証巻 正定聚について その④

令和6年3月20日 春彼岸会より

 今日は前回の続きなので、「安楽集」の後、『観経疏』からの引用文「序題門」です。

「弘願というは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり。また仏の密意弘深なれば、教門をして暁(さとり)難し。三賢・十聖測(はか)って闚(うかが)うところにあらず。いわんや我信外の軽毛なり、あえて旨趣を知らんや。仰いで惟(おもん)みれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼(かしこ)に喚(よ)ばい此(ここ)に遣わす、あに去(ゆ)かざるべけんや。ただ勤心(ねんごろ)に法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし。」

この文は『観経疏』「序題門」の最後のところです。また、親鸞聖人は若干この語句を変えておられますが、後程述べることにして、まずはこの引用文の位置づけからしてみたいと思います。

「序題門」は『観経疏』「玄義分」の初めにあります。観経の教義の奥義を述べる初めの部分でありまして、全体の奥義を簡潔に述べられたものだと思います。『観経疏』は『観無量寿経』(観経)を善導大師が註釈し、「玄義分」と「正宗分」の二つに分けてあります。また「正宗分」では「序文義」「定善義」「散善義」の三つに分けてありまして、この内の「定善義」「散善義」が要門と言われるところです。

この「序題門」は短文で格調高く表現されています。まず仏教のいう法性、お釈迦様の出家の理由、お悟りとその後の教化の歩みなどが書かれていますが、何分格調高いので何となくは分かりますが、いざ表現しようとしてもとてもできないので、そこは省略してその次から始めることにします。

「しかるに衆生障り重くして、悟りを取るの者明らめ難し。教益多門なるべしといえども、凡惑遍攬(ぼんわくへんらん)するに由(よし)なし」。この由なしは、手立てがないという意味ですから、要約すれば、衆生は障りが多くて悟りを得るのが難しい。お釈迦様の教えは実りが多くても、凡夫の心は惑いが遍満しているので、せっかくの教えを受けとる手立てがない、と、このように読めば何とか内容に沿っているかなと思います。

次が、「たまたま韋提請を致して、我いま安楽に往生せんと楽欲(ぎょうよく)す。ただ願わくは如来我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえというによる。しかるに安楽の能人は別意に弘願(ぐがん)を顕彰す。」と、なりますが、韋提は韋提希のことですから、韋提希が阿弥陀仏の安楽国土(浄土)に往生したいと請い願い、その浄土の思惟と正受を教えて下さいとお釈迦様に願ったと書いてあります。お釈迦様はその韋提希の願いに応えて、広く浄土の要門を開いた。そして、安楽の能人、つまり阿弥陀仏は別意に弘願を顕彰した、と、このようになるでしょか。で、この韋提希が阿弥陀仏の浄土を選んだところですが、ここの所を「別撰所求」というふうに言われています。

この「別選所求」ですが、その前段に、牢獄に閉じ込められた韋提希が、自分の境遇を嘆き「我がために優悩なき処を説きたまえ」と嘆願するところがありまして、経典の意訳では「この濁悪処は地獄・餓鬼・畜生盈満(ようまん)して、不善の聚(ともがら)多し。願わくは我れ、未来に悪声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かいて、五体を地に投げて、求哀し懺悔す。唯、願わくは仏日、我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ、と」なっています。この最後の所を「教我観於清浄業処」と経典には説かれているわけです。ここはまた後から出て来ますから覚えておいて下さい。

で、お釈迦様はこの「教我観於清浄業処」に応じて、眉間の白毫から光を放たれて、その光の中に諸仏の浄妙なる国土を現わされます。しかし、韋提希はその光の中の浄妙な国土を断り、阿弥陀仏の浄土に生れることを願うのですね。「世尊、このもろもろの仏土、また清浄にしてみな光明ありといえども、我いま極楽世界の阿弥陀仏の所に生れんと楽(ねが)う。唯、願わくは世尊、我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえ」と、意訳にあります。ここが先ほどの「別撰所求」の所ですね。今日はこの「別選所求」にスポットをあてながら話そうかなと思っております。

では、「序題門」の続きにもどりますが。次に要門のことが書いてあります。「その要門とは、すなわちこの『観経』の定散二門これなり。定(じょう)はすなわち慮(もんぱか)りを息(や)めてもって心を凝らす。散はすなわち悪を廃してすなわちもって善を修す。この二行を廻して往生を求願せよとなり。」

