証巻 正定聚について その④

令和6年3月20日 春彼岸会より

 今日は前回の続きなので、「安楽集」の後、『観経疏』からの引用文「序題門」です。

「弘願というは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり。また仏の密意弘深なれば、教門をして暁(さとり)難し。三賢・十聖測(はか)って闚(うかが)うところにあらず。いわんや我信外の軽毛なり、あえて旨趣を知らんや。仰いで惟(おもん)みれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼(かしこ)に喚(よ)ばい此(ここ)に遣わす、あに去(ゆ)かざるべけんや。ただ勤心(ねんごろ)に法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし。」

この文は『観経疏』「序題門」の最後のところです。また、親鸞聖人は若干この語句を変えておられますが、後程述べることにして、まずはこの引用文の位置づけからしてみたいと思います。

「序題門」は『観経疏』「玄義分」の初めにあります。観経の教義の奥義を述べる初めの部分でありまして、全体の奥義を簡潔に述べられたものだと思います。『観経疏』は『観無量寿経』(観経)を善導大師が註釈し、「玄義分」と「正宗分」の二つに分けてあります。また「正宗分」では「序文義」「定善義」「散善義」の三つに分けてありまして、この内の「定善義」「散善義」が要門と言われるところです。

この「序題門」は短文で格調高く表現されています。まず仏教のいう法性、お釈迦様の出家の理由、お悟りとその後の教化の歩みなどが書かれていますが、何分格調高いので何となくは分かりますが、いざ表現しようとしてもとてもできないので、そこは省略してその次から始めることにします。

「しかるに衆生障り重くして、悟りを取るの者明らめ難し。教益多門なるべしといえども、凡惑遍攬(ぼんわくへんらん)するに由(よし)なし」。この由なしは、手立てがないという意味ですから、要約すれば、衆生は障りが多くて悟りを得るのが難しい。お釈迦様の教えは実りが多くても、凡夫の心は惑いが遍満しているので、せっかくの教えを受けとる手立てがない、と、このように読めば何とか内容に沿っているかなと思います。

次が、「たまたま韋提請を致して、我いま安楽に往生せんと楽欲(ぎょうよく)す。ただ願わくは如来我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえというによる。しかるに安楽の能人は別意に弘願(ぐがん)を顕彰す。」と、なりますが、韋提は韋提希のことですから、韋提希が阿弥陀仏の安楽国土(浄土)に往生したいと請い願い、その浄土の思惟と正受を教えて下さいとお釈迦様に願ったと書いてあります。お釈迦様はその韋提希の願いに応えて、広く浄土の要門を開いた。そして、安楽の能人、つまり阿弥陀仏は別意に弘願を顕彰した、と、このようになるでしょか。で、この韋提希が阿弥陀仏の浄土を選んだところですが、ここの所を「別撰所求」というふうに言われています。

この「別選所求」ですが、その前段に、牢獄に閉じ込められた韋提希が、自分の境遇を嘆き「我がために優悩なき処を説きたまえ」と嘆願するところがありまして、経典の意訳では「この濁悪処は地獄・餓鬼・畜生盈満(ようまん)して、不善の聚(ともがら)多し。願わくは我れ、未来に悪声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かいて、五体を地に投げて、求哀し懺悔す。唯、願わくは仏日、我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ、と」なっています。この最後の所を「教我観於清浄業処」と経典には説かれているわけです。ここはまた後から出て来ますから覚えておいて下さい。

で、お釈迦様はこの「教我観於清浄業処」に応じて、眉間の白毫から光を放たれて、その光の中に諸仏の浄妙なる国土を現わされます。しかし、韋提希はその光の中の浄妙な国土を断り、阿弥陀仏の浄土に生れることを願うのですね。「世尊、このもろもろの仏土、また清浄にしてみな光明ありといえども、我いま極楽世界の阿弥陀仏の所に生れんと楽(ねが)う。唯、願わくは世尊、我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえ」と、意訳にあります。ここが先ほどの「別撰所求」の所ですね。今日はこの「別選所求」にスポットをあてながら話そうかなと思っております。

では、「序題門」の続きにもどりますが。次に要門のことが書いてあります。「その要門とは、すなわちこの『観経』の定散二門これなり。定(じょう)はすなわち慮(もんぱか)りを息(や)めてもって心を凝らす。散はすなわち悪を廃してすなわちもって善を修す。この二行を廻して往生を求願せよとなり。」

定は定善義、散は散善義のことです。この定の「慮りを息めて心を凝らす」とは、目の前の色んな思いを止めて、私たちはいつもいろいろ考えているでしょう。ああでもない、こうでもないと、内容の良し悪しはともかく暇なく考えている。そういう考えることをいったん止めて、心に集中することです。散善は、悪を捨てて善を修するですから、善いことをして悪いことをするなということですね。そんなこと三歳の子供も知っておるではないか、と、言われるのは承知でありまして、善悪は人間の思いと深く関わっていますので、それぞれの人の都合で様々に善悪は変容する。だから生涯を通してこの散善を成し遂げる者はいるだろうかと問われるのですね。この散善義に臨終往生が説かれています。それがこれまでよく出て来ます上品・中品・下品の往生ですね。

ここからが初めの引用文です。「序題門」では、「弘願と言うは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得る者はみな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしとなり」となっているようですが、証巻では「弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり」と少し違っているようであります。そこの処もまたこだわって行きたいと思っております。

で、安楽の能人は別意に弘願を顕彰すとありますが、それでは阿弥陀仏が別意に弘願を顕彰するのはどの辺りかと言うと、それは韋提希が阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う時ですから「別撰所求」においてということになります。しかし、韋提希は散善義の最後「下品下生」で無生忍を得るのですから、阿弥陀仏の弘願が韋提希に顕彰されるのは「下品下生」ではないかとも思うのですよ。しかしここでは、「別選所求」で弘願は顕彰されていることになっています。

『観経疏』を拝読しますと、この「別選所求」のところはどのように述べられているか。まず「玄義分」では「すなわちこれ韋提みずからために別して所求を選ぶ」と、韋提希がみずから選んだのだとなります。また「序文義」の方でも同じように「まさしく夫人別して所求を選ぶことを明かす」ですね。両方とも、韋提希みずからが阿弥陀仏の浄土を選んだと書いてある。しかし、「序文義」の方ではその次に「如来ひそかに夫人を遣わして、別して選ばしめたもうことを致す」とあります。つまり、韋提希はみずからが阿弥陀仏の浄土を選んだのだといいながら、また、韋提希はすでに阿弥陀仏の大悲に摂取されていて、阿弥陀仏の浄土を選んだとも述べられる訳です。

すると、阿弥陀仏の弘願の顕彰を「別撰所求」に観るとしても、韋提希が「下品下生」で得た無生忍までの過程をもって、阿弥陀仏の別意の弘願は顕彰されているのだという言い方にもなると思うのですね。しかし、阿弥陀仏の四十八願は、韋提希にのみにあらず、普く衆生を悲しんで発(おこ)された願ですから、韋提希の「別選所求」の前段である、牢獄でお釈迦様に嘆願して「我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ」という、つまり「教我観於清浄業処」のところですが、この韋提希の願いもまた阿弥陀仏の弘願の促しではないか、それどころか、そもそもこの観経の成り立ちから全てが阿弥陀仏の弘願があらわされているのである、と、このような解釈にはならないか。

もし阿弥陀仏の別意の弘願が、韋提希の「別選所求」で顕彰されるのならば、この「別選所求」において、阿弥陀仏の浄土を選ぶきっかけが何かなければならないでしょう。それでは何故、韋提希はお釈迦様が現した諸仏の浄妙なる国土を断って、阿弥陀仏の浄土に生れたいと願ったのでしょうか。

善導大師は、韋提希が阿弥陀仏の浄土を願う、つまり「別撰所求」を、韋提希みずからの選びがなければ、韋提希自身の願いがどんなに強くても、なお、惑いが生じるといわれています。だからみずからが選ぶために、まずはもって、それぞれの諸仏の国土を現わしたのだと、こういうふうにも言われています。しかし、その次に「優なるを隠して独り西方の勝なるを顕すべし」と述べられます。これは、お釈迦様の優なるを隠して、独り西方阿弥陀仏の勝れたることを顕すべしということですから、次の言葉にも置き換えることができます。「しかるに二仏の神力まさに斉等なるべし。ただ釈迦如来己が能を申べずして故(ことさ)らにかの長をあらわしたもうことは、一切衆生を斉しく帰せしめざることなからしめんと欲してなり。」この二仏とはお釈迦様と阿弥陀仏ですね。神力はここでは優れているということですから、その優れた力はともに等しいが、お釈迦様の優なるを隠して独りかの長である阿弥陀仏の勝なるを顕すべし、です。

皆さんは忘れたかもしれませんが、この置き換えたものは、前回の「安楽集」における正定聚の文です。何故、韋提希は浄妙なる諸仏の国土を選ばずに、阿弥陀仏の浄土を選んだのか。そのヒントがこの文の最後にあります。「一切衆生を斉しく帰せしめざることなからんと欲してなり」です。

この、一切衆生を斉しく帰せしめようと願う阿弥陀仏の弘願が今日のテーマになっております「弘願と言うは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなし」ということになります。そこで、この「生を得るは、みな」の「みな」とはいったい誰のことを言われているのかなとまず思うのですね。

一切善悪の凡夫ですから、この一切善悪の凡夫において、阿弥陀仏の浄土に生を得るものは「みな」と、普通ならこのように読むのかなと思います。また、厳密に言うなら、一切善悪の凡夫の中で、韋提希のように阿弥陀仏の浄土に生れることを願う者は「みな」と、このようになるかなとも思います。すると、韋提希と同じように「別選所求」という自発的な選びが必要でしょう。ところが、韋提希の周囲には、韋提希の無生忍に感化されて、阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う五百の侍女がいました。これは阿弥陀仏の四十八願が普く衆生を摂取していて、韋提希の周囲のものがそれに感化され、みずからも浄土に生れようと願いを発(おこ)すのです。だから、韋提希をはじめそのような「みな」は、阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしということですね。まあ、普通ならこのようになるのかなと思うのです。

善導大師はこの無生忍のことを「定善義」の第七華座観でも述べています。「弥陀を覩たてまつって、さらにますます心開けて忍を悟なり」。また「散善義」の「下品下生」では、「まさしく夫人第七観のはじめにおいて無量寿仏を覩たてまつる時、すなわち無生の益を得ることを明かす」と、第七観の無生忍を述べています。問題は「ますます心開けて」ということですが、「定善義」の第七観で無量寿を覩(み)たてまつり、そして、ますます心が開けて忍を悟るのですから、これは第七観で韋提希が阿弥陀仏に摂取されていく過程を言われているのでしょう。

それでは、韋提希は「別選処求」で諸仏の浄土を断り、阿弥陀仏の浄土に生れることを選びました。そして、「定善義」の第七華座観でますます心開けて忍を悟り、「散善義」の「下品下生」で無生忍を得たことになりますから、『観経』には阿弥陀仏の別意の弘願が全体に流れていて、「定善義」と「散善義」の要門を説きながら、別意に阿弥陀仏の弘願が韋提希をして顕かにされていくのだ、と、このようになります。しかし、これをもって弘願をおさえて、証巻の「安楽集」の引用のあとに措くと、今回の文が読めなくなるのです。

親鸞聖人は韋提希の「別選所求」を、「韋提別選の正意に因(よ)って、弥陀大悲の本願を開闡(かいせん)す」と「化真土巻」に顕されています。開闡は開き明らかにすることですが、これは韋提希の別選の正意を因として、その因によって弥陀の本願が開き明らかにされたと、このように読むのでしょうか。実は、ここからが今日の本題でありまして、親鸞聖人はこの「別選所求」において、弥陀大悲の本願が開闡すと言われています。つまり、阿弥陀仏の弘願を、韋提希が阿弥陀仏の大悲に育まれていくといったような時間の経過には見ないで、「韋提別選」というひとつの出来事に見ておられることになると思うのですね。

何故、韋提希はお釈迦様の現した浄妙なる諸仏の国土を断って、阿弥陀仏の浄土に生れんと願ったのか。その「別選の正意に因って弥陀大悲の本願を開闡す」ですから、韋提希をして阿弥陀仏の浄土を選ばしめたその正意とは何かということでしょう。そして、その韋提希の正意に向かって弥陀大悲の本願が開闡している、そのことを親鸞聖人は弘願と言われているのではないでしょうか。

ここで、「別選所求」の前段に戻りますが、韋提希は「この濁悪処は地獄・餓鬼・畜生盈満して、不善の聚多し。願わくは我、未来に悪声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かいて、五体を地に投げて、求哀し懺悔す。唯、願わくは仏日、我に清浄の業処を観ぜしむることを教えたまえ」、この「教我観於清浄業処」ですが、この「清浄業処」を化身土巻には「本願成就の報土なり」と言われます。韋提希が願った「清浄業処」が本願成就の報土だということは、その「清浄業処」に向かって弥陀大悲の本願が開闡す、と、いわれていることになると思うのですね。

そこで、今日のテーマである「弘願というは、『大経』の説のごとし、一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなし」を読むことになりますが、この「一切善悪の凡夫、生を得るは、みな」の「みな」は、さっきまでの読みでは、韋提希のように阿弥陀仏の浄土に生れんと願うところの「みな」は、阿弥陀仏の大願業力に乗じて(無生忍を得る)増上縁とせざることなし、と、このようになるかなと思いますが、証巻では、この弘願文だけが引用されていますから、そのようには読まない。

では、どのように読むか。「生を得るは、みな」をそのまま読む。一切善悪の凡夫は、一切だからこれも「みな」です。その「一切善悪の凡夫のみな」において、生を得るは、の「みな」ですね。その生を得る「みな」が阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしですから、一切善悪の凡夫である「みな」と、生を得るは、の「みな」は違いますね。では、この生を得るはとは何かということになります。そしてこの生を得るところの「みな」は阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしです。

すると、一切善悪の凡夫の一切は「みな」であり、その中に生を得る「みな」があるでしょう。この一切善悪の凡夫の「みな」と、生を得る「みな」は何が違うのでしょうか。まず、この一切善悪凡夫の「みな」は、一切ですから過去・現在・未来の一切善悪の凡夫です。すると私たちもそれぞれその「みな」の独りです。

韋提希はまず、清浄の業処を観たいとお釈迦様に願うわけですね。その時にお釈迦様は、眉間から放たれた光の中に諸仏の浄妙なる国土を現わしました。この諸仏の国土が、韋提希が観たいと願ったはずの「清浄業処」です。親鸞聖人の「韋提別選」における正意とは、この清浄業処であり、その清浄業処に向かって弥陀大悲は開闡すと言われていると思うのですね。だから韋提希はまずこの清浄業処を観たいと願うわけです。そこでお釈迦様はその清浄業処を浄妙なる諸仏の国土をもって現わされたのですね。

この浄妙なる諸仏の国土とは何か。それは、お釈迦様が見ている一切善悪の凡夫の姿ではないでしょうか。しかし凡夫は自らを一切善悪の凡夫だと知らない。凡夫の関心ごとは自分なのですね。だから自分における清浄なる業処が観たい。しかし、お釈迦様の眼は、一切善悪の凡夫であるがゆえに一切は浄妙なる国土であると、一切善悪の凡夫の「みな」に浄妙なる国土を見ている。このお釈迦さんの眼における浄妙なる国土の世界に、すでに弥陀大悲の本願が開闡されているのだということでしょう。韋提希は何か気づいたのではないですか。

で、ここまでを要約すると、「弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫(において、お釈迦様の見る浄妙なる国土に)、生を得る(ところの善悪の凡夫)は、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざることなしとなり」と、こういうふうになるかと思います。

この「生を得るは、みな」とは、正定聚を輝かすところの深淵なる業の闇をいうのであり、その業の闇をも、お釈迦様は清浄業処の浄妙なる国土として見ておられることになります。その清浄業処にひときわ輝く正定聚の諸仏を見る。その「生を得るは、みな」が阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしです。親鸞聖人は、このお釈迦様の心眼である「清浄業処」に、弥陀大悲の本願が開闡されるのを、増上縁と見ておられることになるのではないでしょうか。

そして、この弘願の次に、「また仏の密意広深なれば、教門をして暁(さと)りがたし。三賢十聖測りて闚(うかが)うところにあらず。」と、まだまだ密意は深く広いので、教門を顕かにしたのではない。そして「況や我信外の軽毛なり。あえて旨趣を知らんや」です。まだまだ信には浅く仏の旨趣を知っているのではない。「仰ぎ惟(おもん)みれば、釈迦はこの方に発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼(かしこ)に喚(よ)ばい此(ここ)に遣わす。あに去(ゆ)かざるべけんや。」この「あに去かざるべけんや」は、どうして去らないでおることができようか、と、いうことでしょうか。去をゆく読みますから、どうしてゆかないことがあろうかと読むのでしょうね。だから、まだ去かないで此にいるということですが、ここにはすでに弥陀が来迎しているから、去かないことがないではないか、と、このように読むのでしょうね。

不思議な表現で、漠然とした感想しか言えませんけど、何か確かなものを見る佇まいですね。そして「ただねんごろに法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし、と」。この「畢命を期(ご)として」は命が終わるときをまって、そして「この穢身を捨てて」は、煩悩具足の凡夫の身を捨てて、「法性の常楽を証すべし」です。命が終わるときに煩悩具足の身を捨てて、法性常楽を証するのである、と、親鸞聖人の信心の深みを、この証巻に顕されたところだと思っています。

証巻 正定聚について その③

令和5年11月26日 御正忌報恩講より

「(如来会)また言わく、かの国の衆生、もしは当に生れん者、みなことごとく無上菩提を究竟し、涅槃の処に到らしめん。何をもってのゆえに。もし邪定聚および不定聚は、かの因を建立せることを了知することあたわざるがゆえに、と。」 

前回までは『論註』を読みながら証巻を進めてきました。今回は少し『論註』を離れて、道綽禅師『安楽集』と善導大師『観経疏』が登場します。今日は邪定聚および不定聚の問題です。

では、まずはじめに邪定聚ということですが、邪定聚は観経の信心といわれます。この邪はよこしまという意味ですから、よこしまに定まる聚(なかま)ということになりますね。また「よこしま」は正しくないとか道に外れているという意味でもあるから、邪定聚は正定聚からすれば正しくないとか、道から外れているということになります。すると、この正定聚の正に対しての邪ですから、正と邪を比べて正が正しいと、語句としては当たり前ですね。しかし、これを往生浄土においてと言った場合、何をもって往生浄土かということですね。すると、この往生浄土の意義は何かといえば、それは、我が心の偽りと、我が身のいたらなさです。我が心が偽りなく、我が身が正しければ、別に阿弥陀仏の浄土往生はいならいのです。心身ともに凡夫の身であるからこそ往生浄土の門は開いているのですから、この場合の正とは、正しい凡夫の身としての自覚です。オレのほうが正しいぞ、お前はよこしまだ、と、高慢からの正と邪ではない、ということでしょう。

 観経は「下品下生」のお救いといいまして、この「下品下生」は、目の前に死が近づいているにもかかわらず、とにかくも自分に何もかもない人のことです。何もかもないというのは、どうしようもない人をいうので、ろくでもない人、言い方はいろいろあるでしょうが、ま、とにかく『観無量寿経』の「下品下生」の処を読んでみます。

「仏、阿難および韋提希に告げたまわく、「「下品下生」というは、あるいは衆生ありて、不善業たる五逆・十悪を作る。もろもろの不善を具せるかくのごとき愚人、悪業をもってのゆえに悪道に堕すべし。多劫を経歴して、苦を受くること窮まりなからん。かくのごときの愚人、命終の時に臨みて、善知識の、種々に安慰して、ために妙法を説き、教えて念仏せしむるに遇わん。この人、苦に逼(せ)められて念仏するに遑(いとま)あらず。善友告げて言わく、「汝もし念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべし」と。かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念々の中において八十億劫の生死の罪を除く。命終の時、金蓮華を見る。猶し日輪のごとくしてその人の前に住す。一念の頃(あいだ)のごとくに、すなわち極楽世界に往生することを得ん。蓮華の中において十二大劫を満てて、蓮華方(まさ)に開く。観世音・大勢至、大悲の音声をもって、それがために広く諸法実相・除滅罪の法を説く。聞き己(おわ)りて歓喜す。時に応じてすなわち菩提の心を発す。これを「下品下生の者」と名づく。これを「下輩生想」と名づく。「第十六の観」と名づく。」

①この語を説きたまう時に、韋提希、五百の侍女と、仏の諸説を聞きて、時に応じてすなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。仏身および二菩薩を見たてまつることを得て、心に歓喜を生ず。未曾有なりと歎ず。廓然(かくねん)として大きに悟りて、無生忍を得。②五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず。世尊ことごとく「みな当(まさ)に往生すべし」と記す。

 この「下品下生」の長い引用の一つひとつを押さえることは出来ませんが、全体的な雰囲気を感じていただければいいのではないかと思います。で、要約すると、一応は凡夫の自覚はあるし、仏に帰依しているものの、日常はてんでそういうものとかけ離れた生活をしてしまっている。その日々は五逆十悪の日々であり、それがいよいよ自らの臨終が迫ってきた。そのときに、善知識から念仏の教えを教わり、その教えの通りに心を集中して念仏しようとするが、苦しさが逼迫してそれどころではない。と、その時に、よき友から「無量寿仏と称すべし」と、声をだして南無阿弥陀仏と称えよと勧められた。その人は無我夢中にひたすら南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と称えた。この無我夢中の念仏は、そのまま無心の南無阿弥陀仏であるがゆえに、その一念一念の念仏に罪が除かれていく。そして、いよいよ命終のとき、その一念のときのように極楽世界に往生するのである、これを聞き己って、念仏とともに歓喜して菩提の心を発した、と、まあ、このような内容かなと思います。

 で、この下品下生のことを考えるときに、道綽禅師の『安楽集』を思いだすのですが、これは以前に、この『安楽集』を読んだ時にことです。読みながら、この『安楽集』という書物は何だろうとずっと考えていましてね。まず読んでも、何を言われようとしているのか分からない。これまで、少しぐらいは難解な書物も読んできたつもりでいましたが、とにかく毛色が違うというか、さっぱり分からんのですよ。内容も難しいが、どういう意味でこういうふうに言われるのかさっぱり分からない。とにかく受け付けないのですね。はじめて本を放り投げました。後からノコノコと拾ってきて、また読み始めましたが、とにかく分からん、ということでした。しばらくしてから、今度は角度を変えて調べることにしました。そのうちに、ふと、ご門徒のある方のことを思いだした。すると、何となく読めるような気がするのですね。

