らの信心だと言われるわけですから、こういう内容が法然上人の専修念仏の背景にもあるということかなと思う訳です。今日は「如来よりたまはりたる信心」を自分なりに探りながらここまで来ましたが、まだまだぼやけたところが多いようです。

  また、一般的に法然上人の専修念仏で、こういった信心が言われているとは聞ききませんが、当時の民衆に進められた専修念仏にこういった背景があったのではないかと考えるところのものです。そして思うのは、親鸞聖人は比叡の時にすでにこの観経疏を読破されていたのではないかという事ですね。

コロナに負けるな「不安」編

 2010年 その他の原稿から 

  気がついたら老人でした。気持ちは違いますが、年齢はすでに老人です。証拠もあります。よく老後の人生を考えています。老人になって老後を考えるのは手遅れ気味ではありますが、だいたいがそういうものではないでしょうか。後どのくらい生きるのだろうか。いい人生設計はあるか、できればいい人生でありたい、生きがいがある老後でありたい、などなど・・。

  新型コロナウイルスはこの定まっていない老後の人生設計に、新たな課題を、それも強引に付け加えました。それはいかに生き延びるかです。死に方ばかりが気になる老人に、いかに生き延びるかという意義をいやおうなしに押し付けてきたのでした。でも考えてみれば、昔々の人々はこのいかに生き延びるかは最初から生きる前提条件だったはずでした。そんなこんなでまだ老人になる少し前に書いた原稿を見つけだしてみました。もし老人自粛でお暇でしたら読んでいただければ幸いです。若い方も歓迎です。

  「不安」という不気味さ。面白い表現です。この不気味さは「居心地の悪さ」という意味でもあるそうです。「脅かし」という不気味さ。これについては様々な対応が考えられますが、こちらの力量が足りませんので一つひとつ取り上げて説明することが出来ません。ただ、人間が辿ってきた歴史は、この周囲からの「脅かし」を心配して、どのような対応が営まれてきたのかその結果でもある、ということは言えないだろうか。国家、民族、文化をそこに描くことが出来そうな気もします。人間の心の動きはそれぞれが違うものだと思われそうですが、こういう観点から観たら特定な方向性が見えてくる。これをハイデガーは気遣いという言葉で表現してます。そして私たちが普通に気遣うのと同質であるともいうのです。

  「不気味さ」を背景にして心が動いているのなら、どのような動きとして働くのか考えると思いつくものがあります。それは「集める」ということです。お化け屋敷に何人かで入ると、気づいたらみんなが密になっていた。ギャー、ワーと叫びながら同じ場所で密になる。誰が集めたわけじゃないのに集まる。それは怖さや「不気味さ」が集めるのです。人間関係もこういう「不気味さ」に対する心の動きによって私を動かす。そう考えると身近なものになります。そして私たちの生活現場である様々な関係においてもこの「不気味さ」がいつも顔を出している。こういったことを考えながら生活する人はあまりいないと思いますが、それでも普段とは違った風景がそこに現れることでもあります。皆さんがいろんなところで気遣う背景には、こういう「不気味さ」を背負っておられる。

  そういえば背後霊なども、こういう感覚を昔の人が何処かで感じていたからかもしれませんよ。外では蝉も泣き出したようですから、サービスで涼しくしました。で、ハイデガーはこの気遣いをとおして人間の心の動きやそこに現れる現象を分析した人です。

  「居心地の悪さ」は何処からくるのか。それはその場に対する不気味さであるという事になりますが、だからといってその場所が不気味で居心地が悪いということじゃありません。何故なら気遣いは居心地を良くしようと動くのですから、それではこの「居心地の悪さ」は居心地が良くなる前の状況になります。しかしそういう状況の前後を言っているのではありません。私がそこを居心地良くしようと気遣う時に常に同席するもの。同席と言えば誰か他に居るみたいですが、そうではない。気遣いがある時にいつも同席するということで、隣にいつも何かあるということですね。妖怪ウォッチみたいになってしまいますが、気にせず先に進みます。

  パソコンで原稿を書くのですが、文章の入れ替えも簡単ですし、誤字の訂正もしてくれます。領域設定して文章ごと入れ替えることも簡単です。で、この領域設定をここでいう気遣いに当てはめてみることにしました。そうすると気遣いは何かの目的があるから気遣うのでしょう。だから気遣いはその人の目的に応じてその都度に領域設定がされ、それにともなうその人の目的を持った気遣い方になるのですが、こういう意図的な気遣いもそうですが、とっさの雰囲気での気遣いも同じだという事になります。その時に同席するものです。何か得体の知れないものがあるという訳です。これを「不安」という言葉で表して、それは「居心地の悪さ」だというのです。しかしそれにしても、この「不気味さ」というのは何だろうか。ハイデガーは、それは無だと言います。私が何かを気遣う時に無もそこにあると言うのです。

