令和6年5月26日 永代経法要より
(定善義)また云わく、西方寂静無為の楽には、畢竟逍遥して、有無を離れたり。大悲、心に薫じて法海に遊ぶ。分身して物を利すること、等しくして殊なることなし。あるいは神通を現じて法を説き、あるいは相好を現じて無余に入る。変現の荘厳意に随いて出ず。群生見る者、罪みな除こる、と。また賛じて云わく、帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、尽(ことごと)くみな径(へ)たり。いたるところに余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平(しょうひょう)を畢(お)えて後、かの涅槃の城に入らん、と。已上
今日が証巻の最後になります。はじめに「(定善義)に云わく」となっておりますように、この引用文は「定善義」にいわれているもので、その中の第二「水想観」に出て来ます。「水想観」は変わっておりまして、「水想観」の中に「氷想観」というのがある。そしてその「氷想観」もまた「瑠璃地の下」と「瑠璃地の上」とに分かれている。このように複雑であります。その中から「瑠璃地の下」がその引用文になっています。またこの「瑠璃地の下」は三つの讃で出来ておりますが、証巻はその中から二番と三番が引用されています。つまり一番が抜けております。
この「瑠璃地の下」の三番目は帰去来といわれて有名がところですが、この「帰去来」は「瑠璃地の下」では「瑠璃地の上」へのつなぎにもなっているようです。しかしこんなことを言ってもですね、いったい何のことかなというふうになる訳ですが、まあ、とにかくここらから初めたいと思います。
「水想観」については以前「証巻 正定聚について その②」で少し話しをしていますので、よかったら後からでも読んでいただければと思います。で、証巻の正定聚の②は「清浄功徳」について話した所になります。その時にこの「水想観」のことを話しております。まず「明鏡止水」という言葉がありますが、この語句の意味を調べると、くもりのない鏡のごとく、波の立たない静かなること水のような心を言うのだそうです。心にやましい点がなく澄みきっていることだとも書いてあります。
「水想観」の方では、心というものを二つに分ける。ひとつは心の器、もうひとつは普通ものを考えている心というもの。で、この心の器の方を鏡や水面に譬える。そしてその鏡に映る心との関係を観る、と、まあこういうことかなと思っております。水面に波が立てば映っている心も歪んでいる。このように水面と心の関係を顕すのでありまして、で、まず私がいろいろと思いはかる処の慮りを止める、そして心の器の方に集中する。そして、その器である心の素地の在りようを尋ねていく、と、こういうことかなと思いますが、なかなか分かりにくくて難しい所でしょうか。「定善観」では、慮りを止めて心を凝らすといいます。この凝らすということを自分なりに表現したつもりです。
この器である心の素地の事は、以前は身体的心の領域というふうに言っていました。善導大師がこの素地を顕されるのに、「水想観」では天親菩薩の『浄土論』を引用されています。「観彼世界相 勝過三界道 究竟如虚空 広大無辺際」を引用されて、初めの二句の「観彼世界相 勝過三界道」が「清浄功徳」といわれるもので、後の二句の「究竟如虚空 広大無辺際」が「量功徳」ですね。この「清浄功徳」と「量功徳」をもって善導大師は「水想観」を顕されます。つまり、この二つの功徳成就文をもって心の素地とされているというのが自分の見解になる訳です。この心の素地は身体的であるがゆえに煩悩に汚されていない、よって清浄である。また身体的であるがゆえに広大であり辺際がない、と、こういうふうに言われているのではないでしょうか。
我が身ということですが、この身は自分だけがそこにポツンとあるわけではない、世間や社会、また国や世界との関係で繋がっています。物質としては、例えばこの身が生きるためにはまず空気が必要ですね。その空気は成層圏の内と外との関係があります。そして成層圏は宇宙へと広がります。身体はこういう広大な関係と広がりの中にある。この「清浄功徳」と「量功徳」をもって善導大師は心の素地とされている、と、こういうふうに考えていく訳です。
