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二つの向こう岸
平成17年3月 彼岸会より
お彼岸と言いますとまず思いつくのはご先祖さんが帰ってくる日です。お盆や正月もそうです。正月の方はもともとは村の氏神のお祭りだったそうです。産土神(うぶすながみ)と言って、村の小さな共同体の祭りであり、先祖神のお祭りだったと言って良いのでしょう。この正月の行事が全国に広がり、現在のように全国の神社仏閣に初詣をするようになったのは江戸時代からだと聞いています。
大晦日の夜を除夜と言いますが、この除夜から元旦にかけて寝てはいけないと言われてきたそうです。理由は古くから正子(夜の12時)を過ぎると、村の鎮守に参詣して実り豊かな新年を祈願する習わしがあり、五穀豊穣を祈ったわけです。五穀とは米・麦・栗・豆・黍(きび)の事を言うそうですが、この五穀は当時は生活の基盤ですから、五穀豊穣は村の死活問題でありました。
これが江戸時代になると、村の小さな共同体の枠から飛び出して、一般庶民が様々な寺や神社にこぞって初詣へ行くようになりました。そしてこの初詣が広がるとともに無病息災などの祈願が加わったと言われます。初詣が盛んになるにつれそれ以外にいろんな祈願が混ざり、次第に祈願の内容よりも、とにかく初詣をすると何か良いことがあるかもしれないと、本来の意味から初詣そのものが目的になり、新しい年を迎える新鮮さを感じ取るようになったと言わる方もおられます。いわばレジャー感覚に変わったということでしょう。
しかし、レジャーと言えば響きが良くありませんが、その当時の初詣は時代のトレンドであったわけですから、娯楽感覚だったということも言えるのではないでしょうか。これは江戸時代の時代状況が安定してきたことでありますから、以前よりも生活全体に少し余裕が出たことでもあります。現在の正月の初詣にそういう江戸のパワーを観ることは出来ないようですが、少なくとも江戸時代の民衆パワーはそれまでの村の氏神のお祭りを、初詣という全国規模の一大行事にまで変えていったことになります。最近「心の豊かさ」という言葉が使われていますが、その江戸当時として見る「豊かさ」には何か次のものに繋げていくというような、そしてできればより良きものへと繋げようとしたパワーを内に秘めたものではなかったかと思う時があります。
それではお彼岸はといいますと、この彼岸とは仏教の言葉です。向こう岸という事ですが、向こうの世界であり、覚りの世界です。この向こう岸に対してこちらを此岸といいます。娑婆(しゃば)世界とも言います。娑婆とは煩悩や苦しみが多い世界の事。そして同時にお釈迦様がお救いくださる教化の世界と言われます。言い換えれば、私たちの煩悩や苦しみを目当てにしてお釈迦様が救いとる世界。それを娑婆世界というふうに言っております。
実はこのお彼岸が一般的な習慣として現れるのも江戸時代だと言われます。お彼岸は家族でお墓参りをしてご先祖様を敬う日です。江戸時代から始まり現在もしっかりと続いております。文化という言葉は、私たちは日常ではほとんど使いません。普段の生活が文化だと思って生活してますか。この文化という意味を辞書で調べてみると「社会を構成する人々によって習得、共有、伝達される行動様式の総体、世代を通じて伝承されていくもの」と書いてあります。そういう堅苦しく考えて生活しているわけじゃありませんから自覚はないけども、日本人の文化であることも事実です。だからお正月の初詣も、お彼岸のお墓参りも、江戸時代という時代安定期に始まり現在まで脈々と続く、日本人の立派な文化であると言えます。
しかし、考えるとこの正月と彼岸会は少し違います。お彼岸には正月のようないろんな祈願が混ざっていない。亡くなった人や先祖を敬い、故人に出会い、思い起こす、こういう事が中心の行事です。私たちは楽しい時ばかりでお墓参りはしないでしょう。そういう面では自分が生きて行くということと関係させながらお参りをされています。今は亡き親や夫、妻、子供、近しい方々、そういう人達との関係を思いながらのお参りです。そういう人生の重さや人との繋がりを考える。こういう命のつながりを亡き人においても感じていくことは日本人として尊いことだと思っています。そしてまた、こういう私にとっての向こう岸への思いが、より私を超えたいのちの深さ、尊さ、広さという仏の世界に出会う場所にまでなれば、本当の意味での仏教を背景にした日本人の文化になったのだとも思います。
仏教と言いますとインドが発祥の地です。現在のインドは仏教徒の人口は少ないそうです。大半がヒンズー教です。このヒンズーとは大雑把な地域の名称だそうで、西洋人がインダス川の向こう側に住んでいる人々をヒンズーと呼んだと言われています。インドに生れ住んでいる人の総称でしょう。そこには仏教徒もなくイスラム教徒もない。キリスト教もありません。そういう特定の宗教に属さない人々を称してヒンズーと呼んでいるそうです。だからヒンズー教とは永いインドの歴史に培われた生活様式や社会習慣全体ということで、開祖が誰という事なく経典もない。昔から受け継がれ言い続けられたインドにおける「インドのこころ」のことをヒンズー教と呼ばれているそうです。バーラト・マータ(母なるインド)寺院というヒンズー教の寺院の本尊は、大理石で造られたインド全土の立体地図だそうです。言うなればインド民族の総称を宗教とするものでしょうか。
ガンジス川の沐浴はご存じだと思いますが、沐浴においてべナレス(バナーラス)という地は死ぬまでに一度は訪れたい聖地だそうで、毎年の沐浴者は百万人にのぼると言われます。この聖地の水で沐浴すれば今までの罪が清められる。またこのベナレスで死んで火葬された遺灰をガンジス川に流せば、苦しみの輪廻の世界から解脱すると信じられているそうです。ある日本人の記者が臨終を前にした親子を取材させてもらったそうですが、その取材の返答は誇らしげだったと書いています。親の天寿を全うさせるために10時間かけて家族一同でベナレスまで連れてきたのです。家族で天国に送り出すことが最上の親孝行であり誇りだそうです。
このベナレスの沐浴が最も神聖だと言われる所以は、この地がガンジス川で唯一川の流れが南から北に向いている処だからだそうで、イメージとすれば天に上る場所なのでしょう。そして沐浴はガンジス川の西側だと決まっています。そして火葬は修行僧、妊婦、5歳以下の子供は出来ない。だから水葬にされるそうです。また、火葬はお金がかかるので費用がない人も出てきます。そういった人も水葬だそうです。それらの遺体は2~3日すると向こう岸に流れ着きます。だから向こう岸に住んでいる野良犬はよく太っているそうです。
ここに天に上る向こう岸とガンジス川の向こう岸があります。近年の日本においては「死ねば死に切り」「死んだら終わり」というような言葉がありますが、そこに見えるのは命の切り捨てのような気がします。以前ある先生が、お父さんの葬式について、火葬での思いにこういうことを書かれています。
亡くなられたお父さんの遺骨は脆く頼りなげだった。その時に「要するに、こういう事だな」そんなセリフが頭にあふれていた。「しかしそのうち、次第に白骨の方が大変確かな存在として迫ってくるのを感じました。周囲に集まっている生者の方が、なんとも頼りなげなのです。」そこに白骨の姿を事実として受け止められない、うろたえる自分の姿に気づいたそうです。そうすると「ここから、この俺の白骨から、もう一度、お前のしてることを眺めなおしてみろ」とお父さんの声を聴いた思いがした。「そしてその声とともに、それまで一大事のごとく思っていた多くが、小さなものに思えてきた。」と言われています。
私はこの先生の「要するに、こういうことだな」という言葉が、先ほどのガンジス川の向こう岸の情景と重なりました。それこそ命の切り捨てであります。そしてこの向こう岸から見たベナレスの沐浴は人生の最高の場所としてにぎわっています。その数百メートル離れた岸では野良犬が餌を探している。この二つの情景が重ならない。そして私たちの観る景色は、この向こう岸の野良犬の餌になった死体だけを観てしまっているのではないだろうかという思いです。しかしもう一度ベナレスの沐浴に思いを戻すと、また違う景色が浮かび上がります。それは修行僧、妊婦、5歳以下の幼児は火葬できないという事。中夭(ちゅうよう)と言いまして、中倒れ、辞書では「人生の途中で死ぬこと、思いがけない災難」とあります。修行僧はまだ僧になれない身です。妊婦は母になり切れない。五歳以下の幼児はインドでは人になり切らないということでしょうか。こういう中夭は火葬しない。つまりベナレスで臨終を迎え火葬されて遺灰をガンジス川に流すことは、苦しみの輪廻の世界から解脱することです。ですから、それは大いなるいのちに還ることです。つまり中夭はまだ還れません。だから出直してきなさいという事ですね。そういう思いが脳裏をかすめます。人生の区切り方が単純で分かりやすい。そう思って向こう岸を眺めれば、この沐浴の情景と野良犬の景色の両岸が次第に重なってきます。
