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二つの向こう岸

平成17年3月 彼岸会より

  お彼岸と言いますとまず思いつくのはご先祖さんが帰ってくる日です。お盆や正月もそうです。正月の方はもともとは村の氏神のお祭りだったそうです。産土神(うぶすながみ)と言って、村の小さな共同体の祭りであり、先祖神のお祭りだったと言って良いのでしょう。この正月の行事が全国に広がり、現在のように全国の神社仏閣に初詣をするようになったのは江戸時代からだと聞いています。

  大晦日の夜を除夜と言いますが、この除夜から元旦にかけて寝てはいけないと言われてきたそうです。理由は古くから正子(夜の12時)を過ぎると、村の鎮守に参詣して実り豊かな新年を祈願する習わしがあり、五穀豊穣を祈ったわけです。五穀とは米・麦・栗・豆・黍(きび)の事を言うそうですが、この五穀は当時は生活の基盤ですから、五穀豊穣は村の死活問題でありました。

  これが江戸時代になると、村の小さな共同体の枠から飛び出して、一般庶民が様々な寺や神社にこぞって初詣へ行くようになりました。そしてこの初詣が広がるとともに無病息災などの祈願が加わったと言われます。初詣が盛んになるにつれそれ以外にいろんな祈願が混ざり、次第に祈願の内容よりも、とにかく初詣をすると何か良いことがあるかもしれないと、本来の意味から初詣そのものが目的になり、新しい年を迎える新鮮さを感じ取るようになったと言わる方もおられます。いわばレジャー感覚に変わったということでしょう。

  しかし、レジャーと言えば響きが良くありませんが、その当時の初詣は時代のトレンドであったわけですから、娯楽感覚だったということも言えるのではないでしょうか。これは江戸時代の時代状況が安定してきたことでありますから、以前よりも生活全体に少し余裕が出たことでもあります。現在の正月の初詣にそういう江戸のパワーを観ることは出来ないようですが、少なくとも江戸時代の民衆パワーはそれまでの村の氏神のお祭りを、初詣という全国規模の一大行事にまで変えていったことになります。最近「心の豊かさ」という言葉が使われていますが、その江戸当時として見る「豊かさ」には何か次のものに繋げていくというような、そしてできればより良きものへと繋げようとしたパワーを内に秘めたものではなかったかと思う時があります。

  それではお彼岸はといいますと、この彼岸とは仏教の言葉です。向こう岸という事ですが、向こうの世界であり、覚りの世界です。この向こう岸に対してこちらを此岸といいます。娑婆(しゃば)世界とも言います。娑婆とは煩悩や苦しみが多い世界の事。そして同時にお釈迦様がお救いくださる教化の世界と言われます。言い換えれば、私たちの煩悩や苦しみを目当てにしてお釈迦様が救いとる世界。それを娑婆世界というふうに言っております。

  実はこのお彼岸が一般的な習慣として現れるのも江戸時代だと言われます。お彼岸は家族でお墓参りをしてご先祖様を敬う日です。江戸時代から始まり現在もしっかりと続いております。文化という言葉は、私たちは日常ではほとんど使いません。普段の生活が文化だと思って生活してますか。この文化という意味を辞書で調べてみると「社会を構成する人々によって習得、共有、伝達される行動様式の総体、世代を通じて伝承されていくもの」と書いてあります。そういう堅苦しく考えて生活しているわけじゃありませんから自覚はないけども、日本人の文化であることも事実です。だからお正月の初詣も、お彼岸のお墓参りも、江戸時代という時代安定期に始まり現在まで脈々と続く、日本人の立派な文化であると言えます。

  しかし、考えるとこの正月と彼岸会は少し違います。お彼岸には正月のようないろんな祈願が混ざっていない。亡くなった人や先祖を敬い、故人に出会い、思い起こす、こういう事が中心の行事です。私たちは楽しい時ばかりでお墓参りはしないでしょう。そういう面では自分が生きて行くということと関係させながらお参りをされています。今は亡き親や夫、妻、子供、近しい方々、そういう人達との関係を思いながらのお参りです。そういう人生の重さや人との繋がりを考える。こういう命のつながりを亡き人においても感じていくことは日本人として尊いことだと思っています。そしてまた、こういう私にとっての向こう岸への思いが、より私を超えたいのちの深さ、尊さ、広さという仏の世界に出会う場所にまでなれば、本当の意味での仏教を背景にした日本人の文化になったのだとも思います。

  仏教と言いますとインドが発祥の地です。現在のインドは仏教徒の人口は少ないそうです。大半がヒンズー教です。このヒンズーとは大雑把な地域の名称だそうで、西洋人がインダス川の向こう側に住んでいる人々をヒンズーと呼んだと言われています。インドに生れ住んでいる人の総称でしょう。そこには仏教徒もなくイスラム教徒もない。キリスト教もありません。そういう特定の宗教に属さない人々を称してヒンズーと呼んでいるそうです。だからヒンズー教とは永いインドの歴史に培われた生活様式や社会習慣全体ということで、開祖が誰という事なく経典もない。昔から受け継がれ言い続けられたインドにおける「インドのこころ」のことをヒンズー教と呼ばれているそうです。バーラト・マータ(母なるインド)寺院というヒンズー教の寺院の本尊は、大理石で造られたインド全土の立体地図だそうです。言うなればインド民族の総称を宗教とするものでしょうか。

  ガンジス川の沐浴はご存じだと思いますが、沐浴においてべナレス(バナーラス)という地は死ぬまでに一度は訪れたい聖地だそうで、毎年の沐浴者は百万人にのぼると言われます。この聖地の水で沐浴すれば今までの罪が清められる。またこのベナレスで死んで火葬された遺灰をガンジス川に流せば、苦しみの輪廻の世界から解脱すると信じられているそうです。ある日本人の記者が臨終を前にした親子を取材させてもらったそうですが、その取材の返答は誇らしげだったと書いています。親の天寿を全うさせるために10時間かけて家族一同でベナレスまで連れてきたのです。家族で天国に送り出すことが最上の親孝行であり誇りだそうです。

  このベナレスの沐浴が最も神聖だと言われる所以は、この地がガンジス川で唯一川の流れが南から北に向いている処だからだそうで、イメージとすれば天に上る場所なのでしょう。そして沐浴はガンジス川の西側だと決まっています。そして火葬は修行僧、妊婦、5歳以下の子供は出来ない。だから水葬にされるそうです。また、火葬はお金がかかるので費用がない人も出てきます。そういった人も水葬だそうです。それらの遺体は2~3日すると向こう岸に流れ着きます。だから向こう岸に住んでいる野良犬はよく太っているそうです。

  ここに天に上る向こう岸とガンジス川の向こう岸があります。近年の日本においては「死ねば死に切り」「死んだら終わり」というような言葉がありますが、そこに見えるのは命の切り捨てのような気がします。以前ある先生が、お父さんの葬式について、火葬での思いにこういうことを書かれています。

  亡くなられたお父さんの遺骨は脆く頼りなげだった。その時に「要するに、こういう事だな」そんなセリフが頭にあふれていた。「しかしそのうち、次第に白骨の方が大変確かな存在として迫ってくるのを感じました。周囲に集まっている生者の方が、なんとも頼りなげなのです。」そこに白骨の姿を事実として受け止められない、うろたえる自分の姿に気づいたそうです。そうすると「ここから、この俺の白骨から、もう一度、お前のしてることを眺めなおしてみろ」とお父さんの声を聴いた思いがした。「そしてその声とともに、それまで一大事のごとく思っていた多くが、小さなものに思えてきた。」と言われています。

  私はこの先生の「要するに、こういうことだな」という言葉が、先ほどのガンジス川の向こう岸の情景と重なりました。それこそ命の切り捨てであります。そしてこの向こう岸から見たベナレスの沐浴は人生の最高の場所としてにぎわっています。その数百メートル離れた岸では野良犬が餌を探している。この二つの情景が重ならない。そして私たちの観る景色は、この向こう岸の野良犬の餌になった死体だけを観てしまっているのではないだろうかという思いです。しかしもう一度ベナレスの沐浴に思いを戻すと、また違う景色が浮かび上がります。それは修行僧、妊婦、5歳以下の幼児は火葬できないという事。中夭(ちゅうよう)と言いまして、中倒れ、辞書では「人生の途中で死ぬこと、思いがけない災難」とあります。修行僧はまだ僧になれない身です。妊婦は母になり切れない。五歳以下の幼児はインドでは人になり切らないということでしょうか。こういう中夭は火葬しない。つまりベナレスで臨終を迎え火葬されて遺灰をガンジス川に流すことは、苦しみの輪廻の世界から解脱することです。ですから、それは大いなるいのちに還ることです。つまり中夭はまだ還れません。だから出直してきなさいという事ですね。そういう思いが脳裏をかすめます。人生の区切り方が単純で分かりやすい。そう思って向こう岸を眺めれば、この沐浴の情景と野良犬の景色の両岸が次第に重なってきます。

  ずいぶん前になりますが、教育テレビの「宗教の時間」で仏像の彫り師が出演されました。その時の言葉を一つだけ覚えていますが、「仏像を眺めていると、この作者はここのところを苦労したなと会話ができる。」こんな感じの言葉です。仏像の彫り師だからできる彫り師同士の出会いと会話でしょう。こういう出会い方があるのだなと思いましたが、親鸞聖人も法然上人と本願の中で出会われた。そして法然上人において出会われた本願において、また様々な人とも出会われていきます。こういういのちの連続性を具体的な人間のつながりの中で見て行かれたのだろうとも思います。こういういのちのつながりがなければ「死ねば死に切り」だけで、それこそガンジス川の向こう岸の情景が、ただ不気味なものに見えるだけではないだろうか。

  親鸞聖人の教えとともにそこにある歴史観を私たちは学んでいくのですが、そこに何が見えるのかと言うならば、親鸞その人ということでしょう。親鸞その人としての歩みであります。「信不具足」といいまして「道あるを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず」と、こういうお言葉があります。そこに道があることにうなずけても、その道を歩いている人と出会えなければ観念にすぎない。そこに具体的に生きた人間に出会っていくこと。そういう出会いの歴史観でありますが、親鸞聖人は法然上人はもちろんのこと、その出会いをインド、中国、そして日本の高僧とも出会って行かれた。その出会う場所が本願であります。この本願において親鸞聖人がどういう出会いをされたのか、これが私たち真宗門徒である者の最大の関心ごとではないかとも思っています。私たちの向こう岸は、この本願においての出会いであり、そしてそこを歩んだ人との出会い、そういう信心と伝承にあるのではないかと思っている次第です。

  

  

  

  

  

コロナに負けるな「不安」編

 2010年 その他の原稿から 

  気がついたら老人でした。気持ちは違いますが、年齢はすでに老人です。証拠もあります。よく老後の人生を考えています。老人になって老後を考えるのは手遅れ気味ではありますが、だいたいがそういうものではないでしょうか。後どのくらい生きるのだろうか。いい人生設計はあるか、できればいい人生でありたい、生きがいがある老後でありたい、などなど・・。

  新型コロナウイルスはこの定まっていない老後の人生設計に、新たな課題を、それも強引に付け加えました。それはいかに生き延びるかです。死に方ばかりが気になる老人に、いかに生き延びるかという意義をいやおうなしに押し付けてきたのでした。でも考えてみれば、昔々の人々はこのいかに生き延びるかは最初から生きる前提条件だったはずでした。そんなこんなでまだ老人になる少し前に書いた原稿を見つけだしてみました。もし老人自粛でお暇でしたら読んでいただければ幸いです。若い方も歓迎です。

  「不安」という不気味さ。面白い表現です。この不気味さは「居心地の悪さ」という意味でもあるそうです。「脅かし」という不気味さ。これについては様々な対応が考えられますが、こちらの力量が足りませんので一つひとつ取り上げて説明することが出来ません。ただ、人間が辿ってきた歴史は、この周囲からの「脅かし」を心配して、どのような対応が営まれてきたのかその結果でもある、ということは言えないだろうか。国家、民族、文化をそこに描くことが出来そうな気もします。人間の心の動きはそれぞれが違うものだと思われそうですが、こういう観点から観たら特定な方向性が見えてくる。これをハイデガーは気遣いという言葉で表現してます。そして私たちが普通に気遣うのと同質であるともいうのです。

  「不気味さ」を背景にして心が動いているのなら、どのような動きとして働くのか考えると思いつくものがあります。それは「集める」ということです。お化け屋敷に何人かで入ると、気づいたらみんなが密になっていた。ギャー、ワーと叫びながら同じ場所で密になる。誰が集めたわけじゃないのに集まる。それは怖さや「不気味さ」が集めるのです。人間関係もこういう「不気味さ」に対する心の動きによって私を動かす。そう考えると身近なものになります。そして私たちの生活現場である様々な関係においてもこの「不気味さ」がいつも顔を出している。こういったことを考えながら生活する人はあまりいないと思いますが、それでも普段とは違った風景がそこに現れることでもあります。皆さんがいろんなところで気遣う背景には、こういう「不気味さ」を背負っておられる。

  そういえば背後霊なども、こういう感覚を昔の人が何処かで感じていたからかもしれませんよ。外では蝉も泣き出したようですから、サービスで涼しくしました。で、ハイデガーはこの気遣いをとおして人間の心の動きやそこに現れる現象を分析した人です。

  「居心地の悪さ」は何処からくるのか。それはその場に対する不気味さであるという事になりますが、だからといってその場所が不気味で居心地が悪いということじゃありません。何故なら気遣いは居心地を良くしようと動くのですから、それではこの「居心地の悪さ」は居心地が良くなる前の状況になります。しかしそういう状況の前後を言っているのではありません。私がそこを居心地良くしようと気遣う時に常に同席するもの。同席と言えば誰か他に居るみたいですが、そうではない。気遣いがある時にいつも同席するということで、隣にいつも何かあるということですね。妖怪ウォッチみたいになってしまいますが、気にせず先に進みます。

