『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門

令和4年6月 永代経法要より

 礼拝門・讃嘆門から

 [ どのように礼拝するのか、身の業(わざ)をもって、阿弥陀如来・応・正遍知を礼拝したてまつるのである。諸仏如来の徳は無量だから、その徳をたたえる号(みな)もまた無量である。もし、それらについてことごとく語ろうとすれば、とても紙や筆でかきしるせるものではない。だから、いろいろの経典に、十名をあたり、三号をのせたりしているが、およそこれらは、最も重要なものだけであって、どうして(仏の徳が)それだけでつくせることがあろうか。ここでいわれている三号は、すなわち如来と応と正遍知とである。

 如来とは、ものの相(すがた)そのままに説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたように、この阿弥陀仏もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「 如( より ) 来(る)」というのである。応は応共(おうぐ)である。仏は煩悩をことごとくのぞきつくして、あらゆるのもに通達した智慧をえて、一切の天地の生きとし生けるものの供養を(真実に)受けるに応(ふさわ)しい唯一のかたである。だから「応」というのである。

 正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相は)心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(の実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変らないのである。だから「正遍知」というのである。(論に阿弥陀とかいてあるのは無碍光ということであるが)無碍光という意味は、前の偈のところで解釈したとおりである。

 その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意(こころ)をなさんがためである。

 どうしてこういわれるかといえば、菩薩の法では、つねに昼三時夜三時に、十方のすべての仏たちに礼拝するが、これは必ずしも願生せんとの意(こころ)があるからではない。つねに願生の意(こころ)をなすべきであるからこそ、阿弥陀如来(一仏)を礼拝したてまつる、というのである。 

 どのように讃嘆するのか。口の業(わざ)をもって讃嘆したてまつるのである。讃はほめあげる、嘆ははうたいたたえることである。讃嘆は(人間においては)口でなければのべあらわされない。だから「口の業」というのである。彼の如来のみ名を称え、彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義(いわれ)のごとく、その実のごとくに修行して相応しようとおもうからである。「彼の如来のみ名を称える」とは、無碍光如来のみ名を称えることである。「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに」とは、仏のひかり明るいかがやきは智慧の相(すがた)である。この光明は、あらゆる世界を照らすにさまたげられることなく、よく生きとし生けるものの無明の(黒)闇をとりのぞくのである。それは、日や月や珠のひかりが、ただ空穴(へや)の中の闇を破るだけのような(小さな)ものではない。「彼の(如来の)み名の義(いわれ)のごとく、実(まこと)のごとくに修行して相応しようとおもうからである。」とは、彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。

しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは(如来の)実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことによるからである。どうして実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことになるかといえば、(この無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生のためにこそ(仏になられたところの)身である、ということを知らずにいるからである。

 また、三種の不相応がある。一には、信ずる心が純朴でない。信じたり疑ったりするからである。二には、信ずる心が(専)一でない。決定がないからである。三には、信ずる心が継続しない。ほかの念(おもい)がまじるからである。この三つは、たがいに展開しあってなりたっている。つまり、信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しないのである。また念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でないのである。これと逆なのを「実(まこと)のごとくに修行し相応する」というのである。だからこそ、論主はまっさきに「我れ一心に」と宣言されたのである。]   

 

 長い引用文になりましたが、前回は、上巻の礼拝門と讃嘆門でしたので、今回は下巻の礼拝と讃嘆を話そうかと思っております。分けて話すことも考えましたが、内容的にあまりよろしくないと思い、両方一緒に話すことにしました。引用が長いぶん話も長くなりますが、勘弁していただいてお付き合い願えれば幸いです。

 で、まずこの下巻の概要を簡単に述べてみたいと思いますが、この礼拝門は、今読みましたように、三号を礼拝すると書かれております。で、その三号とは何かといいますと阿弥陀如来と応と正遍知とである、ということでした。これを身の業(わざ)をもって礼拝する。これが礼拝門の内容です。そして讃嘆門はその三号を讃嘆する。こういう事になっているようです。

 礼拝門では三号ということが説明されていて、讃嘆門においてはその三号を口業の念仏でどのようにとらえていくのかが、ここの問題になっているような気がします。礼拝門の終わりの処に「その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意(こころ)をなさんがためである。」と書いてありますが、この文章が礼拝の終わりに措かれてありまして、そして次の讃嘆門が始まるわけです。おそらくですが、この文章は讃嘆門へのつなぎの役をしているのではないかと思っております。下巻の礼拝門は三号のそれぞれを説明するだけで終わっていますので、讃嘆門はその三号を口業の念仏において主体的にあらわそうとされている。簡単な概要でありますが、そういう事ではないかと思っております。

 それではまず、礼拝においての三号の最初であります阿弥陀如来から話をすることにします。この阿弥陀如来ということですが、こうして読んでみると「如来とは、ものの相(すがた)その如(まま)に説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたように、この阿弥陀如来もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「如(より)来(る)」というのである。」と、こう書かれています。阿弥陀如来だと言いながら、内容は如来とは何かということが主であるわけです。ここでの阿弥陀如来をずっと考えていたわけですが、困ったことにこの阿弥陀如来も次の応もまだよく分からないのが正直なところでして、特に正遍知などはてんで分からない事になってしまうのですね。しかし、礼拝の内容がこの三号の説明でありますから、ただ分かりませんでは事がすまされない。それで至らぬ見解ではありすが、現時点における見解を少し述べさせていただいて、話に代えさせていただこうと思っております。宜しくお願い致します。

 それではこの阿弥陀如来ですが、ここでは「ものの相そのままに説いて、安穏の道より来られ、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから如来というのである」と書かれています。で、ここにおける阿弥陀如来を話す前に、上巻の讃嘆門に「なぜ阿弥陀と名づけるのか」という処がありますのでまずそこを読んでいきたいと思います。資料をご覧ください。                                 

 讃嘆門上巻  [ なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であると知れるかといえば、あとの長行(下巻の讃嘆門)にいわれている。どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名の意義のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめられるからである、と。釈尊が舍衛国で、お説きになられた『無量寿経』(阿弥陀経)によれば、仏自ら阿弥陀如来の名号の心をあきらかにしておられる。即ち、なぜ阿弥陀となづけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏たちをはじめ、そのみもとにある人々の寿命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と ]      

 上巻では、阿弥陀如来とは名号であり、その名号の心をあきらかにしておられると言われています。ただし、礼拝門は身業におい礼拝するのですから、名号はまだ出てきません。また、名号というのは、南無阿弥陀仏の六字の名号のことでしょう。南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏に南無するということ、南無と帰命とは同じ意味ですから、帰命尽十方無碍如来は、私たちが称えるところの口業の念仏になりますと南無阿弥陀仏を称えることになり、その南無阿弥陀仏を名号というわけですね。

 それでは、また下巻の礼拝にもどりますが、三号の阿弥陀如来とは何か。「如来とは、ものの相(すがた)その如(まま)に説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたとうに、この阿弥陀如来もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「如(より)来(る)」というのである。」この如より来るの、如とは、言葉にあらわすことができない、言葉を超えているという意味があります。しかし、この言葉では表現できないものをあえてイメージすることはできないか。浦島太郎の話にある竜宮城が絵にも描けない美しさであるとしても、それぞれが竜宮城を何となくイメージしているでしょう。このイメージというのはそういう漠然としたものから、姿かたちがハッキリしたものまで幅が広いわけですが、三号におけるこの阿弥陀如来をあえてイメージするということで考えると、少しは話が出来るのではないかと思うのですね。では、阿弥陀如来をどのようにイメージするのか。それが今読んだ「なぜ、阿弥陀と名づけたてまつるのか」というところですね。その阿弥陀とは「彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない」この光明無量の阿弥陀如来のひかりをイメージできるかということでしょう。別にイメージできなくてもいいのですよ。

 で、その光明は十方の国々を照らすに少しのさわりもなく、そして彼の仏たちをはじめ、そのみもとにある人々の寿命が永遠である。こういうイメージがそのままにして壊れることがなく、その相をそのままに顕すような手立てとは何かということですね。私たちの思慮分別では捉えることができない、言葉を超えている世界ですが、その世界である光明無量をあえてイメージして、そのイメージのままに光明無量という言葉に置き換える、そして、それを阿弥陀と名づけた。これを「なぜ、阿弥陀と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。」と、阿弥陀と名づけることによって、阿弥陀の光明無量の相がそのまま言葉の仏となってもどることがない。この言葉の仏を阿弥陀如来といわれる、こういう意味があるのではないかと思うのです。

 こちらの願い(南無)に応じて如より来る阿弥陀如来ですから、南無阿弥陀仏、この南無阿弥陀仏をもって如来の名号だというのでしょう。これすごく難しい問題を言っておりまして、このへんで無理に説明することはやめにしたいと思いますが、ひとまず、この三号の阿弥陀如来を説明するにおいては、こういう捉え方があるのではないかと思うわけです。ただし、礼拝は身業をもって礼拝するのですから、言葉の仏というよりも、どちらかといえばそれは阿弥陀如来像であり、その阿弥陀如来の姿とその光明無量なる世界観といったようなものが礼拝においての阿弥陀如来のイメージではないかと思います。

 では、次は応です。「応は応共(おうぐ)である。仏は煩悩をことごとくのぞきつくして、あらゆるものに通達した智慧をえて、一切の天地の生きとし生けるものの供養を(真実に)受けるに応(ふさわしい)唯一のかたである。だから「応」というのである。」この応もまた阿弥陀如来ですね。礼拝の阿弥陀如来は姿かたちの如来ですから、その阿弥陀如来像に人格的な徳を顕すのでしょう。だから、三号の阿弥陀如来と応はどちらも阿弥陀如来ですが、応は如来の姿にその徳を思いはかり、阿弥陀如来の姿に光明無量のひかりの徳をいただく、つまり礼拝の対象となる如来の姿に、その如来となられた背景をも観じていくということではないかと思います。

