歎異抄第3条

令和2年9月 秋彼岸会より

  今日は歎異抄第3条を話すことにしております。この条の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉はすごく有名です。今回どのような話をしようか考えていたら、昔の原稿に面白い言葉がありまして、それを取り上げながら話すことにしました。で、それは誰の言葉かといいますと立松和平氏の言葉だと書いてあります。自分で書いて忘れておりますが、原稿が平成19年のものですから覚えてないのも仕方がないかなと思います。

  「強力な先祖に縛られているのも苦しいが、祖先の物語を忘れて神話を喪失してしまったら、自分が何者であり、何故ここにいるのか分からなくなってしまう。」

  この言葉はイースター島のモアイ像について書かれたものです。イースター島はかって島民が滅んでしまったという説がありまして、その島民が滅ぶ原因とモアイ像の関係をイメージして書かれた時の言葉です。今はインターネットでモアイ像と検索すると最新情報が出ますので、興味がある方は検索していただく事にして、立松和平氏のこの言葉だけを引用して、歎異抄第3条を考えることにしました。

  ところで、私たちは立松氏が言われるような強力な先祖を持っているでしょうか。現在はなくても以前はそういう強力な先祖に縛られていたことがあったでしょうか。もしかってはあったとすれば、それはいつ頃なのか、そしてどのような様子でそれは存在しただろうか。

  現在の日本では無宗教が常識のように言われますが、実はこの何となくでも無宗教的だと言われているのは戦後からでして、それ以前はかなりの宗教の国だったと思っています。たしかに戦前・戦中における国家神道を例に挙げればそうなるわけですが、しかし突然降って湧いたように文化がガラッと変わることはないのですから、そういう国家的な宗教観もまた、庶民の宗教的な素地がなければ簡単には染まらないものだとも思います。そういう面では日本においての宗教観が習俗化していくのはもっと以前ではないでしょうか。少なくとも江戸時代頃までに定着していったのじゃないかと思っています。そういう日本において、またこの近年の日本において、先祖とすごく近い時期があったなら、それはいつ頃まであっただろうか。そして何故今はないのか。

  まず、戦後教育があるでしょう。まさしく自分が受けた授業そのものですが、先祖についての授業を受けた記憶はありません。家では両親や祖父母あたりまでが生活の現場ですから、当然、両親やおじいちゃんおばあちゃんを大事にしましょうなどといった話はあったでしょう。しかし、それよりも以前、それも何処まで遡るか分からないほどの祖先をどうしろと言った話はなかったように思います。

  昭和20年、1945年が終戦の年です。それから2年後、昭和22年に家長制度が廃止されました。それまでは家の長を戸主と言うそうですが、それ以外を家族と言ったそうです。戸主と家族という形ですね。代々長男が戸主になり一家を統率する習わしが家長制度です。そこには全財産の相続権もその戸主にありました。次男や三男には相続権はなかった。娘にいたっては嫁入りの費用がかさむのでいろいろと制約もあったそうです。また女子の家長も認められたそうですが、暫定的であり、あくまでも男子家長が原則だったようです。

  家長制度ですから家が中心の制度ですね。家族と言っても今の家族構成などとはイメージが違うものでしょう。そしてその家の家督相続で戸主が全てを受け継ぐのですから、戸主はその家の歴史も一手に担うことになります。それはそのまま家の祖先を受け継ぐことでもあったでしょう。この家長制度が廃止されたのが終戦から2年後1947年です。

  日本において強力な先祖に縛られている姿が、この家長制度の戸主と家族に見えるといえば大げさかもしれませんが、案外そういうことかもしれないなと思います。この家長制度は明治に始まったそうですが、もともとそれまでの習わしが制度化されたのでしょうから、それまで先祖代々受け継がれた日本の風土を明治時代に制度化したといってもいいと思います。当然かなりの弊害があったことも想像できますね。

