証巻 正定聚について その③

令和5年11月26日 御正忌報恩講より

「(如来会)また言わく、かの国の衆生、もしは当に生れん者、みなことごとく無上菩提を究竟し、涅槃の処に到らしめん。何をもってのゆえに。もし邪定聚および不定聚は、かの因を建立せることを了知することあたわざるがゆえに、と。」 

前回までは『論註』を読みながら証巻を進めてきました。今回は少し『論註』を離れて、道綽禅師『安楽集』と善導大師『観経疏』が登場します。今日は邪定聚および不定聚の問題です。

では、まずはじめに邪定聚ということですが、邪定聚は観経の信心といわれます。この邪はよこしまという意味ですから、よこしまに定まる聚(なかま)ということになりますね。また「よこしま」は正しくないとか道に外れているという意味でもあるから、邪定聚は正定聚からすれば正しくないとか、道から外れているということになります。すると、この正定聚の正に対しての邪ですから、正と邪を比べて正が正しいと、語句としては当たり前ですね。しかし、これを往生浄土においてと言った場合、何をもって往生浄土かということですね。すると、この往生浄土の意義は何かといえば、それは、我が心の偽りと、我が身のいたらなさです。我が心が偽りなく、我が身が正しければ、別に阿弥陀仏の浄土往生はいならいのです。心身ともに凡夫の身であるからこそ往生浄土の門は開いているのですから、この場合の正とは、正しい凡夫の身としての自覚です。オレのほうが正しいぞ、お前はよこしまだ、と、高慢からの正と邪ではない、ということでしょう。

 観経は「下品下生」のお救いといいまして、この「下品下生」は、目の前に死が近づいているにもかかわらず、とにかくも自分に何もかもない人のことです。何もかもないというのは、どうしようもない人をいうので、ろくでもない人、言い方はいろいろあるでしょうが、ま、とにかく『観無量寿経』の「下品下生」の処を読んでみます。

「仏、阿難および韋提希に告げたまわく、「「下品下生」というは、あるいは衆生ありて、不善業たる五逆・十悪を作る。もろもろの不善を具せるかくのごとき愚人、悪業をもってのゆえに悪道に堕すべし。多劫を経歴して、苦を受くること窮まりなからん。かくのごときの愚人、命終の時に臨みて、善知識の、種々に安慰して、ために妙法を説き、教えて念仏せしむるに遇わん。この人、苦に逼(せ)められて念仏するに遑(いとま)あらず。善友告げて言わく、「汝もし念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべし」と。かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念々の中において八十億劫の生死の罪を除く。命終の時、金蓮華を見る。猶し日輪のごとくしてその人の前に住す。一念の頃(あいだ)のごとくに、すなわち極楽世界に往生することを得ん。蓮華の中において十二大劫を満てて、蓮華方(まさ)に開く。観世音・大勢至、大悲の音声をもって、それがために広く諸法実相・除滅罪の法を説く。聞き己(おわ)りて歓喜す。時に応じてすなわち菩提の心を発す。これを「下品下生の者」と名づく。これを「下輩生想」と名づく。「第十六の観」と名づく。」

①この語を説きたまう時に、韋提希、五百の侍女と、仏の諸説を聞きて、時に応じてすなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。仏身および二菩薩を見たてまつることを得て、心に歓喜を生ず。未曾有なりと歎ず。廓然(かくねん)として大きに悟りて、無生忍を得。②五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず。世尊ことごとく「みな当(まさ)に往生すべし」と記す。

 この「下品下生」の長い引用の一つひとつを押さえることは出来ませんが、全体的な雰囲気を感じていただければいいのではないかと思います。で、要約すると、一応は凡夫の自覚はあるし、仏に帰依しているものの、日常はてんでそういうものとかけ離れた生活をしてしまっている。その日々は五逆十悪の日々であり、それがいよいよ自らの臨終が迫ってきた。そのときに、善知識から念仏の教えを教わり、その教えの通りに心を集中して念仏しようとするが、苦しさが逼迫してそれどころではない。と、その時に、よき友から「無量寿仏と称すべし」と、声をだして南無阿弥陀仏と称えよと勧められた。その人は無我夢中にひたすら南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と称えた。この無我夢中の念仏は、そのまま無心の南無阿弥陀仏であるがゆえに、その一念一念の念仏に罪が除かれていく。そして、いよいよ命終のとき、その一念のときのように極楽世界に往生するのである、これを聞き己って、念仏とともに歓喜して菩提の心を発した、と、まあ、このような内容かなと思います。