 それでは次は正遍知です。「正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相)は心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(の実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変らないのである。だから「正遍知」というのである。」ここで諸法の実相ということをいわなければならないわけですが、どうしたらいいのでしょうか。これが分かればそれでいいわけですけど。ま、とにかく、この三号は阿弥陀如来と応であり、そしてこの正遍知であるということですね。阿弥陀如来と応は何となくでも分からなくはないでしょう。そんな気がしませんか。ところがこの正遍知が三号の阿弥陀如来と応とともに言われているわけですね、こうなると分からない。ただこの実相の問題は後程出て来ますので、ここではこのままにしておきたいと思います。

 それでは次は讃嘆門ですが、この讃嘆が始まる前、つまり礼拝の終わり部分ですね、「その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意をなさんがためである。」と言われているところですが、礼拝は三号を説明されるだけで終わりますので、次の讃嘆へのつなぎがここで添えられているのではないかと思うヵ所です。そしてその礼拝での三号の説明に対して、今度は讃嘆において口業の念仏にその三号を主体的に説かれようとする、そういうことかなと思います。

 で、まず「彼の如来のみ名を称え、彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義(いわれ)のごとく、その実のごとく修行して相応しようとおもうからである」と言われます。この短い文章に先ほどの三号が述べられていると思います。で、そのどこが三号の阿弥陀如来であり、どこが応なのか、そして正遍知なのかということになりますが。

 まず、「彼の如来の名を称え」のところがおそらく阿弥陀如来でしょう。この「彼の如来のみ名」は、無碍光如来が阿弥陀如来という言葉の仏になられたみ名ですから、その阿弥陀如来のみ名を称えるとは、南無阿弥陀仏の名号を称えることですね。だからこの「彼の如来のみ名を称え」が三号の阿弥陀如来だと思うのです。

 すると、次の「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義のごとくに、その実のごとく修行して相応しようとおもう」までが応ではないでしょうか。礼拝では阿弥陀如来の徳を思いはかるのですから、讃嘆の応は名号の徳を思いはかる。それではその南無阿弥陀仏の徳とは何かといいますと、次に書いてある「彼の如来のひかり明るい智慧の相」が阿弥陀如来の徳ですね。そして「彼のみ名を義(いわれ)のごとく修行して相応しようとおもう」までが、阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の六字の名号になられた義(いわれ)を、私が念仏において主体的に思いはかり相応しようと思うと、そういうふうにも読めます。

 しかしこの両方の説明をその後に載せてありまして、そこには何と書いてあるかといえば、まず「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに」のところは、「あらゆる世界を照らすにさまたげられることなく、よく生きとし生けるものの無明の(黒)闇をとりのぞくのである。それは、日や月や珠のひかりが、ただ空穴の中の闇を破るだけのような(小さな)ものではない」と、言われますように、光明無量とは、まず普通考える照明のような物質的なひかりではなくて、私の心の無明の闇を破る智慧をひかりだといわれる。

 そして次が問題でありまして、次に何と書いてあるかといいますと、「彼の(如来の)み名の義のごとく、実のごとく修行して相応しようとおもうからである。」とあります。この名号の徳を思いはかりながら、その義のごとく実のごとく修行してと、私が思いはかりながら修行するのだと読んでいくと、読めなくなっていきます。

 それでは、その次はどういうふうに書いてあるかといえば、「彼の無碍光如来の名号は」と書いてある。だから、阿弥陀如来の智慧のひかりが言葉の仏になり、その言葉の仏であるところの「彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるものの無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。」となっているでしょう。阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の名号となられたときに、いつの間にか名号が主体であって、称えている私は、この無碍光如来の名号により、「よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させる」ところの、その一人としての私である、というふうになるのではないですか。称える私が主体だったはずが、名号が主体となり、私が客体である。主客が逆転しているでしょう。

 讃嘆では、阿弥陀如来の徳を思いはかるとことが、名号において、阿弥陀如来の光明無量のひかりが私の方に入ってくる、そういうことを言われているのではないかと思うのですね。なかなかよう分からんようなことですが、この彼の(如来の)み名を義(いわれ)にはこういう主客の逆転が込められているのではないでしょうか。この讃嘆門の応による主体の逆転を通して後に正遍知というものがある、そういう事ではないかと思っております。

 それでは正遍知です。このみ名の義(いわれ)を知って念仏申す身になった。それで何がどうなったのか。「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜか」と、こういう疑問が出てきた。それが次の段です。

「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは(如来の)実のごとく修行しないのと、み名の義に相応しないことによるからである。どうして実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことになるのかといえば、(この無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生のためにこそ(仏になられたところ)の身である、ということを知らずにいるからである。」

 私が称えるところの念仏は、たとえこの名号の義(いわれ)を理解して称えたとしても、無明はなおあり、願いは満たされない。それはなぜかということですね。それに対して如来の実(まこと)のごとく修行しないのと、み名の義(いわれ)に相応しないことによるからだと言われます。この「(如来の)実のごとく修行しない」というのは、さきほどの「彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させる」はずが、実のごとくに修行しないから、そうならないのだということでしょう。彼の無碍光如来の名号が主体ですから、その主体が実のごとくに修行しない。そしてまた、「み名の義(いわれ)に相応しない」というのは、このみ名の義とは名号の義のことですから、その名号が主体となり、私が無碍光如来の智慧のひかりに入ることが分からないからだ、と。だから「(如来の)実(まこと)のごとく修行しないのと、み名の義(いわれ)に相応しないことによるからである。」といわれるのではないでしょうか。

 で、なぜこういう問題が起こるのかといえば、それは「(無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生にためにこそ(仏になられたところ)の身である、ということを知らずにいるからである。」とここに、三号の正遍知でいわれていた実相が出て来ます。そして実相の身であり、(為物)衆生のためにこそ(仏になられたところの)身であることを知らないからだと言われる訳です。「如来は是れ実相の身なり、是れ物の為の身なりと知らざるなり。」ここでいわれてる実相が正遍知でいわれる実相のことでしょう。困ったことにここでこの正遍知を自分なりにでも通らなければならないわけです。                      

 まずここにいわれている衆生ということですが、これを衆生性ということで話が出来ないかと思いますが、調べるとそんな言葉はありませんでした。だから造語になると思いますが、この性という言葉には根性という意味もありますね。だから衆生根性と言えばいいのかもしれませんが、とにかく衆生性という言葉を使って少し話そうかと思います。身口意(しんくい)という言い方がありますね、身は身体のことで私たちの日ごろの動作もそこに入るかと思います。口は言語であり言葉でしょうか。そして意は心ですね。すると、私の心が私の動作や振る舞いに現れ、私の心が言葉になって表現されていくのですね、そしてこの状態が私の生活になるわけでしょう。周りとの関係にこの身口意で関わることにより私の日々の生活がある。その積み重ねを業というのだろうと思うのですよ。だからそれを業というならば、私の生活基盤は、私が生れる前からすでに始まっているわけですから、私よりもこの業の方が古いことになりますね。で、この身口意というのは私の事でありますが、この身口意に先ほど言った衆生性を見るということです。単に身口意を生きているわけではないですから、当然その身口意なるものには何かの根性があるだろうと思ったりするのですね。その根性を衆生性という言葉で説明しようとしている訳です。

 今回はこの衆生性の根性論を通して、「衆生の為に仏になられたところの身である」といわれる為物身の問題を考えてみます。で、この身口意も私の心が思う処の身口意ですから、この身口意を思う私の心がどうしても入ってしまう。心が私ですから、私は心から出ることはありません。だから身口意といっても心が捉えた私の身口意であり、私の心はいつもそこから外れて行きます。衆生というのも同じことで、私の心で私を衆生だといくら思ってみたところで、私そのものの衆生性を自覚することは出来ないですね。私は根性が悪いですくらいは言えますよ。しかし、根性そのものが私なら、衆生性を自覚することなど出来ないでしょう。自覚しているという私がおるのだから、阿弥陀如来のひかりに入り私の闇が破られるといってもですね、そう思っている私もそこにいるのでして、そしてそう思っている私がこの衆生性という根性でもあるということですね。阿弥陀如来の名号の義を聞いて、私のこの根性の闇が破られることは分かった。そして、それに感動して念仏申す身にもなった。しかし、実際のところは、そう思っている私の衆生性という根性は残っている。そしてそれが私である。その私には念仏の実感もなければ満足感もない。

 するとこの(為物身である)衆生のためにこそ(仏になられたところ)の身とは何かというと、如来からたまわるということにおいてはじめて成立するところの衆生の相(すがた)だと思うのです。それが純粋な衆生の自覚ということになるのでしょう。如来の智慧のひかりに入ることで、私に衆生の身をたまわる、その衆生の相(すがた)がそのまま如来の智慧の相であるということではないでしょうか。「是れ如来は実相の身なり、是れ物(衆生)の為の身なりと知らざるなり。」をこういうふうい受け取らせていただいております。

 そしてまた、此れがあるとき彼があり、此れがないとき彼はない。この龍樹菩薩の不二の論理は以前話しましたが、この不二の論理であります不一不異を、この実相身為物身の問題に置き換えますと、実相の身あるとき為物の身あり、実相の身がないとき為物の身はない。実相身為物身は是れ、一ならず異ならず、この不一不異の論理が実相身為物身において展開されているのではないかと思います。

