時の変化に立って

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令和2年6月 永代経法要から

  新型コロナウイルスの影響で中止になってから最初の法要になります。よろしくお願いします。まずは歎異抄を少しお話してみたいと思います。お手元の経本にも現代語訳が載っています。この歎異抄は真宗の教義というよりも親鸞語録のようなものでして、親鸞聖人の言葉の響きを聴くことも大事な書ではないかと思っています。歎異抄は明治から大正、昭和、そして戦中戦後をとおして読まれてきたと聞いております。ではまず第一条を読んでみましょうか。

「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもいたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心をようとすとしるべし。そのゆゑは、罪業深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるほどの悪なきゆゑにと云々」

  この歎異抄は作家の司馬遼太郎さんも戦地に持っていかれたそうです。同じように戦地に持っていかれた方々もおられるのでしょうね。そういうことを考えるとこの第一条の最後の文ですが「他の善も要にあらず、念仏にまさるほどの悪なきゆゑに」とあります言葉に、すべては念仏にまかせて生きろ、と感じた人もいたかもしれないですね。こういう究極な場面で読まれる歎異抄があったのではないかということですが、しかしさっき申し上げた明治からずっと読まれてきた歎異抄の意義というのは、それとはまた違う角度からのものっだたのではかったか。今日はそういったところからの話になろうかと思いますのでよろしくお願いいたします。

  まずこの歎異抄の信心という言葉ですが、ここには「ただ信心を要とすとしるべし」と書かれてあります。普通、信じる時は何かを信じるわけですから、信じる対象があります。対象も何もないのにですね、漠然とただ信心だというだけでは宗教という点では少し腑に落ちないわけです。でも親鸞聖人が使われる信は一概に私たちが思うところの信というものでもなくて、違った意味でこの信の字をあてられているとも思うのです。そしてまたこの歎異抄の後序には「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と書かれていますが、この「一人」という言葉を個人とも言いかえることが出来るでしょう。明治における文化人や知識人は西洋化して行く日本の対応をこの歎異抄の「一人」に見ようとしたのじゃないかという気がするのですね。

  明治の文豪であります夏目漱石の『草枕』に有名な書き出しがあります。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世はすみにくい。」漱石の生きた時代は西洋から個人主義が津波のように押し寄せてくると思われたそうです。漱石もこれから来る西洋化の波にどのように対応ができるか思いに駆られたのではないでしょうか。

  そういう思いでこの書出しを見て、自分なりに解釈してみることにしました。まず、漱石がこの『草枕』に書いた「人の世は」とは一般的な社会といったものではなくて、もっと身近なところで言う世間という事でしょうから、この「人の世」を向こう三軒両隣とも言っています。すごく狭い範囲ですね。漱石はヨーロッパに住んだことがありますから、この世間というものがよく見えたはずです。その西洋という外からの目を持って世間を見た時に思わずにはおれない様々なことがあったでしょう。

  そういう思いで解釈してみると「だけどもそれをその世間においてああだこうだと言い出してみても角が立つ。だからといって、周りに合わせてしまうと自分という個人的なものが消えて流されそうだ。しかし、また自分にこだわってしまえば周りからあんたは違うと言われてしまい閉じこまざるを得なくなる。とかくに人の世はすみにくい。」こういう解釈でいいか分かりませんが、世間というものを中心にすえたらこういう解釈も出来ないではない。

  ご存じのように明治における西洋化はキリスト教を背景にしています。別に詳しいわけではありませんが、キリスト教では神との契約においてそれぞれが一人ですから、夫婦や家族であっても神に対してはそれぞれの個人が対象になります。クリスチャンの友人がいまして、昔彼の結婚式に行ったときに牧師さんがそう言われていたのを思い出しますが、神と私個人との関係があり、その上で夫婦・家族をはじめ社会そして国家がある。こういう個人と社会・国家のバックボーンをキリスト教が支えている。やがて日本に押し寄せ来る西洋化の津波はそういう個人主義の波である。その時に日本人としてあるべき個とは何か。明治のころの知識人にはこういう危機感や国家観についてのテーマみたいのものがあったのでしょう。明治において歎異抄がもてはやされたわけもこういうところにあったのではないかと思うのです。

