行巻その② 龍樹(十住毘婆沙論)Ⅰ

令和7年3月20日 春彼岸会より

「しかれば、「南無」の言は帰命なり。「帰」の言は、至なり。、また帰説(よりたのむ)なり、設の字、税の音(こえ)、また帰設(よりかかる)なり、説の字は、税の音(こえ)、悦税二つの音は告ぐるなり、述なり、人の意(こころ)を宣述(のぶ)るなり。「命」の言は、業なり、招引なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計(はからう)なり、召(めす)なり。ここをもって、「帰命」は本願召喚の勅命なり。「発願回向」と言うは、如来はすでに発願して、衆生の行を回施したまうの心なり。「即是其行」と言うは、すなわち選択本願これなり。「必得往生」と言うは、不退の位に至ることを獲ることを彰すなり。『経』(大経)には「即得」と言えり、『釈』(易行品)には「必定」と云えり。「即」の言は、願力を聞くに由って、報土の真因決定する時剋の極促を光闡せるなり。「必」の言は、審(あきらか)なり。然(しからしむ)なり、分極なり、金剛心成就の貌(かおばせ)なり。」

これは、教行信証の行巻途中にある御自釈です。予定としてはまだ先になります。でも、ここまでを一つの区切りにしているので、無事にたどり着くかどうか分かりませんが、とにかくこの御自釈を目指して読んでいくことになります。

それでまず、この御自釈の感想を少しだけ述べてみたいと思いますが、まず、南無阿弥陀仏の「南無」は音写ですから、意味は「帰命」ということである。その「帰命」を、「帰」と「命」とに分けてあります。もうすでにこの辺りからよく分からない訳ですね。それでこれをもっと立体的に出来ないものかと考えていまして、この文から少しだけ抜き出して、視野を広げてみたいと思います。

「「帰」の言は、至なり。また帰説(よりたのむ)なり、説の字、悦の音、また帰説(よりかかる)なり、説の字は、税の音、悦税二つの音は告ぐるなり、述なり、人の意を宣述(のぶ)るなり。」

この文には、まず「「帰」の言は、至なり。」と書かれています。そして「帰」は帰説(よりたのむ)であり、説の字は悦の音(こえ)で、帰説(よりかかる)ということであり、これらは人の意(こころ)をしっかりと述べたものである、と、まあ、これでいいのでしょうか。

そこで、まずこの「至」が、その意(こころ)よりも深く、それこそ何か根本的なものを指しているとするなら、帰説の帰は、その根本(よりたのむ)のだということになるでしょうか。そして帰説の説は悦であり、(よりかかる)ということである、と、このようになるかなと思います。

「帰」をこのように言われていることになりますが、しかし普通に考えてみても、この帰命の帰も命も称えるこちらの問題でありますから、それ以上に何かあるのかということですね。しかし、ここでは帰はまず至であると言われます。すると、この至は何かということから考えなければならない訳です。

それで、この「至」を、さきほど私の存在よりも深く、それこそ何か根本的なものではないかと言いました。するとこの「帰説(きえつ)の帰」は、称える私の意よりも深く、何かその根本に至るところ(よりたのむ)ということになり、「帰説(きさい)の説」は、悦であり、その根本に(よりかかる)ことへの表現だということになるでしょうか。

このように読んでいくと、まず帰は至であるということ。そして、それは私たちが普通に考えているよりも何か深い意義があるということですね。そしてこの帰は帰説であり、よりたのむと、よりかかるの二つのことを言われている。

しかし、この「至」を、私の存在よりもっと深く、何か根本的なものだと言いましたが、それが何なのかも分からない訳ですし、またそれでいいのかどうかも定かではないのですね。だからこの時点では「至」とは何か分からない訳ままですが、とにかくこのことを念頭におきながら読んで行かなければなりません。

今回から、この御自釈へ向かって歩きだすことになります。親鸞聖人はここに七高僧から龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師の五人の高僧を挙げておられます。だからこれらを通らなければたどり着けないのですね。出発ぐらいは元気に行きたいものですが、はたして無事にたどり着くかどうか。とにかく始めたいと思います。

それで今回から龍樹菩薩を見ていくことになります。龍樹菩薩は西暦二世紀から三世紀に活躍されたお方です。詳細はよく分かっていないと言われています。それでも八宗の祖であり、日本仏教のすべての宗派の祖だとも言われます。多くの論書が残されていながらも、龍樹菩薩ご自身のものか不明なものも多とのことです。その中で今回の「十住毗婆論」はご本人の論だと言われているものです。

聖人はこの「十住毘婆沙論」から四ヵ所を引かれておられまして、それが「入初地品」「地相品」「浄地品」「易行品」です。この四品をもって聖人は何を言われよとされるのか、そしてそのお心は何かということです。

それではまず「入初地品」から始めます。「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。世間道を転じて出世上道に入るものなり。「世間道」をすなわち「凡夫所行の道」と名づく。転じて「休息(くそく)」と名づく。凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死(まよい)に往来す。これを「凡夫道」と名づく。「世間道」は、この道に因って三界を出ずることを得るがゆえに、「出世間道」と名づく。「上」は、妙なるがゆえに、名づけて「上」とす。「入」は、正しく道を行ずるがゆえに、名づけて「入」とす。この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づく、と。」

文のはじめに「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに」とありますね。この「家」は「家清浄」のことです。この文の前に書いてあります。

「「入初地品」に曰く、ある人の言わく、「般舟三昧および大悲を諸法の家と名づく、この二法よりもろもろの如来を生ず。」この中の般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。(中略) 家に過咎なければ家清浄なり。 (中略) 般舟三昧・大悲・諸忍・この諸法清浄にして過(とが)あることなし。かるがゆえに「家清浄」と名づく。」

この続きが「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけれん。世間道を転じて出世上道にいる・・」になります。

この「家清浄」ですが、これについては後程考えることにしまして、まずは「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。世間道を転じて出世上道に入るものなり。「世間道」をすなわち「凡夫所行の道」と名づく。転じて「休息」と名づく。」のところから考えてみましょう。

そこでまず、この「家清浄」の菩薩が世間道を転じて出世上道に入る。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」に転じられる。それを「休息」と名づく、と、このように読んでいきます。

この菩薩、世間道を転じて出世上道に入るですから、まずは世間道がここにあることになります。一般論でもかまいませんが、何処の誰々の世間道だということの方が分かりやすくなるでしょか。それで、その誰かの世間道が転じられるということ。では、どのように転じられるかといえば、出世上道に入るということだ。

「凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死(まよい)に往来する。」要約すれば、凡夫道はつまるところ涅槃には至ることはない。何故ならまよいから出られないからである。これが「世間道」ですね。これに対して「出世上道」に入るとは、この「世間道」が「凡夫所行の道」に転じられるということであり、そしてこれを「休息」とも言う。

それでは、この菩薩とはどのような菩薩か。世間道を転じて出世上道に入る菩薩である。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」となり、これを「休息」とも言う。この菩薩が出世上道に入ることに因って「世間道」は生死(まよい)を出ることを得る、だから「出世間道」と名づける。

自己流の解釈ですが、おおよそ、こういうことかなと考えています。そして、この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づくですね。だからここまでの内容は初めからずっと「家清浄」の菩薩が書かれていることになります。そしてまた同時に「休息」は単に休むということではなくて、凡夫所行の道を見出すということであり、それを「休息」と言われている。そして休息には時間の短さを表現されているような気がする。この時間の短さはあえて付け足しています。

簡単にまとめると、「家清浄」の菩薩、「世間道」を転じて「出世上道」に入る。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」となり、この心をもって初地に入るを歓喜地という。

それで、次は問になっています。「初地、何がゆえぞ名づけて「歓喜」とするや、答えて曰く、初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし。菩薩この地を得れば、心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得。このゆえに、かくのごとき人を「賢善者」と名づくることを得」。これが「歓喜」の答えです。

それでまず、ここは初地がなぜ歓喜なのかという問いですね。答えは「初果の究竟して涅槃に至ることを得るがごとし」です。すると、「菩薩この地を得れば」ですから、まず、この菩薩は「家清浄」の菩薩のことですね。この菩薩がこの地を得れば、初果はきわめて優れ涅槃に至を得るがごとしである。「ごとし」とは「何々のようだ」ということでしょう。涅槃に至るとは書いてないのですよ。面白いですね、しかしこれどういうことでしょうか。

そしてまた、後の文では「初果を得るがごとし」と書いてあります。しかしここは、「初果の究竟して」ですから、初果のことです。そして次が初果を得るがごとしです。では、初めも初果のごとしかといえば、初果と書いてあります。不思議な文ですね。

そこでまず、この文言の間にあるのが「心常に歓喜多し。自然に諸仏如来の種を増長することを得」になりますが、ここはごとしではありません。

つまり初めは初果であり、次が諸仏如来の種の増長です。しかしその次は「初果を得るがごとし」となっているようですね。つまり初果はこの諸仏如来の種の増長と何か関わっていて、その増長とは何かといえば「初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし」である。この増長は、その度ごとに「諸仏如来の種を増長することを得」である。ただ、この増長は、時間の延長に観た場合と、断片的であり、なおその度に増長しているという場合があると思うのですよ。

断片的とは、結果としたら増長していることになるが、それは断片的であるということ。つまり不連続の連続であるということになるでしょか。そうしたら、まず初果であり、その次もまた初果である。そのそれぞれの初果に「心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得」ということである。その時は「心常に歓喜多し、諸仏如来の種の増長することを得」のである、と、このようになるかもしれません。

では、この後の「初果を得るがごとし」は何でしょうか。まず初果は断片的であり、時間の短さであるということなら、この「初果の究竟して涅槃に至を得るがごとし」の時と、次のその時に間があります。この間こそがその人の「世間道」であり「凡夫所行の道」だということではないでしょうか。だからこれは初果というよりも凡夫所行の道でありますから、この道は初果を得るがごとき道であるということでしょう。

そこで、「入初地品」の初めですが、「ある人の言わく」とありました。次が「家清浄」の菩薩です。そしてこの菩薩、「世間道」を転じて「出世上道」に入るですね。この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づく、です。そして、菩薩この地を得れば、かくのごとき人を「賢善者」と名づく、と、こういうことになっています。

で、この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づくですから、この心の主語は、「家清浄」の菩薩でしょう。すると普通なら初地の菩薩、世間道を転じて出世上道に入る、そのとき世間道は転じられて出世間道の地を得る。これが初地の菩薩の心である。この菩薩の地を歓喜地と名づく。このような言い方が出来るかも知れませんね。しかしこれ、これまでの全体を見たら変わってきます。

まず、初果というのは難しくて説明が出来ませんが、次の初地を何故歓喜と名づけるのかというところです。この答えが「初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし」ですので、この場合、初果の究竟して涅槃に至るとは、いったい何を指しているのかということすね。

仏教では、初果はまだ未熟であり菩薩の位ではありません。この初果が究竟して涅槃に至ることを得るがごとしですから、つまりは、初果でありながらも、それはきわめて優れていて、涅槃に至ることを得るがごとしだと書いてあることになります。

ここに少し言葉を付け加えてみます。すると、この菩薩、この地を得れば(かくのごとき人)、心常に歓喜多し、(その歓喜は)自然に諸仏如来の種を増長す、と、まず、このように読みます。すると、この地とはかくのごとき人の初果です。菩薩がかくのごとき人の初果に地を得ればとなりますから、菩薩が得る地はかくのごとき人の初果ですね。そのときかくのごとき人、心常に歓喜多しとなるでしょう。

しかし、ここでは菩薩この地を得ればとなっていますので、菩薩の心常に歓喜多しですね。そして、かくのごとき人の方は菩薩ではなくて「賢善者と名づく」です。

そこで、ここまでを簡単にまてめると、まず初めが、「ある人の言わく」です。そして「家清浄」の菩薩、その次が「かくのごとき人」ですね。それで「ある人」と「かくのごとき人」にそれぞれ固有名詞を入れてみます。教巻の沿っていくと、この「ある人」はお釈迦様、つまり釈尊のことになります。だから「ある人の言わく」は「釈尊の言わく」です。

釈尊はこう言われた。「家清浄」の菩薩が、かくのごとき人の初果を地にするとき、この菩薩とかくのごとき人は「心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得」。このときの、かくのごとき人を賢善者と名づく。こういうふうに読んで行くと、この「かくのごとき人」とは阿難尊者になります。教巻は釈尊と阿難の出遇いです。

「釈尊はこう言われた。阿難よ、汝は未熟である。しかしこの菩薩が汝の初果を地にしたとき、初果は究竟して涅槃に至ることを得るがごとくである。と、そのとき、この菩薩と阿難は心常に歓喜多くして、自然に諸仏如来の種を増長することを得た」と、まあ、このようになるのではないかと思いますが、どんなものでしょうか。

次に、この初地を得己(おわる)を「「如来の家に生る」と名づく」と、このように書かれています。この己(おわる)ですが、これはどういうことでしょうか。これはおそらくいのちが終わるのでしょうね。つまり一生を終えたとき、この菩薩もまた初地を得己(おわる)のですね。しかし、これまで観てきたのは、このようないのちの終わりではなかったと思います。それは断片的な連続の増長でありました。だからこの得己とは、その一つひとつの断片が己(おわる)のことであり、その一つひとつにおいて、この菩薩とかくのごとき人は初地を得己(おわり)「如来の家に生る」と解するべきではないでしょうか。しかしまた、「凡夫所行の道」においては、その人の一生のいのちが終わるときに「如来の家に生る」ことを成就するということも含まれているわけです。

そこでこの「入初地品」の終わりのところに興味深いことが書いてありまして、「この菩薩所有の余の苦は、二三の水渧のごとし。百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、無始生死の苦においては、二三の水渧のごとし。滅すべきところの苦は大海の水のごとし。このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。」これをどう読めばいいのですかね。

この前文にそのヒントがあります。「一毛をもって百分となして、一分の毛をもって大海の水を分かち取るがごときは、二三渧の苦すでに滅せんがごとし。大海の水は余の未だ滅せざる者のごとし。二三渧のごとき心、大きに歓喜せん。」

この一毛をもって百分となすは何か。百分を百回としたら、一毛の百回分、一生かけて百回、大海の水を取ったとしても、それはほんの少しだけであり、大海の水は未だ滅することがないこのと同じである。この二三渧ような心、大きに歓喜せん。

これに対して、この菩薩です。この菩薩はかくのごとき人と同じ場所にいながらも、また、菩薩のフィールドがある。このフィールドこそ無始生死の苦であり、たとえ菩薩が百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、菩薩の滅すべき苦は大海の水のようなものである。「このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。」

意味内容を詳しく述べることは出来ませんが、文脈とすればこのように読めるかもしれませんね。で、この文脈を見たら、まず一人のいのち、そして菩薩のいのち、この二つが言われていることになります。するとまず、一人の生身の人間がいるでしょう。その人は生身の人間でありながら、同時に菩薩のいのちも生きていることになります。そしてこの大海の水のごとき苦は、菩薩にとってそのまま歓喜多きいのちの量である。

だから、この大海の水のごとき苦とは、おそらく凡夫の量でしょう。煩悩に苦しむ凡夫の量、つまり過去現在未来の全ての凡夫の量であり、凡夫の煩悩の量ではないかと思ったりします。この凡夫の煩悩の量は、そのままが菩薩の歓喜である。このようになるのではないでしょうか。これで「入初地品」を終わります。

『行巻』その① 諸仏称名の願より

令和6年12月1日  御正忌報恩講から

「顕浄土真実行文類二」

「謹んで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。大行とは、すなわち無碍光如来のみ名を称するなり。この行は、すなわちこれもろもろの善法を摂し,もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。かるがゆえに大行と名づく。しかるにこの行は、大悲の願より出たり。すなわちこれ諸仏称揚の願と名づく、また諸仏称名の願と名づく、また諸仏咨嗟の願と名づく。また往相回向の願と名づくべし、また選択称名の願と名づくべきなり。

諸仏称名の願

『大経』に言わく、設(たと)い我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚を取らじ、と。已上  また言わく、我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を成らじ、と。衆のたえに宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん、と。抄要」

・・・・・

今日から教行信証の行巻のところを話すことになります。勉強方々と思って始めた教行信証の読み方ですが、縁あって、こうして当寺の法要で話しています。原稿書きから法話といささか時間に追われていますが、おかげ様で法要でこのように聞いていただけるのは有難いことです。この教行信証の読み方はすでに証巻と教巻を通してきましたが、それをいまさら違う話し方に変えようと思っても無理だろうと思います。もう少しましな話が出来ないものかといつも考えます。しかし、これもまた自分の個性だろうとも思い、表現の仕方については言い訳しまいと、一応心に留めております。

それで、とにかくこれまで読んできた感想をまず述べるとするなら、すごく難解であります。自分がそれをどれだけ消化できて話しているか、そしてその内容が的を得ているかどうかと、いろいろと悩み、思いを巡らして準備をしてきました。今回もそのつもりで準備をしていますが、この行巻はかなり長文でありまして、行巻全体を観ながら話すことが出来ません。それで、それぞれの部分を読み進めながら全体を眺めて行こうと思っています。それが出来るかどうかは別にしても、まとらずお聞き苦しいことがあるかと思います。とにかく精一杯背伸びして話すことにしていますので、何とぞお許し願いましてお聞きいただければ幸いです。

それでは、今回から行巻を読んでいきます。長丁場になりますので宜しくお願い致します。そして先ほど読みました行巻の始めの文ですが、まず読んでみて、そして分からない訳です。「謹んで往相回向を案ずるに、大行あり、大信あり。」と書いてありますね。その次に「大行とは、すなわち無碍光如来のみ名を称するなり」といわれていて、この行は、もろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具している、極速円満であり真如一実の功徳宝海である、と、このように続きます。それをこういうことだから大行というのだということですね。

で、初めに往相回向に大行と大信がある、そしてその次に、大行だけを取り上げて説明をされているでしょう。そこのところを読むと「この行は、もろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり」ですね。そしてそれは極速円満しているということです。極速というのはほんの短い時間を言うのではないですか、だからそれは短い時間であり円満していると言われている。そしてまた、そのことは真如一実の功徳宝海であるとも言われています。で、これはいったい何を言われているのか。

それからまた「かるがゆえに大行と名づく」ですから、いったいこの全体で何を言われようとするのか皆目分からない訳です。次に「しかるにこの行は、大悲の願より出たものであるから、諸仏称揚の願と言い、諸仏称名の願という、諸仏咨嗟の願と名づける。そして往相回向の願と名づけ、選択称名の願と名づけると幾つもの願を並べておられますが、まず大悲の願より出たりと言われ、そして願文が羅列されている、その初めの三つが諸仏称揚の願、諸仏称名の願、諸仏咨嗟の願です。

で、どうもここで一回区切っておられるようでありまして、そしてまた「往相回向の願と名づくべし、また選択称名の願と名づくべきなり」と、このように続いているのではないか。はたしてこのような分け方が正しいのか分かりませんが、自分にはそう読めるわけですから、ここで区切られていることを切り口にしてこれらのことを考えてみようと思います。

すると、まずこの行巻の初めが「謹んで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり」です。その後にその大行とは何かを述べられて、その後に幾つもの願文を挙げておられますが、その中の諸仏称揚の願と諸仏称名の願と諸仏咨嗟の願を取り上げて、まずはこの願文が大行の願であると言われているのではないかということですね。

それでは、その次の往相回向の願と選択称名の願は何かといいますと、初めの「謹んで往相の回向を案ずるに大行あり、大信あり」の所に戻るような書き方をされているのではないか。つまり、まず三つの願文を得てから、そして最初に戻る。そうだとすると、往相回向の願の次の最後の願文である選択称名の願がこの行巻の最終的な願文ということになります。このように考えている訳ですけども、この事が一体どういうことなのかまだ分かりませんし、混乱している訳です。しかしとにかく、これらの事を念頭におきながら先に進んで行きたいと思います。

それでまず、今回は諸仏称揚の願、諸仏称名の願、諸仏咨嗟の願の方を考えていきますが、そこで最初に押さえなければならないのは「大行とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり」と言われていて、次にその行が大行である所以を述べられている。それが、もろもろの善法や徳本が具せられていて、そして極速円満し真如一実の宝海であるからだということですね。

この事がどういうことなのか。とにかくこの行は大悲の願より出ているから、諸仏称揚の願といい、諸仏称名の願という、そして諸仏咨嗟の願と名づける、とこのようになっています。そこで、まず初めに諸仏称揚の願について見ていくと、揚は下から上に移動させるという意味だそうで、つまりは下から上に揚げることですから、何か持ち揚げるという事でしょう。

するとこの諸仏称揚の願は「大悲の願より出たり」と言われていて、その大悲の願より出て何かを持ち揚げる願である。つまり無碍光如来の名を称することによって、称揚という、ひとつの相を持っているということ。そしてその相とは何かといえば、「揚」という形である。つまり諸仏称揚の願は、諸仏称名の願の相を顕していて、その相とは「揚」という形である。

そこで、前回の教巻で学んだ中に、群萌という言葉がありました。「釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり」つまり、お釈迦様が生涯をかけて説かれた教えを明らかに説き示せば、「群萌を拯(すく)い、恵に真実の利をもってせん、と、欲(おぼ)してなり」とこのように言われています。

それでこの諸仏称名の願は何処に立っているのかというと、この群萌を拯うところに立っている。すると、諸仏称揚の願の揚が群萌を持ち揚げるという意味なら、群萌よりも深く、そして群萌をつつみ、弥陀大悲の中で浄土へと持ち揚げる願であると、このようなるかと思うのですね。このことをどのように考えていくのかまだ分かりませんが、とにかく初めの諸仏称揚の願は大悲の願と交差する願であり、そのことが諸仏称名の願の相のひとつ「形」を顕している。

それでは諸仏咨嗟の願は何かといえば、これも諸仏称名の願の相である。そしてこちらの相は諸仏称名の願の「中身」を顕している。この三つの願文をもって、次のステップである往相回向の願へと繋がっていく、と、このようになるのかなと考えているわけです。そして次に、行を改めて諸仏称名の願とだけ述べられます。

一応ここまでを見ると、行巻(顕浄土真実行文類二)はまず諸仏称名の願であると書いてあります。そして浄土真実の行であり選択(せんじゃく)本願の行であると最初で言われておりますけども、その諸仏称名の願が行巻の願文であると言われながらも、この諸仏称名の願の出し方が変ですね。幾つも願文が羅列されていて、その二番目が諸仏称名の願です。要は何故このような願文の羅列と順番があるのかということですね。しかし、変だと言われてもそんなに変だとは思わないでしょう。それは今そのことを説明しているから変だと思わないのであり、説明がなくていきなり見せられたらやはり変ですよ。

この諸仏称名の願は第十七願といわれているものです。願文を読むと内容は三番目の諸仏咨嗟の願になっています。「『大経』に言わく、設(たと)い我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚をとらじ、と。」お分かりのように、これは諸仏咨嗟の願文です。つまり諸仏称名の願の相のひとつが諸仏称揚の願であり、もうひとつの相が諸仏咨嗟の願である。このように両方で諸仏称名の願を形と中身で顕していることになります。

そこで、この諸仏称名の願を読むと、まず『大経』に言わくと書いてある。「大無量寿経」を略して「大経」と書いてあります。前回の教巻では、この「大無量寿経」を「大」と「無量寿」に分けてその関係を話しました。それをまた、この「諸仏称名の願」でも同じように考えていいのかどうか。正直なところよく分かりませんが、「大無量寿経」を「大経」とまで強調されているかのように読めるものですから、これはやはり前回と同じように「大」と「無量寿」の関係を通して見た方がいいのかなと思っていましてね。

でも前回はそれなりの理由があって、それで「大」と「無量寿」の関係として、ちょっぴり無理に分けたつもりでいましたが、今回もはたしてそういう事でいいかどうか、正直少々とまどっています。しかし、とにかく真偽は後のお任せすることにして、引き続き前回と同じように「大」と「無量寿」の関係をもって先に進んでみることにしました。

そこでまずこの『大経』に言わくという事ですが、勿論これは「大無量寿経」に言わくですね。その『大経』の四十八願の第十七願が行巻の願文であるといわれる諸仏称名の願です。願文の中身は諸仏咨嗟の願です。「設(たと)い我仏を得たらんにに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚を取らじ、と。」

その次に「また言わく、我仏道を成るに至りて・・」と続いていますね。この文は四十八願を説かれた後に、法蔵菩薩が重ねて誓われるところの偈文ですが、そこから二か所を抜きだしておられます。「また言わく、我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を成らじ、と。」これがひとつ。もうひとつが「衆のために宝蔵を開きて広く宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん」ですね。偈文では別々ですが、親鸞聖人はこれを一緒にされています。そして最後の抄要の文字は親鸞聖人ご自身が付けられたのでしょう。

そこでまず、この抄要ということですが、これは一部分を抜きだして要だと言われるのですから、二つの文を一緒にして諸仏咨嗟の願のあとに付け加えられて、これらの文が第十七願と共に要であるということになるでしょうか。

それでは、この諸仏称名の願を「大」と「無量寿」の関係で見たときにどうなるのかということですが、第十七願の初めの「設い我仏を得たらんに」のところは、「あるとき、阿弥陀仏の浄土のとき、法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏するとき」であり、そのときに十方世界の無量の諸仏は、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば、正覚を取らじ、と、このようになります。