ずいぶん前になりますが、教育テレビの「宗教の時間」で仏像の彫り師が出演されました。その時の言葉を一つだけ覚えていますが、「仏像を眺めていると、この作者はここのところを苦労したなと会話ができる。」こんな感じの言葉です。仏像の彫り師だからできる彫り師同士の出会いと会話でしょう。こういう出会い方があるのだなと思いましたが、親鸞聖人も法然上人と本願の中で出会われた。そして法然上人において出会われた本願において、また様々な人とも出会われていきます。こういういのちの連続性を具体的な人間のつながりの中で見て行かれたのだろうとも思います。こういういのちのつながりがなければ「死ねば死に切り」だけで、それこそガンジス川の向こう岸の情景が、ただ不気味なものに見えるだけではないだろうか。
親鸞聖人の教えとともにそこにある歴史観を私たちは学んでいくのですが、そこに何が見えるのかと言うならば、親鸞その人ということでしょう。親鸞その人としての歩みであります。「信不具足」といいまして「道あるを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず」と、こういうお言葉があります。そこに道があることにうなずけても、その道を歩いている人と出会えなければ観念にすぎない。そこに具体的に生きた人間に出会っていくこと。そういう出会いの歴史観でありますが、親鸞聖人は法然上人はもちろんのこと、その出会いをインド、中国、そして日本の高僧とも出会って行かれた。その出会う場所が本願であります。この本願において親鸞聖人がどういう出会いをされたのか、これが私たち真宗門徒である者の最大の関心ごとではないかとも思っています。私たちの向こう岸は、この本願においての出会いであり、そしてそこを歩んだ人との出会い、そういう信心と伝承にあるのではないかと思っている次第です。
コロナに負けるな「不安」編
2010年 その他の原稿から
気がついたら老人でした。気持ちは違いますが、年齢はすでに老人です。証拠もあります。よく老後の人生を考えています。老人になって老後を考えるのは手遅れ気味ではありますが、だいたいがそういうものではないでしょうか。後どのくらい生きるのだろうか。いい人生設計はあるか、できればいい人生でありたい、生きがいがある老後でありたい、などなど・・。
新型コロナウイルスはこの定まっていない老後の人生設計に、新たな課題を、それも強引に付け加えました。それはいかに生き延びるかです。死に方ばかりが気になる老人に、いかに生き延びるかという意義をいやおうなしに押し付けてきたのでした。でも考えてみれば、昔々の人々はこのいかに生き延びるかは最初から生きる前提条件だったはずでした。そんなこんなでまだ老人になる少し前に書いた原稿を見つけだしてみました。もし老人自粛でお暇でしたら読んでいただければ幸いです。若い方も歓迎です。
「不安」という不気味さ。面白い表現です。この不気味さは「居心地の悪さ」という意味でもあるそうです。「脅かし」という不気味さ。これについては様々な対応が考えられますが、こちらの力量が足りませんので一つひとつ取り上げて説明することが出来ません。ただ、人間が辿ってきた歴史は、この周囲からの「脅かし」を心配して、どのような対応が営まれてきたのかその結果でもある、ということは言えないだろうか。国家、民族、文化をそこに描くことが出来そうな気もします。人間の心の動きはそれぞれが違うものだと思われそうですが、こういう観点から観たら特定な方向性が見えてくる。これをハイデガーは気遣いという言葉で表現してます。そして私たちが普通に気遣うのと同質であるともいうのです。
「不気味さ」を背景にして心が動いているのなら、どのような動きとして働くのか考えると思いつくものがあります。それは「集める」ということです。お化け屋敷に何人かで入ると、気づいたらみんなが密になっていた。ギャー、ワーと叫びながら同じ場所で密になる。誰が集めたわけじゃないのに集まる。それは怖さや「不気味さ」が集めるのです。人間関係もこういう「不気味さ」に対する心の動きによって私を動かす。そう考えると身近なものになります。そして私たちの生活現場である様々な関係においてもこの「不気味さ」がいつも顔を出している。こういったことを考えながら生活する人はあまりいないと思いますが、それでも普段とは違った風景がそこに現れることでもあります。皆さんがいろんなところで気遣う背景には、こういう「不気味さ」を背負っておられる。
そういえば背後霊なども、こういう感覚を昔の人が何処かで感じていたからかもしれませんよ。外では蝉も泣き出したようですから、サービスで涼しくしました。で、ハイデガーはこの気遣いをとおして人間の心の動きやそこに現れる現象を分析した人です。
「居心地の悪さ」は何処からくるのか。それはその場に対する不気味さであるという事になりますが、だからといってその場所が不気味で居心地が悪いということじゃありません。何故なら気遣いは居心地を良くしようと動くのですから、それではこの「居心地の悪さ」は居心地が良くなる前の状況になります。しかしそういう状況の前後を言っているのではありません。私がそこを居心地良くしようと気遣う時に常に同席するもの。同席と言えば誰か他に居るみたいですが、そうではない。気遣いがある時にいつも同席するということで、隣にいつも何かあるということですね。妖怪ウォッチみたいになってしまいますが、気にせず先に進みます。
パソコンで原稿を書くのですが、文章の入れ替えも簡単ですし、誤字の訂正もしてくれます。領域設定して文章ごと入れ替えることも簡単です。で、この領域設定をここでいう気遣いに当てはめてみることにしました。そうすると気遣いは何かの目的があるから気遣うのでしょう。だから気遣いはその人の目的に応じてその都度に領域設定がされ、それにともなうその人の目的を持った気遣い方になるのですが、こういう意図的な気遣いもそうですが、とっさの雰囲気での気遣いも同じだという事になります。その時に同席するものです。何か得体の知れないものがあるという訳です。これを「不安」という言葉で表して、それは「居心地の悪さ」だというのです。しかしそれにしても、この「不気味さ」というのは何だろうか。ハイデガーは、それは無だと言います。私が何かを気遣う時に無もそこにあると言うのです。
そして気遣いは何かを目的にする時にあるもの。その気遣っているところの視点でありますから、言うなればそれを気遣おうとする主体です。これを現存在というのだと思っております。そうなりますと、その領域設定されるところのものは、現存在から領域設定された世界ですから現存在における世界内存在だということです。ハイデガーの現存在・世界内存在をこういうふうに考えていきます。
現存在が無とともにあるという事ならば、無という足場のない場所が常に世界内存在の場所でもある。これを感覚的に表現されたときに、何か全体に得体の知れない「不気味さ」があるということになるのでしょう。ただ困ったことに、こういう「不気味さ」における対処法がないということです。私の意識がある時は常に現存在とその世界内存在なのですから。
晩年にハイデガーはこの「不安」を「呼び求める促し」と説明しています。ぼくはまだ晩年だとは思っていませんので、横着にこれを単に「呼び戻し」と言っていますが、ではいったい何処から呼び戻されるのか、それは本来から呼び戻されるということです。それでは何処にその本来があるのか。しかしそれはただ漠然とした無の空き地状態があるだけなのです。
この世界内存在から現存在は出ることは出来ませんが、しかし、ある特異な場所を設定することで一時的に出ることがあるのです。それはある場所へ「ずれる」ということですが、では何処へずれるのかと言えば無へずれるのですね。移行するとも言います。実際にこういう世界内存在や気遣いの世界がどういうものか知るには外から全体的を観ることが必要ですが、気遣っている自分そのものを観ることですから、現存在である限り観ることは出来ません。だから視点に何かのずれが生じないかぎりこの気遣いとしての現存在と世界内存在の関係全体を見ることは出来ないのです。それで、この現存在と世界内存在の関係自体を観るためにこのずれることを述べています。それをハイデガーは世界内存在が事物的存在に移行すると言っています。つまりここで言えば事物的存在にずれるということになります。
「不安」というものは自分の存在に対するゆらぎなのでしょう。足場が抜け落ちるような不確かな状態です。だから確かなものへと呼び戻されるのです。しかしながら、その確かなものが何処にあるというのでしょうか。何処を探しても無いのです。ハイデガーはこの「気遣い」を頽落と言って、良い言葉では使っていません。何故でしょうか。この気遣いというのが「世人に没する」という言葉で示されているからですが、この気遣いは自分を表現するものであるにも関わらず、常に偽装されているというのです。装っているといえば分かりやすいでしょうか。もともと気遣いはその「不安」に対するものを背景にしていますから、いくら気遣う内容が変わっても「不安」に対する心の動き方としては同じなのですね。だから気遣う相手の対応は、心の動きを元にすると、現存在がその存在者(私)を通してその世界内存在に対する動きですから、その世界内存在におけるものは気遣うための道具としての存在になるのです。本質が不安に対するものですから、世界内存在は常にそのための道具の世界なのです。だから世界内存在の気遣いは本質のための二次的なものなので、そういう観点からすれば世界内存在の気遣いは常に偽装されていて、そしてこの見せかけからは離れられない。