 三号の正遍知は「正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相は)心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変わらないのである。だから「正遍知」というのである。」と、この正遍知にたいして、奥行のない薄っぺらな自分なりの実相についての感想ですが、現時点で精一杯背伸びしてみて、こういうことかなと思っている次第です。

 そして、最後になりますが、もう一つ付け加えられています、それが三種の不相応ですね。

[  一には、信ずる心が純朴でない。信じたり疑ったりするからである。二には、信ずる心が(専)一でない。決定がないからである。三には、信ずる心が継続しない。ほかの念(おもい)がまじるからである。この三つは、たがいに展開しあってなりたっている。つまり、信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しないのである。また念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でないのである。これと逆なのを「実のごとくに修行し相応する」というのである。」

 この三信三不信を実相身為物身の次に言われているのですが、これもまた、正遍知での疑問である、「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは」、という問いに対して、この三信三不信を述べられていると思います。

 この実相身為物身のみではまだ不足分があったのではなかろうかと思う処ですね。この為物身であるところの衆生の相を、ここでは信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しない、念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でない。この展開に衆生の相をいわれていると思うわけですが、この衆生の展開こそが為物身の相であり、それと「逆なのを実のごとくに修行し相応する」という処に、先ほどの実相身を見て行かれるのであれば、その実のごとくに修行し相応する相が、信じたり疑ったりせず、他の思いがまじらず、そして継続して止まない心であるとするならば、それは我一心で言われている「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」願心である、この願心をもって実のごとく修行し相応するといわれている処ではないでしょうか。

 [「彼の(如来の)み名の義のごとく、実のごとくに修行して相応しようとおもうからである」とは、彼の無碍光如来のみ名は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。] と言われている、無碍光如来の智慧のひかりに映る衆生の相において、この三信三不信における願心をも見ておられるのでしょうから、この 讃嘆門の最後に [ だからこそ論主(天親菩薩)はまっさきに「我れ一心に」と宣言されたのである。] と、述べられたのではないかと読ませていただく訳です。

観経疏の発菩提心 そのⅡ

令和3年6月  永代経法要より

「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり、また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。ゆえに発菩提心というなり。」

  去年の報恩講で躓いたところです。半年前の話ですからもう忘れておられると思いますが、ホームページのブログでは「観経疏の発菩提心」の続きになっていますので続けて読んでいただければ何とか繋がっているかなとも思います。あの時は突然壁が現れたイメージになり先に行けなくなりました。それがこの発菩提心の処です。この「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり」という言葉に何故躓いたのかといいますと、菩提はたしかに悟りという意味ですから、仏そのものの意味ではあります。しかし菩提心は単にそういう仏を現わす語と言うよりも、私達が何処かに思いえがく向上心のような上りゆくといったようなものが何処かにありませんか。それがここにおいては菩提心から菩提という語だけを取り出して、仏果であるとわざわざ言わなければならないのは何故なのか。すごく違和感があるのですね。

 そして「また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。」ですから、心はあくまで衆生の心です。菩提は仏果、心は衆生、つまり菩提は仏そのものですから初めから仏であり、衆生は何処までも衆生です。言い方を変えるならば、菩提はずっと菩提であり続けるのであるし、衆生は何処までも凡夫であり続ける。菩提と衆生は何処までも平行線をたどるのであり交差しない。もし衆生能求の心が菩提心であるならばそれはすでに衆生能求の心ではなくて菩提そのものである。

 普通ならば菩提心がいつか成就することを願うのであり、まあ成就するかどうかは別問題としても、いつかどこかでひょっとすると叶うかもしれない、そういう先をイメージするような淡い期待感がありますね。しかし「菩提は仏果の名なり」といきなり言い切られた場合には、衆生においてそういう成就は無いのだと断言するのと同じではないですか。これを念頭において菩提心を発しなさいというのがこの「発菩提心」ですね。これね、普通考えると分からないですよ。でも、今回はこの訳が分からないところを中心にしてもがいて行ければと思い、躓いた処であるこの「発菩提心」を再びテーマにしました。御聞き苦しいかとも思いますが宜しくお願い致します。

 まず『観経疏』「序文義」の終わり辺りにこの「発菩提心」が登場します。お釈迦様の前で韋提希は阿弥陀仏の浄土を願います。その時の願いを「教我思惟、教我正受」と言いまして、この「教我思惟、教我正受」とは浄土への手立てである思惟の仕方を教えて下さい、またそれが正しく受けとれることがどういうことか教えて下さい、と言うような事かなと思いますが、で、この韋提希の願いによってお釈迦様がまず定善観を説かれます。ただ、韋提希はまだ阿弥陀仏の浄土を願いはするが、それを自ら受けとる準備が出来ていない。それで浄土への韋提希の基礎認識にあたる三福を説かれます。その最後にこの「発菩提心」が出て来ます。「発菩提心というは、これ欣心大に趣くことを明かす。浅く小因を発すべからず、広く弘心を発(おこ)すにあらざるよりは何ぞよく菩提と相会することを得ん。たゞ願わくは、我が身、身は虚空に同じく心は法界に斉しく、衆生の性を尽くさん。」と書かれています。今回はこの文章を解読することになりますが、まあ、とにかく先に進んで行きたいと思います。

 まず「欣心大」の欣心(ごんしん)とは願い求める心だと言います。「大」は私を超えているものですから仏のはたらきという事ですね、だからこの場合の「大」は阿弥陀仏でありまた阿弥陀仏の浄土という事でいいのでしょう。するとこの「欣心大に趣く」は阿弥陀仏の浄土を願い求める心に趣くという事になります。次に「浅く小因を発すべからず、広く弘心を発すにあらざるよりは何ぞよく菩提に相会することを得ん」ですから、阿弥陀仏の浄土を願い求める心に趣くとはどういうことか、この発菩提心においてこの「浅く小因を発す」と「広く弘心を発す」との違いを見るのですね。で、どこまでが浅く小因を発すことなのか、またどこからが広く弘心を発すというのか、この事についてまず解かなければなりません。

 以前、佐賀城後に行った時のことですが、いつも鉄道沿線に沿って南北ばかりを往来していたので、たまには違う処にも行ってみようということで佐賀方面に出かけて行ったのですね。佐賀市内は久しぶりで勝手もよく分からずとにかく有名なところへ行こうと佐賀城後の本丸御殿に行きました。佐賀市内は県庁所在地でもありそれなりに歴史と街並みがしっかりした処ですね。で、普通天守閣というのは城郭の中央部にあると思いますが、この佐賀城は天守閣が城郭部分に建ててあるようでした。変わった建て方だというのが印象です。ご存じのように佐賀藩は薩長土肥といいまして明治維新を推進した薩摩、長州、土佐、肥前(佐賀)の四藩の一つですね。大隈重信や江藤新平などを輩出した藩です。本丸御殿には藩校の弘道館の様子も沢山紹介してありました。西洋を見据えながら日本の将来に大志を抱く若者も沢山おられたでしょう。こういう世界に広く視野を向けるのをでは弘心というのだろうか。普通に考えたらそういうものを「広く弘心を発す」と言うのじゃないですか。

 それじゃあ、浅い小因とは何でしょう。この幕末当時においてこの地ではすでに石炭は採掘されています。石炭採掘はつねに水処理の問題が障害になっていたようで、炭坑工夫同士の水争いから、鉱山の水没まで水処理の問題は深刻だったと聞いています。明治以後西洋のポンプ導入でようやう収まったそうですが、では、こういう炭坑の話は「広く弘心を発す」内容にはならないだろうか。それとも「浅く小因を発す」ところの類だろうか。石炭産業は当時の日本の近代産業からすればけして浅く小さなものではないと思いますが。それでも時代の変換からすれば中途半端でもありますね。では、いったいどの辺りから広いと言うのだろうか、そしてまたどこからが浅い小因というのだろうか。私事は他人から見ればちっぽけな出来事ですね。だから浅い小因ですか。でも、私事は私自身からしたらこれほど大きい問題はありませんよ。では、この浅く小因というものと、広く弘心ということの違いは何かといいますと、ここでは「欣心大に趣く」ですから、阿弥陀仏の浄土を願っているかどうかです。すると佐賀藩の弘道館も炭坑の水処理もどちらも浄土を願ったものではありませんし、私事も阿弥陀仏の浄土を願った問題かといえばそうじゃない。するとここにある全部が広い弘心ではないのかもしれない。

 私たちは生きていると色んな事がありますから、毎日何かにつれ悩んだり、喜んだり、怒ったり、横着になったり、自分を卑下することもあります。そんな自分の心をよくよく見つめてみると、よろしくないものも結構あるようです。そんなこんなを本音として持っております。いやいやおれはそんなものは全然持っていないぞとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、なるだけそういう方には近づかないようにしております。また、人間関係に悩んでおられる方も多いでしょう。そういう心の問題ですが、この菩提心とは仏になりたいと願う心ですね。ただ何となく願うのではない。強くそうなりたいと願うのでして、健康を願うとか、子供が幸せになってくれることを願う、宝くじが当たる事を願う、こういう願いなら強く願えますが、私は仏になりたいと強く願われる方がどれだけおられるのだろうか。今日の発菩提心はそういう話なのですが、現実的ではないといえばそれまでですが、また人間の深い処での話かとも思います。普段の我々ではあまり考えない事ではありますが、韋提希には人生において、いま、のっぴきならない事が起きているのですね。そこに私自身の耳を傾けて聞いていくのも大事なことだと思います。