定は定善義、散は散善義のことです。この定の「慮りを息めて心を凝らす」とは、目の前の色んな思いを止めて、私たちはいつもいろいろ考えているでしょう。ああでもない、こうでもないと、内容の良し悪しはともかく暇なく考えている。そういう考えることをいったん止めて、心に集中することです。散善は、悪を捨てて善を修するですから、善いことをして悪いことをするなということですね。そんなこと三歳の子供も知っておるではないか、と、言われるのは承知でありまして、善悪は人間の思いと深く関わっていますので、それぞれの人の都合で様々に善悪は変容する。だから生涯を通してこの散善を成し遂げる者はいるだろうかと問われるのですね。この散善義に臨終往生が説かれています。それがこれまでよく出て来ます上品・中品・下品の往生ですね。

ここからが初めの引用文です。「序題門」では、「弘願と言うは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得る者はみな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしとなり」となっているようですが、証巻では「弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり」と少し違っているようであります。そこの処もまたこだわって行きたいと思っております。

で、安楽の能人は別意に弘願を顕彰すとありますが、それでは阿弥陀仏が別意に弘願を顕彰するのはどの辺りかと言うと、それは韋提希が阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う時ですから「別撰所求」においてということになります。しかし、韋提希は散善義の最後「下品下生」で無生忍を得るのですから、阿弥陀仏の弘願が韋提希に顕彰されるのは「下品下生」ではないかとも思うのですよ。しかしここでは、「別選所求」で弘願は顕彰されていることになっています。

『観経疏』を拝読しますと、この「別選所求」のところはどのように述べられているか。まず「玄義分」では「すなわちこれ韋提みずからために別して所求を選ぶ」と、韋提希がみずから選んだのだとなります。また「序文義」の方でも同じように「まさしく夫人別して所求を選ぶことを明かす」ですね。両方とも、韋提希みずからが阿弥陀仏の浄土を選んだと書いてある。しかし、「序文義」の方ではその次に「如来ひそかに夫人を遣わして、別して選ばしめたもうことを致す」とあります。つまり、韋提希はみずからが阿弥陀仏の浄土を選んだのだといいながら、また、韋提希はすでに阿弥陀仏の大悲に摂取されていて、阿弥陀仏の浄土を選んだとも述べられる訳です。

すると、阿弥陀仏の弘願の顕彰を「別撰所求」に観るとしても、韋提希が「下品下生」で得た無生忍までの過程をもって、阿弥陀仏の別意の弘願は顕彰されているのだという言い方にもなると思うのですね。しかし、阿弥陀仏の四十八願は、韋提希にのみにあらず、普く衆生を悲しんで発(おこ)された願ですから、韋提希の「別選所求」の前段である、牢獄でお釈迦様に嘆願して「我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ」という、つまり「教我観於清浄業処」のところですが、この韋提希の願いもまた阿弥陀仏の弘願の促しではないか、それどころか、そもそもこの観経の成り立ちから全てが阿弥陀仏の弘願があらわされているのである、と、このような解釈にはならないか。

もし阿弥陀仏の別意の弘願が、韋提希の「別選所求」で顕彰されるのならば、この「別選所求」において、阿弥陀仏の浄土を選ぶきっかけが何かなければならないでしょう。それでは何故、韋提希はお釈迦様が現した諸仏の浄妙なる国土を断って、阿弥陀仏の浄土に生れたいと願ったのでしょうか。

善導大師は、韋提希が阿弥陀仏の浄土を願う、つまり「別撰所求」を、韋提希みずからの選びがなければ、韋提希自身の願いがどんなに強くても、なお、惑いが生じるといわれています。だからみずからが選ぶために、まずはもって、それぞれの諸仏の国土を現わしたのだと、こういうふうにも言われています。しかし、その次に「優なるを隠して独り西方の勝なるを顕すべし」と述べられます。これは、お釈迦様の優なるを隠して、独り西方阿弥陀仏の勝れたることを顕すべしということですから、次の言葉にも置き換えることができます。「しかるに二仏の神力まさに斉等なるべし。ただ釈迦如来己が能を申べずして故(ことさ)らにかの長をあらわしたもうことは、一切衆生を斉しく帰せしめざることなからしめんと欲してなり。」この二仏とはお釈迦様と阿弥陀仏ですね。神力はここでは優れているということですから、その優れた力はともに等しいが、お釈迦様の優なるを隠して独りかの長である阿弥陀仏の勝なるを顕すべし、です。