「咨嗟」というのは「嘆息して嘆くこと」だそうで、嘆息はため息をつくことですから、嘆きため息をつくことでしょう。しかし、この諸仏咨嗟の願における咨嗟は褒めたたえるとか称賛するという意味だと言われておりまして、辞書などで使われている咨嗟の意味とは違うことになっています。

例えば、親子の場合を考えて見ると、子供がハイハイから歩行へとうまく独り立ちができないときに、親は子供を見守りながら、あぁもうちょっとなのになぁと、嘆きため息をする。そしてその子がやっと上手く自分で立って歩き始めたとき、よくやったと子供を褒め称賛する。このような一連の流れを諸仏咨嗟の願に見ることができるなら、この咨嗟の意味も何とか分かる気がしますね。つまりこの咨嗟には諸仏の願いが込められているということになりますが、しかし、どうもすっきりしないですね。

この咨嗟を称賛の意味だとすると、「大」と「無量寿」の関係で見れば、阿弥陀仏の浄土のとき、法性身が我が身を度外視して正直に阿弥陀仏へ成仏するのに、十法世界の無量の諸仏が、ことごとく称賛して我が名を称えないならば、私は成仏しない、と、このようになりますが、それではこの十方世界の無量の諸仏が褒めたたえて我が名を称えるとは、いったい何を言われているのでしょうか。

この「大」と「無量寿」の関係は、次に「仏の方」と「凡夫の方」に分けて、その関係を見ることになりますが、この場合は「仏の方」が無量寿仏であり「凡夫の方」が群萌ということになります。すると、この諸仏咨嗟の願は、「仏の方」である無量寿仏が「凡夫の方」である群萌に向かって成仏することになりますが、ここでは阿弥陀仏の浄土のとき法性身は我が身を度外視して正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏する、そのときに十方世界の無量の諸仏が咨嗟して我が名を称せずば正覚を取らず、と、このようになる。

そしてこのことを抄要の文に見ると、「我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を成らじ」とありまして、ここでは「名称十方に超えん」と言われている。次では「衆のために宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中に説法獅子吼せん」となっていますから、この十方とは衆であり大衆のことである。その十方の大衆の中で説法獅子吼せんです。これをまた「大」と「無量寿」の関係で見ていくと、これらはすべて「仏の方」の出来事です。「凡夫の方」はありません。

しかし「凡夫の方」のように見えるところがあるでしょう。しかしよく見ると、これは阿弥陀仏の浄土のときの、阿弥陀仏の成仏における諸仏の関係ですから、やはり「凡夫の方」ではなくてすべて「仏の方」です。つまりここには群萌はないのですね。

それでは「凡夫の方」である群萌の代わりとしていったい何があるか。それが「衆のために宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん」の「衆」であり「大衆」です。これらは凡夫でもないし凡小でもない、まして群萌ではありません。だからここに言われている大衆とは、そのまま私たちであり、私たちの姿です。つまり一般大衆ということでしょう。その一般大衆の中で説法獅子吼せんです。そのとき大衆の中に説法獅子吼する諸仏を見る。

凡夫とは自らの自覚にあり、群萌はその自覚の深さにある。群萌が諸仏だということではありませんが、この群萌の姿こそ、諸仏が嘆きため息をし、そしてついには諸仏が称賛する諸仏咨嗟の願ではないかと思うのですね。しかしもうひとつの相、諸仏称揚の願では、一人の自覚である群萌より深く大悲と交差する。諸仏咨嗟の願では名称は十方に超えて、大衆の中で説法獅子吼せるがごとくである、と、このようになるのではないでしょうか。

親鸞聖人は『無量寿如来会』で、「かの貧窮において伏蔵とならん。善法の円満して等倫なけん。大衆の中にして獅子吼せん、と。」このように述べられています。貧窮は「びんぐ」と読みまして、貧しさの度合いが強まって追いつめられることをいうそうですね。するとここでは、心の貧しさが窮まって追いつめられている大衆の伏蔵となり、その大衆の中で説法獅子吼せん、と、このような意味になるかと思います。

このことをその次に「この義利をもってのゆえに、無量無数不可思議有無等等無辺世界の諸仏如来、みな共に無量寿仏の所有の功徳を称讃したまう」と述べられています。ご覧のように、ここではもう諸仏咨嗟の願には嘆きため息をするという意味は無くなっていて、諸仏がすべて無量寿仏の功徳を称讃したまうという意味になっているでしょう。

このことをまた「大」と「無量寿」の関係で見れば、あるとき阿弥陀仏の浄土のときに、法性身は我が身を度外視して正直に、「仏の方」である無量寿仏(阿弥陀仏)は、「凡夫の方」である群萌に向かって成仏する。そのとき、諸仏は貧窮の伏蔵となって、無量無数不可思議無有等等無辺世界に立ち、共に無量寿仏の功徳を称賛して、大衆の中で説法獅子吼する、と、このよのようになりますから、この諸仏称名の願は、一人の自覚である群萌より深く、この無量無数不可思議無有等等無辺世界に立っている願であるといわれているのでしょう。それで、親鸞聖人にとってこの無量無数不可思議無有等等無辺世界とはどんな世界観なのかと言うことですが。

それからこの群萌と諸仏の関係を少し話してみようと思います。おそらく群萌と諸仏はすごく近いのですよ。しかし群萌と諸仏は違いますね。つまり境涯が違う。群萌は何処までも凡夫です。諸仏ではありません。群萌とは一人の煩悩の自覚であり、その自覚の深さである。諸仏は群萌より深く何処までも広い。この二つの関係が諸仏称名の願で一つになる、そういうことかなと思っています。お気づきのように群萌はまだこの中にはありません。

次に『仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(ぶっせつしょぶつあみださんやさるぶつだんかどにんどうきょう)と、聞きなれない経典があります。これは何だろうと思っていましたが、『無量寿経』の異訳である「大阿弥陀経」のことだそうです。「大阿弥陀経」と言わずに俗っぽい経典名を使われています。そこで、ここでもやはり「大」と「無量寿」の関係を述べよと言われている気がしましてね。本当のところは分かりませんが、とにかくそうすることにします。

すると、ここには「大」と「無量寿」の関係はありません。あえて言えば「大」が後ろに隠れている関係である。つまり法性身が後ろに隠れている。それで、とにかく何と書いてあるか。

第四に願ずらく、「それがし作仏せしめん時、我が名字をもって、みな八方上下無数の仏国に聞こえしめん。みな、諸仏おのおの比丘大衆の中にして、我が功徳・国土の善を説かしめん。諸天。人民・蜎飛・蠕動の類、我が名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せん者、みな我が国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、終に作仏せじ、と。已上」

この経文を一つひとつ押さえながら説明することはできません。それで、自分としては一応は冗長性が高いつもりでいますが、まあ単なる逸話というか、ちょっとした小話でもってこの経文の感想を話してみようかと思います。まず、この「八方上下無数の仏国に聞こえしめん」とは何か。八は方向、上下は時間とするなら、これはとにかくある時ある所であり、無数とはその誰でもがということでしょう。つまりいつでも何処でも誰でもが、この仏国に聞こえしめんです。仏国とはそのまま諸仏の国だと思いますから、そのときどきにそれぞれの凡夫にそれぞれの仏国があるということでしょうか。

でこの、いつでもどこでも誰でも仏国がある。まずここを押さえて、あるときある所に、例えば温泉まんじゅうがあるとする。お分かりのように名号を温泉まんじゅうと言い換えている訳です。ふざけた譬えだと思われるかもしれませんが、「大」が隠れているとはどういうことかというと、これはぼくは言葉の問題ではないかと思っていまして、「大」と「無量寿」の関係では、あるとき阿弥陀仏の浄土のとき、法性身は我が身を度外視して正直(まっすぐ)に群萌に向かって成仏する。しかしこの場合は、「大」は「言葉」に隠れていて、そこには言葉の名号(南無阿弥陀仏)がある。つまりその言葉(名号)に向かって法性身は我が身を度外視して阿弥陀仏へと成仏する。

「大」である法性身と言葉の関係ですが、ここではそれを「大」と「名号」との関係でもって顕そうとされるのではないかと思っているものですから、この関係性を単に言葉ということで説明するなら、まあ、このように温泉まんじゅうという、ちょっとふざけた風の譬えの方が考えやすいのではないでしょうか。それで、これは「大」と「無量寿」の関係というよりも、「大」と「言葉」の関係であり、つまりは「大」と「名号」の関係に見る言葉の問題ではないかと思います。

そこで、あるときそこに温泉まんじゅうをじっと見ている人がいた。そして、その傍らで様子を窺う者がいたとするでしょう。この様子を窺う者が皆さんであり主人公だと思ってください。で、そのある人は温泉まんじゅうを感慨深く見ていました。

その温泉まんじゅうには何か書いてある。「諸仏称名の願」と書いてある。まんじゅうの箱にも説明書きがあり「浄土真実の行 選択(せんじゃく)本願の行」と書いてある。その人はこの説明を読んでこのまんじゅうが浄土真実の温泉まんじゅうだと分かった。

説明書には効能も詳しく書いてある。「設い我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して我が名を称せずば正覚を取らじ、と。また言わく、我仏道を成るに至りて名称十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を取らじ、と。衆のために宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中にして説法獅子吼せん」とある。

その人はこの説明文も読んで、温泉まんじゅうの効能を理解して、そしてそのまんじゅうを食べた。すると店の主人が挨拶をしに来た。名札には「法蔵菩薩」と書いてある。そこでその人は、店の主人に「みごとなまんじゅうです、おそれいりました。」と話した。続けて「このまんじゅうの餡は群萌ですか」と尋ねた。すると店の主人が「はい、そうです」と答えた。

すると「この群萌の餡を支えている称揚シートがいいですね」と言いながら、また尋ねた。「それにしても群萌の餡を包んでいる皮の透明度がすごい、まるで餡に光沢すら見えます。これほどに完成されるとは、ご主人もさぞご修行を積まれたのでしょうね。」と聞くと、やや感動して「五劫の時間がかかりました」と主人は答えた。その人は「有難うございます、あなたのおかげでどれだけの人が救わるでしょうか」「そしてこのまんじゅうはどこか懐かしさがある。この不可思議な温泉まんじゅうはいつからここにあるのですか」と尋ねると、「すでに久遠の時が過ぎました、多くの方が食べていかれました」と、店の主人は答えた。

それをずっと傍らで見ていた者が、ふと気がつくと、自分の前にもその温泉まんじゅうが有るではないか。で、側でじっと見ていたので、自分もそれなりに何となく分かったつもりでいたが、説明書きも効能も一応読んだふりをした。また、まんじゅうの餡が群萌だとは聞いていたが何のことかよく分からないし、餡の実感もない。しかしとにかく食べてみるとそれなりに心地よく悪い気がしない。味はよく分からないにしろ、側で聞いていたのでそれなりにポーズをとって真似をしていたら、店の主人が出てきた、名札には「法蔵菩薩もどき」と書いてある。

今度は観光客が現れた。がやがやと話しながら店に入っては、それぞれがその温泉まんじゅうを頬張っている。まんじゅうにはすべて諸仏称名の願と書いてあるが、まったく見ていない。だから説明書など見向きもせずにがつがつと食べてがやがやと出て行った。「法蔵菩薩もどき」さえ出ず仕舞いである。

それでもそのごった返す人の波にもかかわらず、ほんのわずかだがこの温泉まんじゅうが気になった者がいた。ある者は店に帰って来る。そしてしげしげと温泉まんじゅうを見て、名称や紹介文を読んでいる。するとあることに気づく。そして「このまんじゅうはいつか食べたような気がします。いつからここにあるのですか」と尋ねる。

ここに登場するのは三種類の人にしています。これを「仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経」に当てはめると、一人目が諸天、二人目が人民で三人目が蜎飛・蠕動の類のつもりです。

諸天の説明はできませんが、つまりは私よりも目利きが優れている人だということです。人民はそのまま自分であり、そして皆さんのこととして書いています。ここに蜎飛・蠕動(けんぴ・ねんどう)の類とあります。蠕動とは地にうごめく生き物だそうで、蜎はボウフラのことだそうですね。だから蜎飛・蠕動の類とは、その辺をくねくねして這いまわる虫か、飛び回る虫のような生き物ですね。

これらのすべては「仏の方」「凡夫の方」とは関係がない。いうなればいろんな人を二次元的にベタっと表現した世界です。広さだけがあって深さも奥行きもない、表面的な人間模様であり、群萌とは違います。登場するのは三者三様ですが温泉まんじゅうは同じです。いつでもどこでもだれでも全て同じまんじゅうである。餡も皮もまったく同じですが気づかない。

何故気づかないのか。まず群萌の餡に気づかない。群萌が自己のことだと気づいていないのですね。餡が入っていないから、いくらまんじゅうの効能を読んでも味が無いのです。しかしひとたび群萌の餡が入れば、この温泉まんじゅうは、「大」である阿弥陀仏の浄土のとき法性身は我が身を度外視して阿弥陀仏へ成仏する言葉の仏である。そのとき、この諸仏称名の願は阿弥陀仏の浄土であるがゆえに、諸仏称揚の願と諸仏咨嗟の願で完成する大行まんじゅうなのだという、ちょっとした逸話です。

言葉はいつ始まったのか。言葉はこれまでずっとあります。それでは、言葉はいつ生まれるでしょうか。言葉が言語として生れるのは、その言葉が発せられるときであり、その言葉を聞いているときです。言葉の問題は不思議でありハードルが高い。難問だと思いますが、考えていかなければならない問題でもあると思います。

「教巻への一考察」

令和6年9月22日 秋彼岸会より「教巻」から

「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つは往相。二つには還相なり。往相の回向について、真実の教行信証あり。

⑴それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。⑵この経の大意は、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯(すく)い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり。⑶ここをもって、如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり。

⑷何をもってか、出世の大事なりと知ることを得るとならば、」

今日は教行信証の教巻を読んでいきたいと考えております。前回は証巻でしたが、今回は教巻です。順番が逆ではないかと思われるかもしれませんが、これまでの経緯がありますのでこのような順序もいいかなと思っております。もともと『論註』の途中で証巻に入り、成り行きでこのような順序にもなったのかなとも思っています。それで、まず教巻の始めにあるこのお言葉ですが、これは親鸞聖人の御自釈でありまして文献の引用ではありません。ご覧のとおり短い文でまてめておられます。

今回はこの御自釈を話すことになりますが、とにかく教行信証の始めでもありますから、本来ならば、ここの所は、教行信証を網羅しておかなければならない、などとも考えてしまうのですね。でも、もしそういうことなら、いつまでも読むことは出来ないので、網羅などしておりませんが、とにかくここに読ませて頂こうかと思っている次第です。だからといって、めくらめっぽうに読めばいいという事でもないので、そう言う点では中途半端な中で読むことになります。

それでも、この教巻を読もうと思ったのは、経緯と言いますか、これはどういう事か、何故そうなのかといったような思いがこれまでに幾つかありまして、それが消化しきれないまま残っています。それで、この機会に少し整理するつもりで、まずこの教巻から眺めて行きたいと考えている訳です。なので、今日は偏った見方になるかと思いますし、まとまった話にはならないかもしれませんが、そういうことでありますから、自分なりの角度でこの教巻を見て行こうと思います。

そこで、今日のテーマは「教巻への一考察」ということになります。時々変な事を言うかもしれません。そこのところは、どうぞよろしくご了承いただきまして、お聞きいただければ幸いです。

⑴それではまず、教巻の最初にあるこの文ですが、お分かりのように二つに分かれています。一つは往相回向、もう一つが還相回向です。そして往相回向についてこの真実の教行信証がある、と、このように言われています。次にその往相回向について、まず「真実の経を顕さば『大無量寿経』これなり」と言われているわけですが、私たちが普通接している経典は何かというと、これは『仏説無量寿経』であります。

同じ経典でも教巻では『仏説無量寿経』とは言わず『大無量寿経』これなり、と、このように言われています。普段は『無量寿経』と言ったり、『大経』とも言ったりしますから、ちょっとした表現の違いだといわれればそれまでですが、しかし、親鸞聖人ご自身の捉え方が『大無量寿経』これなりですから、そこには聖人ご自身のこだわりが当然あるはずですね。だからこのことについては諸先生方のご意見がございますが、自分においても、また、ここの所はこだわって見て行きたいと考えておりまして、そのことが今回のテーマになっています。

それではいったいこの『大無量寿経』これなりについて、何をこだわっているのかといいますと、この『大無量寿経』の「大」と「無量寿」の関係にこだわりを持っておりまして、だからまずはそこに焦点をあててみたいと思います。

そこで、この「大」ということですが、これは他には「勝」などの字もそうですが、これらはだいたいにして仏の方を顕すときに使われたりします。凡夫を凡小といい、それに対して仏の広大さを顕すと、このような使い方があります。だからこの『大無量寿経』の「大」もまた、このような仏の方を顕すところの意味だろうと、まず、そう考える訳ですね。

ところが、この「大」を仏の方だとしても、次の「無量寿仏」の方もそもそも仏でありますから、当然こちらも仏の方である。すると「大」と「大」とが二重になっていますね。別に屁理屈を述べるつもりはありませんが、そういうふうに聴こえなくもない。まあ、それはともかくとして、この「大」が二重になっている関係ですが、これはいったい何を意味するのかなという事ですね。

『大無量寿経』は見ての通り、「大」が無量寿の前におかれているでしょう。だから、この『大無量寿経』をそのままの形として見ると「大」は「無量寿」の前にあり、「無量寿」とならしめるものである、と、このように「大」と「無量寿」の関係を観た場合に、『大無量寿経』とは「大」と「無量寿」の関係を顕す経典であることになるかと思います。それに対して『仏説無量寿経』は「仏説」ですから、これはお釈迦様がお説きになられた無量寿仏の経典であるという事ですね。このように『大無量寿経』を「大」と「無量寿」の関係として見る。

すると、これは「大」と「無量寿」の後先の問題でありまして、この事を少し説明しますが、まず、ここにあるひとつの定位置があるとします。この場合の後先の先とは定位置の前をいいますから、時間軸でいえは定位置以前という事になります。すると、『大無量寿経』の「大」は無量寿の前ですから、後先で言えば「大」は「無量寿」の先である。つまり時間軸では無量寿仏になる前です。

先験的という言葉がありまして、哲学ではこれをアプリオリと言いますが、「より先のもの」と言う意味です。調べると「経験に先立って与えられている意」だとも書いてあります。しかし、これだけではよく分からないから、これを自分なりにアレンジすると、そこに、ある認識みたいなものが仮にあるとした場合に、そこは「より先のもの」という意があるということですね。

これでもなかなか分かりずらいので、まず、ここに一つの経験があるとするでしょう。これをさっきは定位置と言っていました。この場合は経験と言っています。だから、これは私たちが普段に考えている経験とはかなり違いますから、いったん私たちが思っているような経験は忘れて下さい。

で、まず私たちには意識があります。これは間違いないですね。しかし、意識と一言でいっても、意識の幅はすごく広いでしょう。意識に対して無意識がある。心理的と言ったり深層心理だと言ったりもする。普通言われている意識には幅も深さもある。そしてそのどれもがハッキリと解明されているわけではない。特に無意識なんかは研究の途上で、学問としてまだ定まっていないとも聞いています。

しかし、間違いなく意識は有るわけですね。皆さんも意識がなくてここに来られたのなら大変なことでしょう。これら無意識も含めて意識全体とした場合に、その最も深い処、つまり、意識が発生する場所です。そういう最深部があるのかどうかですが、実際に意識は有るわけですから、意識が生れる処もなければならないですね。解明されていないからといって無いということではない。

この意識の最深部と、そして、そのまた先。ここで言うそのまた先とは当然意識の領域ではありません。そうじゃないと意識の最深部とその先にはならないですね。この意識の最深部とそのまた先の関係についての話になります。この意識の最深部を経験すると言った場合、その最深部のとき「より先のも」という意がある、と、このように言うのだと思います。

出来る出来ないは別にして、意識の最深部のとき「より先のもの」という意があるということですから、これは、意識の最も深い処のそのまた先に、意識を支えている何かがあると言っている訳です。そしてこれはアプリオリであると、このような言い方だと思うのですが、この意識のそのまた先である「より先のもの」が私たちの意識とどのように関わるかを顕そうとする、そういう哲学の領域があります。

日本的には、心の背景といえばすっと入って来るでしょう。ただし、この場合は背景と言うよりも心の芯の処ですから、どちらかというと心の底のことになります。玉ねぎをむいていくと最後は何が残るでしょうか。何も残らないですか。では、玉ねぎと同じように、意識を一つずつ削いでいくとしたら最後に何が残るでしょうか。

私たちの意識の先にそのような「より先のもの」などない、だから無であると言ってみる。しかし、それは、そういうあなたの意識の範囲で捉える無であるから、単に無だと自分が言っているだけの話で、あなたの意識から外れた「本来の無」とは別物ではないですか、と、この問いに答えられるかどうかという事になります。人間の意識のぎりぎりの処に意識を超えた何かを直感した。しかしそれはアプリオリであり、見ることも触ることも出来ない、と、このように言われるのかなと思います。

この先験的ということですが、このことを『大無量寿経』における「大」と「無量寿」の関係においても窺われるのじゃないかと考えておりまして、つまりは、無量寿仏(阿弥陀仏)の成仏のとき、これを便宜上さっきの経験という言葉に置き換えてみたら、それは先験的であるという事ですね。つまり、弥陀成仏のとき「より先のも」という意があるということになります。

それでは、無量寿仏つまりは阿弥陀仏の成仏のとき「より先のもの」とはいったい何かということになりますが、それは、法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に弥陀へ成仏するという、この内容が弥陀成仏における「より先にもの」であると、このようになります。

法性身を、親鸞聖人は「いろもなくかたちもましまさず」とこのように言われます。私たちには捉えることが出来ない、思慮分別を超えているから法性身というのですが、その法性身が我が身を度外視して正直に弥陀へ成仏する、この物語が弥陀成仏のとき「より先のもの」の意であるなら、この場合の弥陀成仏は先験的である、と、こういうふうに言えるのかなと思うわけです。

「いろもなくかたちもましまさず」という法性身ですから、凡夫には見ることも触ることも出来ない。そのいろもなくかたちもましまさないはずの法性身が、その我が身を度外視して、凡夫に向かって正直に弥陀へ成仏するということ、そしてまた、このことを別の言い方にすれば、弥陀成仏のとき、法性が法性の身として凡夫に関係を開いたということだと思うのですね。

ただしかし、先験的をこのように弥陀成仏に当てはめてしまうと、どこか何かが足らないような気がするのですよ。で、これはずいぶん考えました。そしてこういうふうに言葉を入れたら何とかなるかなと思いました。で、それは何かということですが、「にもかかわらず」という言葉を入れてみるのです。

そうするとどうなるか、弥陀成仏のとき「より先のもの」の意がある、「にもかかわらず」、法性身が我が身を度外視して正直に弥陀へ成仏する、と、このようになります。これね、読んでお分かりのように、これはこれですごく変でしょう。でもね、こっちの方かなと思うのですよ。先験的を時間軸でいえば、過去現在未来と一方向に沿っていなければなりません。

すると、このアプリオリというのは、そう言う意味では意識の最深部において、常に「より先のもの」ですから、この「より先のもの」という以外に表現が出来ないのであって、もしそこに何か内容を入れようとした場合は、それはすでに意識の範囲内であって、その時点でアプリオリではないことになってしまう。

だから、ここでいう法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に弥陀へ成仏するという、このような内容を、そのまま「より先のもの」に当てはめることは出来ないと思うのですね。だから「にもかかわらず」と言葉を入れると何とかつじつまが合うかなと考えたわけです。しかし、だったらですよ、わざわざ知ったかぶりして、先験的であるなどと初めから言わなければ良いわけです。

でもね、今回のテーマがこの弥陀成仏と先験的ですから、とにかくも、ここに「にもかかわらず」と入れれば、まあ、何とかなるかなと思ったりしたわけですが、で、このことをしばらく考えておりました。そこで、このアプリオリという概念ですが、やはりこれは時間軸に沿ったものですから、この場合の法性身と弥陀成仏については、このような時間軸とはまた違うものが必要だと思うに至ったのです。

それでは、いったい何をもって先験的とするかですが、定位置を時間軸の点では押さえずある場所とする。そして、そのある場所は先験的であるとします。何か知らぬが、あるときその場所のとき「より先のもの」という意があると、このように変換出来なかということですね。

そうすると、これはそこがある場所に変化していることですから、もともとの処が、あるとき何かの縁で、ある場所に変化したことになります。新旧の時系列は一応あるが場所は同じです。それで、その変化している場所ですが、これを何といえばいいのかという事になりますが、弥陀成仏を阿弥陀仏の浄土と言い換えていることになります。つまり阿弥陀仏の浄土のとき、法性身が我が身を度外視して正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏するという、この内容が「より先のもの」としての意だということになります。

お前そんな勝手なことをするなと言われそうですが、この辺りの処はすごく大きな問題だと思いますので、今後の成り行きを見ながら考えて行こうと思っていますが、しかし、とにかくも従来のアプリオリとはまた違う概念が、このようにして確認できたのではないかというのが正直なところです。

しかし、そうなるというと、当然ちょっと待てよと言われる。何故なら、阿弥陀仏の因位の菩薩である法蔵菩薩はどうなっているのか。『無量寿経』は法蔵菩薩が兆歳永劫のご修行をされて四十八の願を成就された経典です。細かい内容はともかくとして、法性身がいきなり阿弥陀仏へ成仏するとなると、法蔵菩薩はいったい何処に行ったのだと、このような理屈も出てくるわけです。