  パソコンで原稿を書くのですが、文章の入れ替えも簡単ですし、誤字の訂正もしてくれます。領域設定して文章ごと入れ替えることも簡単です。で、この領域設定をここでいう気遣いに当てはめてみることにしました。そうすると気遣いは何かの目的があるから気遣うのでしょう。だから気遣いはその人の目的に応じてその都度に領域設定がされ、それにともなうその人の目的を持った気遣い方になるのですが、こういう意図的な気遣いもそうですが、とっさの雰囲気での気遣いも同じだという事になります。その時に同席するものです。何か得体の知れないものがあるという訳です。これを「不安」という言葉で表して、それは「居心地の悪さ」だというのです。しかしそれにしても、この「不気味さ」というのは何だろうか。ハイデガーは、それは無だと言います。私が何かを気遣う時に無もそこにあると言うのです。

  そして気遣いは何かを目的にする時にあるもの。その気遣っているところの視点でありますから、言うなればそれを気遣おうとする主体です。これを現存在というのだと思っております。そうなりますと、その領域設定されるところのものは、現存在から領域設定された世界ですから現存在における世界内存在だということです。ハイデガーの現存在・世界内存在をこういうふうに考えていきます。

  現存在が無とともにあるという事ならば、無という足場のない場所が常に世界内存在の場所でもある。これを感覚的に表現されたときに、何か全体に得体の知れない「不気味さ」があるということになるのでしょう。ただ困ったことに、こういう「不気味さ」における対処法がないということです。私の意識がある時は常に現存在とその世界内存在なのですから。

  晩年にハイデガーはこの「不安」を「呼び求める促し」と説明しています。ぼくはまだ晩年だとは思っていませんので、横着にこれを単に「呼び戻し」と言っていますが、ではいったい何処から呼び戻されるのか、それは本来から呼び戻されるということです。それでは何処にその本来があるのか。しかしそれはただ漠然とした無の空き地状態があるだけなのです。

  この世界内存在から現存在は出ることは出来ませんが、しかし、ある特異な場所を設定することで一時的に出ることがあるのです。それはある場所へ「ずれる」ということですが、では何処へずれるのかと言えば無へずれるのですね。移行するとも言います。実際にこういう世界内存在や気遣いの世界がどういうものか知るには外から全体的を観ることが必要ですが、気遣っている自分そのものを観ることですから、現存在である限り観ることは出来ません。だから視点に何かのずれが生じないかぎりこの気遣いとしての現存在と世界内存在の関係全体を見ることは出来ないのです。それで、この現存在と世界内存在の関係自体を観るためにこのずれることを述べています。それをハイデガーは世界内存在が事物的存在に移行すると言っています。つまりここで言えば事物的存在にずれるということになります。

  「不安」というものは自分の存在に対するゆらぎなのでしょう。足場が抜け落ちるような不確かな状態です。だから確かなものへと呼び戻されるのです。しかしながら、その確かなものが何処にあるというのでしょうか。何処を探しても無いのです。ハイデガーはこの「気遣い」を頽落と言って、良い言葉では使っていません。何故でしょうか。この気遣いというのが「世人に没する」という言葉で示されているからですが、この気遣いは自分を表現するものであるにも関わらず、常に偽装されているというのです。装っているといえば分かりやすいでしょうか。もともと気遣いはその「不安」に対するものを背景にしていますから、いくら気遣う内容が変わっても「不安」に対する心の動き方としては同じなのですね。だから気遣う相手の対応は、心の動きを元にすると、現存在がその存在者(私)を通してその世界内存在に対する動きですから、その世界内存在におけるものは気遣うための道具としての存在になるのです。本質が不安に対するものですから、世界内存在は常にそのための道具の世界なのです。だから世界内存在の気遣いは本質のための二次的なものなので、そういう観点からすれば世界内存在の気遣いは常に偽装されていて、そしてこの見せかけからは離れられない。

  それではこの「不気味さ」から逃避するにはどうすればいいのか。いろんな人のその人なりの建設的な捉え方があるかもしれませんが、この不気味さから逃避することは出来ません。そして良いも悪いも全て現存在と世界内存在の出来事なのです。こういう感覚で捉えられると何もかもが偽装の五十歩百歩なのですね。気遣いをこの不気味さに対する態度だとすればそういう言い方になります。それでこれを頽落という言葉で表現します。

  次に「共現存在」という言葉が登場します。これは少し説明をつけ加えると分かります。その人の世界内存在は無機質ではないのですから、当然いろんな人がその世界内存在に関わっています。だからその場は幾重もの世界内存在になっているわけです。それぞれの世界内存在がそれぞれの人の現存在としての世界内存在なのです。  

  それでは、この世界内存在は何によっての世界内存在なのか。それは私の過去の経験がその世界内存在の内容なのです。言い換えれば、私の過去の経験がその世界内存在の内容を見せているのだから、この現存在が観る世界内存在は過去の経験が投影されたものだと言うのです。その世界内存在に現存在が可能性を見つけて、その世界内存在に自らを没入させるという言い方になります。可能性は当然未来を見つめたものですが、実際は何処に向かって可能性に没入するかと言えば、もちろん世界内存在ですから、私の過去の経験が投影されたものへと投げかけられたものであるのです。つまり過去に向かって未来に没入するという形になります。論理的に言えばすごく不自然でしょう。私たちは何かにつれよく行き詰まったりしますが、こういう不自然さに立っているのなら、何事もスムーズに進んでいかないことの方が当たり前な気がします。

  考えてみると、いろんな壁を乗り越えたり、壁から引返したり(これを挫折というのでしょうか)しながら年取っていくわけです。自分なりに歩こうとすればそれなりの壁が有ります。こういう普通に私たちが経験することを、現存在と世界内存在に吟味してみると、私の意識よりも先にすでに何か命の生成というものがあって、その生成する姿を元にすれば、すでに私の意識下において特定の動き方が備わっていたということだろうと思います。それを現存在と気遣いの仕方で表現したのでしょう。生きるという事をこういう観点から見つめるのです。

  さて「不安」に戻ります。「不安」は私たちには微妙な感覚ですが、それは「居心地の悪さ」であり足場の無いところからの呼び戻しである。こういうことは、おそらく、日常的には漠然としていて捉えどころがないでしょう。だから私たちがこの日常と思っている何気ない時間が崩れ落ちて、非日常的なものに出くわした時、この「不安」が一気に湧き上がってくる。この非日常な時こそ死だというのです。

  死をこういう観点で捉えるのはよく分かるのですね。しかしここでいう処の死は具体的に現前する死を前提にするのですが、よく考えると死ぬちょっと前の状態です。といっても死にかけて意識が朦朧とした状況ではありません。はっきりした意識でこの死の崖っぷちに立っている状態です。ハイデガーはこういう死のシチュエーションを強調します。つまり世界内存在は私の過去の経験が内容だから、死んだ経験がない私にとって没入しようがないのです。たしかに近しい人の死に接することはあります。しかしたとえ身近な人が亡くなってもそれはあくまでも外の経験であり、自らの経験にはなりえない。こういう世界内存在が成立できない死のがけっぷち状態をもって、日常が崩れ落ちる場所として究極であるとする。その場所こそが、気遣いそのものを浮き上がらせ頽落の全体像が現れてくるというのでしょう。これが「無」へずれるという事の説明ですが、ハイデガーの世界内存在が事物的存在に移行するといのはこういうことを言うのでしょう。

  このあたりの個所を『存在と時間』から引用してみましょう。(第69節世界内存在の時間性と、世界の超越の問題)

「(おのれの外へ抜け出している脱自)の統一は、おのれの「現」として実存する或る存在者が存在しうることのための可能性の条件なのである。現にそこに開示されている現存在という名称を担っている存在者は、明るくされている。現存在がこのように明るくされていることを構成している光は、この存在者が時おり出来(しゅったい)して照射する明るさの、存在的に事物的に存在する力や源泉ではない。現存在というこの存在者を本質上明るくするもの、言い換えれば、この存在者をそれ自身にとって「開いた」ものにするとともに「明るい」ものにもするものは、すべての「時間的な」学的解釈に先立って、気遣いとして規定されていた。この気遣いのうちに現に完全な開示性がもとづいている。こうした明るくされていることが、すべての照明や開明を、また、何ものかを承認し、「見てとり」、所有したりするあらゆるはたらきを、はじめて可能にするのである。この明るくされていることの光をわれわれが了解するのは、われわれが、植えこまれている、事物的に存在しているなんらかの力を探し求めずに、むしろ、現存在の全体的な存在機構である気遣いを問題にして、この気遣いの実存論的な可能性の統一的根拠いかんを問い求めるときだけである。脱自的な時間性が現を根拠的に明るくする。」

  この難解な文章を、こうして申し訳ないぐらいかいつまんでいますが、この「脱自」が無にずれた状態です。そして「頽落の全体が現れてくる」がこの引用文の全体になります。特徴的なのはこの「明るくされている」ということですが、説明では「照射されるような明るさや、物質的な明るさの根源ではない」という事です。この(無にずれた)脱自は何かを統一しているのですが、それは私を含めた現存在が世界内存在で頽落する姿そのものであり、また共現存在のそれぞれの世界内存在が幾重にも重なる世界そのものなのでしょう。この頽落の全体が開示されて、そのことで明るくされているということになります。そしてこの気遣いそのものが私をして動く心のあり様ですから、この時間性は私よりももっと以前から続いている時間ですが、その時間性がこの「現」というある特定の場所において一時的に収まっているというのでしょう。ハイデガーはこの小タイトルにあるように、この現存在と世界内存在の開示における時間性を世界の超越の問題に繋げようとしたのです。

  

行巻その⑥ 龍樹(十住毘婆沙論)Ⅳ(後)

令和7年12月 御正忌報恩講より 「易行品」 (後)

前回に引き続き「易行品」を読んでいきます。

「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし。もし菩薩この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし。名号を称すること『宝月童子所問経』の「阿惟越致品」の中に説くがごとしと。乃至」

  ここは再三考えた処です。そこでひとつの確認をしておこうと思います。「不退転」と「阿惟越致」という言葉がありますね。この二つの使い分けがここのテーマではないかということです。当然、自分がそう思っているだけですが、考えた末のことですので、ご意見は後程お聞きすることにして、そうことで話を進めていくことにします。

まず「不退転」も「阿惟越致」も意味は同じです。屈することなく退かない意志ということです。そこで、この二つをどのように使い分けておられるのかと言うことですが、不退転は「人」について言われているということ。そして「阿惟越致」は菩薩について使われているということです。このようにして読んでいくことになります。

「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば」の「もし人」とは、文字通り「人」について述べられていて、ここには不退転地と書いてあります。しかし、この不退転地には、その前に不退転があるはずで、その不退転が地に着くことによって不退転地であると、こうなると思いますが、ここではそうはなっていません。いきなり不退転地から始っているので不退転のことは書いてありません。

だから、この文に不退転を付け加えてみます。そうすると「もし(不退転のその)人(が)疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心を持って執持して名号を称すべし。」と読みやすくなります。その次の「もし菩薩」の方もこれと同じようにして、「もし菩薩(その人の)この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当に十方諸仏を念ずべし」と、ここでは(その人の)を加えると読みやすくなります。

恭敬心というのはつつしみ敬う心ですね。執持とは心にとめて忘れないということですから、この「疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし」のことろも、もう少し柔らかくします。そうするとどうなるでしょうか。「もし(不退転のその)人(が)疾く不退転地に至らんと願うなら、(そのことを)つつしみ敬い心にしっかりたもち名号を称えなさい」と、このようになりますね。ここにも(そのことを)を付け加えて読みやすくしました。単に読みやすくなれば正解だということではありませんが、まずは意味が通るように読んでみたらこのようになるのかなということですね。

それでは、ここにある(そのことを)とはいったい何を言っているのだ、と、疑問がでてくるわけですね。これを結論から先にいうことになる訳ですが、ぼくはこの(そのことを)とは(初歓喜地の菩薩のことを)だと考えています。それでこの(そのことを)というのを、この「易行品」には何と書いてあるのかといえば、これは「易の菩薩」の「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」のところになるので、まずは、そういうことにしておいて、この辺りを読んでみます。

「もし(不退転のその)人(が)疾く不退転地に至らんと欲わば、(信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者ありという、この初歓喜地の菩薩のことを)恭敬心をもって執持して名号を称すべし」と、多少ゴチャゴチャとしますが、全部を書くとこうなる訳です。

それでは、ここに登場する「もし人」というのは、いったい誰のことを指しているのかいえば、この「易行品」の場合では、「菩薩の道」の「易の菩薩」のところですから、つまりは初歓喜地の菩薩のことですね。その初歓喜地の菩薩のときの「その人」が、ここで言われている「もし人」のことですから、「その人」とは「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」と言われている「その人」のことですね。

ところが、ここには「阿惟越致に至る者あり」と書いてあります。前に言いましたように「人」は不退転であり、「菩薩」は阿惟越致です。しかしここではそうなっていません。そうすると、ここもまた見直さなければならなくなります。それでは、これをどのように見直せばいいのかといいますと、「信方便の易行をもって(菩薩の)疾く阿惟越致に至る(ことにより不退転の)者あり。」と、ここに菩薩と不退転を加えることで、人は不退転、菩薩は阿惟越致が成立するわけです。勿論これはぼくの独断でありますが、このような読み方になると思っています。

なかなか面倒なところに入っていきます。それで、これを角度を変えると、まず「名号を称すべし」という、この称名念仏の前に少しの時間のズレがあるわけですね。それが「疾く」です。そのズレに「菩薩」は阿惟越致に至り、「その人」は不退転であるということですから、名号を称すべしの前に「疾く」という時間のズレがあり、そのズレに菩薩は阿惟越致に至っていて、(その人)は不退転であるということになります。

そうすると、その次が「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば、この身において(菩薩の疾く阿惟越致に至ることにより不退転の者ありという、この初歓喜地の菩薩のことを)恭敬心をもって執持して名号を称すべし」と、文脈としたらこのようになるかなと思います。しかしここにも不退転地の前に「疾く」という字が付いています。そうすると、ここもまたひとつの特異点があるのではないかということですね。

前の「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」の場合では、「疾く阿惟越致に至る」だから、この「疾く」は菩薩についているわけです。だから「菩薩」が疾く阿惟越致に至るとき「その人」は不退転であると、このようになります。それで、こちらもそれと同じようにすると「菩薩が(その人の)この身において阿惟越致地に至ることを得」たとき、その人も疾く不退転地であると、こういうことですから、菩薩が阿惟越致地に至ることで、(その人も)疾く不退転地に至っていると、一応はこれで納まるわけです。