皆さんは忘れたかもしれませんが、この置き換えたものは、前回の「安楽集」における正定聚の文です。何故、韋提希は浄妙なる諸仏の国土を選ばずに、阿弥陀仏の浄土を選んだのか。そのヒントがこの文の最後にあります。「一切衆生を斉しく帰せしめざることなからんと欲してなり」です。

この、一切衆生を斉しく帰せしめようと願う阿弥陀仏の弘願が今日のテーマになっております「弘願と言うは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなし」ということになります。そこで、この「生を得るは、みな」の「みな」とはいったい誰のことを言われているのかなとまず思うのですね。

一切善悪の凡夫ですから、この一切善悪の凡夫において、阿弥陀仏の浄土に生を得るものは「みな」と、普通ならこのように読むのかなと思います。また、厳密に言うなら、一切善悪の凡夫の中で、韋提希のように阿弥陀仏の浄土に生れることを願う者は「みな」と、このようになるかなとも思います。すると、韋提希と同じように「別選所求」という自発的な選びが必要でしょう。ところが、韋提希の周囲には、韋提希の無生忍に感化されて、阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う五百の侍女がいました。これは阿弥陀仏の四十八願が普く衆生を摂取していて、韋提希の周囲のものがそれに感化され、みずからも浄土に生れようと願いを発(おこ)すのです。だから、韋提希をはじめそのような「みな」は、阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしということですね。まあ、普通ならこのようになるのかなと思うのです。

善導大師はこの無生忍のことを「定善義」の第七華座観でも述べています。「弥陀を覩たてまつって、さらにますます心開けて忍を悟なり」。また「散善義」の「下品下生」では、「まさしく夫人第七観のはじめにおいて無量寿仏を覩たてまつる時、すなわち無生の益を得ることを明かす」と、第七観の無生忍を述べています。問題は「ますます心開けて」ということですが、「定善義」の第七観で無量寿を覩(み)たてまつり、そして、ますます心が開けて忍を悟るのですから、これは第七観で韋提希が阿弥陀仏に摂取されていく過程を言われているのでしょう。

それでは、韋提希は「別選処求」で諸仏の浄土を断り、阿弥陀仏の浄土に生れることを選びました。そして、「定善義」の第七華座観でますます心開けて忍を悟り、「散善義」の「下品下生」で無生忍を得たことになりますから、『観経』には阿弥陀仏の別意の弘願が全体に流れていて、「定善義」と「散善義」の要門を説きながら、別意に阿弥陀仏の弘願が韋提希をして顕かにされていくのだ、と、このようになります。しかし、これをもって弘願をおさえて、証巻の「安楽集」の引用のあとに措くと、今回の文が読めなくなるのです。

親鸞聖人は韋提希の「別選所求」を、「韋提別選の正意に因(よ)って、弥陀大悲の本願を開闡(かいせん)す」と「化真土巻」に顕されています。開闡は開き明らかにすることですが、これは韋提希の別選の正意を因として、その因によって弥陀の本願が開き明らかにされたと、このように読むのでしょうか。実は、ここからが今日の本題でありまして、親鸞聖人はこの「別選所求」において、弥陀大悲の本願が開闡すと言われています。つまり、阿弥陀仏の弘願を、韋提希が阿弥陀仏の大悲に育まれていくといったような時間の経過には見ないで、「韋提別選」というひとつの出来事に見ておられることになると思うのですね。

何故、韋提希はお釈迦様の現した浄妙なる諸仏の国土を断って、阿弥陀仏の浄土に生れんと願ったのか。その「別選の正意に因って弥陀大悲の本願を開闡す」ですから、韋提希をして阿弥陀仏の浄土を選ばしめたその正意とは何かということでしょう。そして、その韋提希の正意に向かって弥陀大悲の本願が開闡している、そのことを親鸞聖人は弘願と言われているのではないでしょうか。

ここで、「別選所求」の前段に戻りますが、韋提希は「この濁悪処は地獄・餓鬼・畜生盈満して、不善の聚多し。願わくは我、未来に悪声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かいて、五体を地に投げて、求哀し懺悔す。唯、願わくは仏日、我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ」、この「教我観於清浄業処」ですが、この「清浄業処」を化身土巻には「本願成就の報土なり」と言われます。韋提希が願った「清浄業処」が本願成就の報土だということは、その「清浄業処」に向かって弥陀大悲の本願が開闡す、と、いわれていることになると思うのですね。