そして、これは大変もっともな話であります。しかし、教巻では「真実の教を顕さば『大無量寿経』これなり」と言われていて、それをお釈迦様と阿難尊者の出遇いとして述べられているわけですね。だからお釈迦様と仏弟子阿難の出遇いをもって、真実の教を顕さば『大無量寿経』これなりです。

『無量寿経』は、お釈迦様と阿難尊者の出遇いで始まり、そこから阿難に法蔵菩薩のご修行を説かれます。法蔵菩薩が世自在王仏のみもとで一切の諸仏の世界を覩見されて、そして四十八の願を建てられた。このように経典はなっておるわけですが、教巻はお釈迦様が法蔵菩薩を説かれる前段であって、お釈迦様と阿難の出来事の方なのですね。そしてこれをもって、真実の教を顕さば『大無量寿経』これなりです。

だから唐突ではありますが、法性身が自らを度外視して阿弥陀仏へ成仏された。この成仏こそが、そのままお釈迦様と阿難の出来事である、と、そう書いてあるのではないか。そして、そうしておいて、この出来事を紐解いていく。そうすると、阿弥陀仏が因位のときに、つまり法蔵菩薩が世自在王仏の御前で一切諸仏の浄土を覩見して、四十八願を建てられたと、このように法蔵菩薩のご修行が説かれる。つまりは、弥陀成仏という果に従ってその因を尋ねるという従果向因の説ではないかと思うわけです。

⑵そして次に「この経の大意は、弥陀、誓と超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす」とありまして、ここまでがまず仏の方である。つまり、法性身の弥陀成仏により、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開かれた。そして凡小を哀れみて、選んで功徳の宝を施することをいたす、と、ここまでが仏の方である。そして次の「釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯(すく)い、恵に真実の利をもってせんと欲(おぼ)してなり」は、これは凡夫の方。「道教を光闡して」の訳が、釈迦一代の教説を明らかに説き示すことだとありますから、つまりは、お釈迦様が生涯をかけて説かれた教えを明らかにすれば、それは「群萌を拯い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり」ですから、これは仏の方というよりも凡夫の方である。そうすると、ここに仏の方と凡夫の方との関係がまた出てくるわけです。

⑶ここに仏の方と凡夫の方とあえて分けている訳ですが、これは証巻の感想でありまして、証巻を通したらこのように分けるということが出てくるのですね。教巻にはそのような事は書いてありせんが、こういう分け方になるのではないかと思っております。そして、この仏の方と凡夫の方の関係成就がその次の文である。つまり「如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり」が仏の方と凡夫の方の関係成就でありますから、仏の方だけの成就が弥陀成仏ではなくて、凡夫もまた凡夫として成就していなければならない。

それで、まず仏の方を見ていくと、阿弥陀仏の浄土のとき、法性身は正直(まっすぐ)に阿弥陀仏へ成仏して、その誓は阿弥陀如来の本願として超発されている。そこに広く法蔵を開き、凡小を哀れんで、選んで功徳の宝を施す。これを「如来の本願を説きて、経の宗致とす」と、『大無量寿経』を「大」と「無量寿」の関係に見て行けばこのような捉え方になるかと思います。

そして凡夫の方は「釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯い、恵に真実の利をもってせんと欲してなり」ですから、お釈迦様がこの世にお出ましになり、そして生涯をかけて教えを説かれたのは、ひとえに群萌を拯い、真実の利をもってせんと欲されたのである。つまり、群萌を拯うのに真実の利をもってせんですから、凡夫の姿を群萌と明らかにして、その群萌に向かって真実の利を恵み救いとる。このことが「すなわち、仏の名号をもって経の体とするなり」です。

で、さっきから仏の方とか、凡夫の方だとか言っている訳ですが、この凡夫の方を考えると、このように凡夫の方だと言ってみてもですね、実際のところ、それは仏とそして私たちの出来事かといえば一概にそうとは言えませんね。私たちはだいたいにして自らを凡夫だと思っていないのです。だから凡夫の方というのは、これは私たちの方というより、お釈迦様が顕かにされた、ただ凡夫であるという方でしょう。ぼくはこの凡夫ということで思い出したことがありまして、調べたら令和4年秋彼岸会と書いてある。2年前に話した『論註』上巻の作願門のところでした。

亀の甲羅に毛が生えているのかどうかという問題でしたが、これは亀が年と共に甲羅に毛が生えてくるように見えるが、それは錯覚であるという話ですね。人間は年を重ねていくと、亀の甲羅に生える毛ではないが、何やらもやっとした、どうも私と言うものがあるような気がする。確かに何となくではあるがそんな気もする。しかし、それは甲羅に毛が生えているかのように見えているだけで、それは錯覚であるという話ですね。これが私だと言えるような感覚は、本来は無いのだけれどまるで有るかのように錯覚しているのだというのです。この亀の甲羅の話は考えると衝撃的ですね。これが私だと、これ、間違いありませんか、ホントですか。じゃあ、その私とは何かと問われたらどのように答えますか。ここまで長生きしてきたことが自分の証であるとすると、では、その生きた時間があなたですかと問われる。ちゃんと答えられますか。ひょっとすると、まるで年老いた亀の甲羅に生えた毛のようなもので、ただ自分がそう思いこんでいるだけではないですか。

この私という感覚は錯覚であり、亀の甲羅に張り付いた苔のようなものだという譬えは、ほんと衝撃的です。私はあれもしたこれもした、そしていろいろして満足した。人生の終盤にこのように言える人はそんなにはいないと思いますが、まあ、話だけなら出来るでしょう。しかし、それでもですよ、もしもそれだけだったら何かの拍子で歪めばガラガラと崩れますよね。これが私ですと案外と答えが出ない。自分を探すと見えなくなりますね。しかし、ハッキリしているのは、いろいろと考えながら生きているし、そして、生きるために一所懸命になってきたということでしょうか。しかし、この生きるという事においてもまた、『論註」はダメ押しします。それは因縁生だという。

この因縁生というのは、生はこの私から始まるのではないということですね。久遠の過去からずっと繰り返された、それこそ様々な因縁により私がいて、この人生があるという事でしょうね。まあ、そういわれるとそうかもしれんな、と、何かそういう思いがありませんか。実際にこの自分自身というものに立ってみたら、まずは何となく自分というのが始まっていて、そして気づいたらこのようなものとして私がいる、こういうことで間違いありませんかね。しかしそうだとすると、この私というのは、因縁生という掴みどころの無い、何やら漠然としたものだという事になりませんか。

ところで皆さんは、親鸞聖人が言われている群萌という言葉にどのようなイメージを持たれるでしょうか。お釈迦様は生涯を通して、この因縁生よりももっと深い、群萌という姿をもって私たちを顕かにされた。そしてただ凡夫である方を開かれた、と、こういうことかなと思っております。

⑷「何をもってか、出世の大事なりと知ることを得るとならば、『大無量寿経』に言(のたま)わく、今日世尊、諸根悦予(しょこんえっちょ)し姿色清浄にして、光顔魏魏(こうげんぎぎ)とましますこと、明らかなる鏡、清き影表裏に暢(とお)がごとし、威容顕曜にして、超絶したまえること無量なり。未だかって瞻覩(せんと)せず、殊妙なること今(きょう)のごとくましますをば」

文献学の素養もないのに、これらを述べるのはどうかと思いますが、とにかく教巻では「明らかなる鏡、清き影表裏に暢るがごとし」と読まれています。経典には「如明浄鏡 影暢表裏」とありまして、直訳すれば「明らかなる浄鏡の表裏に影暢するがごとし」だそうです。親鸞聖人はこの文を「明らかなる鏡、浄き影表裏に暢るがごとし」と読まれました。文献学に無知なぼくでも無理な読み方かなと思いますね。

経典のこの「如明浄鏡 影暢表裏」は、阿難尊者がお釈迦様のお姿を拝して、今日の世尊は、自らの全身に悦びがあふれておられて、お顔も魏魏と光ましますこと、まるで「明らかなる浄鏡の表裏に影暢されているようです」と、このようになるでしょうか。もう少し自己流に直せば、明らかに浄く澄みきった鏡がまるで影をも表裏に暢しているかのようです、と、このような訳でいいのでしょうか。正しい読み方は分かりませんが、このような訳ならこの「如明浄鏡 影暢表裏」は、阿難がお釈迦様の悦びのお姿を、お悟りの姿として表現したものでしょうね。

親鸞聖人の場合では、お釈迦様が諸根悦予して、お顔が魏魏と光輝くのが、「明らかなる鏡、浄き影表裏に暢るがごとし」ですから、その全身から悦びがあふれて、光顔魏魏とましますのは、明らかなる鏡、浄き影が表裏に暢るがごとし、と、このようになるでしょうか。そうすると、これはお釈迦様の「諸根悦予 光顔魏魏」のご様子を言い換えて、「明らかなる鏡、浄き影が表裏に暢るがごとし」ですから、この「明らかなる鏡」は主語だと思うのですが、これでいいのでしょうか。そうすると、これも阿難がお釈迦様のご様子を表現したものですが、ここではお釈迦様ご自身が「明らかなる鏡」だということになります。

すると、明らかなる鏡であるお釈迦様は、浄き影表裏に暢るですから、明らかなる鏡であるお釈迦様、あなた様はまさに浄き影が表裏に暢っているかのようだ、と、阿難がお釈迦様を拝見していることになります。こういうふうにした場合、この明らかなる鏡には表裏があるということですね。そしてその表裏に浄き影が暢っている。

では、この浄き影とは何でしょうか。鏡の表が浄きで裏が影ですか。それとも浄き影が表裏に暢るですから、鏡の表も裏も浄き影でしょうか。ぼくはこれは両方だと考えていまして、仏の方が表だとすると、仏の方は浄であり凡夫の方が裏で影になるでしょうね。しかし表裏に暢るですから、これは表裏一体である。阿難尊者にはお釈迦様御自身が「明らかなる鏡」だと映った。その明らかなる鏡(お釈迦様)は、浄き影が表裏、つまり仏の方と凡夫の方に暢っているかのようである、と、阿難がお釈迦様を拝見した、と、このようになるのではないでしょうか。

初めに申しましたように、これらは私見でありまして偏った見解です。一応哲学的な思考も含めたつもりです。信心とは離れたかもしれませんが、こういう角度からの研鑽もまた必要になるのではないかと考えております。

証巻 正定聚について その⑤

令和6年5月26日 永代経法要より

(定善義)また云わく、西方寂静無為の楽には、畢竟逍遥して、有無を離れたり。大悲、心に薫じて法海に遊ぶ。分身して物を利すること、等しくして殊なることなし。あるいは神通を現じて法を説き、あるいは相好を現じて無余に入る。変現の荘厳意に随いて出ず。群生見る者、罪みな除こる、と。また賛じて云わく、帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、尽(ことごと)くみな径(へ)たり。いたるところに余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平(しょうひょう)を畢(お)えて後、かの涅槃の城に入らん、と。已上

今日が証巻の最後になります。はじめに「(定善義)に云わく」となっておりますように、この引用文は「定善義」にいわれているもので、その中の第二「水想観」に出て来ます。「水想観」は変わっておりまして、「水想観」の中に「氷想観」というのがある。そしてその「氷想観」もまた「瑠璃地の下」と「瑠璃地の上」とに分かれている。このように複雑であります。その中から「瑠璃地の下」がその引用文になっています。またこの「瑠璃地の下」は三つの讃で出来ておりますが、証巻はその中から二番と三番が引用されています。つまり一番が抜けております。

この「瑠璃地の下」の三番目は帰去来といわれて有名がところですが、この「帰去来」は「瑠璃地の下」では「瑠璃地の上」へのつなぎにもなっているようです。しかしこんなことを言ってもですね、いったい何のことかなというふうになる訳ですが、まあ、とにかくここらから初めたいと思います。

「水想観」については以前「証巻 正定聚について その②」で少し話しをしていますので、よかったら後からでも読んでいただければと思います。で、証巻の正定聚の②は「清浄功徳」について話した所になります。その時にこの「水想観」のことを話しております。まず「明鏡止水」という言葉がありますが、この語句の意味を調べると、くもりのない鏡のごとく、波の立たない静かなること水のような心を言うのだそうです。心にやましい点がなく澄みきっていることだとも書いてあります。

「水想観」の方では、心というものを二つに分ける。ひとつは心の器、もうひとつは普通ものを考えている心というもの。で、この心の器の方を鏡や水面に譬える。そしてその鏡に映る心との関係を観る、と、まあこういうことかなと思っております。水面に波が立てば映っている心も歪んでいる。このように水面と心の関係を顕すのでありまして、で、まず私がいろいろと思いはかる処の慮りを止める、そして心の器の方に集中する。そして、その器である心の素地の在りようを尋ねていく、と、こういうことかなと思いますが、なかなか分かりにくくて難しい所でしょうか。「定善観」では、慮りを止めて心を凝らすといいます。この凝らすということを自分なりに表現したつもりです。

この器である心の素地の事は、以前は身体的心の領域というふうに言っていました。善導大師がこの素地を顕されるのに、「水想観」では天親菩薩の『浄土論』を引用されています。「観彼世界相 勝過三界道 究竟如虚空 広大無辺際」を引用されて、初めの二句の「観彼世界相 勝過三界道」が「清浄功徳」といわれるもので、後の二句の「究竟如虚空 広大無辺際」が「量功徳」ですね。この「清浄功徳」と「量功徳」をもって善導大師は「水想観」を顕されます。つまり、この二つの功徳成就文をもって心の素地とされているというのが自分の見解になる訳です。この心の素地は身体的であるがゆえに煩悩に汚されていない、よって清浄である。また身体的であるがゆえに広大であり辺際がない、と、こういうふうに言われているのではないでしょうか。

我が身ということですが、この身は自分だけがそこにポツンとあるわけではない、世間や社会、また国や世界との関係で繋がっています。物質としては、例えばこの身が生きるためにはまず空気が必要ですね。その空気は成層圏の内と外との関係があります。そして成層圏は宇宙へと広がります。身体はこういう広大な関係と広がりの中にある。この「清浄功徳」と「量功徳」をもって善導大師は心の素地とされている、と、こういうふうに考えていく訳です。

曇鸞大師は、「清浄功徳」を自性清浄の心象として顕して、それを「正定聚」とされた。そして「量功徳」においてその「正定聚」の広大と無辺際を顕かにされた。自性とは何かを調べると、事物をそのものたらしめている本来的な不変の性質。本性。本質。性。と書いてあります。自性清浄の心象というのは言語としてはシンプルではありますがすごく大きなテーマなのであります。

親鸞聖人は、この曇鸞大師が顕かにされた「正定聚」をさらに、「大義門功徳」に独自の見解を入れて「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と顕され、「正定聚」に身体的心の領域をも顕かにされた。そしてその心の素地とともに深淵なる業の闇をしめされた。

これまでの流れを簡単にいえばこういうことになるかなと思います。で、このように親鸞聖人は曇鸞大師の「正定聚」に深淵なる業の闇を見ておられることになるわけですが、その心の素地に観る深淵なる業の闇がこの「瑠璃地の下」にあるのであります。それも親鸞聖人は、二番と三番だけを引用されて一番目を外されているのですね。で、やはりこの一番目も読む必要があるので、本論は二番と三番になりますが、まずは一番から読んでいきたいと思います。

「瑠璃地の下」1番目。「地下の荘厳七宝の幢、無量無辺無数億なり。八方八面宝をもって成ず。かれを見れば無生自然を悟る。無生の宝国永く常たり、一々の宝無数の光を流す。行者心を傾けてつねに目に対して、騰神踊躍して西方に入れ。」内容がすごく難解ですが、それでもこの一番の讃を加えた方が二番と三番がまだ分かりやすいですね。

この「瑠璃地の下」の荘厳は過去ということだと思います。それも私の過去というより、身体的な過去ということでしょうか。つまり、どこの誰だれという、今この私がおるまでの時間とその環境だということになりますから、それは私が今ここにこうしておるところの、私における私の業であります。だからこの「瑠璃地の下」とは、私の心の素地にあたるもので、その素地における自らの業を見ればということでしょう。で、そこにはいったい何が見えるのか、それが「無量無辺無数億なり」です。

よく使われる譬えですが、私には当然父母がいます。その父母もまたそれぞれに父母がいる。これを繰り返していくと、自分まで入れて計算すれば、六代で127人ですか、あと何代か遡れば瞬く間に増えます。その一人ひとりも様々な関係に生きた人達であり、それに兄弟や親せき、仕事の同僚や上司、ほか全て入れればそれこそ無量無辺無数となる。そしてこれに憶を足す。身体的な心の領域とは、実はこのよな業の深さと広さを背景にしているのである、と、こういうことかなと思います。

そしてこの身体的心の領域である清浄なる鏡をのぞけば、それは無量無辺無数億の業の深さがあり、それを見れば無生自然を悟るといわれる。何故なら深淵な闇に業の姿が見えるとは、流れ出る光に現れた業の姿を見ているのであり、光がそこに流れるからこそ現れた闇の姿なのですね。善導大師は心の素地を「清浄功徳」と「量功徳」で顕されながらも、「氷想観」を通して、このように業の深さを観ておられます。これが「瑠璃地の下」の一番の讃である。そして二番ではその流れる光の方が述べられている。こういう順序で二番を読んだ方が分かりやすいのですよ。それでは、この一番の続きで二番の讃を読んでいきます。

「瑠璃地の下」二番目。「西方寂静無為の楽(みやこ)には、畢竟逍遥して、有無を離れたり。大悲、心に薫じて法界に遊ぶ。分身して物を利すること、等しくして殊なることなし。あるいは神通を現じて法を説き、あるいは相好を現じて無余に入る。変現の荘厳意(こころ)に随いて出ず。群生見る者、罪みな除こる。」ざっとした解釈しか出来ませんし、ちゃんとそうなっておるのかも分かりませんが、とにかく自分の解釈として聞いていただければと思います。この、畢竟逍遥(ひっきょうしょうよう)してとは、何ごとにもとらわれずあるがままであることだと言われています。西方寂静の楽(みやこ)である阿弥陀仏の浄土は、何ごとにもとらわれずあるがままにして有無を離れている、と、まずこう言われる。で、それはどういうことかと言うことですね。

この大悲ということですが、これはその流れる光のことでしょうか。すると、この大悲とは、大悲の光であり、その光は心の素地に沁みついた業の闇をも法界として遊び、それは光でありながらも業の闇と離れていない。あたかも神通を現じて法を説いているかのごとくである。そしてこの光とともに闇に生きる群生(ぐんじょう)を見る者は罪みな除かれる、と、まあ、このように解釈させていただいております。反論もあるかと思います。

そして三番目の「帰去来」です。 「帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかたみな径(へ)たり。いたるところの余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平(しょうひょう)を畢(お)えて後、かの涅槃の城(みやこ)に入らん、と。」「帰去来」はすごく有名で、何回かこの法座でも話したことがあります。この場合の「帰去来」では「曠劫よりこのかた六道を流転して」というところが「瑠璃地の下」の過去の業をの覗けばと同じ意味になると思いますから、この「瑠璃地の下」で観た全てが、曠劫より流転してきた我が身の業の姿でありましたということでしょう。そして今、この業を終えて涅槃の城に入ろうという、そういう讃ですね。生平(しょうひょう)を畢(お)えてとは、この私の人生を尽くしてということです。

ただし、この三つの讃の解釈は「瑠璃地の下」を通して読めばということですから、証巻のように二番と三番だけが引用された場合では内容が変わってくる。では、どのように変わるのかというのが今回のテーマになっております。

化真土巻「韋提別選の正意に因って、弥陀大悲の本願を開闡す。これすなわちこの経の隠彰の義なり。ここをもって『経』(観経)には「教我観於清浄業処」と言えり。「清浄業処」と言うは、すなわちこれ本願成就の報土なり。」これは前回に「別選所求」ということで話しました。今日はその続きになります。化真土巻ではこの「韋提別撰」の次が「「教我思惟」と言うは、すなわち方便なり。「教我正受」と言うは、すなわち金剛の真心なり。「諦観彼国浄業成者」と言(のたま)えり、すなわちこれ十三観これなり。」と、なっております。

ここに「「教我思惟」と言うは、すなわち方便なり。」とありますね。で、まずこの方便ということを少し話さなければならないですね。まず一般的にこの「方便」で思いつくのは「うその方便」という使い方ですね。こういう使い方は、おそらくスラングと言いますか、方便の意味が俗化されたものでしょうから、すでに方便の本来の意味が変わっていると思います。自分でもよく説明できないとは思いますが、とにかくここに方便という言葉がありますから、少しでもこの方便のことを言わなければならないでしょうね。

で、まず、これは主語と述語の問題かなと思っていまして、この場合の「うその方便」は述語であり、例えば誰かにうそをつく、そうすると、そのうそにだまされた誰かに損失があれば、そのうそは悪質であり、方便という言い方はしない。反面良質のうそがあるのかといえば、うそをついたが、結果が相手や周りに何か得をしたことがあった場合、つまり結果オーライの時はうそも方便だという。また癌の告知で本人には知らせずにうそをつく場合がある。家族はそのことで苛まれながらも相手の事を思い、あえてうそをついた。このようなケースは現在でも多々あるでしょう。ではこの場合のうそは良質だから方便なのかといえば、一応は方便だということになるかなと思いますね。だから悪質な「うそも方便」というものは無いと思います。では良質のうそなら方便だということになりますが、もともとこれは俗化した言葉ですから、方便の意味の本質がすでに違っているはずですね。

それで一応、自分が考えている方便とは何かといいますと、それは何かを捉えようとするようなものの状態であって、例えばその場合は言葉もそうです。言葉で何かを表現しようとする場合には、その言葉によって何かを捉えようとする状態をいうのであり、しぐさにおいてもいま見えない何かをそこに表現しようとするものですね。文字に書こうとするとき、口に称えて、漠然とする何かを捉えようとする状態、その捉えられる処へと限定していくようなものである。方便にはこのように何かに限定していく、あるいは促されていくようなもの、そんな意味があるのかなと思っているわけですが、『浄土論註』に「方便」のことが書いてあります。「正直(まっすぐ)なことを方といい、自分を度外視することを便という。正直によるからあらゆる衆生をうつくしむ心を生じ、自分を度外視するから、自己自身が供養されうやまわれたいという心をはなれるのである。」

私たちが普通思うところの方便とはずいぶん違うでしょう。阿弥陀如来とは衆生を慈しみ、法性の身を自ら度外視して、正直(まっすぐ)に衆生のために来た仏である。このような方便の使い方もあると思います。また、「玄義分」には「「思惟というは、すなわちこれ観の前方便、かの国の依正二報、総別の相を思想するなり。すなわち地観の文の中に説きて「かくのごとく想する者をば名づけてほぼ極楽国土を見るとなす」とのたまえり。すなわち上の教我思惟の一句に合(がっ)す。」と、善導大師は「教我思惟」を観の前方便という言い方をされています。

ここにある観の前方便ですが、この観は阿弥陀仏と浄土を観ようとするときの前方便のこことですが、それが「地観の文に中に説きて」と書いてあるでしょう。「水想観」の次が「地想観」です。ここでは「地観」と書いてあります。この「地想観」の地とは国でありますから阿弥陀仏の国土、つまり浄土のことですね。この「地想観」は「水想観」「氷想観」「瑠璃地の下」「瑠璃地の上」の全体をまとめたもので、総別の相といわれる。この「地想観」では「もしこの地を観ずる者は、八十億劫の生死の罪を除かん。身を捨てて他世に必ず浄国に生ずべし。」と言われております。この「地想観」にある「この地を観ずる者は」のところを、さきほど言った「心の素地をのぞけば」と言い換えることが出来るなら、次の「八十億劫の生死の罪を除かん」は「群生を見る者罪みな除こる」に言い換えることも出来るのではないかと思うのですね。するとその次の「身を捨てて他世に必ず浄国に生ずべし」は帰去来に観ることも出来ます。

こ「地想観」を観る時の前方便を、ここでは「思惟というは、すなわち観の前方便」だと言われています。だからこの「観の前方便」とは、まだ浄土をはっきりと見たと言うわけではないが、ほぼ浄土に近づいている。そしてそれは自らを度外視して浄土の観へと正直に近づいている、こういうことになるかなと思います。これを二つの場合で言うなら、まず法性身が自らを度外視して正直に近づいてくる。もうひとつは凡夫が自らを度外視して正直に近づいていく、もしくは促されていく。こういう立場があると思うのですよ。

法性身とは「いろもなくかたちもましまさず」という仏ですね。その法性身が自らを度外視して正直(まっすぐ)に近づいてくる、と同時に、凡夫は煩悩の我が身を度外視して正直(まっすぐ)に近づいていく、もしくは促されていく。方便にはこういう法性と凡夫とが、何かの拠り所へと近づき限定されていくというような意味を持っていると思うわけです。それではいったいそれは何処へと近づき促されるのかということですが、ここではそれを正受といわれていますから、つまり、お釈迦様の心眼である浄業の相へと近づいていく、お釈迦様の心眼である一切善悪の凡夫の相に近づいてくる。この能動的なはたらきを方便と言われているのではないかと思うのですね。

そして「「教我正受」と言うは、すなわち金剛の真心なり。「諦観彼国浄業成者」と言えり」ですから、お釈迦様の心眼である一切善悪の凡夫の相に本願成就の無碍光如来を観知する時を「教我正受」であり金剛の真心であるといわれている。この正直に自らを度外視して近づいてくる方便において正受の金剛真心ですから、この正受もまた方便との関係を離れていない。その両方がなければならない。すごく難解なところです。