それではこの「不気味さ」から逃避するにはどうすればいいのか。いろんな人のその人なりの建設的な捉え方があるかもしれませんが、この不気味さから逃避することは出来ません。そして良いも悪いも全て現存在と世界内存在の出来事なのです。こういう感覚で捉えられると何もかもが偽装の五十歩百歩なのですね。気遣いをこの不気味さに対する態度だとすればそういう言い方になります。それでこれを頽落という言葉で表現します。
次に「共現存在」という言葉が登場します。これは少し説明をつけ加えると分かります。その人の世界内存在は無機質ではないのですから、当然いろんな人がその世界内存在に関わっています。だからその場は幾重もの世界内存在になっているわけです。それぞれの世界内存在がそれぞれの人の現存在としての世界内存在なのです。
それでは、この世界内存在は何によっての世界内存在なのか。それは私の過去の経験がその世界内存在の内容なのです。言い換えれば、私の過去の経験がその世界内存在の内容を見せているのだから、この現存在が観る世界内存在は過去の経験が投影されたものだと言うのです。その世界内存在に現存在が可能性を見つけて、その世界内存在に自らを没入させるという言い方になります。可能性は当然未来を見つめたものですが、実際は何処に向かって可能性に没入するかと言えば、もちろん世界内存在ですから、私の過去の経験が投影されたものへと投げかけられたものであるのです。つまり過去に向かって未来に没入するという形になります。論理的に言えばすごく不自然でしょう。私たちは何かにつれよく行き詰まったりしますが、こういう不自然さに立っているのなら、何事もスムーズに進んでいかないことの方が当たり前な気がします。
考えてみると、いろんな壁を乗り越えたり、壁から引返したり(これを挫折というのでしょうか)しながら年取っていくわけです。自分なりに歩こうとすればそれなりの壁が有ります。こういう普通に私たちが経験することを、現存在と世界内存在に吟味してみると、私の意識よりも先にすでに何か命の生成というものがあって、その生成する姿を元にすれば、すでに私の意識下において特定の動き方が備わっていたということだろうと思います。それを現存在と気遣いの仕方で表現したのでしょう。生きるという事をこういう観点から見つめるのです。
さて「不安」に戻ります。「不安」は私たちには微妙な感覚ですが、それは「居心地の悪さ」であり足場の無いところからの呼び戻しである。こういうことは、おそらく、日常的には漠然としていて捉えどころがないでしょう。だから私たちがこの日常と思っている何気ない時間が崩れ落ちて、非日常的なものに出くわした時、この「不安」が一気に湧き上がってくる。この非日常な時こそ死だというのです。
死をこういう観点で捉えるのはよく分かるのですね。しかしここでいう処の死は具体的に現前する死を前提にするのですが、よく考えると死ぬちょっと前の状態です。といっても死にかけて意識が朦朧とした状況ではありません。はっきりした意識でこの死の崖っぷちに立っている状態です。ハイデガーはこういう死のシチュエーションを強調します。つまり世界内存在は私の過去の経験が内容だから、死んだ経験がない私にとって没入しようがないのです。たしかに近しい人の死に接することはあります。しかしたとえ身近な人が亡くなってもそれはあくまでも外の経験であり、自らの経験にはなりえない。こういう世界内存在が成立できない死のがけっぷち状態をもって、日常が崩れ落ちる場所として究極であるとする。その場所こそが、気遣いそのものを浮き上がらせ頽落の全体像が現れてくるというのでしょう。これが「無」へずれるという事の説明ですが、ハイデガーの世界内存在が事物的存在に移行するといのはこういうことを言うのでしょう。
このあたりの個所を『存在と時間』から引用してみましょう。(第69節世界内存在の時間性と、世界の超越の問題)
「(おのれの外へ抜け出している脱自)の統一は、おのれの「現」として実存する或る存在者が存在しうることのための可能性の条件なのである。現にそこに開示されている現存在という名称を担っている存在者は、明るくされている。現存在がこのように明るくされていることを構成している光は、この存在者が時おり出来(しゅったい)して照射する明るさの、存在的に事物的に存在する力や源泉ではない。現存在というこの存在者を本質上明るくするもの、言い換えれば、この存在者をそれ自身にとって「開いた」ものにするとともに「明るい」ものにもするものは、すべての「時間的な」学的解釈に先立って、気遣いとして規定されていた。この気遣いのうちに現に完全な開示性がもとづいている。こうした明るくされていることが、すべての照明や開明を、また、何ものかを承認し、「見てとり」、所有したりするあらゆるはたらきを、はじめて可能にするのである。この明るくされていることの光をわれわれが了解するのは、われわれが、植えこまれている、事物的に存在しているなんらかの力を探し求めずに、むしろ、現存在の全体的な存在機構である気遣いを問題にして、この気遣いの実存論的な可能性の統一的根拠いかんを問い求めるときだけである。脱自的な時間性が現を根拠的に明るくする。」
この難解な文章を、こうして申し訳ないぐらいかいつまんでいますが、この「脱自」が無にずれた状態です。そして「頽落の全体が現れてくる」がこの引用文の全体になります。特徴的なのはこの「明るくされている」ということですが、説明では「照射されるような明るさや、物質的な明るさの根源ではない」という事です。この(無にずれた)脱自は何かを統一しているのですが、それは私を含めた現存在が世界内存在で頽落する姿そのものであり、また共現存在のそれぞれの世界内存在が幾重にも重なる世界そのものなのでしょう。この頽落の全体が開示されて、そのことで明るくされているということになります。そしてこの気遣いそのものが私をして動く心のあり様ですから、この時間性は私よりももっと以前から続いている時間ですが、その時間性がこの「現」というある特定の場所において一時的に収まっているというのでしょう。ハイデガーはこの小タイトルにあるように、この現存在と世界内存在の開示における時間性を世界の超越の問題に繋げようとしたのです。
行巻その⑨『浄土論註』の「作願門」について
令和8年9月23日 秋彼岸会より 行巻の『論註』について
今回も『論註』からの引用文になります。今日で『論註』の引用文も4回目になりますが、おそらく次回が最後と思っていますので、佳境に入ってきたかなと思っています。今回も同じように聖典と「解読浄土論註」の両方を載せております。
それでは聖典から「天親いま「尽十方無碍光如来」と言(のたまえ)えり。すなわちこれ、かの如来の名(みな)に依って、かの如来の光明智相のごとく讃嘆するがゆえに、知りぬ、この句はこれ讃嘆門なりとは。「願生安楽国」は、この一句はこれ作願門なり、天親菩薩の帰命の意(こころ)なり。乃至」
「解読文」「天親菩薩がいま尽十方無碍光如来といわれるのは、とりもなおさず彼の名によって、彼の如来の光明のはたらきたる智慧の相のごとくに讃嘆するのである。だから、この句は讃嘆門であると知れるのである。願生安楽国とは、この一句は作願門である。天親菩薩の帰命の意をあらわしている。」
今日はこの文から読んで行くわけですが、その前に省略されている文があるので、まずはそこから見ていくことにしましょうか。
「舎衛国諸説の無量寿経によらば、仏阿弥陀如来の名号を解したまわく。何が故ぞ阿弥陀と号(なづ)けたてまつる。彼の仏の光明無量にして十方国を照らしたもうに障碍する所無し。是の故に阿弥陀と号けたてまつる。また彼の仏の寿命及び其の人民のも無量無辺阿僧祇なり。故に阿弥陀と名づけたてまつる。問うて曰く。若し無碍光如来の光明無量にして十方国土を照らしたもうに障碍する所無しと言わば、此の間の衆生何を以ってか光明を蒙らざらんや、光り照らさざる所有らば豈碍(さわ)り有るに非ずや。答えて曰く。碍(さまたげ)は衆生に属す、光の碍にあらざるなり。譬えば、日光四天下の周(あま)ねけれども亡者には見えざる如し。日光の周ねからざるなり。亦蜜雲の洪(おお)きにそそげども、頑石潤わざるが如し。雨のうるおわざるにあらざるなり。若し一仏三千大千世界を主領すと言わば、是れ声聞論の中の説なり。若し諸仏遍く十方無量無辺光を領すと言わば、是れ大乗論の中の説なり。」
「解読文」「釈迦が舎衛国でお説きになられた『無量寿経』(阿弥陀経)によれば、仏自ら阿弥陀如来の名号の心をあきらかにしておられる。即ち、なぜ阿弥陀と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのもさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏をはじめ、そのみもとにある人々の寿命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と。問う。もし無碍光如来が光明が無量であって、十方の国土を照らしたもうに少しもさわりがないというなら、この国の衆生はどうしてその光をこうむらないのか。光が照らさないところがあるのなら、どうしてさまたげがないといえようか。答う。さまたげは衆生の側にあるのである。光にさまたげがあるのではない。譬えば日の光は四天下にあまねくふりそそぐが、盲目の人には見えないようなものである。これは太陽の光がゆきわたらないのではない。またふかくたれこめた雲が大雨をふらせても、頑(かた)い石にはしみこまないようなものである。これは雨がうるおさないのではない。もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の中の説である。」