 で、この下品下生のことを考えるときに、道綽禅師の『安楽集』を思いだすのですが、これは以前に、この『安楽集』を読んだ時にことです。読みながら、この『安楽集』という書物は何だろうとずっと考えていましてね。まず読んでも、何を言われようとしているのか分からない。これまで、少しぐらいは難解な書物も読んできたつもりでいましたが、とにかく毛色が違うというか、さっぱり分からんのですよ。内容も難しいが、どういう意味でこういうふうに言われるのかさっぱり分からない。とにかく受け付けないのですね。はじめて本を放り投げました。後からノコノコと拾ってきて、また読み始めましたが、とにかく分からん、ということでした。しばらくしてから、今度は角度を変えて調べることにしました。そのうちに、ふと、ご門徒のある方のことを思いだした。すると、何となく読めるような気がするのですね。

 その方はすごくユニークは発想をされるお人で、毎月のお参りでも話し込むこともよくありました。ある日、いつものようにお参りに伺うと、「この前、具合が悪くなり救急車を呼んだ」と言われるのですよ。で、どうされましたかと尋ねると、とにかくすごく体の具合が悪いと、でも、救急車を呼ぶのは少しためらうでしょう。それでも辛いし、いてもたってもおられず救急車を呼んだそうです。その時に、その方がどうされたのかですが、救急車を待つ間に、痛い場所をマジックインクで丸く囲まれたそうです。一目でどこが悪いか分かるように、辛い場所に印をつけておいた。それで病院まで運ばれたそうです。そのことを聞いて二人で大笑いしましたが、この事を思いだした。

 この話と『安楽集』がどんな関係があるかということですよね。まあ、とにかくフトそのことを思いだしました。すると何となく読める気がしたのですよ。つまり、道綽禅師も、自分も分からないと言っているのではないかということです。ただしかし、ここだと、ここが要だと、でもオレもよく分からないのだ。そういうことかなと思いました。だからこの『安楽集』は道綽禅師の直感の書であり、大事な場所をいろいろと抜き出してある。そしてそれは仏教においてもすごく大事なことであるが、しかし自分もまだそれがよく分からないのである。だからそこに印の○を付けておいた、そういう書である、と、まあ、このような思いがしたわけです。すると何となく読めるような気がしたわけですね。

 そのひとつに、観経のことで言われている処がありますので、まずそこを見ながら「下品下生」のことを考えようと思います。「弥陀の浄国は位上下を該(か)ね、凡聖通じて往くことを明かす。教興の所由を明かして時に約し機に被(こうむ)らしめて浄土に歓帰せしむれば、もし教時機に赴けば修し易く悟り易し、もし機と教と乖(そむ)けば修し難(がた)く入り難し。」

 難しい表現ですので詳細に説明はできませんが、この「位上下を該(か)ね」の該は当てはまるという意味だそうです。「位の上下が当てはまり、凡夫と聖とが共に通じて往生することを明らかにした」と、こういう言い方が出来そうですね。つまり観経は上品から下品までの九品の位があったとしても、上品の聖と下品の凡夫とが同じように通じていることを明らかにした、と、こういうふうになるのだと思うのですよ。

 で、その理由が次にあります。観経の教えが興るゆえんとは「時に約し機に被らしめて」ですから、観経の教えが興る理由は、その機が熟す時において興るのであり、その時に(はじめて)浄土を歓び、浄土に帰らしめるのである、と、このような意味でしょう。そして、このことは上下を通じてすべて当てはまるのである、と、こういうことかなと思うのですね。だから、機が熟さなければ上品の聖であろうが、また、下品の凡夫であろうが、浄土を歓び帰らしむることはないということですから、浄土に帰らしむるのは機が熟すかどうかによるのであって、上下は関係ないということですね。では、その機が熟すとはどういうことなのかといいますと、それは観経に説かれている王舎城の悲劇を通して、韋提希の機が熟していきます。

 この観経に説かれた王舎城の悲劇は、善導大師の「観経疏」序分義にも書かれており、有名な物語ですので、いずれ話したいと思っておりますが、今回の「下品下生」は、観経の最後の処であり、韋提希が救われて無生忍を得るところの最後の部分になるでしょうか。

 それでは、さっき読んだ「下品下生」①のところをもう一回読んでみましょうか。①「この語を説きたもう時に、韋提希、五百の侍女と、仏の諸説を聞きて、時に応じてすなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。仏身および二菩薩を見たてまつることを得て、無生忍を得。」