  そして気遣いは何かを目的にする時にあるもの。その気遣っているところの視点でありますから、言うなればそれを気遣おうとする主体です。これを現存在というのだと思っております。そうなりますと、その領域設定されるところのものは、現存在から領域設定された世界ですから現存在における世界内存在だということです。ハイデガーの現存在・世界内存在をこういうふうに考えていきます。

  現存在が無とともにあるという事ならば、無という足場のない場所が常に世界内存在の場所でもある。これを感覚的に表現されたときに、何か全体に得体の知れない「不気味さ」があるということになるのでしょう。ただ困ったことに、こういう「不気味さ」における対処法がないということです。私の意識がある時は常に現存在とその世界内存在なのですから。

  晩年にハイデガーはこの「不安」を「呼び求める促し」と説明しています。ぼくはまだ晩年だとは思っていませんので、横着にこれを単に「呼び戻し」と言っていますが、ではいったい何処から呼び戻されるのか、それは本来から呼び戻されるということです。それでは何処にその本来があるのか。しかしそれはただ漠然とした無の空き地状態があるだけなのです。

  この世界内存在から現存在は出ることは出来ませんが、しかし、ある特異な場所を設定することで一時的に出ることがあるのです。それはある場所へ「ずれる」ということですが、では何処へずれるのかと言えば無へずれるのですね。移行するとも言います。実際にこういう世界内存在や気遣いの世界がどういうものか知るには外から全体的を観ることが必要ですが、気遣っている自分そのものを観ることですから、現存在である限り観ることは出来ません。だから視点に何かのずれが生じないかぎりこの気遣いとしての現存在と世界内存在の関係全体を見ることは出来ないのです。それで、この現存在と世界内存在の関係自体を観るためにこのずれることを述べています。それをハイデガーは世界内存在が事物的存在に移行すると言っています。つまりここで言えば事物的存在にずれるということになります。

  「不安」というものは自分の存在に対するゆらぎなのでしょう。足場が抜け落ちるような不確かな状態です。だから確かなものへと呼び戻されるのです。しかしながら、その確かなものが何処にあるというのでしょうか。何処を探しても無いのです。ハイデガーはこの「気遣い」を頽落と言って、良い言葉では使っていません。何故でしょうか。この気遣いというのが「世人に没する」という言葉で示されているからですが、この気遣いは自分を表現するものであるにも関わらず、常に偽装されているというのです。装っているといえば分かりやすいでしょうか。もともと気遣いはその「不安」に対するものを背景にしていますから、いくら気遣う内容が変わっても「不安」に対する心の動き方としては同じなのですね。だから気遣う相手の対応は、心の動きを元にすると、現存在がその存在者(私)を通してその世界内存在に対する動きですから、その世界内存在におけるものは気遣うための道具としての存在になるのです。本質が不安に対するものですから、世界内存在は常にそのための道具の世界なのです。だから世界内存在の気遣いは本質のための二次的なものなので、そういう観点からすれば世界内存在の気遣いは常に偽装されていて、そしてこの見せかけからは離れられない。

  それではこの「不気味さ」から逃避するにはどうすればいいのか。いろんな人のその人なりの建設的な捉え方があるかもしれませんが、この不気味さから逃避することは出来ません。そして良いも悪いも全て現存在と世界内存在の出来事なのです。こういう感覚で捉えられると何もかもが偽装の五十歩百歩なのですね。気遣いをこの不気味さに対する態度だとすればそういう言い方になります。それでこれを頽落という言葉で表現します。

  次に「共現存在」という言葉が登場します。これは少し説明をつけ加えると分かります。その人の世界内存在は無機質ではないのですから、当然いろんな人がその世界内存在に関わっています。だからその場は幾重もの世界内存在になっているわけです。それぞれの世界内存在がそれぞれの人の現存在としての世界内存在なのです。  

  それでは、この世界内存在は何によっての世界内存在なのか。それは私の過去の経験がその世界内存在の内容なのです。言い換えれば、私の過去の経験がその世界内存在の内容を見せているのだから、この現存在が観る世界内存在は過去の経験が投影されたものだと言うのです。その世界内存在に現存在が可能性を見つけて、その世界内存在に自らを没入させるという言い方になります。可能性は当然未来を見つめたものですが、実際は何処に向かって可能性に没入するかと言えば、もちろん世界内存在ですから、私の過去の経験が投影されたものへと投げかけられたものであるのです。つまり過去に向かって未来に没入するという形になります。論理的に言えばすごく不自然でしょう。私たちは何かにつれよく行き詰まったりしますが、こういう不自然さに立っているのなら、何事もスムーズに進んでいかないことの方が当たり前な気がします。