そして証巻では、一番がありませんから、この二番の「群生を見る者。罪みな除こる」と三番の「帰去来」に時間の経過がないのですね。群生を見るがそのまま帰去来である。するとこの群生を見るとは、過去の業を観るにとどまらず、流れ出す光とともに、浄土へ生まれようとするいのちの姿を見るのであり、大悲の光に、群生と生れ出るいのちのコントラストを見ているのでしょう。それを「瑠璃地に下」の二番と三番をもって顕されるのではないかと思っております。

これまで話した内容をもとにすると、果とは弥陀の報土でありますからお浄土のことです。それはお釈迦様の心眼による一切善悪の凡夫の相に本願成就の無碍光如来を観知する時であります。この時が正受であり金剛の真心だといわれている。その果に近づいてくるもの、もしくは促されていく何か、その様々なはたらきを因というのでしょうから、方便もその因のひとつですね。しかしそれにとどまらず、その全てが阿弥陀如来の清浄願心の回向成就されたものである。親鸞聖人は証巻の御自釈で「それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。かるがゆえに、もしは因もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし。因浄なるがゆえに、果また浄なり、しるべしとなり。」と述べられておられます。

私たちは「おかげ様」という言葉をよく使います。これは今こうしておるのも皆様のおかげでございましたということですね。自分一人でこうしておれることじゃなかった。しかし本音はおれもかなり努力したからこうなったのだと多少は思っている。しかし事実から見ればおかげ様である。このように客観的に事実から見ればおかげ様が出てくる。おかげ様を身につければ事実から我が身を見る習慣がついてくる。おかげ様には事実がついている。

「一事として、阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし」と、何か舌がもつれそうな言い回しに思うのは、果として、ここに阿弥陀如来の大悲の報土を観知した事実に、これまでの全てが阿弥陀如来の清浄願心の回向に他ならなかった、と、そう言い得たのではなかったかということでした。

それから還相回向について少しばかり話しておきます。行巻に還相回向の続きが載せてあります。旅の終わりが旅の始まりであり、旅の始まりが旅の終わりを含んでいる。行巻を話す機会があればまた考えることにしまして、証巻における還相回向について自分なりの感想を少しだけ述べることにしました。といってもよく読んだわけではありませんから、何かしらの感想であります。

曇鸞大師は『論註』の初めに「修多羅とは、十二部経の中で仏が直接説かれたものを修多羅という。つまり四阿含の三蔵などがこれである。三蔵以外の大乗の諸経もまた修多羅と名づける。この偈の中で修多羅に依るというのは、三蔵以外の大乗の修多羅であって、阿含などの経ではない。」といわれます。阿含はお釈迦様が直接に説かれたとされる経典です。後に時代の変遷で大乗仏教が興り大乗経典が登場します。『無量寿経』もその一つですが、曇鸞大師はこの『無量寿経』を阿含ではなくて、三蔵以外の大乗の修多羅だといわれる。三蔵とは仏教体系総称です。また『無量寿経』は大乗の経典でありますから大乗の修多羅です。ところが曇鸞大師はこの『無量寿経』は三蔵以外の大乗の修多羅であるといわれる。曇鸞大師は大乗仏教の枠にとらわれない自由な発想をもっておられるのかなと思いますね。

『観経疏』の「瑠璃地の下」は「水想観」の中にあります。この「水想観」は「氷想観」になり「瑠璃地の下」そして「瑠璃地の上」に分かれます。今回はその内の「瑠璃地の下」を述べたことになりますが「瑠璃地の上」がまだ残ってるでしょう。「瑠璃地の下」が過去なら「瑠璃地の上」は当然未来でしょうね。すると「水想観」の心の素地を通して「瑠璃地の下」を過去、「瑠璃地の上」で未来を説かれるのでしょう。これらを纏めたのが次の「地想観」だと思いますが、この「地想観」において「ほぼ極楽国土を見る」と経典にはあります。で、曇鸞大師もこの「地想観」に着眼点を持っておられるのではないかと思っていますが、これを説明すると長くなるので省略します。でもまあ、そういうことではないかと思っているわけです。

『観無量寿経』の「定善義」は十三観あります。「水想観」は第二番、「地想観」は第三番目です。無量寿を観る経典でありますから、ほぼと書いてあるからといって、極楽国土をざっと観る経典ではありません。本来、無量寿仏と国土を観るのは第八の像観と第九の真身観のところです。そこには「ほぼ」なんてついてないのですね。「ほぼ」とはまだ大ざっぱということでしょう。それにもかかわらず「地想観」に着眼点も持たれるのはどういうことだろうか。親鸞聖人もおそらくそうだと思います。

道綽禅師は曇鸞大師の碑文に感銘を受けられて玄忠寺で『浄土論註』と『観無量寿経』を研究された。善導大師はその道綽禅師に逢いに玄忠寺に行かれます。そして後に『観経疏』を顕されました。『観経疏』の結びのところです。「某(それがし)、いまこの『観経』の要義をい出して、古今を楷定せんと欲す。もし三世諸仏・釈迦仏・阿弥陀仏等の大悲の願意に称(かな)わば、願わくは夢の中(つい)にして、上の所願のごときの一切の境界諸相を見ることを得しめたまえと。仏像の前にして願を結しおわって、日別に『阿弥陀経』を誦すること三遍、阿弥陀仏を念ずること三万遍、心を至して発願す。すなわち当夜において見るらく、西方の空中に、上のごときの諸相の境界、ことごとくみな顕現す。雑色の宝山百重演千重なり。種々の光明、下地を照らす、地は金色のごとし。中に諸仏・菩薩ましまして、あるいは坐しあるいは立し、あるいは語しあるいは黙す、あるいは身手を動かし、あるいは住して動ぜざる者あり、すでにこの相を見て、合掌して立観す。やゝ久しくしてすなわち覚(さ)む。覚(さ)めおわって欣喜に勝(た)えず。こゝにすなわち義門を条録す。」

某(それがし)は善導大師のことですね。この結びの解釈ではなく全体の感想を述べるなら、ここで善導大師は大悲の光明に諸仏・釈迦仏・阿弥陀仏の夢を見るといわれます。「種々の光明、下地を照らす、地は金色のごとし」の下地を照らすとは「瑠璃地の下」でありましょうか。そして「地は金色のごとし」は「地想観」のことでしょうか。大悲の光明が下地を照らして金色になり、諸仏・菩薩の相を顕すと、このような表現もできるかなと思います。善導大師は諸仏の心象世界を否定したのではなくて、曇鸞大師の心象世界を自性清浄としながらも、夢の世界にいれ、その夢と事実との乖離を否定しなかったのでしょうか。

ただ、なぜこの辺りなのかなと思うのですね。この辺りというような漠然な言い方になりますが、ほぼ極楽世界を観るのですから、この辺りでもいいかなと思います。そこで思いあたることがひとつあります。これ主体が凡夫なんですね。我ら凡夫という言い方がいいかもしれませんね。我ら凡夫においてこの辺りが着眼点である。そこに曇鸞大師がおられ、道綽禅師がおられ、善導大師がおられる。そして親鸞聖人もまた我ら凡夫に立っておられる。

この曇鸞大師から道綽禅師そして善導大師に一連の流れを観たときに、親鸞聖人のお気持が少し見える気がするのですね。これを本願の歩みと言って良いのかどうか分かりませんが、本願の歩みといえるなら、親鸞聖人もまたこの本願の歩みに生きられたお方であると言えるのかなと思っております。還相回向が証巻の後半に載っていますが、教行信証が我ら凡夫における本願の歩みであることを、未来に向けて発せられたものではないかと思っております。

証巻 正定聚について その④

令和6年3月20日 春彼岸会より

 今日は前回の続きなので、「安楽集」の後、『観経疏』からの引用文「序題門」です。

「弘願というは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり。また仏の密意弘深なれば、教門をして暁(さとり)難し。三賢・十聖測(はか)って闚(うかが)うところにあらず。いわんや我信外の軽毛なり、あえて旨趣を知らんや。仰いで惟(おもん)みれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼(かしこ)に喚(よ)ばい此(ここ)に遣わす、あに去(ゆ)かざるべけんや。ただ勤心(ねんごろ)に法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし。」

この文は『観経疏』「序題門」の最後のところです。また、親鸞聖人は若干この語句を変えておられますが、後程述べることにして、まずはこの引用文の位置づけからしてみたいと思います。

「序題門」は『観経疏』「玄義分」の初めにあります。観経の教義の奥義を述べる初めの部分でありまして、全体の奥義を簡潔に述べられたものだと思います。『観経疏』は『観無量寿経』(観経)を善導大師が註釈し、「玄義分」と「正宗分」の二つに分けてあります。また「正宗分」では「序文義」「定善義」「散善義」の三つに分けてありまして、この内の「定善義」「散善義」が要門と言われるところです。

この「序題門」は短文で格調高く表現されています。まず仏教のいう法性、お釈迦様の出家の理由、お悟りとその後の教化の歩みなどが書かれていますが、何分格調高いので何となくは分かりますが、いざ表現しようとしてもとてもできないので、そこは省略してその次から始めることにします。

「しかるに衆生障り重くして、悟りを取るの者明らめ難し。教益多門なるべしといえども、凡惑遍攬(ぼんわくへんらん)するに由(よし)なし」。この由なしは、手立てがないという意味ですから、要約すれば、衆生は障りが多くて悟りを得るのが難しい。お釈迦様の教えは実りが多くても、凡夫の心は惑いが遍満しているので、せっかくの教えを受けとる手立てがない、と、このように読めば何とか内容に沿っているかなと思います。

次が、「たまたま韋提請を致して、我いま安楽に往生せんと楽欲(ぎょうよく)す。ただ願わくは如来我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえというによる。しかるに安楽の能人は別意に弘願(ぐがん)を顕彰す。」と、なりますが、韋提は韋提希のことですから、韋提希が阿弥陀仏の安楽国土(浄土)に往生したいと請い願い、その浄土の思惟と正受を教えて下さいとお釈迦様に願ったと書いてあります。お釈迦様はその韋提希の願いに応えて、広く浄土の要門を開いた。そして、安楽の能人、つまり阿弥陀仏は別意に弘願を顕彰した、と、このようになるでしょか。で、この韋提希が阿弥陀仏の浄土を選んだところですが、ここの所を「別撰所求」というふうに言われています。

この「別選所求」ですが、その前段に、牢獄に閉じ込められた韋提希が、自分の境遇を嘆き「我がために優悩なき処を説きたまえ」と嘆願するところがありまして、経典の意訳では「この濁悪処は地獄・餓鬼・畜生盈満(ようまん)して、不善の聚(ともがら)多し。願わくは我れ、未来に悪声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かいて、五体を地に投げて、求哀し懺悔す。唯、願わくは仏日、我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ、と」なっています。この最後の所を「教我観於清浄業処」と経典には説かれているわけです。ここはまた後から出て来ますから覚えておいて下さい。

で、お釈迦様はこの「教我観於清浄業処」に応じて、眉間の白毫から光を放たれて、その光の中に諸仏の浄妙なる国土を現わされます。しかし、韋提希はその光の中の浄妙な国土を断り、阿弥陀仏の浄土に生れることを願うのですね。「世尊、このもろもろの仏土、また清浄にしてみな光明ありといえども、我いま極楽世界の阿弥陀仏の所に生れんと楽(ねが)う。唯、願わくは世尊、我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえ」と、意訳にあります。ここが先ほどの「別撰所求」の所ですね。今日はこの「別選所求」にスポットをあてながら話そうかなと思っております。

では、「序題門」の続きにもどりますが。次に要門のことが書いてあります。「その要門とは、すなわちこの『観経』の定散二門これなり。定(じょう)はすなわち慮(もんぱか)りを息(や)めてもって心を凝らす。散はすなわち悪を廃してすなわちもって善を修す。この二行を廻して往生を求願せよとなり。」

定は定善義、散は散善義のことです。この定の「慮りを息めて心を凝らす」とは、目の前の色んな思いを止めて、私たちはいつもいろいろ考えているでしょう。ああでもない、こうでもないと、内容の良し悪しはともかく暇なく考えている。そういう考えることをいったん止めて、心に集中することです。散善は、悪を捨てて善を修するですから、善いことをして悪いことをするなということですね。そんなこと三歳の子供も知っておるではないか、と、言われるのは承知でありまして、善悪は人間の思いと深く関わっていますので、それぞれの人の都合で様々に善悪は変容する。だから生涯を通してこの散善を成し遂げる者はいるだろうかと問われるのですね。この散善義に臨終往生が説かれています。それがこれまでよく出て来ます上品・中品・下品の往生ですね。

ここからが初めの引用文です。「序題門」では、「弘願と言うは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得る者はみな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしとなり」となっているようですが、証巻では「弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり」と少し違っているようであります。そこの処もまたこだわって行きたいと思っております。

で、安楽の能人は別意に弘願を顕彰すとありますが、それでは阿弥陀仏が別意に弘願を顕彰するのはどの辺りかと言うと、それは韋提希が阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う時ですから「別撰所求」においてということになります。しかし、韋提希は散善義の最後「下品下生」で無生忍を得るのですから、阿弥陀仏の弘願が韋提希に顕彰されるのは「下品下生」ではないかとも思うのですよ。しかしここでは、「別選所求」で弘願は顕彰されていることになっています。

『観経疏』を拝読しますと、この「別選所求」のところはどのように述べられているか。まず「玄義分」では「すなわちこれ韋提みずからために別して所求を選ぶ」と、韋提希がみずから選んだのだとなります。また「序文義」の方でも同じように「まさしく夫人別して所求を選ぶことを明かす」ですね。両方とも、韋提希みずからが阿弥陀仏の浄土を選んだと書いてある。しかし、「序文義」の方ではその次に「如来ひそかに夫人を遣わして、別して選ばしめたもうことを致す」とあります。つまり、韋提希はみずからが阿弥陀仏の浄土を選んだのだといいながら、また、韋提希はすでに阿弥陀仏の大悲に摂取されていて、阿弥陀仏の浄土を選んだとも述べられる訳です。

すると、阿弥陀仏の弘願の顕彰を「別撰所求」に観るとしても、韋提希が「下品下生」で得た無生忍までの過程をもって、阿弥陀仏の別意の弘願は顕彰されているのだという言い方にもなると思うのですね。しかし、阿弥陀仏の四十八願は、韋提希にのみにあらず、普く衆生を悲しんで発(おこ)された願ですから、韋提希の「別選所求」の前段である、牢獄でお釈迦様に嘆願して「我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ」という、つまり「教我観於清浄業処」のところですが、この韋提希の願いもまた阿弥陀仏の弘願の促しではないか、それどころか、そもそもこの観経の成り立ちから全てが阿弥陀仏の弘願があらわされているのである、と、このような解釈にはならないか。

もし阿弥陀仏の別意の弘願が、韋提希の「別選所求」で顕彰されるのならば、この「別選所求」において、阿弥陀仏の浄土を選ぶきっかけが何かなければならないでしょう。それでは何故、韋提希はお釈迦様が現した諸仏の浄妙なる国土を断って、阿弥陀仏の浄土に生れたいと願ったのでしょうか。

善導大師は、韋提希が阿弥陀仏の浄土を願う、つまり「別撰所求」を、韋提希みずからの選びがなければ、韋提希自身の願いがどんなに強くても、なお、惑いが生じるといわれています。だからみずからが選ぶために、まずはもって、それぞれの諸仏の国土を現わしたのだと、こういうふうにも言われています。しかし、その次に「優なるを隠して独り西方の勝なるを顕すべし」と述べられます。これは、お釈迦様の優なるを隠して、独り西方阿弥陀仏の勝れたることを顕すべしということですから、次の言葉にも置き換えることができます。「しかるに二仏の神力まさに斉等なるべし。ただ釈迦如来己が能を申べずして故(ことさ)らにかの長をあらわしたもうことは、一切衆生を斉しく帰せしめざることなからしめんと欲してなり。」この二仏とはお釈迦様と阿弥陀仏ですね。神力はここでは優れているということですから、その優れた力はともに等しいが、お釈迦様の優なるを隠して独りかの長である阿弥陀仏の勝なるを顕すべし、です。

皆さんは忘れたかもしれませんが、この置き換えたものは、前回の「安楽集」における正定聚の文です。何故、韋提希は浄妙なる諸仏の国土を選ばずに、阿弥陀仏の浄土を選んだのか。そのヒントがこの文の最後にあります。「一切衆生を斉しく帰せしめざることなからんと欲してなり」です。

この、一切衆生を斉しく帰せしめようと願う阿弥陀仏の弘願が今日のテーマになっております「弘願と言うは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなし」ということになります。そこで、この「生を得るは、みな」の「みな」とはいったい誰のことを言われているのかなとまず思うのですね。

一切善悪の凡夫ですから、この一切善悪の凡夫において、阿弥陀仏の浄土に生を得るものは「みな」と、普通ならこのように読むのかなと思います。また、厳密に言うなら、一切善悪の凡夫の中で、韋提希のように阿弥陀仏の浄土に生れることを願う者は「みな」と、このようになるかなとも思います。すると、韋提希と同じように「別選所求」という自発的な選びが必要でしょう。ところが、韋提希の周囲には、韋提希の無生忍に感化されて、阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う五百の侍女がいました。これは阿弥陀仏の四十八願が普く衆生を摂取していて、韋提希の周囲のものがそれに感化され、みずからも浄土に生れようと願いを発(おこ)すのです。だから、韋提希をはじめそのような「みな」は、阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしということですね。まあ、普通ならこのようになるのかなと思うのです。

善導大師はこの無生忍のことを「定善義」の第七華座観でも述べています。「弥陀を覩たてまつって、さらにますます心開けて忍を悟なり」。また「散善義」の「下品下生」では、「まさしく夫人第七観のはじめにおいて無量寿仏を覩たてまつる時、すなわち無生の益を得ることを明かす」と、第七観の無生忍を述べています。問題は「ますます心開けて」ということですが、「定善義」の第七観で無量寿を覩(み)たてまつり、そして、ますます心が開けて忍を悟るのですから、これは第七観で韋提希が阿弥陀仏に摂取されていく過程を言われているのでしょう。

それでは、韋提希は「別選処求」で諸仏の浄土を断り、阿弥陀仏の浄土に生れることを選びました。そして、「定善義」の第七華座観でますます心開けて忍を悟り、「散善義」の「下品下生」で無生忍を得たことになりますから、『観経』には阿弥陀仏の別意の弘願が全体に流れていて、「定善義」と「散善義」の要門を説きながら、別意に阿弥陀仏の弘願が韋提希をして顕かにされていくのだ、と、このようになります。しかし、これをもって弘願をおさえて、証巻の「安楽集」の引用のあとに措くと、今回の文が読めなくなるのです。

親鸞聖人は韋提希の「別選所求」を、「韋提別選の正意に因(よ)って、弥陀大悲の本願を開闡(かいせん)す」と「化真土巻」に顕されています。開闡は開き明らかにすることですが、これは韋提希の別選の正意を因として、その因によって弥陀の本願が開き明らかにされたと、このように読むのでしょうか。実は、ここからが今日の本題でありまして、親鸞聖人はこの「別選所求」において、弥陀大悲の本願が開闡すと言われています。つまり、阿弥陀仏の弘願を、韋提希が阿弥陀仏の大悲に育まれていくといったような時間の経過には見ないで、「韋提別選」というひとつの出来事に見ておられることになると思うのですね。

何故、韋提希はお釈迦様の現した浄妙なる諸仏の国土を断って、阿弥陀仏の浄土に生れんと願ったのか。その「別選の正意に因って弥陀大悲の本願を開闡す」ですから、韋提希をして阿弥陀仏の浄土を選ばしめたその正意とは何かということでしょう。そして、その韋提希の正意に向かって弥陀大悲の本願が開闡している、そのことを親鸞聖人は弘願と言われているのではないでしょうか。

ここで、「別選所求」の前段に戻りますが、韋提希は「この濁悪処は地獄・餓鬼・畜生盈満して、不善の聚多し。願わくは我、未来に悪声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かいて、五体を地に投げて、求哀し懺悔す。唯、願わくは仏日、我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ」、この「教我観於清浄業処」ですが、この「清浄業処」を化身土巻には「本願成就の報土なり」と言われます。韋提希が願った「清浄業処」が本願成就の報土だということは、その「清浄業処」に向かって弥陀大悲の本願が開闡す、と、いわれていることになると思うのですね。

そこで、今日のテーマである「弘願というは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなし」を読むことになりますが、この「一切善悪の凡夫、生を得るは、みな」の「みな」は、さっきまでの読みでは、韋提希のように阿弥陀仏の浄土に生れんと願うところの「みな」は、阿弥陀仏の大願業力に乗じて(無生忍を得る)増上縁とせざることなし、と、このようになるかなと思いますが、証巻では、この弘願文だけが引用されていますから、そのようには読まない。

では、どのように読むか。「生を得るは、みな」をそのまま読む。一切善悪の凡夫は、一切だからこれも「みな」です。その「一切善悪の凡夫のみな」において、生を得るは、の「みな」ですね。その生を得る「みな」が阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしですから、一切善悪の凡夫である「みな」と、生を得るは、の「みな」は違いますね。では、この生を得るはとは何かということになります。そしてこの生を得るところの「みな」は阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしです。

すると、一切善悪の凡夫の一切は「みな」であり、その中に生を得る「みな」があるでしょう。この一切善悪の凡夫の「みな」と、生を得る「みな」は何が違うのでしょうか。まず、この一切善悪凡夫の「みな」は、一切ですから過去・現在・未来の一切善悪の凡夫です。すると私たちもそれぞれその「みな」の独りです。

韋提希はまず、清浄の業処を観たいとお釈迦様に願うわけですね。その時にお釈迦様は、眉間から放たれた光の中に諸仏の浄妙なる国土を現わしました。この諸仏の国土が、韋提希が観たいと願ったはずの「清浄業処」です。親鸞聖人の「韋提別選」における正意とは、この清浄業処であり、その清浄業処に向かって弥陀大悲は開闡すと言われていると思うのですね。だから韋提希はまずこの清浄業処を観たいと願うわけです。そこでお釈迦様はその清浄業処を浄妙なる諸仏の国土をもって現わされたのですね。

この浄妙なる諸仏の国土とは何か。それは、お釈迦様が見ている一切善悪の凡夫の姿ではないでしょうか。しかし凡夫は自らを一切善悪の凡夫だと知らない。凡夫の関心ごとは自分なのですね。だから自分における清浄なる業処が観たい。しかし、お釈迦様の眼は、一切善悪の凡夫であるがゆえに一切は浄妙なる国土であると、一切善悪の凡夫の「みな」に浄妙なる国土を見ている。このお釈迦さんの眼における浄妙なる国土の世界に、すでに弥陀大悲の本願が開闡されているのだということでしょう。韋提希は何か気づいたのではないですか。

で、ここまでを要約すると、「弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫(において、お釈迦様の見る浄妙なる国土に)、生を得る(ところの善悪の凡夫)は、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり」と、こういうふうになるかと思います。

この「生を得るは、みな」とは、正定聚を輝かすところの深淵なる業の闇をいうのであり、その業の闇をも、お釈迦様は清浄業処の浄妙なる国土として見ておられることになります。その清浄業処にひときわ輝く正定聚の諸仏を見る。その「生を得るは、みな」が阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしです。親鸞聖人は、このお釈迦様の心眼である「清浄業処」に、弥陀大悲の本願が開闡されるのを、増上縁と見ておられることになるのではないでしょうか。

そして、この弘願の次に、「また仏の密意広深なれば、教門をして暁(さと)りがたし。三賢十聖測りて闚(うかが)うところにあらず。」と、まだまだ密意は深く広いので、教門を顕かにしたのではない。そして「況や我信外の軽毛なり。あえて旨趣を知らんや」です。まだまだ信には浅く仏の旨趣を知っているのではない。「仰ぎ惟(おもん)みれば、釈迦はこの方に発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼(かしこ)に喚(よ)ばい此(ここ)に遣わす。あに去(ゆ)かざるべけんや。」この「あに去かざるべけんや」は、どうして去らないでおることができようか、と、いうことでしょうか。去をゆく読みますから、どうしてゆかないことがあろうかと読むのでしょうね。だから、まだ去かないで此にいるということですが、ここにはすでに弥陀が来迎しているから、去かないことがないではないか、と、このように読むのでしょうね。

不思議な表現で、漠然とした感想しか言えませんけど、何か確かなものを見る佇まいですね。そして「ただねんごろに法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし、と」。この「畢命を期(ご)として」は命が終わるときをまって、そして「この穢身を捨てて」は、煩悩具足の凡夫の身を捨てて、「法性の常楽を証すべし」です。命が終わるときに煩悩具足の身を捨てて、法性常楽を証するのである、と、親鸞聖人の信心の深みを、この証巻に顕されたところだと思っています。

証巻 正定聚について その③

令和5年11月26日 御正忌報恩講より

「(如来会)また言わく、かの国の衆生、もしは当に生れん者、みなことごとく無上菩提を究竟し、涅槃の処に到らしめん。何をもってのゆえに。もし邪定聚および不定聚は、かの因を建立せることを了知することあたわざるがゆえに、と。」 

前回までは『論註』を読みながら証巻を進めてきました。今回は少し『論註』を離れて、道綽禅師『安楽集』と善導大師『観経疏』が登場します。今日は邪定聚および不定聚の問題です。