しかし、菩薩の方は(その人の)この身において阿惟越致地に至ることを得、「阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当に十方諸仏を念ずべし」と続いていますので、この「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば」のところは、この菩薩が阿惟越致地に至ることで(その人が)不退転地に至るのではなくて、この菩薩が「阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」までをもって(その人の)不退転地であると述べられていることになります。

そしてこの「疾く不退転地」の「疾く」は、不退転だから(その人)に付いていて、この「(菩薩の)阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」のところまでをもって(その人の)不退転地であるということになっているので、そのときの時間の短さをここで「疾く」と言われていることになるでしょうか。つまり「名号を称すべし」の前後に、菩薩と人に「疾く」という時間のズレを顕されていることになります。これがどういうことなのか面倒な話になっていきますが、ここのところはひとまずこの辺で終了することにします。

「西方の善世界の仏を無量明ろ号す。身光智慧明らかにして、照らすところ辺際なし。それ名を聞くことある者は、すなわち不退転を得と。乃至」

  啐硺同時という言葉があります。ヒナが殻から生れ出るときに、親鳥がそこを突いてヒナのいのちを生み出す。こういういのちの誕生をいいますが、初歓喜地の菩薩において、「人」は「不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし」です。「菩薩」はその人の「この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」です。この「不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし」の(その人)と、「阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」の(この菩薩)に、「西方の善世界の仏を無量明と号す」と「無量寿の門」は開いているということでしょうか。

「過去無数劫に仏まします、海徳と号す。このもろもろの現在の仏、みな彼に従って願を発せり。寿命量りあることなし。光明照らして極りなし。国土はなはだ清浄なり。名を聞きて定んで仏に作らん、と。乃至」

― 私という存在がどこか底が抜けていて、深く暗い海に漂っている感じがある。しかし、この得体の知れない不安が、実は自らの身体からだと知ったとき、私の心の全てが、この身体に浮かぶ小島のようなものだと分かった。今このことを想い、この心が何処から来たのか、自らの心を静かにして身体にそれを感じてみる。すると、私の身体には、過去からの無数の人たちがいて、その人たちは、この深い闇の中で、それぞれに自らを輝かせ、まるで仏のごときであった。―

「過去無数劫に仏まします、海徳と号す」を、善導大師の『観経疏』「水想観」と「瑠璃地の下」をもって、自分なりにアレンジしました。前回でも言ったように、不純物がかなり混ざっておりますので、確かな内容かどうかは疑わしいわけですが、それでも何とかそれなりにはなっているかなとは思っています。勉強の途中でありますので、いろいろと教えていただければ幸いです。

それで「瑠璃地の下」は私の身体の過去の意味ですね。つまり我が身体に見た深い過去です。この身体の海徳から発するもの、これを「海徳と号す」と言われていることになりますが、この「号す」ということ、これはその「海徳」に見る「いのちの願い」だと、そういうことだと思っています。これを善導大師は「生きんとする意志」だと言われます。

そして今、この深い闇に漂うその他の小島もまた、実はそれぞれの海徳に漂よう現在の仏たちであると気づいたとき、無量寿の門はその全てに開かれていた。そしてその全ての海徳から、彼の「無量寿の門」に従って願いを発しているのだ、と、このような解釈になります。

「問うて曰く、ただこの十方の名号を聞きて執事して心に在けば、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を退せざることを得。また余仏・余菩薩の名ましまして阿惟越致に至ることを得とやせん。」

  「十方」とは、東西南北で四方、その四方の間を足して八方。それに上下を合わせて十方。私の全方位ということでしょう。「この十方の名号を聞きて」は、私の全方位の仏が名号を聞く姿を、心にとめて忘れないなら、それが阿耨多羅三藐三菩提を退かないことを得、また余仏・余菩薩が阿惟越致に至ることになるのだろうか。表現が難しいので自分なりに訳していますが、こういうことかなと思います。

「答えて曰く、阿弥陀等の仏および諸大菩薩、名を称し一心に念ずれば、また不退転を得ることかくのごとし。阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称すべし」

  ここでは「一心」について話すことにします。この「一心」とは何ぞや、ということですね。海徳から私をして無量寿の門に従い、凡夫がこの不退転地に至らんと願う心を、こうして「一心」と言われています。この「一心」が、もし心身から発せられるのであれば、それは私一人の問題であります。しかし、心身から骨体へと徹入するとき、この「一心」は心身から外へととき放たれ、無量寿の門はその全てに開かれていることになるわけです。そのとき「一心」は、その全ての海徳から発せられているのだということでしょう。

してみれば、この「一心」とは私の心身以前のことであり、身心からとき放たれた「菩薩」の心だということになるでしょうか。この「菩薩」の心は、その人の初果を地にするとき初歓喜地の菩薩となり、その「人」の不退転地とともに阿耨多羅三藐三菩提を成らんと、十方諸仏を念ずる心です。このことを「恭敬心をもって執持して名号を称すべし」と言われているのではないでしょうか。

  この「易行品」については、「信方便」が常にテーマにありました。自分なりの予測も一応ありましたが、どうも当てはまらなかったようです。こういうことはよくあるわけですが、しかしそれも聖典を読むときの醍醐味でもあります。そこで、この「易行品」を終了するにあたり、改めてこの「信方便」について少し感想を述べてみることにしました。

この「信方便の易行」とは、それは、「仏法に無量の門あり」から「乃至」で連なりながら、「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば」へ、そして「菩薩の阿惟越致地に至ること得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当に十方諸仏を念ずべし」となり、「西方に善世界の仏を無量明と号す」が、「過去無数劫に仏まします、海徳と号す」と続いていくこの一連が、初歓喜地の菩薩とともに循環される「信方便の易行」の道であったということです。そして「問うて曰く」から始まる問答は、その菩薩の心である「一心」を顕かにし、その「一心」が心身からとき放たれたとき、菩薩の心は、全ての凡夫の「世間の道」に満ちていて、その全てに無量寿の門は開かれているのだと、そういうことではなかったかということでした。

行巻その⑤ 龍樹(十住毘婆沙論)Ⅳ(前)

令和7年12月 御正忌報恩講より 「易行品」 (前)

「また曰く、仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸路の歩行はすなわち苦しく、水道の乗船はすなわち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり。乃至

もし人疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし。もし菩薩この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし。名号を称すること、『宝月童子所問経』の「阿惟越致品」の中に説くがごとしと。乃至

西方に善世界の仏を無量明と号す。身光智慧明らかにして、照らすところ辺際なし。それ名を聞くことある者は、すなわち不退転を得と。乃至

過去無数劫に仏まします、海徳と号す。このもろもろの現在の仏、みな彼に従って願を発せり。寿命量りあることなし。光明照らして極りなし。国土はなはだ清浄なり。名を聞きて定んで仏に作らん、と。乃至

問うて曰く、ただこの十仏の名号を聞きて執事して心に在けば、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を退せざることを得、また余仏・余菩薩の名ましまして阿惟越致に至ることを得とやせん。答えて曰く、阿弥陀等の仏および諸大菩薩、名を称し一心に念ずれば、また不退転を得ることかくのごとし。阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称べし。

いま当につぶさに無量寿仏を説くべし。世自在王(乃至その余の仏まします)、この諸仏世尊、現在十方の清浄世界に、みな名を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくのごとし。もし人、我を念じ名を称して自ら帰すれば、すなわち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得、このゆえに常に憶念すべしと。偈をもって称讃せん。」

  龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』はこの「易行品」で最後になります。全文載せていますが、少しだけ手を加えています。お分かりのように「乃至」という字が多くありますね。数えたら五カ所ありました。まぁ最後の「乃至」は少し角度が違うかなと思いますが、それでも、それ以外は同じ使い方だと思いましたので、本来は連読している文脈ですが、ここでは「乃至」のごとに行を区切っています。番号も付けようかとも考えましたが、そこまで拘っても仕方がないので、単に区切っているだけです。今回はなるだけその区切りごとに見て行こうと思っています。そしてまた、この「易行品」については、この行巻の「入初地品」「地相品」「浄地品」を含めながら読んで行きたいと思っていますのでよろしくお願い致します。

それではまず「また曰く、仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸路の歩行はすなわち苦しく、水道の乗船はすなわち楽しきがごとし。菩薩の道もかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり。乃至」から。

最初の「また曰く」は、おそらく前の「浄地品」の続きの意味だと思うので、そのことを念頭におきながら、まず「仏法に無量の門あり」から始めます。それでこの「仏法に無量の門あり」を「仏法に無量(寿)の門あり。」とこう読んでみます。すると、ここの所は「仏法に無量寿(阿弥陀仏)の門あり。世間の道に難あり、易あり」となりますから、無量寿つまり阿弥陀仏の門において「世間の道」となり、その世間の道において「難の道」と「易の道」があると、こういうことになります。そして「難の道」は「陸路の歩行はすなわち苦しく」、「易の道」は「水道の乗船はすなわち楽しきがごとし」だと、こうなるでしょうか。

そこでまず、ここに言われている「世間」ということですが、これはどういう事かと調べたら幾つか出てきました。意味としたら「人々が互いにかかわりあって生活している場」だと言うことで大体納まるようです。この「世間」を「世界」と言い換えても差し支えないとは思いますが、世界ではちょっと広すぎる感じがある。要は、私の視野に納まるぐらいの世界だと、このようになるのかなと思っています。私たちが聞きなれている世間とは向こう三軒両隣両隣のことで、これはご近所さんのことですね。

しかしここでは、この世間を、今この私の視野に納まるくらいの世界だとする。言い換えれば、この私の観点から見る生活範囲ということになるでしょうか。現在のようなネット社会では、情報過多や人間関係の遠近化で、昔とずいぶん違っているかもしれませんが、この私をして見ているところの私の小世界という意味では今も昔も変わりはないと思います。

子供のころにも当然私の生活範囲はありました。小学校や中学校の生活。親と旅行したり、親せきの家に遊びに行ったりした。これらは子供のときの私の生活範囲でしょう。そして大人になれば生活範囲は変わっていきますね。仕事関係や家族構成、またご近所さんとの付き合い。老後になれば介護の方とのお付き合い始まるでしょう。たとえずっと同じ場所にいたとしても、私の生活範囲というのは変わっていきます。

仏教にも「世間」という表現があります。「世間」に対する概念みたいなものは同じだと思いますが、仏教で言う「世間」とは、仏教の教理を中心にすえた視野ですから、さっき言ったような、この私という視点を中心におきながらも、なをそこを超えている「いのち」という大きなテーマを持っています。この「大いなるいのちの世界」において、仏教で言う「世間」をどのように見るのか、このような問題があるわけです。

すると、仏教で言う「世間」とは、この私の小世界にとどまらず、私を超えた「いのちの世界」を視野にして、そこにいのちの広がりや深さをおさえていくのだということになります。この「易行品」で言われている「世間」もまた、このような仏教の教理にそって言われているわけですから、当然ここにも仏教的視野をもって「世間」と言われていることになりますが、しかし同時にこの私の見る「世間」もそこにあるわけですね。この同時性において「仏法に無量寿の門あり。世間の道に難あり、易あり」と、このように言われているのだと思います。

昔テレビで「ひょっこりひょうたん島」という番組がありましたね。「ひょうたん島」というちっちゃい島の物語でした。なぜかこの島は海を漂流しています。その島には村長もいて、トラひげという怪しげな海賊もいました。子供たちもいて、その中には博士という名の子もいた。そしてこの島にいろんな事件が巻き起こるわけですね。

この小島のような世界を、私の小世界である「世間」に例えた場合、ここには他の住人もいて、それぞれがこの島の中で、それも多層的にこの私に関わってくるわけです。それが私の生活範囲ということですから、人間関係が多ければそれだけ物事も複雑になるでしょう。このような観点から見る生活範囲を、私の「世間」だとしたらどうなるかなということですね。

そうすると、この「世間の道に難あり」で言われている「陸路の歩行」とは、実は、私の「世間」内を陸路で歩行しているという、私の「世間」の中の出来事になってしまいます。それ以外に私の「世間」は何処にもないのだから、「陸路」と言ってみたところで、私の「世間」の中をうろうろと歩き回っている姿にしかなりません。

それでは、今度は「易あり」の「水道の乗船」の方はどうなるでしょうか。するとこちらも同じで、「水道の乗船はすなわち楽しきがごとし」と書いてありますが、これもまた私の「世間」の中の出来事です。あるのは「陸路の歩行」と「水道の乗船」の違いだけで、どちらも私の「世間」に中の経験です。では、この「易行品」で言われている難と易の違いとは、いったいこのどこにあると考えるべきでしょうか。

こういうふうに考えると、それはこの「世間」に対するその人の感覚の違いだと、こういう事になるのだろうと思います。それでは、その感覚とはどういうことであり、そしてその違いとは何かということになりますね。ある人は、この私の「世間」が何となく浮いた感じだと、さっき話しました、海に漂流するひょうたん島のように、何か浮いた感じがある。言い方をかえれば、私のこの「世間」というものに不安定さを感じているということ。こういう表現が適切かどうか分かりませんが、なにかしら地に足が着いてないような気分ですね。

そうすると、私のこの「世間」をもっと良くして安心できるようにしたいと思うでしょう。しかし私たちの目は外へ向いていますから、それを他人と比較して安心しようとします。当然どちらが良いか比べる訳ですね。放っておくとそうなっていきますよ。よく出てくるでしょう、優越感と劣等感です。しかしもうひとつある。それが私の心のもっと深いところ、そこにこの私であるというありようが、不確かな、地に足が着いてないような不安定な感覚、そういうものは感じていないか。

こんなことは、言われなければ、あぁそうかも知れんなとはなかなか思わないわけですが、それでも何処かでみんなが感じているものではないかなとも思いますよ。そしていのちの問題は、どちらかと言えばこちらの方に重きがあるのではないでしょうか。そうすると「世間の道に難あり、易あり」の中の「易あり」の人とは、この私の居場所である、私の「世間」において地に足が着いてないような、漠然とした不安を持っている人だということになりますから、こういう感覚を持っているかいないかが「難」と「易」の違いであるということになります。

そしてその次に「菩薩の道もかくのごとし」と書いてあります。菩薩もこれと同じだということですね。しかし菩薩と書いてありますように、菩薩はこの心の深い部分から一歩踏み出そうとしている人でしょうね。しかしながら、たとえそこから踏み出したとしてもまた、その道には難と易があるということです。