曇鸞大師は、「清浄功徳」を自性清浄の心象として顕して、それを「正定聚」とされた。そして「量功徳」においてその「正定聚」の広大と無辺際を顕かにされた。自性とは何かを調べると、事物をそのものたらしめている本来的な不変の性質。本性。本質。性。と書いてあります。自性清浄の心象というのは言語としてはシンプルではありますがすごく大きなテーマなのであります。
親鸞聖人は、この曇鸞大師が顕かにされた「正定聚」をさらに、「大義門功徳」に独自の見解を入れて「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と顕され、「正定聚」に身体的心の領域をも顕かにされた。そしてその心の素地とともに深淵なる業の闇をしめされた。
これまでの流れを簡単にいえばこういうことになるかなと思います。で、このように親鸞聖人は曇鸞大師の「正定聚」に深淵なる業の闇を見ておられることになるわけですが、その心の素地に観る深淵なる業の闇がこの「瑠璃地の下」にあるのであります。それも親鸞聖人は、二番と三番だけを引用されて一番目を外されているのですね。で、やはりこの一番目も読む必要があるので、本論は二番と三番になりますが、まずは一番から読んでいきたいと思います。
「瑠璃地の下」1番目。「地下の荘厳七宝の幢、無量無辺無数億なり。八方八面宝をもって成ず。かれを見れば無生自然を悟る。無生の宝国永く常たり、一々の宝無数の光を流す。行者心を傾けてつねに目に対して、騰神踊躍して西方に入れ。」内容がすごく難解ですが、それでもこの一番の讃を加えた方が二番と三番がまだ分かりやすいですね。
この「瑠璃地の下」の荘厳は過去ということだと思います。それも私の過去というより、身体的な過去ということでしょうか。つまり、どこの誰だれという、今この私がおるまでの時間とその環境だということになりますから、それは私が今ここにこうしておるところの、私における私の業であります。だからこの「瑠璃地の下」とは、私の心の素地にあたるもので、その素地における自らの業を見ればということでしょう。で、そこにはいったい何が見えるのか、それが「無量無辺無数億なり」です。
よく使われる譬えですが、私には当然父母がいます。その父母もまたそれぞれに父母がいる。これを繰り返していくと、自分まで入れて計算すれば、六代で127人ですか、あと何代か遡れば瞬く間に増えます。その一人ひとりも様々な関係に生きた人達であり、それに兄弟や親せき、仕事の同僚や上司、ほか全て入れればそれこそ無量無辺無数となる。そしてこれに憶を足す。身体的な心の領域とは、実はこのよな業の深さと広さを背景にしているのである、と、こういうことかなと思います。
そしてこの身体的心の領域である清浄なる鏡をのぞけば、それは無量無辺無数億の業の深さがあり、それを見れば無生自然を悟るといわれる。何故なら深淵な闇に業の姿が見えるとは、流れ出る光に現れた業の姿を見ているのであり、光がそこに流れるからこそ現れた闇の姿なのですね。善導大師は心の素地を「清浄功徳」と「量功徳」で顕されながらも、「氷想観」を通して、このように業の深さを観ておられます。これが「瑠璃地の下」の一番の讃である。そして二番ではその流れる光の方が述べられている。こういう順序で二番を読んだ方が分かりやすいのですよ。それでは、この一番の続きで二番の讃を読んでいきます。
「瑠璃地の下」二番目。「西方寂静無為の楽(みやこ)には、畢竟逍遥して、有無を離れたり。大悲、心に薫じて法界に遊ぶ。分身して物を利すること、等しくして殊なることなし。あるいは神通を現じて法を説き、あるいは相好を現じて無余に入る。変現の荘厳意(こころ)に随いて出ず。群生見る者、罪みな除こる。」ざっとした解釈しか出来ませんし、ちゃんとそうなっておるのかも分かりませんが、とにかく自分の解釈として聞いていただければと思います。この、畢竟逍遥(ひっきょうしょうよう)してとは、何ごとにもとらわれずあるがままであることだと言われています。西方寂静の楽(みやこ)である阿弥陀仏の浄土は、何ごとにもとらわれずあるがままにして有無を離れている、と、まずこう言われる。で、それはどういうことかと言うことですね。