 『観経疏』の冒頭に「帰三宝偈」という偈文が書かれています。この偈文の最初の処です。「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣 共発金剛志 横超断四流 願入弥陀界 帰依合掌礼」

 この「道俗時衆等」の「道」は出家した人、「俗」は在家の人という意味です。だから「僧も在家も各々この上ない心を発しても、生まれ死んで行く私たちは、生きることへの執着は甚だ厭(いと)いがたく、仏法をよろこぶことも復困難である。共に金剛志を発(おこ)して、横さまに四流を超断せよ。弥陀界に願入して、帰依し合掌したてまつれ」多少アレンジが入ってますが、だいたいこういう内容かなと思います。で、この二句目の「各発無上心」ですが、これを次の文脈との関連で読むと二つの読み方があります。まず今読んだように「おのおの無上心をおこせども」という読み方です。もう一つが「おのおの無上心をおこしなさい」と読みます。初めの読み方では、それぞれが無上心をおこしても困難だから、共に金剛志をおこしてという意味ですね。次の読み方は「おのおの無上心をおこしなさい、なぜなら生きる事の執着は甚だ厭い難く、仏法をよろこぶことも復難しい。共に金剛志をもって」となります。どちらも一人じゃ困難なので共になっておこせとなりますから、両方とも同じ意味になります。ただこの読みでは「無上心」と「金剛志」は同じ意味ですね。

 で、初めの「道俗時衆等」には「時」の字が措かれていますね。するとこの出家と在家はその時の衆等でしょう。衆等は衆生等ですからその時の衆生等です。この観無量寿経の登場人物では僧は阿難尊者になります。お釈迦様の十大弟子の一人です。そしてこの観無量寿経で韋提希と共にお釈迦様から教えを頂くもう一人の人物です。だからこの時の衆生等は『観無量寿経』からすれば韋提希と阿難ということになります。では、この時とはどんな時でしょうか。先ほどから言っていますように、お釈迦様が韋提希に阿弥陀仏の浄土を説かれる時です。すると「阿難(道)韋提希(俗)もおのおの無上なる心をおこせども、生きる事への執着は甚だ厭い難くして、仏法をよろこぶことも復難しい。共に金剛志をおこして、横さまに四流を超断せよ。弥陀界に願入して、帰依し合掌したてまつれ」と、こういう読みになります。

 この「無上心」とはこの上ない心であり、またこの上ない願心であるという意味ですが、それ以上の事は分かりません。しかしこの無上心をこの二人に限定するならば、阿難の無上心はお釈迦様と同じ境地になる事です。韋提希にとっては阿弥陀仏の浄土への願いが叶うことでしょうか。二人はそれぞれ違う願いですが、お釈迦様からみたらおそらく同じ願いなのでしょう。そして、「共に金剛志をおこして、横さまに四流を超断せよ」です。

 さて、それではこの金剛志とは何でしょうか。サケは生まれ故郷の川に帰って産卵して、サケの一生を終えるでしょう。こういう習性がある生き物は他にも多くいると思います。では人間はどうでしょうか。人生の晩年に故郷の田舎に帰って過ごそうと思われる方はわりと多いかもしれません。そういう晩年の過ごし方もこの習性とどこか似たものがあるのでしょう。比較的奥さんの里に帰られるのが多いようですが。また、沖縄では、お墓の形が女性の子宮を模っていると言われます。毎年お墓で親族が集まり飲んだり食べたりする習慣があるそうですね。お墓が一族のコミュニケーションの場であり、最後はみんなが還っていく処でもある。これもお墓に故郷というワードがあるような気がします。

 また人間は心の生き物ですから、心の故郷もあるかもしれないでしょう。芥川龍之介の作品で『河童』は今度生まれる所を選べる世界だそうです。洒落た世界です。「おっ、予定通りの場所に出て来たぞ、しめしめ」選びの無い私たちの生を、芥川は皮肉を交えて描くのでしょうか。お腹の赤ちゃんがそんな事を考えているとは思えませんが、だからといって何か意識に似たものがないとも言えないですね。お腹の中で動く仕草にはそれぞれすでに個性があるかのように見えます。ではそれよりももっと前、それこそ生の始まりである、私と言うよりも生物的でありますが精子と卵子が結合する時ですが、その時に意識的なものはあるでしょうか。いくらなんでもある訳がないだろうと思うでしょう。しかし、では無いとしたら何故そこから意識が発祥するのだろうか。これは科学者の方にお聞きするしかないと思いますが、お聞きしても分からないかもしれない。ただ何もない所から何かが始まるというよりも、何かのきっかけで何かが始まらなければ説明は出来ませんね。生物学的にまた科学的にはどうだという事ですが、少なくともそこには何かの機能が始まっているという事ではないかと思います。「自の業識」ということを善導大師は言われますが、この自の業識にそれこそ私としての生が始まるその時を見られている。意味としては生きんとする意志と言われています。善導大師においてはこの自の業識が最初の場所であり、私の生の始めです。だからそこは私の心が始まる場所でもある。生きんとする意志は生への意志であり、また自の業識としては心の故郷である。

 「生死甚難厭」韋提希は世俗に生きることを嫌いながらも、生きることへの執着を厭い離れることが出来ない。「仏法復難欣」阿難は仏法に生きる僧でありながら、お釈迦様を拠り所にするあまり本来の仏法をよろこぶ身になれないでいる。そして「共発金剛志」ですね。この「共発金剛志」の金剛は迷いがない、揺るぎのない、変わらないというような意味でしょう。貴方は何事にも揺るぎのない心の持ち主ですかと聞かれたら、いいえそんな心は持ち合わせておりませんと即答致します。もう何事にも揺らぎっぱなしの自分でして、あっちふらふら、こっちふらふら。情けないですが小心者として胸をはってきっぱりと発言させてもらいます。だから自分にはそのような金剛なる心などありません。ただこの金剛志とは変わらず揺るぎのない意志ですから、私のこの心が揺らぐかどうかではなくて私の身にそのような金剛志があるかどうかでしょう。

 韋提希と阿難においてこの金剛志を発して「横さまに四流を超断せよ」です。「横超断四流」の四流は四暴流のことです。暴流とは氾濫した川のような激流の意味だと思いますが、欲暴、有暴、見暴、無明暴を四暴と言いまして、まず欲暴流は欲に激しく流されること、何かのきっかけで途端に暴走する。むさぼりや妬みものそうでして、なかなかこの激流は日常的です。分かりやすいのは瞋恚(しんに)だと言われます。怒りや憎しみ恨みなどがそうです。腹が立つとパッと顔に出るでしょう。生きて行く中でこの欲望流にどれだけ流されるでしょうか。

 そして有暴流です。この辺りから難しくなります。この有暴流からは、実は調べても思うような回答が見つかりませんので、とにかく自分の思う処を申し上げるしかないのですが、まず生物学的に言うと人体の細胞はおよそ半年で全てが入れ替わるのだそうですね。脳細胞からすべての細胞が入れ替わるのだから、半年後は今とは全くの別人なのだそうです。でも、そんなことを言われてもこうして自分はここに居るのだし実感などもありませんね。たとえ科学的に実証されようがこの自分は自分でしかないと普通は考えるじゃないですか。だけど生物学的に言えば無いものを有るものとしている訳でしょう。森羅万象すべて変化の中である。格好つけて言うとそういう事ですね。これ仏教でいう諸行無常という意味です。川の流れをそのまま握ることが出来ますか。川の水を手ですっくてみても、それはすでに川の流れではありません。そしてすくった水を見る私たちもまた諸行無常の存在です。私も変化の中であり捉えようとする対象も変化の中ですね。そういう状況で自分はここに有り、そして対象はそこに有るとする物の捉え方は、本来をそのままに捉えていない事になります。しかしそうは言ってみてもですよ、実際の処はこの私がいてそして貴方がいる。私が有りそしてそこに何かが有る。こういう事でしか物事を測れないでしょう。辞書で認識という語を調べると「物事を見分け、本質を理解し、正しく判断すること。またそうする心のはたらき」だと書いてあります。だから認識するとは、普通にまず考える私がいてそして見ている対象があり、それを私がどのように考えるかということです。

 すると仏教でいうところの本質を知るというのは、一般的にいう物を認識するのとは違うのでしょうね。この有暴の有とはそういう点からして私が普通に考えるところの認識作用の類になりますが、その有に暴流をつけて有暴流ですから、このような様々な有への執着が何かのきっかけで激流のごとくに暴走する様子でしょうか。こうなると思い当たる事がどんどんと出て来ませんか。細かいことはここでは申し上げませんが、いたる所で展開される様々なドラマがこの有暴流の出来事かなとも思います。これらは最初の欲望流とすごく近くて、欲望流が結果なら有暴流はその因となる心の作用なのでしょう。

 次が見暴流ですが、ここで言う見とはこのような有を促す発動のようなものではないかと思っています。有を認識作用とするなら、見はその認識作用へと促すはたらきといいますか、具体的に何かそういう器官が身体にありそれが促すと言うようなことじゃなくて、単に促すところのものということです。これは自分がそう考えているだけですが、自の業識でいう生きんとする意志は私が母親の胎内に宿る時、つまり具体的な生が始まる時を言うのですが、この見はそういう生命の領域に限らないところの促しという事そのもの。そういうふうに考えています。