 その方はすごくユニークは発想をされるお人で、毎月のお参りでも話し込むこともよくありました。ある日、いつものようにお参りに伺うと、「この前、具合が悪くなり救急車を呼んだ」と言われるのですよ。で、どうされましたかと尋ねると、とにかくすごく体の具合が悪いと、でも、救急車を呼ぶのは少しためらうでしょう。それでも辛いし、いてもたってもおられず救急車を呼んだそうです。その時に、その方がどうされたのかですが、救急車を待つ間に、痛い場所をマジックインクで丸く囲まれたそうです。一目でどこが悪いか分かるように、辛い場所に印をつけておいた。それで病院まで運ばれたそうです。そのことを聞いて二人で大笑いしましたが、この事を思いだした。

 この話と『安楽集』がどんな関係があるかということですよね。まあ、とにかくフトそのことを思いだしました。すると何となく読める気がしたのですよ。つまり、道綽禅師も、自分も分からないと言っているのではないかということです。ただしかし、ここだと、ここが要だと、でもオレもよく分からないのだ。そういうことかなと思いました。だからこの『安楽集』は道綽禅師の直感の書であり、大事な場所をいろいろと抜き出してある。そしてそれは仏教においてもすごく大事なことであるが、しかし自分もまだそれがよく分からないのである。だからそこに印の○を付けておいた、そういう書である、と、まあ、このような思いがしたわけです。すると何となく読めるような気がしたわけですね。

 そのひとつに、観経のことで言われている処がありますので、まずそこを見ながら「下品下生」のことを考えようと思います。「弥陀の浄国は位上下を該(か)ね、凡聖通じて往くことを明かす。教興の所由を明かして時に約し機に被(こうむ)らしめて浄土に歓帰せしむれば、もし教時機に赴けば修し易く悟り易し、もし機と教と乖(そむ)けば修し難(がた)く入り難し。」

 難しい表現ですので詳細に説明はできませんが、この「位上下を該(か)ね」の該は当てはまるという意味だそうです。「位の上下が当てはまり、凡夫と聖とが共に通じて往生することを明らかにした」と、こういう言い方が出来そうですね。つまり観経は上品から下品までの九品の位があったとしても、上品の聖と下品の凡夫とが同じように通じていることを明らかにした、と、こういうふうになるのだと思うのですよ。

 で、その理由が次にあります。観経の教えが興るゆえんとは「時に約し機に被らしめて」ですから、観経の教えが興る理由は、その機が熟す時において興るのであり、その時に(はじめて)浄土を歓び、浄土に帰らしめるのである、と、このような意味でしょう。そして、このことは上下を通じてすべて当てはまるのである、と、こういうことかなと思うのですね。だから、機が熟さなければ上品の聖であろうが、また、下品の凡夫であろうが、浄土を歓び帰らしむることはないということですから、浄土に帰らしむるのは機が熟すかどうかによるのであって、上下は関係ないということですね。では、その機が熟すとはどういうことなのかといいますと、それは観経に説かれている王舎城の悲劇を通して、韋提希の機が熟していきます。

 この観経に説かれた王舎城の悲劇は、善導大師の「観経疏」序分義にも書かれており、有名な物語ですので、いずれ話したいと思っておりますが、今回の「下品下生」は、観経の最後の処であり、韋提希が救われて無生忍を得るところの最後の部分になるでしょうか。

 それでは、さっき読んだ「下品下生」①のところをもう一回読んでみましょうか。①「この語を説きたもう時に、韋提希、五百の侍女と、仏の諸説を聞きて、時に応じてすなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。仏身および二菩薩を見たてまつることを得て、無生忍を得。」

 この①を「観経疏」は「まさしく夫人第七観において無量寿仏を見たてまつる時、すなわち無生の益を得ることを明かす。」と、書いてあります。善導大師は、韋提希が第七観で無量寿仏を見たてまつり、そして、無生(忍)の益を得たといわれますね。この第七観とは定善観の第七観のことですが、今話しているのは、その定善観ではなくて、次の散善義であり、その散善義でも最後の下品下生のところです。善導大師は、韋提希が定善観の第七観華座観で無生の益を得たといい、そして下品下生で無生忍を得たといわれているのですが、これはどういう意味だろうか。

 そこでまず、この第七観の前、つまり第六観ですが、この第六観は「宝楼観」といいまして、「総観想」という別名があります。「名づけて粗(ほぼ)極楽世界の宝樹・宝池・宝地を見るとす。これを「総観想」とす。「第六観」と名づく。」と、経典に書かれています。この第六宝楼観の「粗極楽世界」の粗(ほぼ)は、おおざっぱ、きめ細かでない、荒っぽいなどの意味ですから、つまり韋提希はこの「第六観」でまだ大ざっぱではあるが極楽世界を見て、そして無量寿仏を見たてまつります。だから、韋提希が見たてまつるところの無量寿仏もまた、韋提希にとってはまだきめ細やかな無量寿仏ではなかった。そこで、韋提希は第七観において「世尊、我いま仏力に因るがゆえに、無量寿仏および二菩薩を見たてまつることを得つ。未来の衆生、当にいかにしてか無量寿仏および二菩薩を観たてまつるべき。」と、お釈迦様に問いかけるということになるでしょう。

 この、お釈迦様の力によって、こうして無量寿仏を見たてまつることが出来ました、しかし、お釈迦様がおられない未来の衆生はどうしたら無量寿仏および二菩薩を観ることが出来るのでしょうか、という韋提希の問いに対して、第七観の華座観が説かれていきます。善導大師は、韋提希が得た無生の益が、未来の衆生への問いになっているといいたいのだろう、と、そのように考えておるのですが、そして、その韋提希の問いが、第七華座観を通して、最後の下品下生でその答えを見る、と、善導大師は言われておるのかなと思うわけです。

 そして②の「五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず」ですね。ここのところを観経疏では「まさしくこの勝相を覩(み)て、おのおの無上の心を発して、浄土に生ぜんと求むることを明かす。」と、書いてあります。この「覩」は視線を集めて見る、はっきりとわかる、見てとる、理解するなどの意味ですね。韋提希の側にいた五百の侍女もまた、無生忍を得た韋提希の姿を見てとって理解した。そして自らもまた無上の心を発して、浄土に生れることを求めた、ということですね。そして、世尊ことごとく「みな当に往生すべし」と記す、です。

 この時に五百の侍女もまた、韋提希と同じように阿耨多羅三藐三菩提心を発したとありますが、これを「安楽集」では「時に約し機に被らしめて」とありまして、約とは誓ということですから、機はこの場合は韋提希でありますが、側にいた五百の侍女も、韋提希が無生忍を得たことを覩て、同じように極楽世界の広さそして深さを観ている。つまり、機がまだ熟さない五百の侍女も、韋提希と同じように極楽世界の誓に、浄土の広長の相(すがた)を観た、と、このように思っております。余計な事のようですが、この五百の侍女が何処まで広がるかといえば、ここに御参詣いただいている皆様もそこに入るということでしょう。居眠りしておられてもですね、時を超えて、いまもこの場において、その極楽世界の広長の相が誓われているということではないでしょうか。そして、世尊ことごとく「みな当に往生すべし」です。この響きはいいですね。

 この観経の信心は「下品下生」にあると言われておりまして、私たちの姿そのものがこの「下品下生」であるとおさえられております。そしてこの「世尊ことごとくみな当に往生すべし」に見る、浄土への「みな」とは、みなそれぞれが浄土への道を頂いていくことですね。こんな私が浄土に往生するのか、こんな私だからこそ浄土往生をいただくのか、と、世尊のことごとくみな当に往生すべしに感動するわけがそこにあるのですね。

 そして少し角度を変えて、韋提希のことを考えてみますと、その後の韋提希であります。お釈迦様がおられない未来の衆生にこの韋提希本人もいるとしたら、その後の韋提希はどのように生きたのだろうか。無生忍がどういった悟りなのか何も書いてないので、この無生忍を得ることが韋提希にとって何だったのかと、その後の韋提希に見ることは出来るだろうかと思っています。

 さて、親鸞聖人はこの「ことごとく、みな当に往生すべし」の「ことごとく、みな」という世界を邪定聚と言われるのでしょうね。するとこの「ことごとく、みな」の世界がよこしまな心だろうかということですが、そういうことはないでしょう。証巻の正定聚は、往生するものとすでに往生を得たものが響き合う世界であるといわれます。観経の「下品下生」にある「ことごとく、みな」は、浄土往生への機会均等のなかまではあるが、まだ正定聚のように往生するものと往生を得たものとが、響き合い出遇う世界ではないのである、と、このように言われるのかなと思っております。

 それでは、邪定聚はこのくらいにして、今度は不定聚とは何かということですが、これは阿弥陀経の信心だと言われております。ああそうか、阿弥陀経の世界だなと納得される方もおられるでしょうが、この阿弥陀経の信心は「論註」ですでに述べていると自分では思っておりまして、「論註」の持つ立ち位置が、この不定聚から正定聚を得ることを眼目にしたものかなと思います。だから、その個所を押さえると、この不定聚と正定聚の違いが見えてくるのではないでしょうか。

 では、それはどこに言われるのかと言いますと、「論註上巻」讃嘆門にあります。最後の文です。「もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。」と、ありまして、曇鸞大師はここでは声聞の論ずる中の説だと言われますが、この声聞が論ずる中の説を、親鸞聖人は不定聚といわれるのでしょう。

 曇鸞大師がこの「論註」を顕すにおいて、何がその主たるテーマかというと、それは菩薩の死であり、そしてその菩薩の死を超えるということですね。菩薩はある程度まで行くと、これ以上求めるものもなく、済度する衆生もいなくなるといわれます。つまり声聞に引きこもるのですよ。これを菩薩の死といわれるのですが、ここをどう超えるか、これが曇鸞大師の大きなテーマでありますから、声聞は少し厳しい言い方かもしれないが、大乗に目を開けと、叱咤激励で声聞という言葉を使われるのかもしれません。そして、ここで言われる不定聚とは、すでに阿弥陀仏の浄土往生を得たものだと思いますね。しかし何かが足らない、それがさっき話した「下品下生」にある最後のところです。

廓然として大きに悟りて、無生忍を得。五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず。世尊ことごとく「みな当に往生すべし」と、記す。

 この阿耨多羅三藐三菩提心は無上等正覚といわれまして、菩提心という字が付いているように、無上の等正覚とは無上の菩提心なのです。かの国、つまり阿弥陀仏国に生れんと願う無上の菩提心ですね。邪定聚には菩提心はあるが、それは浄土往生へのそれぞれの願いですね。それに対して不定聚は阿弥陀仏が三千大千世界をすべてつつんでいることを悟るが、その浄土は諸仏が生れ続けており、諸仏が広くすみずみまで行きわたる菩提そのものの相であることを知らない。そして、この度往生のものとすでに往生を得たものが響き合い、出遇い、そしてあまねく十方無量のほとりなき世界をつつむ正定聚の相であることも知らないのだといわれるのでしょう。

 ところで、証巻の初めの処にあります願成就文に、「また言わく、かの仏国土は、清浄安穏にして微妙快楽なり、無為泥オンの道に次(ちか)し。それもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧高明にして神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形異状なし。ただ余方に因順するがゆえに、人・天・の名あり。顔貌(ぼう)端政にして世に超えて稀有なり。容色微妙にして天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたるなり、と。」

 これは、かの仏国土である、正定聚の浄土を描いておられるわけですが、なかなか不思議で分からん内容です。これを阿弥陀仏の浄土はいろんな方がおられると読めば、正定聚どころか、不定聚も邪定聚もおられるし、それどころか菩薩や声聞、天や人もおられるではないか。

 この度往生するものからすれば、すでに往生を得たものは諸仏と見られるのでしょうね。また、すでに往生を得たものからすれば、この度の往生のものは諸仏です。すると、この正定聚の浄土には諸仏のみがおられるのかというと、そうではない。この願成就文には普通の人がいたり、天や声聞、菩薩がいたりしてなかなか混乱するところですね。

 このことで思うのは、往生のものとは、往生の人だということですね。この度往生する人は、様々なご縁を頂きながら、この度ここに浄土往生するのです。その人はいままで多くの人に影響されながら、出会いながら、そして浄土の教えをいただき、この度往生する人です。具体的に言えば仏教の教えを訪ね、浄土の教えを聞き、念仏の教えをいただいて、はじめて往生の道をいただくのですね。こういうご縁がなければ難しいのですよ。一人で切り開ける方がどれくらいおられるでしょうか。それに対して阿弥陀仏の浄土はつないでいくいのちです。この度の往生においては、菩薩のお育てがあり、声聞を叱咤されて、多くの人と出会いながら、浄土のいのちに触れて、さまざまなお育ての中で、今日の往生の人がいるのですね。そしてまた、その往生のものである一人ひとりが、それぞれの背景をもって往生されるのです。浄土はその諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいる。そして、その往生のものは、生まれ育った因縁も環境も背景にしています。その全てがこの浄土往生の時、この一人において実を結ぶわけです。その時の浄土の願成就をこのように顕わされているのだろうと思います。

 それでは、道綽禅師の「安楽集」を少し見て終わりにさせていただきますが、前回の証巻の話が「清浄功徳」でしたので、次は「安楽集」からの引用になります。

 『安楽集』に云わく、①しかるに二仏の神力、また斉等なるべし。ただ釈迦如来己が能を申べずして、故にかの長ぜるを顕したまうことは、一切衆生をして斉しく帰せざることなからしめんと欲(おぼ)してなり。このゆえに釈迦、処々に嘆帰(たんき)せしめたまえり。須(すべか)らくこの意を知るべしとなり。 ②この故に曇鸞法師の正意、西に帰るがゆえに、『大経』に傍(そ)えて奉讃(ぶざん)して曰く、 ③「安楽の声聞・菩薩。人天、智慧ことごとく洞達(とうだつ)せり。身相荘厳殊異(しんそうしょうごんしゅい)なし。ただ他方に順ずるがゆえに名を列(つら)ぬ。顔容端政(げんようたんじょう)にして比ぶべきなし。精微妙躯(しょうみみょうく)にして人天にあらず、虚無(こむ)の身(しん)、無極(むごく)の体(たい)なり。このゆえに平等力を頂礼したてまつる」(讃阿弥陀仏偈)と。

 まず、③のところですが、これは「讃阿弥陀仏偈」にある文で、曇鸞大師が正定聚を述べられているところです。今しがた読んだ「願成就文」では「それもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧光明にして神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形異状なし。ただ余方に因順するがゆえに、人・天の名あり。顔貌端政にして世に超えて稀有なり。容色微妙にして天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたるなり、と。」こうなっております。

 「願成就文」と「安楽集」の③とに何か違いがあるだろうか。詳細に観たらあるかもしれませんが、内容はほぼ同じです。『大経』の願成就文を曇鸞大師がこういうふうに言い換えたといっても差し支えないとも思いますが、では、顕著な違いは何かというと、①と②の加筆文ですね。この加筆された前の処を観ると、お釈迦様がおられなくなった後のことが書いてあります。お釈迦様がなくなられた後に疫病が流行り出して国は混乱の極みである、と、しかし、もうお釈迦様はお戻りにならないというようなことが書いてあります。そしてその後に続く文がこの①②③の引用文です。二仏はお釈迦様と阿弥陀仏です。これは韋提希が問うた「未来の衆生、当(まさ)にしてか無量寿仏および二菩薩を観たてまつるべき。」と同じ意味になりますね。この『安楽集』のところを、証巻の「清浄功徳」の後に載せられていることになります。つまり親鸞聖人は「清浄功徳」の前後に「願成就文」と「安楽集」と二つ正定聚を措かれていることになります。

 そして、「安楽集」の引用①の処です。「このゆえに曇鸞法師の正意、西に帰るがゆえに、『大経』に傍えて奉讃して曰く、」とありますが、「讃阿弥陀仏偈」では「願わくは諸々の衆生とともに安楽国に往生せん。南無して心を至し帰命して西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。」と、繰り返し述べられる「讃阿弥陀仏偈」での反復の言葉でありまして、正定聚だけに使われたのではありません。

 道綽禅師が言われる西とは、おそらく身体の死のことだと思うのですね。つまり、私たちが普通に考えているところの死です。しかし、この死の問題を述べられるのは道綽禅師であり、曇鸞大師が「讃阿弥陀仏偈」で述べられているのではないのですね。それをあえて身体の問題と曇鸞大師の正定聚をくっつけておられる、と、そう思われるのです。

 親鸞聖人は善導大師の身体的な問題を正定聚につつみ入れて、「論註」の「大義門功徳」にある「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と顕され、そしてそれを「清浄功徳」とされました。そしてまた、この「安楽集」の文をその「清浄功徳」の後に措かれたことになります。「清浄功徳」にある「すなわちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得」、つまり、この身において涅槃分を得ることがどのようなことか、それがこの「安楽集」の引用文であるということになるかと思いますが、もう少し見ていきたいと思っております。

 

 

 

 

 

証巻 正定聚について その②

令和5年9月23日 秋彼岸会より

(付録)ー「淄澠の一味なるがごとし」の意味をみると、淄と澠は斉の国にある川の名であり、この二つの川が異なった味を持ちながら海に流れ込めばそのまま一味になるといわれます。しかし、この「淄澠の一味なるがごとし」に、親鸞聖人は(食陵の反)の文言を付けくわえられておりまして、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」と「大義門功徳」を読みかえられています。このことについて「正定聚その①」の不足分として、今回の「正定聚その②」の前に(付録)を付けておくことにしました。ー

陵はみささぎと読み、王の墓などを意味しますから、この食陵をそのまま読めば王の墓を食うというような意味になります。ここでの王とはもちろん阿弥陀仏のことになりますから、阿弥陀仏の墓を食うということになる訳です。では、その阿弥陀仏の墓とは何か。もしこの墓の意味するものを一言でいうならば、阿弥陀仏の浄土が成就するとき除外されているものということでしょう。すると、ここに言われている食陵とは、その除外されているものを食うという意味になります。そしてその反(かえし)がこの「淄澠の一味なるがごとし」に付け加えらた意味になります。これらのことを前回の最後に話しました。今回はその続きでもありますから、この「食陵の反」をもう少し見ていきます。

宇宙の壮大さとは、漆黒の宇宙における星群の共演です。様々な星や銀河がありますが、普段私たちは圧倒されるほどの銀河を夜空に見ることはできません。しかし、本来の夜空にはその圧倒されるほどの星が降り注いでいます。もしそれらを間近に観ることができたら、その満天の星に感動をも覚えるでしょう。しかし、その満天の星を彩るところの漆黒の闇までを観るものは少ないはずです。しかし満天の星はその深淵なる漆黒の闇に輝く星なのです。もし満天の星の共演を浄土の相(すがた)とすれば、阿弥陀仏の浄土が成就するとき、そこに除外されている深淵なる漆黒の闇を、王の墓、つまり陵(みささぎ)という意味にあたえることは出来ないでしょうか。

淄川をどす黒い漆黒の闇だとするならば、澠川は亀のような生き物が住む川です。この二つの川が混ざりあう時、漆黒の中に飲み込まれる澠川の生き物の姿に、闇に閉ざされていく私たちの業を連想します。親鸞聖人は「淄澠の一味なるがごとし」にこの(食陵の反)を付け加えられ、聖人独自の意味に変えられています。その(食陵の反)の意味とは何か、それは阿弥陀仏の浄土を浄土たらしめるところの漆黒の闇をも見据えて、そして、往生の光を得た自らも、また、この深淵なる漆黒に浮かぶ星の一つであると、自らの信心を述懐されているのだと思うのです。

証巻 正定聚について その②

(証巻の文)「また、『論』(論註)に曰く、「荘厳清浄功徳成就」は、「偈」に「観彼世界相 勝過三界道」のゆえにと言えり。これいかんぞ不思議なるや。凡夫人の煩悩成就せるにありて、またかの浄土に生るることを得ば、三界の繋業畢竟じて牽かず。すなわちこ煩悩を断ぜずして涅槃分を得、いずくんぞ思議すべきや。」

(論註下巻)「荘厳清浄功徳成就」の 解読文

(一点のにごりもない)清浄さとしてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「彼の世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。凡夫人の、煩悩にみちているものでも、彼の浄土に生れることができれば、三界につながれてはなれることができない業のきづなも、ついにはそのはたらきを失う。つまり、(法の徳のゆえに)煩悩を断じえないまま、しかも涅槃の分を得るのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。

「荘厳清浄功徳成就」略して「清浄功徳」は、観察門の国土荘厳十七種の第一種目にありまして、国土荘厳の総相といわれます。本来なら、この「清浄功徳」が前回の三つの「功徳成就文」の前にあるはずですが、証巻では、国土荘厳の順番が逆になっていまして、「清浄功徳」がこの三つの「功徳成就文」の後に措かれてあります。これは、要するに十七種の中で、この「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三種の功徳文をもって国土荘厳とされたということでしょう。そしてまた、この三種の後に「大義門功徳」の一部だけを付けくわえられております、それが、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」ですね、そしてその次に、この「清浄功徳」を顕しておられます。今回はこれらのことを含みながら読んでいけたらと思っております。

まずは、論註の下巻に気になることが書いてありますので、そちらの方から国土荘厳を見ることにしますが、そこに何が書いてあるのかといいますと、相似相対だと書いてある。相似というのは似ている形態ということで、姿形や性質が写したようによく似ているということですね。相対の方は向かい合う、または対立するとか、関係を持ち合って成立するという意味だそうです。で、この国土荘厳十七種は相似相対であると書いてあります。

そして、この国土荘厳の十七種は摩尼如意宝において相似相対すると書いてあります。これは何を言っているのかといいますと、まずこの摩尼如意宝ですが、まあ、よく分からんわけです。とにかく不思議な表現でありまして、でも、これをあえて現代風にアレンジして言えば、おそらくドラゴンボールのようなものでしょうか。この珠を得ればいかなる願いもかなえてくれるという、不思議な摩尼如意宝珠です。国土荘厳はこの如意宝珠が相似相対するといわれているのですね。つまり、国土荘厳十七種は、この摩尼如意宝のように不思議であり、それは相似相対する、と、このようになります。

こういう処はあまり関わらず通り過ぎても構わんのかなとも思いますし、これにこだわってどうするんだとも思いますよ。しかしですね、あえてこだわると、国土荘厳十七種のそれぞれが摩尼如意宝であり、その十七種は相似相対しているということであります。

「多盲のゾウ」という譬えがありまして、これは目が不自由な人たちが集まって、それぞれがゾウに触れてみる。すると、ひとりは足を触りゾウは大きな木のようだという。鼻を触ったひとは長い管のようだという。もうひとりは耳を触って大きな葉っぱのようだといい、もうひとりはお腹を触り山のようだという。それぞれが自分の触った感覚でゾウを表そうとしたが、結局は誰も本当のゾウの姿を知る者はいなかったという話ですが、このゾウを「真理」と言い換えればすごく哲学的になりますし、また「生死」と言い換えれば宗教的にもなります。で、お分かりのようにこの「ゾウ」とは何かということです。