この省略されている文には「光明無量」を「仏の光明は無量であって十方の国々を普く照らしたもう」と、このように述べられています。また、「問う。」の方でもそのことが取り上げられていて、「答う。」もそのことについての説明です。この「光明無量」がなぜ省かたのか。そのことを考えながら本論に入っていきたいと思います。
そのためには、まず、これまで見てきた「真実功徳相」のおさらいしなければなりませんので、難解ではありますが、とにかく要約しながらこの「真実功徳相」を見ていきます。
龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』から。まず「入初地品」で「家清浄」が現わされました。この「家清浄」において「この菩薩」という表現で菩薩が登場します。そして、この「家清浄のこの菩薩」が「初果を究竟して涅槃に至ることを得るがごとし。心常に歓喜多し。自然に諸仏如来の種を増長することを得。このゆえに、かくのごとき人を「賢善者」と名づくることを得。」と、このように述べられているわけですが、ではこの「家清浄のこの菩薩」とはいかなるものかということが、ここにまずあるわけですね。
で、そのことについて見ていくと、「この菩薩」には「究竟して涅槃に至るがごとし」という意味と、「歓喜」ということ、そして「諸仏如来の種の増長」が述べられています。これらの事が「この菩薩」と「かくのごとき人」との関係に展開するとき、「家清浄のこの菩薩」は「初歓喜地の菩薩」という名で登場しています。
そしてこの「初歓喜地の菩薩」については、また、これら一連の事柄が一定でなく、それは究竟するものであり、歓喜し、増長するものです。この動的な表現が特徴として顕されていると思いますが、「初果」も例外ではなくて、「初果」も究竟していくのであり、そのことによって「初果」といいながらも前後があるということでしょう。
「家清浄のこの菩薩」には、このように初果が究竟するさまと、諸仏如来の増長するさまがある。そして「かくのごとき人」もまたそれに応じて増長していくわけですね。しかし、まあ、この「かくのごとき人」が増長するというのは、意味がどうもあやふやにも思えるので、心が深まっていくとか熟するいう言い方が良いのではないかとも思います。
しかしながら、このように言ってはみても、「初果」をはじめ「諸仏如来」や「かくのごとき人」なども同じですが、確かなものはなにもないわけです。で、ここのところはとても難しいので、これを「家清浄のこの菩薩、その人の初果を地にして初歓喜地の菩薩となる」と、このように要約してきたことになります。
そこで、ここに「初果の究竟して涅槃に至ることを得るがごとし」と言われていますが、「涅槃に至る」ではなくて「涅槃に至ることを得るがごとし」となっていますね。微妙な表現ですが、おそらく初歓喜地の菩薩が「かくのごとき人」との関係にある菩薩だからではないでしょうか。
そしてその次に、「家清浄のこの菩薩、(かくのごとき人の)この(身に)地を得れば、」「心常に歓喜多し。自然に諸仏如来の種を増長することを得」です。( )を付け加えていますが、まとめですからこのようになると思います。そして、このときの「家清浄のこの菩薩、この地を得れば」というのが「初果」のことだと思うので、この「初果」の究竟するさまが「心常に歓喜多し」であり、その究竟に応じて諸仏如来の増長がある、と、このようになるのでしょうか。
「地相品」では、この「諸仏如来の増長」を多歓喜と言われています。では、この多歓喜とは何か。まず、初歓喜地の菩薩の世界が諸仏如来の世界観だということですね。ではその諸仏如来の世界とはどのような処なのか。それは諸仏が相念じる世界だということでしょう。この諸仏が念じ相い開かれていく世界に、諸仏如来の増長を見るのであり、その増長するさまは、諸仏世界の過去・現在・未来を貫いているとも言われいます。これを初歓喜地の菩薩の多歓喜だと顕されている。
「浄地品」では、この開かれていく諸仏如来の世界に、その外に「深」という増長が説かれています。「深く大悲を行ずれば、衆生を愍念すること骨体に徹入するがゆえに」と、骨体をもって「深」を顕かにされて一切衆生の仏道を求める根拠を示されました。
「易行品」では、これら「入初地品」「地相品」「浄地品」を修して、諸仏如来の世界の増長とともに一切衆生を開かれて、そこに「信方便の易行」の道を示されました。そしてついには「一心」を顕かにされていきます。
そのとき、初歓喜地の菩薩はかの阿弥陀如来のみ名とともに、「かくのごとき人」は阿惟越致(不退転)に至り、この菩薩は「かくのごとき人」のこの身において阿惟越致地(不退転地)に至る。そしてこの菩薩は「無量寿の門」へと入り再び「一心」へと還るという、動的であり循環する相をここに顕かにされていくことになります。この「循環するいのちの相」を「真実功徳相」と顕されたわけです。
そして、この「真実功徳相」において、「究竟して涅槃に至ことを得るがごとし」と「歓喜多し」と「諸仏如来の増長」が極まるそのときを、天親菩薩の「我一心」と述べられていることになります。しかしながら、そうすると、この天親菩薩の「我一心」とは「真実功徳相」を俯瞰している姿に他ならないのではないのかという問題がでてきます。
そこでまず、天親菩薩の「我一心」が見るところの「真実功徳相」とは、この循環する「いのちの相」のことですから、その「いのちの相」がいま天親菩薩の「我一心」に顕かにされた。そのときを「光」と言われていることになるので、この「真実功徳相」とは「いのちと光の相」をいうのであり、その「いのちと光の相」において「天親いま「尽十方無碍光如来」と言えり」と、こいうことですから、省略された「光明無量」とはすでに意味が違っています。
そして、今回のテーマですが、「天親いま「尽十方無碍光如来」と言(のたま)えり。すなわちこれ、かの如来の名に依って、かの如来の光明智相のごとく讃嘆するがゆえに、知りぬ、この句は讃嘆門なりとは。」の「光明智相」が「いのちと光の相」になるので、つまりは「天親いま「尽十方無碍光如来」と言えり。すなわちこれ、かの如来のいのちと光の相のごとく讃嘆するがゆえに、知りぬ、この句は讃嘆門なりとは」と、こういうことになります。
また『論註』では、「天親菩薩、今尽十方無碍光如来と言(のたま)えり」となっていますが、聖典では「天親いま「尽十方無碍光如来」と言(のたま)えり。」となっていて、天親に菩薩の文字がありません。つまり親鸞聖人はここでは天親(人)と菩薩を離しておられることになるのですが、これはどういうことなのか。
そして問題です。この「真実功徳相」が俯瞰されるとき、その天親菩薩の「我一心」の眼(まなこ)は諸仏の域を超えていないかということですね。そして、その「我一心」には何が背景にされていたのかということです。
そこで今度は、省略されている部分の後半を見ていきますが、そこには何とかいてあるか「解読文」の方で見ていきましょうか。「もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の中の説である。」と、ここまでが省略されています。
まず、ここには声聞と大乗の違いが書いてあります。声聞の世界は、阿弥陀仏一仏が三千大千世界を包んでいる世界ですね。それに対して大乗の世界は、諸仏が十方世界にあまねく住するという世界です。そしてこの大乗の世界観が諸仏の世界のことになります。
もう少しこの諸仏の世界を開いてみます。すると、諸仏世界とは十方諸仏のそれぞれが自らを輝かせ、その諸仏の輝きとともにかの如来の光明も普く照らしているという、この諸仏と如来の光の関係に、阿弥陀如来の智慧と慈悲を見るという、これは『観経』「真身観の仏」の世界ですが、この「真身観の仏」をもって「仏荘厳」であると、つまり阿弥陀如来だと『論註』にも書いてあります。
だからこの「真身観の仏」が初歓喜地の菩薩における諸仏如来の世界であり、また『論註』の「仏荘厳」で示された「光明無量」だということになりますが、その「光明無量」が行巻では省略されたことになるわけです。
これに対して、天親菩薩の「我一心」は「一心」が主体である。そして「我一心」の眼もまた如来の「いのち光の相」を背景にしているならば、この「我一心」の眼はすでに諸仏ではなく阿弥陀如来の眼に他ならないのではないかと、こういうことになります。
そしてここからが今回のテーマになります。「天親いま「尽十方無碍光如来」と言えり。すなわちこれ、かの光明智相(いのちと光の相)のごとく讃嘆するがゆえに、知りぬ、この句は讃嘆門なりとは。「願生安楽国」は、この一句はこれ作願門なり、天親菩薩帰命の意(こころ)なり。」