では、まずはじめに邪定聚ということですが、邪定聚は観経の信心といわれます。この邪はよこしまという意味ですから、よこしまに定まる聚(なかま)ということになりますね。また「よこしま」は正しくないとか道に外れているという意味でもあるから、邪定聚は正定聚からすれば正しくないとか、道から外れているということになります。すると、この正定聚の正に対しての邪ですから、正と邪を比べて正が正しいと、語句としては当たり前ですね。しかし、これを往生浄土においてと言った場合、何をもって往生浄土かということですね。すると、この往生浄土の意義は何かといえば、それは、我が心の偽りと、我が身のいたらなさです。我が心が偽りなく、我が身が正しければ、別に阿弥陀仏の浄土往生はいならいのです。心身ともに凡夫の身であるからこそ往生浄土の門は開いているのですから、この場合の正とは、正しい凡夫の身としての自覚です。オレのほうが正しいぞ、お前はよこしまだ、と、高慢からの正と邪ではない、ということでしょう。

 観経は「下品下生」のお救いといいまして、この「下品下生」は、目の前に死が近づいているにもかかわらず、とにかくも自分に何もかもない人のことです。何もかもないというのは、どうしようもない人をいうので、ろくでもない人、言い方はいろいろあるでしょうが、ま、とにかく『観無量寿経』の「下品下生」の処を読んでみます。

「仏、阿難および韋提希に告げたまわく、「「下品下生」というは、あるいは衆生ありて、不善業たる五逆・十悪を作る。もろもろの不善を具せるかくのごとき愚人、悪業をもってのゆえに悪道に堕すべし。多劫を経歴して、苦を受くること窮まりなからん。かくのごときの愚人、命終の時に臨みて、善知識の、種々に安慰して、ために妙法を説き、教えて念仏せしむるに遇わん。この人、苦に逼(せ)められて念仏するに遑(いとま)あらず。善友告げて言わく、「汝もし念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべし」と。かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念々の中において八十億劫の生死の罪を除く。命終の時、金蓮華を見る。猶し日輪のごとくしてその人の前に住す。一念の頃(あいだ)のごとくに、すなわち極楽世界に往生することを得ん。蓮華の中において十二大劫を満てて、蓮華方(まさ)に開く。観世音・大勢至、大悲の音声をもって、それがために広く諸法実相・除滅罪の法を説く。聞き己(おわ)りて歓喜す。時に応じてすなわち菩提の心を発す。これを「下品下生の者」と名づく。これを「下輩生想」と名づく。「第十六の観」と名づく。」

①この語を説きたまう時に、韋提希、五百の侍女と、仏の諸説を聞きて、時に応じてすなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。仏身および二菩薩を見たてまつることを得て、心に歓喜を生ず。未曾有なりと歎ず。廓然(かくねん)として大きに悟りて、無生忍を得。②五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず。世尊ことごとく「みな当(まさ)に往生すべし」と記す。

 この「下品下生」の長い引用の一つひとつを押さえることは出来ませんが、全体的な雰囲気を感じていただければいいのではないかと思います。で、要約すると、一応は凡夫の自覚はあるし、仏に帰依しているものの、日常はてんでそういうものとかけ離れた生活をしてしまっている。その日々は五逆十悪の日々であり、それがいよいよ自らの臨終が迫ってきた。そのときに、善知識から念仏の教えを教わり、その教えの通りに心を集中して念仏しようとするが、苦しさが逼迫してそれどころではない。と、その時に、よき友から「無量寿仏と称すべし」と、声をだして南無阿弥陀仏と称えよと勧められた。その人は無我夢中にひたすら南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と称えた。この無我夢中の念仏は、そのまま無心の南無阿弥陀仏であるがゆえに、その一念一念の念仏に罪が除かれていく。そして、いよいよ命終のとき、その一念のときのように極楽世界に往生するのである、これを聞き己って、念仏とともに歓喜して菩提の心を発した、と、まあ、このような内容かなと思います。

 で、この下品下生のことを考えるときに、道綽禅師の『安楽集』を思いだすのですが、これは以前に、この『安楽集』を読んだ時にことです。読みながら、この『安楽集』という書物は何だろうとずっと考えていましてね。まず読んでも、何を言われようとしているのか分からない。これまで、少しぐらいは難解な書物も読んできたつもりでいましたが、とにかく毛色が違うというか、さっぱり分からんのですよ。内容も難しいが、どういう意味でこういうふうに言われるのかさっぱり分からない。とにかく受け付けないのですね。はじめて本を放り投げました。後からノコノコと拾ってきて、また読み始めましたが、とにかく分からん、ということでした。しばらくしてから、今度は角度を変えて調べることにしました。そのうちに、ふと、ご門徒のある方のことを思いだした。すると、何となく読めるような気がするのですね。

 その方はすごくユニークは発想をされるお人で、毎月のお参りでも話し込むこともよくありました。ある日、いつものようにお参りに伺うと、「この前、具合が悪くなり救急車を呼んだ」と言われるのですよ。で、どうされましたかと尋ねると、とにかくすごく体の具合が悪いと、でも、救急車を呼ぶのは少しためらうでしょう。それでも辛いし、いてもたってもおられず救急車を呼んだそうです。その時に、その方がどうされたのかですが、救急車を待つ間に、痛い場所をマジックインクで丸く囲まれたそうです。一目でどこが悪いか分かるように、辛い場所に印をつけておいた。それで病院まで運ばれたそうです。そのことを聞いて二人で大笑いしましたが、この事を思いだした。

 この話と『安楽集』がどんな関係があるかということですよね。まあ、とにかくフトそのことを思いだしました。すると何となく読める気がしたのですよ。つまり、道綽禅師も、自分も分からないと言っているのではないかということです。ただしかし、ここだと、ここが要だと、でもオレもよく分からないのだ。そういうことかなと思いました。だからこの『安楽集』は道綽禅師の直感の書であり、大事な場所をいろいろと抜き出してある。そしてそれは仏教においてもすごく大事なことであるが、しかし自分もまだそれがよく分からないのである。だからそこに印の○を付けておいた、そういう書である、と、まあ、このような思いがしたわけです。すると何となく読めるような気がしたわけですね。

 そのひとつに、観経のことで言われている処がありますので、まずそこを見ながら「下品下生」のことを考えようと思います。「弥陀の浄国は位上下を該(か)ね、凡聖通じて往くことを明かす。教興の所由を明かして時に約し機に被(こうむ)らしめて浄土に歓帰せしむれば、もし教時機に赴けば修し易く悟り易し、もし機と教と乖(そむ)けば修し難(がた)く入り難し。」

 難しい表現ですので詳細に説明はできませんが、この「位上下を該(か)ね」の該は当てはまるという意味だそうです。「位の上下が当てはまり、凡夫と聖とが共に通じて往生することを明らかにした」と、こういう言い方が出来そうですね。つまり観経は上品から下品までの九品の位があったとしても、上品の聖と下品の凡夫とが同じように通じていることを明らかにした、と、こういうふうになるのだと思うのですよ。

 で、その理由が次にあります。観経の教えが興るゆえんとは「時に約し機に被らしめて」ですから、観経の教えが興る理由は、その機が熟す時において興るのであり、その時に(はじめて)浄土を歓び、浄土に帰らしめるのである、と、このような意味でしょう。そして、このことは上下を通じてすべて当てはまるのである、と、こういうことかなと思うのですね。だから、機が熟さなければ上品の聖であろうが、また、下品の凡夫であろうが、浄土を歓び帰らしむることはないということですから、浄土に帰らしむるのは機が熟すかどうかによるのであって、上下は関係ないということですね。では、その機が熟すとはどういうことなのかといいますと、それは観経に説かれている王舎城の悲劇を通して、韋提希の機が熟していきます。

 この観経に説かれた王舎城の悲劇は、善導大師の「観経疏」序分義にも書かれており、有名な物語ですので、いずれ話したいと思っておりますが、今回の「下品下生」は、観経の最後の処であり、韋提希が救われて無生忍を得るところの最後の部分になるでしょうか。

 それでは、さっき読んだ「下品下生」①のところをもう一回読んでみましょうか。①「この語を説きたもう時に、韋提希、五百の侍女と、仏の諸説を聞きて、時に応じてすなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。仏身および二菩薩を見たてまつることを得て、無生忍を得。」

 この①を「観経疏」は「まさしく夫人第七観において無量寿仏を見たてまつる時、すなわち無生の益を得ることを明かす。」と、書いてあります。善導大師は、韋提希が第七観で無量寿仏を見たてまつり、そして、無生(忍)の益を得たといわれますね。この第七観とは定善観の第七観のことですが、今話しているのは、その定善観ではなくて、次の散善義であり、その散善義でも最後の下品下生のところです。善導大師は、韋提希が定善観の第七観華座観で無生の益を得たといい、そして下品下生で無生忍を得たといわれているのですが、これはどういう意味だろうか。

 そこでまず、この第七観の前、つまり第六観ですが、この第六観は「宝楼観」といいまして、「総観想」という別名があります。「名づけて粗(ほぼ)極楽世界の宝樹・宝池・宝地を見るとす。これを「総観想」とす。「第六観」と名づく。」と、経典に書かれています。この第六宝楼観の「粗極楽世界」の粗(ほぼ)は、おおざっぱ、きめ細かでない、荒っぽいなどの意味ですから、つまり韋提希はこの「第六観」でまだ大ざっぱではあるが極楽世界を見て、そして無量寿仏を見たてまつります。だから、韋提希が見たてまつるところの無量寿仏もまた、韋提希にとってはまだきめ細やかな無量寿仏ではなかった。そこで、韋提希は第七観において「世尊、我いま仏力に因るがゆえに、無量寿仏および二菩薩を見たてまつることを得つ。未来の衆生、当にいかにしてか無量寿仏および二菩薩を観たてまつるべき。」と、お釈迦様に問いかけるということになるでしょう。

 この、お釈迦様の力によって、こうして無量寿仏を見たてまつることが出来ました、しかし、お釈迦様がおられない未来の衆生はどうしたら無量寿仏および二菩薩を観ることが出来るのでしょうか、という韋提希の問いに対して、第七観の華座観が説かれていきます。善導大師は、韋提希が得た無生の益が、未来の衆生への問いになっているといいたいのだろう、と、そのように考えておるのですが、そして、その韋提希の問いが、第七華座観を通して、最後の下品下生でその答えを見る、と、善導大師は言われておるのかなと思うわけです。

 そして②の「五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず」ですね。ここのところを観経疏では「まさしくこの勝相を覩(み)て、おのおの無上の心を発して、浄土に生ぜんと求むることを明かす。」と、書いてあります。この「覩」は視線を集めて見る、はっきりとわかる、見てとる、理解するなどの意味ですね。韋提希の側にいた五百の侍女もまた、無生忍を得た韋提希の姿を見てとって理解した。そして自らもまた無上の心を発して、浄土に生れることを求めた、ということですね。そして、世尊ことごとく「みな当に往生すべし」と記す、です。

 この時に五百の侍女もまた、韋提希と同じように阿耨多羅三藐三菩提心を発したとありますが、これを「安楽集」では「時に約し機に被らしめて」とありまして、約とは誓ということですから、機はこの場合は韋提希でありますが、側にいた五百の侍女も、韋提希が無生忍を得たことを覩て、同じように極楽世界の広さそして深さを観ている。つまり、機がまだ熟さない五百の侍女も、韋提希と同じように極楽世界の誓に、浄土の広長の相(すがた)を観た、と、このように思っております。余計な事のようですが、この五百の侍女が何処まで広がるかといえば、ここに御参詣いただいている皆様もそこに入るということでしょう。居眠りしておられてもですね、時を超えて、いまもこの場において、その極楽世界の広長の相が誓われているということではないでしょうか。そして、世尊ことごとく「みな当に往生すべし」です。この響きはいいですね。

 この観経の信心は「下品下生」にあると言われておりまして、私たちの姿そのものがこの「下品下生」であるとおさえられております。そしてこの「世尊ことごとくみな当に往生すべし」に見る、浄土への「みな」とは、みなそれぞれが浄土への道を頂いていくことですね。こんな私が浄土に往生するのか、こんな私だからこそ浄土往生をいただくのか、と、世尊のことごとくみな当に往生すべしに感動するわけがそこにあるのですね。

 そして少し角度を変えて、韋提希のことを考えてみますと、その後の韋提希であります。お釈迦様がおられない未来の衆生にこの韋提希本人もいるとしたら、その後の韋提希はどのように生きたのだろうか。無生忍がどういった悟りなのか何も書いてないので、この無生忍を得ることが韋提希にとって何だったのかと、その後の韋提希に見ることは出来るだろうかと思っています。

 さて、親鸞聖人はこの「ことごとく、みな当に往生すべし」の「ことごとく、みな」という世界を邪定聚と言われるのでしょうね。するとこの「ことごとく、みな」の世界がよこしまな心だろうかということですが、そういうことはないでしょう。証巻の正定聚は、往生するものとすでに往生を得たものが響き合う世界であるといわれます。観経の「下品下生」にある「ことごとく、みな」は、浄土往生への機会均等のなかまではあるが、まだ正定聚のように往生するものと往生を得たものとが、響き合い出遇う世界ではないのである、と、このように言われるのかなと思っております。

 それでは、邪定聚はこのくらいにして、今度は不定聚とは何かということですが、これは阿弥陀経の信心だと言われております。ああそうか、阿弥陀経の世界だなと納得される方もおられるでしょうが、この阿弥陀経の信心は「論註」ですでに述べていると自分では思っておりまして、「論註」の持つ立ち位置が、この不定聚から正定聚を得ることを眼目にしたものかなと思います。だから、その個所を押さえると、この不定聚と正定聚の違いが見えてくるのではないでしょうか。

 では、それはどこに言われるのかと言いますと、「論註上巻」讃嘆門にあります。最後の文です。「もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。」と、ありまして、曇鸞大師はここでは声聞の論ずる中の説だと言われますが、この声聞が論ずる中の説を、親鸞聖人は不定聚といわれるのでしょう。

 曇鸞大師がこの「論註」を顕すにおいて、何がその主たるテーマかというと、それは菩薩の死であり、そしてその菩薩の死を超えるということですね。菩薩はある程度まで行くと、これ以上求めるものもなく、済度する衆生もいなくなるといわれます。つまり声聞に引きこもるのですよ。これを菩薩の死といわれるのですが、ここをどう超えるか、これが曇鸞大師の大きなテーマでありますから、声聞は少し厳しい言い方かもしれないが、大乗に目を開けと、叱咤激励で声聞という言葉を使われるのかもしれません。そして、ここで言われる不定聚とは、すでに阿弥陀仏の浄土往生を得たものだと思いますね。しかし何かが足らない、それがさっき話した「下品下生」にある最後のところです。

廓然として大きに悟りて、無生忍を得。五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず。世尊ことごとく「みな当に往生すべし」と、記す。

 この阿耨多羅三藐三菩提心は無上等正覚といわれまして、菩提心という字が付いているように、無上の等正覚とは無上の菩提心なのです。かの国、つまり阿弥陀仏国に生れんと願う無上の菩提心ですね。邪定聚には菩提心はあるが、それは浄土往生へのそれぞれの願いですね。それに対して不定聚は阿弥陀仏が三千大千世界をすべてつつんでいることを悟るが、その浄土は諸仏が生れ続けており、諸仏が広くすみずみまで行きわたる菩提そのものの相であることを知らない。そして、この度往生のものとすでに往生を得たものが響き合い、出遇い、そしてあまねく十方無量のほとりなき世界をつつむ正定聚の相であることも知らないのだといわれるのでしょう。

 ところで、証巻の初めの処にあります願成就文に、「また言わく、かの仏国土は、清浄安穏にして微妙快楽なり、無為泥オンの道に次(ちか)し。それもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧高明にして神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形異状なし。ただ余方に因順するがゆえに、人・天・の名あり。顔貌(ぼう)端政にして世に超えて稀有なり。容色微妙にして天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたるなり、と。」

 これは、かの仏国土である、正定聚の浄土を描いておられるわけですが、なかなか不思議で分からん内容です。これを阿弥陀仏の浄土はいろんな方がおられると読めば、正定聚どころか、不定聚も邪定聚もおられるし、それどころか菩薩や声聞、天や人もおられるではないか。

 この度往生するものからすれば、すでに往生を得たものは諸仏と見られるのでしょうね。また、すでに往生を得たものからすれば、この度の往生のものは諸仏です。すると、この正定聚の浄土には諸仏のみがおられるのかというと、そうではない。この願成就文には普通の人がいたり、天や声聞、菩薩がいたりしてなかなか混乱するところですね。

 このことで思うのは、往生のものとは、往生の人だということですね。この度往生する人は、様々なご縁を頂きながら、この度ここに浄土往生するのです。その人はいままで多くの人に影響されながら、出会いながら、そして浄土の教えをいただき、この度往生する人です。具体的に言えば仏教の教えを訪ね、浄土の教えを聞き、念仏の教えをいただいて、はじめて往生の道をいただくのですね。こういうご縁がなければ難しいのですよ。一人で切り開ける方がどれくらいおられるでしょうか。それに対して阿弥陀仏の浄土はつないでいくいのちです。この度の往生においては、菩薩のお育てがあり、声聞を叱咤されて、多くの人と出会いながら、浄土のいのちに触れて、さまざまなお育ての中で、今日の往生の人がいるのですね。そしてまた、その往生のものである一人ひとりが、それぞれの背景をもって往生されるのです。浄土はその諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいる。そして、その往生のものは、生まれ育った因縁も環境も背景にしています。その全てがこの浄土往生の時、この一人において実を結ぶわけです。その時の浄土の願成就をこのように顕わされているのだろうと思います。

 それでは、道綽禅師の「安楽集」を少し見て終わりにさせていただきますが、前回の証巻の話が「清浄功徳」でしたので、次は「安楽集」からの引用になります。

 『安楽集』に云わく、①しかるに二仏の神力、また斉等なるべし。ただ釈迦如来己が能を申べずして、故にかの長ぜるを顕したまうことは、一切衆生をして斉しく帰せざることなからしめんと欲(おぼ)してなり。このゆえに釈迦、処々に嘆帰(たんき)せしめたまえり。須(すべか)らくこの意を知るべしとなり。 ②この故に曇鸞法師の正意、西に帰るがゆえに、『大経』に傍(そ)えて奉讃(ぶざん)して曰く、 ③「安楽の声聞・菩薩。人天、智慧ことごとく洞達(とうだつ)せり。身相荘厳殊異(しんそうしょうごんしゅい)なし。ただ他方に順ずるがゆえに名を列(つら)ぬ。顔容端政(げんようたんじょう)にして比ぶべきなし。精微妙躯(しょうみみょうく)にして人天にあらず、虚無(こむ)の身(しん)、無極(むごく)の体(たい)なり。このゆえに平等力を頂礼したてまつる」(讃阿弥陀仏偈)と。

 まず、③のところですが、これは「讃阿弥陀仏偈」にある文で、曇鸞大師が正定聚を述べられているところです。今しがた読んだ「願成就文」では「それもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧光明にして神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形異状なし。ただ余方に因順するがゆえに、人・天の名あり。顔貌端政にして世に超えて稀有なり。容色微妙にして天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたるなり、と。」こうなっております。

 「願成就文」と「安楽集」の③とに何か違いがあるだろうか。詳細に観たらあるかもしれませんが、内容はほぼ同じです。『大経』の願成就文を曇鸞大師がこういうふうに言い換えたといっても差し支えないとも思いますが、では、顕著な違いは何かというと、①と②の加筆文ですね。この加筆された前の処を観ると、お釈迦様がおられなくなった後のことが書いてあります。お釈迦様がなくなられた後に疫病が流行り出して国は混乱の極みである、と、しかし、もうお釈迦様はお戻りにならないというようなことが書いてあります。そしてその後に続く文がこの①②③の引用文です。二仏はお釈迦様と阿弥陀仏です。これは韋提希が問うた「未来の衆生、当(まさ)にしてか無量寿仏および二菩薩を観たてまつるべき。」と同じ意味になりますね。この『安楽集』のところを、証巻の「清浄功徳」の後に載せられていることになります。つまり親鸞聖人は「清浄功徳」の前後に「願成就文」と「安楽集」と二つ正定聚を措かれていることになります。

 そして、「安楽集」の引用①の処です。「このゆえに曇鸞法師の正意、西に帰るがゆえに、『大経』に傍えて奉讃して曰く、」とありますが、「讃阿弥陀仏偈」では「願わくは諸々の衆生とともに安楽国に往生せん。南無して心を至し帰命して西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。」と、繰り返し述べられる「讃阿弥陀仏偈」での反復の言葉でありまして、正定聚だけに使われたのではありません。

 道綽禅師が言われる西とは、おそらく身体の死のことだと思うのですね。つまり、私たちが普通に考えているところの死です。しかし、この死の問題を述べられるのは道綽禅師であり、曇鸞大師が「讃阿弥陀仏偈」で述べられているのではないのですね。それをあえて身体の問題と曇鸞大師の正定聚をくっつけておられる、と、そう思われるのです。

 親鸞聖人は善導大師の身体的な問題を正定聚につつみ入れて、「論註」の「大義門功徳」にある「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と顕され、そしてそれを「清浄功徳」とされました。そしてまた、この「安楽集」の文をその「清浄功徳」の後に措かれたことになります。「清浄功徳」にある「すなわちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得」、つまり、この身において涅槃分を得ることがどのようなことか、それがこの「安楽集」の引用文であるということになるかと思いますが、もう少し見ていきたいと思っております。

 

 

 

 

 

証巻 正定聚について その②

令和5年9月23日 秋彼岸会より

(付録)ー「淄澠の一味なるがごとし」の意味をみると、淄と澠は斉の国にある川の名であり、この二つの川が異なった味を持ちながら海に流れ込めばそのまま一味になるといわれます。しかし、この「淄澠の一味なるがごとし」に、親鸞聖人は(食陵の反)の文言を付けくわえられておりまして、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と「大義門功徳」を読みかえられています。このことについて「正定聚その①」の不足分として、今回の「正定聚その②」の前に(付録)を付けておくことにしました。ー

陵はみささぎと読み、王の墓などを意味しますから、この食陵をそのまま読めば王の墓を食うというような意味になります。ここでの王とはもちろん阿弥陀仏のことになりますから、阿弥陀仏の墓を食うということになる訳です。では、その阿弥陀仏の墓とは何か。もしこの墓の意味するものを一言でいうならば、阿弥陀仏の浄土が成就するとき除外されているものということでしょう。すると、ここに言われている食陵とは、その除外されているものを食うという意味になります。そしてその反(かえし)がこの「淄澠の一味なるがごとし」に付け加えらた意味になります。これらのことを前回の最後に話しました。今回はその続きでもありますから、この「食陵の反」をもう少し見ていきます。

宇宙の壮大さとは、漆黒の宇宙における星群の共演です。様々な星や銀河がありますが、普段私たちは圧倒されるほどの銀河を夜空に見ることはできません。しかし、本来の夜空にはその圧倒されるほどの星が降り注いでいます。もしそれらを間近に観ることができたら、その満天の星に感動をも覚えるでしょう。しかし、その満天の星を彩るところの漆黒の闇までを観るものは少ないはずです。しかし満天の星はその深淵なる漆黒の闇に輝く星なのです。もし満天の星の共演を浄土の相(すがた)とすれば、阿弥陀仏の浄土が成就するとき、そこに除外されている深淵なる漆黒の闇を、王の墓、つまり陵(みささぎ)という意味にあたえることは出来ないでしょうか。

淄川をどす黒い漆黒の闇だとするならば、澠川は亀のような生き物が住む川です。この二つの川が混ざりあう時、漆黒の中に飲み込まれる澠川の生き物の姿に、闇に閉ざされていく私たちの業を連想します。親鸞聖人は「淄澠の一味なるがごとし」にこの(食陵の反)を付け加えられ、聖人独自の意味に変えられています。その(食陵の反)の意味とは何か、それは阿弥陀仏の浄土を浄土たらしめるところの漆黒の闇をも見据えて、そして、往生の光を得た自らも、また、この深淵なる漆黒に浮かぶ星の一つであると、自らの信心を述懐されているのだと思うのです。

証巻 正定聚について その②

(証巻の文)「また、『論』(論註)に曰く、「荘厳清浄功徳成就」は、「偈」に「観彼世界相 勝過三界道」のゆえにと言えり。これいかんぞ不思議なるや。凡夫人の煩悩成就せるにありて、またかの浄土に生るることを得ば、三界の繋業畢竟じて牽かず。すなわちこ煩悩を断ぜずして涅槃分を得、いずくんぞ思議すべきや。」

(論註下巻)「荘厳清浄功徳成就」の 解読文

(一点のにごりもない)清浄さとしてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「彼の世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。凡夫人の、煩悩にみちているものでも、彼の浄土に生れることができれば、三界につながれてはなれることができない業のきづなも、ついにはそのはたらきを失う。つまり、(法の徳のゆえに)煩悩を断じえないまま、しかも涅槃の分を得るのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。

「荘厳清浄功徳成就」略して「清浄功徳」は、観察門の国土荘厳十七種の第一種目にありまして、国土荘厳の総相といわれます。本来なら、この「清浄功徳」が前回の三つの「功徳成就文」の前にあるはずですが、証巻では、国土荘厳の順番が逆になっていまして、「清浄功徳」がこの三つの「功徳成就文」の後に措かれてあります。これは、要するに十七種の中で、この「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三種の功徳文をもって国土荘厳とされたということでしょう。そしてまた、この三種の後に「大義門功徳」の一部だけを付けくわえられております、それが、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」ですね、そしてその次に、この「清浄功徳」を顕しておられます。今回はこれらのことを含みながら読んでいけたらと思っております。