国土荘厳の場合は十七種それぞれに摩尼如意宝というゾウがいる、摩尼如意宝とは何でも願いがかなうといわれる不思議な如意宝珠ですから、現代風にいえばドラゴンボールかなと思うのですね。ドラゴンボールは7個集めるとどんな願いでも一つだけかなう。このひとつだけというのがみそですが、摩尼如意宝はこの十七種がそれぞれ摩尼如意宝だから、十七の摩尼如意宝珠があるわけです。でも、摩尼如意宝は一つしかない。ここに理屈に合わんものがあるわけですね。また、この摩尼如意宝は十七種に分かれていながらも、それぞれが摩尼如意宝であると説かれているのですが、この摩尼如意宝をそれではだれが十七に分けたのかといえば、摩尼如意宝自身であるというわけですね。

国土荘厳が相似相対するというのは、この摩尼如意宝が自らを十七種に顕して、そしてその摩尼如意宝がそれぞれ相似相対するということだと思うのですよ。もうこの辺になるとよく分からんでしょう。不思議な表現ですね。

しかし、この摩尼如意宝とは国土荘厳を顕しているのですから、仏土つまり仏国土の不思議を顕す譬えですね。つまり、国土荘厳を不思議な摩尼如意宝の譬えで表現したということでしょう。で、この摩尼如意宝は何でも願いをかなえる不思議な珠です。そして、その珠を得ればどんな願いもかなう、こんなふうに聞けばまるでドラゴンボールのようじゃないですか。ところが、この摩尼如意宝は国土荘厳の譬えですから、じゃあこの国土荘厳とはドラゴンボールのようなものかといえば、違います。

国土荘厳は阿弥陀仏の浄土のことですから、完成された仏国土です。不足という字が無いのですね。しかし摩尼如意宝の譬えでは、あなたが不足しているものを与えましょうということですから、本来この国土荘厳と意味が違いのですよ。では、なぜ国土荘厳を摩尼如意宝に譬えるのか、それは自らこの国土荘厳を顕すためだということです。国土荘厳を十七種に分けて、それぞれの角度から国土荘厳を顕す。そういう仏国土として十七種の立場を造ったということでしょう。完成しているからこちらから見えないし、見られる必要もないけれど、観るこちら側に立って、あえて欠損させてそこを見せる。すると、欠損したところから見れば、その不足したものを満たす国土が荘厳されている。それはまるでその願いが満たされているかのようだから、摩尼如意宝のようであるという。それが十七種あり、そしてその十七種の国土荘厳はそれぞれが相似相対するといわれるわけです。相似相対しているというのは、似ているものが並んで見えるということでしょうか。

私たちはドラゴンボールの方はすぐ分かるし、そっちの方が魅力的ですね。しかしそれは現実的ではなくてファンタジーですね。私たちは足らないことばかりですから、あれがあればいいな、こうなればいいな、と、ずっと考えていませんか。だからドラゴンボールの方はすぐに分かるし、そちらがおもしろそうでしょう。それは私たちが完成していないからですが、とにかく足らないものがいっぱいある。これが私たち凡夫の姿ですね。

国土荘厳の「清浄功徳」とは、そういう私たち凡夫から見た仏国土です。「(一点のくもりもない)清浄さとしてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「彼の世界の相を観ずるに、三界に道に勝過せり」といわれているからである。」と、まず、国土荘厳の総相として私たちに最初に顕された清浄の国です。

ところが、聖人はこの国土荘厳十七種から「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三つを選んで「清浄功徳」の内容とした、つまり、この三つをもって「国土荘厳」だとしたということですが、その次にまた「大義門功徳」を一部とりあげて載せてあります、その中に、「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」という言葉がある。この言葉を少し取り上げて前回が終わりましたので、冒頭に付録をつけてもう少し詳しくしております。

で、この証巻の「清浄功徳」の前に、「また、『論註』に曰く」と書いてあるでしょう。この「また」は、三種の功徳文と「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」のどちらにもかかっているわけですが、どちらかといえば「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」の方に重きを措かれていると思っているわけです。

『浄土論』での「清浄功徳」は、「偈に「観彼世界相 勝過三界道」と言えるがゆえに。」とこれだけです。これを曇鸞大師が開かれて、今回の「清浄功徳」の文になっています。そして、この国土荘厳十七種では、「清浄功徳」の次にあるのが「量功徳」です。『浄土論』では、この「量功徳」もまた「偈に、「究竟如虚空 広大無辺際」と言えるがゆえに」とこれだけでして、「清浄功徳」と同じような表現になっています。聖人はこちらの「量功徳」の方は引用されていませんが、この「量功徳」を曇鸞大師がどのように開かれたかを見たいと思いますので、上下巻の両方とも読むことにします。

まず上巻の方から。解読文より、上巻は長いので(その一)と(その二)とに分けてあります。

「「荘厳量功徳成就」究竟して虚空の如く、広大にして辺際無し」この二句は荘厳量功徳と名づける。(その一) 仏がもと、この荘厳量功徳を起こされた所以は、三界を見られるに、狭く小さく、土地がくぼんだところや裂けたようなところがあるかと思えば、小高いところや水面に土が盛り上がったところがある。あるいは宮殿の高どのは迫くきゅうくつであり、土地田畑はせばまってせまくるしい。また、どこかへ行こうとしても路はせまく、あるいは山や河が行く手をはばみさえぎり、あるいは国境にへだてられて行くことができない。このようにさまざまのせわしなさで息ぐるしく、うろたえるようなことがある。だから菩薩はこの荘厳量功徳の願いを興され、我が国土は虚空の如く広大で辺際ないように願われたのである。

(その二) 虚空の如しとは、この国に来生する者がいかに衆(おお)くても、なお一人もいないように感じられるほどだという意味である。広大にして辺際なしとは、上の虚空の如しという意味を全うするものである。つまり、どうして虚空のようかといえば、広大で際限がないからである。量功徳の成就とは、十方衆生の中の往生する者ーすでに往生したもの、これから往生すべきものーは量りなく、はてしなくあっても、つづまるところ常に虚空のように広大で際限なく、終に満ちてしまうときがないということである。だから「究竟にして虚空の如く、広大にして辺際無し」といわれているのである。

問う。維摩居士などは、小さな部屋に、高さ八万四千由旬の獅子座を三万二千つつみ入れて、なお余りがあったという。どうして国の界のはかりないところにかぎって広大と称するのか。答う。ここにいう広大は、必ずしも五十畝を畦といい、三十畝を畹というような場所の広さを喩えにしているのではない。ただ空のようだというのである。そのうえどうして部屋の広さなどのたとえにかかずらう必要があろうか。また維摩の部屋がつつみいれるのは、狭いところにあって広いのである。厳密に結果の優劣を論ずれば、どうして広いところにあって広いというのに及ぼうか」

次に下巻から。解読文より。

「これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。彼の安楽国の人天(ひとびと)は、もしこころに宮殿楼閣の広さを、あるいは一由旬あるいは百由旬あるいは千由旬にしたいとおもい。(またその部屋数を)千間、万間にしたいとおもえば、心のままにそうなり、人それぞれにおもいどおりになるのである。また、十方世界の衆生が往生を願うに、すでに生じたもの、今生じたもの、これから生じるもの、一時一日の頃(あいだ)の数をかぞえても、それがどれくらいの数になるか知ることができないほどである。にもかかわらず、彼の世界はつねに虚空のごとくであって、せまっくるしさがまったくないのである。彼の安楽国土の中の衆生は、このような量(ひろさ)の中に住んで、自ずとその志願が広大になることもまた虚空のようで、まったく限りがないのである。(つまり)彼の国土の量(ひろさ)になっているのであるから、どうして(われわれが)思いはからうことができるであろうか。」

この論註上下の「量功徳」を比べると、一応上巻では(その一)と(その二)に分けましたが、下巻では(その二)の方を主に述べられていると思うのですね。読んでいただければいいのでして、間違いなら指摘してください。

で、下巻の方を読むとわりと分かりやすく、例えば「彼の安楽国土の中の衆生は、このような量(ひろさ)の中に住んで、自ずとその志願(ねがい)が広大になることもまた虚空のようで、まったく限りがないのである」と、このような文章になっているでしょう。志願にしたがって世界の広さは虚空のようにもなる、と、その志願が広大な世界を見せていくというような、いわば、心象的な世界観が窺われます。

このことについて、善導大師が述べられているところが観経疏にありますので、そこのところを紹介することにします。この「清浄功徳」は観経疏では水想観に登場しますが、国土荘厳第二の「量功徳」もこの「清浄功徳」と一緒に書いてあります。

「「①かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。②究竟して虚空のごとし広大にして辺際なし」と、これすなわち総じて彼の国の国の地の分量を明かす」。②の文が「量功徳」です。このように、「清浄功徳」と「量功徳」はセットになっています。そして、この両方において「これ彼の国の地の分量を明かす」です。観経疏の玄義分ではここのところを「仮というはすなわち日想・水想・氷想等、これその仮依なり」と言われておりまして、ここに水想観も入っているでしょう。だからこの水想観も仮依であると善導大師は述べていることになりますね。この仮依については、次の文で「これこの界の中の相似の可見の境相なるによるがゆえに。」と説明されています。

まず、これはどういう意味なのかということですね。難しくてよう分からん。こういう文を見ると論註の解読がほんとうに有難いなぁと思いますよ。しかし、それで終わるわけにはいかないので、あえて自己流に解釈すれば、この仮依とは仏教でいうところの悟りといいますか、無分別智の境界というものではなくて、この界の中の相似の可見であるところの境相だということです。

で、「この界の中」とは、今見ているものはということでしょうか。すると、今見ているもの、それは、相似の可見である、可見とは今見えているものはということですから、今見ていることで見えているものはということですね。それは、実は、写したように似ているが、それそのものではないということです。だから相似しているが本質そのものではないということですね。だからそれは「仮依なり」と善導大師は言われているのだと思うのですよ。

境を分かりやすくすると鏡と考えればいいのかなと思います。つまり、それは鏡に映っているようなものだということですね。デコボコしたものを鏡に映すと、その映ったデコボコがくっきりと映れば映るほど、その鏡のクオリティーは高いことになるでしょう。同じように、水面に映るデコボコがくっきりと映しだされるほど水面には波が立ってなくて穏やかであり、水面は平らである。つまり私の心を水面の如くに表現される。境というのはその水面自体のことであり、界とはそこに写し出されているものということでしょう。

つまり、私の心について水面のごとくと表現され、それを境といわれている。これまでこの境のことを身体的心の領域とずっと言ってきました。知覚という言葉もありますが、これは感覚器官のはたらきで外界の事物・事象を認識することだということでして、視覚のほかにも聴覚・味覚・嗅覚・触覚がふくまるそうですね。哲学ではこのようなものを知覚より以前のもとして、直接の知といったり、感覚的確信という言葉で表現されたりしています。とにかくすごく分かりにくい所であることは間違いない。

この相似の可見の境相をもって「清浄功徳」と「量功徳」を顕している、そういうことかなと思います。つまり、善導大師の「量功徳」の「広大にして辺際なし」に言われる広大さとは、心象的なものではなくて身体的なもの、身体に属する物質的な広がりですね。身体を物質的な観点から観れば成層圏をこえて宇宙にもつながっていきますから、心象的な広大さとはまた違うのです。

善導大師が「清浄功徳」と「量功徳」をセットにしていわれる場合はこういう広大さがある。だからといって心象世界の広がりとどちらが正しいかと言っているのではありませんよ。「清浄功徳」にはこういう二つの見解があるということですね。そして善導大師の場合はどちらかといえば身体的な側面を強調されています。

曇鸞大師は「清浄功徳」に自性清浄の浄土を見られた。善導大師は、たしかにそれが自性清浄の浄土であれ、やはり、心に映る世界であるとした。自性というのは本質とか本性という意味で、本来的な不変の性質だといわれております。法身は色もなく形もないし、見ることもできない。だから善導大師は心に見る世界ならば、たとえそれが自性清浄の浄土であれ、本来の真如法海ではなくて、自性清浄の浄土を示すところの心象世界であるとした。つまり重力で再び身体の領域の押し戻した、と、こういうことかなと思っております。

こういうえらい大変な問題をかかえているのですが、この問題を親鸞聖人はどのように捉えなおされたのかということですね、それが、この三種の功徳文の後にある「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」であります。歎異抄13条に、親鸞聖人が宿業ということを述べておられますので、そこを読んでみます。

(意訳 歎異抄13条から)

「 弥陀の本願不思議にまかせて悪をおそれないのは、本願ぼこりであるということで往生はできないということ、この条は本願を疑うことであり、善悪の宿業をこころえていないからなのである。よいこころがおこるのも宿善がもよおしているからである。また悪業をおもってしまうのも、悪業のはからいがそうさせるのである。故(親鸞)聖人がいわれていたことに「ウサギの毛や羊の毛の先にあるちりのような小さな罪も、宿業に依らないものは無い。」といわれていた。またあるときに「唯円房は私のいうことを信じるか」と聞かれたので、「もちろんでございます」と、お答えしたところ、「そうであれば、私のいうことに従うのか」と重ねて聞かれたので、つつしんで承知しましたと答えました。「たとえば、人を千人殺してみなさい、そうすれば往生は決まる」と、聖人からいわれたときに「おおせではありますが、一人でさえも自分の器量では殺すことは出来ないと思います。」と、お答えしたところ、「ではどうして親鸞のいうことを疑わないといったのか」といわれ、「これで(唯円房も)知ることができるだろう。何事も心にまかせて決められるなら、往生のために千人殺せといわれたらそのとき殺すはずである。しかしながら、(自分に)一人として殺すような業縁がないからそうしないのである。自分のこころがよくて殺さないのではない。また殺すまいと思っても、百人千人を殺すこともあるのだ」と、(聖人が)おおせられたのは、私たちは、(自分の)こころがよいと思うことをよいと思い、悪いと思うことを悪いと思って、(弥陀の)本願不思議においてすくわれることを知らないでいるからであるといわれた。」

この13条にある宿業ということですが、いろんな見解もあるかと思います、で、今回話しております身体的心の領域ですが、これはまだ分別心が起きない状態の心ということですから、分別心が起きる前であり、邪心のない状態だと考えるのですね。しかし、この身体は社会的そして歴史的領域の身でもあります。この社会的そして歴史的領域とは、そのままこの私の身にまでなった煩悩の歴史です。ここに歎異抄でいわれる宿業を見るのだろうと思うのですね。

こういう業の深さを背負っている身ですから、たとえ身体的な心の領域として鏡が澄んでいても、その鏡もまた宿業という底の抜けた漆黒の世界を背負ってるのだということではないか。そして、ここに煩悩凡夫の姿を成就させる。

この「清浄功徳」の文の後半ですが、「凡夫人の、煩悩にみちみちているものでも、彼の浄土に生れることができれば、三界につながれてはなれることのできない業のきづなも、ついにはそのはたらきを失う。つまり(法の徳のゆえに)煩悩を断じえないまま、しかも涅槃の分を得るのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。」とありますね。この「凡夫人の煩悩にみちみちているものでも、彼の浄土に生れることができる」と、ここに凡夫の煩悩が成就する時、その凡夫を成就する姿をいただくことが、そのまま浄土に生れる姿であるといわれたのではないでしょうか。

親鸞聖人は、正定聚の世界を、夜空に輝きあう星群に見た、そして、この本願海で往生の光をいただいた自らもまた、この深淵なる漆黒の世界に浮かぶ星の一つであった、と、この深淵なる業の世界を我が身をもって述懐される。

三界とは三つの迷いの世界といわれております。少し難しくてよう説明できませんが、要するに生死を繰り返す凡夫の世界です。その繰り返す煩悩の歴史に繋がれてはなれることができないきづなも、つづまるところ、ずるずると引っ張られない。つまり、その法の徳で煩悩を断じえないままに、しかも涅槃の分を得るのであるといわれるのでしょう。

今回は、この「淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」を自分なりに纏めました。いろんな見解もあるかと思いますが、現在、こういうふうに受け取らせて頂いています。

証巻 正定聚について その①

令和5年5月28日 永代経法要より

 今回より親鸞聖人のお書物から浄土論註を見ていくことにしております。前回までで作願門は終了したので,本来ならば次の観察門へと入るはずなのですが、実の処、親鸞聖人はこの観察門を証巻にかなり引用しておられまして、それならば論註の観察門を読むよりも、証巻の方から観察門を読んだほうが真宗の立場とすればいいだろうというふうに思いまして、今回から教行信証の証巻に引用されている観察門を読んでいこうと思いいたりました。結果、論註の続きということにもなりますが、証巻を論註を通して見ることにもなりますので、角度の違う見方になるかとも思います。難易度がかなり上がるのはしかたありませんし、こういう読み進みを当初から計画していたのでもありませんが、これまで論註を読んできたなかで自然にそうなった、と、そういう事でもありました。とにかくそういうことで、このまま流れにまかせて読んでいきたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。

 では、まずは観察門第11「荘厳妙声功徳成就」を読んでいきます。解読文

 [たえなる法を説く声においてかざりあげる功徳とは、偈に「梵声の悟り深遠にして微妙なり、十方に聞こゆ」といわれているからである。これはどのように不思議な功徳なのであろうか。経(大経)に、「もしひとあって彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚(なかま)に入ることができる」といわれている。これは国土の名字(みな)が仏の(衆生教化の)いとなみをするということである。どうして(常なみの)思いの及びうることであろうか。]

 

 実は、この「妙声功徳」にある「国土の名字(みな)」というところはすでに作願門にもでております。どこにあるのかといえば、下巻にありまして「一心に専ら阿弥陀仏を念じて、彼の(国)土に生れたいと願えば、この如来の名号及び彼の国土の名号が、よくすべての悪を止めるのである」のところですね、ここに「国土の名号が」と付けくわえられています。ほんの短い文なので、これが「妙声功徳」と関連があるかどうか分からんではないかといわれそうですが、作願門の願生浄土において、はじめて「国土の名」が登場しています。間違っていたら教えて下さい。で、まずこの国土の名号と名字はどう違うのかということですが、意味としたらだいたい同じではないでしょうか。名号という場合は仏国土(浄土)の名のりですから主体が彼の仏国土でしょうか、名字という場合は単に仏国土の名ということかと思います。その仏国土(浄土)の名をとるか取らないか、こちら側にその主体があるかもしれません。

 そして、この「妙声功徳」には作願門にはないものがありますね。「たちまち正定聚(なかま)に入ることができる」というところです。この正定聚に入るということがどのようなことか、それが今回のテーマになっております。とにかくまとまった話が出来ればといいなと思っております。

 そしてまた、聖人は証巻に観察門をそのまま引用されておりませんので、まずはそこのところから簡単に説明することにします。

 まず観察門は三つに構成されています。国土荘厳、仏荘厳そして菩薩荘厳がその三つになります。国土荘厳が17種、仏荘厳が8種、菩薩荘厳が4種で、計29種の荘厳功徳成就の文があります。そのうち聖人が証巻に引用されているのは、国土荘厳から第11・12・13番目の三種の荘厳功徳成就です。「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」がその三種になります。その内の「妙声功徳」を今読んだわけですね。この三種の功徳成就文の次に、国土荘厳の第1番目にあります「清浄功徳」が引用されています。要するに11と12と13番目の次に1番目が措かれているわけです。何故そうなるのだろうかという問題がありますし、国土荘厳は17種あるのに全文を引用されているのはこの4種だけである。こういうようななかなか捉えどころがない内容にも思えますが、少しずつでもそれなりにひも解ければいいなと考えております。そしてまた、その他、部分的な引用文もありますので後程説明することにしましょう

 次に仏荘厳においては最後8種目の「不虚作住持功徳」が後半部分が引用され、そのまま続けて菩薩荘厳の4種全部が還相回向として引用されています。論註では観察門の次の回向門がこの還相回向にあたりますから、引用の仕方がかなり複雑ですね。しかしこの複雑さもまた、聖人のご信心として一貫するものを顕しておられるのですから、まあどういったものか、とにかく始めることにいたします。

 それでは、今回は国土荘厳から「妙声功徳」「主功徳」「眷属功徳」の三種を話すつもりです。で、まずこの「妙声功徳」にある、「もしひとあって彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚に入ることができる」という文ですが、ここにある「もしひとあって」を、この証巻から見た場合は「もし(往生の)ひとあって」と読むべきだと思うのですね。証巻は教行信証の最終部でありまして、論註を読み進めて行くうちに私たちの方が横から入り込んだわけです。だから教行信証の順序に沿っていくなら、この「もしひとあって」は「もし(往生の)ひとあって」と読んでしかるべきだと思うのですよ。しかし、そうしますと文が少し変になる気がすます。この「もし(往生の)ひとあって」と「すでに往生をえたものとは」と、同じものが何となく並び違和感があるのですね。で、このことについては後から話しますので一応このままにしておきたいと思います。

 作願門では、一心は我一心の完結した相ですから、つまりそれは阿弥陀仏の浄土の相(すがた)であるということになります。その浄土である仏国土が、阿弥陀仏の善根の力によって住持される国土であるというのが、次の「主功徳」です。それでは「主功徳」を読んでいきます。 

観察門第12「荘厳主功徳成就」

[ 主たる力においてかざりあげる功徳の成就とは、偈に「正覚の阿弥陀法王、善く住持したまえり」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)であろうか。正覚そのものである阿弥陀仏は不思議であらせられる。彼の安楽国土は、その正覚たる阿弥陀仏の善根の力によって住持されているのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。住とは変質せず滅しないことをいい、持とは分散せず消失しないことをいう。たとえば、不朽(という名の)薬を種子に塗ると、水にいれても腐らず、火に入れても焼けずに、因縁をえて(芽を)出すのである。これは不朽薬の力によるからである。(これと同じく)もし人が、一たび安楽国土に生れれば、後になって(再び)三界に生じて、三界のいろいろなまよいの生活―煩悩が火のようにもえさかるただ中にもどっても、無上菩提の種子は、けっして朽ちることがないのである。これは、正覚たる阿弥陀仏が善く住持したもうからである。] 

 この「主功徳」の文は「阿弥陀仏は善く住持したまえり」ということが主な内容だと思っています。この住持を二つに分けて説明されていまして、住の方は変質せず滅しないといい、持は分散せず消失しないといわれます。そしてこの住持という不朽薬を種子に塗ると、水に入れても腐らず、火に入れても焼けないということですね。