 この①を「観経疏」は「まさしく夫人第七観において無量寿仏を見たてまつる時、すなわち無生の益を得ることを明かす。」と、書いてあります。善導大師は、韋提希が第七観で無量寿仏を見たてまつり、そして、無生(忍)の益を得たといわれますね。この第七観とは定善観の第七観のことですが、今話しているのは、その定善観ではなくて、次の散善義であり、その散善義でも最後の下品下生のところです。善導大師は、韋提希が定善観の第七観華座観で無生の益を得たといい、そして下品下生で無生忍を得たといわれているのですが、これはどういう意味だろうか。

 そこでまず、この第七観の前、つまり第六観ですが、この第六観は「宝楼観」といいまして、「総観想」という別名があります。「名づけて粗(ほぼ)極楽世界の宝樹・宝池・宝地を見るとす。これを「総観想」とす。「第六観」と名づく。」と、経典に書かれています。この第六宝楼観の「粗極楽世界」の粗(ほぼ)は、おおざっぱ、きめ細かでない、荒っぽいなどの意味ですから、つまり韋提希はこの「第六観」でまだ大ざっぱではあるが極楽世界を見て、そして無量寿仏を見たてまつります。だから、韋提希が見たてまつるところの無量寿仏もまた、韋提希にとってはまだきめ細やかな無量寿仏ではなかった。そこで、韋提希は第七観において「世尊、我いま仏力に因るがゆえに、無量寿仏および二菩薩を見たてまつることを得つ。未来の衆生、当にいかにしてか無量寿仏および二菩薩を観たてまつるべき。」と、お釈迦様に問いかけるということになるでしょう。

 この、お釈迦様の力によって、こうして無量寿仏を見たてまつることが出来ました、しかし、お釈迦様がおられない未来の衆生はどうしたら無量寿仏および二菩薩を観ることが出来るのでしょうか、という韋提希の問いに対して、第七観の華座観が説かれていきます。善導大師は、韋提希が得た無生の益が、未来の衆生への問いになっているといいたいのだろう、と、そのように考えておるのですが、そして、その韋提希の問いが、第七華座観を通して、最後の下品下生でその答えを見る、と、善導大師は言われておるのかなと思うわけです。

 そして②の「五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず」ですね。ここのところを観経疏では「まさしくこの勝相を覩(み)て、おのおの無上の心を発して、浄土に生ぜんと求むることを明かす。」と、書いてあります。この「覩」は視線を集めて見る、はっきりとわかる、見てとる、理解するなどの意味ですね。韋提希の側にいた五百の侍女もまた、無生忍を得た韋提希の姿を見てとって理解した。そして自らもまた無上の心を発して、浄土に生れることを求めた、ということですね。そして、世尊ことごとく「みな当に往生すべし」と記す、です。

 この時に五百の侍女もまた、韋提希と同じように阿耨多羅三藐三菩提心を発したとありますが、これを「安楽集」では「時に約し機に被らしめて」とありまして、約とは誓ということですから、機はこの場合は韋提希でありますが、側にいた五百の侍女も、韋提希が無生忍を得たことを覩て、同じように極楽世界の広さそして深さを観ている。つまり、機がまだ熟さない五百の侍女も、韋提希と同じように極楽世界の誓に、浄土の広長の相(すがた)を観た、と、このように思っております。余計な事のようですが、この五百の侍女が何処まで広がるかといえば、ここに御参詣いただいている皆様もそこに入るということでしょう。居眠りしておられてもですね、時を超えて、いまもこの場において、その極楽世界の広長の相が誓われているということではないでしょうか。そして、世尊ことごとく「みな当に往生すべし」です。この響きはいいですね。

 この観経の信心は「下品下生」にあると言われておりまして、私たちの姿そのものがこの「下品下生」であるとおさえられております。そしてこの「世尊ことごとくみな当に往生すべし」に見る、浄土への「みな」とは、みなそれぞれが浄土への道を頂いていくことですね。こんな私が浄土に往生するのか、こんな私だからこそ浄土往生をいただくのか、と、世尊のことごとくみな当に往生すべしに感動するわけがそこにあるのですね。

 そして少し角度を変えて、韋提希のことを考えてみますと、その後の韋提希であります。お釈迦様がおられない未来の衆生にこの韋提希本人もいるとしたら、その後の韋提希はどのように生きたのだろうか。無生忍がどういった悟りなのか何も書いてないので、この無生忍を得ることが韋提希にとって何だったのかと、その後の韋提希に見ることは出来るだろうかと思っています。