まずは、論註の下巻に気になることが書いてありますので、そちらの方から国土荘厳を見ることにしますが、そこに何が書いてあるのかといいますと、相似相対だと書いてある。相似というのは似ている形態ということで、姿形や性質が写したようによく似ているということですね。相対の方は向かい合う、または対立するとか、関係を持ち合って成立するという意味だそうです。で、この国土荘厳十七種は相似相対であると書いてあります。

そして、この国土荘厳の十七種は摩尼如意宝において相似相対すると書いてあります。これは何を言っているのかといいますと、まずこの摩尼如意宝ですが、まあ、よく分からんわけです。とにかく不思議な表現でありまして、でも、これをあえて現代風にアレンジして言えば、おそらくドラゴンボールのようなものでしょうか。この珠を得ればいかなる願いもかなえてくれるという、不思議な摩尼如意宝珠です。国土荘厳はこの如意宝珠が相似相対するといわれているのですね。つまり、国土荘厳十七種は、この摩尼如意宝のように不思議であり、それは相似相対する、と、このようになります。

こういう処はあまり関わらず通り過ぎても構わんのかなとも思いますし、これにこだわってどうするんだとも思いますよ。しかしですね、あえてこだわると、国土荘厳十七種のそれぞれが摩尼如意宝であり、その十七種は相似相対しているということであります。

「多盲のゾウ」という譬えがありまして、これは目が不自由な人たちが集まって、それぞれがゾウに触れてみる。すると、ひとりは足を触りゾウは大きな木のようだという。鼻を触ったひとは長い管のようだという。もうひとりは耳を触って大きな葉っぱのようだといい、もうひとりはお腹を触り山のようだという。それぞれが自分の触った感覚でゾウを表そうとしたが、結局は誰も本当のゾウの姿を知る者はいなかったという話ですが、このゾウを「真理」と言い換えればすごく哲学的になりますし、また「生死」と言い換えれば宗教的にもなります。で、お分かりのようにこの「ゾウ」とは何かということです。

国土荘厳の場合は十七種それぞれに摩尼如意宝というゾウがいる、摩尼如意宝とは何でも願いがかなうといわれる不思議な如意宝珠ですから、現代風にいえばドラゴンボールかなと思うのですね。ドラゴンボールは7個集めるとどんな願いでも一つだけかなう。このひとつだけというのがみそですが、摩尼如意宝はこの十七種がそれぞれ摩尼如意宝だから、十七の摩尼如意宝珠があるわけです。でも、摩尼如意宝は一つしかない。ここに理屈に合わんものがあるわけですね。また、この摩尼如意宝は十七種に分かれていながらも、それぞれが摩尼如意宝であると説かれているのですが、この摩尼如意宝をそれではだれが十七に分けたのかといえば、摩尼如意宝自身であるというわけですね。

国土荘厳が相似相対するというのは、この摩尼如意宝が自らを十七種に顕して、そしてその摩尼如意宝がそれぞれ相似相対するということだと思うのですよ。もうこの辺になるとよく分からんでしょう。不思議な表現ですね。

しかし、この摩尼如意宝とは国土荘厳を顕しているのですから、仏土つまり仏国土の不思議を顕す譬えですね。つまり、国土荘厳を不思議な摩尼如意宝の譬えで表現したということでしょう。で、この摩尼如意宝は何でも願いをかなえる不思議な珠です。そして、その珠を得ればどんな願いもかなう、こんなふうに聞けばまるでドラゴンボールのようじゃないですか。ところが、この摩尼如意宝は国土荘厳の譬えですから、じゃあこの国土荘厳とはドラゴンボールのようなものかといえば、違います。

国土荘厳は阿弥陀仏の浄土のことですから、完成された仏国土です。不足という字が無いのですね。しかし摩尼如意宝の譬えでは、あなたが不足しているものを与えましょうということですから、本来この国土荘厳と意味が違いのですよ。では、なぜ国土荘厳を摩尼如意宝に譬えるのか、それは自らこの国土荘厳を顕すためだということです。国土荘厳を十七種に分けて、それぞれの角度から国土荘厳を顕す。そういう仏国土として十七種の立場を造ったということでしょう。完成しているからこちらから見えないし、見られる必要もないけれど、観るこちら側に立って、あえて欠損させてそこを見せる。すると、欠損したところから見れば、その不足したものを満たす国土が荘厳されている。それはまるでその願いが満たされているかのようだから、摩尼如意宝のようであるという。それが十七種あり、そしてその十七種の国土荘厳はそれぞれが相似相対するといわれるわけです。相似相対しているというのは、似ているものが並んで見えるということでしょうか。

私たちはドラゴンボールの方はすぐ分かるし、そっちの方が魅力的ですね。しかしそれは現実的ではなくてファンタジーですね。私たちは足らないことばかりですから、あれがあればいいな、こうなればいいな、と、ずっと考えていませんか。だからドラゴンボールの方はすぐに分かるし、そちらがおもしろそうでしょう。それは私たちが完成していないからですが、とにかく足らないものがいっぱいある。これが私たち凡夫の姿ですね。

国土荘厳の「清浄功徳」とは、そういう私たち凡夫から見た仏国土です。「(一点のくもりもない)清浄さとしてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「彼の世界の相を観ずるに、三界に道に勝過せり」といわれているからである。」と、まず、国土荘厳の総相として私たちに最初に顕された清浄の国です。

ところが、聖人はこの国土荘厳十七種から「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三つを選んで「清浄功徳」の内容とした、つまり、この三つをもって「国土荘厳」だとしたということですが、その次にまた「大義門功徳」を一部とりあげて載せてあります、その中に、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」という言葉がある。この言葉を少し取り上げて前回が終わりましたので、冒頭に付録をつけてもう少し詳しくしております。

で、この証巻の「清浄功徳」の前に、「また、『論註』に曰く」と書いてあるでしょう。この「また」は、三種の功徳文と「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」のどちらにもかかっているわけですが、どちらかといえば「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」の方に重きを措かれていると思っているわけです。

『浄土論』での「清浄功徳」は、「偈に「観彼世界相 勝過三界道」と言えるがゆえに。」とこれだけです。これを曇鸞大師が開かれて、今回の「清浄功徳」の文になっています。そして、この国土荘厳十七種では、「清浄功徳」の次にあるのが「量功徳」です。『浄土論』では、この「量功徳」もまた「偈に、「究竟如虚空 広大無辺際」と言えるがゆえに」とこれだけでして、「清浄功徳」と同じような表現になっています。聖人はこちらの「量功徳」の方は引用されていませんが、この「量功徳」を曇鸞大師がどのように開かれたかを見たいと思いますので、上下巻の両方とも読むことにします。

まず上巻の方から。解読文より、上巻は長いので(その一)と(その二)とに分けてあります。

「「荘厳量功徳成就」究竟して虚空の如く、広大にして辺際無し」この二句は荘厳量功徳と名づける。(その一) 仏がもと、この荘厳量功徳を起こされた所以は、三界を見られるに、狭く小さく、土地がくぼんだところや裂けたようなところがあるかと思えば、小高いところや水面に土が盛り上がったところがある。あるいは宮殿の高どのは迫くきゅうくつであり、土地田畑はせばまってせまくるしい。また、どこかへ行こうとしても路はせまく、あるいは山や河が行く手をはばみさえぎり、あるいは国境にへだてられて行くことができない。このようにさまざまのせわしなさで息ぐるしく、うろたえるようなことがある。だから菩薩はこの荘厳量功徳の願いを興され、我が国土は虚空の如く広大で辺際ないように願われたのである。

(その二) 虚空の如しとは、この国に来生する者がいかに衆(おお)くても、なお一人もいないように感じられるほどだという意味である。広大にして辺際なしとは、上の虚空の如しという意味を全うするものである。つまり、どうして虚空のようかといえば、広大で際限がないからである。量功徳の成就とは、十方衆生の中の往生する者ーすでに往生したもの、これから往生すべきものーは量りなく、はてしなくあっても、つづまるところ常に虚空のように広大で際限なく、終に満ちてしまうときがないということである。だから「究竟にして虚空の如く、広大にして辺際無し」といわれているのである。

問う。維摩居士などは、小さな部屋に、高さ八万四千由旬の獅子座を三万二千つつみ入れて、なお余りがあったという。どうして国の界のはかりないところにかぎって広大と称するのか。答う。ここにいう広大は、必ずしも五十畝を畦といい、三十畝を畹というような場所の広さを喩えにしているのではない。ただ空のようだというのである。そのうえどうして部屋の広さなどのたとえにかかずらう必要があろうか。また維摩の部屋がつつみいれるのは、狭いところにあって広いのである。厳密に結果の優劣を論ずれば、どうして広いところにあって広いというのに及ぼうか」

次に下巻から。解読文より。

「これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。彼の安楽国の人天(ひとびと)は、もしこころに宮殿楼閣の広さを、あるいは一由旬あるいは百由旬あるいは千由旬にしたいとおもい。(またその部屋数を)千間、万間にしたいとおもえば、心のままにそうなり、人それぞれにおもいどおりになるのである。また、十方世界の衆生が往生を願うに、すでに生じたもの、今生じたもの、これから生じるもの、一時一日の頃(あいだ)の数をかぞえても、それがどれくらいの数になるか知ることができないほどである。にもかかわらず、彼の世界はつねに虚空のごとくであって、せまっくるしさがまったくないのである。彼の安楽国土の中の衆生は、このような量(ひろさ)の中に住んで、自ずとその志願が広大になることもまた虚空のようで、まったく限りがないのである。(つまり)彼の国土の量(ひろさ)になっているのであるから、どうして(われわれが)思いはからうことができるであろうか。」

この論註上下の「量功徳」を比べると、一応上巻では(その一)と(その二)に分けましたが、下巻では(その二)の方を主に述べられていると思うのですね。読んでいただければいいのでして、間違いなら指摘してください。

で、下巻の方を読むとわりと分かりやすく、例えば「彼の安楽国土の中の衆生は、このような量(ひろさ)の中に住んで、自ずとその志願(ねがい)が広大になることもまた虚空のようで、まったく限りがないのである」と、このような文章になっているでしょう。志願にしたがって世界の広さは虚空のようにもなる、と、その志願が広大な世界を見せていくというような、いわば、心象的な世界観が窺われます。

このことについて、善導大師が述べられているところが観経疏にありますので、そこのところを紹介することにします。この「清浄功徳」は観経疏では水想観に登場しますが、国土荘厳第二の「量功徳」もこの「清浄功徳」と一緒に書いてあります。

「「①かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。②究竟して虚空のごとし広大にして辺際なし」と、これすなわち総じて彼の国の国の地の分量を明かす」。②の文が「量功徳」です。このように、「清浄功徳」と「量功徳」はセットになっています。そして、この両方において「これ彼の国の地の分量を明かす」です。観経疏の玄義分ではここのところを「仮というはすなわち日想・水想・氷想等、これその仮依なり」と言われておりまして、ここに水想観も入っているでしょう。だからこの水想観も仮依であると善導大師は述べていることになりますね。この仮依については、次の文で「これこの界の中の相似の可見の境相なるによるがゆえに。」と説明されています。

まず、これはどういう意味なのかということですね。難しくてよう分からん。こういう文を見ると論註の解読がほんとうに有難いなぁと思いますよ。しかし、それで終わるわけにはいかないので、あえて自己流に解釈すれば、この仮依とは仏教でいうところの悟りといいますか、無分別智の境界というものではなくて、この界の中の相似の可見であるところの境相だということです。

で、「この界の中」とは、今見ているものはということでしょうか。すると、今見ているもの、それは、相似の可見である、可見とは今見えているものはということですから、今見ていることで見えているものはということですね。それは、実は、写したように似ているが、それそのものではないということです。だから相似しているが本質そのものではないということですね。だからそれは「仮依なり」と善導大師は言われているのだと思うのですよ。

境を分かりやすくすると鏡と考えればいいのかなと思います。つまり、それは鏡に映っているようなものだということですね。デコボコしたものを鏡に映すと、その映ったデコボコがくっきりと映れば映るほど、その鏡のクオリティーは高いことになるでしょう。同じように、水面に映るデコボコがくっきりと映しだされるほど水面には波が立ってなくて穏やかであり、水面は平らである。つまり私の心を水面の如くに表現される。境というのはその水面自体のことであり、界とはそこに写し出されているものということでしょう。

つまり、私の心について水面のごとくと表現され、それを境といわれている。これまでこの境のことを身体的心の領域とずっと言ってきました。知覚という言葉もありますが、これは感覚器官のはたらきで外界の事物・事象を認識することだということでして、視覚のほかにも聴覚・味覚・嗅覚・触覚がふくまるそうですね。哲学ではこのようなものを知覚より以前のもとして、直接の知といったり、感覚的確信という言葉で表現されたりしています。とにかくすごく分かりにくい所であることは間違いない。

この相似の可見の境相をもって「清浄功徳」と「量功徳」を顕している、そういうことかなと思います。つまり、善導大師の「量功徳」の「広大にして辺際なし」に言われる広大さとは、心象的なものではなくて身体的なもの、身体に属する物質的な広がりですね。身体を物質的な観点から観れば成層圏をこえて宇宙にもつながっていきますから、心象的な広大さとはまた違うのです。

善導大師が「清浄功徳」と「量功徳」をセットにしていわれる場合はこういう広大さがある。だからといって心象世界の広がりとどちらが正しいかと言っているのではありませんよ。「清浄功徳」にはこういう二つの見解があるということですね。そして善導大師の場合はどちらかといえば身体的な側面を強調されています。

曇鸞大師は「清浄功徳」に自性清浄の浄土を見られた。善導大師は、たしかにそれが自性清浄の浄土であれ、やはり、心に映る世界であるとした。自性というのは本質とか本性という意味で、本来的な不変の性質だといわれております。法身は色もなく形もないし、見ることもできない。だから善導大師は心に見る世界ならば、たとえそれが自性清浄の浄土であれ、本来の真如法海ではなくて、自性清浄の浄土を示すところの心象世界であるとした。つまり重力で再び身体の領域の押し戻した、と、こういうことかなと思っております。

こういうえらい大変な問題をかかえているのですが、この問題を親鸞聖人はどのように捉えなおされたのかということですね、それが、この三種の功徳文の後にある「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」であります。歎異抄13条に、親鸞聖人が宿業ということを述べておられますので、そこを読んでみます。

(意訳 歎異抄13条から)

「 弥陀の本願不思議にまかせて悪をおそれないのは、本願ぼこりであるということで往生はできないということ、この条は本願を疑うことであり、善悪の宿業をこころえていないからなのである。よいこころがおこるのも宿善がもよおしているからである。また悪業をおもってしまうのも、悪業のはからいがそうさせるのである。故(親鸞)聖人がいわれていたことに「ウサギの毛や羊の毛の先にあるちりのような小さな罪も、宿業に依らないものは無い。」といわれていた。またあるときに「唯円房は私のいうことを信じるか」と聞かれたので、「もちろんでございます」と、お答えしたところ、「そうであれば、私のいうことに従うのか」と重ねて聞かれたので、つつしんで承知しましたと答えました。「たとえば、人を千人殺してみなさい、そうすれば往生は決まる」と、聖人からいわれたときに「おおせではありますが、一人でさえも自分の器量では殺すことは出来ないと思います。」と、お答えしたところ、「ではどうして親鸞のいうことを疑わないといったのか」といわれ、「これで(唯円房も)知ることができるだろう。何事も心にまかせて決められるなら、往生のために千人殺せといわれたらそのとき殺すはずである。しかしながら、(自分に)一人として殺すような業縁がないからそうしないのである。自分のこころがよくて殺さないのではない。また殺すまいと思っても、百人千人を殺すこともあるのだ」と、(聖人が)おおせられたのは、私たちは、(自分の)こころがよいと思うことをよいと思い、悪いと思うことを悪いと思って、(弥陀の)本願不思議においてすくわれることを知らないでいるからであるといわれた。」

この13条にある宿業ということですが、いろんな見解もあるかと思います、で、今回話しております身体的心の領域ですが、これはまだ分別心が起きない状態の心ということですから、分別心が起きる前であり、邪心のない状態だと考えるのですね。しかし、この身体は社会的そして歴史的領域の身でもあります。この社会的そして歴史的領域とは、そのままこの私の身にまでなった煩悩の歴史です。ここに歎異抄でいわれる宿業を見るのだろうと思うのですね。

こういう業の深さを背負っている身ですから、たとえ身体的な心の領域として鏡が澄んでいても、その鏡もまた宿業という底の抜けた漆黒の世界を背負ってるのだということではないか。そして、ここに煩悩凡夫の姿を成就させる。

この「清浄功徳」の文の後半ですが、「凡夫人の、煩悩にみちみちているものでも、彼の浄土に生れることができれば、三界につながれてはなれることのできない業のきづなも、ついにはそのはたらきを失う。つまり(法の徳のゆえに)煩悩を断じえないまま、しかも涅槃の分を得るのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。」とありますね。この「凡夫人の煩悩にみちみちているものでも、彼の浄土に生れることができる」と、ここに凡夫の煩悩が成就する時、その凡夫を成就する姿をいただくことが、そのまま浄土に生れる姿であるといわれたのではないでしょうか。

親鸞聖人は、正定聚の世界を、夜空に輝きあう星群に見た、そして、この本願海で往生の光をいただいた自らもまた、この深淵なる漆黒の世界に浮かぶ星の一つであった、と、この深淵なる業の世界を我が身をもって述懐される。

三界とは三つの迷いの世界といわれております。少し難しくてよう説明できませんが、要するに生死を繰り返す凡夫の世界です。その繰り返す煩悩の歴史に繋がれてはなれることができないきづなも、つづまるところ、ずるずると引っ張られない。つまり、その法の徳で煩悩を断じえないままに、しかも涅槃の分を得るのであるといわれるのでしょう。

今回は、この「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」を自分なりに纏めました。いろんな見解もあるかと思いますが、現在、こういうふうに受け取らせて頂いています。

証巻 正定聚について その①

令和5年5月28日 永代経法要より

 今回より親鸞聖人のお書物から浄土論註を見ていくことにしております。前回までで作願門は終了したので,本来ならば次の観察門へと入るはずなのですが、実の処、親鸞聖人はこの観察門を証巻にかなり引用しておられまして、それならば論註の観察門を読むよりも、証巻の方から観察門を読んだほうが真宗の立場とすればいいだろうというふうに思いまして、今回から教行信証の証巻に引用されている観察門を読んでいこうと思いいたりました。結果、論註の続きということにもなりますが、証巻を論註を通して見ることにもなりますので、角度の違う見方になるかとも思います。難易度がかなり上がるのはしかたありませんし、こういう読み進みを当初から計画していたのでもありませんが、これまで論註を読んできたなかで自然にそうなった、と、そういう事でもありました。とにかくそういうことで、このまま流れにまかせて読んでいきたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。

 では、まずは観察門第11「荘厳妙声功徳成就」を読んでいきます。解読文

 [たえなる法を説く声においてかざりあげる功徳とは、偈に「梵声の悟り深遠にして微妙なり、十方に聞こゆ」といわれているからである。これはどのように不思議な功徳なのであろうか。経(大経)に、「もしひとあって彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚(なかま)に入ることができる」といわれている。これは国土の名字(みな)が仏の(衆生教化の)いとなみをするということである。どうして(常なみの)思いの及びうることであろうか。]

 

 実は、この「妙声功徳」にある「国土の名字(みな)」というところはすでに作願門にもでております。どこにあるのかといえば、下巻にありまして「一心に専ら阿弥陀仏を念じて、彼の(国)土に生れたいと願えば、この如来の名号及び彼の国土の名号が、よくすべての悪を止めるのである」のところですね、ここに「国土の名号が」と付けくわえられています。ほんの短い文なので、これが「妙声功徳」と関連があるかどうか分からんではないかといわれそうですが、作願門の願生浄土において、はじめて「国土の名」が登場しています。間違っていたら教えて下さい。で、まずこの国土の名号と名字はどう違うのかということですが、意味としたらだいたい同じではないでしょうか。名号という場合は仏国土(浄土)の名のりですから主体が彼の仏国土でしょうか、名字という場合は単に仏国土の名ということかと思います。その仏国土(浄土)の名をとるか取らないか、こちら側にその主体があるかもしれません。

 そして、この「妙声功徳」には作願門にはないものがありますね。「たちまち正定聚(なかま)に入ることができる」というところです。この正定聚に入るということがどのようなことか、それが今回のテーマになっております。とにかくまとまった話が出来ればといいなと思っております。

 そしてまた、聖人は証巻に観察門をそのまま引用されておりませんので、まずはそこのところから簡単に説明することにします。

 まず観察門は三つに構成されています。国土荘厳、仏荘厳そして菩薩荘厳がその三つになります。国土荘厳が17種、仏荘厳が8種、菩薩荘厳が4種で、計29種の荘厳功徳成就の文があります。そのうち聖人が証巻に引用されているのは、国土荘厳から第11・12・13番目の三種の荘厳功徳成就です。「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」がその三種になります。その内の「妙声功徳」を今読んだわけですね。この三種の功徳成就文の次に、国土荘厳の第1番目にあります「清浄功徳」が引用されています。要するに11と12と13番目の次に1番目が措かれているわけです。何故そうなるのだろうかという問題がありますし、国土荘厳は17種あるのに全文を引用されているのはこの4種だけである。こういうようななかなか捉えどころがない内容にも思えますが、少しずつでもそれなりにひも解ければいいなと考えております。そしてまた、その他、部分的な引用文もありますので後程説明することにしましょう

 次に仏荘厳においては最後8種目の「不虚作住持功徳」が後半部分が引用され、そのまま続けて菩薩荘厳の4種全部が還相回向として引用されています。論註では観察門の次の回向門がこの還相回向にあたりますから、引用の仕方がかなり複雑ですね。しかしこの複雑さもまた、聖人のご信心として一貫するものを顕しておられるのですから、まあどういったものか、とにかく始めることにいたします。

 それでは、今回は国土荘厳から「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三種を話すつもりです。で、まずこの「妙声功徳」にある、「もしひとあって彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚に入ることができる」という文ですが、ここにある「もしひとあって」を、この証巻から見た場合は「もし(往生の)ひとあって」と読むべきだと思うのですね。証巻は教行信証の最終部でありまして、論註を読み進めて行くうちに私たちの方が横から入り込んだわけです。だから教行信証の順序に沿っていくなら、この「もしひとあって」は「もし(往生の)ひとあって」と読んでしかるべきだと思うのですよ。しかし、そうしますと文が少し変になる気がすます。この「もし(往生の)ひとあって」と「すでに往生をえたものとは」と、同じものが何となく並び違和感があるのですね。で、このことについては後から話しますので一応このままにしておきたいと思います。

 作願門では、一心は我一心の完結した相ですから、つまりそれは阿弥陀仏の浄土の相(すがた)であるということになります。その浄土である仏国土が、阿弥陀仏の善根の力によって住持される国土であるというのが、次の「主功徳」です。それでは「主功徳」を読んでいきます。 

観察門第12「荘厳主功徳成就」

[ 主たる力においてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「正覚の阿弥陀法王、善く住持したまえり」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)であろうか。正覚そのものである阿弥陀仏は不思議であらせられる。彼の安楽国土は、その正覚たる阿弥陀仏の善根の力によって住持されているのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。住とは変質せず滅しないことをいい、持とは分散せず消失しないことをいう。たとえば、不朽(という名の)薬を種子に塗ると、水にいれても腐らず、火に入れても焼けずに、因縁をえて(芽を)出すのである。これは不朽薬の力によるからである。(これと同じく)もし人が、一たび安楽国土に生れれば、後になって(再び)三界に生じて、三界のいろいろなまよいの生活―煩悩が火のようにもえさかるただ中にもどっても、無上菩提の種子は、けっして朽ちることがないのである。これは、正覚たる阿弥陀仏が善く住持したもうからである。] 

 この「主功徳」の文は「阿弥陀仏は善く住持したまえり」ということが主な内容だと思っています。この住持を二つに分けて説明されていまして、住の方は変質せず滅しないといい、持は分散せず消失しないといわれます。そしてこの住持という不朽薬を種子に塗ると、水に入れても腐らず、火に入れても焼けないということですね。

 で、まず水と火の譬えがありますが、この水と火の譬えを善導大師が「観経疏」に言われておりますので、そこのところから説明すると、「衆生の貧愛は水のごとし、瞋憎は火のごとしと譬うるなり」と書いてあります。貧はむさぼるで、そのむさぼるに愛という字が付いている。愛の対語は憎だそうでして、愛と憎しみは表裏一体だといいます。仏教にも愛憎異順という言葉がありますね。愛と憎しみはむさぼりの度合いに比例するということでしょうか。テレビのサスペンス劇場でよくやっております人間模様ですが、いうなれば私たちの人生の縮小版ですね、そしてこういう愛欲は貧りに入ります。しかしですね、この愛欲には家族愛や子供に対する愛情も入るし、最近ではペットへの愛情もある、ひょっとすると郷土愛などもあるかもしれない、広げると分からなくなりますね。ただ、やわらかく言ってしまえば、度が過ぎた貪りはするなということかなとも思います。しかし、いったい何処までが度が過ぎるのか分からんのも私たちではないでしょうか。