 で、まず水と火の譬えがありますが、この水と火の譬えを善導大師が「観経疏」に言われておりますので、そこのところから説明すると、「衆生の貧愛は水のごとし、瞋憎は火のごとしと譬うるなり」と書いてあります。貧はむさぼるで、そのむさぼるに愛という字が付いている。愛の対語は憎だそうでして、愛と憎しみは表裏一体だといいます。仏教にも愛憎異順という言葉がありますね。愛と憎しみはむさぼりの度合いに比例するということでしょうか。テレビのサスペンス劇場でよくやっております人間模様ですが、いうなれば私たちの人生の縮小版ですね、そしてこういう愛欲は貧りに入ります。しかしですね、この愛欲には家族愛や子供に対する愛情も入るし、最近ではペットへの愛情もある、ひょっとすると郷土愛などもあるかもしれない、広げると分からなくなりますね。ただ、やわらかく言ってしまえば、度が過ぎた貪りはするなということかなとも思います。しかし、いったい何処までが度が過ぎるのか分からんのも私たちではないでしょうか。

 そして、火は瞋憎(しんぞう)だと言われていますね。瞋は怒りですから、怒りと憎しみが合わさった意味でしょう。ここにも憎しみが入ります。ちょっとムカッとすることから、気持ちが収まらないことまで様々です。そしてこれらは私たちの日常で避けられないものだということも事実ですね。この貧愛の水に住しても腐らず、また瞋憎の火中でも焼けずに、浄土の種はしっかりと芽を出す因縁であり続ける、そしてその不朽の種子は、安楽国土に生れた後のまよいの三界にあっても、けっして朽ちることのない無上菩提の種であると言われています。

 作願門では「一心」とは阿弥陀仏の浄土の相(すがた)でありますから、阿弥陀仏の正覚の相(すがた)であります。この正覚の相がそのまま無上菩提の相であるというのが「一心」までの内容でした。その無上菩提の相が、この「主功徳」においては無上菩提の不朽の種であると言われています。すると、無上菩提の相と無上菩提の不朽の種とはどう違うのかなと疑問があるでしょう。無上菩提の相というのは一心の相ですから一心そのものです。それに対して無上菩提の不朽の種だというならば、その無上菩提の不朽の種を懐いているところのその人を指しているのだと思うのですね。

 で、ここでさっきそのままにしておりました「もし(往生の)人あって」と「すでに往生を得たもの」とふたつ並んで違和感があるということでしたが、それは違和感ではなくて、このたび往生を得たものと、すでに往生を得たものとは、同じ無上菩提の不朽の種をいだくものとしては共通しているということですね。この証巻の証はさとりという意味ですから、往生の結果を顕かにされているわけです。初めて往生するものであれ、すでに往生を得たものであれ、それぞれが彼の国土の清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願えば、無上菩提の不朽の種が芽を出し、たちまち正定聚に入ることができるのである、と、そういうような読みが出来るのではないでしょうか。

 ただ、しかしですね、この往生ということを思う時に、これから浄土を生きるとか、浄土に生きるといっても、今この自分の生活以外にはないのですから、今のこの自分において、さて浄土を生きるとはいったいどういう事かということになります。すると、もし仮にですよ、その往生を得たもとして意気込んで、浄土に勇ましく生きるのかどうかということですね。勇ましく生きられるのは大したことだと思います。しかし、そういう勇ましさをここで言われているのではなくて、たとえいかなる時であっても法王阿弥陀仏の功徳である、不朽の種が善く住持されているのだということですから、たとえそれが生きることに躓いても、何かに嘆いても、失敗しても、たまたま成功してもですね、正覚の阿弥陀法王の住持する種はいつも芽をだす因縁を待っているのだということです。その因縁が芽をだして、如来の名号と浄土の名字が善く私をまもるのだということではないでしょうか。

それでは観察門第13「荘厳眷属成就」です。

[(仏の)眷属(はらから)においてかざりあげられている功徳の成就とは、偈に「如来浄花の衆、正覚の花より化生す」といわれているからである。これはどのように不思議(な功徳)なのであろうか。おおよそこの雑生の世界には、胎生や卵生や化生などいろいろな生があって、それぞれ眷属の数もしれず、苦しみや楽しみにもいろいろな種類がある。これは、さまざまな業によっているからである。彼の安楽国土は、阿弥陀如来の開いた正覚の浄花に感化されて生れないものは一人としてない。すべて同じく念仏して、それよりほかの道(より生まれるもの)ははるか遠く世界のはての者にまで通じて、全世界のすべての人々を皆兄弟とするのである。このように眷属の数ははかりしれないのである。どうして(常なみの)思いのはからい及ぶことであろうか。]

 この「如来浄花の衆、正覚の花より化生す」ということで思うのは、先ほども言いましたが、「妙声功徳」の「もしひとあって、彼の国土に清浄で安楽なことを聞くだけで、よく心にきざみ念じて、彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものとは、たちまち正定聚に入ることができる」の「もしひとあって」を「もし(往生の)ひとあって」と読むなら、次の文は「彼の国土に生れたいと願うものと、またすでに往生をえたものと(が)、たちまち正定聚に入ることができる」と読むのだろうと思うのですよ。単に「往生をえたものとは」を「往生をえたものとが」と読み変えただけですが、ニュアンスが変わります。

 これね、ずいぶん前でいつ頃か忘れましたけど、あるテレビ放送で、仏師つまり仏像を彫ることを専門にされる方がインタビュウーで、「昔の仏像を眺めていると、ああここを苦労して彫られているなと感じる、と、そのとき時空を超えて、その彫り師と逢えるのが嬉しい」と言われたのを思い出します。同じ道を歩く人には見える世界があるのだなあと思って忘れずにずっと覚えているのですが、念仏の道も同じで、往生浄土への道はその眷属にかざりあげられているということは、このたび往生するものと、すでに往生をえたものとが出逢っていく世界観ではないか。そしてその世界観とは、浄土の清浄と安楽をもって往生浄土を願う時、その往生のひとは、すでに往生を得たものと共にたちまち正定聚に入ることができる、と、このような往生するものと往生を得たものとが共感し共鳴しあう、そういう心象的な世界観を言われているのではないかと思うのですね。

 ただし、この国土荘厳の三種を全体的に捉えた場合、そこに往生を得たものは、それぞれが阿弥陀仏に善く住持されたもの同士なのでしょう。それぞれが阿弥陀仏に住持されて、それぞれが往生の光を頂いているところの世界観ではないかということですね。

 論註上巻の讃嘆門の最後のところにあります、「もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。天親菩薩がいま尽十方無碍光如来といわれるのは、とりもなおさず彼の如来の名によって、彼の如来の光明のはたらきたる智慧の相のごとくに讃嘆するのである」と言われております(諸仏)のところを、(往生を得た者)とするならば、「もし諸仏(往生を得た者)があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である」と同じ意味になるのではないかとも思えるのです。

 論註はもともと観経との関わりがつよいと言われます。この心象的世界観を今後どう見て行くかは自分としても大きな課題でありますが、とにかく論註を観点にしながら観経疏ともあわせて見ていくことができればいいのですが。

 「荘厳眷属功徳成就」をこのように頂いております。そしてこの「眷属功徳」までをもって「正定聚に入る」ということを顕されるのかなとも思います。しかしながら、この三つの功徳成就文の後に「また言わく」と付け加えられた文があります。それが国土荘厳第16の「荘厳大義門功徳成就」です。この「大義文功徳」を入れると引用文がひとつ増えることになりますが。終わりの部分だけを引用されているので、数には入れませんでした。

 で、その抜粋されている文ですが、何が書いてあるのかといいますと「また言わく、往生を願う者、本はすなわち三三の品(ぼん)なれども、今は一二の殊なし。また淄澠の一味なるがごとし。いずくんぞ思議すべきや」淄澠は(しじょう)と読みます。そしてまた、親鸞聖人はこの淄澠と一味の間に「食陵の反」という文言を付けくわえられています。つまり「淄澠(食陵の反し)の一味なるがごとし」と、このような文になっています。「食陵の反」を(じきりょうのかえし)と読みますが、それをわざわざ聖人ご自身が付け加えられていることになります。

 まず、三三の品とは、これは観経の上品上生から下品下生までの九品ですから、阿弥陀仏の浄土往生を願う者のレベルを九つに分けて、そしてそれぞれの機に応じて、阿弥陀如来が救いとるという三三の品でしょう。それが往生のひとにとっては、この三三の品はすでにないということですね。たとえ煩悩の中に生きようとも、浄土に生れたいと願えば、すでに往生をえたものととともに、本願海でたちまち正定聚に入ることができるから、三三の品はもうないのであるということでしょう。

 で、次のところですが、「淄澠の一味なるがごとし」この淄澠とは、淄川と澠川という全く違う川が合流することだそうです。本願海に入ればこの全く違った川も一味であるといわれます。つまり、本願海には三三の品などはすでになく一味の世界であるという意味と、淄澠の一味なるがごとしの意味を重複されているともいえますが、しかしここに「食陵の反」とわざわざ付け加えられていますね。これがいったいどういう意味なのかということであります。それで、とにかく現在の了解をここで話そうかと思っています。真偽は後にまかせて、この問題に自問自答することをもって今回の話を終了させていただこうかと思っておりますので、そういうつもりで聞いていただければ幸いです。

 この淄とはどす黒いとか、泥の色をしたというような意味だそうです。澠はサンズイに亀とも読むそうですね。解説では亀の住むような川や池とありました。そして陵は「みささぎ」と読みまして、王の墓などを言うそうです。だから、食陵「じきりょう」とは王の墓を食うということになります。そしてその反(かえし)ですから、どんなもんでしょうか。聖人がこの「食陵の反」をわざわざ淄澠に付け加えられる意味は何かということなんですが、まず宇宙をイメージしてみると、するとまあ、この宇宙の壮大さというのは輝ける星の共演をいうのだと思うのですね、しかし、その無量無数の輝く星も、宇宙という漆黒に輝く星です。皆さんは息をのむくらい降り注ぐ星に圧倒されたことはありませんか、ぼくはありますよ。とにかく北斗七星がどこにあるのかすら分かりませんでした。天の川が手に届くくらいすぐそこに思えました。それほどの満天の星空でした。今思えばそれほどでもなかったのかもしれませんが、その時は圧倒されました。たまたまそういう光景を目にした訳ですが、ある所に行くともっとすごい満天の星を観ることができるでしょう。しかし、そのような満天の星もまた、漆黒という宇宙での共演です。この漆黒と輝ける星群とのコントラストが壮大な満天の星を表現するのでしょう。

 淄川を漆黒の川だとすると、澠は亀が住むような川です。亀がまた出て来ましたが、この亀のイメージには何の意味があるのでしょうか。とにかく亀に何かいろんな生きものの匂いがしますね。当然私たちのようなものも含まれるのではないでしょうか。で、この淄川と澠川とがまじわり一味になるとすると、だいたい淄川の漆黒に混ざりこむでしょう。すると、その漆黒にはさまざまな生きものが混ざりこむという意味になります。この漆黒を無明といえば何やらすとんと収まるような気がしますが、もう少し違う見方をすれば、この漆黒とは私たちのもっとも深くそしてもっとも暗い場所であり、そこにはさまざまな生きものや、それこそ年取った亀の甲に生えた錯覚という名の毛もまざりあっている、と、そういうものではないか。ぼくはそれを業の深さだと思っているのですが。

 阿弥陀仏の本願海をもしこの宇宙に例えるなら、本願海とはさまざまに輝ける星の世界観だと思うのですよ。しかし、この淄澠が混ざり合う漆黒もまた本願海の輝きの一部であり、本願が本願海として輝く場所である。そして、この本願海に往生の光を得て輝く自らもまた、この漆黒に浮かぶ星の一つである、と、そのように表現されたのではないかと思います。このように本願海と漆黒と往生との関係を「食陵の反し」と言われたのではないでしょうか。で、この「また淄澠(食陵の反)の一味なるがごとし」は当然前後の関係で言われているわけですから、ここだけをもって説明しようとしても無理がありますので、今後の宿題にさせていただくつもりです。ひとまず自分の考えを話してみました。

 

『浄土論註』我依修多羅 真実功徳相から

令和5年3月21日 春彼岸会より

 前回の作願門で『論註」をひとまずお休みすると言っておりましたが、作願門上巻の次に「我依修多羅 真実功徳相 説願偈摠持 与仏教相応」の四句があります。ここまでを一区切りにしたいので、今日はこの「我依修多羅 真実功徳相」をテーマにしてお話をさせていただこうと思っています。で、今日のテーマは「我れ修多羅の真実功徳の相に依って 願偈を説いて摠持して仏の教えと相応す」ということになります。今回は少しずつ分けて読んでいきますのでよろしくお願い致します。

【 次に優婆提舎という名を成立させ、上の三門を全うして以下の偈を起こす。「我れ修多羅の真実功徳の相に依って願偈を説いて摠持して仏の教えと相応す」この一行はどのようにして優婆提舎という名を成立させ、どのようにして上の三門を全うして下の二門を起こすのであろうか。偈に「我れ修多羅に依りて仏の教えと相応す」といわれている。修多羅とは仏の経を呼ぶことばである。「私は仏の説かれたこの経を論述し、経の意に応じていささかの相異もなく、まったく仏法のまことの相と一致しえたから、この論偈を優婆提舎と名づけることができるのである」というのである。これで名を成立させおわった。どのようにして上の三門を全うして、下の二門をおこすかというに、「依る」ということには、何に依るのか、なぜ依るのか、どのように依るのか、ということがある。】

 まずはここまでですが、この文の最初のところに「優婆提舎という名を成立させ、上の三門を全うして以下の偈を起こす。」という文言がありますね。この『浄土論註』の初めに優婆提舎を説明されているところがありますので、まずその個所を読んでみます。「仏の説かれた十二部経の中に、論議経というのがあって、これは優婆提舎と名づけられる。さらに仏の弟子たちが仏の説かれた経の教えを解釈した、それが仏の教えの意(こころ)にかなっていれば、仏はそれを優婆提舎と名づけることを許された。それが仏法の相(すがた)を得ているからである。」

 こう書かれているわけですが、この論議経を調べると優婆提舎のことだと書いてあります。では今度は優婆提舎を調べると、それは論議経だということです。で、よく分かりませんが、とにかく仏弟子たちにより論議されたものだということのようです。

 また、天親菩薩もこの論議経を「私は仏の説かれたこの経のいわれを論述し、経の意に応じていささかの相異もなく、まったく仏法のまことの相と一致しえたから、この論偈を優婆提舎と名づけることができる」と書かれているわけですが、しかし、この作願門の後にこのように言われるのなら、上の三門の礼拝・讃嘆・作願門がこの経の意(こころ)に応じていて、いささかの相異もないといわれていることになります。すると、作願門においてこの優婆提舎は成立したことになりますね。だから「上の三門を全うして」と書いてあります。そしてこの優婆提舎は下の二門である観察・回向門とどのように関係するかということを次に書いてあることになります。

 そこで、上の二門との関係として、次の二門を起こすのはどういうことかといえば、それは「依る」ということがあるからだということになるのですね。そして、この「依る」ということを、何に依るか、なぜ依るか、どのように依るかと、三つに分けておられます。

 

 では、次の文を読んでみます。

【 何に依るかといえば、修多羅に依る。なぜ依るかといえば、如来はとりもなおさず真実功徳の相であるからである。どのように依るかといえば、五念門を修することによって、如来の真実功徳の相に相応することができるからである。これで上を全うして下を起こすことをおわった。修多羅とは、十二部経の中で仏が直接説かれたものを修多羅という。つまり四阿含の三蔵などがこれである。三蔵以外の大乗の諸経もまた修多羅と名づける。この偈の中で修多羅に依るというのは、三蔵以外の大乗の修多羅であって、阿含などの経ではない。】 

 まず初めの「何に依るか」ということですが、それは修多羅に依るのだということですね。そしてこの修多羅とは何かというと、この偈は無量寿経優婆提舎願生偈が正式名ですから、無量寿経をその修多羅とするのです。そしてその修多羅とは何かを下の文に説明してあります。そのまま読むと「修多羅とは十二部経の中で仏が直接説かれたものを修多羅という、つまり四阿含の三蔵などがこれである。三蔵以外の大乗の諸経もまた修多羅と名づける。この偈の中で修多羅に依るというのは、三蔵以外の大乗の修多羅であって、阿含などの経ではない。」と、このように書いてあるでしょう。

 この説明では、無量寿経を三蔵以外の大乗の修多羅とするというのが曇鸞大師の説になりますが、この三蔵というのは経蔵・律蔵・論蔵をいうのだそうでして、いわば仏教における教えの体系のことだろうと思います。すると、この無量寿経を修多羅とするというのは、無量寿経を三蔵のように仏教の教えの体系には位置付けないということになります。そして、次に「阿含などの経ではない」とも言われていますね。

 阿含は初期仏教の経典をさしますので、この無量経は、時代的に後起こる大乗仏教の歴史に登場する経典ですから、初期仏教に無量寿経の原型があるのか知りませんが、しかしですね、だからといってここで阿含などの経ではないとわざわざ述べる必要があるのかということですね。なぜならば、ここは阿含経と無量寿経を比較する場所ではないと思うからです。

 つまり、ここで言われる優婆提舎というのは、仏教の体系を論じたものではなくて、また、阿含などのような仏陀の直接の言葉でもないというニュアンスがあります。修多羅ということで曇鸞大師はこういう表現をされていることになりますが、不思議な表現だなあと思いますよ。

 そこで、以前に話しました「我一心について」に戻らなければなりません。この「我一心」とは何かということですが、上巻の初めのほうに書いてあります、「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは、無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。」と、このように表現されています。この天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばであるということですが、この「ひきい」の原文である「率」は、ひきいる、ひきつれる、退く、引きこもるという意味もあります。天親菩薩は「我一心」において、自らが進んで率いですから、自ら進んで退き、そして我一心であると言われます。

 つまり「我一心」とは天親菩薩が自らが進んで退いて、そして正された言葉である。その我一心を「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないこと」だと言われる、そしてこれが「我一心」の心ですね。だからこの「我一心」は、天親菩薩ご自身の言葉というよりも、「我一心」そのものを言われている。そしてその「我一心」の展開する様子を礼拝・讃嘆・作願門と観てきたわけですね。そして作願門において「我一心」がついに「一心」をもって完結した。それではその「一心」とは何であったかといいますと、それは阿弥陀如来の浄土の相(すがた)である、そしてその浄土の相(すがた)がそのまま「一心」としての菩提の相(すがた)であるというのが作願門までの内容でありましたね。

 だからこの三門が全うするとは、「我一心」が「一心」に完結することですから、この「我一心」が「一心」に完結することをもって、優婆提舎が成立していると言われている、と、そう思うのですね。しかしながら、そうすると、ここに言われる修多羅は、お釈迦様が説かれた経でありながら、お釈迦様が自らすすみ、ひきい、そして正された言葉であるということですね。だからお釈迦様が直接お説きなにられた阿含などの経ではないといわれている。何故なら、この修多羅は「我一心」がついには「一心」である菩提の相(すがた)をもって完結する経だからだということでしょう。そしてこれをもって無量寿経の優婆提舎が成立したといわれているわけです。

 では、この上の三門である礼拝・讃嘆・作願門が全うされたら、下の二門を起こすのは何故かということとですが、それが「修多羅に依る」からだということですね。そこで、この修多羅は上の三門が全うされることで下の二門を起こすことになりますから、下の二門である観察門と回向門がその依るところの修多羅だということになります。しかしですね、そうなりますと、上の三門の礼拝・讃嘆・作願門はどうなるのかということでしょう。ところが、しかし、上の三門もまた修多羅であるということです。

 そこでこの上の三門と下の二門の修多羅の関係を、ここでは「依る」ということでいわれています。おそらくこれは、上の三門と下の二門はリンクしていると言われているのではないかと思います。リンクとは連動するとか連結するといった意味になります。そこで上の三門と下の二門のリンクする様子を見ていくことにしますと、『浄土論註』の「我一心」とは天親菩薩の「我一心」ですが、この修多羅では釈迦様の「我一心」になりますね。だからお二人それぞれの「我一心」ということになりますから、ここに複数の「我一心」が登場しているわけです。そしてそのそれぞれの「我一心」が完結する相が「一心」ということでありますから、この「一心」においては、すでにもうそれぞれというのはないと、こういう意味が含まれているのではないかと思います。しかしそうなりますと、これは天親菩薩とお釈迦様お二人だけの問題ではないでしょう。私たちにも何か関係してくるような気がしますね。

 しかしですね、いくら何でも、お釈迦様や天親菩薩と並べたらだめじゃないかということが当然あります。しかし、ここはそういうレベルの違いを述べる所ではありませんから、あえて言えば、上の三門において「我一心」がどれだけあろうとも「一心」は同じであるということでしょう。そして、上の三門は「我一心」から「一心」までの展開をあらわし、下の二門では「一心」を展開する。修多羅にはこういう二つの展開があるということではないかと思います。

 それで、次の「なぜ依るか」ということになりますが、これを「如来はとりもなおさず真実功徳の相であるからである。」と言われます。とりもなおさずとは、同じ内容を違う言葉で言い換えることだそうですから、すなわちという意味ですね。すると如来はすなわち真実功徳の相であるということになります。これをまた言い換えれば、真実功徳の相はすなわち如来であり、その如来である真実功徳の相に二種あると書いてあることになります。 

 

 それでは、次の処を読んでみましょうか。

【 真実功徳相とは、功徳に二種ある。一には煩悩にとらわれた心より生じ、存在の道理にしたがわないもの。いわゆる凡夫の世界の諸々の善根、それによって起こる結果は、因であれ果であれ、みな本末を顛倒し、みな虚偽である。だからこれを真実でない功徳というのである。】 

 ここに「凡夫の世界の諸々の善根」とありますが、この凡夫の世界とは何だろうかと思うのですよ。この凡夫の世界ということでさんざん考えました。はっきりした結論のようなものはありませんが、とにかくどういったものかと自分なりの考えを述べようと思います。

 で、この凡夫の世界とは、ようするに私たちの普通に思うところの世界だと思うのですね。この場合は世間といった方が分かりやすいかもしれませんが、まず、世界という場合は私たちが見る所の世界ですから、私の思いが見ている世界であり、主観というようなものかなと思います。それに対して世間は私たちの生活における身近な環境でしょう。家族や子育て、また親せきや友達関係、ご近所との関係、仕事関係者とのお付き合い、これら実際の生活環境でどのように生きているか、その様子が凡夫の世界だと思うのですね。ここには私の思いだけがあるのではなくて、世間はさまざまな思いの集合体ですから、いろんなものが溢れていますよね。

 すると私の悩みというのは、そのほとんどがこの世間での悩みですね。で、それをここでは煩悩にとらわれた心より生じたものだと言われています。こういう言い方をすれば、もうこれ以上の説明はいらないのじゃないかという気もしますが、では、その次の存在の道理にしたがわないものとはどういうことでしょうか。