 さて、親鸞聖人はこの「ことごとく、みな当に往生すべし」の「ことごとく、みな」という世界を邪定聚と言われるのでしょうね。するとこの「ことごとく、みな」の世界がよこしまな心だろうかということですが、そういうことはないでしょう。証巻の正定聚は、往生するものとすでに往生を得たものが響き合う世界であるといわれます。観経の「下品下生」にある「ことごとく、みな」は、浄土往生への機会均等のなかまではあるが、まだ正定聚のように往生するものと往生を得たものとが、響き合い出遇う世界ではないのである、と、このように言われるのかなと思っております。

 それでは、邪定聚はこのくらいにして、今度は不定聚とは何かということですが、これは阿弥陀経の信心だと言われております。ああそうか、阿弥陀経の世界だなと納得される方もおられるでしょうが、この阿弥陀経の信心は「論註」ですでに述べていると自分では思っておりまして、「論註」の持つ立ち位置が、この不定聚から正定聚を得ることを眼目にしたものかなと思います。だから、その個所を押さえると、この不定聚と正定聚の違いが見えてくるのではないでしょうか。

 では、それはどこに言われるのかと言いますと、「論註上巻」讃嘆門にあります。最後の文です。「もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。」と、ありまして、曇鸞大師はここでは声聞の論ずる中の説だと言われますが、この声聞が論ずる中の説を、親鸞聖人は不定聚といわれるのでしょう。

 曇鸞大師がこの「論註」を顕すにおいて、何がその主たるテーマかというと、それは菩薩の死であり、そしてその菩薩の死を超えるということですね。菩薩はある程度まで行くと、これ以上求めるものもなく、済度する衆生もいなくなるといわれます。つまり声聞に引きこもるのですよ。これを菩薩の死といわれるのですが、ここをどう超えるか、これが曇鸞大師の大きなテーマでありますから、声聞は少し厳しい言い方かもしれないが、大乗に目を開けと、叱咤激励で声聞という言葉を使われるのかもしれません。そして、ここで言われる不定聚とは、すでに阿弥陀仏の浄土往生を得たものだと思いますね。しかし何かが足らない、それがさっき話した「下品下生」にある最後のところです。

廓然として大きに悟りて、無生忍を得。五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず。世尊ことごとく「みな当に往生すべし」と、記す。

 この阿耨多羅三藐三菩提心は無上等正覚といわれまして、菩提心という字が付いているように、無上の等正覚とは無上の菩提心なのです。かの国、つまり阿弥陀仏国に生れんと願う無上の菩提心ですね。邪定聚には菩提心はあるが、それは浄土往生へのそれぞれの願いですね。それに対して不定聚は阿弥陀仏が三千大千世界をすべてつつんでいることを悟るが、その浄土は諸仏が生れ続けており、諸仏が広くすみずみまで行きわたる菩提そのものの相であることを知らない。そして、この度往生のものとすでに往生を得たものが響き合い、出遇い、そしてあまねく十方無量のほとりなき世界をつつむ正定聚の相であることも知らないのだといわれるのでしょう。

 ところで、証巻の初めの処にあります願成就文に、「また言わく、かの仏国土は、清浄安穏にして微妙快楽なり、無為泥オンの道に次(ちか)し。それもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧高明にして神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形異状なし。ただ余方に因順するがゆえに、人・天・の名あり。顔貌(ぼう)端政にして世に超えて稀有なり。容色微妙にして天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたるなり、と。」

 これは、かの仏国土である、正定聚の浄土を描いておられるわけですが、なかなか不思議で分からん内容です。これを阿弥陀仏の浄土はいろんな方がおられると読めば、正定聚どころか、不定聚も邪定聚もおられるし、それどころか菩薩や声聞、天や人もおられるではないか。

 この度往生するものからすれば、すでに往生を得たものは諸仏と見られるのでしょうね。また、すでに往生を得たものからすれば、この度の往生のものは諸仏です。すると、この正定聚の浄土には諸仏のみがおられるのかというと、そうではない。この願成就文には普通の人がいたり、天や声聞、菩薩がいたりしてなかなか混乱するところですね。

 このことで思うのは、往生のものとは、往生の人だということですね。この度往生する人は、様々なご縁を頂きながら、この度ここに浄土往生するのです。その人はいままで多くの人に影響されながら、出会いながら、そして浄土の教えをいただき、この度往生する人です。具体的に言えば仏教の教えを訪ね、浄土の教えを聞き、念仏の教えをいただいて、はじめて往生の道をいただくのですね。こういうご縁がなければ難しいのですよ。一人で切り開ける方がどれくらいおられるでしょうか。それに対して阿弥陀仏の浄土はつないでいくいのちです。この度の往生においては、菩薩のお育てがあり、声聞を叱咤されて、多くの人と出会いながら、浄土のいのちに触れて、さまざまなお育ての中で、今日の往生の人がいるのですね。そしてまた、その往生のものである一人ひとりが、それぞれの背景をもって往生されるのです。浄土はその諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいる。そして、その往生のものは、生まれ育った因縁も環境も背景にしています。その全てがこの浄土往生の時、この一人において実を結ぶわけです。その時の浄土の願成就をこのように顕わされているのだろうと思います。