 そして、火は瞋憎(しんぞう)だと言われていますね。瞋は怒りですから、怒りと憎しみが合わさった意味でしょう。ここにも憎しみが入ります。ちょっとムカッとすることから、気持ちが収まらないことまで様々です。そしてこれらは私たちの日常で避けられないものだということも事実ですね。この貧愛の水に住しても腐らず、また瞋憎の火中でも焼けずに、浄土の種はしっかりと芽を出す因縁であり続ける、そしてその不朽の種子は、安楽国土に生れた後のまよいの三界にあっても、けっして朽ちることのない無上菩提の種であると言われています。

 作願門では「一心」とは阿弥陀仏の浄土の相(すがた)でありますから、阿弥陀仏の正覚の相(すがた)であります。この正覚の相がそのまま無上菩提の相であるというのが「一心」までの内容でした。その無上菩提の相が、この「主功徳」においては無上菩提の不朽の種であると言われています。すると、無上菩提の相と無上菩提の不朽の種とはどう違うのかなと疑問があるでしょう。無上菩提の相というのは一心の相ですから一心そのものです。それに対して無上菩提の不朽の種だというならば、その無上菩提の不朽の種を懐いているところのその人を指しているのだと思うのですね。

 で、ここでさっきそのままにしておりました「もし(往生の)人あって」と「すでに往生を得たもの」とふたつ並んで違和感があるということでしたが、それは違和感ではなくて、このたび往生を得たものと、すでに往生を得たものとは、同じ無上菩提の不朽の種をいだくものとしては共通しているということですね。この証巻の証はさとりという意味ですから、往生の結果を顕かにされているわけです。初めて往生するものであれ、すでに往生を得たものであれ、それぞれが彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願えば、無上菩提の不朽の種が芽を出し、たちまち正定聚に入ることができるのである、と、そういうような読みが出来るのではないでしょうか。

 ただ、しかしですね、この往生ということを思う時に、これから浄土を生きるとか、浄土に生きるといっても、今この自分の生活以外にはないのですから、今のこの自分において、さて浄土を生きるとはいったいどういう事かということになります。すると、もし仮にですよ、その往生を得たもとして意気込んで、浄土に勇ましく生きるのかどうかということですね。勇ましく生きられるのは大したことだと思います。しかし、そういう勇ましさをここで言われているのではなくて、たとえいかなる時であっても法王阿弥陀仏の功徳である、不朽の種が善く住持されているのだということですから、たとえそれが生きることに躓いても、何かに嘆いても、失敗しても、たまたま成功してもですね、正覚の阿弥陀法王の住持する種はいつも芽をだす因縁を待っているのだということです。その因縁が芽をだして、如来の名号と浄土の名字が善く私をまもるのだということではないでしょうか。

それでは観察門第13「荘厳眷属成就」です。

[(仏の)眷属(はらから)においてかざりあげられている功徳の成就とは、偈に「如来浄花の衆、正覚の花より化生す」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。おおよそこの雑生の世界には、胎生や卵生や化生などいろいろな生があって、それぞれ眷属の数もしれず、苦しみや楽しみにもいろいろな種類がある。これは、さまざまな業によっているからである。彼の安楽国土は、阿弥陀如来の開いた正覚の浄花に感化されて生れないものは一人としてない。すべて同じく念仏して、それよりほかの道(より生まれるもの)ははるか遠く世界のはての者にまで通じて、全世界のすべての人々を皆兄弟とするのである。このように眷属の数ははかりしれないのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。]

 この「如来浄花の衆、正覚の花より化生す」ということで思うのは、先ほども言いましたが、「妙声功徳」の「もしひとあって、彼の国土に清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚に入ることができる」の「もしひとあって」を「もし(往生の)ひとあって」と読むなら、次の文は「彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものと(が)、たちまち正定聚に入ることができる」と読むのだろうと思うのですよ。単に「往生をえたものとは」を「往生をえたものとが」と読み変えただけですが、ニュアンスが変わります。

 これね、ずいぶん前でいつ頃か忘れましたけど、あるテレビ放送で、仏師つまり仏像を彫ることを専門にされる方がインタビュウーで、「昔の仏像を眺めていると、ああここを苦労して彫られているなと感じる、と、そのとき時空を超えて、その彫り師と逢えるのが嬉しい」と言われたのを思い出します。同じ道を歩く人には見える世界があるのだなあと思って忘れずにずっと覚えているのですが、念仏の道も同じで、往生浄土への道はその眷属にかざりあげられているということは、このたび往生するものと、すでに往生をえたものとが出逢っていく世界観ではないか。そしてその世界観とは、浄土の清浄と安楽をもって往生浄土を願う時、その往生のひとは、すでに往生を得たものと共にたちまち正定聚に入ることができる、と、このような往生するものと往生を得たものとが共感し共鳴しあう、そういう心象的な世界観を言われているのではないかと思うのですね。

 ただし、この国土荘厳の三種を全体的に捉えた場合、そこに往生を得たものは、それぞれが阿弥陀仏に善く住持されたもの同士なのでしょう。それぞれが阿弥陀仏に住持されて、それぞれが往生の光を頂いているところの世界観ではないかということですね。

 論註上巻の讃嘆門の最後のところにあります、「もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。天親菩薩がいま尽十方無碍光如来といわれるのは、とりもなおさず彼の如来の名によって、彼の如来の光明のはたらきたる智慧の相のごとくに讃嘆するのである」と言われております(諸仏)のところを、(往生を得た者)とするならば、「もし諸仏(往生を得た者)があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である」と同じ意味になるのではないかとも思えるのです。

 論註はもともと観経との関わりがつよいと言われます。この心象的世界観を今後どう見て行くかは自分としても大きな課題でありますが、とにかく論註を観点にしながら観経疏ともあわせて見ていくことができればいいのですが。

 「荘厳眷属功徳成就」をこのように頂いております。そしてこの「眷属功徳」までをもって「正定聚に入る」ということを顕されるのかなとも思います。しかしながら、この三つの功徳成就文の後に「また言わく」と付け加えられた文があります。それが国土荘厳第16の「荘厳大義門功徳成就」です。この「大義文功徳」を入れると引用文がひとつ増えることになりますが。終わりの部分だけを引用されているので、数には入れませんでした。

 で、その抜粋されている文ですが、何が書いてあるのかといいますと「また言わく、往生を願う者、本はすなわち三三の品(ぼん)なれども、今は一二の殊なし。また淄澠の一味なるがごとし。いずくんぞ思議すべきや」淄澠は(しじょう)と読みます。そしてまた、親鸞聖人はこの淄澠と一味の間に「食陵の反」という文言を付けくわえられています。つまり「淄澠(食陵の反し)の一味なるがごとし」と、このような文になっています。「食陵の反」を(じきりょうのかえし)と読みますが、それをわざわざ聖人ご自身が付け加えられていることになります。

 まず、三三の品とは、これは観経の上品上生から下品下生までの九品ですから、阿弥陀仏の浄土往生を願う者のレベルを九つに分けて、そしてそれぞれの機に応じて、阿弥陀如来が救いとるという三三の品でしょう。それが往生のひとにとっては、この三三の品はすでにないということですね。たとえ煩悩の中に生きようとも、浄土に生れたいと願えば、すでに往生をえたものととともに、本願海でたちまち正定聚に入ることができるから、三三の品はもうないのであるということでしょう。

 で、次のところですが、「淄澠の一味なるがごとし」この淄澠とは、淄川と澠川という全く違う川が合流することだそうです。本願海に入ればこの全く違った川も一味であるといわれます。つまり、本願海には三三の品などはすでになく一味の世界であるという意味と、淄澠の一味なるがごとしの意味を重複されているともいえますが、しかしここに「食陵の反」とわざわざ付け加えられていますね。これがいったいどういう意味なのかということであります。それで、とにかく現在の了解をここで話そうかと思っています。真偽は後にまかせて、この問題に自問自答することをもって今回の話を終了させていただこうかと思っておりますので、そういうつもりで聞いていただければ幸いです。

 この淄とはどす黒いとか、泥の色をしたというような意味だそうです。澠はサンズイに亀とも読むそうですね。解説では亀の住むような川や池とありました。そして陵は「みささぎ」と読みまして、王の墓などを言うそうです。だから、食陵「じきりょう」とは王の墓を食うということになります。そしてその反(かえし)ですから、どんなもんでしょうか。聖人がこの「食陵の反」をわざわざ淄澠に付け加えられる意味は何かということなんですが、まず宇宙をイメージしてみると、するとまあ、この宇宙の壮大さというのは輝ける星の共演をいうのだと思うのですね、しかし、その無量無数の輝く星も、宇宙という漆黒に輝く星です。皆さんは息をのむくらい降り注ぐ星に圧倒されたことはありませんか、ぼくはありますよ。とにかく北斗七星がどこにあるのかすら分かりませんでした。天の川が手に届くくらいすぐそこに思えました。それほどの満天の星空でした。今思えばそれほどでもなかったのかもしれませんが、その時は圧倒されました。たまたまそういう光景を目にした訳ですが、ある所に行くともっとすごい満天の星を観ることができるでしょう。しかし、そのような満天の星もまた、漆黒という宇宙での共演です。この漆黒と輝ける星群とのコントラストが壮大な満天の星を表現するのでしょう。

 淄川を漆黒の川だとすると、澠は亀が住むような川です。亀がまた出て来ましたが、この亀のイメージには何の意味があるのでしょうか。とにかく亀に何かいろんな生きものの匂いがしますね。当然私たちのようなものも含まれるのではないでしょうか。で、この淄川と澠川とがまじわり一味になるとすると、だいたい淄川の漆黒に混ざりこむでしょう。すると、その漆黒にはさまざまな生きものが混ざりこむという意味になります。この漆黒を無明といえば何やらすとんと収まるような気がしますが、もう少し違う見方をすれば、この漆黒とは私たちのもっとも深くそしてもっとも暗い場所であり、そこにはさまざまな生きものや、それこそ年取った亀の甲に生えた錯覚という名の毛もまざりあっている、と、そういうものではないか。ぼくはそれを業の深さだと思っているのですが。

 阿弥陀仏の本願海をもしこの宇宙に例えるなら、本願海とはさまざまに輝ける星の世界観だと思うのですよ。しかし、この淄澠が混ざり合う漆黒もまた本願海の輝きの一部であり、本願が本願海として輝く場所である。そして、この本願海に往生の光を得て輝く自らもまた、この漆黒に浮かぶ星の一つである、と、そのように表現されたのではないかと思います。このように本願海と漆黒と往生との関係を「食陵の反し」と言われたのではないでしょうか。で、この「また淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」は当然前後の関係で言われているわけですから、ここだけをもって説明しようとしても無理がありますので、今後の宿題にさせていただくつもりです。ひとまず自分の考えを話してみました。

 

『浄土論註』我依修多羅 真実功徳相から

令和5年3月21日 春彼岸会より

 前回の作願門で『論註」をひとまずお休みすると言っておりましたが、作願門上巻の次に「我依修多羅 真実功徳相 説願偈摠持 与仏教相応」の四句があります。ここまでを一区切りにしたいので、今日はこの「我依修多羅 真実功徳相」をテーマにしてお話をさせていただこうと思っています。で、今日のテーマは「我れ修多羅の真実功徳の相に依って 願偈を説いて摠持して仏の教えと相応す」ということになります。今回は少しずつ分けて読んでいきますのでよろしくお願い致します。

【 次に優婆提舎という名を成立させ、上の三門を全うして以下の偈を起こす。「我れ修多羅の真実功徳の相に依って願偈を説いて摠持して仏の教えと相応す」この一行はどのようにして優婆提舎という名を成立させ、どのようにして上の三門を全うして下の二門を起こすのであろうか。偈に「我れ修多羅に依りて仏の教えと相応す」といわれている。修多羅とは仏の経を呼ぶことばである。「私は仏の説かれたこの経を論述し、経の意に応じていささかの相異もなく、まったく仏法のまことの相と一致しえたから、この論偈を優婆提舎と名づけることができるのである」というのである。これで名を成立させおわった。どのようにして上の三門を全うして、下の二門をおこすかというに、「依る」ということには、何に依るのか、なぜ依るのか、どのように依るのか、ということがある。】

 まずはここまでですが、この文の最初のところに「優婆提舎という名を成立させ、上の三門を全うして以下の偈を起こす。」という文言がありますね。この『浄土論註』の初めに優婆提舎を説明されているところがありますので、まずその個所を読んでみます。「仏の説かれた十二部経の中に、論議経というのがあって、これは優婆提舎と名づけられる。さらに仏の弟子たちが仏の説かれた経の教えを解釈した、それが仏の教えの意(こころ)にかなっていれば、仏はそれを優婆提舎と名づけることを許された。それが仏法の相(すがた)を得ているからである。」

 こう書かれているわけですが、この論議経を調べると優婆提舎のことだと書いてあります。では今度は優婆提舎を調べると、それは論議経だということです。で、よく分かりませんが、とにかく仏弟子たちにより論議されたものだということのようです。

 また、天親菩薩もこの論議経を「私は仏の説かれたこの経のいわれを論述し、経の意に応じていささかの相異もなく、まったく仏法のまことの相と一致しえたから、この論偈を優婆提舎と名づけることができる」と書かれているわけですが、しかし、この作願門の後にこのように言われるのなら、上の三門の礼拝・讃嘆・作願門がこの経の意(こころ)に応じていて、いささかの相異もないといわれていることになります。すると、作願門においてこの優婆提舎は成立したことになりますね。だから「上の三門を全うして」と書いてあります。そしてこの優婆提舎は下の二門である観察・回向門とどのように関係するかということを次に書いてあることになります。

 そこで、上の二門との関係として、次の二門を起こすのはどういうことかといえば、それは「依る」ということがあるからだということになるのですね。そして、この「依る」ということを、何に依るか、なぜ依るか、どのように依るかと、三つに分けておられます。

 

 では、次の文を読んでみます。

【 何に依るかといえば、修多羅に依る。なぜ依るかといえば、如来はとりもなおさず真実功徳の相であるからである。どのように依るかといえば、五念門を修することによって、如来の真実功徳の相に相応することができるからである。これで上を全うして下を起こすことをおわった。修多羅とは、十二部経の中で仏が直接説かれたものを修多羅という。つまり四阿含の三蔵などがこれである。三蔵以外の大乗の諸経もまた修多羅と名づける。この偈の中で修多羅に依るというのは、三蔵以外の大乗の修多羅であって、阿含などの経ではない。】 

 まず初めの「何に依るか」ということですが、それは修多羅に依るのだということですね。そしてこの修多羅とは何かというと、この偈は無量寿経優婆提舎願生偈が正式名ですから、無量寿経をその修多羅とするのです。そしてその修多羅とは何かを下の文に説明してあります。そのまま読むと「修多羅とは十二部経の中で仏が直接説かれたものを修多羅という、つまり四阿含の三蔵などがこれである。三蔵以外の大乗の諸経もまた修多羅と名づける。この偈の中で修多羅に依るというのは、三蔵以外の大乗の修多羅であって、阿含などの経ではない。」と、このように書いてあるでしょう。

 この説明では、無量寿経を三蔵以外の大乗の修多羅とするというのが曇鸞大師の説になりますが、この三蔵というのは経蔵・律蔵・論蔵をいうのだそうでして、いわば仏教における教えの体系のことだろうと思います。すると、この無量寿経を修多羅とするというのは、無量寿経を三蔵のように仏教の教えの体系には位置付けないということになります。そして、次に「阿含などの経ではない」とも言われていますね。

 阿含は初期仏教の経典をさしますので、この無量経は、時代的に後起こる大乗仏教の歴史に登場する経典ですから、初期仏教に無量寿経の原型があるのか知りませんが、しかしですね、だからといってここで阿含などの経ではないとわざわざ述べる必要があるのかということですね。なぜならば、ここは阿含経と無量寿経を比較する場所ではないと思うからです。

 つまり、ここで言われる優婆提舎というのは、仏教の体系を論じたものではなくて、また、阿含などのような仏陀の直接の言葉でもないというニュアンスがあります。修多羅ということで曇鸞大師はこういう表現をされていることになりますが、不思議な表現だなあと思いますよ。

 そこで、以前に話しました「我一心について」に戻らなければなりません。この「我一心」とは何かということですが、上巻の初めのほうに書いてあります、「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは、無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。」と、このように表現されています。この天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばであるということですが、この「ひきい」の原文である「率」は、ひきいる、ひきつれる、退く、引きこもるという意味もあります。天親菩薩は「我一心」において、自らが進んで率いですから、自ら進んで退き、そして我一心であると言われます。

 つまり「我一心」とは天親菩薩が自らが進んで退いて、そして正された言葉である。その我一心を「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないこと」だと言われる、そしてこれが「我一心」の心ですね。だからこの「我一心」は、天親菩薩ご自身の言葉というよりも、「我一心」そのものを言われている。そしてその「我一心」の展開する様子を礼拝・讃嘆・作願門と観てきたわけですね。そして作願門において「我一心」がついに「一心」をもって完結した。それではその「一心」とは何であったかといいますと、それは阿弥陀如来の浄土の相(すがた)である、そしてその浄土の相(すがた)がそのまま「一心」としての菩提の相(すがた)であるというのが作願門までの内容でありましたね。

 だからこの三門が全うするとは、「我一心」が「一心」に完結することですから、この「我一心」が「一心」に完結することをもって、優婆提舎が成立していると言われている、と、そう思うのですね。しかしながら、そうすると、ここに言われる修多羅は、お釈迦様が説かれた経でありながら、お釈迦様が自らすすみ、ひきい、そして正された言葉であるということですね。だからお釈迦様が直接お説きなにられた阿含などの経ではないといわれている。何故なら、この修多羅は「我一心」がついには「一心」である菩提の相(すがた)をもって完結する経だからだということでしょう。そしてこれをもって無量寿経の優婆提舎が成立したといわれているわけです。

 では、この上の三門である礼拝・讃嘆・作願門が全うされたら、下の二門を起こすのは何故かということとですが、それが「修多羅に依る」からだということですね。そこで、この修多羅は上の三門が全うされることで下の二門を起こすことになりますから、下の二門である観察門と回向門がその依るところの修多羅だということになります。しかしですね、そうなりますと、上の三門の礼拝・讃嘆・作願門はどうなるのかということでしょう。ところが、しかし、上の三門もまた修多羅であるということです。

 そこでこの上の三門と下の二門の修多羅の関係を、ここでは「依る」ということでいわれています。おそらくこれは、上の三門と下の二門はリンクしていると言われているのではないかと思います。リンクとは連動するとか連結するといった意味になります。そこで上の三門と下の二門のリンクする様子を見ていくことにしますと、『浄土論註』の「我一心」とは天親菩薩の「我一心」ですが、この修多羅では釈迦様の「我一心」になりますね。だからお二人それぞれの「我一心」ということになりますから、ここに複数の「我一心」が登場しているわけです。そしてそのそれぞれの「我一心」が完結する相が「一心」ということでありますから、この「一心」においては、すでにもうそれぞれというのはないと、こういう意味が含まれているのではないかと思います。しかしそうなりますと、これは天親菩薩とお釈迦様お二人だけの問題ではないでしょう。私たちにも何か関係してくるような気がしますね。

 しかしですね、いくら何でも、お釈迦様や天親菩薩と並べたらだめじゃないかということが当然あります。しかし、ここはそういうレベルの違いを述べる所ではありませんから、あえて言えば、上の三門において「我一心」がどれだけあろうとも「一心」は同じであるということでしょう。そして、上の三門は「我一心」から「一心」までの展開をあらわし、下の二門では「一心」を展開する。修多羅にはこういう二つの展開があるということではないかと思います。

 それで、次の「なぜ依るか」ということになりますが、これを「如来はとりもなおさず真実功徳の相であるからである。」と言われます。とりもなおさずとは、同じ内容を違う言葉で言い換えることだそうですから、すなわちという意味ですね。すると如来はすなわち真実功徳の相であるということになります。これをまた言い換えれば、真実功徳の相はすなわち如来であり、その如来である真実功徳の相に二種あると書いてあることになります。 

 

 それでは、次の処を読んでみましょうか。

【 真実功徳相とは、功徳に二種ある。一には煩悩にとらわれた心より生じ、存在の道理にしたがわないもの。いわゆる凡夫の世界の諸々の善根、それによって起こる結果は、因であれ果であれ、みな本末を顛倒し、みな虚偽である。だからこれを真実でない功徳というのである。】 

 ここに「凡夫の世界の諸々の善根」とありますが、この凡夫の世界とは何だろうかと思うのですよ。この凡夫の世界ということでさんざん考えました。はっきりした結論のようなものはありませんが、とにかくどういったものかと自分なりの考えを述べようと思います。

 で、この凡夫の世界とは、ようするに私たちの普通に思うところの世界だと思うのですね。この場合は世間といった方が分かりやすいかもしれませんが、まず、世界という場合は私たちが見る所の世界ですから、私の思いが見ている世界であり、主観というようなものかなと思います。それに対して世間は私たちの生活における身近な環境でしょう。家族や子育て、また親せきや友達関係、ご近所との関係、仕事関係者とのお付き合い、これら実際の生活環境でどのように生きているか、その様子が凡夫の世界だと思うのですね。ここには私の思いだけがあるのではなくて、世間はさまざまな思いの集合体ですから、いろんなものが溢れていますよね。

 すると私の悩みというのは、そのほとんどがこの世間での悩みですね。で、それをここでは煩悩にとらわれた心より生じたものだと言われています。こういう言い方をすれば、もうこれ以上の説明はいらないのじゃないかという気もしますが、では、その次の存在の道理にしたがわないものとはどういうことでしょうか。

 私たちは比較しながら生きているでしょう。誰かと比較する、何かと比較する、こういうことは日常茶飯事ですね。鏡を見てこんなはずじゃないと鏡の中の自分とも比較します。自分の存在を観ようとするときは、そのほとんどが何かと比較している時です。そしてそういうことをしょちゅう繰り返しながら生きているわけですね。しかしですよ、そういう比較ばかりしている私は本当の私ではないと、心のどこかで感じている、と、そんな気もする。どうでしょうか。

 で、世間ということで話をもどしますが、誰もわざわざ悪だくみをしながら世間に生きているわけではありませんが、それでもときどきはそういう悪だくみの中で生きている人もいる。それでもですね、だいたいにして多くの人が善良に生きようとしておられる方ですね。そして自分に良かれと思いながら生きている。それを諸々の善根というのだろうと思いますよ。しかしながら、この悪だくみをしながら生きている人においても、すくなくとも、その人自身にとって良かれと思い悪だくみをしているわけですよ。だからこの悪だくみの者も「凡夫の世界の諸々の善根」に入るかどうかということですが、本人の都合で良かれと思っているのなら入るのではないですか、どんなものでしょうね。まあ、それもこれもで、そして、自分をとりまくさまざまな人間模様や社会的制約とともに法律が混ざり合い、それぞれに結果が生れていく、そして、その結果においてまたそれぞれの思いが生れていくわけですね。

 こういうものを凡夫の世界というのかなと思うのですが、ではなぜこれが本末転倒しているのかということになります。これは私の心というのは分別心のことですから、この分別心とはまた私の自我であり、私の執着心のことでもあります。この分別心が本末転倒した虚偽の心であると言われるのですね。

 私たちは何かことがあると、まるでそこに我があるかのごとくに、おれはおれはとふるまう、これを執着心というのだろうと思います。そのもとにあるのを分別心というのですが、この分別心とは何かといいますと、分け隔てする心ですね。おれとおまえ、おれとあの事とか、おれをあの時おまえはどうしたとか、だんだんめんどうくさくなってきますが、このような分別心が何かの縁で、何かにとらわれていく、そして何かが起きていく。その結果の集合体が今の私の世間ということだろうと思います。だから私たちが普段思っているところの我とは、この分別心のことになるわけです。この分別心をもって生きていることが、世間を生きていくことですから、ごく普通の私たちの姿でしょう。しかし、それは存在の道理からすれば本末転倒であるということですね。

 で、ここからが難しくなります。この本末転倒しているとか、虚偽だとかいわれるのは、なんとなく分かる気がします、だって他人と比べて有頂天になったり、嫉妬や妬みにさいなまれて生きることが良いとは思わないでしょう。他人と比べない本当の自分自身でありたいと思ったりしますよね。だから、わざわざ執着心だとか分別心だとか言わなくても、比較ばかりしてはだめだなあと思ったりしますよ。しかしですね、それが、ここに言われているように、これを「真実でない功徳である」というのはどういうことかということです。このように「真実でない功徳である」と言い切れるのは、これは分別心を超えた、それこそ真実を背景にして、はじめて言い得ることでありますから、私の分別心には無いものでしょう。しかしですね、だからといって何となくは分からないではない、と、どこかではそう思えることもある、と、まあ、えらくあいまいな表現ですが、感覚としたら分からないではないでしょう。

 こういう漠然とした感覚は、実は私たちが死の問題を抱えているからだと思うのですね。なぜならば私の思いとは、私の生において生じる分別心ですから、その生の対極にある死は、生における分別心には入りません。だから、死はいつも私の生の影のように存在するのですね。だとすると、死を感じながら生きるとは、私の分別心を超えた何かを感じながら生きていることになるでしょう。天親菩薩はこの分別心を超える何かを、自らひきい、そして正して「我一心」の心をもって顕されたと思います。つまり、「我一心」からすれば、私の分別心は本末転倒であり虚偽なのです。これを「真実でない功徳」だと言われるのではないかと思います。

 