 私たちは比較しながら生きているでしょう。誰かと比較する、何かと比較する、こういうことは日常茶飯事ですね。鏡を見てこんなはずじゃないと鏡の中の自分とも比較します。自分の存在を観ようとするときは、そのほとんどが何かと比較している時です。そしてそういうことをしょちゅう繰り返しながら生きているわけですね。しかしですよ、そういう比較ばかりしている私は本当の私ではないと、心のどこかで感じている、と、そんな気もする。どうでしょうか。

 で、世間ということで話をもどしますが、誰もわざわざ悪だくみをしながら世間に生きているわけではありませんが、それでもときどきはそういう悪だくみの中で生きている人もいる。それでもですね、だいたいにして多くの人が善良に生きようとしておられる方ですね。そして自分に良かれと思いながら生きている。それを諸々の善根というのだろうと思いますよ。しかしながら、この悪だくみをしながら生きている人においても、すくなくとも、その人自身にとって良かれと思い悪だくみをしているわけですよ。だからこの悪だくみの者も「凡夫の世界の諸々の善根」に入るかどうかということですが、本人の都合で良かれと思っているのなら入るのではないですか、どんなものでしょうね。まあ、それもこれもで、そして、自分をとりまくさまざまな人間模様や社会的制約とともに法律が混ざり合い、それぞれに結果が生れていく、そして、その結果においてまたそれぞれの思いが生れていくわけですね。

 こういうものを凡夫の世界というのかなと思うのですが、ではなぜこれが本末転倒しているのかということになります。これは私の心というのは分別心のことですから、この分別心とはまた私の自我であり、私の執着心のことでもあります。この分別心が本末転倒した虚偽の心であると言われるのですね。

 私たちは何かことがあると、まるでそこに我があるかのごとくに、おれはおれはとふるまう、これを執着心というのだろうと思います。そのもとにあるのを分別心というのですが、この分別心とは何かといいますと、分け隔てする心ですね。おれとおまえ、おれとあの事とか、おれをあの時おまえはどうしたとか、だんだんめんどうくさくなってきますが、このような分別心が何かの縁で、何かにとらわれていく、そして何かが起きていく。その結果の集合体が今の私の世間ということだろうと思います。だから私たちが普段思っているところの我とは、この分別心のことになるわけです。この分別心をもって生きていることが、世間を生きていくことですから、ごく普通の私たちの姿でしょう。しかし、それは存在の道理からすれば本末転倒であるということですね。

 で、ここからが難しくなります。この本末転倒しているとか、虚偽だとかいわれるのは、なんとなく分かる気がします、だって他人と比べて有頂天になったり、嫉妬や妬みにさいなまれて生きることが良いとは思わないでしょう。他人と比べない本当の自分自身でありたいと思ったりしますよね。だから、わざわざ執着心だとか分別心だとか言わなくても、比較ばかりしてはだめだなあと思ったりしますよ。しかしですね、それが、ここに言われているように、これを「真実でない功徳である」というのはどういうことかということです。このように「真実でない功徳である」と言い切れるのは、これは分別心を超えた、それこそ真実を背景にして、はじめて言い得ることでありますから、私の分別心には無いものでしょう。しかしですね、だからといって何となくは分からないではない、と、どこかではそう思えることもある、と、まあ、えらくあいまいな表現ですが、感覚としたら分からないではないでしょう。

 こういう漠然とした感覚は、実は私たちが死の問題を抱えているからだと思うのですね。なぜならば私の思いとは、私の生において生じる分別心ですから、その生の対極にある死は、生における分別心には入りません。だから、死はいつも私の生の影のように存在するのですね。だとすると、死を感じながら生きるとは、私の分別心を超えた何かを感じながら生きていることになるでしょう。天親菩薩はこの分別心を超える何かを、自らひきい、そして正して「我一心」の心をもって顕されたと思います。つまり、「我一心」からすれば、私の分別心は本末転倒であり虚偽なのです。これを「真実でない功徳」だと言われるのではないかと思います。

 

それでは、その二つめの真実功徳相です。

【 二には、菩薩の智慧による清浄の業にもとづいて、仏の衆生教化の事業を立派に行われた功徳である。これは存在の道理にしたがい、清浄の相にかなっている。この法は顛倒せず、虚偽がない。これを真実の功徳というのである。どのように顛倒せず、虚偽がないかといえば、存在の道理にしたがい、二諦に順じているからである。どうして虚偽がないかといえば、衆生をつつみいれて、もはや変わることのない清浄に必ず入れるからである。】

 これまで、この上の三門の礼拝・讃嘆・作願門を、「我一心」がついには「一心」において完結することを見てきたわけですが。二つめの真実功徳相ではそれを「菩薩の智慧による清浄の業にもとづいて」そして「仏の衆生教化の事業が立派に行われた」と書いてありますね。つまり、「我一心」から「一心」への完結を、ここでは菩薩と仏のはたらきとして言われていることになろうかと思います。では、その菩薩の智慧による清浄の業と仏の衆生教化の事業がどのようなはたらきであったのかといいますと、それが一つめの「真実でない功徳」である真実功徳相です。真実でないというのは、私には分別心しかないということですから、つまり分別心が私であるということになります。この私が分別心であるという、この顛倒した虚偽の姿をそのまま衆生の姿としていただくのですね、これが仏からすれば衆生教化の事業ですね。この衆生の姿を頂くことこそが存在の道理にしたがっている清浄の相であると、そして、それを「二諦に順じている」のだといわれています。

 ここに二諦という言葉がでてきます。この二諦というのは龍樹菩薩の世俗諦と勝義諦のことだと思いますが、また真諦門と俗諦門とも言われています。この二諦の教えは龍樹菩薩の教えとして有名ですが、実際のところはまだ定説とはなっていないとも聞きます。それをですね、ここで詳しく述べることなど当然できないわけですね。しかしながら、ここに述べられている「二諦に順じている」ということがどういうことかというのは、ここの内容の他にはないことにもなるので、ここにおける内容から曇鸞大師の「二諦に順ずる」とは何であるのかを自分なりに見て行くことは出来るのかなとも思いますので、少しこの二諦について考えてみたいと思います。

 で、この文脈からすると、二諦とはやはりさきほどから言いますように「菩薩の智慧による清浄の業にもとづいて、仏の衆生教化の事業を立派に行われた功徳」を二諦に順じているといわれるのだと思いますね。で、まず菩薩の智慧による清浄なる業が、私たち凡夫の世界にはたらきかけているとしても、いきなり凡夫が衆生の姿を成就することなどはないからですね。上の三門は凡夫が衆生の姿へと成就するまでの過程をいわれているのですから、凡夫が衆生の姿へと完結するまでのお育て期間ですね。するとこの「二諦に順じている」とは、凡夫が衆生の姿へと成就するまでを菩薩のはたらきとするのですから、それを「菩薩の智慧の清浄の業にもとづいて」といい、そして、凡夫が衆生の姿として完結するまでの期間を俗諦という。そしてその俗諦は、裏を返せば、仏の衆生教化の事業が立派に行われている功徳ですから、それを真諦という。真諦はこのように俗諦に基づいているから、このような真諦と俗諦の関係を「二諦に順じている」といわれるのではないでしょうか。これ以上に深く掘りさげることは出来ませんが、とにかくこの二諦の問題を、ここでさらっと述べられている、そういうことかなと思ったりしております。 

 

 そして最後の文になります。

【「願偈を説いて摠持して、仏教と相応す」とは、持は散せず、失わないことをいう、摠は少によってつつみとることをいう。偈とは五言の句をいくつかつらねた韻文である。願とは往生をこい楽(ねが)うことをいう。説とは諸々の偈と論とをとくことをいう。まとめてこれをいえば、往生を願う偈を説くことによって、仏の経をまとめて身につけ、仏の教えと相応するのである。相応とは、たとえが函と蓋とがぴったりあうようなものである。】 

 この最後の文はそのまま読んだ方がいいかと思います。これは偈を摠持すると書いてありまして、摠持とは記憶して忘れないようにすることですから、読誦することで、暗記して、空でもこの偈をあげるくらいに身につけるということですね。私たちの日常のお念仏と同じ感覚でしょう。そうすると、次第にこの願生偈の意味と相応してくる、まるで函と蓋とがぴったり合うようになるということでしょう。 

 ところで、これは余談になりますが、ここに函と蓋が出てきますね。この函と蓋の事で少し話をもどしてみたいと思います。さきほど「二諦に順じている」ということで、「衆生をつつみいれて、もはや変わることのない清浄に必ず入れしめるからである」とありましたね。この言葉をあえて函と蓋で言い表すとすると、「衆生をつつみいれて」ですから、衆生はそのつつみいれられるものです。だから函とは衆生をつつみいれる清浄の函ですね。すると、その函につつみ入れられることが「もはや変わることのない清浄にかならずいれしめるからである」ということですから、この函とは菩薩の智慧による清浄の業にもとづいている函ですね。そして蓋をその果とするならば、仏の衆生教化の事業が立派に行われた結果だということになります。つまり、この二諦に順じているということを、ここでは函と蓋でいい表わされようとしているということです。

 もしこのような解釈ができるならば、この函とは衆生を入れる器であり、その衆生はどこまでもひろがる凡夫の世界でしょう。函は衆生の数だけあり、その数がどれだけあろうとも足らないことはない、こういう含みがあります。そして「我一心」から「一心」までをお育て期間などと言いましたが、この函と蓋がぴったり合うのは「一心」においてですね。だからそれまでの期間の函と蓋とが、二諦に順じながら成立していくといった表現をされているのだろうと思います。

 しかし、それでもですね、このあたりの「我一心」のとらえかたが少しめんどうでして、このお育て期間を単なる時系列で考えるとぼやっとしたものになり、もうひとつ釈然としなくなる。しかし、もともと「我一心」は刹那的ですから、この上の三門の「我一心」を、その時々における刹那的な「我一心」は、二諦に順じながら、そしてついに「一心」に完結する、と、このように解釈するのではないかと思っています。この『浄土論註』が顕そうとするのは、単なる時間軸を表現しようとしたものではないことは、何となくですが分かります。例えば、この「我一心」は刹那的でありながら、単なる時間の断片的なものではなくて、刹那的であることによって、そこにふれることが時をも超えているというような内容があります。

 今回でこの『浄土論註』はお休みするつもりです。そして今度は親鸞聖人の書物から、またこの『浄土論註』の続きを眺めていきたいと思っています。

 

 

 

 

『浄土論註』下巻 作願門

令和4年12月 御正忌報恩講より

 

『浄土論註』下巻 作願門

 どのように作願するのか。心につねに願いをなしつづけるのである。一心に専ら(阿弥陀如来を)念じて、ついに必ず安楽国土に往生して、実(まこと)の如(まま)に奢摩他(しゃまた)を修業したいとおもうからである。奢摩他を訳して「止」という。止とは、心を一つ処に止めて、悪をなさないことである。

 この訳名は、おおよそその意味にたがうことはないけれど、まだその意味において充分ではない。なぜかといえば、心を鼻の端(さき)に止めるような[観法]をも止と名づけるし、不浄観[法]は貪[欲」を止め、慈悲観[法]は瞋(いかり)を止め、因縁観[法]は[愚]痴を止めるが、このようなものもまた止と名づける。人が(どこかへ)行こうとして、行かないような場合もまた[中]止という。

 これで、止という、[訳]語は漠然としていて、正確に奢摩他という名をあらわしたとはいえないことがわかる。たとえば、椿やクワや楡や柳のようなものはみな木と名づけるが、もし単に{木}といっただけでは、どうしてそれが楡や柳か決めることができようか。

 ここで奢摩他を止というについては、三つの義(わけ)がある。

 一には、一心に専ら阿弥陀仏を念じて、彼の[国]土に生れたいと願えば、この如来の名号及び彼の国土の名号が、よくすべての悪を止めるのである。

 二には、彼の安楽[国」土は、三界の道をこえているから、もし人が彼の国に生れれば、自然に身や口や意(こころ)の悪を止(や)むのである。

 三には、阿弥陀如来の正覚の、しっかりと衆生をとらえてはなさない力によって、自然に声聞・縁覚[の利己的なさとり]を求める心が止むのである。      

 この三種の止は、如来の実(まこと)の如(まま)の功徳より生ずる。だから、「実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業したいとおもうから」といわれるのである。

    

    ― 御正忌報恩講より 『論註』下巻 作願門について ―

  相変わらず、何となく読んでいけば、それはそれでよく分からないまま通り過ぎてしまう文章なのですが、目を凝らして読み込もうとすると、また違う景色が表れるのですね。この作願門の文を読むと、一年前のちょうどこの御正忌報恩講で話した「我一心について」を思い出します。この文の初めの「心につねに願いをなしつづけるのである。一心に専ら(阿弥陀如来を)念じて、ついに必ず安楽国土に往生して」と書いてあるところなど、そのままその「我一心について」とかなり類似しておりまして、ブログの「我一心について」の方を読んでいただいた方が、これから簡単に説明するよりもよほどいいのではないかと思ってしまいます。ただし、ここに書いてあるのは、「我一心」ではなくて「一心に専ら(阿弥陀仏を)念じて」とありますように「一心」ということです。

 では、「我一心」とこの「一心」とは同じものかそれとも違うのか、と、こういう問題がまずある訳ですが、「我一心について」の、自分なりの理解からするなら同じになろうかと思います。この「我一心」の「我」は、「一心」との関係において成立する「我」ですから、単に「一心」といいましても、これもまた「我一心」における「一心」である、ということではないかと思っています。すると、今回の作願門(下巻)を読ませていただくと、まず「一心に専ら(阿弥陀如来を)念じて」と書いてあります。だからすでに「我一心」においての「一心」ですから、あえて「我」は除いてあるのだろうと思う。しかし、もしそうならば「我一心」とそのまま書いておればいいじゃないか、という疑問もおこるでしょう。

 次に、「ついに必ず安楽国土の往生して」と、その往生への願いがついには成就することが書いてある。この、「必ず」と書いてあるのは、すでに往生は決まっているという意味でありまして、おそらく決まるだろうという意味ではありません。ほとんど決まっているというならば、それは、もしかしたらその願いは叶わぬかもしれないでしょう。だから、ここに必ずとあるのは、それは決定していると言われていることになります。しかし、私たちからしたら、大体にして大丈夫じゃないかといった方が、どちらかというと意味が通りそうです。では、このもう決定しているというのは、いったいどういうことなのかと、ここにも疑問がある。

 そしてまた、この必ずという文字の前に「ついに」という言葉までが添えられています。この「ついに」ということが、ついにそこまで行けばという意味なら、「一心」がついにそこまで成れば必ず安楽国土に往生して、と、こういうことになるでしょう。すると、まだそこまでの過程が残っているということですね。で、その過程を通り越すと、それこそついに必ず安楽国土に往生する。しかし、ついに必ず安楽国土に往生するのなら、今はまだ往生はしていないのではないか、それともすでに往生をしているのか、と、こういうような疑問もあります。

 そして、ついにその安楽国土に往生すれば、そこからいったい何が始まるのか。それは、実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業することが始まるのだ、ということでしょう。こうまでして安楽国土に何をしに行くのかといえば、それは、実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業するために行くのだ、と、言われていることになるでしょう。

 この作願門を読んで、いくつか疑問を作ってみました、こうしてみると、どれもこれもよく分からないし腑に落ちないものばかり。

 で、この作願門にあります「止」は奢摩他といいまして「止観」の「止」の事です。仏教のさとりを「止観」という言葉で現わすのですが、その「止観」の「止」の方が今回のテーマであります。この「「止」の意味が次の文にありますので、まず読んでいきますと、「奢摩他を訳して「止」という。止とは、心を一つ処に止めて、悪をなさないことである。」と、こう説明されています。まずこの「止観」ですが、調べてみたら「止」は「三昧」、「観」は「智慧」だと言われているようです、が、それ以上にはっきりした回答は見つかりませんでした。しかし、とにかくこの「止」を「三昧」で調べると次のようになっております。

 定、正受、調直定、正心行処、息慮凝心、の五つが出て来ます。まず定は、心を一処に定めて動くことがない。正受は、正しく処観の法を受けるとありますから、正しくその観法を受けるという意味だと思います。調直定は、心に暴を調え、心の曲がるのを直し、心が散るのを定める。正心行処は、心の動きを正して、法に合わせるための依処である、とあります。そして息慮凝心については、縁慮を止めて心念を凝結すると書いてありまして、この縁慮というのは対象を捉えようとする心だそうです。また、心念を凝結するとは心を一つに定めることですから、息慮凝心は物事を捉えようとする心を止めて、静かに心を一つに定めることかなと思います。

 で、この説明に従って考えるならば、どれが作願門における「止」なのかということになりますが、「止とは、心を一つ処に止めて、悪をなさないことである」という意味なら、「三昧」のどれもがこの「止」に当てはまるのではないでしょうか。

 次に、この「止」を「不浄観」と「慈悲観」と「因縁観」で説明しておられますね。そして、それだけではこの奢摩他をあらわしつくしていないといわれる。まず「不浄観」ですが、これは死の問題でありまして、人が死んでから腐敗していくまでをじっと観想する。どんなに容姿端麗や美貌の持ち主であっても、その死体は腐敗し、そしてついには骨だけになってしまう、そういう情景を観想して、むやみな欲を止めるということです。

 「慈悲観」は少し難しいですね。仏の慈悲の前では全てが平等であるというような観法だと思いますが、この「平等」という言葉はすぐに賛同される言葉ですが、実際具体的になると、何をもって平等とするかという難問にぶつかる。あちらを立てればこちらが立たぬ、余すことなく平等だというのは、理念としたら魅力的ですが、具体性からすれば不可能に近いと思いますね。で、この「慈悲観」は難しいので少し措いておきます。

 次の「因縁観」ですが、因果応報といいまして、原因がありその結果がある、当たり前のことですが、その因に何かの縁が関わり結果が生じる。こういう道理を因果応報というのだろうと思いますし、そしてこのことを「因縁観」ともいうのだと思います。この「因縁観」は、私たちの人生といいますか、この私が生きるということにおいては業の問題になるのではないでしょうか。業の問題は一人称の問題でありまして、この私が、ここにこうして生きていることにおいての私の業ですから、良いも悪いも今の私は、この私の業において生きているということですね。こういう状況や環境で、こうして来たからこうなったのだという、この道理は当たり前であるがゆえに、大きな尺度にもなると思います。

 信仰ということにおいてもですね、人間がするものですから、その信仰が何かのきっかけで暴走することもある。だから、信心の吟味においても、この因果因縁の道理は大きな物差しになる。物差しとは迷ったときにもとに戻る目安でしょう。いつも気持ちはあっちこっち飛んでいきます。何でも度が過ぎてしまう、信仰や信心も同じです。そういう私たちに足るを知ることを教える。これね、分かっちゃいるけどなかなかそうならない訳ですが、このなるようにしかならないという因果因縁の道理が、今の私の尺度になり、ああそうだったなと何となくでも気持ちを落ちつかせる。ただ、しかしそういう「因縁観」もまた、この作願門の奢摩他をあらわすには正確ではないといわれるのでしょう。 

 まず一通りですが、このように「不浄観」「慈悲観」「因縁観」を話してみました。で、しかしながら、何故ここにこういう観法が載せてあるのだろうかと考えてみた訳ですよ。少し気になる事があるものですから、あえてこの観法を自分なりに踏み込んでみようと思います。そういうことは、この何処にも書いてないのですが、こういうことも言えるのではないかと思いますので、違うかもしれませんが、とにかく話そうと思います。で、どういうことかといいますと、まず、この「不浄観」ですが、「不浄観」は死の観法ですね、すると、自らの死における観法とは何かというと、これは私が死ぬ時ですから「臨終時」のことですね。「慈悲観」はその自らの臨終の時における阿弥陀仏の「慈悲観」ではないか。では、その阿弥陀仏の慈悲とは何かということですが、それは衆生への「平等観」だということです。衆生一人ひとりにそそがれる阿弥陀仏の慈悲の心であります。

 そして、次の「因縁観」が私の業の問題ならば、阿弥陀仏の慈悲はそれぞれの業の深さにあわせて臨終が変わります。三三九品といいまして、上品から下品までの上中下と、そのそれぞれにまた上中下の三種の臨終の様子と往生が説かれています。上品上生から下品下生まで全部救うぞというのが『観無量寿経』の「散善義」ですね。『観無量寿経』は「定善観」とこの「散善義」の二つが説かれていまして、その「散善義」にこういう臨終時の「慈悲観」が阿弥陀如来の来迎として説かれています。この『観無量寿経』の阿弥陀如来の来迎については、今の私たちにはあまりピンときませんが、時代をさかのぼるとかなり宗教的には影響があったのですよ。

 しかし、この「慈悲観」については、実は『観無量寿経』の「定善観」の中の「真身観の仏」に説かれています。仏のはたらきを智慧と慈悲といいまして、阿弥陀仏の智慧の世界とは余すところなく広がる光明の世界観ですね。私たちが良いとか悪いとかいう知恵ではありません。そして、阿弥陀如来の余すところなく広がるその智慧の光は、一人も除くことのない光明の世界ですから、それはそのまま平等の世界観でしょう。その光明の世界観が私一人においても、と、いう時に、智慧の光明はそのまま阿弥陀如来の慈悲心であるということを、この「真身観の仏」に説かれていると思います。なるだけ多くの人に優しくしたいと思っておられる方も多いかと思いますが、また、そういう心がなければこのような阿弥陀如来の慈悲観にも気づかないのでしょうが、仏の慈悲というのは、普通私たちが思う処のやさしさと同じものではありません。

 この『観無量寿経』における「真身観の仏」が阿弥陀仏の「智慧と慈悲」の世界観を顕している。だから『観無量寿経』は「定善観」と「散善義」が説かれているのですから、どちらも阿弥陀仏の「慈悲観」が説かれていることになります。「定善観」は世界観として、そして「散善義」では臨終行儀として。で、この作願門の次は観察門です。その「観察門」にこの「定善観」が関わっているのですね。すると、こういうふうに見て行きますと、『観無量寿経』の「散善義」は、奢摩他の「止」をあらわすにはまだ正確ではないと、こういうふうになるのですね。気になるものですからこういう観点を付けくわえさせていただきました。

 で、この奢摩他の「止」については、次に三つの義(わけ)を言われています。その最初に、「一には、一心に専ら阿弥陀仏を念じて、彼の「国」土に生れたいと願えば、この如来の名号及び彼の国土の名号が、よくすべての悪を止めるのである」と、ここに「一心に専ら阿弥陀仏を念じて」とありますが、この「一心」と「我一心」が違うのかそれとも同じなのかというのが初めに出しておいた問でありました。