 そして無明暴ですが、この欲望も有暴も私の心の中の出来事です。そして見暴が私の心そのものを促すものだとしても、これらのことを私は心で捉えようとするのですから、いくらこのような観察をしても私の心から私は出ることは無いのですね。私の心を見るには心の外を通してから見なければ私の心は見えません。『浄土論註』に「蟪蛄(けいこ)春秋を識らず、伊の虫,豈(あ)に朱陽之節を知らん乎、と言うが如し。」という有名な言葉があります。蟪蛄とはひぐらしの事だと言われます、蝉は夏に生れて夏に死んで行くから春秋を知らない、この虫がどうして夏という季節を知ることができるだろうか。私の心が私を測り、その心に私を見る。私の心は私の生きることと共にあります。生まれてから死ぬまでずっと心が私を考えるのですから、心から私は出ることはないのです。だから私の心は私が一番知っているつもりでいながら本来を知らないと言います。この事を無明と言うのですね。この無明であるがゆえに、あるちょっとしたはずみでバランスを崩し、見が暴走して、有にしがみつき、欲が濁流のごとくに貪りだす。こういうシステムになっております。そのままが私の生きて行くところの姿であります。四暴流を簡単ではありますが自分なりに説明してみました。また違う見解も当然あるはずです。

 そして「横超断四流」ですね。このように四暴流は心の産物でありますが、自の業識というのは先ほどからも言いますように、身体に属しながらも私の意識の外にある処の生きんとする意志ですね。言うなれば我が心の外に属しながら、なお且つ身体に備わる変わらない意志でしょう。金剛志を発せとは、この変わらない意志に帰れということではないでしょうか。もしそうならば、それは自の業識へと帰れという事でもあるのです。そして、金剛志が身体に備わるところの意志であるならば、心の産物である四暴流の外でありますから、この金剛志を発すことはすでに四流を横さまに超えているのだというのでしょう。

 「願入弥陀界」はこの「横超断四流」をもって弥陀界に願入せよということです。しかしまた、この『観経疏』では「一切の往生を欲(ほっ)せん知識ら、善くみずから思量せよ。むしろ今世の錯(あやまり)を傷みて仏語を信ぜよ。」と言われています。「往生を欲せん知識ら」という表現が面白いですね。この往生を欲せん知識らとは、知識でこの弥陀界に入ろうとする者のことでしょう。錯はまちがえるということですから、まちがって自分の知識や裁量で弥陀界に入ろうとしても心の中でもがくだけだという事です。そして仏語を信ぜよとは、自らのその錯と傷みの中で帰って来いという阿弥陀仏の願いに気づくことでしょう。ここにおいて「願入弥陀界」「帰依合掌礼」です。そしてこの「帰依合掌礼」の姿がそのまま「横超断四流」の姿であるというのでしょうね。取り急ぎ『帰三宝偈』の「道俗時衆等」から「帰依合掌礼」までを話してみました。

 それでは発菩提心に戻ります。「発菩提心というは、これ衆生の欣心大に趣くことを明かす。」これはもういいでしょう。次の「浅く小因を発すべからず」は心の内なる世界で発すべからず。いくら広い視野でも自分の心から出ることは無いのです。だから「広く弘心を発す」とは私の心よりも広い、広大な外にそのままにしてつながる変わることがない意志に帰ることである。この金剛志を求める心が菩提、つまり仏と相会するのであると言われるのでしょう。「我が身、身は虚空に同じく、心は法界に斉しく、衆生の性を尽くさん」は、我が身は無限に広がる法界にあり、心は金剛志を求める心となり、その心もまた法界に斉しい。ここをもって、ただ願わくは、我ら衆生としてのこの一生を尽くしていこう。

 「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり。また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。ゆえに発菩提心というなり。」この菩提と心を何故わざわざ分けられて言われたのだろうか。消化不良は未だなお継続しますが少しはほぐれて来たかなあとも思います。

 

 

  

「観経疏の発菩提心」に関する(付録)として

2013年3月 『風俗史学』51号「あるひとつのパターンについて」より

  「これ夫人、婉転涕哭することやゝ久しくて、少しき醒めてはじめて身の威儀を正しくして、合掌して仏に白すことを明かす。」観経疏、序文義に登場することばですが、経典においては「時に韋提希、仏世尊を見たてまつりて、みずから瓔珞を絶ち、身を挙げて地に投げ、号泣して仏に向かひてまうさく、世尊、・・」となります。

  経典においては「号泣して仏に向かひてまうさく」ですが、観経疏には「久しくして、少し醒めてはじめて身の威儀を正しくして」と慟哭から仏に白すまでの間に時間の経過が示されて内容としてはかなりの違いがあります。通常の意味においてはこの時間の経過はないのだから、感情の高ぶりのままに韋提希が釈尊への愚痴を述べる段階だけということですが、ここに時間の経過を現わした時に感情の高まりは抑えられて、冷静さを装ったなかで釈尊に文句をいいはじめるという状況が想像できるわけです。感情の高まりから愚痴を言い出すのは感情が興奮状態であるためのものであることが予想されますが、ここにさめる時間をおいたのは、次に仏に愚痴を告げることが意識の高揚のために告げたのではないことを言わんがためのものではないでしょうか。

  その後に韋提希は釈尊の沈黙により自らの愚かさを自覚するのですが、その自覚の対象が興奮状態による自らの愚かさを自覚するのか、それとも牢獄で命の危うさを感じながらも冷静さを装う姿を見せて、事の原因の責任を釈尊にまで押しつけるような言葉を発していくこと全体から自らの愚かさを自覚させるのか。王妃として過ごしてきた時間に経過が、この慟哭から愚痴までの間に行われたほんの短い時間と重なり、その一瞬に王妃韋提希として生活した時間全体が愚かであったことを自覚したと強調したかったのではないでしょうか。

  意識のある一面の興奮した状態ではなくて、生活そのものの時間であるならば、それは釈尊の沈黙によりその自らの愚かさが露呈されて韋提希の意識全体が崩れたのであり、単に意識のある一面が否定されたのではないのでしょう。このような心的な状況を善導は何故わざわざここに措かなければならなかったのか。この疑問が後の観経疏を読んでいくときの大きな視点になるのですが、勿論善導が用いた経典が現在のものと違いそういう文言が入っていたことも可能性として出て来ます。しかしもしそうであるなら何故その文言が消されたのかを問題視しなければならないでしょう。韋提希はこの後阿弥陀の浄土を釈尊に請い願うのですが、その起点となるものとしてこれを観ていくことが現在の研究の課題のひとつとしてあります。しかしこの問題は観経疏にとどまらず幾つかに同じような形態が描かれていることに目が向けられるのです。

  例えば、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』においても韋提希の心的な一連の状態が現れているように思われます。この『カラマーゾフの兄弟』におけるアリョーシャの宗教体験が「ガリラヤのカナ」で描かれています。しかしその前に「腐臭」に長老ゾシマの死によるアリョーシャの挫折があり、そこから「ガリラヤのカナ」での宗教体験へと続いていきます。この韋提希の愚かさの自覚(意識の崩壊)とアリョーシャの挫折に観るものはいったい何なのか。

  意識が否定された状態は見かたを変えれば、意識が始まる前の状態だともいえるでしょう。何故ならまたそこから見ている自分が感じられて意識が始まるからです。そういう点では意識よりも前であり、何かを見るということはその意識の前を見るということにもなるのかもしれません。それは見ているものと見られているものとの間には差別はなく、ただそうした状態があるということだけなのでしょう。こうした状態が韋提希の愚かさの自覚やアリョーシャの挫折のなかに窺えます。

  ヘーゲルの『精神現象学』における「1、感覚的確信ー(目の前のこれ)と(思いこみ)」においてこういう文章が書かれています。

  「まっさきにわたしたちの目に飛び込んでくる知は、直接の知、直接目の前にあるものを知ること以外にはありえない。この知を前にして、わたしたちは、目の前の事態をそのまま受けとる以外にはなく、示された対象になんの変更も加えず、そこに概念をもちこんだりしてはならない。感覚的確信の具体的内容を見ると、感覚的確信こそ掛け値なしにもっともゆたかな認識、いや、無限のゆたかさをもつ認識に思える。内容が外へと広がる際の空間と時間に限界はないし、充実した内容からその一部をとりだしてきて、それをこまかく分割していっても、限界にぶつかることはないように思える。その上、もっとも正しい認識であるようにも思える。対象からいまだなに一つとりさることもなく、対象をまるごと目の前に見ているのだから。だが、実際は、感覚的確信が真理だとすると称するものは、もっとも抽象的で、もっともまずしいものである。感覚的確信が、自分の知る対象についていうことは、「それがある」ということだけで、その心理にふくまれるのは、事柄があるということだけである。意識のほうも、なにかを感覚的に確信するかぎりでは、純粋な自我としてあるにすぎず、そこでは、自我は純粋な「この人」という以上のものではなく、対象も純粋な「このもの」以上ではない。」長谷川宏訳『精神現象学』

  韋提希の浄土を願うときに釈尊から見せられた浄土の姿を一種の宗教体験とするなら、『カラマーゾフの兄弟』による「ガリラヤのカナ」でのアリョーシャの宗教体験と一致するものがあるでしょう。そしてその前段階にある意識の前の経験は、ヘーゲルにおいては感覚的確信として示されています。またヘーゲルにおいは宗教体験としてではなくて『精神現象学』の中枢部へと進んでいく始めのものとして現わされているのでしょう。この一連の事柄はキルケゴールにおいても見られます。それぞれの後のあつかわれていく内容は統一的ではないかもしれませんが、こういう一人ひとりのその後の内容を編纂することが目下の目的になっています。その人の思考内容が重なったり反発したりしながら、ある一つのものに向かっているような気がしてならないからです。その人の描く図形がある円を描いていたとしたら、また違う円を描く人がそこに登場した時、それぞれの円は違う形をしていますが微妙にどこか重なる部分がある。現在においてはこういう自分なりの研究をしているつもりです。