それでは、その二つめの真実功徳相です。

【 二には、菩薩の智慧による清浄の業にもとづいて、仏の衆生教化の事業を立派に行われた功徳である。これは存在の道理にしたがい、清浄の相にかなっている。この法は顛倒せず、虚偽がない。これを真実の功徳というのである。どのように顛倒せず、虚偽がないかといえば、存在の道理にしたがい、二諦に順じているからである。どうして虚偽がないかといえば、衆生をつつみいれて、もはや変わることのない清浄に必ず入れるからである。】

 これまで、この上の三門の礼拝・讃嘆・作願門を、「我一心」がついには「一心」において完結することを見てきたわけですが。二つめの真実功徳相ではそれを「菩薩の智慧による清浄の業にもとづいて」そして「仏の衆生教化の事業が立派に行われた」と書いてありますね。つまり、「我一心」から「一心」への完結を、ここでは菩薩と仏のはたらきとして言われていることになろうかと思います。では、その菩薩の智慧による清浄の業と仏の衆生教化の事業がどのようなはたらきであったのかといいますと、それが一つめの「真実でない功徳」である真実功徳相です。真実でないというのは、私には分別心しかないということですから、つまり分別心が私であるということになります。この私が分別心であるという、この顛倒した虚偽の姿をそのまま衆生の姿としていただくのですね、これが仏からすれば衆生教化の事業ですね。この衆生の姿を頂くことこそが存在の道理にしたがっている清浄の相であると、そして、それを「二諦に順じている」のだといわれています。

 ここに二諦という言葉がでてきます。この二諦というのは龍樹菩薩の世俗諦と勝義諦のことだと思いますが、また真諦門と俗諦門とも言われています。この二諦の教えは龍樹菩薩の教えとして有名ですが、実際のところはまだ定説とはなっていないとも聞きます。それをですね、ここで詳しく述べることなど当然できないわけですね。しかしながら、ここに述べられている「二諦に順じている」ということがどういうことかというのは、ここの内容の他にはないことにもなるので、ここにおける内容から曇鸞大師の「二諦に順ずる」とは何であるのかを自分なりに見て行くことは出来るのかなとも思いますので、少しこの二諦について考えてみたいと思います。

 で、この文脈からすると、二諦とはやはりさきほどから言いますように「菩薩の智慧による清浄の業にもとづいて、仏の衆生教化の事業を立派に行われた功徳」を二諦に順じているといわれるのだと思いますね。で、まず菩薩の智慧による清浄なる業が、私たち凡夫の世界にはたらきかけているとしても、いきなり凡夫が衆生の姿を成就することなどはないからですね。上の三門は凡夫が衆生の姿へと成就するまでの過程をいわれているのですから、凡夫が衆生の姿へと完結するまでのお育て期間ですね。するとこの「二諦に順じている」とは、凡夫が衆生の姿へと成就するまでを菩薩のはたらきとするのですから、それを「菩薩の智慧の清浄の業にもとづいて」といい、そして、凡夫が衆生の姿として完結するまでの期間を俗諦という。そしてその俗諦は、裏を返せば、仏の衆生教化の事業が立派に行われている功徳ですから、それを真諦という。真諦はこのように俗諦に基づいているから、このような真諦と俗諦の関係を「二諦に順じている」といわれるのではないでしょうか。これ以上に深く掘りさげることは出来ませんが、とにかくこの二諦の問題を、ここでさらっと述べられている、そういうことかなと思ったりしております。 

 

 そして最後の文になります。

【「願偈を説いて摠持して、仏教と相応す」とは、持は散せず、失わないことをいう、摠は少によってつつみとることをいう。偈とは五言の句をいくつかつらねた韻文である。願とは往生をこい楽(ねが)うことをいう。説とは諸々の偈と論とをとくことをいう。まとめてこれをいえば、往生を願う偈を説くことによって、仏の経をまとめて身につけ、仏の教えと相応するのである。相応とは、たとえが函と蓋とがぴったりあうようなものである。】 

 この最後の文はそのまま読んだ方がいいかと思います。これは偈を摠持すると書いてありまして、摠持とは記憶して忘れないようにすることですから、読誦することで、暗記して、空でもこの偈をあげるくらいに身につけるということですね。私たちの日常のお念仏と同じ感覚でしょう。そうすると、次第にこの願生偈の意味と相応してくる、まるで函と蓋とがぴったり合うようになるということでしょう。 

 ところで、これは余談になりますが、ここに函と蓋が出てきますね。この函と蓋の事で少し話をもどしてみたいと思います。さきほど「二諦に順じている」ということで、「衆生をつつみいれて、もはや変わることのない清浄に必ず入れしめるからである」とありましたね。この言葉をあえて函と蓋で言い表すとすると、「衆生をつつみいれて」ですから、衆生はそのつつみいれられるものです。だから函とは衆生をつつみいれる清浄の函ですね。すると、その函につつみ入れられることが「もはや変わることのない清浄にかならずいれしめるからである」ということですから、この函とは菩薩の智慧による清浄の業にもとづいている函ですね。そして蓋をその果とするならば、仏の衆生教化の事業が立派に行われた結果だということになります。つまり、この二諦に順じているということを、ここでは函と蓋でいい表わされようとしているということです。

 もしこのような解釈ができるならば、この函とは衆生を入れる器であり、その衆生はどこまでもひろがる凡夫の世界でしょう。函は衆生の数だけあり、その数がどれだけあろうとも足らないことはない、こういう含みがあります。そして「我一心」から「一心」までをお育て期間などと言いましたが、この函と蓋がぴったり合うのは「一心」においてですね。だからそれまでの期間の函と蓋とが、二諦に順じながら成立していくといった表現をされているのだろうと思います。

 しかし、それでもですね、このあたりの「我一心」のとらえかたが少しめんどうでして、このお育て期間を単なる時系列で考えるとぼやっとしたものになり、もうひとつ釈然としなくなる。しかし、もともと「我一心」は刹那的ですから、この上の三門の「我一心」を、その時々における刹那的な「我一心」は、二諦に順じながら、そしてついに「一心」に完結する、と、このように解釈するのではないかと思っています。この『浄土論註』が顕そうとするのは、単なる時間軸を表現しようとしたものではないことは、何となくですが分かります。例えば、この「我一心」は刹那的でありながら、単なる時間の断片的なものではなくて、刹那的であることによって、そこにふれることが時をも超えているというような内容があります。

 今回でこの『浄土論註』はお休みするつもりです。そして今度は親鸞聖人の書物から、またこの『浄土論註』の続きを眺めていきたいと思っています。

 

 

 

 

『浄土論註』下巻 作願門

令和4年12月 御正忌報恩講より

 

『浄土論註』下巻 作願門

 どのように作願するのか。心につねに願いをなしつづけるのである。一心に専ら(阿弥陀如来を)念じて、ついに必ず安楽国土に往生して、実(まこと)の如(まま)に奢摩他(しゃまた)を修業したいとおもうからである。奢摩他を訳して「止」という。止とは、心を一つ処に止めて、悪をなさないことである。

 この訳名は、おおよそその意味にたがうことはないけれど、まだその意味において充分ではない。なぜかといえば、心を鼻の端(さき)に止めるような[観法]をも止と名づけるし、不浄観[法]は貪[欲」を止め、慈悲観[法]は瞋(いかり)を止め、因縁観[法]は[愚]痴を止めるが、このようなものもまた止と名づける。人が(どこかへ)行こうとして、行かないような場合もまた[中]止という。

 これで、止という、[訳]語は漠然としていて、正確に奢摩他という名をあらわしたとはいえないことがわかる。たとえば、椿やクワや楡や柳のようなものはみな木と名づけるが、もし単に{木}といっただけでは、どうしてそれが楡や柳か決めることができようか。

 ここで奢摩他を止というについては、三つの義(わけ)がある。

 一には、一心に専ら阿弥陀仏を念じて、彼の[国]土に生れたいと願えば、この如来の名号及び彼の国土の名号が、よくすべての悪を止めるのである。

 二には、彼の安楽[国」土は、三界の道をこえているから、もし人が彼の国に生れれば、自然に身や口や意(こころ)の悪を止(や)むのである。

 三には、阿弥陀如来の正覚の、しっかりと衆生をとらえてはなさない力によって、自然に声聞・縁覚[の利己的なさとり]を求める心が止むのである。      

 この三種の止は、如来の実(まこと)の如(まま)の功徳より生ずる。だから、「実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業したいとおもうから」といわれるのである。

    

    ― 御正忌報恩講より 『論註』下巻 作願門について ―

  相変わらず、何となく読んでいけば、それはそれでよく分からないまま通り過ぎてしまう文章なのですが、目を凝らして読み込もうとすると、また違う景色が表れるのですね。この作願門の文を読むと、一年前のちょうどこの御正忌報恩講で話した「我一心について」を思い出します。この文の初めの「心につねに願いをなしつづけるのである。一心に専ら(阿弥陀如来を)念じて、ついに必ず安楽国土に往生して」と書いてあるところなど、そのままその「我一心について」とかなり類似しておりまして、ブログの「我一心について」の方を読んでいただいた方が、これから簡単に説明するよりもよほどいいのではないかと思ってしまいます。ただし、ここに書いてあるのは、「我一心」ではなくて「一心に専ら(阿弥陀仏を)念じて」とありますように「一心」ということです。

 では、「我一心」とこの「一心」とは同じものかそれとも違うのか、と、こういう問題がまずある訳ですが、「我一心について」の、自分なりの理解からするなら同じになろうかと思います。この「我一心」の「我」は、「一心」との関係において成立する「我」ですから、単に「一心」といいましても、これもまた「我一心」における「一心」である、ということではないかと思っています。すると、今回の作願門(下巻)を読ませていただくと、まず「一心に専ら(阿弥陀如来を)念じて」と書いてあります。だからすでに「我一心」においての「一心」ですから、あえて「我」は除いてあるのだろうと思う。しかし、もしそうならば「我一心」とそのまま書いておればいいじゃないか、という疑問もおこるでしょう。

 次に、「ついに必ず安楽国土の往生して」と、その往生への願いがついには成就することが書いてある。この、「必ず」と書いてあるのは、すでに往生は決まっているという意味でありまして、おそらく決まるだろうという意味ではありません。ほとんど決まっているというならば、それは、もしかしたらその願いは叶わぬかもしれないでしょう。だから、ここに必ずとあるのは、それは決定していると言われていることになります。しかし、私たちからしたら、大体にして大丈夫じゃないかといった方が、どちらかというと意味が通りそうです。では、このもう決定しているというのは、いったいどういうことなのかと、ここにも疑問がある。

 そしてまた、この必ずという文字の前に「ついに」という言葉までが添えられています。この「ついに」ということが、ついにそこまで行けばという意味なら、「一心」がついにそこまで成れば必ず安楽国土に往生して、と、こういうことになるでしょう。すると、まだそこまでの過程が残っているということですね。で、その過程を通り越すと、それこそついに必ず安楽国土に往生する。しかし、ついに必ず安楽国土に往生するのなら、今はまだ往生はしていないのではないか、それともすでに往生をしているのか、と、こういうような疑問もあります。

 そして、ついにその安楽国土に往生すれば、そこからいったい何が始まるのか。それは、実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業することが始まるのだ、ということでしょう。こうまでして安楽国土に何をしに行くのかといえば、それは、実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業するために行くのだ、と、言われていることになるでしょう。

 この作願門を読んで、いくつか疑問を作ってみました、こうしてみると、どれもこれもよく分からないし腑に落ちないものばかり。

 で、この作願門にあります「止」は奢摩他といいまして「止観」の「止」の事です。仏教のさとりを「止観」という言葉で現わすのですが、その「止観」の「止」の方が今回のテーマであります。この「「止」の意味が次の文にありますので、まず読んでいきますと、「奢摩他を訳して「止」という。止とは、心を一つ処に止めて、悪をなさないことである。」と、こう説明されています。まずこの「止観」ですが、調べてみたら「止」は「三昧」、「観」は「智慧」だと言われているようです、が、それ以上にはっきりした回答は見つかりませんでした。しかし、とにかくこの「止」を「三昧」で調べると次のようになっております。

 定、正受、調直定、正心行処、息慮凝心、の五つが出て来ます。まず定は、心を一処に定めて動くことがない。正受は、正しく処観の法を受けるとありますから、正しくその観法を受けるという意味だと思います。調直定は、心に暴を調え、心の曲がるのを直し、心が散るのを定める。正心行処は、心の動きを正して、法に合わせるための依処である、とあります。そして息慮凝心については、縁慮を止めて心念を凝結すると書いてありまして、この縁慮というのは対象を捉えようとする心だそうです。また、心念を凝結するとは心を一つに定めることですから、息慮凝心は物事を捉えようとする心を止めて、静かに心を一つに定めることかなと思います。

 で、この説明に従って考えるならば、どれが作願門における「止」なのかということになりますが、「止とは、心を一つ処に止めて、悪をなさないことである」という意味なら、「三昧」のどれもがこの「止」に当てはまるのではないでしょうか。

 次に、この「止」を「不浄観」と「慈悲観」と「因縁観」で説明しておられますね。そして、それだけではこの奢摩他をあらわしつくしていないといわれる。まず「不浄観」ですが、これは死の問題でありまして、人が死んでから腐敗していくまでをじっと観想する。どんなに容姿端麗や美貌の持ち主であっても、その死体は腐敗し、そしてついには骨だけになってしまう、そういう情景を観想して、むやみな欲を止めるということです。

 「慈悲観」は少し難しいですね。仏の慈悲の前では全てが平等であるというような観法だと思いますが、この「平等」という言葉はすぐに賛同される言葉ですが、実際具体的になると、何をもって平等とするかという難問にぶつかる。あちらを立てればこちらが立たぬ、余すことなく平等だというのは、理念としたら魅力的ですが、具体性からすれば不可能に近いと思いますね。で、この「慈悲観」は難しいので少し措いておきます。

 次の「因縁観」ですが、因果応報といいまして、原因がありその結果がある、当たり前のことですが、その因に何かの縁が関わり結果が生じる。こういう道理を因果応報というのだろうと思いますし、そしてこのことを「因縁観」ともいうのだと思います。この「因縁観」は、私たちの人生といいますか、この私が生きるということにおいては業の問題になるのではないでしょうか。業の問題は一人称の問題でありまして、この私が、ここにこうして生きていることにおいての私の業ですから、良いも悪いも今の私は、この私の業において生きているということですね。こういう状況や環境で、こうして来たからこうなったのだという、この道理は当たり前であるがゆえに、大きな尺度にもなると思います。

 信仰ということにおいてもですね、人間がするものですから、その信仰が何かのきっかけで暴走することもある。だから、信心の吟味においても、この因果因縁の道理は大きな物差しになる。物差しとは迷ったときにもとに戻る目安でしょう。いつも気持ちはあっちこっち飛んでいきます。何でも度が過ぎてしまう、信仰や信心も同じです。そういう私たちに足るを知ることを教える。これね、分かっちゃいるけどなかなかそうならない訳ですが、このなるようにしかならないという因果因縁の道理が、今の私の尺度になり、ああそうだったなと何となくでも気持ちを落ちつかせる。ただ、しかしそういう「因縁観」もまた、この作願門の奢摩他をあらわすには正確ではないといわれるのでしょう。 

 まず一通りですが、このように「不浄観」「慈悲観」「因縁観」を話してみました。で、しかしながら、何故ここにこういう観法が載せてあるのだろうかと考えてみた訳ですよ。少し気になる事があるものですから、あえてこの観法を自分なりに踏み込んでみようと思います。そういうことは、この何処にも書いてないのですが、こういうことも言えるのではないかと思いますので、違うかもしれませんが、とにかく話そうと思います。で、どういうことかといいますと、まず、この「不浄観」ですが、「不浄観」は死の観法ですね、すると、自らの死における観法とは何かというと、これは私が死ぬ時ですから「臨終時」のことですね。「慈悲観」はその自らの臨終の時における阿弥陀仏の「慈悲観」ではないか。では、その阿弥陀仏の慈悲とは何かということですが、それは衆生への「平等観」だということです。衆生一人ひとりにそそがれる阿弥陀仏の慈悲の心であります。

 そして、次の「因縁観」が私の業の問題ならば、阿弥陀仏の慈悲はそれぞれの業の深さにあわせて臨終が変わります。三三九品といいまして、上品から下品までの上中下と、そのそれぞれにまた上中下の三種の臨終の様子と往生が説かれています。上品上生から下品下生まで全部救うぞというのが『観無量寿経』の「散善義」ですね。『観無量寿経』は「定善観」とこの「散善義」の二つが説かれていまして、その「散善義」にこういう臨終時の「慈悲観」が阿弥陀如来の来迎として説かれています。この『観無量寿経』の阿弥陀如来の来迎については、今の私たちにはあまりピンときませんが、時代をさかのぼるとかなり宗教的には影響があったのですよ。

 しかし、この「慈悲観」については、実は『観無量寿経』の「定善観」の中の「真身観の仏」に説かれています。仏のはたらきを智慧と慈悲といいまして、阿弥陀仏の智慧の世界とは余すところなく広がる光明の世界観ですね。私たちが良いとか悪いとかいう知恵ではありません。そして、阿弥陀如来の余すところなく広がるその智慧の光は、一人も除くことのない光明の世界ですから、それはそのまま平等の世界観でしょう。その光明の世界観が私一人においても、と、いう時に、智慧の光明はそのまま阿弥陀如来の慈悲心であるということを、この「真身観の仏」に説かれていると思います。なるだけ多くの人に優しくしたいと思っておられる方も多いかと思いますが、また、そういう心がなければこのような阿弥陀如来の慈悲観にも気づかないのでしょうが、仏の慈悲というのは、普通私たちが思う処のやさしさと同じものではありません。

 この『観無量寿経』における「真身観の仏」が阿弥陀仏の「智慧と慈悲」の世界観を顕している。だから『観無量寿経』は「定善観」と「散善義」が説かれているのですから、どちらも阿弥陀仏の「慈悲観」が説かれていることになります。「定善観」は世界観として、そして「散善義」では臨終行儀として。で、この作願門の次は観察門です。その「観察門」にこの「定善観」が関わっているのですね。すると、こういうふうに見て行きますと、『観無量寿経』の「散善義」は、奢摩他の「止」をあらわすにはまだ正確ではないと、こういうふうになるのですね。気になるものですからこういう観点を付けくわえさせていただきました。

 で、この奢摩他の「止」については、次に三つの義(わけ)を言われています。その最初に、「一には、一心に専ら阿弥陀仏を念じて、彼の「国」土に生れたいと願えば、この如来の名号及び彼の国土の名号が、よくすべての悪を止めるのである」と、ここに「一心に専ら阿弥陀仏を念じて」とありますが、この「一心」と「我一心」が違うのかそれとも同じなのかというのが初めに出しておいた問でありました。

 上巻の作願門では「どうして天親菩薩は願生といわれるのか」と、願生ということで言われています。この願生とは阿弥陀仏の国土に生れたいとう願いですが、この願うという場合には、そこに願う処の主体がなければならないでしょう。誰がそう願うのだということですね。私が願う場合は、私の心(我)が願うのだから、私の心(我)が願生するということになります。では、その私の心(我)が本当に願生の主体なのか。このことを上巻では、我とは無生(空)であり虚空のようなものであると言われる。だから私の心(我)といってもそれは亀の甲羅に毛が生えていると思っているようなもので、それは錯覚である。そういう無生(空)のごとき私の心(我)には願生する主体などないぞ、というのが問いかけだったわけですね。

 私たちは漠然とここに願生といわれた場合に、まるでその主体が自分にあるかのごとく思ってしまっているわけですが、そういう私の心というものが錯覚の代物だというのが上巻の説明でした。それじゃあ何がその願生の主体なのかということになります。そこに天親菩薩は「因縁」に願生の主体をおくのだといわれたわけです。ではその「因縁」というのはいったい何だったのか、これが上巻の問いに対する内容でありました。

 先ほどの「三昧」についての説明ですが、その「定、正受、調直定、正心行処、息慮凝心」のすべての主体は私の心であります。つまり、私の心を一処に定める。私の心に正しく処観の法を受ける。私の心に暴を調え、私の心が散るのを定める。私の心の動きを正して、法に合わせるための依処である。私の心の縁慮を止めて私の心念を凝結する。これすべて主体は私の心であり、その心の作用ですね。それに対して上巻では無生(空)をもって私の心の主体を否定されたのですね。そして「因縁」をもってその主体とするといわれます。

 ここで上巻のその「因縁」を思い出していただいて、もう一度作願門の因縁をおさらいしなければならん訳ですが、さあ記憶をたどってくださいてと言ってもですね、これは無理な話なので、よければ後からでも上巻の「因縁」を読んでいただければなと思っております。

 では、端折ってもう一回その因縁とは何かをお話ししますと、この因縁とは身体に属する心の在りようであり、その心の在りように映る私の業の姿でありました。そのどちらが因であり縁なのか分かりませんが、おそらく身体の方が鏡だろうと思っています。そこにそれぞれの私の業が縁として映る。つまり鏡とそこに映る業の関係になります。では、その私の業の姿とは何か、それは私の心である思慮分別心の中でしか生きられないという私の業の姿でありまして、そして、この私にまでになった業の歴史そのものであります。そしてその業の姿こそが名号の義(いわれ)によって、阿弥陀如来の光明に顕かにされた衆生の姿であり、阿弥陀如来が救わなければならない衆生の姿に他なりません。

 この阿弥陀如来の光明とその衆生の関係がついには、阿弥陀如来の正覚の相にまで成就すれば、阿弥陀如来の正覚が成就する相はそのまま衆生の姿でありますから、その衆生の姿も阿弥陀如来の正覚の相に他ならないのであります。名号の義(いわれ)によって、その衆生の姿が成就する。その姿こそが「我一心」の「我」ですね。この「我」を拠り所にする「一心」でありますから「一心」もまた私の思いを超えた「一心」であります。しかし、こういうことはすごく難しい問題でありまして、人間の思慮分別を超えたものを、あえて分かったつもりで整理しようとしているだけですから、実際の信心というわけにはいなかいのですが、こういうことではないかと思います。で、この思慮分別を超えた阿弥陀如来の正覚のときに「一心」であるということですね。

 

 この阿弥陀如来の光明に明らかにされた衆生の姿と、阿弥陀如来の正覚が不二の関係であるといのが阿弥陀如来の正覚の相でありますが、それを思慮分別を超えた実(まこと)の相だというのですね。その実(まこと)の相においてこの「一心」もまた不二の関係だというのがここで言われようとされる処ではないでしょうか。つまり、阿弥陀如来の正覚の相は、衆生との不二の関係であると共に「一心」においても不二の関係であるということです。衆生と阿弥陀如来の関係を安楽国土としてあらわすときは、おそらく場所としての関係でしょう。そして「一心」においては「実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業したいとおもう」ということですから、「一心」は阿弥陀如来の正覚におけるところの菩提の相になります。この場合は時間の相です。

 そして、この菩提の相が何を欲しているのかというのが最後の文になります。「実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業したいとおもい、ついには必ず阿弥陀如来の正覚の成就された安楽国土に往生したい」と欲するのだ、といわれているのですね。「月を指さす」という言葉でいいますと、このときの「月」が安楽国土ですね。そして「指さす」が、今日話しました「一心」です。するとこのときの月は阿弥陀如来の安楽国土であり、阿弥陀如来の正覚の相でしょう。ところが、指さす「一心」も阿弥陀如来の正覚の相です。この「月を指さす」といった場合の月と指の関係は、指さす「一心」があるときに月「安楽国土」ありですね。そして「一心」がないとき月はない。ここにもまた「月を指さす」という場合の不二の関係があります。指さすこちらも安楽国土、指さした月も安楽国土、こういう表現が出来るかなと思いますが、この場合の指と月は離れていますか、それとも離れていませんか。

 こういう話をすると、科学に少し興味がある方はオヤっと思われるでしょうか。こちらに明かりがともると同時にあちらにも同じ明かりがともる。これ「量子もつれ」という現象だそうです。量子力学の「量子もつれ」はすでに実証されています。まだ解明はされていないと聞きますが、何か関係があるのかなとも考えています。物理学を専門に学んだこともありませんので、詳しいこことは分かりません。以前は宗教哲学といいまして、この二つは同じ領域で扱われています。それが最近は科学との境界もなくなりつつある、そういう思いはしております。

 しかし、それにしてもこの下巻の作願門は不思議な終わり方です。五念門の途中なのに完結している。勿論、曇鸞大師が「量子もつれ」を知っていたはずがありませんから、不可解な事だと感じておられたのではないかと、勝手に想像しているわけです。こういう解釈に対して、それはお前の読み違いじゃないかといわれるかもしれませんが、自分としてはこの「月を指さす」という関係は今後も観て行きたいと思います。

 で、いったい次の本論である観察門はどうなったのでしょうか。自分なりに一生懸命考えてみました。おそらくですが、すでにこの観察門らしきものを通ってきたのではないかと思うのですよ。あくまでもそれなりにですが、模擬的にひととおり通ってきた、模擬というのは本物ににせて行うことだそうです。それが一年前の「我一心について」から「礼拝門と讃嘆門」の上下巻をとおして、模擬的にでも観察門を通過してきたのじゃないかと思うのですね。今日はこの辺りで終わらせていただきますが、私たちからみれば、この模擬的な場所からすでに本論ではないだろうかとも思います。次回は親鸞聖人の書物から角度を変えて、この『浄土論註』を訪ねてみたいと思っております。