前回も讃嘆門でした。今回もそのほとんどが讃嘆門です。だから二つの讃嘆門と、「願生安楽国」の「作願門」が「天親菩薩帰命の意」だと述べられていることになります。で、それでは前回の讃嘆門には何が書いてあるかというと、「いかんが讃嘆する。いわく、かの如来の名(みな)を称す。かの如来の光明智相(いのちと光の相)のごとく、かの名義のごとく、実のごとく修行し相応せんと欲(おも)うがゆえに」と、このようになっています。で、まずこの場合の「かの如来の名を称す」とは称名念仏のことですね。
それでは、今回の「かの如来の名に依って」も同じように称名念仏のことでしょうか。それとも「かの如来の名(阿弥陀如来)に依って、かの阿弥陀如来の光明智相(いのちと光の相)のごとく讃嘆するがゆえに」と読むのでしょうか。
ここに二つの「讃嘆門」がありますが、まず一つ目が称名念仏ですね。二つ目はその阿弥陀如来の名に依って、かの如来の「いのちと光の相」を讃嘆すると、こういうことになると思います。そしてこの二つを「願生安楽国」と言われ「作願門」だとされています。そして「天親菩薩帰命の意」だと顕されたことになるわけです。
『浄土論』でも、また『論註』においても、帰命とは「礼拝門」ですから「讃嘆門」の前に措かれています。しかしここでは二つの「讃嘆門」があり、そのときの「願生安楽国」が「作願門」だと言われていて、そしてこのことが「天親菩薩帰命の意」だと、こういうことになるので、この「天親菩薩帰命の意」には「礼拝門」と二つの「讃嘆門」と「作願門」が同時にあり、そして今回の「讃嘆門」では阿弥陀如来が阿弥陀如来の「いのちと光の相」を讃嘆するということになります。そうすると今回の「讃嘆門」のところは、「天親菩薩の帰命の意」だと言われながらも阿弥陀如来のことをいわれていることにもなるわけです。これはいったいどういうことでしょうか。
そこで、このことを考えるのに、「『浄土論』に曰く」のところまで再び帰らなくてはなりません。「『浄土論』に曰く、➀我修多羅(大無量寿経) 真実功徳相(いのちと光の相)に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり、と。②仏(阿弥陀如来)の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者なし。よく速やかに 功徳の大宝海を満足せしむ、と。」
『浄土論』は「礼拝門」「讃嘆門」「作願門」「観察門(国土荘厳・仏荘厳・菩薩荘厳)」「回向門」の五念門で出来ています。➀は「作願門」の終わりにあります。ここが今回の「天親菩薩帰命の意」であり、(国土荘厳)の「いのちと光の相」つまり阿弥陀如来の浄土に入るときです。②は(仏荘厳)の終わりの部分ですから、阿弥陀仏が菩薩へと出ていこうとするときになるでしょうか。
さて、そういうことになると、今日の話では「天親菩薩帰命の意」とは、阿弥陀如来が「いのちと光の相」へ入の意(こころ)でもあります。で、②の方は、阿弥陀如来が菩薩へ出のときですね。これを菩薩の立場で言えば阿弥陀如来が菩薩へ入のときです。
要は天親菩薩の「我一心」には、天親菩薩において阿弥陀如来から菩薩への入出があるということですね。そうすると、天親菩薩の「我一心」とは、「いのちと光の相」へ入るときに、この阿弥陀如来の菩薩への入があり、このことが「天親いま「尽十方無碍光如来」と言えり」ということである。そしてそれが「天親菩薩帰命の意(こころ)」であり、そのときがまた、この菩薩の「いのちと光の相」へ入のときです。ややっこしいですがこういうことでしょうか。そしてもう一つあります。それは「いのちと光の相」から再び「一心」へと還る出です。では何故、天親菩薩ではなくて天親その人なのか。それはこの菩薩の「いのちと光の相」への入が、ここの主題だらかではないでしょうか。
つまり「一心」は、天親菩薩の「我一心」において、如来の「いのちと光の相」と現じ、そのとき阿弥陀仏は天親の「この身」において如来と菩薩の入出を成就する。そしてこの菩薩は「いのちと光の相」に入り阿弥陀如来を成就して、「一心」は再び普遍のいのちを貫いていくという、これらの入出をもって天親菩薩の「我一心」を顕そうとされたのではないでしょうか。
話が込み入ってきましたので、深読みはこれくらいにして、とにかく先を読んで行きます。
「問うて曰、大乗論経の中に処々に「衆生、畢竟にして虚空のごとし」と説きたまえり。いかんぞ天親菩薩、願生と言(のたま)うや。答えて曰く、「衆生無生にして虚空のごとし」と説くに、二種あり。一つには、凡夫の実の衆生と謂(おも)うところのごとく、凡夫の所見の実の生死のごとし。この所見の事、畢竟じて有らゆることなけん、亀毛のごとし、虚空のごとしと。二つには、いわく、諸法は因縁生のゆえに、すなわちこれ不生にして有らゆることなきこと、虚空のごとしと。天親菩薩、願生するところはこれ因縁の義なり。因縁の義なるがゆえに、仮に生と名づく。凡夫の、実の衆生・実の生死ありと謂うがごときにはあらざるなり。問うて曰く、何の義に依って往生と説くぞや。答えて曰く、この間の仮名の人の中において、五念門を修せしむ。前念と後念と因と作(な)る。穢土の仮名の人・浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。前心・後心またかくのごとし。何をもってのゆえに。もし一ならばすなわち因果なけん。もし異ならばすなわち相続にあらず。この義一異を観ずる門なり、『論』の中に委曲なり。第一行の三念門を釈し竟(おわ)りぬと。乃至」
「解読文」「問う。大乗の経論の中には、処々に衆生はつづまるところ無生(空)であって、虚空のようなものだと説いている。であるのに、どうして天親菩薩は願生といわれるのか。答う。衆生が無生であって虚空のようだと説くのに二種ある。一には、凡夫が思っているような実体的な衆生、凡夫が見ているような実体的な生死というもの、そのような事実はけっきょくあることないもので、ちょうど年老いた亀の甲に毛があると錯覚するようなものでしかないから、虚空のようだというのである。二には、諸々の存在は因縁によって生じているものであるから、とりもなおさず不生である。だからあることがないのは虚空のようだというのである。天親菩薩が願われる生は因縁の意味である。因縁の意味だから仮に生と名づけるのである。凡夫が、実の衆生あり生死ありというがごときものではない。問う。どのような意味で往生を説くのか。答う。この国の人びとの中にあって、五念門を修するという場合、前念は後念に対して因となる、この娑婆世界の人間(因)と浄土の人間(果)とは、まったく同一ではない。しかしまったく異なるものでもない。五念門を修する場合の前心と後心も、またこのようである。どうしてかといえば、もし同一であれば、因果がないことになるし、さればとて異なるなら娑婆の人間と浄土の人間とは連続していないことになるからである。この意味は一異を観ずる論の中にくわしく述べてある。第一行の三念門の解釈をおわる。」
で、この文との間に「解読文」「安楽の意味はあとの観察門の中にくわしく述べられている」が抜けています。そしてこの文が引用されているわけですが、この省かれた短い文言に何が書かれているのかといえば、文字通り、「『浄土論』に曰く」の➀、「作願門」の終わり「天親菩薩帰命の意」で「観察門」の解釈が終わっているということですが、まだ終わるのには続きがあるということでしょうか。
そして「問うて曰、大乗経論の中に処々に「衆生、畢竟無生にして虚空のごとし」と説きたまえり。いかんが天親菩薩、願生と言(のたま)うや。」のところです。天親菩薩の願生とは何か。やはりここは厄介なところでしょうね。阿弥陀仏の眼をもって阿弥陀如来の浄土へ願生する。これはいったいどういうことなのか。
しかしながら、ここではそういう問いにはなっていませんね。それが「衆生、畢竟無生にして虚空のごとし」です。要するに、無生にして虚空のごとき衆生に、どうしてこのような願生の意(こころ)があるだろうか、と、こういう問いでしょう。
それについて「答えて曰く、「衆生無生にして虚空のごとし」と説くに、二種あり。一つには、凡夫の実の衆生と謂(おも)うところのごとく、凡夫の所見の実の生死のごとし。この所見の事、畢竟じて有らゆることなけん、亀毛のごとし、虚空のごとしと。二つには、いわく、諸法は因縁生のゆえに、すなわちこれ不生にして有らゆることなきこと、虚空のごとしと。天親菩薩、願生するところはこれ因縁の義なり。因縁の義なるがゆえに、仮に生と名づく。実の生死ありと謂うがごときにはあらざるなり。」と、このようになっています。引用はまだ続きますが、まずはここまで。
実は、この文はすでにブログ『浄土論註』「作願門上巻」で通ったところです。他にも「教巻における一考察」でも扱っています。ブログでは2022年9月と2024年の9月のアーカイブにあります。よければご一読下さい。そして、これで三回目です。
同じことを何回も話すのはどうしたものかと考えながら読み返してみたところ、へえ、めずらしく上手いことを言っておるではないかと感心しました。ただ困ったことに、そういうことになると、もっと上手に話してやろうかとそわそわしてくるわけですね。
こうなると、もう受け狙いが先になってろくなことがないのは再三経験しております。はてさてどうしたものかと考え込んでいましたが、アーカイブを読んでいただければそれでよいということでもないので、どうなるか分かりませんが、とにかく違う角度から考えて行きたいと思っております。