この「菩薩の道」の難を、ここでは「勤行精進のもの」だと、こういうふうに言われています。この「勤行精進のもの」を、先ほどの延長線で言えば、つまりはこの違和感に対して何か意義を持っている人であり、そのことについて「勤行精進のもの」だとこう言われていることになるわけですが、それでは、その次の「菩薩の道」の易についてはどのように書いてあるでしょうか。それが「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」ですね。これはいったいどういうことでしょうか。とにかく阿惟越致の前の「疾く」という字はすごく短い間にという意味です。一応このことは覚えておいてください。

で、この菩薩については、「地相品」にも書いてあります。「凡夫人の未だ無上道心を発せざるあり、あるいは発心する者あり、未だ歓喜地を得ざらん。この人諸仏および諸仏の大法を念ぜんと、必定の菩薩および希有の行を念じて、また歓喜を得ん」内容が難しくて詳細は説明できませんが、まず初めの「未だ無上道心を発せざるあり」のところは、この人は凡夫人ということですね。だから未だ無上道心を発していないものだと書いてあります。

次に「あるいは発心する者あり」と書いてあるでしょう。この人が菩薩のことですから、菩薩として「無上道心を発する者あり」です。しかし「未だ歓喜地を得ざらん」人ですね。この菩薩のことを「菩薩の道」の難だと言われていることになります。「地相品」にはもうひとつあります。それが「菩薩初地を得ば、その心歓喜多し」です。このことが「易行品」では「菩薩の道」の易のところになるので、つまりは、この「菩薩の道」の易とは初歓喜地の菩薩のことです。

そして「地相品」で言われている無上道心を発心するものが、「易行品」の「勤行精進のもの」ですから、初歓喜地の菩薩のことを、「易行品」では「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者」だと、このように言われていることになります。この初歓喜地の菩薩のことは『十住毘婆沙論』の中で、菩薩とその人の特定な関係をもって表現されていますので、「易行品」でその関係性をこのように顕されたことになるでしょうか。

それで一応ここまでにしておいて、ぼくはこれまでに一つ問題があると思っていまして、先ほどから言っております「世間の道に難あり、易あり」で、ひょうたん島の譬えを出しました。そしてこの「世間の道」の「難」とは、この私の「世間」である小島しか知らずに、その中をぐるぐると歩きまわっている人だと言いました。それに対して「易」とは、この私の「世間」について、たとえそれが意識にまで上がらないとしても、何処かで言い知れない不安感を持っている人のことだと言いました。

しかし、もしも、このことが「易行品」の「易」について的を射ているのなら、その次の「菩薩の道もかくのごとし」にすっと繋がらないと思うわけです。この「世間の道」の「易」の説明が、何やらボヤっとして中途半端なんですね。そう思いませんか。なら、それは的外れではないか、と、こういうことになるのですが、これ、どういうことかと言いますと、「地相品」では「菩薩の難」とは「発心するもの」ですから、発心する動機がそこにある訳です。曇鸞大師の『論註』にこの『十住毘婆沙論』が載っています。おそらく同じ処だと思います。

「謹んで龍樹菩薩の造られた『十住毘婆沙論』をひもといてみるに、次のようにいわれている。菩薩が不退転を求めるのに二種の道がある。一つには難行道、二つには易行道である。」『論註』では「菩薩が不退転を求めるのに」と、いきなり菩薩の難行道易行道から始まりますが、「易行品」の初めでは「仏法に無量の門あり」です。ぼくはこれを「仏法に無量寿の門あり」と読みました。そしてその次が「世間の道に難あり、易あり」となっています。『論註」にはここがないわけですね。だから『論註』の「陸路の歩行」は菩薩の難行道のとこであり、「水道の乗船」は菩薩の易行道のことだとすっきりしています。

ところが「易行品」では、ここのところが「世間の道に難あり、易あり」となっているので、それをこうして説明しようとすればすごく中途半端になるのですね。そうするとこの「世間の道」の「易」のところが宙に浮いているわけです。「陸路の歩行」は何とか理解できるが「水道の乗船」との違いが分からない、と、こういう事だろうと思いますが、実はこの宙に浮いている場所にこそ、この「易行品」の始めの、「仏法に無量寿の門あり」の言葉があるのではないかと考えています。

でも、親鸞聖人はこの行巻で、「入初地品」「地相品」「浄地品」を通されて、そのままこの「易行品」を顕そうとされているわけですから、ぼくのような訳の分からないことは考えておられないと思いますよ。すっきりと「易行品」までを通されているはずです。しかし、ひょっとしたら、わざとそういうふうにされているかもしれない。

問題はこちらの方です。これは純度の問題であって、こちらの純度が粗悪だから、そこにさまざまに不純物が混ざっているわけですね。だからすっとそこが通らない。それでも、ここで言われている「世間の道に難あり」は何とか理解はできる。しかしこの私という存在が、どこか底が抜けていて、地に足が着いてないような、漠然とした不安があるということ。つまり自分の存在のありように自信がないということですが、実はそこに不純物がいっぱい混ざっているのではないかということですね。

私たちは物心ついてから今日まで何をしてきたかといいますと、いろんな経験をしてきましたね。しかしそれは考えてみれば、他人との比較ではなかったですか。そうしないと自分の経験がどのくらいのものか分からないでしょう。当然そこには優劣が生れます。優越感と劣等感ですね。しかし優越感や劣等感といってもひとそれぞれ千差万別です。強い人もいればさほど感じない人もいるでしょう。しかし全くない人はいないのではないでしょうか。

私たちの生きている社会がこういう優劣の世界だから、そこを生きて行くには、この優劣の思いからは逃げられないですよ。そういう私たちに、生きて行くための気持ちの持ちようが何かあるなら、それは自分に自信を持つということでしょう。そのために一生懸命になっているのかもしれないですね。そういう中においてもなお、今、この私の生活範囲に、どこか地に足が着いてないような不安なものを感じているということ。それは私のこの優劣の感情よりももっと深い、心の底から来るものですから、たとえどんなに生活が充実しているとしても付いてくる感覚ですね。いま生活が充実しておられる方がここにどのくらいおられるのか知りませんが、そうでない方ならなおさらではないでしょうか。

それで話を戻しますと、「菩薩の道」の難の菩薩を「発心する者」と言われていますから、その菩薩は、そこに発心する動機があるわけです。しかし「未だ歓喜地を得ざらん」菩薩であると言われています。これを「易行品」には「勤行精進のもの」だと端的に表現されていることになります。それでは今度は、私たちの立ち位置ですが、いったいその何処にあるのかということですね。そうするとやはり、それは今のこの私の「世間の道」にあり、その「易」においてであると、こういうことになるのではないかと思うのです。そしてその私の「世間の道」の「易」において、ここに「仏法に無量寿の門あり」と述べられている、と、そういうことかなと受け取っています。

行巻その④ 龍樹(十住毗婆沙論)Ⅲ

令和7年9月23日 秋彼岸会より 「浄地品」

今回は『十住毘婆沙論』の「浄地品(ぼん)」です。短い引用なので全文を載せています。まず読んでみましょうか。

「また云わく、「信力増上」はいかん。聞見するところありて、必受して疑いなければ「増上」と名づく、「殊勝」と名づくと。問うて曰く、二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり。今の説なにものぞ、と。答えて曰く、この中の二事ともに説かん。菩薩初地に入ればもろもろの功徳の味わいを得るがゆえに、信力転増す。この信力をもって諸仏の功徳無量深妙なるを籌量(ちゅうりょう)して、よく信受す。このゆえにこの心また多なり、また勝なり。深く大悲を行ずれば、衆生を愍念すること骨体に徹入するがゆえに、名づけて「深」とす。一切衆生のために仏道を求むるがゆえに、名づけて「大」とす。「慈心」は、常に利事を求めて衆生を安穏す。「慈」に三種あり。乃至」

まずこの「浄地品」の感想ですが、何がどうなっているのかサッパリ分かりませんでした。当然自分の至らなさでありますが、自分なりに悪戦苦闘していろいろと考えました。今日はその結果をここでお話しします。それでは始めます。

それではまず最初の「また云わく」から。これは前回の「地相品」を「また云わく」ということですね。じゃあその「地相品」には何が書かれていたかといいますと、「初歓喜地の菩薩」のことが書いてあります。だからこの場合の「また云わく」は、初歓喜地の菩薩について「また云わく」と、こういうことになります。

それからもうひとつ、この「浄地品」の途中に「今の説なにものぞ」というヵ所があるでしょう。この「今の説なにものぞ」に今回は焦点をあてて話を進めて行こうと思っています。つまりこの「今の説」が、この中の何処を指しているのだろうか。この観点から「浄地品」に入ることにします。

これは普通に読めば、この「今の説」は、その前の「問うて曰く、二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり」のことだと思いますが、しかしながらそのつもりで読んでも、どうも前後の繋がりがないように思えまして、腑に落ちないわけですね。この「問うて曰く、二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり」の方が、どちらかといえば唐突に出てくる気がするわけです。

そのことをふまえながら、最初のところから読んでみますと。「また云わく、信力増上はいかん、聞見するところありて、必受して疑いなければ「増上」と名づく、「殊勝」と名づくと。」これが初めのところですね。そして「問うて曰く、二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり」ですね。そしてその次に「今の説なにものぞ」と、こういうふうに続いているわけですが、この「今の説」がこの中の何処を指しているのか。

それでまず「信力増上」ということですが、この「信力増上」には二つの顔があるということでしょう。そのひとつが「増上」です。そしてもうひとつが「殊勝」ですね。だから初歓喜地の菩薩のとき、「信力増上」は「増上」と「殊勝」というふたつの顔があるということになります。

そうすると、この文をもう少しかみ砕くと、初歓喜地の菩薩のとき、「信力増上」という徳がある。その徳をよく理解して、しっかり受け取り疑いがないなら、この「信力増上」は「増上」と名づけ、また「殊勝」と名づけるのだ、と、こういう事になるのではないかと思います。

「勝」というのは、これは仏の方のことで、仏の勝れたはたらきを言いますから、ここで言われている「殊勝」も同じく仏の方のはたらきのことをいいます。しかもそれは殊に勝れているということですね。そうするとこの「信力増上」とは、仏の方の、それも殊に勝れた「増上」であるということになります。

それから、次に「問うて曰く」です。ここに「二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり」があります。ここでは「二種の増上」だと言われいて、そのひとつが「多」であり、もうひとつが「勝」ですね。

ではこの「多」は何かというと、おそらく「地相品」の、初歓喜地の菩薩の徳である「多歓喜」のことでしょう。その「多歓喜」がここでは「多」と省略されていることになりますが、この「多」が「二種の増上」の一つですね。そして二つめが「勝」です。「信力増上」の方は「増上」と「殊勝」で、「二種の増上」の方は「多」と「勝」です。

それではまず「二種の増上」から話すことにしますが、この「二種の増上」にはまず信力という字が抜けていますね。「地相品」の方には、初歓喜地の菩薩の徳を多歓喜と言われていましたが、ここでは「多」と言われていて、その「多」は「増上」すると言われているわけですね。そしてまた、そのとき「勝」の方も増上する。つまり仏のはたらきの方も増上している、と、こういうことになります。

「多歓喜」はより「多歓喜」へと増上し、その時に「勝」はより「勝」へと増上する。ではこの「多歓喜」を「地相品」でどのように説かれていたかということですが、要約すれば、まず多歓喜は初歓喜地の菩薩のときの徳であるということですね。そして、その徳とは何かといえば、諸仏の世界を顕していて、その地を歓喜地といい、その歓喜地に念ずる諸仏の全一人称の相を見る。このこともって多歓喜であるということだと思いますが、それに加えて、この「浄地品」には「多」は増上すると、このように多歓喜の増上する相を言われていることになります。

そのときもう一つの「勝」は、この「多歓喜」の増上する相を仏の方から顕したものだと思うわけですね。つまり初歓喜地の菩薩のとき、諸仏の徳である多歓喜は増上し、仏の慈悲もより増上し深くなる、と、あえてここに「深く」と付け加えておりますが、このようになるのではないでしょうか。つまり「多」はより増上し、「勝」はより深くなるということですね。そうするとこの「二種の増上」は動的であるということになります。

だから、ここで言われている「多」は「増上」する「多」ですから、初歓喜地の菩薩のときの「多歓喜」は増上するのであり、そのとき仏のはたらきもまた増上していると、このように言われるわけでしょう。さて、そこで疑問ですが、この「信力増上」の「殊勝」と、「二種の増上」の「勝」とではどちらが勝れているでしょうか。

「浄地品」のはじめのところに、「「信力増上」はいかん。聞見するところありて、必受して疑いなければ」と書いてあります。ここに「疑いなければ」とあるでしょう。そして今ここに「信力増上」の「殊勝」に疑問がある。つまり疑っているわけですね。するとここにちゃんと書いてあります。

もう一回言いますが、この「信力増上」に疑いがないなら、「信力増上」は「「増上」と名づけ、「殊勝」と名づく、です。そしてその次が「問うて曰く」ですから、ここに疑いがあると書いてある。それがこの「問うて曰く」ですね。こういうふうになると、「今の説」がこの文のいったい何処を指しているのかといえば、それは初めの「「信力増上」はいかん。聞見するところありて、必受して疑いなければ「増上」と名づく、「殊勝」と名づくと」のところですね。

そして今、ここにも疑いがある。その疑いが何かといえば、この場合は「二種の増上」の「勝」と、「信力増上」の「殊勝」の違いは何ですか、と、こういう疑問ですね。「信力増上」に疑いがないならいいが、この説に疑いが生じているわけですね。お分かりのように、こちらも無理やり「問い」をつくりました。

そこでまず「信力増上」に「聞見するところありて」と書いてありますね。「聞見」とはよく理解してと読むのだと思いますから、そのことをよく理解して、そしてしっかりと受け取り、疑いがないならば、それは「「増上」と名づく、「殊勝」と名づくと、このようになるわけです。

「浄地品」では、唐突に「問うて曰く、二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり」です。こちらは「二種の増上」までを読んでみて、「問うて曰く」、「殊勝」と「勝」との差別化は何ですかといっていることになります。反対に、「信力増上」という「今の説」に何も疑問がないなら、初歓喜地の菩薩のとき、その「信力増上」を聞見し、必受して疑いがないからだ、と、こういうことにもなるでしょうか。