  昭和22年にこの家長制度が廃止されて祖先との呪縛も無くなり、遺産相続などは様変わりして現在にまで至っているわけですが、では、この文にある「祖先の物語を忘れて(祖先の)神話を喪失してしまったら、自分が何者であり、何故ここにいるのか分からなくなってしまう。」という言葉はどうなったでしょうか。

  現在は祖先という言葉はほとんど死語になっています。誰も考えていないでしょう。優しくしてくれたおじいちゃんやおばあちゃんくらいまでではないですか。しかし、それだけでは自分が何者でありどこから来たのかといったような、アイデンティティーというものは出てこない。ところが、私が気がつかないまでも、そういった日本の風土や歴史を自分の血や肉として、何がしら背負っていることも間違いないのでしょう。そうじゃなかったらここに居ませんから。

  今日お参り下さっている皆さんも全くの偶然でここにお参りされているわけじゃありません。何かの縁がこうしてお参りされている背景にあるのでしょう。背負っていても自分では気がつかない。それほど近いもの、見えないもの。そういうものとして祖先がある。見たこともないし、肌で感じる訳でもない。あるのかどうかも分からないが、だからといって無いのではない。その人その人が持っている感じ方や考え方に癖があるように、そのくらい近いものとして祖先がある。

  これが歎異抄の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の言葉ににある善悪の問題だろうと思います。でもね、いきなりこれが歎異抄の善悪の問題だと言っても何のことか分からないですね。しかし、善悪とは、あなたにとっての善悪であり、私にとっての善悪ですから、私にとっての善は善きもの、私にとっての悪は悪きものです。当たり前のようですが、善い悪いは自分の都合できまる。

  もうひとつ、客観的な善いもの悪いものとされるものがある。法律や社会性で善いとされるものや悪とされるものがあるでしょう。戦前の家長制度は長男が家督相続する法律ですね。女の子が先に生まれても長男が継ぎます。では、女の子しか出来なかった場合はどうなるでしょうか。その時はおそらくですが、長女が継ぎます。ただし婿養子が来たらその時点で婿養子が戸主だそうです。女子はそれまでのつなぎですね。

  じゃあ、男も女もいない場合はどうだといえば、戸主は親族会議で決めるようです。親せきからそこの家に戸主が来たのでしょうか。家同士のつながりが現在とかなり違っているようです。長男は生まれた時から家督相続の対象で、その家の歴史もろとも全部担う。その代わりに次男や三男は何も継げません。詳しい財産分与の仕方は調べないとよく分かりませんが、今とはかなり違ったものだったでしょう。

  これは想像ですが、戦前にこの炭坑の地に地方から働きに来た人たちはおそらく次男や三男でしょうね。で、この家長制度を考えると、その人たちは稼いだ賃金はどうしたと思いますか。自分で使ってしまったでしょうか。酒飲んで博打してその日暮らしで暮らしたでしょうか。男の場合はそういう想像もたやすく出来ますが、炭坑には女子もかなり就労しています。これはどう思いますか。里の家に仕送りをしていなかっただろうか。田舎には戸主が家族を養っています。その子供たちがこの炭坑に働きに来ているとしたらどう思われます。

  家長制度の時代に生きた人々は、家のために懸命に働き、その賃金のほとんどを里の家に仕送りするのが当たり前だったかもしれないでしょう。今私たちが生きている世界など知らないのですから、そこに生きた人はそれが当たり前だと思い、それが善だと思った。しかし、今生きる人から見てそれはやりすぎだと思うなら、それは善ではない事になる。まして自分の体がぼろぼろになるまで働いて、その賃金の全てを仕送りするなら、それは社会的においてもおかしいと思う。そうするとそれは悪になる。

  時代において善と悪が変化するでしょう。家長制度に何も異議を感じない人は善人だったのか悪人だったのか。考えていくとなかなか難しい問題です。それぞれの時代には何がしらの善悪があって、そしてその時代状況に生きた人たちがいたということですね。そしてそれを今の自分が外から見て善や悪だという。また、当時の法律や社会性においても、善いとされるものが一個人においては必ずしもそうはならない事があったはずです。まして戦時中ならめまぐるしく善悪の価値観が変わるのではないですか。