この大悲ということですが、これはその流れる光のことでしょうか。すると、この大悲とは、大悲の光であり、その光は心の素地に沁みついた業の闇をも法界として遊び、それは光でありながらも業の闇と離れていない。あたかも神通を現じて法を説いているかのごとくである。そしてこの光とともに闇に生きる群生(ぐんじょう)を見る者は罪みな除かれる、と、まあ、このように解釈させていただいております。反論もあるかと思います。
そして三番目の「帰去来」です。 「帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかたみな径(へ)たり。いたるところの余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平(しょうひょう)を畢(お)えて後、かの涅槃の城(みやこ)に入らん、と。」「帰去来」はすごく有名で、何回かこの法座でも話したことがあります。この場合の「帰去来」では「曠劫よりこのかた六道を流転して」というところが「瑠璃地の下」の過去の業をの覗けばと同じ意味になると思いますから、この「瑠璃地の下」で観た全てが、曠劫より流転してきた我が身の業の姿でありましたということでしょう。そして今、この業を終えて涅槃の城に入ろうという、そういう讃ですね。生平(しょうひょう)を畢(お)えてとは、この私の人生を尽くしてということです。
ただし、この三つの讃の解釈は「瑠璃地の下」を通して読めばということですから、証巻のように二番と三番だけが引用された場合では内容が変わってくる。では、どのように変わるのかというのが今回のテーマになっております。
化真土巻「韋提別選の正意に因って、弥陀大悲の本願を開闡す。これすなわちこの経の隠彰の義なり。ここをもって『経』(観経)には「教我観於清浄業処」と言えり。「清浄業処」と言うは、すなわちこれ本願成就の報土なり。」これは前回に「別選所求」ということで話しました。今日はその続きになります。化真土巻ではこの「韋提別撰」の次が「「教我思惟」と言うは、すなわち方便なり。「教我正受」と言うは、すなわち金剛の真心なり。「諦観彼国浄業成者」と言(のたま)えり、すなわちこれ十三観これなり。」と、なっております。
ここに「「教我思惟」と言うは、すなわち方便なり。」とありますね。で、まずこの方便ということを少し話さなければならないですね。まず一般的にこの「方便」で思いつくのは「うその方便」という使い方ですね。こういう使い方は、おそらくスラングと言いますか、方便の意味が俗化されたものでしょうから、すでに方便の本来の意味が変わっていると思います。自分でもよく説明できないとは思いますが、とにかくここに方便という言葉がありますから、少しでもこの方便のことを言わなければならないでしょうね。
で、まず、これは主語と述語の問題かなと思っていまして、この場合の「うその方便」は述語であり、例えば誰かにうそをつく、そうすると、そのうそにだまされた誰かに損失があれば、そのうそは悪質であり、方便という言い方はしない。反面良質のうそがあるのかといえば、うそをついたが、結果が相手や周りに何か得をしたことがあった場合、つまり結果オーライの時はうそも方便だという。また癌の告知で本人には知らせずにうそをつく場合がある。家族はそのことで苛まれながらも相手の事を思い、あえてうそをついた。このようなケースは現在でも多々あるでしょう。ではこの場合のうそは良質だから方便なのかといえば、一応は方便だということになるかなと思いますね。だから悪質な「うそも方便」というものは無いと思います。では良質のうそなら方便だということになりますが、もともとこれは俗化した言葉ですから、方便の意味の本質がすでに違っているはずですね。