しかし今ここに疑いがある。だから「信力増上」の「今の説」にこちらも疑問が起きているわけです。で、その疑問とは何かといえば、それは「殊勝」と「勝」の差別化は何故かということですね。だから他にも疑問はあると思いますよ。しかし、少なくとも今、ぼくにはそういう疑問がある。そしてこの疑問について次に「答えて曰く」です。

きっと他にも疑問があるはず。この文の「二種の増上あり」もその疑問のひとつでしょう。しかしそれらについても「答えて曰く」ということになりますから、疑問はいろいろあるが、しかし「答えて曰く」からはみな同じだという、実に不思議な文章になります。そしてその答えが、次の「この二事ともに説かん」ですね。そうすると、ここにまた新たな問題が出てくるわけです。

「この二事ともに説かん」の二事とは何か。このどこにその「二事」があるのか、と、こういう問題ですね。普通に考えるなら、この二事とは「信力増上」と「二種の増上」の事になりますが、しかし、一応この「二事」については、しばらくそのままにして先に進みたいと思います。

「菩薩初地に入ればもろもろの功徳の味わいを得るがゆえに、信力転増す」。まずここでは「信力増上」が「信力転増」に変わっています。それで、この「菩薩初地に入れば」とは、初歓喜地菩薩のときをそう書いてあるのでしょう。すると、初歓喜地の菩薩のとき、「もろもろの功徳の味わいを得るがゆえに」とこのようになり、そのときの「もろもろの功徳の味わい」を、この「浄地品」には「信力増上」だと言われているわけですから、ここに言われているもろもろの功徳とは「信力増上」の「増上」と「殊勝」のことになるでしょう。

それでは、この初歓喜地の菩薩のときのもろもろの功徳を、今度は「地相品」の方に見てみると、まず初歓喜地の菩薩のとき、その菩薩の地は諸仏が現前する多歓喜の地であるということでしたね。それをここでは「多」と言われています。そして「多」はまた「勝」であると。この二種の増上する相(すがた)が、初歓喜地の菩薩の功徳の味わいであるとこのように言われています。

初歓喜地の菩薩のときの徳を、「浄地品」では「信力増上」だと言われていてますが、今話しているのは「地相品」の「二種の増上」のことを話しているわけですね。ここに「信力増上」と「二種の増上」が重なってしまいます。そこで、私たちがこれまで見てきたのは、そのどちらの方かと言えば、それは「地相品」の「二種の増上」の方ですね。それを「浄地品」では「多」と「勝」といわれていて、動的に顕されています。

「浄地品」では、まず「信力増上」です。そうすると考えられるのは、初めに「浄地品」とは何かが書いてある。で、それは「信力増上」ということだと、このように初めに措いてある。だから「「信力増上」はいかん」です。そしてこの「信力増上」を「聞見するところありて、必受して疑いなければ「増上」と名づく、「殊勝」と名づくと」このようになります。それでは唐突に現れた「問うて曰く、二種の増上あり」はいったい何処から来たのかといいますと、それは、前の「地相品」の、初歓喜地の菩薩のときを背景にしている。そして「問うて曰く」です。

「地相品」からすれば「二種の増上」は「多」と「勝」だと。だから「浄地品」の「信力増上」の「増上」と「殊勝」という「今の説」はなにものぞ、と、このように読むのだろうと思います。他にも「浄地品」についての読み方があるでしょうね。真偽はともかくとして、先を読みながら考えて行くことにします。

それで、次に「信力増上」が「信力転増」に変わっていますね。この「信力増上」は転増する「信力増上」だと、このように言われていますが、ここに「転増」という新しい言葉が登場するわけです。意味としては前の信力増上と違うということでしょうか。

「信力増上」の本質はそのまま、しかし前とは違うということですから、するとそれは前後の問題です。この前後の問題が次の文になります。「諸仏の功徳無量深妙なるを籌量(ちゅうりょう)して」のところです。ここに「深妙」という言葉が新しくあります。この「深妙」の意味は、妙なる仏力によってより深まっていくということでしょう。

「信力増上」の本質は同じです。しかし深さが違う。その深さに諸仏の無量功徳の深妙さを見るということ。この深妙なる功徳無量を、殊勝なる仏力である、つまり殊に勝れた阿弥陀仏の力によるのだと籌量する。籌量とは数え思い計るということだそうです。だから、この諸仏の功徳無量の深妙を、初歓喜地の菩薩のとき、その時々に思い計るということですね。「ますます深まっていくなぁ」と諸仏の功徳無量を思い計るということになります。この殊勝なる仏力である阿弥陀仏のはたらきを、初歓喜地の菩薩のときに信受する。このことを「諸仏の功徳無量深妙なるを籌量して、よく信受す」とこう述べておられるのではないでしょうか。

さて、ここでまた問題です。どうもこの「浄地品」は問題だらけでありまして、よく問題が出てきます。それで、問題です。この「もろもろの功徳無量」を信受するのは誰ですか。

初歓喜地の菩薩のとき、諸仏の功徳無量を、殊に勝れた阿弥陀仏の力だと信受する人がそこにいることになりますね。それがその次の「このゆえにこの心また多なり、また勝なり」のところになりますから、この文は「このゆえにこの(人の)心また多なり、また勝なり」となって、「この心」に(人の)を入れます。そうすると信受する人がそこにいることになります。この(人の)心とは、つまりは人の心ですから、人の心であるがゆえに、その心は煩悩の心です。しかし「信力増上」は初歓喜地の菩薩のときを言うのであり、これは仏の方の出来事なのですね。

それでおさらいをします。「家清浄」のこの菩薩、この人の初果を地にするとき、この菩薩を初歓喜地の菩薩だとこのように言われます。この初歓喜地の菩薩のとき、そのとき「この人」の心は煩悩の心でありながら、初歓喜地の菩薩の「信力増上」である功徳無量深妙を籌量する。その(人の)心もまた「多なり、また勝なり」です。

だからこのときの「多」と「勝」は、初歓喜地の菩薩のときに、この(人の)心も同時に含んでいることになります。まあ、これでいいのかどうか分かりませんが、今のところそういうことだと思っている次第です。それで、この功徳無量深妙を籌量するとは、この(人の)心においても、その時々の深さが違うということですね。そしてまた「地相品」では、初歓喜地の菩薩のとき、諸仏の功徳無量は、そのまま諸仏全一人称の心でありましたが、「浄地品」では、この功徳無量深妙の阿弥陀仏の宇宙観を、さらに動的に述べられようとしていると、そういう事ではないでしょうか。

そして、ぼくはこの事が「信力増上」の一事だと思っていまして、そうするともう一事が残っていることになります。それでは次に「深く大悲を行ずれば、衆生を愍念すること骨体に徹入するがゆえに、名づけて「深」とす。」に入ります。

ここに「深」という字があります。愍念(みんねん)はより深い慈しみという意味だそうです。すると、この「深く大悲を行ずれば、衆生を愍念すること骨体に徹入するがゆえに」というのはどういうことになるでしょうか。ぼくはこの「骨体に徹入する」というヵ所に注目しています。骨体ですから骨の問題です。骨体と身体とでは表現は似ていますが、何故骨体なのかに拘っています。骨体に対しては身心ではないか。つまり身体において身心と骨体です。その中の「骨体に徹入す」と、このようになります。

私たちは普段、頭が良いとか悪いとか言っていますが、これは要するに脳の良し悪しを言っているわけですね。頭が良いからといって、性格も良いとは限りません。頭が良くてもずる賢い人もいます。頭は回転次第で良くもなり悪くもなる。そして私たちの生活は、そのまま人間の集合体ですから、さまざまな人間関係の中で生きているわけですね。まあ、それでも頭が良いにこしたことはありませんが、ここで言いたいのは頭の良し悪しではなくて、骨である頭蓋骨の問題です。

でもね、頭を単に頭蓋骨と見て、それを自分の人生に直結される人はそうはおられないでしょう。頭蓋骨が小さかったら小顔になるわけです。それで生き方が多少変わるかもしれませんが、だからといってそれを頭蓋骨のせいだとは言わないわけですね。考えてみれば、頭蓋骨と脳は触接に繋がっているでしょう。直接といっても間に間膜はありますが、脳は内臓であり頭蓋骨は骨です。この脳と頭蓋骨の関係をもっと広げると、私たちの身体は、片方では身心として心に繋がりながら、同時に骨と繋がっているわけでしょう。そしてその身体がまるごと周囲の環境にあり、私たちの生活、そして人生になっています。

私のこの身体は体脂肪や内臓の調子によっても心に関わりますよね。体調が悪ければ気持ちも悪くなる。同じように骨が折れたら大変です。要は私の身体は身心にも骨体にも関わりながら、周囲の環境に身をおいている。そして、心はその中でいろいろと動きながら、今こうしてそれぞれが生きていることになります。

話は変わりますけど、臓器移植の問題はかなり前からありますね。ノーベル文学賞を受賞されたカズオ・イシグロ氏の作品「わたしを離さないで」は、臓器移植のために英才教育されたクローン人間の物語でした。クローン人間として生まれ、臓器移植という宿命を背負わされながら、人間として恋愛し、そして臓器移植の現実を突きつけられていくという問題作品でした。この臓器移植の問題は形を変えて今でも多く問題視されています。反面、IPS細胞のような万能細胞の時代にも入ってきました。人間の尊厳と生命は一丁目一番地の問題であることは変わらないと思います。

それで、この臓器ということですが、臓器にも人の心はあるのか。不慮の事故で夫を亡くした妻が、夫の臓器が他人に移植されていくときに、その臓器に夫のいのちを見ていく。このようなことをささやかれたことがあったでしょう。脳が心の全てだと考える人の方が少ないかもしれない。どこか身心という、内臓や肉体にも心は宿ると考えておられる方も多いのではないでしょうか。身体における身心が、このように心と肉体の関係をいうならば、それでは身体における骨はどうだろうということですね。

骨は確かに肉体の一部です。しかし身心のように、心が骨にも関わっていると考える人はそんなにはいないでしょう。最近は膝の手術がすごくよくなったと聞きます。人工関節ですね。骨は内臓と違い、どこか物として見ている。しかし骨もまた幼児から青年へと成長して、老人へと脆くなっていきます。それでもなお心と内臓の関係とはどこか違う。骨もまたその人としての身体でありながらも、どこか物との関係があるのではないですか。

それでは、心を意識とした場合にはどうなるでしょうか。これすごく難しいですね。意識といっても、無意識をも範囲に入れた意識ですから、これだけでも難しいわけですが、とにかく心を意識とした場合、まず直観をいいます。この直観という言葉を意識の一番初めとして使います。目でいえば網膜にそれが映っているとき、つまり脳に伝達するとき、と、このようになるかなと思いますが、ただそれだけのことです。このときを直観といいます。これ、五感の目・耳・舌・鼻・皮膚すべて同じですが、目はそれをそのまま映しているから、直観はこの視覚において言われていると思います。

だから、ただそこにある映像感覚のときということですね。これを直観と言い、この直観から意識が生れていくようすを見ていく。哲学にはこういう思考方法があります。カントはこの直観のところに悟性という概念を持ってきます。そして悟性に意識が生れる根源を見ていきます。仏教の場合にもこのような直観はありますが、カントのような意識のはじめに悟性という概念はなくて、この直観を、映すものと映されるものとの関係として見ます。そして映す方を身体に措き、映されている方を心とする。このとき映す方を器や鏡に例えたりします。

この関係の外に私がいて、そしてそれを見ているという関係ではありません。そういうことではなくて、突き詰めればということですね。そのとき心は、ただ「映すものと映されるもの」の関係であるということです。この関係のとき、鏡に映されているのは、その人の心そのものですから、その心は煩悩だといいます。しかしこの場合の煩悩は、普段私たちが考えるような煩悩とは違います。では何故同じように煩悩という言葉を使うのかといいますと関係があるからです。

それで鏡が澄んでいれば、映る煩悩もはっきりと映るというわけですね。「明鏡止水」をよく言われますが、調べるといろいろと書いてありますね。例としては「何の邪念もなく、静かに落ち着いている心の状態」。また「一つの心境」などと書いてあります。このような鏡と心の関係を見ていくのが仏教の基本だと思いますが、この『十住毘婆沙論』に出てくる初果というのも、この鏡と心の関係だと思いますね。つまり心と身体の問題です。

この心と身体の関係は、『観経』の「定善観」によく顕れていて、善導大師は「水想観」にこの鏡と心の関係を顕しますが、もともと『観経』は心と身体の関係を深く見ていくもので、そこに阿弥陀仏の浄土を顕していきます。

『観経』は、まず韋提希にまつわる事件から始まるわけですね。お釈迦様が「定善観」をお説きになるきっかけが、韋提希の「光台現国」のところです。そのとき、韋提希はお釈迦様の眉間から放たれた光の中に、諸々の諸仏の国土を見せられます。そして韋提希はお釈迦様に懇願します。この辺りを「光台現国」といいます。そして「世尊、このもろもろの仏土は、また清浄にしてみな光明ありといえども、我いま極楽世界の阿弥陀仏の所(みもと)に生れんと楽(ねが)う。唯(やや)願わくは世尊、我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえ」と『観経』は続きますが、「定善観」の発端にこの韋提希の「光台現国」がある。この「光台現国」と初歓喜地の菩薩とが深く関係していると、親鸞聖人はそう見ておられるのではないかと、ずっと考えているわけです。

それで、この初歓喜地の菩薩のときとは、これは(家清浄)の「この菩薩、その人の初果を地にしたとき」ということですから、この場合の初果もまた、鏡と心の関係によるのだということでしょう。ただ初歓喜地の菩薩にはこの「映すものと映されるもの」の関係に納まりきれないものがある。この「浄地品」で言われている「増上」の動的もそのひとつですね。

善導大師は「定善観」の「水想観」で、この鏡と心の関係を顕しておられますが、初歓喜地の菩薩という名称はありません。また「水想観」は「定善観」のまだ初歩的なところです。しかしまあ、このことは今後の展開にまた出てくると思いますのでこのくらいにして、とにかくこれらは心と身体の関係である、と、そういう事だと思います。