  観経疏の話に戻りますが、そういう視点で少しずつですが読んでいきますと善導その人が気になってきます。ある面少し気を使って書いているのではないかと勝手にですが詮索することもあります。そしてそれは西洋の哲学とも深く重なっているように見えるのです。

  「観経疏の発菩提心」は予定外の内容でしたが、だからといってその先に何か予定するものがあったわけではなく、着地点が予想外だったという事でした。以前同じ形態とした善導の独自性を『風俗史学』の「あるひとつのパターンについて」で書いていたので付録として掲載しました。

観経疏の発菩提心

令和2年12月 御正忌報恩講より

  親鸞聖人の御命日を記して、こうして報恩講が全国で執り行われます。親鸞聖人が日本の代表的な高僧であることは間違いありません。しかし日本の仏教において高僧だと認められたのはつい最近のことではないでしょうか。聖人が修業をされた比叡山は様々な高僧たちを輩出してきました。聖人もその一人です。ただ日本仏教を代表とする高僧だと認められていたかといえば定かではありませんでした。

  師である法然上人は比叡におられた頃から智慧第一の法然房と言われ、比叡を降りてもなおその名声は日本を代表するものでした。しかし親鸞聖人は違います。何百年もの間、比叡山の高僧とはなっていません。理由は妻帯をされたからです。仏教には妻帯の概念が無いのですね。高野山にケーブルカーで登りますと、途中で女人禁制の場所が残っています。昔女性はそこから先に入れなかったのです。現在はおかまいなしに入れます。禅の道元は、京の伏見の興聖寺で男女ともに禅の修業をしたと聞いていますが、後程福井の山中に永平寺を建立して厳しい修行場を開かれました。親鸞聖人はこの道元と同時代の方ですが、法然上人のもとに行かれる頃には、すでにこの妻帯の問題をどこかで背負っておられています。親鸞聖人が生きられた鎌倉時代は仏教が民衆に入っていく転換期でありますから、こういう民衆的であり、人間的な課題が登場したのではないかと思います。

  また、社会的な見方からすれば、聖人は知識人や文化人から人間親鸞と称されて、非常に人間味ある高僧だと言われ続けております。若き青年親鸞の悩みは何だったのか。よくこういうストーリーが描かれたのではないでしょうか。形ばかりを聖人ぶるより真正直に一人の人間として悩む姿、そしてその現実を生きる姿勢をそのまま仏教にぶつけられた魅力が聖人にはあります。29歳の時に法然上人の元へ行かれた後も変わらずにご自身の問題をひっさげて生きて行かれました。妻の恵信尼との間には沢山のお子さんもおられます。この人間味が親鸞聖人の魅力なのですが、しかしこういった聖人への捉え方はおそらく明治から大正、昭和とその時代の知識人や文化人が描いた親鸞像でもあったのでしょう。

  親鸞聖人が生きた鎌倉時代にはそういう知識人や文化人はいないのですから、青年親鸞、親鸞と名乗られたのはもっと後の話ですが、とにかく親鸞の悩みがいかに人間味があると言っても親鸞一人だけが悩んだのではないはずですね。時代背景に沿って同じような悩みがそこらじゅうにあったはずです。その頃、民衆仏教の先駆けである法然上人はすでに70歳近いお年でした。20年ほど前にすでに比叡を降り専修念仏を京で開かれておりましたので、法然上人の名声は日本全国に広まっていたことでしょう。当然、当時の親鸞聖人にも聞こえたはずです。ご存じにように法然上人に遇いに行かれる時はかなり悩んでおられます。六角堂の百日間の参籠が有名ですが、恵信尼文書にも晩年の思い出としてこの六角堂の参籠の話が書かれていますので、日常の会話にもよく出ていたのでしょう。

  法然上人と親鸞聖人とのご信心について、歎異抄の後序に書かれています。「善信(親鸞)が信心も聖人(法然)の御信心も一つ」と親鸞聖人が言われるのについて、お弟子の勢観房・念仏房が「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、一つにはあるべきぞ」と文句をつけられます。親鸞聖人は「聖人の(法然)の御智慧・才覚ひろくおはしますに、一つならんと申さばひがごとならめ。往生の信心においは、まったく異なることなし、ただ一つなり」法然上人の智慧や才覚が親鸞と同じだというならば、自分のいうことは間違いである、しかし往生の信心においてはただ一つだと返答をされる。勢観房・念仏房はその答えになお納得がいかいものだから、法然上人にその旨をお聞きすることになります。すると法然上人は「源空(法然)が信心も、如来からたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来からたまはりたる信心なり。されば、ただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」と弟子たちの論争を収められたことが書かれてあります。 

  この「如来よりたまはりたる信心」という表現はよく耳にして聴きなれているから別に何とも感じませんが、しかし普通なら信心と言えば私が何かを信じることですから、まず私がありそして何かを信じる事ですね。たとえば私が神の存在を信じるとか、ご加護を信じる。何ゝ仏の御利益を信じるというような類になるでしょう。しかし、ここで言われている「如来からたまはりたる信心」は、如来が私に信心をくださるということですね。じゃあどういう信心をくださるのか。考えるとよく分からなくなる。

  これは自分の受け取りでありますけども、この「如来からたまはりたる信心」というのは、この私をたまわることで成立する信心である、そういう事かなと思っております。では、その私をたまわるとはどういう事でしょうか。

  私たちは、普段何事もなく暮らしていると、自分というものがさもを分かったかのように暮らしていますが、いざ自分の思慮分別を超えるくらいのごたごたが生じたら、泣いたり、わめいたり、妬んだり、と変化に富んだ自分が現れます。その時心は何かに振り回されるがごとくに変わっていく。場合によっては取り返しのつかないことまで仕出かしてしまいます。あの時ああすればよかった、こうしたらよかったと、振り返りながら後悔先に立たずの現実です。何事もなく全て順調に過ごしてこられた方もおらるでしょうが、概ねこういうものじゃないですか。誤魔化しが利くものなら知らんふりで過ごせますが、この取り返しがつかない事実の積み重ねはどうしようもない。どれが本当の私なのかと改めて考えても、どれもこれも自分に変わりはないし、だからといってどの自分が私だとさっと出せる答もない。あるのは自分が気に入ったものは私として認めたいし、都合が悪い自分は認めたくないという心である。若い時はそういう認めたくない自分の姿を自分で責めて、自己嫌悪に落ちる人もけっこうおられるでしょう。年取ると老化現象か何か知りませんが、そういう感覚が薄れてきますね。だからといって心が深く広くなったのかといえば、一概にそういう事じゃない。ボケてるか、誤魔化し方が上手くなったのか、そういう事かなとも思います。

  ただ、老いは時間経過の加速する感覚が強いですから、これからどうなるんだろうって、何がどうなるか分からないのにせかされているみたいで、外見よりかなり焦った様子がある気がしますね。老後の心配は勿論あるし、子供が大きくなれば心配の内容が変わるだけで、より心配が増す気がする。身体的にも誤魔化しが利かない。そしていよいよ死が具体的に近づいてくる。それに伴いかえって死にたくない気持ちが増す。問題は山積みです。ずっと前に読んだ夏目漱石の、たしか『門』だと思いますが、その最後辺りに、主人公が門の前にたたずみ、そこから前にも帰ることもできないまま、門の前でただ茫然と日が暮れるのを待つだけだった。そのような内容だったと思いますが、ふと思い出しました。

  若い時は若い時の悩みがありますが、老人には漠然としたそして深刻な悩みがありますよね。この死が漠然としすぎて自分の器量をはみ出しますから考えようがないだけです。しかしこういう周囲や年齢による変化においても変わらずに、この私としていつも還れるような、私本来のこの私自身をいただく。それを「如来からたまはりたる信心」と、こう言われるのだろうと思う訳です。

  観経疏の序文義に「たゞこれ相因って生ずればすなはち父母あり、すでに父母あればすなはち大恩あり。もし父なくんば能生(のうしょう)の因すなはち欠けなん。もし母なくんば所生の縁すなはち乖(そむ)きなん。もし二人ともになくんばすなはち託生の地失わん。かならず須からず父母の縁具して、まさに受身の処あるべし。すでに身を受けんと欲(ほっ)するに、自の業識(ごっしき)をもって内因なし、父母の精血(しょうけつ)をもって外縁(げえん)となす。因縁和合するがゆえにこの身あり。・・・」観経疏は序文義、定善観、散善義 と別れていまして、この文章はその中の序文義の最後辺りのものですが、韋提希がいよいよ阿弥陀仏の浄土をお釈迦様から享受される前段階のところになります。

  韋提希が阿弥陀仏の浄土を求める意義は正しいのですが、その心の根といいますか、浄土を求めるところの心の発する場所がまだ明らかでない。そこで定善観に入る前に、韋提希の心根を正すために設けられた場所ではないかと思っています。普通いうところの本論に入る前の基礎認識ですね。ここを散善顕行縁と言いますが、その初めの文になります。そして次に韋提希の発菩提心が明らかになる。