それで一応、自分が考えている方便とは何かといいますと、それは何かを捉えようとするようなものの状態であって、例えばその場合は言葉もそうです。言葉で何かを表現しようとする場合には、その言葉によって何かを捉えようとする状態をいうのであり、しぐさにおいてもいま見えない何かをそこに表現しようとするものですね。文字に書こうとするとき、口に称えて、漠然とする何かを捉えようとする状態、その捉えられる処へと限定していくようなものである。方便にはこのように何かに限定していく、あるいは促されていくようなもの、そんな意味があるのかなと思っているわけですが、『浄土論註』に「方便」のことが書いてあります。「正直(まっすぐ)なことを方といい、自分を度外視することを便という。正直によるからあらゆる衆生をうつくしむ心を生じ、自分を度外視するから、自己自身が供養されうやまわれたいという心をはなれるのである。」
私たちが普通思うところの方便とはずいぶん違うでしょう。阿弥陀如来とは衆生を慈しみ、法性の身を自ら度外視して、正直(まっすぐ)に衆生のために来た仏である。このような方便の使い方もあると思います。また、「玄義分」には「「思惟というは、すなわちこれ観の前方便、かの国の依正二報、総別の相を思想するなり。すなわち地観の文の中に説きて「かくのごとく想する者をば名づけてほぼ極楽国土を見るとなす」とのたまえり。すなわち上の教我思惟の一句に合(がっ)す。」と、善導大師は「教我思惟」を観の前方便という言い方をされています。
ここにある観の前方便ですが、この観は阿弥陀仏と浄土を観ようとするときの前方便のこことですが、それが「地観の文に中に説きて」と書いてあるでしょう。「水想観」の次が「地想観」です。ここでは「地観」と書いてあります。この「地想観」の地とは国でありますから阿弥陀仏の国土、つまり浄土のことですね。この「地想観」は「水想観」「氷想観」「瑠璃地の下」「瑠璃地の上」の全体をまとめたもので、総別の相といわれる。この「地想観」では「もしこの地を観ずる者は、八十億劫の生死の罪を除かん。身を捨てて他世に必ず浄国に生ずべし。」と言われております。この「地想観」にある「この地を観ずる者は」のところを、さきほど言った「心の素地をのぞけば」と言い換えることが出来るなら、次の「八十億劫の生死の罪を除かん」は「群生を見る者罪みな除こる」に言い換えることも出来るのではないかと思うのですね。するとその次の「身を捨てて他世に必ず浄国に生ずべし」は帰去来に観ることも出来ます。
こ「地想観」を観る時の前方便を、ここでは「思惟というは、すなわち観の前方便」だと言われています。だからこの「観の前方便」とは、まだ浄土をはっきりと見たと言うわけではないが、ほぼ浄土に近づいている。そしてそれは自らを度外視して浄土の観へと正直に近づいている、こういうことになるかなと思います。これを二つの場合で言うなら、まず法性身が自らを度外視して正直に近づいてくる。もうひとつは凡夫が自らを度外視して正直に近づいていく、もしくは促されていく。こういう立場があると思うのですよ。
法性身とは「いろもなくかたちもましまさず」という仏ですね。その法性身が自らを度外視して正直(まっすぐ)に近づいてくる、と同時に、凡夫は煩悩の我が身を度外視して正直(まっすぐ)に近づいていく、もしくは促されていく。方便にはこういう法性と凡夫とが、何かの拠り所へと近づき限定されていくというような意味を持っていると思うわけです。それではいったいそれは何処へと近づき促されるのかということですが、ここではそれを正受といわれていますから、つまり、お釈迦様の心眼である浄業の相へと近づいていく、お釈迦様の心眼である一切善悪の凡夫の相に近づいてくる。この能動的なはたらきを方便と言われているのではないかと思うのですね。