参考にしたのは2024年9月の「教巻における一考察」の方です。それでは「一つには、凡夫の実の衆生と謂うところのごとく、凡夫の所見の実の生死のごとし。この所見の事、畢竟じて有らゆることなけん、亀毛のごとし、虚空のごとしと。二つには、いわく、諸法は因縁生のゆえに、すなわちこれ不生にして有らゆることなきこと、虚空のごとしと。」から。
畢竟とは「要するに」とか「つまるところ」という意味ですから、凡夫がそれを見ているとき、自分というものがまずあり、その自分がそれを見ているということが起きているということですね。このことが、つまるところ、私が有るということでもなくて、見られているもの(所見)自体もあるということではないと、難しく言えばこういうことかなと思うわけです。
つまり、そこに自分というものがいて、そしてそれを見ていると思うとき、その見ている自分という私は、はたして確かなのか。当たり前すぎて、考えてもいないことが、実はよく見ると分からなくなる。ここで言われているのは、この見ているものと見られているものの関係ですね。見るものとは私です。その私が実際の私自身だと、無意識にそう思いこんでいるということですが、これが「凡夫の実の衆生と謂うところのごとく」でしょう。
そしてダメ押しです。このようなものの見方、つまり今言った「凡夫の実の衆生と謂うところのごとく・・」というようなものの見方もまた、自分がそう考えているのだから、不確かな私が発したものに他ならないと、だからつまるところ、そのような考えも有るというのではない。これが「亀毛のごとし、虚空のごとしと。」です。
何を根拠にこの私なのかはっきりしない。だからよく見ると、見るものと見られているものの関係も何となくそういうふうなだけで、見ている自分が有り、見られているものがあるというふうになっているだけである。こう言われるとよく分からなくなるでしょう。これは私たちの生活で普通に思っていることですよ。それがこのように表現されていることになります。
年取った亀の甲羅に生えているかのごとくあるのは、亀毛ではなくて錯覚である。ではその亀の甲羅に生えたごとき錯覚の正体とは何か。それが実は私だということですから、まぁ納得はされないと思いますが、この「亀毛のごとし」をけっこう上手く言ったなと思ったのが2022年の方のアーカイブでした。
そこで、もう少しこのことを深堀すると、「アプリオリ」という哲学の言葉があります。これはエマニエル・カントの言葉ですが、この「アプリオリ」を自分なりに解釈して話すことになりますから、その点はご了承いただくことにして、話を進めて行きたいと思います。
で、これは「先験的」という意味だと言われます。また「より先のものから」とも言います。現在いろいろと解釈されていると思いますが、まずこの言葉に(そのことにおいて)を付け加えます。すると「(そのことにおいて)より先のものから」とこのようになりますね。そして、この(そのことにおいて)ということが何かということです。
では、この(そのことにおいて)とはいったい何かというと、それは「私のことにおいて」ということですね。つまり「私のことにおいてより先のものから」と、こういうことになります。この「私のことにおいて」がさっき話した「亀毛のごとき」ものですね。そこでこの「亀毛のごとき」私というものがいったい何であり、何処から始まるのかというのがこのテーマになります。
そこで、この「アプリオリ」という言葉がある。つまり「より先のものから」とは、この「私のことにおいてより先のものから」ですから、この私のことにおいて、より先に何かなければならないわけです。そして、この「より先のものから」を位置付けるためには、この「私のことにおいて」と「より先のものから」との関係が明らかにならなければならないと、このようになるわけです。それがこの「そのことにおいてより先のものから」という意味だと思います。
面倒くさいですが、では、この私というものがいたい何かということになるわけですね。もういろんな方がおられるわけですよ。みんな違ってみんないい、なんてことも言われましたね。確かにみんな違うと思う。しかし脳の思考回路としては、そのメカニズムは同じである。ものの捉え方で内容はそれぞれでも、思考回路が同じなら、ではその違いはどこからくるのかということですね。
その人それぞれの心の内容を「 」でひとくくりにして、それを概念として捉える。これを「悟性」と言います。そうすると、人はそれぞれであっても、それは人それぞれの「悟性」であるということですね。だからこの「悟性」には、その人ならではの生い立ちや様々な経験、そしてその人の生活環境などがすべて集約されていることになります。そしてまた、「悟性」には、その人の無意識の領域までもが含まれていることになるので、これまでを「悟性概念」とする。こういうふうに思って入りるわけですが、だから、それは私の心の始まりから今この私までが全部集約されたものです。
しかしながら、この「悟性概念」にも初期段階がなければならないでしょう。イメージすれば白紙のような状態ですが、「悟性概念」に書きこまれる瞬間のようなものでしょうか。これを「純粋悟性概念」と言います。この「純粋悟性概念」において「より先のものから」ということですね。これを「アプリオリ」といいます。簡単に言えば「純粋悟性概念」までが「私ということ」になります。この「純粋悟性概念」までの「私ということ」において、より先のものから何の関係があるのか、と、こういうことです。
お気づきのことと思いますが、「亀毛のごとし」がこの「悟性概念」になるので、仏教ではこの「悟性概念」を有ることなしというのがその立場でしょうか。自己流に解釈すればそのようになりますが、だからこの「悟性概念」を仏教的に表現したら「ただ凡夫」ということになるでしょう。
普通凡夫というのは煩悩が多い者をさして言われますね。大晦日に、百八つの煩悩を清めるための除夜の鐘を突くことになっております。百八つの煩悩で人が出来ているわけではないが、とにかくたくさんありますよということでしょう。それでもたまには良いこともするから煩悩だけで生きているわけではないとも考えたりする。これはこれでそんなものかなとも思いますが、今話しているのはそれとは質が違います。
では、そのときの「ただ凡夫」とは何か。要は私というのものがあるかのごとくしてそれを見ているということ、つまりここでは「ただ凡夫」の意味を意識のメカニズムとして言っているわけです。そして私たちはこの意識のメカニズムから出ることは出来ません。それが私ですから。
だから、私がそれを見ているということに何も不自然さはないでしょう。しかしその私が何かもしらないし、見ているものと見られているものの区別も、私の心の領域内でそういうふうに見ているにすぎないということも知らないし気づかない。しかしそれは私たちにとっては当たり前なのであって、これが普通なんですね。でも、これを「亀毛ごとし」と言うわけです。
そして問題はその次にあります。それが「二つには、いわく、諸法は因縁生のゆえに、すなわちこれ不生にして有らゆることなきこと、虚空のごとしと。」のところになります。ここが2022年の「作願門の上巻」と違います。このときの『浄土論註』の因縁生については、業をもとにして話しております。この私だと思っていても、それは私の業という、生前からこの身に受けた過去を背負った私である。だから今の私からすべてが始まっているのではなくて、自らの業にこの私がいるということ、この業と私の関係を因縁生として話したと思います。
しかしながら、ここで言ってきました「悟性概念」には、このような業という言葉はありませんが、「悟性概念」が無意識の領域も含んでいるので、業における因縁生もまた「悟性概念」になるのだと思うわけです。そこで、この「悟性概念」の初期に「純粋悟性概念」というものがある。では、これはいったい何であるか。カントは直観であると言います。まず真っ先に私に入って来るもの、この直観がある。この直観に「悟性」が働き私の思いが発していくということですね。こういったメカニズムを「悟性」というのかなと思いますが、問題はこの「純粋悟性概念」が私の真っ先にある直観だとしても、この直観を示す場所があるのかということですね。カントは「概念」を通して追及していくので、そういった具体的な場所については述べていないと思いますが、それを勝手にこちらが場所設定しようというのが今日の話です。
そこで、心身にそういう場所があるのかということになりますが、この「純粋悟性概念」とは「アプリオリ」の観点からして、心と言うよりも、心と身体の境界であり、そのどちらかといえば身体の方に属するものではないでしょうか。そしてそこは直観を映す場所でもあります。
この心と身体の境界である「純粋悟性概念」までを、この「私のこといおいて」にするわけですね。だから「アプリオリ」に見た「そのことにおいて、より先のものから」というのは、この「私のことにおいて」の「純粋悟性概念」より先のものからということになります。では、その先のものからに、この「私のことにおいて」以外の何があるのか。カントはそこに「純粋理性」を持ってくるわけです。