 上巻の作願門では「どうして天親菩薩は願生といわれるのか」と、願生ということで言われています。この願生とは阿弥陀仏の国土に生れたいとう願いですが、この願うという場合には、そこに願う処の主体がなければならないでしょう。誰がそう願うのだということですね。私が願う場合は、私の心(我)が願うのだから、私の心(我)が願生するということになります。では、その私の心(我)が本当に願生の主体なのか。このことを上巻では、我とは無生(空)であり虚空のようなものであると言われる。だから私の心(我)といってもそれは亀の甲羅に毛が生えていると思っているようなもので、それは錯覚である。そういう無生(空)のごとき私の心(我)には願生する主体などないぞ、というのが問いかけだったわけですね。

 私たちは漠然とここに願生といわれた場合に、まるでその主体が自分にあるかのごとく思ってしまっているわけですが、そういう私の心というものが錯覚の代物だというのが上巻の説明でした。それじゃあ何がその願生の主体なのかということになります。そこに天親菩薩は「因縁」に願生の主体をおくのだといわれたわけです。ではその「因縁」というのはいったい何だったのか、これが上巻の問いに対する内容でありました。

 先ほどの「三昧」についての説明ですが、その「定、正受、調直定、正心行処、息慮凝心」のすべての主体は私の心であります。つまり、私の心を一処に定める。私の心に正しく処観の法を受ける。私の心に暴を調え、私の心が散るのを定める。私の心の動きを正して、法に合わせるための依処である。私の心の縁慮を止めて私の心念を凝結する。これすべて主体は私の心であり、その心の作用ですね。それに対して上巻では無生(空)をもって私の心の主体を否定されたのですね。そして「因縁」をもってその主体とするといわれます。

 ここで上巻のその「因縁」を思い出していただいて、もう一度作願門の因縁をおさらいしなければならん訳ですが、さあ記憶をたどってくださいてと言ってもですね、これは無理な話なので、よければ後からでも上巻の「因縁」を読んでいただければなと思っております。

 では、端折ってもう一回その因縁とは何かをお話ししますと、この因縁とは身体に属する心の在りようであり、その心の在りように映る私の業の姿でありました。そのどちらが因であり縁なのか分かりませんが、おそらく身体の方が鏡だろうと思っています。そこにそれぞれの私の業が縁として映る。つまり鏡とそこに映る業の関係になります。では、その私の業の姿とは何か、それは私の心である思慮分別心の中でしか生きられないという私の業の姿でありまして、そして、この私にまでになった業の歴史そのものであります。そしてその業の姿こそが名号の義(いわれ)によって、阿弥陀如来の光明に顕かにされた衆生の姿であり、阿弥陀如来が救わなければならない衆生の姿に他なりません。

 この阿弥陀如来の光明とその衆生の関係がついには、阿弥陀如来の正覚の相にまで成就すれば、阿弥陀如来の正覚が成就する相はそのまま衆生の姿でありますから、その衆生の姿も阿弥陀如来の正覚の相に他ならないのであります。名号の義(いわれ)によって、その衆生の姿が成就する。その姿こそが「我一心」の「我」ですね。この「我」を拠り所にする「一心」でありますから「一心」もまた私の思いを超えた「一心」であります。しかし、こういうことはすごく難しい問題でありまして、人間の思慮分別を超えたものを、あえて分かったつもりで整理しようとしているだけですから、実際の信心というわけにはいなかいのですが、こういうことではないかと思います。で、この思慮分別を超えた阿弥陀如来の正覚のときに「一心」であるということですね。

 

 この阿弥陀如来の光明に明らかにされた衆生の姿と、阿弥陀如来の正覚が不二の関係であるといのが阿弥陀如来の正覚の相でありますが、それを思慮分別を超えた実(まこと)の相だというのですね。その実(まこと)の相においてこの「一心」もまた不二の関係だというのがここで言われようとされる処ではないでしょうか。つまり、阿弥陀如来の正覚の相は、衆生との不二の関係であると共に「一心」においても不二の関係であるということです。衆生と阿弥陀如来の関係を安楽国土としてあらわすときは、おそらく場所としての関係でしょう。そして「一心」においては「実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業したいとおもう」ということですから、「一心」は阿弥陀如来の正覚におけるところの菩提の相になります。この場合は時間の相です。

 そして、この菩提の相が何を欲しているのかというのが最後の文になります。「実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業したいとおもい、ついには必ず阿弥陀如来の正覚の成就された安楽国土に往生したい」と欲するのだ、といわれているのですね。「月を指さす」という言葉でいいますと、このときの「月」が安楽国土ですね。そして「指さす」が、今日話しました「一心」です。するとこのときの月は阿弥陀如来の安楽国土であり、阿弥陀如来の正覚の相でしょう。ところが、指さす「一心」も阿弥陀如来の正覚の相です。この「月を指さす」といった場合の月と指の関係は、指さす「一心」があるときに月「安楽国土」ありですね。そして「一心」がないとき月はない。ここにもまた「月を指さす」という場合の不二の関係があります。指さすこちらも安楽国土、指さした月も安楽国土、こういう表現が出来るかなと思いますが、この場合の指と月は離れていますか、それとも離れていませんか。

 こういう話をすると、科学に少し興味がある方はオヤっと思われるでしょうか。こちらに明かりがともると同時にあちらにも同じ明かりがともる。これ「量子もつれ」という現象だそうです。量子力学の「量子もつれ」はすでに実証されています。まだ解明はされていないと聞きますが、何か関係があるのかなとも考えています。物理学を専門に学んだこともありませんので、詳しいこことは分かりません。以前は宗教哲学といいまして、この二つは同じ領域で扱われています。それが最近は科学との境界もなくなりつつある、そういう思いはしております。

 しかし、それにしてもこの下巻の作願門は不思議な終わり方です。五念門の途中なのに完結している。勿論、曇鸞大師が「量子もつれ」を知っていたはずがありませんから、不可解な事だと感じておられたのではないかと、勝手に想像しているわけです。こういう解釈に対して、それはお前の読み違いじゃないかといわれるかもしれませんが、自分としてはこの「月を指さす」という関係は今後も観て行きたいと思います。

 で、いったい次の本論である観察門はどうなったのでしょうか。自分なりに一生懸命考えてみました。おそらくですが、すでにこの観察門らしきものを通ってきたのではないかと思うのですよ。あくまでもそれなりにですが、模擬的にひととおり通ってきた、模擬というのは本物ににせて行うことだそうです。それが一年前の「我一心について」から「礼拝門と讃嘆門」の上下巻をとおして、模擬的にでも観察門を通過してきたのじゃないかと思うのですね。今日はこの辺りで終わらせていただきますが、私たちからみれば、この模擬的な場所からすでに本論ではないだろうかとも思います。次回は親鸞聖人の書物から角度を変えて、この『浄土論註』を訪ねてみたいと思っております。

『浄土論註』上巻 作願門

令和4年9月 秋彼岸会より

『浄土論註』上巻 作願門

「 願生安楽国とは、この一句は作願門である。天親菩薩の帰命の意をあらわしている。安楽の意味はあとの観察門の中にくわしくのべられている。

 問う。大乗の経論の中には、処々に衆生はつづまるところ無生(空)であって、虚空のようなものだと説いている、であるのに、どうして天親菩薩は願生といわれるのか。

 答う。衆生は無生であって虚空のようだと説くのに二種ある。

 一には、凡夫が思っているような実体的な衆生、凡夫が見ているような実体的な生死というもの、そのような事実はけっきょくあることないもので、ちょうど年老いた亀の甲に毛があると錯覚するようなものでしかないから、虚空のようだというのである。

 二には、諸々の存在は因縁によって生じているものであるから、とりもなおさず不生である。だからあることがないのは虚空のようだというのである。

 天親菩薩が願われる生は因縁の意味である。因縁の意味だから仮に生と名づけるのである。凡夫が、実の衆生あり実の生死ありというがごときものではない。

 問う。どのような意味で往生を説くのか。

 答う。この国の人々の中にあって、五念門を修するという場合、前念は後念に対して因となる。この娑婆世界の人間(因)と浄土の人間(果)とは、まったく同一ではない。しかしまったく異なるものでもない。五念門を修する場合の前心と後心も、またこのようである。

 どうしてかといえば、もし同一であれば、因果がないことになるし、さればとて異なるなら娑婆の世界の人間と浄土の人間とは連続していないことのなるからである。この意味は一異を観ずる論に中にくわしくのべてある。

第一行の三念門の解釈をおわる。」

ー 令和4年9月23日 秋彼岸会より ー

 今日は論註上巻の作願門をお話ししようかと思っております。前回の下巻の讃嘆門でかなり一杯いっぱいでしたので、はたしてうまく読むことができるか心配ですが、とにかく話すことに致します。相変わらずお聞き苦しいかとも思いますが、宜しくお願い致します。

 作願門をこうして読んでみると、相変わらず難解であります。また、年を取った亀の甲羅に毛があると思ったことがないし、甲羅に毛があるようなことも知らなかったし、それが錯覚だとも思ったことがないものですから、このたとえそのもがピンとこない。論註には様々なたとえが説かれてありまして、何のことか分からないものや戸惑うものもあります。国の違いや曇鸞大師の生きてこられた時代背景もあるでしょう。それも含めて言わんとされるのは何か、それが問題である、などと偉そうに言ってみてもですね、実際の器量もありますから察しようと思ってもそうは問屋が卸さないことも重々分かっているつもりです。でも、これが最近の法話のテーマでありますから、それも含めて話が出来ればと思います。で、すでにこの年寄りの亀の甲羅に毛があるか無いかで戸惑っているわけです。

 曇鸞大師が生きておられた時と処を同じように体験することは出来ないのでして、そういう面では親鸞聖人も鎌倉時代のお方ですから、現在の私たちの感じる感覚とはまた違うはずです。しかし、それでも人間としての芯が違うかと言えば同じだといっても差し支えないのではないでしょうか。

 この前、ご法事の中休みにご親族の方と世間話をしていました。「007シリーズの最新版、ノータイムダイ」が来ているから観に行きたいと話しておりました。そうしたらですね、二十代の男性が何やらニヤニヤされている。で、そう思いませんかと尋ねてみました。するとわりとキッパリそう思いませんと返事をされるのですよ。しかし、ああいう映画は大きいスクリーンで観た方が面白いでしょうと聞き直すと、またかすかに笑われる。要するに入場券を買ってまで観ようと思わないということでして、ビデオで観ればいいから、それはそれでそういうものかと思いました。それで、また聞き直して、では「鬼滅の刃 無限列車遍」なら観に行くかと尋ねると、それは行きたいと答えられる。こちらは「鬼滅の刃」こそそうまでして観に行こうとは思わない。映画館で館内を見渡すと大体が同じ世代の人が多いですね。世代が違うと映画の嗜好も変わってくるようで、自分はどう考えても「鬼滅の刃」より「007シリーズ」の方が観たい映画である。これ、世代を代表する意見といえるかどうかですが、けっこうそう言えるのではないですか。

 私が育った時代は科学の時代、今も科学の時代ですが、私が育った時代は科学信奉の時代で、科学がまず一番先にあった時代。科学的でないのは迷信である。科学の研究者はそうは言わなかったかもしれませんが、科学を何となく思っている程度の人は、科学的でないのは迷信であると思っていた。

 以前は、49日は三ヵ月かかるといけないのですかと、ご門徒さんが心配して聞かれると、それは迷信ですと答える。しかし、どうも受け答えがかみ合わないことも何となく分かっていました。すると、迷信とは雑草と同じような意味だと考えるようになる。雑草などという草はないのですから、迷信もまた何かの意味があるのではないかと、考える人が出てくる。そうすると、それは俗信ですと答えるようになる。俗信を、その地域に根付いた生活と密接に関係がある習俗だとすると、そこに何かの理由で禁句というのが出来て、そしてそれを禁ずることで周囲が調和することですね。この指とまれで、村社会や地域性に禁ずるものをもうけて、それによってその周辺が団結するということですが、これは生活の知恵ではありますが、また閉鎖性がつよくなることもある。現在でもよく聞きますいじめ問題もこういう深層的なものが何処かにあるのかもしれないでしょう。

 迷信をひとくくりにしないで、それぞれの成り立ちにスポットライトをあてていく、いわば迷信の細分化ですが、これを科学というのかといえば、これも科学的ではないでしょうか。で、今も科学の時代ですが、科学と魔法が同じ場所にあるような気がする時代、これが現在ではないかと思ったりしております。「ハリー・ポッター」のように魔法の杖ひとつでいろんな事が出来るなんて思わなくても、何となく科学が全てではないと何処かで思って入る時代。そんな気がしませんか。しかしこう言いましてもですね、おそらく私たちの世代はそれほどは強くはそう思わない、違いますか。これは若い方に聞いた方がいいと思いますが、どこか私たちの感覚と違うものがあるのではないかと思いますよ。「007」と「鬼滅の刃」の違いですね。

 私たちはしょせんマンガじゃないか、ということから「鬼滅の刃」を観る。そして内容はなかなかよく出来ていて、けっこうおもしろいと思う。では、若者はどう思うのか。若者でもないものが察しても仕方がないのですが、あえて言えば、科学信奉でないならば、しょせんマンガじゃないかという発想はなくて、内容が充実しているならそれでいいのですね。そしてこの科学信奉という偽りをどこかで気づいているのかもしれない。情報過多の時代に生きている中で、この盲目的な科学信奉は嘘っぽい、そういう空気をすいながら大きくなってきたのではないかと、もう若くないというか、年寄りがそう考えるわけです。年寄りは漫画だから嘘っぽいと思い、若者は科学信奉が嘘っぽいと感じている。で、この両方のどちらが正しいかといえば、どっちもどっちだというのが大体の答えになりそうですね。

 じゃあここに何があるのだろうかといいますと、空気の流れのような時代の変遷でしょう。その時々の時代に流されて生きているものだから、何処からどこまでが自分で、何処からが時代の空気なのかよく分からない。すると、オレがオレがと思っていたら何処までがこのオレなのか分からなくなる。こういう点では老人も若者も同じかもしれないでしょう。この『浄土論註』が顕された時代は、現在のような科学的な見識などほとんどなかったでしょうね。今の私たちの日常から科学を消してしまって、そのうえで生活しようとしたらどうなるでしょう。とうてい考えられないというのがほとんどの方の答えではないかと思います。

 しかし、それでは人間というものに何か芯というものがあって、その芯も時代の移り変わりと共に違っていくのかというなら、きっと変わらない芯があるはずだと答える自分がいます。だから曇鸞大師が気になるのだし、親鸞聖人が何を説こうとされてきたのか知りたいと思う。

 年を取った亀の甲には毛があるのは錯覚であるという話が長くなっていますが、たしかに亀の甲羅に毛があるなどとは考えたことがありませんが、年を取ることが時代の空気に染まり続けるということならば、その空気の色や臭いがしみこんだ私という年寄りの見識はまた、この私が自分だと思っている漠然とした、モヤモヤっとして、いわば年取った亀の甲羅に生えた毛のようなものかもしれないですね。

 この作願門は天親菩薩の帰命の意をあらわしている、というのがこの上巻の作願門の初めの言葉です。そこにふたつの問を出されています。その最初の問いが「大乗の経論の中には、処々に衆生はつづまるところ無生(空)であって、虚空のようなものだと説いている。であるのに。どうして天親菩薩は願生といわれるのか。」この願生の問いは、そこに願が生じることですから、衆生が無生(空)であるならば、それを願生するところの発露といいますか、そういう起点がはたして衆生にあるのかということではないかと思います。

 この問いに答えられるときに、この亀の甲に毛があると錯覚するという話が登場するわけですね。実体的な自分というものが分からないなら、外に見るものも実体性に欠けてくる。この衆生が無生であり虚空のようだということを自分なりに話した次第です。

 そしてもう一つの答えが因縁生ということですね。「諸々の存在は因縁によって生じているものであるから、とりもなおさず不生である。だからあることがないのは虚空のようだというのである。」この因縁生というのは、前回讃嘆門の下巻で話しました衆生性にける根性論をそのまま持ってくればいいかと思いますが、因縁生とは業の問題だと思います。亀の甲の毛は時代という空気の問題ですから、生活と環境とその流動性。これに対して因縁生は業の問題でしょう。

 讃嘆門では、衆生性の根性論という言葉を使って話しましたが、身口意の身とは身体のことですから、日常の具体的な振る舞いもはいるでしょう。口は言葉です。会話でいろんなことが起こります。意は心ですから何を思い、そして何を考えているか。こういうふうに言ってみると、どうも良い事のほうがあまり浮かばないのはじぶんだけでしょうか。何を考えているかといえば、不安だったり、心配したり、うらやましがったり、愚痴ったりで、だいたいろくなことは出てこない気がする。根性が悪いからでしょうか。そしてこの身口意をもって生活があるのですが、他人との関係でもこの身口意をもって関わりますから、そこに当然様々な関係が生じて行きます。これを業というのだろうと思います。

 ただ、そこに私として連続する同一のものは何かというと、そこに私の根性がある。もっといいものが出ればいいのですが、じっと考えると根本には私の得体の知れぬ根性がある。性格もそうだし、そういう根性というものが深く私の業を作っていることはよく分かるのですね。しかし、ではその根性というものが実体的に有るかといえば、あるようないような。こういうふうに考えていくと私という個としての存在が段々と不確かになってきませんか。当たり前と思っていた私というものが、状況次第で、風に吹かれれてふらふらとさまよう根無し草のように思えてくるなら、それは様々な因縁により生まれ、また因縁により変化するようなものである。それは、私という主体性があるとも言えないし無いとも言えない虚空のようなものである。

 この二つの虚空をまずあげられて、そして「天親菩薩が願われている生は因縁の意味である。」と言われますね。じゃあ、天親菩薩はこの二つめの虚空である因縁生を願われるのかいうと、そいうことではないですね。この場合は、おそらく因縁にみることろの人間の心のメカニズムでしょう。どこのだれかの因縁がどういうものかというのではなくて、どこの誰でもの生であるところの心のメカニズム、このメカニズムということが分かりにくいなら、その時々の心の在りようは、状況次第でおおよそ同じような動きをするということでしょうか。「みんな違ってだいたい同じ」、最近聞いた言葉ですが、これはアフリカ人の方が日本人と一緒に物を考えたりしたときに紹介された言葉ですが、様々な環境や状況の違いがあっても、そのアフリカ人と日本人の基本的な心の思考方法はおおよそ同じだったということですね。このような心のメカニズムは個人を超えて一般的ではありますが、その人がそこにどのような環境で具体的に生きて来たかということにおいては、その人ならではの心でありその人の個性でしょう。

 こういう心の在りようは、私の心といっても、どちらかといえば身体的な側面をいわれているのではないでしょうか。内臓機能を自分の気持ちで止めることができないように、心の在りようが身体に属しているなら、自分の心でありながら、把握しようとしてもとらえ切れることは出来ません。しかしまた、その機能としての心の在りようもまた自分であることに他ならない。では、この「天親菩薩が願われる生は因縁の意味である。」ということはどういうことでしょうか。私自身からしたら亀の甲羅に生えた毛こそが自分であり、こうして自らを生きてきた業こそが私の証であります。しかしながら、この心の在りようからすれば、それはたまたまそこに生えた毛のようなものであり、しかもそれが自分だと言い張っている私の姿がそこに有るだけです。しかし、だからといってそれ以外に何かある訳でもないですね。

 機能としての心の在りようがあるじゃないかといいましても、その心はこの私の思いが実有だと思いこんでいる、私という衆生の姿を映す鏡にはなれ、この私の思いに収まるものではないですね。この心の在りようの鏡とそこに写された衆生の姿との関係を、ここに因縁といわれているのだろうか。そしてそこに天親菩薩が願われる生の立ち位置があるのかなと、そう読ませていただいております。

 で、次に往生の問題が出てまいります。「問う、どのような意味で往生と説くのか。」この答えに、まず「この国の人々のなかにあって」と書いてありますが、この国とは、一応は浄土のことでしょうね。だから浄土の国の人々の中にあってと読むのだろうと思います。作願門は五念門の第三番目の門ですから、礼拝門からすでに浄土の門は始まっています。浄土の玄関まで来ているわけです。それが作願門でいよいよ浄土の玄関から奥に入る。私たちも便乗してここまで来ました。

 すると次に「五念門を修するという場合、前念は後念に対して因となる。」と書かれています。五念門の真ん中にあるのがこの作願門ですが、前念と後念をどこで分けるかといえばこの作願門である。この作願門の最初の問いが無生(空)がテーマになっています。この無生(空)であるところの虚空を立ち位置にして願生でありますから、礼拝門と讃嘆門がこの無生(空)の前念になりますね。それを「娑婆世界の人間(因)」と言われている。すると、後念は作願門を立ち位置にした第四門の観察門であり、それを「浄土の人間(果)」と言われていることになろうかと思います。しかしここに言われる「娑婆世界の人間」は、讃嘆門ですでに阿弥陀如来の名号の義(いわれ)を理解しているのだから、一応はこの浄土の国の人々である。しかしまだ虚空を実体と思いこんで生活しているから「娑婆世界の人間」だということでしょう。

 それでは「浄土の人間」とは何かといえば、この二つの虚空を実体と思いこむことでしか生きられない自らの姿を自覚していく人ではないですか。そしてその姿が名号の義(いわれ)とともに阿弥陀如来の光明に映されて、私に衆生の姿を賜るのでしょう。だから娑婆世界の人間であることが、そのまま浄土への人間を生んでいくということですね。門というのは出たり入ったりする場所ですから、行ったり来たりする。そして行ったり来たりしながら深まっていくのだろうと思います。

 五念門には前門と後門とにこの作願門という大きな門がある。そしてその作願門に「五念門を修する場合の前心と後心も、またこのようである」と述べられますが、この前心と後心といいますのも、この娑婆世界の人間の心と浄土の人間の心を、前心と後心とで言われているのではないでしょうか。その前心と後心が行ったり来たりする。それがそのまま、一ならず異ならずといった、不一不異を観じながら、少しずつ深まっていく世界であるといわれているのではないかと思っております。

 上巻の作願門をこういうふうに読ませていただく訳ですが、こういう読み方が的を射たものならば、この五念門は礼拝門から讃嘆門、そして作願門です。その次が本論の観察門で、最後が回向門です。本来ならばこの作願門は次の観察門の通路ですね。当然その観察門には入っていくのですが、この上巻の文を読みますと、作願門を行ったり来たりする。そして内容的には讃嘆門に納まるような気がするのですね。どういうことかなと、今後の課題にさせて頂くつもりです。で、今後の予定ですが、次の下巻の作願門をもってひとまず論註は終了しまして、その次からは親鸞聖人の御書物を中心にしてこの論註を訪ねて行きたいと思っております。