そして「「教我正受」と言うは、すなわち金剛の真心なり。「諦観彼国浄業成者」と言えり」ですから、お釈迦様の心眼である一切善悪の凡夫の相に本願成就の無碍光如来を観知する時を「教我正受」であり金剛の真心であるといわれている。この正直に自らを度外視して近づいてくる方便において正受の金剛真心ですから、この正受もまた方便との関係を離れていない。その両方がなければならない。すごく難解なところです。
そして証巻では、一番がありませんから、この二番の「群生を見る者。罪みな除こる」と三番の「帰去来」に時間の経過がないのですね。群生を見るがそのまま帰去来である。するとこの群生を見るとは、過去の業を観るにとどまらず、流れ出す光とともに、浄土へ生まれようとするいのちの姿を見るのであり、大悲の光に、群生と生れ出るいのちのコントラストを見ているのでしょう。それを「瑠璃地に下」の二番と三番をもって顕されるのではないかと思っております。
これまで話した内容をもとにすると、果とは弥陀の報土でありますからお浄土のことです。それはお釈迦様の心眼による一切善悪の凡夫の相に本願成就の無碍光如来を観知する時であります。この時が正受であり金剛の真心だといわれている。その果に近づいてくるもの、もしくは促されていく何か、その様々なはたらきを因というのでしょうから、方便もその因のひとつですね。しかしそれにとどまらず、その全てが阿弥陀如来の清浄願心の回向成就されたものである。親鸞聖人は証巻の御自釈で「それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。かるがゆえに、もしは因もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし。因浄なるがゆえに、果また浄なり、しるべしとなり。」と述べられておられます。
私たちは「おかげ様」という言葉をよく使います。これは今こうしておるのも皆様のおかげでございましたということですね。自分一人でこうしておれることじゃなかった。しかし本音はおれもかなり努力したからこうなったのだと多少は思っている。しかし事実から見ればおかげ様である。このように客観的に事実から見ればおかげ様が出てくる。おかげ様を身につければ事実から我が身を見る習慣がついてくる。おかげ様には事実がついている。
「一事として、阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし」と、何か舌がもつれそうな言い回しに思うのは、果として、ここに阿弥陀如来の大悲の報土を観知した事実に、これまでの全てが阿弥陀如来の清浄願心の回向に他ならなかった、と、そう言い得たのではなかったかということでした。
それから還相回向について少しばかり話しておきます。行巻に還相回向の続きが載せてあります。旅の終わりが旅の始まりであり、旅の始まりが旅の終わりを含んでいる。行巻を話す機会があればまた考えることにしまして、証巻における還相回向について自分なりの感想を少しだけ述べることにしました。といってもよく読んだわけではありませんから、何かしらの感想であります。
曇鸞大師は『論註』の初めに「修多羅とは、十二部経の中で仏が直接説かれたものを修多羅という。つまり四阿含の三蔵などがこれである。三蔵以外の大乗の諸経もまた修多羅と名づける。この偈の中で修多羅に依るというのは、三蔵以外の大乗の修多羅であって、阿含などの経ではない。」といわれます。阿含はお釈迦様が直接に説かれたとされる経典です。後に時代の変遷で大乗仏教が興り大乗経典が登場します。『無量寿経』もその一つですが、曇鸞大師はこの『無量寿経』を阿含ではなくて、三蔵以外の大乗の修多羅だといわれる。三蔵とは仏教体系総称です。また『無量寿経』は大乗の経典でありますから大乗の修多羅です。ところが曇鸞大師はこの『無量寿経』は三蔵以外の大乗の修多羅であるといわれる。曇鸞大師は大乗仏教の枠にとらわれない自由な発想をもっておられるのかなと思いますね。