  この発菩提心に入るまえに、善導大師はひとつの物語を載せています。飢饉で苦しんでいる町にお釈迦様が托鉢に出かけられる場面ですね。町中が飢饉に苦しんでいる状態ですから、誰もお釈迦様に食を施すものはいませんでした。三日たってもひと鉢の食もないまま次第に体が衰えていくお釈迦様に、一人の比丘が心配して何かお召し上がりになりましたかと尋ねます。お釈迦様は衰弱がひどく話す力さえ無くなりつつありました。お釈迦様のその姿を見た比丘は悲しみ泣いて、自分の三衣を売りお釈迦様に食事を施そうとします。するとお釈迦様は「貴方の三衣は、三世諸仏の幢相なり、この衣の因縁極めて重く、極めて恩あり」(あなたの着られている三衣はあなただけにとどまらず、過去・現在・未来に極めて重い因縁があるのです。それは極めて恩があります。)と言われ、私はそれをいただく事は出来ませんと、その食を断ります。

  その時、比丘は「仏(お釈迦様)はこれ三界の福田、聖の中の極みなり、それでも頂いてもらえないなら、他の誰かに施します。」(お釈迦様のような聖の極みのお方においても御召し上がていただけないなら、誰かに施すしかありません)。するとその時、お釈迦様はあなたの親は居られますかと尋ねます、そしてあなたの両親にこの食を与えなさいと言われる。比丘はお釈迦様がお食べにならないのに、どうして私の親が食べることが出来るでしょうか、と返答しました。お釈迦様は、「あなたの両親は食べて良いのです。あなたの両親はあなた自身をこの世に生んだのです。あなたにとってそれは大きな重い恩です。これがためにあなたの両親は食べてよいのです。」と告げられ、そしてまた「あなたの両親は信心がありますか」と尋ねます。比丘は両方とも信心はないと答える。その時にまたお釈迦様は「だからこそあなたの両親に与えなさい、いまそこに信心があるのです。」「あなたの両親もまた親がいます。いままでの経緯を教えてこの食を与えなさい。そうすればあなたの両親はこの食を得ることが出来ます。」

  比丘が言うところの「仏はこれ三界の福田。聖の極みなり」に対して、お釈迦様が比丘に言われた福田とは何だったでしょうか。それはこの三界(過去・現在・未来)において、あなたとして生を受けたことによる両親への恩だということでしょう。この文の最初の処ですが「すでに父母あればすなはち大恩あり」という言葉は、この私のいのちは、過去・現在・未来を貫いている福田であり、大きな恩があると言われるのです。その私のいのちの初めを、次の文に「すでに身を受けんと欲(ほっす)るに、自の業識をもって内因となし、父母の精血をもって外縁となす。因縁和合するがゆえにこの身あり。この義をもってのゆえに父母の恩重し」と、こういう言葉で続けられます。「自の業識をもって内因となし、父母の精血を外縁となす。因縁和合するがゆえにこの身あり」です。だからこそ父母の恩重しですね。

  この自の業識は生きんとする意志だと言われます。生の初めが父母の精血であることは分かりますが、その精血が生きんとする意志と因縁和合することによってという言い方です。自らのいのちが始まる時をこういうふうに表現されのですね。この生きんとする意志を、私が生きようと思うということなら、親の恩を決めるのも私の思い次第です。しかし、この生きんとする意志は、いのちが始まる時を言うのですから、今の私の気持ちがどうであれ否応なしにこの身として始まっているという事実ですね。ここに気づけば父母の恩重しです。私の思いよりも深く、私の意識よりも前に、生きんとする意志が私の生の初めとしてすでに始まっている。そういう私を頂くのでしょう。こういう生の根源を韋提希に享受して、そして発菩提心へと続いていきます。

  で、この発菩提心なのですが、正直困っております。なかなか難しい。当初はそう気にしてなかったのですけど、いざそこを通り過ぎようとした時に大きな壁みたいになってしまいました。

  この発菩提心は最後に「また菩提というは、すなはちこれ仏果の名なり。また心というは、すなはちこれ衆生能求の心なり。ゆえに発菩提心というなり。」の言葉で終わります。これも難しいですが、その前の菩提心の説明もなかなか難しい。「我が身、虚空に同じく心は法界に斉しく、衆生の性を尽くさん。」これをどう解釈するのだろうか。

  とにかく、この「菩提というは仏果の名なり」ですから、ここで言う菩提とは仏果の名前だということですね。仏果の名前なら他にもあります。法、法性法身がある。涅槃もそうでしょうか。まだ他にもあると思いますが、ここで言う菩提はその名の一つであるということです。また、衆生能求の心は衆生自らが求める心でしょう。これは仏果ではありません。あくまでも衆生という人間の心です。だからこの「菩提は仏果の名なり、また心は」というのは、菩提は仏果であり、また韋提希の菩提心は衆生が浄土を求める心である、とこうなるわけです。

  衆生を超える仏果と、韋提希の菩提心は違います。しかし、ここではある関係としてこの両方が生まれている。こういうふうにも読めるのですね。「我が身、虚空に同じく心は法界に斉しく」我が身をどこの我が身と捉えるかですが、この場合はやはり生の初めとしての我が身でしょうね。そしてその身は虚空に同じです。そして心は法界に斉しですね。するとこの心は韋提希の衆生能求の心というよりも、自の業識である生きんとする意志になるでしょう。ここでの法界も虚空も同じことだと思います。だからこの生の初めの我が身と心は法界に斉しい。その我が身と心を基礎認識としている韋提希の衆生能求心が発菩提心である。こういう言い方ではないかと思うのですね。

  そしてこの韋提希の発菩提心を私の信心としていただく時が、今この私を頂くという信心である。「如来よりたまはりたる信心」をこういうふうに思うのです。なかなか難しい所で、かなり消化不良な処になっています。ただこれは善導大師の念仏における信心ということで話しておりまして、法然上人は偏依善導と言われますように、善導大師の御信心を自らの信心だと言われるわけですから、こういう内容が法然上人の専修念仏の背景にもあるということかなと思う訳です。今日は「如来よりたまはりたる信心」を自分なりに探りながらここまで来ましたが、まだまだぼやけたところが多いようです。

  また、一般的に法然上人の専修念仏で、こういった信心が言われているとは聞ききませんが、当時の民衆に進められた専修念仏にこういった背景があったのではないかと考えるところのものです。そして思うのは、親鸞聖人は比叡の時にすでにこの観経疏を読破されていたのではないかという事ですね。

コロナに負けるな「不安」編

 2010年 その他の原稿から 

  気がついたら老人でした。気持ちは違いますが、年齢はすでに老人です。証拠もあります。よく老後の人生を考えています。老人になって老後を考えるのは手遅れ気味ではありますが、だいたいがそういうものではないでしょうか。後どのくらい生きるのだろうか。いい人生設計はあるか、できればいい人生でありたい、生きがいがある老後でありたい、などなど・・。

  新型コロナウイルスはこの定まっていない老後の人生設計に、新たな課題を、それも強引に付け加えました。それはいかに生き延びるかです。死に方ばかりが気になる老人に、いかに生き延びるかという意義をいやおうなしに押し付けてきたのでした。でも考えてみれば、昔々の人々はこのいかに生き延びるかは最初から生きる前提条件だったはずでした。そんなこんなでまだ老人になる少し前に書いた原稿を見つけだしてみました。もし老人自粛でお暇でしたら読んでいただければ幸いです。若い方も歓迎です。

  「不安」という不気味さ。面白い表現です。この不気味さは「居心地の悪さ」という意味でもあるそうです。「脅かし」という不気味さ。これについては様々な対応が考えられますが、こちらの力量が足りませんので一つひとつ取り上げて説明することが出来ません。ただ、人間が辿ってきた歴史は、この周囲からの「脅かし」を心配して、どのような対応が営まれてきたのかその結果でもある、ということは言えないだろうか。国家、民族、文化をそこに描くことが出来そうな気もします。人間の心の動きはそれぞれが違うものだと思われそうですが、こういう観点から観たら特定な方向性が見えてくる。これをハイデガーは気遣いという言葉で表現してます。そして私たちが普通に気遣うのと同質であるともいうのです。

  「不気味さ」を背景にして心が動いているのなら、どのような動きとして働くのか考えると思いつくものがあります。それは「集める」ということです。お化け屋敷に何人かで入ると、気づいたらみんなが密になっていた。ギャー、ワーと叫びながら同じ場所で密になる。誰が集めたわけじゃないのに集まる。それは怖さや「不気味さ」が集めるのです。人間関係もこういう「不気味さ」に対する心の動きによって私を動かす。そう考えると身近なものになります。そして私たちの生活現場である様々な関係においてもこの「不気味さ」がいつも顔を出している。こういったことを考えながら生活する人はあまりいないと思いますが、それでも普段とは違った風景がそこに現れることでもあります。皆さんがいろんなところで気遣う背景には、こういう「不気味さ」を背負っておられる。

  そういえば背後霊なども、こういう感覚を昔の人が何処かで感じていたからかもしれませんよ。外では蝉も泣き出したようですから、サービスで涼しくしました。で、ハイデガーはこの気遣いをとおして人間の心の動きやそこに現れる現象を分析した人です。

  「居心地の悪さ」は何処からくるのか。それはその場に対する不気味さであるという事になりますが、だからといってその場所が不気味で居心地が悪いということじゃありません。何故なら気遣いは居心地を良くしようと動くのですから、それではこの「居心地の悪さ」は居心地が良くなる前の状況になります。しかしそういう状況の前後を言っているのではありません。私がそこを居心地良くしようと気遣う時に常に同席するもの。同席と言えば誰か他に居るみたいですが、そうではない。気遣いがある時にいつも同席するということで、隣にいつも何かあるということですね。妖怪ウォッチみたいになってしまいますが、気にせず先に進みます。