 

『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門

令和4年6月 永代経法要より

 礼拝門・讃嘆門から

 [ どのように礼拝するのか、身の業(わざ)をもって、阿弥陀如来・応・正遍知を礼拝したてまつるのである。諸仏如来の徳は無量だから、その徳をたたえる号(みな)もまた無量である。もし、それらについてことごとく語ろうとすれば、とても紙や筆でかきしるせるものではない。だから、いろいろの経典に、十名をあたり、三号をのせたりしているが、およそこれらは、最も重要なものだけであって、どうして(仏の徳が)それだけでつくせることがあろうか。ここでいわれている三号は、すなわち如来と応と正遍知とである。

 如来とは、ものの相(すがた)そのままに説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたように、この阿弥陀仏もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「 如( より ) 来(る)」というのである。応は応共(おうぐ)である。仏は煩悩をことごとくのぞきつくして、あらゆるのもに通達した智慧をえて、一切の天地の生きとし生けるものの供養を(真実に)受けるに応(ふさわ)しい唯一のかたである。だから「応」というのである。

 正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相は)心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(の実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変らないのである。だから「正遍知」というのである。(論に阿弥陀とかいてあるのは無碍光ということであるが)無碍光という意味は、前の偈のところで解釈したとおりである。

 その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意(こころ)をなさんがためである。

 どうしてこういわれるかといえば、菩薩の法では、つねに昼三時夜三時に、十方のすべての仏たちに礼拝するが、これは必ずしも願生せんとの意(こころ)があるからではない。つねに願生の意(こころ)をなすべきであるからこそ、阿弥陀如来(一仏)を礼拝したてまつる、というのである。 

 どのように讃嘆するのか。口の業(わざ)をもって讃嘆したてまつるのである。讃はほめあげる、嘆ははうたいたたえることである。讃嘆は(人間においては)口でなければのべあらわされない。だから「口の業」というのである。彼の如来のみ名を称え、彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義(いわれ)のごとく、その実のごとくに修行して相応しようとおもうからである。「彼の如来のみ名を称える」とは、無碍光如来のみ名を称えることである。「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに」とは、仏のひかり明るいかがやきは智慧の相(すがた)である。この光明は、あらゆる世界を照らすにさまたげられることなく、よく生きとし生けるものの無明の(黒)闇をとりのぞくのである。それは、日や月や珠のひかりが、ただ空穴(へや)の中の闇を破るだけのような(小さな)ものではない。「彼の(如来の)み名の義(いわれ)のごとく、実(まこと)のごとくに修行して相応しようとおもうからである。」とは、彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。

しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは(如来の)実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことによるからである。どうして実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことになるかといえば、(この無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生のためにこそ(仏になられたところの)身である、ということを知らずにいるからである。

 また、三種の不相応がある。一には、信ずる心が純朴でない。信じたり疑ったりするからである。二には、信ずる心が(専)一でない。決定がないからである。三には、信ずる心が継続しない。ほかの念(おもい)がまじるからである。この三つは、たがいに展開しあってなりたっている。つまり、信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しないのである。また念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でないのである。これと逆なのを「実(まこと)のごとくに修行し相応する」というのである。だからこそ、論主はまっさきに「我れ一心に」と宣言されたのである。]   

 

 長い引用文になりましたが、前回は、上巻の礼拝門と讃嘆門でしたので、今回は下巻の礼拝と讃嘆を話そうかと思っております。分けて話すことも考えましたが、内容的にあまりよろしくないと思い、両方一緒に話すことにしました。引用が長いぶん話も長くなりますが、勘弁していただいてお付き合い願えれば幸いです。

 で、まずこの下巻の概要を簡単に述べてみたいと思いますが、この礼拝門は、今読みましたように、三号を礼拝すると書かれております。で、その三号とは何かといいますと阿弥陀如来と応と正遍知とである、ということでした。これを身の業(わざ)をもって礼拝する。これが礼拝門の内容です。そして讃嘆門はその三号を讃嘆する。こういう事になっているようです。

 礼拝門では三号ということが説明されていて、讃嘆門においてはその三号を口業の念仏でどのようにとらえていくのかが、ここの問題になっているような気がします。礼拝門の終わりの処に「その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意(こころ)をなさんがためである。」と書いてありますが、この文章が礼拝の終わりに措かれてありまして、そして次の讃嘆門が始まるわけです。おそらくですが、この文章は讃嘆門へのつなぎの役をしているのではないかと思っております。下巻の礼拝門は三号のそれぞれを説明するだけで終わっていますので、讃嘆門はその三号を口業の念仏において主体的にあらわそうとされている。簡単な概要でありますが、そういう事ではないかと思っております。

 それではまず、礼拝においての三号の最初であります阿弥陀如来から話をすることにします。この阿弥陀如来ということですが、こうして読んでみると「如来とは、ものの相(すがた)その如(まま)に説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたように、この阿弥陀如来もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「如(より)来(る)」というのである。」と、こう書かれています。阿弥陀如来だと言いながら、内容は如来とは何かということが主であるわけです。ここでの阿弥陀如来をずっと考えていたわけですが、困ったことにこの阿弥陀如来も次の応もまだよく分からないのが正直なところでして、特に正遍知などはてんで分からない事になってしまうのですね。しかし、礼拝の内容がこの三号の説明でありますから、ただ分かりませんでは事がすまされない。それで至らぬ見解ではありすが、現時点における見解を少し述べさせていただいて、話に代えさせていただこうと思っております。宜しくお願い致します。

 それではこの阿弥陀如来ですが、ここでは「ものの相そのままに説いて、安穏の道より来られ、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから如来というのである」と書かれています。で、ここにおける阿弥陀如来を話す前に、上巻の讃嘆門に「なぜ阿弥陀と名づけるのか」という処がありますのでまずそこを読んでいきたいと思います。資料をご覧ください。                                 

 讃嘆門上巻  [ なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であると知れるかといえば、あとの長行(下巻の讃嘆門)にいわれている。どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名の意義のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめられるからである、と。釈尊が舍衛国で、お説きになられた『無量寿経』(阿弥陀経)によれば、仏自ら阿弥陀如来の名号の心をあきらかにしておられる。即ち、なぜ阿弥陀となづけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏たちをはじめ、そのみもとにある人々の寿命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と ]      

 上巻では、阿弥陀如来とは名号であり、その名号の心をあきらかにしておられると言われています。ただし、礼拝門は身業におい礼拝するのですから、名号はまだ出てきません。また、名号というのは、南無阿弥陀仏の六字の名号のことでしょう。南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏に南無するということ、南無と帰命とは同じ意味ですから、帰命尽十方無碍如来は、私たちが称えるところの口業の念仏になりますと南無阿弥陀仏を称えることになり、その南無阿弥陀仏を名号というわけですね。

 それでは、また下巻の礼拝にもどりますが、三号の阿弥陀如来とは何か。「如来とは、ものの相(すがた)その如(まま)に説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたとうに、この阿弥陀如来もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「如(より)来(る)」というのである。」この如より来るの、如とは、言葉にあらわすことができない、言葉を超えているという意味があります。しかし、この言葉では表現できないものをあえてイメージすることはできないか。浦島太郎の話にある竜宮城が絵にも描けない美しさであるとしても、それぞれが竜宮城を何となくイメージしているでしょう。このイメージというのはそういう漠然としたものから、姿かたちがハッキリしたものまで幅が広いわけですが、三号におけるこの阿弥陀如来をあえてイメージするということで考えると、少しは話が出来るのではないかと思うのですね。では、阿弥陀如来をどのようにイメージするのか。それが今読んだ「なぜ、阿弥陀と名づけたてまつるのか」というところですね。その阿弥陀とは「彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない」この光明無量の阿弥陀如来のひかりをイメージできるかということでしょう。別にイメージできなくてもいいのですよ。

 で、その光明は十方の国々を照らすに少しのさわりもなく、そして彼の仏たちをはじめ、そのみもとにある人々の寿命が永遠である。こういうイメージがそのままにして壊れることがなく、その相をそのままに顕すような手立てとは何かということですね。私たちの思慮分別では捉えることができない、言葉を超えている世界ですが、その世界である光明無量をあえてイメージして、そのイメージのままに光明無量という言葉に置き換える、そして、それを阿弥陀と名づけた。これを「なぜ、阿弥陀と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。」と、阿弥陀と名づけることによって、阿弥陀の光明無量の相がそのまま言葉の仏となってもどることがない。この言葉の仏を阿弥陀如来といわれる、こういう意味があるのではないかと思うのです。

 こちらの願い(南無)に応じて如より来る阿弥陀如来ですから、南無阿弥陀仏、この南無阿弥陀仏をもって如来の名号だというのでしょう。これすごく難しい問題を言っておりまして、このへんで無理に説明することはやめにしたいと思いますが、ひとまず、この三号の阿弥陀如来を説明するにおいては、こういう捉え方があるのではないかと思うわけです。ただし、礼拝は身業をもって礼拝するのですから、言葉の仏というよりも、どちらかといえばそれは阿弥陀如来像であり、その阿弥陀如来の姿とその光明無量なる世界観といったようなものが礼拝においての阿弥陀如来のイメージではないかと思います。

 では、次は応です。「応は応共(おうぐ)である。仏は煩悩をことごとくのぞきつくして、あらゆるものに通達した智慧をえて、一切の天地の生きとし生けるものの供養を(真実に)受けるに応(ふさわしい)唯一のかたである。だから「応」というのである。」この応もまた阿弥陀如来ですね。礼拝の阿弥陀如来は姿かたちの如来ですから、その阿弥陀如来像に人格的な徳を顕すのでしょう。だから、三号の阿弥陀如来と応はどちらも阿弥陀如来ですが、応は如来の姿にその徳を思いはかり、阿弥陀如来の姿に光明無量のひかりの徳をいただく、つまり礼拝の対象となる如来の姿に、その如来となられた背景をも観じていくということではないかと思います。

 それでは次は正遍知です。「正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相)は心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(の実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変らないのである。だから「正遍知」というのである。」ここで諸法の実相ということをいわなければならないわけですが、どうしたらいいのでしょうか。これが分かればそれでいいわけですけど。ま、とにかく、この三号は阿弥陀如来と応であり、そしてこの正遍知であるということですね。阿弥陀如来と応は何となくでも分からなくはないでしょう。そんな気がしませんか。ところがこの正遍知が三号の阿弥陀如来と応とともに言われているわけですね、こうなると分からない。ただこの実相の問題は後程出て来ますので、ここではこのままにしておきたいと思います。

 それでは次は讃嘆門ですが、この讃嘆が始まる前、つまり礼拝の終わり部分ですね、「その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意をなさんがためである。」と言われているところですが、礼拝は三号を説明されるだけで終わりますので、次の讃嘆へのつなぎがここで添えられているのではないかと思うヵ所です。そしてその礼拝での三号の説明に対して、今度は讃嘆において口業の念仏にその三号を主体的に説かれようとする、そういうことかなと思います。

 で、まず「彼の如来のみ名を称え、彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義(いわれ)のごとく、その実のごとく修行して相応しようとおもうからである」と言われます。この短い文章に先ほどの三号が述べられていると思います。で、そのどこが三号の阿弥陀如来であり、どこが応なのか、そして正遍知なのかということになりますが。

 まず、「彼の如来の名を称え」のところがおそらく阿弥陀如来でしょう。この「彼の如来のみ名」は、無碍光如来が阿弥陀如来という言葉の仏になられたみ名ですから、その阿弥陀如来のみ名を称えるとは、南無阿弥陀仏の名号を称えることですね。だからこの「彼の如来のみ名を称え」が三号の阿弥陀如来だと思うのです。

 すると、次の「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義のごとくに、その実のごとく修行して相応しようとおもう」までが応ではないでしょうか。礼拝では阿弥陀如来の徳を思いはかるのですから、讃嘆の応は名号の徳を思いはかる。それではその南無阿弥陀仏の徳とは何かといいますと、次に書いてある「彼の如来のひかり明るい智慧の相」が阿弥陀如来の徳ですね。そして「彼のみ名を義(いわれ)のごとく修行して相応しようとおもう」までが、阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の六字の名号になられた義(いわれ)を、私が念仏において主体的に思いはかり相応しようと思うと、そういうふうにも読めます。

 しかしこの両方の説明をその後に載せてありまして、そこには何と書いてあるかといえば、まず「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに」のところは、「あらゆる世界を照らすにさまたげられることなく、よく生きとし生けるものの無明の(黒)闇をとりのぞくのである。それは、日や月や珠のひかりが、ただ空穴の中の闇を破るだけのような(小さな)ものではない」と、言われますように、光明無量とは、まず普通考える照明のような物質的なひかりではなくて、私の心の無明の闇を破る智慧をひかりだといわれる。

 そして次が問題でありまして、次に何と書いてあるかといいますと、「彼の(如来の)み名の義のごとく、実のごとく修行して相応しようとおもうからである。」とあります。この名号の徳を思いはかりながら、その義のごとく実のごとく修行してと、私が思いはかりながら修行するのだと読んでいくと、読めなくなっていきます。

 それでは、その次はどういうふうに書いてあるかといえば、「彼の無碍光如来の名号は」と書いてある。だから、阿弥陀如来の智慧のひかりが言葉の仏になり、その言葉の仏であるところの「彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるものの無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。」となっているでしょう。阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の名号となられたときに、いつの間にか名号が主体であって、称えている私は、この無碍光如来の名号により、「よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させる」ところの、その一人としての私である、というふうになるのではないですか。称える私が主体だったはずが、名号が主体となり、私が客体である。主客が逆転しているでしょう。

 讃嘆では、阿弥陀如来の徳を思いはかるとことが、名号において、阿弥陀如来の光明無量のひかりが私の方に入ってくる、そういうことを言われているのではないかと思うのですね。なかなかよう分からんようなことですが、この彼の(如来の)み名を義(いわれ)にはこういう主客の逆転が込められているのではないでしょうか。この讃嘆門の応による主体の逆転を通して後に正遍知というものがある、そういう事ではないかと思っております。

 それでは正遍知です。このみ名の義(いわれ)を知って念仏申す身になった。それで何がどうなったのか。「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜか」と、こういう疑問が出てきた。それが次の段です。

「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは(如来の)実のごとく修行しないのと、み名の義に相応しないことによるからである。どうして実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことになるのかといえば、(この無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生のためにこそ(仏になられたところ)の身である、ということを知らずにいるからである。」

 私が称えるところの念仏は、たとえこの名号の義(いわれ)を理解して称えたとしても、無明はなおあり、願いは満たされない。それはなぜかということですね。それに対して如来の実(まこと)のごとく修行しないのと、み名の義(いわれ)に相応しないことによるからだと言われます。この「(如来の)実のごとく修行しない」というのは、さきほどの「彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させる」はずが、実のごとくに修行しないから、そうならないのだということでしょう。彼の無碍光如来の名号が主体ですから、その主体が実のごとくに修行しない。そしてまた、「み名の義(いわれ)に相応しない」というのは、このみ名の義とは名号の義のことですから、その名号が主体となり、私が無碍光如来の智慧のひかりに入ることが分からないからだ、と。だから「(如来の)実(まこと)のごとく修行しないのと、み名の義(いわれ)に相応しないことによるからである。」といわれるのではないでしょうか。

 で、なぜこういう問題が起こるのかといえば、それは「(無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生にためにこそ(仏になられたところ)の身である、ということを知らずにいるからである。」とここに、三号の正遍知でいわれていた実相が出て来ます。そして実相の身であり、(為物)衆生のためにこそ(仏になられたところの)身であることを知らないからだと言われる訳です。「如来は是れ実相の身なり、是れ物の為の身なりと知らざるなり。」ここでいわれてる実相が正遍知でいわれる実相のことでしょう。困ったことにここでこの正遍知を自分なりにでも通らなければならないわけです。                      

 まずここにいわれている衆生ということですが、これを衆生性ということで話が出来ないかと思いますが、調べるとそんな言葉はありませんでした。だから造語になると思いますが、この性という言葉には根性という意味もありますね。だから衆生根性と言えばいいのかもしれませんが、とにかく衆生性という言葉を使って少し話そうかと思います。身口意(しんくい)という言い方がありますね、身は身体のことで私たちの日ごろの動作もそこに入るかと思います。口は言語であり言葉でしょうか。そして意は心ですね。すると、私の心が私の動作や振る舞いに現れ、私の心が言葉になって表現されていくのですね、そしてこの状態が私の生活になるわけでしょう。周りとの関係にこの身口意で関わることにより私の日々の生活がある。その積み重ねを業というのだろうと思うのですよ。だからそれを業というならば、私の生活基盤は、私が生れる前からすでに始まっているわけですから、私よりもこの業の方が古いことになりますね。で、この身口意というのは私の事でありますが、この身口意に先ほど言った衆生性を見るということです。単に身口意を生きているわけではないですから、当然その身口意なるものには何かの根性があるだろうと思ったりするのですね。その根性を衆生性という言葉で説明しようとしている訳です。

 今回はこの衆生性の根性論を通して、「衆生の為に仏になられたところの身である」といわれる為物身の問題を考えてみます。で、この身口意も私の心が思う処の身口意ですから、この身口意を思う私の心がどうしても入ってしまう。心が私ですから、私は心から出ることはありません。だから身口意といっても心が捉えた私の身口意であり、私の心はいつもそこから外れて行きます。衆生というのも同じことで、私の心で私を衆生だといくら思ってみたところで、私そのものの衆生性を自覚することは出来ないですね。私は根性が悪いですくらいは言えますよ。しかし、根性そのものが私なら、衆生性を自覚することなど出来ないでしょう。自覚しているという私がおるのだから、阿弥陀如来のひかりに入り私の闇が破られるといってもですね、そう思っている私もそこにいるのでして、そしてそう思っている私がこの衆生性という根性でもあるということですね。阿弥陀如来の名号の義を聞いて、私のこの根性の闇が破られることは分かった。そして、それに感動して念仏申す身にもなった。しかし、実際のところは、そう思っている私の衆生性という根性は残っている。そしてそれが私である。その私には念仏の実感もなければ満足感もない。

 するとこの(為物身である)衆生のためにこそ(仏になられたところ)の身とは何かというと、如来からたまわるということにおいてはじめて成立するところの衆生の相(すがた)だと思うのです。それが純粋な衆生の自覚ということになるのでしょう。如来の智慧のひかりに入ることで、私に衆生の身をたまわる、その衆生の相(すがた)がそのまま如来の智慧の相であるということではないでしょうか。「是れ如来は実相の身なり、是れ物(衆生)の為の身なりと知らざるなり。」をこういうふうい受け取らせていただいております。

 そしてまた、此れがあるとき彼があり、此れがないとき彼はない。この龍樹菩薩の不二の論理は以前話しましたが、この不二の論理であります不一不異を、この実相身為物身の問題に置き換えますと、実相の身あるとき為物の身あり、実相の身がないとき為物の身はない。実相身為物身は是れ、一ならず異ならず、この不一不異の論理が実相身為物身において展開されているのではないかと思います。

 三号の正遍知は「正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相は)心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変わらないのである。だから「正遍知」というのである。」と、この正遍知にたいして、奥行のない薄っぺらな自分なりの実相についての感想ですが、現時点で精一杯背伸びしてみて、こういうことかなと思っている次第です。

 そして、最後になりますが、もう一つ付け加えられています、それが三種の不相応ですね。

[  一には、信ずる心が純朴でない。信じたり疑ったりするからである。二には、信ずる心が(専)一でない。決定がないからである。三には、信ずる心が継続しない。ほかの念(おもい)がまじるからである。この三つは、たがいに展開しあってなりたっている。つまり、信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しないのである。また念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でないのである。これと逆なのを「実のごとくに修行し相応する」というのである。」

 この三信三不信を実相身為物身の次に言われているのですが、これもまた、正遍知での疑問である、「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは」、という問いに対して、この三信三不信を述べられていると思います。

 この実相身為物身のみではまだ不足分があったのではなかろうかと思う処ですね。この為物身であるところの衆生の相を、ここでは信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しない、念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でない。この展開に衆生の相をいわれていると思うわけですが、この衆生の展開こそが為物身の相であり、それと「逆なのを実のごとくに修行し相応する」という処に、先ほどの実相身を見て行かれるのであれば、その実のごとくに修行し相応する相が、信じたり疑ったりせず、他の思いがまじらず、そして継続して止まない心であるとするならば、それは我一心で言われている「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」願心である、この願心をもって実のごとく修行し相応するといわれている処ではないでしょうか。

 [「彼の(如来の)み名の義のごとく、実のごとくに修行して相応しようとおもうからである」とは、彼の無碍光如来のみ名は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。] と言われている、無碍光如来の智慧のひかりに映る衆生の相において、この三信三不信における願心をも見ておられるのでしょうから、この 讃嘆門の最後に [ だからこそ論主(天親菩薩)はまっさきに「我れ一心に」と宣言されたのである。] と、述べられたのではないかと読ませていただく訳です。

「浄土論註」上巻 礼拝門・讃嘆門

令和4年3月 春彼岸会より

「浄土論註」上巻 礼拝門・讃嘆門

「帰命尽十方無碍光如来というのは、帰命は礼拝門、尽十方無碍光如来は即ち讃嘆門である。                    

 なぜ帰命が礼拝であると知れるかといえば、龍樹菩薩が阿弥陀如来を讃嘆する文をお造りになった中で、あるいは「稽首礼」といい、あるいは「我帰命」といい、あるいは「帰命礼」といわれている。この論の長行の中にもまた五念門を修するといわれているが、五念門の中で礼拝が一ばんにある。天親菩薩はすでに往生を願われている。どうして礼拝せずにいられようか。だから帰命は即ち礼拝であると知れるのである。しかし礼拝はただうやうやしく拝したてまつることであって、必ずしも帰命を意味しない。しかし帰命は必ず礼拝のすがたをとる。もしこれによって帰命をおもえば、礼拝より意味は重い。偈は自らの心を表白するのだからよろしく帰命というべきである。論は偈の意味を解釈するのだから、ひろく礼拝について語っている。偈と論とが互いに呼応して、意義をいよいよ顕かにしているのである。                              

 なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であるかといえば、あとの長行にいわれている。どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名の意義のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめられるからである、と。

 釈尊が舍衛国でお説きになられた『無量寿経』(阿弥陀経)によれば、仏自ら阿弥陀如来の名号の心をあきらかにしておられる。即ち,なぜ阿弥陀と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しもさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏をはじめ、そのみもとにある人々の壽命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と。