『観経疏』の「瑠璃地の下」は「水想観」の中にあります。この「水想観」は「氷想観」になり「瑠璃地の下」そして「瑠璃地の上」に分かれます。今回はその内の「瑠璃地の下」を述べたことになりますが「瑠璃地の上」がまだ残ってるでしょう。「瑠璃地の下」が過去なら「瑠璃地の上」は当然未来でしょうね。すると「水想観」の心の素地を通して「瑠璃地の下」を過去、「瑠璃地の上」で未来を説かれるのでしょう。これらを纏めたのが次の「地想観」だと思いますが、この「地想観」において「ほぼ極楽国土を見る」と経典にはあります。で、曇鸞大師もこの「地想観」に着眼点を持っておられるのではないかと思っていますが、これを説明すると長くなるので省略します。でもまあ、そういうことではないかと思っているわけです。
『観無量寿経』の「定善義」は十三観あります。「水想観」は第二番、「地想観」は第三番目です。無量寿を観る経典でありますから、ほぼと書いてあるからといって、極楽国土をざっと観る経典ではありません。本来、無量寿仏と国土を観るのは第八の像観と第九の真身観のところです。そこには「ほぼ」なんてついてないのですね。「ほぼ」とはまだ大ざっぱということでしょう。それにもかかわらず「地想観」に着眼点も持たれるのはどういうことだろうか。親鸞聖人もおそらくそうだと思います。
道綽禅師は曇鸞大師の碑文に感銘を受けられて玄忠寺で『浄土論註』と『観無量寿経』を研究された。善導大師はその道綽禅師に逢いに玄忠寺に行かれます。そして後に『観経疏』を顕されました。『観経疏』の結びのところです。「某(それがし)、いまこの『観経』の要義をい出して、古今を楷定せんと欲す。もし三世諸仏・釈迦仏・阿弥陀仏等の大悲の願意に称(かな)わば、願わくは夢の中(つい)にして、上の所願のごときの一切の境界諸相を見ることを得しめたまえと。仏像の前にして願を結しおわって、日別に『阿弥陀経』を誦すること三遍、阿弥陀仏を念ずること三万遍、心を至して発願す。すなわち当夜において見るらく、西方の空中に、上のごときの諸相の境界、ことごとくみな顕現す。雑色の宝山百重演千重なり。種々の光明、下地を照らす、地は金色のごとし。中に諸仏・菩薩ましまして、あるいは坐しあるいは立し、あるいは語しあるいは黙す、あるいは身手を動かし、あるいは住して動ぜざる者あり、すでにこの相を見て、合掌して立観す。やゝ久しくしてすなわち覚(さ)む。覚(さ)めおわって欣喜に勝(た)えず。こゝにすなわち義門を条録す。」
某(それがし)は善導大師のことですね。この結びの解釈ではなく全体の感想を述べるなら、ここで善導大師は大悲の光明に諸仏・釈迦仏・阿弥陀仏の夢を見るといわれます。「種々の光明、下地を照らす、地は金色のごとし」の下地を照らすとは「瑠璃地の下」でありましょうか。そして「地は金色のごとし」は「地想観」のことでしょうか。大悲の光明が下地を照らして金色になり、諸仏・菩薩の相を顕すと、このような表現もできるかなと思います。善導大師は諸仏の心象世界を否定したのではなくて、曇鸞大師の心象世界を自性清浄としながらも、夢の世界にいれ、その夢と事実との乖離を否定しなかったのでしょうか。
ただ、なぜこの辺りなのかなと思うのですね。この辺りというような漠然な言い方になりますが、ほぼ極楽世界を観るのですから、この辺りでもいいかなと思います。そこで思いあたることがひとつあります。これ主体が凡夫なんですね。我ら凡夫という言い方がいいかもしれませんね。我ら凡夫においてこの辺りが着眼点である。そこに曇鸞大師がおられ、道綽禅師がおられ、善導大師がおられる。そして親鸞聖人もまた我ら凡夫に立っておられる。
この曇鸞大師から道綽禅師そして善導大師に一連の流れを観たときに、親鸞聖人のお気持が少し見える気がするのですね。これを本願の歩みと言って良いのかどうか分かりませんが、本願の歩みといえるなら、親鸞聖人もまたこの本願の歩みに生きられたお方であると言えるのかなと思っております。還相回向が証巻の後半に載っていますが、教行信証が我ら凡夫における本願の歩みであることを、未来に向けて発せられたものではないかと思っております。