しかし、身体にはもうひとつ骨体の関係を持っているということですね。じゃあこの骨体とは何か。それが身体における骨と物の関係だということですね。ここで言う物とは、哲学的に言えば「物自体」という言い方になると思いますが、心は身心にあるから、それぞれの心にあります。しかし骨体は骨と物との関係でもあります。心はそれぞれの心の問題ですから、その人の心から出ることはありません。だから、心と身体といった分け方では心と身体は離れません。しかし骨と物との関係は、私という個体に限定されない。だから骨体というのは、心と身体の関係を超えていて、物へと深く、そして広く関係しているということではないでしょうか。

この骨と物の関係をもって、初歓喜地の菩薩のとき、阿弥陀仏は「深く大悲を行ずれば、衆生を愍念すること骨体に徹入するがゆえに、名づけて「深」とす。一切衆生のために仏道を求むるがゆえに、名づけて「大」とす。」と、このように言われるのですから、この「骨体に徹入する」とは、初歓喜地の菩薩のとき、阿弥陀仏は浄土に凡夫と諸仏の関係を開きながら、その凡夫と諸仏の関係とともに、一切衆生をも包みいれるという、阿弥陀仏の深い大悲を、この「浄地品」で顕そうとされているのではないでしょうか。そして、このことが二事のもう一つの事であると思っています。

行巻その③ 龍樹(十住毘婆沙論)Ⅱ

令和7年5月25日 永代経法要より 

(地相品)「問うて曰く、初歓喜地の菩薩、この地の中にありて「多歓喜」と名づけて、もろもろの功徳を得ることをなすがゆえに、歓喜を地とす。法を歓喜とすべし。何をもって歓喜するや。 答えて曰く、「常に諸仏および諸仏の大法を念ずれば、必定して稀有の行なり。このゆえに歓喜多し」と。かくのごとき等の歓喜の因縁のゆえに、菩薩、初地の中にありて心に歓喜多し。「諸仏を念ず」というは、然燈等の過去の諸仏・阿弥陀等の現在の諸仏・弥勒等の将来の諸仏を念ずるなり。常にかくのごときの諸仏世尊を念ずれば、現に前にましますがごとし。三界第一にして、よく勝れたる者ましまさず。このゆえに歓喜多し。」

今回のテーマは地相品です。ご覧のように引用されている地相品は問から始まります。それで、前の入初地品を受けての問だと思いますから、まず入初地品の最後のところを少し見ておきます。「この菩薩所有の余の苦は、二三渧のごとし。百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、無始生死の苦においては、二三の水渧のごとし。滅すべきところの苦は大海のごとし。このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。」

入初地品の最後のところですが、ここに「滅すべきところの苦は大海の水のごとし」とあります。この大海のことを前回は、これは家清浄の「この菩薩」のいのちのフィールドということではないかと言っておりました。フィールドというのは陸上競技場でいえばトラック内の競技場だそうで、走り幅跳びや高跳びなどの競技場のことだそうですね。

また学問の世界では、その学問における活動分野とか活動領域ということになります。それで「この菩薩」のフィールドといえば、「この菩薩」の活動領域ということになるかなと思います。だから、入初地品の「大海の水のごとし」の大海は「この菩薩」が活動する領域だと言っていることになります。それを大海という器に表現される。

では、この大海の水とは何か。これは凡夫の煩悩の量だと思います。この大海の水が初歓喜地の菩薩において無量のいのちとなり、その無量のいのちは諸仏の領域となる。こういうことかなと思っていますが、まずこの大海の水といわれる領域とは何かというと、過去をどこまで遡ろうとも、また未来をどこまで見渡そうとも、それは量り知ることができない時間と広大さであるということでしょうね。

この初歓喜地の菩薩において、大海の水は無量のいのちとなり現前し、その無量のいのちは、過去そして未来の諸仏が輝いている、と、こういう世界観を表現されているのではないでしょうか。

最近、年寄りになって、といっても、別に急に年寄りになったわけじゃありませんが、年を取るとフト考え込むことがありますね。普段、体力の衰えが気になるので運動もしたりするわけですよ。そんな中でも、体力が衰えなければ、ボケなければとかじぁなくて、何かこう、それでも時間は刻々と過ぎていくわけですから、そんな中に、この老ということについてフト思うわけです。その先の答えが見えない。

自分の老や死を認めたくないために、ただ先延ばしをしているに過ぎないのかなと、そんな気持ちがフトよぎるのですね。やっぱり、この年齢というのは自分を現実に戻しますね。そんなに時間は残っていないかなぁということですかね。そんな中で、何かこう、自分の命を貫いていくような仕事というか、そういう自分にも納得できるものがあれば、これはこれで救われるような気がするのですよ。

自分のいのちを貫き、そして超えていくもの、そういういのちの中に、自分のいのちもあるというのは、この老ということにおいてすごく有難いなぁと思うのですね。若いうちは老人なんて遠い先のことでした。皆さんも同じでしょうが、過ぎたらアッという間ですね。この一人のいのち、つまり煩悩の海に生きる無力な我が身が、そのまま「この菩薩」のフィールドとなり、そこに初歓喜地の菩薩の無量のいのちが展開する、そういうことかなと思う時があります。

それで、「地相品」のこの問ですが、まず初めに「初歓喜地の菩薩」とありますね。この初歓喜地の菩薩というのは、前回まで遡らなくてはなりませんが、端折って言えば、「家清浄のこの菩薩」が「かくのごとき人」の初果を地にするときに「初歓喜地の菩薩」である、と、このようになるのだろうと思っています。だから「初歓喜地の菩薩」とは、「この菩薩」と「かくのごとき人」の初果とに関係が生じていることを、「初歓喜地の菩薩」とこう表現されていると読んでいるわけです。

で、その次に「地相品」には「法を歓喜すべし」と書いてありますね。ではこの法というのは何でしょうか。ぼくには正直言って分りませんが、とにかくこれは私の意識では捉えることが出来ないものだということではないでしょうか。その法というのを、ここでは初歓喜地の菩薩は歓喜すべきであると、このように言われているのかなと思います。だから、歓喜地というのもまた、本来、法が歓喜されるべき地なのでしょうね。

でも、このように初歓喜地の菩薩は法を歓喜すべきだといわれても、そのこと自体がよく分からないわけです。だから、そのことをつべこべ言いう事は出来ませんが、それでもあえて推測したらどうなるか。それでこれはおそらく、本来この法は私の意識では捉えることはできないけれど、そこに歓喜地という地をもって、そしてその歓喜すべき法を現わす。そこに捉えることが出来ない法を直感する。仏教の言葉を使うと、法を感得する、とまあ、そういうことかなと思います。

それで話を戻しますが、この初歓喜地の菩薩のとき、この煩悩の大海に、現在・過去・未来の三界があるわけです。それは初歓喜地の菩薩が見る煩悩の大海であるから、そこには初歓喜地の菩薩が見る現在・過去・未来の諸仏の相(すがた)をも顕しているということでしょう。

そこで、ここにまた問があります。「「諸仏を念ず」というは」というところですね。そしてこの答えが「然燈等の過去の諸仏・阿弥陀等の現在の諸仏・弥勒等の将来の諸仏を念ずるなり」と、このように書かれています。しかしこれ、すごく不思議な表現ですね。

そこでまず、ここで注目すべきなのは「等」という字でしょう。この「等」の字の使い方がいったい何を指しているのか。これはもう独断と偏見で述べるしかありませんが、この「等」の字を中心にしてこの「諸仏を念ず」のところを見ていくと、次の「常にかくのごときの諸仏世尊を念ずれば、現に前にましますがごとし」と書いてありまして、どうもこの辺りにそのヒントあるような気ましますね。まずこの文には「等」の字は付いていません。以後も出てきません。

そこでまず結論から言いますと、この「等」の字は何かということですが、これは、つまりは全一人称のことだと思うわけです。全一人称なんて言葉があるか知りませんが、そういうことかなと思います。で、この「等」とは、全初歓喜地の菩薩の全一人称の主観を見たてた表現だと思いますが、この場合は「現に前にましますがごとし」と書いてありますから、主観というよりも現象といった方がいい当てた表現ではないでしょうか。

そうすると、まずこの一人称とは何かということですが、それはそれぞれの初歓喜地の菩薩が見る、それぞれの現在・過去・未来ということでしょう。だから、この「諸仏を念ず」に少し言葉を加えてみます。すると、初歓喜地の全菩薩が「「諸仏を念ず」というは」という言葉になります。

そして、そのとき三界は「然燈等の過去の諸仏・阿弥陀等の現在の諸仏・弥勒等の将来の諸仏を念ずるなり」ですから、ここにはそれぞれの初歓喜地の菩薩が見る無量のいのちに、過去・現在・未来の諸仏の相(すがた)を見るということでしょう。その中でも注目するのは「阿弥陀等の現在の諸仏」です。

この阿弥陀等の等は、そのまま阿弥陀仏が複数述べられていることになりますが、要は、それぞれの初歓喜地の菩薩の阿弥陀仏ですから、つまりは初歓喜地の菩薩の分の阿弥陀仏です。そしてここに言われている現在の諸仏こそ、初歓喜地の菩薩の見る阿弥陀仏の浄土であり、その浄土の相(すがた)である諸仏の世界だということでしょうか。

初歓喜地の菩薩のとき、過去に浄土の諸仏を見る。これが然燈等の諸仏である。然燈等ですから、それぞれの諸仏がしっかりと輝いている。そして将来には、それぞれの弥勒がこの然燈等の諸仏を担ている。このような現在・過去・未来の諸仏を、初歓喜地の菩薩はそれぞれに念ずるのだということではないでしょうか。

だから、初歓喜地の菩薩の分だけの阿弥陀仏となるわけで、初歓喜地の全菩薩は、無量のいのちにおいて、その何処においても、過去・現在・未来の諸仏の相を見るということになり、このように「「諸仏を念ず」というは」のような、不思議な表現になっているのだと解釈しております。

「問うて曰く、凡夫人の未だ無上道心を発せざるあり。あるいは発心する者あり、未だ歓喜地を得ざらん。この人、諸仏および諸仏の大法を念ぜんと、必定の菩薩および稀有の行を念じて、また歓喜せん、と。初地を得ん菩薩の歓喜と、この人と、何の差別あるや。答えて曰く、菩薩初地を得ば、その心歓喜多し。諸仏無量の徳、我また定んで当に得べし。初地を得ん必定の菩薩は、諸仏を念ずるに無量の功徳有す。我当に必ずかくのごとき事を得べし。何をもってのゆえに。我すでにこの初地を得、必定の中に入れり。余はこの心あることなけん。このゆえに初地の菩薩、多くの歓喜を生ず。」

「地相品」の二番目の問と答えです。

この問いに「この人」とありますが、「この人」とはいったい誰のことでしょうか。前回の「入初地品」では「ある人」のことでした。今回は「この人」の問題です。

それで、この問いでは、「この人」と初地を得ん菩薩の歓喜の違いは何かということになっています。それでまず、「この人」の前にある「未だ無上道心を発(おこ)せざるあり」のところですが、それをここでは凡夫人だと言われています。そして次に「あるいは発心する者(ひと)あり」ですね。この「発心する者あり」が「この人」のことだと思います。そしてその「この人」は、「未だ歓喜地を得ざらん」という「この人」のことですね。

そうすると「この人」とは誰かいえば、無上道心を発心しているが、未だ歓喜地を得ていない「この人」ですね。そして「この人」は「諸仏および諸仏の大法を念ぜんと、必定の菩薩および稀有の行を念じて、また歓喜せん、と。」願う「この人」のことです。そこでまず、「凡夫人」と「この人」の違いは何かとうことがありますね。そして「この人」と「初地を得ん菩薩の歓喜」の違いは何かということです。

家清浄の「この菩薩」が「かくのごとき人」の初果を地にしたとき、初歓喜地の菩薩といい、その地を歓喜地という。このことをここでは「初地を得ん菩薩の歓喜」と簡潔に述べられていることになりますが、そうすると、「この人」とは、未だ歓喜地を得ないが、諸仏および諸仏の大法をすでに知っているということになりまして、そしてまた必定の菩薩や稀有の行を念じて、歓喜を得ようと願う「この人」です。

その「この人」と「初地を得ん菩薩の歓喜」に何の差別があるかというのがここの問だと思います。そして答えが「菩薩初地を得ば、その心歓喜多し」です。

ここでおさらいですが、家清浄の「この菩薩」が「かくのごとき人」の初果を地にするとき、初歓喜地の菩薩といい、そしてそれは多歓喜であるということでしたね。そして何故この地が多歓喜であるかといえば、菩薩のいのちは無量であり、その無量のいのちには諸仏を念ずる歓喜と功徳があるということでした。

ここにある初果を前回では菩薩ではないと言っていましたが、菩薩の十位にはないということだと思います。もっと下位にあります。要するに菩薩としては未熟だということですが。しかし何故未熟だとするのでしょうか。これはおそらくですが、初果ということが基になっていて、そこに菩薩が登場する。つまり菩薩はこの初果に常に立っていて、その初果を未熟として、より完成度の高いものへと行ずる人のことを菩薩と、このように言われるのではないかと思うわけです。まぁ、ぼくがそう思っているだけですから、これも独断と偏見です。

するとつまり、「この人」というのは、初果に立っていて、そして必定の菩薩および稀有の行を念じて歓喜を得んとする「この人」のことになります。しかし、もしこういう事なら、これは考えようによっては、「この人」とは仏教でいう菩薩のことですから、その必定の菩薩や稀有の行を念ずとは、これはそのまま菩薩が歩む仏道のことでしょう。

話は変わりますけど、この初果ということですが、仏教ではそう名付けているわけですね。でもこれは仏教に限ったものではなくて、本来は人間の深い部分をいい当てたものだと思うのですよ。

最近はずっと原典読みに明け暮れていますが、聖典も含めて行間を読むことに始終しています。ここにいったい何が表現されているのか、じっと目を凝らしてその行間を眺めるわけです。悪戦苦闘のすえ、何か知らんが少しずつそこに文字が浮かんでくる。この試行錯誤の連続です。それでこの初果ということも、おそらく行間に散りばめられているだろうと探すわけですが、なかなか読み取れないのが実情です。