「理性」は一般的には「本能や一時的な感情に流されず、物事の道理を考えて正しく論理的に判断する能力のこと」だと、このようになっています。お気づきと思いますが、これは私が思っているところの本能であり、私の感情です。物事の道理を考えるのもこの私です。そしてそれを判断するのも私が判断するわけですね。これ全て私の心の中の出来事ですよ。
その私が不確かである。では何が確かなのか。カントはそこにこのような「私のことおいて」より先に「純粋理性」を現わして、私本来のあるべき姿を追求していったと、このように理解しているわけですが、天親菩薩の願生の立ち位置が、カントでいうところの、この「私のことにおいて」と「純粋理性」の関係に似ているなと考えております。まぁ真偽はともかくとして、続けていくことにしますが。
で、この「天親菩薩、願生するところはこれ因縁の義なり。因縁の義なるがゆえに、仮に生と名づく。凡夫の、実の衆生・実の生死ありと謂うがごときにはあらざるなり。」に言われた「天親菩薩、願生するところ」が、これまで見てきた「天親菩薩帰命の意」でありますあら「我一心」のことですね。その「我一心」がここでは「因縁の義」だといわれていることになります。
「問うて曰く、何の義に依って往生と説くぞや。答えて曰く、この間の仮名の人の中において、五念門を修せしむ。前念と後念と因と作(な)る。穢土の仮名の人(にん)・浄土の仮名の人、決定して一を得ず。決定して異を得ず。前心・後心またかくのごとし。何をもってのゆえに。もし一ならばすなわち因果なけん。もし異ならばすなわち相続にあらず。この一異を観ずる門なり、『論」の中に委曲なり。第一行の三念門を釈し竟(おわ)りぬと。乃至」
「解読文」「問う。どのような意味で往生と説くのか。答う。この国の人々の中にあって、五念門を修するという場合、前念は後念に対して因となる。この娑婆世界の人間(因)と浄土の人間(果)とは、まったく同一ではない。しかしまったく異なるものでもない。五念門を修する場合の前心と後心も、またこのようである。どうしてかといえば、もし同一であれば、因果がないことになるし、さればとて異なるなら娑婆世界の人間と浄土の人間とは連続していないことになるからである。この意味は一異を観ずる論に中にくわしくのべてある。第一行の三念門の解釈をおわる。」
込み入った話は出来ないので二点だけ話すことにします。一つは「往生」ということ。唐突に「往生」が登場します。ここで往生を得るということですね。つまり天親菩薩の願生とは往生のことだと言われています。二つは何故そうなのかということですが、それは五念門を修しているからだということです。
『十住毘婆沙論』で五念門を見てきました。そして初歓喜地の菩薩の「真身観の仏」から天親菩薩の「いのちと光の相」へと、これが初歓喜地の菩薩の前念であり天親菩薩の後念でしょうか。そして「天親菩薩帰命の意(こころ)」とは、前心の娑婆世界の人間(因)と後心の浄土の人間(果)の不異の関係であるから、天親菩薩の願生は「往生」であると、こういう意味になると思います。
そして「第一の行の三念門の解釈をおわる」とは、天親菩薩の「我一心」がいま、「いのちと光の相」へ入るそのときを言われているのではないでしょうか。
行巻その⑧『浄土論』から『論註』への続きとして
令和8年6月7日 永代経法要より 行巻の『論註』として
行巻の『論註』のところを読んでいます。七高僧の五人を挙げられて、「しかれば、南無の言は帰命なり」(親鸞聖人御自釈)にいたるまでをここに説かれていますが、その三人目の曇鸞大師です。
聖教読みというのは、何と書いてあるか現代的に言い直す作業でもありますが、そのためにはその文脈に入って行かなければなりません。つまりそこに目線を合わせるということで、そこから何が見えるか、そしてはたしてそれが合っているのか、間違いなら何処を間違えたのかを繰り返して全体の形を見ていく作業だと思っています。
偉そうなことを言っておりますが、とにかく志は大きく、間違えたら訂正し、そして先を尋ねる。こういうことかなと思います。で、今回は『論註』でも前後に挟まれているところですので、読んで行くのにも前後関係があり、そこだけではもうひとつ掴み処がない部分でもあります。しかしながら、ここを通らなければその先へとはいけません。
そういう意味では大事なジョイント部分ではありますが、難しく考えないで、文脈の流れに沿って一緒に探求し、そしてこの文に秘められた謎を解きかすという、まぁハリソン・フォードの「インディージョーンズ/クリスタルスカルの王国」を観るような気持ちで、気軽に聞いていただければいいかなとも考えております。
で、教行信証には特徴がありまして、その一つに中抜きがあります。今回の『論註』などがその典型ですね。文を省略しながらつなぎ合わせ、またそこからひとつの内容を顕されています。今回は『論註』の初めの部分ですが、そのままを載せてはおられません。幾つも省略され、そしてつなぎ合わせ一つの文脈にしてあります。だから『論註』本来の意味も変わっていることになります。
それでは、いったいそれは何故なのか、そして何を表現されようとしたのか。当然このことがテーマになります。しかしながら、今日のテキストは行巻に引用された『論註』のその途中であり、前後関係があるわけですね。今回は二つの引用文を読むことにしておりますが、前後のつながりがあることになります。
引用文を読んで行くにあたり、聖典と合わせて大谷派から出ています「解読浄土論註」を参考にしながら読んで行きますのでよろしくお願いいたします。それでは一つ目の引用文です。
(聖典の行巻から)「また所願軽からず、もし如来、威神を加せずは、まさに何をもってか達せん。神力を乞加す。このゆえに仰いで告げたまえり。「我一心」は、天親菩薩の自督の詞(ことば)なり。言うこころは、無碍光如来を念じて安楽に生れんと願ず。心心相続して他想間雑なし。乃至」
(「解読浄土論註」」から)「また天親菩薩の願われるところは深く重い。もし如来が不可思議な威力をお加えにならなかったら、どうしてその願いを達成することができようか。だから今、如来の不可思議の力を加えられんことを願って、世尊と呼びかけたてまつったのである。我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは、無碍光如来を念じて、安楽浄土に生れたいと願われ、その心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。乃至」
まず、ここのところは、『論註』の最初のところで、「五念門」とは何かを説明されているところです。で、この辺りは以前にも読んだことがありまして、『論註』「礼拝門と讃嘆門(上巻)」と題して話しております。ブログではアーカイブ2021年12月に記録されています。改めて読み返すともう少し何とかならなかったかなと、そんな事ばかりが気になりますが、とにかくブログのこの「礼拝門と讃嘆門」なども対比しながら見ていこうと思っています。
そこで、興味深いのは『論註』の略し方です。この引用の前後に何が省略されているか。まず、前に省略されているのは、天親菩薩の『浄土論」とは何かを説明されているところで、そこのところが抜けています。天親菩薩その人の説明もありません。
そこで、この引用の始めに「また所願軽からず」とありますね。「解読」では「また天親菩薩の願われるところは深く重い」となっています。しかし天親菩薩がこの文脈から外されているので、「天親菩薩」という主語が抜けている状態です。そこに続いて「もし如来が不可思議な威力をお加えにならなかったら、どうしてその願いを達成することができようか、」と、なっています。
そうすると、この文体の主語がいったい何処にあるのかということになるわけですね。そこでまず考えられるのは、これは『論註』ではなくて行巻の文脈です。そこに『論註』のある部分が用いておられるわけですから、行巻からこの文脈の主語を探さなければなりません。
そうすると、この引用文の前には「無量寿というのは、安楽浄土にまします如来にかぎっての名である。釈迦牟尼仏は王舎城及び舎英国にましまして、大衆の中でこの無量寿仏の名号をもって経の躰(たい)とあきらかにされたのである。後のバソバンズ菩薩は、如来の大悲の教えを身にいただいて『無量壽経』 にもとづいて願生の偈をつくられた」と、このように終わっているので、「後の聖者・バソバンズ菩薩」が、この文脈の主語になるのではないかと考えることが出来きます。
天親菩薩が主語じゃないといいながら、その代わりにバソバンズ菩薩が主語だというなら、結局同じじゃないか。そういわれそうですが、その続きが「もし如来が不思議な威力をお加えにならなかったら、どうしてその願いを達成することができようか。」となっていて、そしてここは「一心」を顕そうとされているところですね。そこで、これに合わせて「解読」の方を言い換えてみると「また(バソバンズ菩薩において、この「一心」の)願われるところは深く重い」と、このようになるでしょうか。これを簡単にしてしまうと「また「一心」の願われるところは深く重い」となって、「一心」が主語になります。