 それでは、道綽禅師の「安楽集」を少し見て終わりにさせていただきますが、前回の証巻の話が「清浄功徳」でしたので、次は「安楽集」からの引用になります。

 『安楽集』に云わく、①しかるに二仏の神力、また斉等なるべし。ただ釈迦如来己が能を申べずして、故にかの長ぜるを顕したまうことは、一切衆生をして斉しく帰せざることなからしめんと欲(おぼ)してなり。このゆえに釈迦、処々に嘆帰(たんき)せしめたまえり。須(すべか)らくこの意を知るべしとなり。 ②この故に曇鸞法師の正意、西に帰るがゆえに、『大経』に傍(そ)えて奉讃(ぶざん)して曰く、 ③「安楽の声聞・菩薩。人天、智慧ことごとく洞達(とうだつ)せり。身相荘厳殊異(しんそうしょうごんしゅい)なし。ただ他方に順ずるがゆえに名を列(つら)ぬ。顔容端政(げんようたんじょう)にして比ぶべきなし。精微妙躯(しょうみみょうく)にして人天にあらず、虚無(こむ)の身(しん)、無極(むごく)の体(たい)なり。このゆえに平等力を頂礼したてまつる」(讃阿弥陀仏偈)と。

 まず、③のところですが、これは「讃阿弥陀仏偈」にある文で、曇鸞大師が正定聚を述べられているところです。今しがた読んだ「願成就文」では「それもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧光明にして神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形異状なし。ただ余方に因順するがゆえに、人・天の名あり。顔貌端政にして世に超えて稀有なり。容色微妙にして天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたるなり、と。」こうなっております。

 「願成就文」と「安楽集」の③とに何か違いがあるだろうか。詳細に観たらあるかもしれませんが、内容はほぼ同じです。『大経』の願成就文を曇鸞大師がこういうふうに言い換えたといっても差し支えないとも思いますが、では、顕著な違いは何かというと、①と②の加筆文ですね。この加筆された前の処を観ると、お釈迦様がおられなくなった後のことが書いてあります。お釈迦様がなくなられた後に疫病が流行り出して国は混乱の極みである、と、しかし、もうお釈迦様はお戻りにならないというようなことが書いてあります。そしてその後に続く文がこの①②③の引用文です。二仏はお釈迦様と阿弥陀仏です。これは韋提希が問うた「未来の衆生、当(まさ)にしてか無量寿仏および二菩薩を観たてまつるべき。」と同じ意味になりますね。この『安楽集』のところを、証巻の「清浄功徳」の後に載せられていることになります。つまり親鸞聖人は「清浄功徳」の前後に「願成就文」と「安楽集」と二つ正定聚を措かれていることになります。

 そして、「安楽集」の引用①の処です。「このゆえに曇鸞法師の正意、西に帰るがゆえに、『大経』に傍えて奉讃して曰く、」とありますが、「讃阿弥陀仏偈」では「願わくは諸々の衆生とともに安楽国に往生せん。南無して心を至し帰命して西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。」と、繰り返し述べられる「讃阿弥陀仏偈」での反復の言葉でありまして、正定聚だけに使われたのではありません。

 道綽禅師が言われる西とは、おそらく身体の死のことだと思うのですね。つまり、私たちが普通に考えているところの死です。しかし、この死の問題を述べられるのは道綽禅師であり、曇鸞大師が「讃阿弥陀仏偈」で述べられているのではないのですね。それをあえて身体の問題と曇鸞大師の正定聚をくっつけておられる、と、そう思われるのです。

 親鸞聖人は善導大師の身体的な問題を正定聚につつみ入れて、「論註」の「大義門功徳」にある「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と顕され、そしてそれを「清浄功徳」とされました。そしてまた、この「安楽集」の文をその「清浄功徳」の後に措かれたことになります。「清浄功徳」にある「すなわちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得」、つまり、この身において涅槃分を得ることがどのようなことか、それがこの「安楽集」の引用文であるということになるかと思いますが、もう少し見ていきたいと思っております。