しかし、その初果を端的に現したところがあります。『観経』の「光台現国」のところです。『観経疏』ではここのところを「まさしく世尊、夫人の広く浄土を求むることをもって、如来すなわち眉間の光をを放ちて十方の国を照らし、光をもって国を摂し、頂上に還来して化して金台となる、須弥山の如(ごと)し。如の言は似たり、須弥山に似たり、この山腰は細く上は闊(ひろ)し。所有仏国並びに中において現ず。種々不同にして荘厳異あり。仏の神力のゆえに了々分明なり。韋提に加備して、ことごとくみな見ることを得しむることを明かす。」と、善導大師は言われています。

「須弥山の如(ごと)し」のところですが、「如の言は似たり、須弥山に似たり、この山腰は細く上は闊(ひろ)し」と書いてありますね。深い意味は分かりませんが、光台現国の須弥山の表現が何となく中途半端でしょう。「如来すなわち眉間の光を放ちて十方の国を照らし、光をもって国を摂し、頂上に還来して化して金台となる、須弥山の如(ごと)し」のこの須弥山の如(ごと)しが、すごく中途半端だと思いませんか。

お釈迦様が眉間から光を放たれて、韋提希に諸仏の国土を現わされたところですね。ここのところを善導大師は『観経疏』にこのように書いておられます。それでまず初果というのを、どこでそう思うのかというと、まず「仏の神力のゆえに了々分明なり」のところです。韋提希自らが見たとは言わずに、如来が「加備して、ことごとくみな見ることを得しむる」と書いてあります。そして「ことごとくみな見ることを得しむる」ですね。

この、ことごとくみな見るというのは、ときどき出てきますね。覩見という言葉もこの意味になると思いますが、『無量寿経』では、法蔵菩薩が世自在王仏のみ前で諸仏の国を覩見したとあります。韋提希の場合は「須弥山のごとし」です。この如しを「如の言は似たり、須弥山の似たり」ですから、それは須弥山とちょっと違うぞということでしょう。この本物じゃないぞという感覚は何か分かりませんが、ここに初果ということを見るのかなと思っています。

西洋哲学などでは、このように行間を読むようなことは、おそらく無いと思いますが、その代わりに論理がすごくて、これでもかというぐらいに言葉を構築する。だから行間を読む難解さはないにしろ、論理そのものが難解である。どちらがどうだということではありませんが、そういう苦労話もありますよと言いたかったわけです。

それで、初果というのが、人間の深い部分を言い当てたものだとすると、それは仏教に限ったものではなくて、西洋哲学などでも深く関わっているのだと考えられるわけです。このブログでもそのことを少し述べたものがあります。また、現代の科学の領域では、量子力学の分野で、龍樹(ナーガル・ジュナ)その人が注目されています。論理物理学者カルロ・ロヴェッリは、彼の著書「世界は関係でできている」の中に、龍樹(ナーガル・ジュナ)を次のように言っています。

「西洋哲学のかなにも、これと似た方法をおずおずと目指す直観がないわけではない。しかしナーガル・ジュナの視点は徹底している。ありきたりな日常の存在を否定せず、むしろ逆に、複雑なそれらをまるごと、さまざまな階層や側面も含めて考えに入れる。日常的な存在を研究することも、探求することも、分析することも、より基本的な項に帰することも可能だ。しかし、とナーガル・ジュナは主張する。究極の基層を探すことに意味はない。ナーガル・ジュナと、たとえば現代の構造的実在論との違いは明白だ。現在流通している自著に「すべての構造は空である」と題する短い章を付け加えるナーガル・ジュナの姿を、簡単に思いうかべることができる。構造は、ほかのものを組織化しようと考えたときに限って存在する。ナーガル・ジュナに倣っていえば、構造は対象に先立つのではなく、対象に先立たないわけでもない。先立ちかつ先立たないわけでもなく、最後に、どちらでもないわけではない。

(中略)

ナーガル・ジュナのおかげで、関係抜きでは語れない量子について考察するための圧倒的な概念装置が手に入った今、わたしたちは、自立的な本質という要素が存在しない相互依存を考えることができる。じつは、互いに依存しているからには ― ここがナーガル・ジュナの主張の鍵なのだが ― 自立的な本質のことはいっさい忘れなければならないのだ。」

で、また話を戻します。「この人」と「かくのごとき人」に違いですが、「この人」は、つまりは菩薩を行ずる人ですね。これに対して「かくのごとき人」は、家清浄の「この菩薩」が「かくのごとき人」の初果を地にするとき、つまり初歓喜地の菩薩のとき、「この菩薩」と「かくのごとき人」の関係にある「かくのごとき人」の方です。

お分かりのように、「この人」のことを説明した菩薩と、家清浄の「この菩薩」との使い方が違いますね。家清浄の「この菩薩」のことはいずれ分かってくるのかなと思いますがまだ分かりませんので、このまま「この菩薩」という名にしています。それで、ここに二つの事柄があることになります。一つは「この人」の菩薩の行ずる道です。もう一つは「この菩薩」が「かくのごとき人」の初果を地にするときの初歓喜地の菩薩です。

それでまず、「この人」と初地を得ん菩薩の歓喜に何の差別があるのかということですね。その答えが「菩薩初地を得ば、その心歓喜多し」ですから、つまりは「この人」はまだ初地を得ていないということです。

最後にここまでの感想を少し述べようと思いますが、この初歓喜地の菩薩は初果において二面性があるということでした。初果を地にした「この菩薩」と「かくのごとき人」の関係が初歓喜地の菩薩を生みながらも、「この菩薩」と「かくのごとき人」の関係はそのままである。これを自己流に表現すれば、まず初歓喜地の菩薩は、仏の方で家清浄の「この菩薩」であり、凡夫の方で「かくのごとき人」である。この仏の方と凡夫の方が、初果において表裏一体でありながら交わらない。このような関係ではないかと思っているわけです。そして、凡夫の方で「かくのごとき人」は大海の水のごとき煩悩の海となり、仏の方で、家清浄の「この菩薩」は、無量のいのちに三界の諸仏を現前する。未消化のままですがこのようになるのだろうかと思います。

行巻その② 龍樹(十住毘婆沙論)Ⅰ

令和7年3月20日 春彼岸会より

「しかれば、「南無」の言は帰命なり。「帰」の言は、至なり。、また帰説(よりたのむ)なり、設の字、税の音(こえ)、また帰設(よりかかる)なり、説の字は、税の音(こえ)、悦税二つの音は告ぐるなり、述なり、人の意(こころ)を宣述(のぶ)るなり。「命」の言は、業なり、招引なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計(はからう)なり、召(めす)なり。ここをもって、「帰命」は本願召喚の勅命なり。「発願回向」と言うは、如来はすでに発願して、衆生の行を回施したまうの心なり。「即是其行」と言うは、すなわち選択本願これなり。「必得往生」と言うは、不退の位に至ることを獲ることを彰すなり。『経』(大経)には「即得」と言えり、『釈』(易行品)には「必定」と云えり。「即」の言は、願力を聞くに由って、報土の真因決定する時剋の極促を光闡せるなり。「必」の言は、審(あきらか)なり。然(しからしむ)なり、分極なり、金剛心成就の貌(かおばせ)なり。」

これは、教行信証の行巻途中にある御自釈です。予定としてはまだ先になります。でも、ここまでを一つの区切りにしているので、無事にたどり着くかどうか分かりませんが、とにかくこの御自釈を目指して読んでいくことになります。

それでまず、この御自釈の感想を少しだけ述べてみたいと思いますが、まず、南無阿弥陀仏の「南無」は音写ですから、意味は「帰命」ということである。その「帰命」を、「帰」と「命」とに分けてあります。もうすでにこの辺りからよく分からない訳ですね。それでこれをもっと立体的に出来ないものかと考えていまして、この文から少しだけ抜き出して、視野を広げてみたいと思います。

「「帰」の言は、至なり。また帰説(よりたのむ)なり、説の字、悦の音、また帰説(よりかかる)なり、説の字は、税の音、悦税二つの音は告ぐるなり、述なり、人の意を宣述(のぶ)るなり。」

この文には、まず「「帰」の言は、至なり。」と書かれています。そして「帰」は帰説(よりたのむ)であり、説の字は悦の音(こえ)で、帰説(よりかかる)ということであり、これらは人の意(こころ)をしっかりと述べたものである、と、まあ、これでいいのでしょうか。

そこで、まずこの「至」が、その意(こころ)よりも深く、それこそ何か根本的なものを指しているとするなら、帰説の帰は、その根本(よりたのむ)のだということになるでしょうか。そして帰説の説は悦であり、(よりかかる)ということである、と、このようになるかなと思います。

「帰」をこのように言われていることになりますが、しかし普通に考えてみても、この帰命の帰も命も称えるこちらの問題でありますから、それ以上に何かあるのかということですね。しかし、ここでは帰はまず至であると言われます。すると、この至は何かということから考えなければならない訳です。

それで、この「至」を、さきほど私の存在よりも深く、それこそ何か根本的なものではないかと言いました。するとこの「帰説(きえつ)の帰」は、称える私の意よりも深く、何かその根本に至るところ(よりたのむ)ということになり、「帰説(きさい)の説」は、悦であり、その根本に(よりかかる)ことへの表現だということになるでしょうか。

このように読んでいくと、まず帰は至であるということ。そして、それは私たちが普通に考えているよりも何か深い意義があるということですね。そしてこの帰は帰説であり、よりたのむと、よりかかるの二つのことを言われている。

しかし、この「至」を、私の存在よりもっと深く、何か根本的なものだと言いましたが、それが何なのかも分からない訳ですし、またそれでいいのかどうかも定かではないのですね。だからこの時点では「至」とは何か分からないままですが、とにかくこのことを念頭におきながら読んで行かなければなりません。

今回から、この御自釈へ向かって歩きだすことになりますが、親鸞聖人はここに七高僧から龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師の五人の高僧を挙げておられます。だからこれらを通らなければたどり着けないのですね。出発ぐらいは元気に行きたいものですが、はたして無事にたどり着くかどうか。とにかく始めたいと思います。

それでは今回から龍樹菩薩を見ていきます。龍樹菩薩は西暦二世紀から三世紀に活躍された方です。詳細はよく分かっていないと言われています。それでも八宗の祖であり、日本仏教のすべての宗派の祖だとも言われます。多くの論書が残されていながらも、龍樹菩薩ご自身のものか不明なものも多とのことです。その中で今回の「十住毗婆論」は龍樹本人の論だと言われているものです。

聖人はこの「十住毘婆沙論」から四ヵ所を引かれておられまして、それが「入初地品」「地相品」「浄地品」「易行品」です。この四品をもって聖人は何を言われよとされるのか、そのお心は何かということです。

それではまず「入初地品」から始めます。「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。世間道を転じて出世上道に入るものなり。「世間道」をすなわち「凡夫所行の道」と名づく。転じて「休息(くそく)」と名づく。凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死(まよい)に往来す。これを「凡夫道」と名づく。「世間道」は、この道に因って三界を出ずることを得るがゆえに、「出世間道」と名づく。「上」は、妙なるがゆえに、名づけて「上」とす。「入」は、正しく道を行ずるがゆえに、名づけて「入」とす。この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づく、と。」

文のはじめに「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに」とありますね。この「家」は「家清浄」のことです。この文の前に書いてあります。

「「入初地品」に曰く、ある人の言わく、「般舟三昧および大悲を諸法の家と名づく、この二法よりもろもろの如来を生ず。」この中の般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。(中略) 家に過咎なければ家清浄なり。 (中略) 般舟三昧・大悲・諸忍・この諸法清浄にして過(とが)あることなし。かるがゆえに「家清浄」と名づく。」

この続きが「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけれん。世間道を転じて出世上道にいる・・」になります。

この「家清浄」ですが、これについては後程考えることにしまして、まずは「この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。世間道を転じて出世上道に入るものなり。「世間道」をすなわち「凡夫所行の道」と名づく。転じて「休息」と名づく。」のところから考えてみましょう。

そこでまず、この「家清浄」の菩薩が世間道を転じて出世上道に入る。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」に転じられる。それを「休息」と名づく、と、このように読んでいきます。

この菩薩、世間道を転じて出世上道に入るですから、まずは世間道がここにあることになります。一般論でもかまいませんが、何処の誰々の世間道だということの方が分かりやすくなるでしょか。それで、その誰かの世間道が転じられるということ。では、どのように転じられるかといえば、出世上道に入るということだ。

「凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死(まよい)に往来する。」要約すれば、凡夫道はつまるところ涅槃には至ることはない。何故ならまよいから出られないからである。これが「世間道」ですね。これに対して「出世上道」に入るとは、この「世間道」が「凡夫所行の道」に転じられるということであり、そしてこれを「休息」とも言う。

それでは、この菩薩とはどのような菩薩か。世間道を転じて出世上道に入る菩薩である。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」となり、これを「休息」とも言う。この菩薩が出世上道に入ることに因って「世間道」は生死(まよい)を出ることを得る、だから「出世間道」と名づける。

自己流の解釈ですが、おおよそ、こういうことかなと考えています。そして、この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づくですね。だからここまでの内容は初めからずっと「家清浄」の菩薩が書かれていることになります。そしてまた同時に「休息」は単に休むということではなくて、凡夫所行の道を見出すということであり、それを「休息」と言われている。そして休息には時間の短さを表現されているような気がする。この時間の短さはあえて付け足しています。

簡単にまとめると、「家清浄」の菩薩、「世間道」を転じて「出世上道」に入る。そのとき「世間道」は「凡夫所行の道」となり、この心をもって初地に入るを歓喜地という。

それで、次は問になっています。「初地、何がゆえぞ名づけて「歓喜」とするや、答えて曰く、初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし。菩薩この地を得れば、心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得。このゆえに、かくのごとき人を「賢善者」と名づくることを得」。これが「歓喜」の答えです。

それでまず、ここは初地がなぜ歓喜なのかという問いですね。答えは「初果の究竟して涅槃に至ることを得るがごとし」です。すると、「菩薩この地を得れば」ですから、まず、この菩薩は「家清浄」の菩薩のことですね。この菩薩がこの地を得れば、初果はきわめて優れ涅槃に至を得るがごとしである。「ごとし」とは「何々のようだ」ということでしょう。涅槃に至るとは書いてないのですよ。面白いですね、しかしこれどういうことでしょうか。