  こういう時代状況の違いや社会性の違いの中でもずっと変わらずに続いているものは何だろうか。それは、あれが善だとか悪だと自分の都合で見たり決めたりしてきた、それぞれの時代を通して繰り返されたそれぞれの人のこころの在りようである。そのこころを分別心というのですが、その繰り返される分別心の歴史に、自らの姿を見る。そういう人を歎異抄では悪人と言っています。だから他人を悪人だとかとやかく言うのではなくて、そういう自らの姿を言っているのですね。

  そして善人とは自力作善の人です。自らの分別心を頼りにする人でしょうか。考えてみると、この分別心を頼りに生きるというのは、自分の経験値を生かすことでしょう。状況を読み、何をなすべきか。今日の話の家長制度で言うならば、戸主が家族のためにある状況下で何をするべきか考えて行動する。言い方を変えたら、自分の力で自分が思う処の善をなすです。まさしく善人じゃないですか。じゃあこの善人である自力作善は何故いけないのでしょうか。

  それでは、この辺りで歎異抄第3条を読んでみましょうか。歎異抄第3条全文になります。 

 【 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや。」この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころのかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからずを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。】

  歎異抄は悪人が善人より優れているぞとは言っていません。善人は本願の意趣に背いていると言っています。何故本願の意趣に背いているのかここに書いてあります。他力をたのむこころがかけているからだ、という訳です。

  自分の人生の経験値が自分の全てだとする方もおられるでしょう。しかし、生まれた環境や血筋などもありますから、一概に自分の経験値だけが全てだと思わないまでも、自分の努力を考慮したらやはり自分の経験値がものをいうのだというのが、だいたいにして普通の見解じゃないですか。

  そこまでは理解できますが、その自分の経験値を描くこころのキャンバスの素地においても、すでに祖先の血の模様が描かれているというような表現はなかなかしない。私にまでなった祖先の歴史とは、私が思い感じるところのこころの背景にまでおよぶということですから、私が何かを見て考えるとして、その私が何をどういうふうに考えるか、その癖においても祖先の歴史が関わっているという事ですね。その全てに祖先の分別心が繰り返され続けた歴史模様がある。

  例えばここに黒板がありますね。今日の話を黒板にいろいろと書いていますが、この書いている文字が現在までの自分の経験値だとするでしょう。今話しているのはこの文字を書いている黒板自体のことを言っていることになります。黒板と言いながら実際の色は深緑ですが、その黒板にチョークで経験値を描いていくとする。するとその黒板自体は無色であるという約束事がどこかにあるでしょう。しかし実際は色はちゃんと付いています。この黒板の色の事を言っているのでして、無色であるという約束は勝手に自分がそう決めているだけであって、黒板そのものにすでに模様が描かれている。その模様が祖先の歴史という模様です。自分の経験値はそこに上書きされているという事ですから、そこに描かれた文字は黒板の模様とのコントラストでありながら、その全体がそのまま自らであるといった表現になると思います。

  この黒板は私のこころの領域なのか、それともこころの領域を超えたものなのか。こころには無意識の領域があるといえばそれがこころの領域にも聞こえますし、また無意識は身体的な領域にあるといえばそれもそれなりに聞こえます。総じて専門の学者じゃありませんから分からないのですね。ただ意識が何かを素地にして現れるのなら、たとえ意識が無になっても素地はそのままです。

  このこころの領域を、私の血となり肉となった分別心の永い歴史として見て、それをここでは生死といっているのではないでしょうか。第3条のこの「煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからず」という言葉は、そのことを言っているようにも思えます。それでは、何故それを悪とおさえるのかという問題がありますね。これは分別心の捉え方によるものですが、また別の機会に話したいと思います。