  例えば、自分が死ぬ時に「神を信じなさい。そうすればあなたは救われますよ」とキリスト教で言われたとするでしょう。その時に「信じられないオレはどうなるのだ」と返答をするようなものでして、こういう問題を取り上げた人は当時わりといたと思いますよ。吉本隆明が『信の構造』で「親鸞は早くから人間の無意識の構造に眼を注いだようだ」と言っています。神の存在を信じて、その神に対する信仰心を信心というのではなくて、無意識という意識の深層に信心の通路を見出し、そこに歎異抄の信をとらえようとした。そういった信のとらえ方が明治から昭和にかけて文化人や知識人に共通するものだったのではなかろうかと思います。そして平成においてもまだ歎異抄を通して親鸞ブームは続いていくわけです。親鸞とタイトルのついた書籍は常に売れ筋のものでもありました。しかしですね、フト気がつけばそれがどうも書店から無くなりつつある。そんな気がするのですが、何か潮目が変わろうとしているのだろうか。それとも自分だけの思い違いでしょうか。

  それでは、漱石が悩んだ向こう三軒両隣はどうなったでしょうか。江戸時代にはすでにあったであろう向こう三軒両隣ですが、これは戦後に公民館活動や隣組として行政が復活させます。そして戦後日本の地域づくりの礎になったといっても過言ではない。自分より年配の方はまさにそこを生きて行かれた方々でしょう。ぼくはまだ幼くて町内公民館で幻燈会をしたり、海水浴に行ったりした事ぐらいしか憶えていませんが、この日本における世間が戦後の地域復興を支えていったことは事実だろうと思います。

  この前、葬祭場でそこの人と話したのですが、「何故忌中の張り紙をしないのか」と。そうしたら防犯だそうです。情報漏洩。あそこに死人が出たと教えることになる。なるほど確かに周りに教えるわけですね。だから防犯だそうです。ホントですかね。最近は家族葬が多くなりましたが大阪からだそうです。この辺りは大阪から流行りだすそうですよ。

  で、これは持論なのですが、以前は地域での葬式はそこそこで少し違っていました。葬式に地域の風習が混ざっていたのでしょうね。こういう地域色のある葬式は次第になくなり全国的に画一化して行きますが、これは葬祭場での葬式が普及するのと同時期だと思います。そして現在は自宅葬はありません。

  ご存じのように隣組のお世話はご婦人方のお世話です。お母さんたちのお仕事でした。だいたいですね、裏方で炊事や何やらをしてると、いろいろとその辺の世間話に困らないじゃないですか。「あそこの誰だれはこうだそうよ。あらまあ、」世間話に花が咲くでしょう。そういう世間話をしながら裏方でとして葬式に関わります。表では坊さんたちがお経をあげている。寺の品評会も話題の一つでしょう。そういう表も裏も見ながらがやがやと見送るわけです。騒がしいと言えばそれまでですが、どこか映画のワンシーンにも出るような光景ですよね。

  先ほどは近代の日本において、世間と個人主義はどうあるべきか、と、歎異抄の信心に注目して、その真相を手繰り寄せようとした歴史があると言いましたが、そのもう一方ではそんなこととは関係なく、明治・大正・昭和と暮らしてきたそれぞれの小さな世間というものがった。それは文化人や知識人が探し求めた信心というものではないが、今度は自分の番だからあんたよろしく頼んどくよと言える、バトンタッチのような連続性であり、その連続に安心感すら持てた時代があったのではないだろうか。そして明治から大正と続く隣組は戦後新たな形で復興に一役を担って行きますが、この小さないのちの連続性もその中でかろうじて昭和・平成と保たれていったのではないだろうかというのが持論になります。

   しかし今はもう隣組はないでしょう。向こう三軒両隣の地域は家族だけに単位が変わりはじめ、近所に誰が亡くなったのかも分からなくなってきた。周りに知らせないから何やらこそこそと葬式するようにも見えてしまう。でもね、本来人間の死はもっとおおらかだったはずです。遺跡が発掘されるときはたいてい祭祀や葬式の後じゃないですか。極端に言ってしまえば葬式をしながら人類は歩いて来たんでしょう。日本も弔いながら国が出来たのです。今現在進行中の事ですから何やらぼやけて見えずらいかもしれませんが、歴史の芯がどこかほどけかけているのじゃないかとも思うのですね。

  僕はこの歎異抄を改めて見た時に、先ほど言いましたような明治から平成までこの信心について歩んできた時間を、今度は「ただ念仏して」という中で見ていくことが大事なのではないかと思っています。

第二条の「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるたねにやはんべらん。また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じて存知せざるなり。・・・」

  今回のような新型コロナウイルスの影響においてもそうですが、こういう先の見えない理不尽さに「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」という親鸞聖人の言葉が響いてくる気がします。戦地で称えた念仏が、何故オレがこんな目にと、運命の理不尽さをかき消す念仏だったのなら、今日の念仏はこの何やらぼやっとした不安のなかで、本来の自分に戻れるような、一点の安息場所として「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」という、親鸞聖人の響きを聴いていく時ではないかと思っています。

  

 

  

 

 

  

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