そこで、今日のテーマである「弘願というは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなし」を読むことになりますが、この「一切善悪の凡夫、生を得るは、みな」の「みな」は、さっきまでの読みでは、韋提希のように阿弥陀仏の浄土に生れんと願うところの「みな」は、阿弥陀仏の大願業力に乗じて(無生忍を得る)増上縁とせざることなし、と、このようになるかなと思いますが、証巻では、この弘願文だけが引用されていますから、そのようには読まない。

では、どのように読むか。「生を得るは、みな」をそのまま読む。一切善悪の凡夫は、一切だからこれも「みな」です。その「一切善悪の凡夫のみな」において、生を得るは、の「みな」ですね。その生を得る「みな」が阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしですから、一切善悪の凡夫である「みな」と、生を得るは、の「みな」は違いますね。では、この生を得るはとは何かということになります。そしてこの生を得るところの「みな」は阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしです。

すると、一切善悪の凡夫の一切は「みな」であり、その中に生を得る「みな」があるでしょう。この一切善悪の凡夫の「みな」と、生を得る「みな」は何が違うのでしょうか。まず、この一切善悪凡夫の「みな」は、一切ですから過去・現在・未来の一切善悪の凡夫です。すると私たちもそれぞれその「みな」の独りです。

韋提希はまず、清浄の業処を観たいとお釈迦様に願うわけですね。その時にお釈迦様は、眉間から放たれた光の中に諸仏の浄妙なる国土を現わしました。この諸仏の国土が、韋提希が観たいと願ったはずの「清浄業処」です。親鸞聖人の「韋提別選」における正意とは、この清浄業処であり、その清浄業処に向かって弥陀大悲は開闡すと言われていると思うのですね。だから韋提希はまずこの清浄業処を観たいと願うわけです。そこでお釈迦様はその清浄業処を浄妙なる諸仏の国土をもって現わされたのですね。

この浄妙なる諸仏の国土とは何か。それは、お釈迦様が見ている一切善悪の凡夫の姿ではないでしょうか。しかし凡夫は自らを一切善悪の凡夫だと知らない。凡夫の関心ごとは自分なのですね。だから自分における清浄なる業処が観たい。しかし、お釈迦様の眼は、一切善悪の凡夫であるがゆえに一切は浄妙なる国土であると、一切善悪の凡夫の「みな」に浄妙なる国土を見ている。このお釈迦さんの眼における浄妙なる国土の世界に、すでに弥陀大悲の本願が開闡されているのだということでしょう。韋提希は何か気づいたのではないですか。

で、ここまでを要約すると、「弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫(において、お釈迦様の見る浄妙なる国土に)、生を得る(ところの善悪の凡夫)は、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり」と、こういうふうになるかと思います。

この「生を得るは、みな」とは、正定聚を輝かすところの深淵なる業の闇をいうのであり、その業の闇をも、お釈迦様は清浄業処の浄妙なる国土として見ておられることになります。その清浄業処にひときわ輝く正定聚の諸仏を見る。その「生を得るは、みな」が阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしです。親鸞聖人は、このお釈迦様の心眼である「清浄業処」に、弥陀大悲の本願が開闡されるのを、増上縁と見ておられることになるのではないでしょうか。

そして、この弘願の次に、「また仏の密意広深なれば、教門をして暁(さと)りがたし。三賢十聖測りて闚(うかが)うところにあらず。」と、まだまだ密意は深く広いので、教門を顕かにしたのではない。そして「況や我信外の軽毛なり。あえて旨趣を知らんや」です。まだまだ信には浅く仏の旨趣を知っているのではない。「仰ぎ惟(おもん)みれば、釈迦はこの方に発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼(かしこ)に喚(よ)ばい此(ここ)に遣わす。あに去(ゆ)かざるべけんや。」この「あに去かざるべけんや」は、どうして去らないでおることができようか、と、いうことでしょうか。去をゆく読みますから、どうしてゆかないことがあろうかと読むのでしょうね。だから、まだ去かないで此にいるということですが、ここにはすでに弥陀が来迎しているから、去かないことがないではないか、と、このように読むのでしょうね。

不思議な表現で、漠然とした感想しか言えませんけど、何か確かなものを見る佇まいですね。そして「ただねんごろに法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし、と」。この「畢命を期(ご)として」は命が終わるときをまって、そして「この穢身を捨てて」は、煩悩具足の凡夫の身を捨てて、「法性の常楽を証すべし」です。命が終わるときに煩悩具足の身を捨てて、法性常楽を証するのである、と、親鸞聖人の信心の深みを、この証巻に顕されたところだと思っています。