  仏教では善因善果・悪因悪果です。しかし善悪がどのような状況でも同じかと言えば変わってくるでしょう。親鸞聖人は善因善果・悪因悪果というよりも、「因浄なるがゆゑに果また浄なり」と言われますように浄因浄果です。因が浄であるからこそ果もまた浄である。親鸞聖人は浄土往生を問題にされますので、それについての善悪ですから、悪というのは浄土の因に非ずという事ですね。何故なら悪は浄ではないからでしょう。だから私において往生浄土の因がないということは浄にあらずであって、それは悪人としての自覚がそういわせているのです。しかしその悪人の自覚こそが浄土往生の正因に他ならない。何故なら本願の本意は悪人成仏にためだからだということになります。

  今日このように歎異抄第3条を読んでみて感じることは、この善人悪人は二人を並べ比べたものじゃなくて、一人の人間が生きることにおいての生と死の問題だと思いました。精一杯に生きてもそれが自分が納得するものになるかといえばそういうわけではない。また、さぼれば身になるというような都合のいいものでもない。そういう中でのいうなれば人生の謳歌と躓きじゃないかと思います。自力作善と書いてありますが、自分の力で出来ると思っている人は自分を謳歌しているのでしょう。

  また、朝起きて顔を洗いに行くでしょう。鏡の前でまず躓きます。みなさんはまだ大丈夫ですか。老というのは何やかや言っても躓きじゃないだろうか。そしてもうすぐ死です。人生の謳歌は振り返ればけっこうあったような気がしますが、その最中はなかなか気づかいないものですね。しかし躓きはその瞬間で分かります。往生浄土はこの瞬間の問題かなとふと思ったりします。

  今日の話は歎異抄の善悪の問題がまだ不十分だということは分かっていますが、今日話したところの善悪もまた歎異抄の中のものであります。

  で、最後に話をまた立松氏の言葉に戻しますが、「祖先の物語を忘れて、神話を喪失してしまったら自分が何者であり、何故ここにいるのか分からなくなってしまう。」この言葉に自分の考えを添えて終わろうかなと思います。この立松氏の言葉が何故気になったのかというと、この神話を喪失すると自分が分からなくなるということですが、この神話の喪失と自己の喪失がどういうものなのか。

  ご存じのように、真宗にも法蔵菩薩という神話があります。神話と言っていいのか分かりませんが、神話だといえばそうかもしれない。そういう神話だとか違うとかいうのではないけれど、この言葉にある神話の喪失とアイデンティティーの喪失、つまり自己の喪失ということを、立松氏はどのような意味で言われたかなと気になったものですから取り上げました。

  イースター島においてこの神話とは何だったのか、まだ謎のままです。しかし地図で眺めてみると、イースター島は南太平洋の絶海の孤島ですから、逃げ場のない海に囲まれた小さな範囲での神話です。そこにある神話は天と地が垂直に関係した神話ではないだろうか。それこそ垂直に先祖・祖先がそのまま神話化している。自らがそこにいることにおいての垂直的なものを神話と言われているのかなと感じた次第です。だからこういうのを垂直型と言わせてもらいますが、こういうタイプはおそらく東洋的じゃないかもしれない。

  じゃあ東洋的とは何だといいますと、あやかるといいますか、そこに行けばパワーを貰えるというようなパワースポット。神社仏閣のご神木に触れたり側にいたりすると、自分までいい風が当たってくるというような、あやかり型じゃないかと思うのですね。だから東洋的な神話というのは、直接自分に関わりはないけど、しかしその神話は日本の国造りの物語だったりする。だからお伊勢参りをすれば何やら神話のパワーも頂く気がするというようなものじゃないでしょうか。専門的な見解ではないですから、そんな感じじゃないかなと思いますが、それに対して西洋哲学は自分をとことん掘り下げて、ついにはそこに神までを見出そうする垂直型ではないかと思います。

  そういう中で、法蔵菩薩はどちらだろうかと考えるのですね。そういうことを常々考えていますのでこういう言葉が気になったのだろうと思います。まだ答えはありませんが、真宗のご信心には法蔵菩薩がおられます。そういうことも気に留めていただければと思い、ついでと言っては何ですが最後に少しばかり話した次第です。