  パソコンで原稿を書くのですが、文章の入れ替えも簡単ですし、誤字の訂正もしてくれます。領域設定して文章ごと入れ替えることも簡単です。で、この領域設定をここでいう気遣いに当てはめてみることにしました。そうすると気遣いは何かの目的があるから気遣うのでしょう。だから気遣いはその人の目的に応じてその都度に領域設定がされ、それにともなうその人の目的を持った気遣い方になるのですが、こういう意図的な気遣いもそうですが、とっさの雰囲気での気遣いも同じだという事になります。その時に同席するものです。何か得体の知れないものがあるという訳です。これを「不安」という言葉で表して、それは「居心地の悪さ」だというのです。しかしそれにしても、この「不気味さ」というのは何だろうか。ハイデガーは、それは無だと言います。私が何かを気遣う時に無もそこにあると言うのです。

  そして気遣いは何かを目的にする時にあるもの。その気遣っているところの視点でありますから、言うなればそれを気遣おうとする主体です。これを現存在というのだと思っております。そうなりますと、その領域設定されるところのものは、現存在から領域設定された世界ですから現存在における世界内存在だということです。ハイデガーの現存在・世界内存在をこういうふうに考えていきます。

  現存在が無とともにあるという事ならば、無という足場のない場所が常に世界内存在の場所でもある。これを感覚的に表現されたときに、何か全体に得体の知れない「不気味さ」があるということになるのでしょう。ただ困ったことに、こういう「不気味さ」における対処法がないということです。私の意識がある時は常に現存在とその世界内存在なのですから。

  晩年にハイデガーはこの「不安」を「呼び求める促し」と説明しています。ぼくはまだ晩年だとは思っていませんので、横着にこれを単に「呼び戻し」と言っていますが、ではいったい何処から呼び戻されるのか、それは本来から呼び戻されるということです。それでは何処にその本来があるのか。しかしそれはただ漠然とした無の空き地状態があるだけなのです。

  この世界内存在から現存在は出ることは出来ませんが、しかし、ある特異な場所を設定することで一時的に出ることがあるのです。それはある場所へ「ずれる」ということですが、では何処へずれるのかと言えば無へずれるのですね。移行するとも言います。実際にこういう世界内存在や気遣いの世界がどういうものか知るには外から全体的を観ることが必要ですが、気遣っている自分そのものを観ることですから、現存在である限り観ることは出来ません。だから視点に何かのずれが生じないかぎりこの気遣いとしての現存在と世界内存在の関係全体を見ることは出来ないのです。それで、この現存在と世界内存在の関係自体を観るためにこのずれることを述べています。それをハイデガーは世界内存在が事物的存在に移行すると言っています。つまりここで言えば事物的存在にずれるということになります。

  「不安」というものは自分の存在に対するゆらぎなのでしょう。足場が抜け落ちるような不確かな状態です。だから確かなものへと呼び戻されるのです。しかしながら、その確かなものが何処にあるというのでしょうか。何処を探しても無いのです。ハイデガーはこの「気遣い」を頽落と言って、良い言葉では使っていません。何故でしょうか。この気遣いというのが「世人に没する」という言葉で示されているからですが、この気遣いは自分を表現するものであるにも関わらず、常に偽装されているというのです。装っているといえば分かりやすいでしょうか。もともと気遣いはその「不安」に対するものを背景にしていますから、いくら気遣う内容が変わっても「不安」に対する心の動き方としては同じなのですね。だから気遣う相手の対応は、心の動きを元にすると、現存在がその存在者(私)を通してその世界内存在に対する動きですから、その世界内存在におけるものは気遣うための道具としての存在になるのです。本質が不安に対するものですから、世界内存在は常にそのための道具の世界なのです。だから世界内存在の気遣いは本質のための二次的なものなので、そういう観点からすれば世界内存在の気遣いは常に偽装されていて、そしてこの見せかけからは離れられない。

  それではこの「不気味さ」から逃避するにはどうすればいいのか。いろんな人のその人なりの建設的な捉え方があるかもしれませんが、この不気味さから逃避することは出来ません。そして良いも悪いも全て現存在と世界内存在の出来事なのです。こういう感覚で捉えられると何もかもが偽装の五十歩百歩なのですね。気遣いをこの不気味さに対する態度だとすればそういう言い方になります。それでこれを頽落という言葉で表現します。

  次に「共現存在」という言葉が登場します。これは少し説明をつけ加えると分かります。その人の世界内存在は無機質ではないのですから、当然いろんな人がその世界内存在に関わっています。だからその場は幾重もの世界内存在になっているわけです。それぞれの世界内存在がそれぞれの人の現存在としての世界内存在なのです。  

  それでは、この世界内存在は何によっての世界内存在なのか。それは私の過去の経験がその世界内存在の内容なのです。言い換えれば、私の過去の経験がその世界内存在の内容を見せているのだから、この現存在が観る世界内存在は過去の経験が投影されたものだと言うのです。その世界内存在に現存在が可能性を見つけて、その世界内存在に自らを没入させるという言い方になります。可能性は当然未来を見つめたものですが、実際は何処に向かって可能性に没入するかと言えば、もちろん世界内存在ですから、私の過去の経験が投影されたものへと投げかけられたものであるのです。つまり過去に向かって未来に没入するという形になります。論理的に言えばすごく不自然でしょう。私たちは何かにつれよく行き詰まったりしますが、こういう不自然さに立っているのなら、何事もスムーズに進んでいかないことの方が当たり前な気がします。

  考えてみると、いろんな壁を乗り越えたり、壁から引返したり(これを挫折というのでしょうか)しながら年取っていくわけです。自分なりに歩こうとすればそれなりの壁が有ります。こういう普通に私たちが経験することを、現存在と世界内存在に吟味してみると、私の意識よりも先にすでに何か命の生成というものがあって、その生成する姿を元にすれば、すでに私の意識下において特定の動き方が備わっていたということだろうと思います。それを現存在と気遣いの仕方で表現したのでしょう。生きるという事をこういう観点から見つめるのです。

  さて「不安」に戻ります。「不安」は私たちには微妙な感覚ですが、それは「居心地の悪さ」であり足場の無いところからの呼び戻しである。こういうことは、おそらく、日常的には漠然としていて捉えどころがないでしょう。だから私たちがこの日常と思っている何気ない時間が崩れ落ちて、非日常的なものに出くわした時、この「不安」が一気に湧き上がってくる。この非日常な時こそ死だというのです。

  死をこういう観点で捉えるのはよく分かるのですね。しかしここでいう処の死は具体的に現前する死を前提にするのですが、よく考えると死ぬちょっと前の状態です。といっても死にかけて意識が朦朧とした状況ではありません。はっきりした意識でこの死の崖っぷちに立っている状態です。ハイデガーはこういう死のシチュエーションを強調します。つまり世界内存在は私の過去の経験が内容だから、死んだ経験がない私にとって没入しようがないのです。たしかに近しい人の死に接することはあります。しかしたとえ身近な人が亡くなってもそれはあくまでも外の経験であり、自らの経験にはなりえない。こういう世界内存在が成立できない死のがけっぷち状態をもって、日常が崩れ落ちる場所として究極であるとする。その場所こそが、気遣いそのものを浮き上がらせ頽落の全体像が現れてくるというのでしょう。これが「無」へずれるという事の説明ですが、ハイデガーの世界内存在が事物的存在に移行するといのはこういうことを言うのでしょう。

  このあたりの個所を『存在と時間』から引用してみましょう。(第69節世界内存在の時間性と、世界の超越の問題)

「(おのれの外へ抜け出している脱自)の統一は、おのれの「現」として実存する或る存在者が存在しうることのための可能性の条件なのである。現にそこに開示されている現存在という名称を担っている存在者は、明るくされている。現存在がこのように明るくされていることを構成している光は、この存在者が時おり出来(しゅったい)して照射する明るさの、存在的に事物的に存在する力や源泉ではない。現存在というこの存在者を本質上明るくするもの、言い換えれば、この存在者をそれ自身にとって「開いた」ものにするとともに「明るい」ものにもするものは、すべての「時間的な」学的解釈に先立って、気遣いとして規定されていた。この気遣いのうちに現に完全な開示性がもとづいている。こうした明るくされていることが、すべての照明や開明を、また、何ものかを承認し、「見てとり」、所有したりするあらゆるはたらきを、はじめて可能にするのである。この明るくされていることの光をわれわれが了解するのは、われわれが、植えこまれている、事物的に存在しているなんらかの力を探し求めずに、むしろ、現存在の全体的な存在機構である気遣いを問題にして、この気遣いの実存論的な可能性の統一的根拠いかんを問い求めるときだけである。脱自的な時間性が現を根拠的に明るくする。」

  この難解な文章を、こうして申し訳ないぐらいかいつまんでいますが、この「脱自」が無にずれた状態です。そして「頽落の全体が現れてくる」がこの引用文の全体になります。特徴的なのはこの「明るくされている」ということですが、説明では「照射されるような明るさや、物質的な明るさの根源ではない」という事です。この(無にずれた)脱自は何かを統一しているのですが、それは私を含めた現存在が世界内存在で頽落する姿そのものであり、また共現存在のそれぞれの世界内存在が幾重にも重なる世界そのものなのでしょう。この頽落の全体が開示されて、そのことで明るくされているということになります。そしてこの気遣いそのものが私をして動く心のあり様ですから、この時間性は私よりももっと以前から続いている時間ですが、その時間性がこの「現」というある特定の場所において一時的に収まっているというのでしょう。ハイデガーはこの小タイトルにあるように、この現存在と世界内存在の開示における時間性を世界の超越の問題に繋げようとしたのです。