 問う。無碍光如来の光明が無量であって、十方の国土を照らしたもうに少しもさわりがないというのなら、この国の衆生はどうしてその光をこうむらないのか。光が照らさないところがあるのなら、どうしてさまたげがないといえようか。                                  答う。さまたげは衆生の側にあるのである。光にさまたげがあるのではない。譬えば日の光が四天下にあまねくふりそそぐが、盲目の人には見えないようなものである。これは太陽の光がゆきわたらないのではない。またふかくたれこめた雲が大雨をふらせても、かたい石にはしみこまないようなものである。これは雨がうるおさないのではない。

 もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の中の説である。

 天親菩薩がいま尽十方無碍光如来といわれるのは、とりもなおさず彼の如来の名によって、彼も如来の光明のはたらきたる智慧の相のごとくに讃嘆するのである。だから、この句は讃嘆門であると知れるのである。」  

 前回は「我一心」について話しましたので、今回は「帰命尽十方無碍光如来」をテーマにした話ということになります。礼拝門・讃嘆門・作願門・観察門・回向門を五念門と言いますが、この五念門は天親菩薩が『浄土論』に顕されました。その中から、今回は礼拝門と讃嘆門を話すことになります。

 前回の我一心から今回の帰命までが礼拝門になるかと思います。そして尽十方無碍光如来が讃嘆門になりますから、ここでは「帰命尽十方無碍光如来の帰命はすなはち礼拝門、尽十方無碍光如来は即ち讃嘆門である。」と書かれてあります。

 この上巻の初めのところに「天親菩薩はすでに往生を願われている。どうして礼拝せずにいられようか。だから帰命は即ち礼拝であると知れるのである。」とありますが、これは「我一心」をうけて言われているわけですから、前回も「我一心」の観点から考えなければなりませんので、それをふまえて聞いていただければいいかなと思います。

 で、前回の「我一心」には「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは、無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。」と書かれていまますが、この「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」というヵ所が、この礼拝門の「天親菩薩はすでに往生を願われている。」と同じ意味になりますので、「我一心」からの帰命が礼拝門となるのではないでしょうか。そして、「我一心」は「無我」のことだろうというのが前回までの内容でした。

 そして「なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であると知れるかといえば、」から讃嘆門になります。礼拝讃嘆をとおした帰命尽十方無碍光如来と南無阿弥陀仏とは同じ意味になりますから、帰命は南無のことであり、尽十方無碍光如来は阿弥陀仏ということになります。私たちが普段に称える南無阿弥陀仏は、この論註においては南無が礼拝で、阿弥陀仏が讃嘆であるということになります。

 しかし、私たちは普通こういうふうに分けて念仏を称えることはないと思いますが、ここでははっきり分けておられるようです。そしてこの帰命を礼拝門とするのは何らかの意味があるのでしょうね。通常は合掌礼拝ですから、私たちは手を合わせ礼拝します。別に言われなくても誰でもがする仕草でしょう。

 ところが「世尊我一心」の「我一心」を受けて礼拝するのですから、私たちの普段の合掌礼拝とは次元が違うのでしょうね。で、この礼拝門の初めにあります「なぜ帰命が礼拝であると知れるかといえば、龍樹菩薩が阿弥陀如来を讃嘆する文をお造りになった中で、あるいは「稽首礼」といいあるいは「我帰命」といい、あるいは「帰命礼」といわれている。」と、こういう文で礼拝を説明されています。この「稽首礼」ですが、おそらく礼拝作法を言われているのではないでしょうか。例えば膝をつき手のひらを上にして深く額づきながら礼拝する五体投地のような作法だと思うのですね。つまり身業としての礼拝ですね。

 それが讃嘆門の方では「どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめるからである、と。」というような、不思議な文章になっています。この讃嘆門における礼拝は、身業の作法というよりも「彼の阿弥陀如来の名をとなえ」といわれるように、口業としての念仏になっています。

 「我一心」を背景にした礼拝は、讃嘆門において身業の礼拝から口業になり、その口業の念仏において「彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、」られている、と、いうような意味になっています。

 啐硺同時という言葉がありまして、ヒナが自らの殻を破って孵っていくときに親鳥が同じ処をつついてやる。そういう意味で使われていますが、「我一心」の「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」このヒナの願いである「我一心」に応ずるがごとくに、親鳥の阿弥陀如来が光明の智慧の相として顕れている姿。その啐硺同時を口業の念仏に収められているというのがこの讃嘆門の内容ではないでしょうか。

 その阿弥陀仏の智慧の相が、次の「なぜ阿弥陀如来と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しもさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏をはじめ、そのみもとにある人々の壽命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と。」ありますね。これは、まずは稽修礼としての儀礼的な礼拝が、讃嘆門では口業の念仏にすっと代えられていることになる。この礼拝門と讃嘆門の解釈は下巻に書かれていまして、上巻にはほとんど書いてありません。

 しかし、上巻のこの阿弥陀如来と我一心の関係が口業に収まることを、今度は下巻で詳しく展開されるのではないと思うわけです。で、この上巻で私たちがとにもかくにも関われるのは、この口業の念仏だけなんですが、なぜなら阿弥陀如来も我一心もこの私の心を超えたものでしょう。私は私の心から出ることは出来ないのですから、もしも無我を私の心に留めたとしたらその時はすでに無我ではないのですね。そして、無我である「我一心」に応じて阿弥陀如来が真実の相を顕すとするならば、私が具体的に関われるのはこの口業の念仏だけなんでしょう。

 そして、曇鸞大師がなぜ上巻において、礼拝についてわざわざ礼拝作法から述べられているのか。それは具体的な身業ということではないかと思うのですね。たとえ礼拝と讃嘆が阿弥陀如来の光明の智慧の相であっても、そこに具体的な「身業」がなければ観念の域から出ることはない。この具体的な身の事実に立つということをまず礼拝門で顕されようとされたのではないかと思います。そしてこの礼拝が讃嘆において口業の念仏になる、つまり称名念仏であるときに、今度はその称名念仏する私たちの問題にまで広がるのですね。この念仏によって私たちそれぞれが十方の国土を照らす阿弥陀如来の光明に入っていくのです。そんな実感はないと思いますが、それは私たちの衆生としての方に問題があるからなんでしょう。

 この文の最後にあります「もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。」という言葉が、無我である「我一心」のときに、その「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願いう心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」願心は、今、この私たちの最も深い場所における「我一心」と呼応しているのでしょう。ただ、それが私たちには見えないし分からないのであります。しかし、天親菩薩はそれを「我一心」として顕し、自らをすすめ、ひきい、正されて「帰命尽十方無碍光如来」と礼拝・讃嘆されているというのが今回お読みしました処だと思います。

 今回の『論註』上巻の礼拝門・讃嘆門について話をさせていただきまして、自分なりに思う処は、曇鸞大師の身業の捉え方でありました。親鸞聖人の身業の見方とは少し違っているのかなというのが正直な感想ですが、それでは親鸞聖人の身業とは何かと言われましても返答は出来ないわけですが、共々に今後の課題にさせていただこうと思っております。

「我一心」について

令和3年12月 御正忌報恩講

 真宗の教義は三経一論といいまして、教行信証の教の巻きに「真実の教を顕さば、すなわち『大無量壽経』これなり。この経の大意は、弥陀、誓いを超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす。」と書かれてあります『大無量寿経』を始め、『阿弥陀経』そして『観無量寿経』を三経とします。一論とは『大無量寿経』を釈された天親菩薩の『浄土論』のことをいいます。また、この『浄土論』を曇鸞大師が註釈を施された『浄土論註』と、善導大師の『観無量寿経』を訳された『観経疏』は、親鸞聖人のご信心に大きく影響を与えたものだとも言われています。

 今日は「我一心」ということで話そうかと思っていますが、「我一心」を少し説明する程度でおそらく終わるのかなとも思います。とにかくこの原稿を書き始めてからずいぶんと時間がかかりました。とうとうこの御正忌報恩講まで執筆を繰り返した始末です。だからといってたいした話も出来ませんが、まずは『浄土論註』の最初を読むことから始めたいと思っております。資料を一緒に読んでいきますのでよろしくお願いいたします。   

「謹んで龍樹菩薩の造られた『十住毗婆沙論』をひもといてみるに、次のようにいわれている。菩薩が不退転を求めるのに二種の道がある。一には難行道、二には易行道である。難行道とは、濁乱の世、仏ましまさぬ時に不退転をもとめることを難という。この難であるということの相にはいろいろあるが、今は略してそのいくつかをあげて、難といわれるわけを説明することにする。     

一には、外道の見せかけの善行は、菩薩の法を乱す。二には、自分だけさとって、それで足れりと執することが、仏の大きな慈悲を障げる。三には、自らの悪を反省しない人は、他の人の勝れた徳をも破壊する。四には、目前の利益にまどわされて、まじめに努力してきた効果をうしなってしまう。五には、道を求めてもただ自力ばかりをたのんで、他力にもたれることがない。

 このようなことなど、目に見えるものすべて難というべきものである。この難行道は、たとえば陸路の歩行が苦しいようなものである。易行道は仏を信ずることのみをよすがとして浄土に生れんと願えば、仏の願力に乗じて、容易に彼の清浄の国土に往生することができ、仏の本願の力に支えられて、大乗の正定をえた人々の仲間に入ることができる。この正定とは即ち不退転のことである。この易行道をたとえれば、水路を船に乗って行けば楽しいようなものである。この『無量寿経優婆提舎』(浄土論)は、およそ大乗の極致であり、順風を帆にうけて航海する大船にもたとえられるべきものである。」

 まず、「仏ましまさぬ時」ですが、仏教では釈迦滅後に次第に教えが衰えていくという思想がありまして、これを正法の時と像法の時、そして末法の時に分けて言われております。釈迦滅後から500年を仏の教えがそのまま生きている正法の時、次の500年を仏の教えを実践修業する者はいても真の証果に達成する者のない像法の時、その後を教法だけは存在するが、修業する者も悟りを開く者もいない末法の時。こういった区分をされるのですが、この500年を1000年だとする説もあるようで、詳しいところは分かりません。日本では1052年に末法時代に入ったと最澄が「末法灯明記」に記しています。

 『論註』ではこの「仏ましまさぬ時」を正像末のどこに位置付けられているかといいますと、像法の菩薩として天親菩薩を言われています。また、「不退転」ということですが、簡単にいってしまえばへこたれないということ、菩薩も七地において仏道を求める意志が消えていくと言われます。「十方諸仏の求むべきを見ず、下に衆生を度すべきを見ず」といわれ、これを七地沈空の難などともいわれます。ここでは七地の菩薩がこの難所を超えて八地以上の菩薩として真の証果をもたらす仏果へと趣くことを「不退転」と表されているわけです。菩薩には十地の階位があるといわれておりまして、それがこの七地において危機に陥る。この難所を超えるのに難行道と易行道があるというのが『論註』の初めに書かれてあります。

 ところで、他力本願という言葉は今でもよく言われます。主に他人まかせとか他人のふんどしで相撲を取るなどと言った意味で使われているようですね。それは他力本願本来の意味としては間違っておりますが、この自力他力という言葉をもって仏教の教えを説かれたのが曇鸞大師だと言われております。ちなみにこの他力本願とは自力の執心に対していわれるのでして、自力の執心の姿が他力本願により顕かになるということ。自力とは自分の思慮分別をもって自らの力とするものでしょう。しかしこの思慮分別は、わたし(我)という処から始まる思いですから、その我心に執着してしまい、ついには自らの執着心でがんじがらめになっていくといわれます。ちょうど蚕が自らを守るために糸を巻き付けて、その糸が作った繭が完成した時、熱湯につけられて自らは滅ぼしていくように。おれがおれがと、また、おれがああしたのに、おれがそうしたのにとか、おれがこういわれたと、我心の執着を重ねて続けてついにはどの自分が本来の自分なのかも分からなくなってしまう。私たちそれぞれどこか身に覚えがあるようなものではなですか。大きい小さい出来事を含めてみれば、これまで生きてきた時間がこういうことだったということはなかったですか。それでもこうやってひとまずは元気で生きておるわけですから、それだけでも感謝しなければならないのかもしれないですね。こういう自力の執心の心が次第に見えてくる、お念仏しながら少しずつ見えてくるのですね。するとおかげさまでこうして静かな自分を頂いていますとお念仏の続きを称える。一回だけ称えるのも念仏、乃至十念も念仏です。こういうお念仏から頂いた私を、他(阿弥陀仏)力本願により自力の執心が見える私になりましたというのだと思います。他人まかせとは違います。

 『論註』の冒頭でいわれるのは、こういう凡夫としての私たちの姿をいわれているのではなくて、七地の菩薩であってもこういう執心に陥るのだということですね。「十方諸仏の求べきを見ず」この十方諸仏という言葉がよく出て来ますが、菩薩とこの十方諸仏とは深い関係があるのでしょうね。とにかくこの十方諸仏に甘んじるのをここでは「十方諸仏の求むべきを見ず」と言われるようです。そして「下に衆生を度すべきを見ず」です。つまり現在に甘んじてなすことが見えない。厳しい修行があればこそ菩薩も七地まできた。その七地まで来てやれやれと、これ以上やる気もないし、これでいいやとそこに座り込めば、これまでのこともなくなる。菩薩の死だといいいます。そこに易行道である『浄土論』の「願生偈」をもって「仏の願力に乗じて、容易に彼の清浄の国土に往生することができ、仏の本願の力に支えられて、大乗の正定をえた人々の仲間に入ることができる。」と仏の本願力を顕かにされて、七地沈空を超えた八地以上の菩薩に入るのでしょう。

 それでは、この「願生偈」の初めの四句ですが、ここに今日のテーマであります「我一心」が出て来ます。「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」読み方は「世尊、我一心に、尽十方 無碍光如来に帰命して 安楽国に生れんと願ず」この「世尊」とはお釈迦様ですね。そして今日のテーマの「我一心」ですが、この「我一心」が大きな問題になって行きます。この「我一心」のところを『論註』に書かれていますので読んでみましょうか。

「世尊とは諸仏に共通の呼び名である。その智慧についていえば、あわゆる道理に通達し、迷いを断つという点では、煩悩の余習(なごり)さえとどめていない。このように智と断とが完全にそなわって、よく衆生を利益し、世のために尊重すべきものとして尊ばれる。だから世尊というのである。ここで世尊といわれるのは釈迦如来に帰命する意味である。どうしてそうわかるかというと、下の句に「我れ修多羅に依る」といわれているからである。天親菩薩は釈迦如来の像法の余にあって、釈迦如来の経の教えにしたがえばこそ、往生を願われた。その往生の願いにはもとづくところがあるのである。だからこそ世尊ということばは、釈迦如来に帰依する意味だとわかるのである。              (中略)                                 我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。                  問う。仏法の中には我がない。ここではどうして我というのか。       答う。我ということばには三つの根本的な用例がある。一には邪見によっていう我、二には自分を他よりすぐれたものと主張する我、三には普通一般に他と区別していう我である。今ここで我といわれたのは、天親菩薩が自分をさしていわれたことばであって、普通一般の用例で我といわれたので、邪見や自分を主張して我といわれたのではない。」

 まずはじめの「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。」の「ひきい」ですが、原文は「率」と書かれています。この「率」はいくつかの訳がありまして、ひきいる、したがえる、あるがままなどです。ここではひきいですから、ひきいる(率いる)の意味で使われたのでしょう。意味としまして、大勢を引き連れる、指揮をとるなどがあります。また退く、引きこもるなどにも使われるようです。

 その次が「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」ですね。ここまでさっと読むとそのままなんとなくそういうことかなと思うだけで聞き流すところです。しかし私たちはこの「無碍光如来を念じる」ことも、「安楽国土に生れたい」ことも、「願う心ががかぎりなく続く」ということも、「雑念が少しもあざらない」ということも、どこもかしこも分からないのですね。

 それでいきなり例をあてはめるのも何だとは思いますが、壽命という言葉があるでしょう。これは「壽」が限りの無いいのちを意味して、「命」は私たちの限りある命を意味するといわれるようです。私たちはこのふたつのいのちを生きているということでしょうね。いつ死ぬか分からない私の命と、私を超えて続いていくいのち。こういう二重のいのちを生きる感覚は現代の日本にはあまりないかもしれませんが、昔はこの「壽命」の感覚がしっかりと生きていたのではないですか。

 で、まず「我一心」の「一心」ですが、普通なら私の心が「一心」になってと読む訳です。しかしよく読んでいきますと「壽命」の「壽」の意味ではないかと思うのですね。するとこの限りないいのちを「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」ところのいのちだといわれていることになります。これは文脈として無理な読み方ですが、とにかくそういうことにしておきたいと思います。

 今度は「我」の方はといいますと、ここには「普通一般の用例で我といわれた」と書いてあります。比較も無く、優劣も無い、自分の主張も無い「我」とはいったいどんな我でしょうか。そんな我が自分にありますか。何も考えないでぼーっとしている時や、うたた寝をするちょっと前がそんな我でしょうか。でもね、ここでは「我一心」ですから何かしらの気持ちが入ってるわけでしょう。単にぼーっとしているわけではないですね。仏教では「無我」だといいます。しかしここでは無我ではないといわれて「普通一般の用例で我といわれた」と書かれています。つまり「無我」ではなくて単なる「我」だということですね。で、この「無我」ではない「我」と、まだ文脈が整わない「一心」ですが、これをあわせて「我一心」です。

 ぼくはこの「我一心」を「我」と「一心」の相関関係だと考えています。相関関係とは「一方が変化すればそれにつれて他方も変化する」関係だと言われ、二つの物事が深く関わり合う関係だとも言われています。「一心」において「我」は邪見も主張もない、その「我」を拠り所に「一心」はみずからの一心を明かにしている。こういう関係だと思うのですね。だから『論註』では「我」を無我とは言わないで「一般の用例で我といわれた」というのは、「我」と「一心」の相関関係において「無我」であるからだということだと思うのです。

 例えるなら「誰か風を見たことがあるか」という言葉がありますが、風なんてそこらじゅうに吹いているじゃないか、木の葉が揺れたり、風が肌にあたり風が吹いていると感じるから、どこにも風がある事ぐらい誰でも分かるのです。たしかに風に影響される風景はどこにもあります。しかし風は空気の動きですから、空気の動きが様々なものをとおして風を表現するのであって、風そのものは見たのかという意味です。同じように誰か「一心」を見たことがあるか。「一心」は本来見えるものではない。その見えない「一心」が、ここでいう「我」に依ることで「一心」の相を顕している。だからここでいう「我一心」は、比較も無いし主張もしない「我」に「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」ところの「一心」の相が顕れていると言われているのではないかと思います。そしてこの「我一心」をして無我であるといわれるのでしょう。

 すると問題が二つあります。まずこの「一心」に「その願う心がかぎりなく続き」とありますが、ここでいう「我」はその時における「我」ですから、「一心」にいう永遠といったような継続性はないでしょう。だから「我一心」は継続的なものではなくて断片的なものです。しかしその断片的な時間に「我一心」として安楽国土に生れたいと願わう心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないいのちが収まっていることになります。「一心」に「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう」いのちを述べながら、それが「我」に顕された時間の短さを言われる。こういうのを昔は「不連続の連続」といわれていたと思いますが、最近はあまり使われなくなりました。

 次に、この「我一心」は「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである」と初めに読みましたが、この「ひきい」か退くという意味もありますから、天親菩薩自らを退き「一心」を正しく率いるところに「我一心」の意味を措かれています。こういう天親菩薩と「我一心」の前後の関係を正しく顕すのだということです。この正しくというのが大事なのでしょうね。

 この二つをまとめると、「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう」「一心」は、天親菩薩自らが退いたところの普通一般の用例である「我」に顕現して「我一心」を成就する。このことを「無我」だと言われるのではないかと思います。そしてまた天親菩薩自らが退かれてもなお、天親菩薩の人格的なイメージが残像として残されて「我一心」が表現されているという事だと思うのです。これが「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう」「我一心」の意味になっている。この解釈が的を射たものかどうかは分かりませんが、こういう読み方をさせていただいております。不思議な書だといえばそうかもしれませんが、この「我一心」は親鸞聖人のご信心に深く関わりますので今後も留意しながら読んでいくつもりです。

 ところで、私たちが普通何となく思っている「無我」のイメージですが、どんなものでしょうか。よく分からんが「無我」というくらいだから姿かたちはないだろう、とその程度は思うのですね。ではこの「無我」とは何か。この仏教の根本である「無我」を「空」の思想として論理的に表された方が龍樹菩薩です。で、自分の許容範囲内で話すことしか出来ませんが、簡単にでも少しこの論理を話してみます。私たちは普通に物を考えたりする時には、何かを考えるというわけです。当たり前といえばそうですが、しかしその何かを考える時には、自ずと考えている私がある訳です。考えるとそうだなと思う。しかしこれは人が考える様子を言っているのですから、ものを考えるとはそういうことだと言っているだけです。ここに私が有りそして考えるところの何かが有る。私と何か、私と貴方、私とみんな、私とそれぞれの事柄。この「と」があり、その私「と」何かに考える関係が起こっている。私とあなたに友情がうまれる、または喧嘩する。私とみんなに和ができる、またはいがみ合う。私と何か、私とあなた、私とみんあ。これずっと広がります。私と国家、私と世界もある。

 私たちの思考回路はそういうふうに出来ているようで、これ気づかないとずっとこういう物の考え方しかありませんが、龍樹のいう「空」の思想では、不二の論理といいましてこれらを覆していきます。まず私というものが存在し、そしてそこに何か問題が生じている。こういう物の捉え方は本来ではないというのです。本来とは、何かを考えるときに私とその何かも同時に起こっているのだというのですね。此れがあるとき彼があり、此れがないとき彼もない。こういう言い方をするのですが、ちょうどマキが燃えている状態を例にされます。マキと火の関係ですね。まずマキがあって、そして火が燃えている、これは違うでしょう。マキと燃えている火は別々ではないですね。同じように心もそうだというわけです。

 私の心がまず有って、そして何かを考えている対象が有るのではなくて、私が何かを考えている状態がそこにあるだけで、その他に独立した私とする存在は無いというのが不二の論理だと思います。哲学的な思考方法だと思いますが、こういう思考方法をもって様々な事柄を論破されるのです。龍樹の「空」の思想をこのような不二の論理で言い表されているのだと思いますが、この不二の論理が、ここで言われるところの不連続の連続という時間の概念をも言い表したものかどうかは、まだよく分かっていないと思います。この不連続の連続という概念も龍樹の論理にあるという説もあります。しかし仏教における発展経過においてこのような時間的な無我を継承したのは、天親菩薩をはじめとする唯識につよく表れているという説もあります。曇鸞大師は四論宗に学ばれたお方ですので、龍樹を専門に学ばれたことになりますが、天親菩薩の『浄土論』を註釈されたわけがこういう処に見られる気がします。また、この「我一心」ですが、善導大師も別の角度から述べられています。いつかそのことも話ができればいいなと思います。