  考えてみると、いろんな壁を乗り越えたり、壁から引返したり(これを挫折というのでしょうか)しながら年取っていくわけです。自分なりに歩こうとすればそれなりの壁が有ります。こういう普通に私たちが経験することを、現存在と世界内存在に吟味してみると、私の意識よりも先にすでに何か命の生成というものがあって、その生成する姿を元にすれば、すでに私の意識下において特定の動き方が備わっていたということだろうと思います。それを現存在と気遣いの仕方で表現したのでしょう。生きるという事をこういう観点から見つめるのです。

  さて「不安」に戻ります。「不安」は私たちには微妙な感覚ですが、それは「居心地の悪さ」であり足場の無いところからの呼び戻しである。こういうことは、おそらく、日常的には漠然としていて捉えどころがないでしょう。だから私たちがこの日常と思っている何気ない時間が崩れ落ちて、非日常的なものに出くわした時、この「不安」が一気に湧き上がってくる。この非日常な時こそ死だというのです。

  死をこういう観点で捉えるのはよく分かるのですね。しかしここでいう処の死は具体的に現前する死を前提にするのですが、よく考えると死ぬちょっと前の状態です。といっても死にかけて意識が朦朧とした状況ではありません。はっきりした意識でこの死の崖っぷちに立っている状態です。ハイデガーはこういう死のシチュエーションを強調します。つまり世界内存在は私の過去の経験が内容だから、死んだ経験がない私にとって没入しようがないのです。たしかに近しい人の死に接することはあります。しかしたとえ身近な人が亡くなってもそれはあくまでも外の経験であり、自らの経験にはなりえない。こういう世界内存在が成立できない死のがけっぷち状態をもって、日常が崩れ落ちる場所として究極であるとする。その場所こそが、気遣いそのものを浮き上がらせ頽落の全体像が現れてくるというのでしょう。これが「無」へずれるという事の説明ですが、ハイデガーの世界内存在が事物的存在に移行するといのはこういうことを言うのでしょう。

  このあたりの個所を『存在と時間』から引用してみましょう。(第69節世界内存在の時間性と、世界の超越の問題)

「(おのれの外へ抜け出している脱自)の統一は、おのれの「現」として実存する或る存在者が存在しうることのための可能性の条件なのである。現にそこに開示されている現存在という名称を担っている存在者は、明るくされている。現存在がこのように明るくされていることを構成している光は、この存在者が時おり出来(しゅったい)して照射する明るさの、存在的に事物的に存在する力や源泉ではない。現存在というこの存在者を本質上明るくするもの、言い換えれば、この存在者をそれ自身にとって「開いた」ものにするとともに「明るい」ものにもするものは、すべての「時間的な」学的解釈に先立って、気遣いとして規定されていた。この気遣いのうちに現に完全な開示性がもとづいている。こうした明るくされていることが、すべての照明や開明を、また、何ものかを承認し、「見てとり」、所有したりするあらゆるはたらきを、はじめて可能にするのである。この明るくされていることの光をわれわれが了解するのは、われわれが、植えこまれている、事物的に存在しているなんらかの力を探し求めずに、むしろ、現存在の全体的な存在機構である気遣いを問題にして、この気遣いの実存論的な可能性の統一的根拠いかんを問い求めるときだけである。脱自的な時間性が現を根拠的に明るくする。」

  この難解な文章を、こうして申し訳ないぐらいかいつまんでいますが、この「脱自」が無にずれた状態です。そして「頽落の全体が現れてくる」がこの引用文の全体になります。特徴的なのはこの「明るくされている」ということですが、説明では「照射されるような明るさや、物質的な明るさの根源ではない」という事です。この(無にずれた)脱自は何かを統一しているのですが、それは私を含めた現存在が世界内存在で頽落する姿そのものであり、また共現存在のそれぞれの世界内存在が幾重にも重なる世界そのものなのでしょう。この頽落の全体が開示されて、そのことで明るくされているということになります。そしてこの気遣いそのものが私をして動く心のあり様ですから、この時間性は私よりももっと以前から続いている時間ですが、その時間性がこの「現」というある特定の場所において一時的に収まっているというのでしょう。ハイデガーはこの小タイトルにあるように、この現存在と世界内存在の開示における時間性を世界の超越の問題に繋げようとしたのです。