そしてまた、後の文では「初果を得るがごとし」と書いてあります。しかしここは、「初果の究竟して」ですから、初果のことです。そして次が初果を得るがごとしです。では、初めも初果のごとしかといえば、初果と書いてあります。不思議な文ですね。

そこでまず、この文言の間にあるのが「心常に歓喜多し。自然に諸仏如来の種を増長することを得」になりますが、ここはごとしではありません。

つまり初めは初果であり、次が諸仏如来の種の増長です。しかしその次は「初果を得るがごとし」となっているようですね。つまり初果はこの諸仏如来の種の増長と何か関わっていて、その増長とは何かといえば「初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし」である。この増長は、その度ごとに「諸仏如来の種を増長することを得」である。ただ、この増長は、時間の延長に観た場合と、断片的であり、なおその度に増長しているという場合があると思うのですよ。

断片的とは、結果としたら増長していることになるが、それは断片的であるということ。つまり不連続の連続であるということになるでしょか。そうしたら、まず初果であり、その次もまた初果である。そのそれぞれの初果に「心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得」ということである。その時は「心常に歓喜多し、諸仏如来の種の増長することを得」のである、と、このようになるかもしれません。

では、この後の「初果を得るがごとし」は何でしょうか。まず初果は断片的であり、時間の短さであるということなら、この「初果の究竟して涅槃に至を得るがごとし」の時と、次のその時に間があります。この間こそがその人の「世間道」であり「凡夫所行の道」だということではないでしょうか。だからこれは初果というよりも凡夫所行の道でありますから、この道は初果を得るがごとき道であるということでしょう。

そこで、「入初地品」の初めですが、「ある人の言わく」とありました。次が「家清浄」の菩薩です。そしてこの菩薩、「世間道」を転じて「出世上道」に入るですね。この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づく、です。そして、菩薩この地を得れば、かくのごとき人を「賢善者」と名づく、と、こういうことになっています。

で、この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づくですから、この心の主語は、「家清浄」の菩薩でしょう。すると普通なら初地の菩薩、世間道を転じて出世上道に入る、そのとき世間道は転じられて出世間道の地を得る。これが初地の菩薩の心である。この菩薩の地を歓喜地と名づく。このような言い方が出来るかも知れませんね。しかしこれ、これまでの全体を見たら変わってきます。

まず、初果というのは難しくて説明が出来ませんが、次の初地を何故歓喜と名づけるのかというところです。この答えが「初果の究竟して涅槃に至ことを得るがごとし」ですので、この場合、初果の究竟して涅槃に至るとは、いったい何を指しているのかということすね。

仏教では、初果はまだ未熟であり菩薩の位ではありません。この初果が究竟して涅槃に至ることを得るがごとしですから、つまりは、初果でありながらも、それはきわめて優れていて、涅槃に至ることを得るがごとしだと書いてあることになります。

ここに少し言葉を付け加えてみます。すると、この菩薩、この地を得れば(かくのごとき人)、心常に歓喜多し、(その歓喜は)自然に諸仏如来の種を増長す、と、まず、このように読みます。すると、この地とはかくのごとき人の初果です。菩薩がかくのごとき人の初果に地を得ればとなりますから、菩薩が得る地はかくのごとき人の初果ですね。そのときかくのごとき人、心常に歓喜多しとなるでしょう。

しかし、ここでは菩薩この地を得ればとなっていますので、菩薩の心常に歓喜多しですね。そして、かくのごとき人の方は菩薩ではなくて「賢善者と名づく」です。

そこで、ここまでを簡単にまてめると、まず初めが、「ある人の言わく」です。そして「家清浄」の菩薩、その次が「かくのごとき人」ですね。それで「ある人」と「かくのごとき人」にそれぞれ固有名詞を入れてみます。教巻の沿っていくと、この「ある人」はお釈迦様、つまり釈尊のことになります。だから「ある人の言わく」は「釈尊の言わく」です。

釈尊はこう言われた。「家清浄」の菩薩が、かくのごとき人の初果を地にするとき、この菩薩とかくのごとき人は「心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得」。このときの、かくのごとき人を賢善者と名づく。こういうふうに読んで行くと、この「かくのごとき人」とは阿難尊者になります。教巻は釈尊と阿難の出遇いです。

「釈尊はこう言われた。阿難よ、汝は未熟である。しかしこの菩薩が汝の初果を地にしたとき、初果は究竟して涅槃に至ることを得るがごとくである。と、そのとき、この菩薩と阿難は心常に歓喜多くして、自然に諸仏如来の種を増長することを得た」と、まあ、このようになるのではないかと思いますが、どんなものでしょうか。

次に、この初地を得己(おわる)を「「如来の家に生る」と名づく」と、このように書かれています。この己(おわる)ですが、これはどういうことでしょうか。これはおそらくいのちが終わるのでしょうね。つまり一生を終えたとき、この菩薩もまた初地を得己(おわる)のですね。しかし、これまで観てきたのは、このようないのちの終わりではなかったと思います。それは断片的な連続の増長でありました。だからこの得己とは、その一つひとつの断片が己(おわる)のことであり、その一つひとつにおいて、この菩薩とかくのごとき人は初地を得己(おわり)「如来の家に生る」と解するべきではないでしょうか。しかしまた、「凡夫所行の道」においては、その人の一生のいのちが終わるときに「如来の家に生る」ことを成就するということも含まれているわけです。

そこでこの「入初地品」の終わりのところに興味深いことが書いてありまして、「この菩薩所有の余の苦は、二三の水渧のごとし。百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、無始生死の苦においては、二三の水渧のごとし。滅すべきところの苦は大海の水のごとし。このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。」これをどう読めばいいのですかね。

この前文にそのヒントがあります。「一毛をもって百分となして、一分の毛をもって大海の水を分かち取るがごときは、二三渧の苦すでに滅せんがごとし。大海の水は余の未だ滅せざる者のごとし。二三渧のごとき心、大きに歓喜せん。」

この一毛をもって百分となすは何か。百分を百回としたら、一毛の百回分、一生かけて百回、大海の水を取ったとしても、それはほんの少しだけであり、大海の水は未だ滅することがないこのと同じである。この二三渧ような心、大きに歓喜せん。

これに対して、この菩薩です。この菩薩はかくのごとき人と同じ場所にいながらも、また、菩薩のフィールドがある。このフィールドこそ無始生死の苦であり、たとえ菩薩が百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、菩薩の滅すべき苦は大海の水のようなものである。「このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。」

意味内容を詳しく述べることは出来ませんが、文脈とすればこのように読めるかもしれませんね。で、この文脈を見たら、まず一人のいのち、そして菩薩のいのち、この二つが言われていることになります。するとまず、一人の生身の人間がいるでしょう。その人は生身の人間でありながら、同時に菩薩のいのちも生きていることになります。そしてこの大海の水のごとき苦は、菩薩にとってそのまま歓喜多きいのちの量である。

だから、この大海の水のごとき苦とは、おそらく凡夫の量でしょう。煩悩に苦しむ凡夫の量、つまり過去現在未来の全ての凡夫の量であり、凡夫の煩悩の量ではないかと思ったりします。この凡夫の煩悩の量は、そのままが菩薩の歓喜である。このようになるのではないでしょうか。これで「入初地品」を終わります。

ブログに関するご質問

「教巻への一考察」についての感想

「教巻への一考察」をブログに載せてしばらくが経った。書いた直後はあまり見たくないのでそのままにしておいた。読み返すと(いつものことだが)表現の至らなさと内容の乏しさを痛感する。いまさらではあるが、少しばかりこの「教巻への一考察」についての経緯を述べてみようと思う。まず、この「大」と「無量寿」の関係を、それもやや無理やりであったが、ア・プリオリの概念と結び付けた。これは証巻にときにカント(ドイツ観念論)を意識していたので、それならばと、教巻においても同じことが言えるだろうということでア・プリオリの思考を用いた。結果意外なことに変換が必要になる。そしてその変換が観経における浄土と阿弥陀仏の関係を思い起こさせたのは意外だった。カントが親鸞を知っていたとは考えにくいし、もし知っていたならこの変換も必要がなかっただろう。そして親鸞がカントを知っているはずはない。親鸞とカントとの関連は謎のままである。
次に親鸞の語句の読み変えである。意図的な読み変えなのは間違いない。後程この問題は現れてくる気がするが、釈尊その人という具体性がおそらくキーワードではないかと思っている。ブログにもそれを思わせぶりに書いたつもりである。

証巻 正定聚について その② 曇鸞における自性清浄浄土の定義としての考察

エトムント・フッサール著『イデーン』Ⅰ―1 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想
第一巻 純粋現象への全般的序論  渡辺二郎訳
第三章「純粋意識の領域」
第四十八節 「われわれの世界を離れてその外にある世界というものの、論理的可能性と事象的背理」

『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門の編集後記

『論註』に興味のない人にはつまらないものになったかもしれません。引用文が長いのでそれだけで目を通したくなくなりそうなものでもあります。法話としてかなり無理な試みではありますが、この讃嘆門は以前からクリアしたいところでした。当の本人はというと、けっこう満足しております(笑)。問題点は多々ありそうですが、目下のところはこの程度だろうと一息付けた感じです。しかし、少し時間が過ぎて改めて見直した時に、のっぺらぼうな文章が羅列されているだけのようにも感じました。解読としたら、現時点ではこれ以上のものは自分にはありませんが、法話としたら及第点にも至っていないでしょう。ここで一点だけこの讃嘆門を説明したいと思います。三信三不信の問題でありますが、このヵ所は前日まで書けなかったところです。原稿を構成する暇もなくて、法要の当日に加筆し訂正したところもあります。意味そのものが分からずに戸惑っていたときに、これは付け加えられたものだという思いが飛び込んできました。実感としたらそういったものです。実相身為物身の問題はわりと早くから想像はついておりましたが、三信三不信はそこに付け加えられたものだという発想そのものがなかったのです。考えて見れば、「我一心について」で述べたものがここに出てきただけですが、当の本人はそれにぜんぜん気づかずに悪戦苦闘していたわけです。『論註』はすごく難しくていったいどこまで行けるのか分かりませんが、もう少しだけなら行けるかもしれない、そういう感覚で次回も考えております。のっぺらぼうの文章も悪戦苦闘の末にできた荒れ地の跡である、と想像していただければ幸いです。

観経疏の発菩提心に思う事

本来はこういう発菩提心を話す予定ではなかった。この散善顕行縁はどこか素通りしていたので、こういう壁が有ったことが自分としては驚きだった。分かったつもりで過ぎた処にかなり苦しめられて、結局この発菩提心が主題の原稿となった次第である。最後のヵ所は何回も書き直した場所だ。まだ消化不良の多い所であるがひとまず結論的に置くことにした。親鸞聖人が比叡に居られるころに観経疏はすでに読破されていたと考えるのはかなり前からである。ただ、この原稿が法話として成立するかどうかと考えた時に、ずいぶんと乱暴な原稿だなと思う。もっとざっくばらんに書きたかったなあ。

(自灯明・法灯明)と念仏についての考察

この「(自灯明・法灯明)と念仏」は、聖覚法印の『唯信鈔』を意識して、曽我量深選集の歎異抄聴記の第二条を述べたものである。選集第二条における法の引用文をもとに『唯信鈔』を現代タッチに表現しようと思った。理由は、歎異抄第一条と第三条を続けて構成しようとしたら失敗した経緯があり、この第二条は別の角度からのアプローチが必要だと考えたからである。法の深信とは自己規定を法から示されるものなのかもしれない。また規定として示すとは、法との関係において示すのであり、いうなれば関係性という形である。それに対して機の深信は、法との関係によって現れる自己の深まりである。深まりは動詞であり、深まりつつある自己の姿を現すのだろう。第一条からいきなり第三条へと飛べない理由が、この法との関係を前提にしなければ困難だからだと思ったからである。それを『唯信鈔』をもって表そうとしたわけはまだ自分でもよく分からないところであるが『唯信鈔』が元来そういうものだということなのだろうか。しかしながら当初からそいう事を考えて原稿を作成したわけではない。後から考えたらそういうことじゃないだろうかと思っているだけだが、布石という理由で、ひとまず初めに措いておこうとしたのは確かである。

歎異抄第3条の編集語録

彼岸会での原稿を纏めていたら後半が煩雑になっていることに気がついた。意識とこころ、こころと無意識、身体と無意識。不明なことが多い中で話を進めるのが難しかった。なんとか自分なりに纏めたつもりである。法蔵菩薩の問題は第3条から登場するのはある面必然的だと思うので付け加えている。

「気遣い」と「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを」

「不安」編ではハイデガーの『存在と時間』について自分の所見を書いてみた。そこにおける気遣いは、親鸞における善悪の問題と共通点が多い。正像末和讃で「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがほは おおそらごとのかたちなり」と親鸞は述べている。この「よしあしの文字」だが、これを「気遣い」と「不安」の関係に見るなら、それは「気遣い」における意識関係の前後になる。無に対して「不安」「居心地の悪さ」から発して何かを気遣うまでの過程を気遣いの前後とするなら、親鸞における「よしあしの文字もしらぬひとはみな」は気遣う前の段階である。それはハイデガーにおいては、そこにあるのは「不安」における心の動きだけであって、気遣う処の具体的な内容は無い。これをもしこの和讃に当てはめるなら、それが「まことのこころ」であり、ハイデガーでは身体的な機能に属する意識のあり様ということになる。そして「善悪の字」は気遣う内容を言葉にしたものだろうから、それは何かを意識するということであり、「善悪の字」は「気遣い」として見ても「おおそらごとのかたちなり」なのだ。共通するものは他にも多く見ることが出来るかもしれない。だからと言って全てが同じだということでもないだろうが。そしてすでに十数年たっているのでかなり忘れしまった。こういう論理的な構築は様々な所見の取り扱いに対して目安になる事があるのでとりあえず書いておくことにした。

宝樹観について

数年ぶりに宝樹観を読み直し編集してみたが、迷路に入ったりでとりとめがなくなった気がする。当時の法話原稿とはかなり違ったものになったが、まずはこんな話を黙って聴いていただいた申し訳なさが感想である。これは宝樹観本文全体をまとめた感想を構成としているので、意味内容よりもその関係の仕方が中心になっている。課題の多いヵ所だったことを肝に銘じてひとまず宝樹観を終了することにした。

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