そこで、今度は「バソバンズ菩薩」をこの文脈に入れるとどうなるでしょうか。「また「一心」の願われるところは深く重い。もし(バソバンズ菩薩に)如来が(一心の)不可思議な威力をお加えにならなかったら、どうしてその願いを達成することができようか。だから今、如来の不可思議な力を加えられんことを願って、世尊と呼びかけたてまつったのである。」と、このような読み方になると思うわけです。そこで、そのときの「世尊と呼びかけたてまつった」のは誰でしょうか。バソバンズ菩薩ですか、それとも天親菩薩でしょうか。
そして「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正された言葉である。これは、無碍光如来を念じて、安楽浄土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。」と、続いています。この時点ではバソバンズ菩薩ではなくて天親菩薩になっています。
そこで、ここまでを引用文に戻すとどうなるでしょうか。「また一心の願われるところは深く重い。もしバソバンズ菩薩に如来がこの一心の不可思議な威力をお加えにならなかったら、どうしてその願いが達成することができようか。だから今、バソバンズ菩薩は如来の不可思議の力を加えられんことを願って、天親菩薩となり世尊と呼びかけまつったのである。我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正された言葉である。これは、無碍光如来を念じて、安楽浄土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。」と、このようになるのではないかと思うわけですね。
そこで、では、ここのところを『論註』には何と書いてあるかと言いますと、「我一心とは天親菩薩の自督(督の字、勤なり、率なり、正なり)の詞なり」と、「自督」に(督の字、勤なり、率なり、正なり)と加筆をされている。だから「解読」も「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正された言葉である。」と、こうなっているわけですね。しかし、行巻ではこの「自督」には加筆はなくて、そのまま「天親菩薩の自督の詞なり」とだけになっています。
そこでまず、この『論註』の加筆部分を「解読」では、「勤」はすすめる、「率」はひきい、「正」は正すとされていますね。その中の「率」の字ですが、これには引きこもるという意味があります。そうするとこの「天親菩薩の自督」の意味は、天親菩薩が何かをすすめ、自らは引きこもり、何かを正された言葉だということになるでしょう。
行巻では、その「自督」には加筆はなくて、その代わりといっては何ですが、バスバンズ菩薩の方に、「後の聖者・バソバンズ菩薩、如来大悲の教えを服膺(一升の反)して、経に傍えて願生の偈を作れり」と服膺に「一升の反(かえし)」と加筆されています。『論註』にはこの加筆がないので、「解読」も「後の聖者。バソバンズ菩薩は、如来の教えをこの身にいただいて」と、「服膺して」をそのまま読まれています。
そこでまず、この「一升の反(かえし)」ということですが、調べてもよく分かりませんでした。ただ「一升」とはある一つの器をいうのではないかということですね。そして「反」はそれを超えたもの。そういう気がするのですが、とにかくこの一連の事と何か関連したものではないでしょうか。
それでは天親菩薩がいったい何をすすめ、何をひきい、何を正されたのか。この意味を探ると、その次のところに答えがあると思うので読んでみましょう。「解読」では「これは、無碍光如来を念じて、安楽浄土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないとこをいう。」となっていますが、これは行巻の「言うこころは、無碍光如来を念じて安楽に生れんと願ず。心心相続して他想間雑なし」を、このように「解読」されているわけです。
で、いろいろと言っていますが、つまりは行巻では、主語の「一心」を天親菩薩はすすめ、自らはひきい、そして正されたのですから、その「一心」が無碍光如来を念じて安楽浄土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう、と、このようになるわけですね。
そこで、この「一心」にまつわるものがこの文のどこかにあるだろうか、と、そのように考えたとき、この文の最後にそれがあります。「心心相続して他想間雑なし」です。『論註』では、天親菩薩は、この「一心」をすすめ、自らはひきい、正されて、「無碍光如来を念じて、安楽浄土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き(心心相続して)雑念が少しもまざらない(他想間雑なし)ことをいう」と、「解読」でもおなじ意味になっています。
ところが、行巻では「一心」が主語であって、天親菩薩という主語がない状態なので、この「心心相続して」を「解読」のように「その願う心がかぎりなく続き」とは読めない。こういう問題が出てくるわけです。それではこの心が心へ相続するとはいったい何か。それは主語である「一心」が天親菩薩の「我一心」へ相続することだということになります。
バソバンズ菩薩の我が身において「一心」は「我一心」へ相続し、そこにはじめて「一心」の具体性がはじまる。その時の名を天親菩薩と言う、と、こういうことになるでしょうか。つまり『十住毘婆沙論』の初歓喜地の菩薩のときの名を天親菩薩と顕されたことになります。
ここまでが初めの引用文についての話になりますが、次の引用文の間にも省略されたところがありますので、そこも見ていきましょう。
で、この引用文の後に抜けているのは何かというと、「我一心」の「我」についての説明です。「我ということばには三つの根本的な用例がある。一つには邪見によっていう我。二つには自分を他よりすぐれたものと主張する我である。いまここで我といわれたのは、天親菩薩が自分を指していわれたことばであって、普通一般の用例で我といわれたので、邪見や自分を主張して我といわれたのではない。」ここの部分が抜けています。おそらく行巻では「一心」が「我一心」へ相続することが主眼になるので、『論註』のこの「我」の説明を省いておられるのではないでしょうか。それでは今度は次の引用文に入ります。
(聖典の行巻から)「「帰命尽十方無碍光如来」は、「帰命」はすなわちこれ礼拝門なり、「尽十方無碍光如来」はすなわちこれ讃嘆門なり。何をもってか知らん、帰命はこれ礼拝門なりとは。龍樹菩薩、阿弥陀如来の讃を造れる中に、あるいは「稽首礼」と言い、あるいは「我帰命」と言い、あるいは「帰命礼」と言えり。この『論』の長行の中に、また「五念門を修す」と言えり。五念門の中に、礼拝はこれ一なり。天親菩薩すでに往生を願ず、あに礼せざるべけんや。かるがゆえに知りぬ、帰命すなわちこれ礼拝なりと。しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、必ずしも帰命ならず。帰命は(必ず)これ礼拝なり。もしこれをもって推するに、帰命は重とす。偈は己心を申ぶ、宜しく帰命と言うべし。『論』に偈義を解するに、ひろく礼拝を談ず。彼・此あい成ず、義においていよいよ顕れたり。何をもってか知らん、「尽十方無碍光如来はこれ讃嘆門なり」とは。下の長行の中に言わく、「いかんが讃嘆する。いわく、かの如来の名(みな)を称す。かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、実のごとく修行し相応せんと欲うがゆえに」と。乃至」
(「解読浄土論註」から)「帰命尽十方無碍光如来というのは、帰命は即ち礼拝門、尽十方無碍光如来は即ち讃嘆門である。なぜ帰命が礼拝であると知れるかといえば、龍樹菩薩が阿弥陀如来を讃嘆する文をお造りになった中で、あるいは「稽首礼」といい、あるいは「我帰命」といい、あるいは「帰命礼」と言われている。この論の長行の中にもまた五念門を修すといわれているが、五念門の中で礼拝が一ばんにある。天親菩薩はすでに往生を願われている。どうして礼拝せずにいられようか。だから帰命は即ち礼拝であると知れるのである。しかし礼拝はただうやうやしく拝したてまつることであって、必ずしも帰命を意味しない。しかし帰命は必ず礼拝のすがたをとる。もしこれによって帰命をおもえば、礼拝より意味は重い。偈は意味を解釈するのだから、ひろく礼拝について語っている。偈と論とが互いに呼応して、意義をいよいよ顕しているのである。なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であると知れるかといえば、あとの長行にいわれている。どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名の意義のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心ににかないたいと思わしめられるからである。乃至」
まず、この「解読」のほうですが「龍樹菩薩が阿弥陀如来を讃嘆する文をお造りになった中で」とありますね。ここにある「讃嘆する文」とは何かということですが、行巻に沿って読むならば、この「讃嘆する文」とは、前回の「易行品」の最後に述べられた「偈をもって称讃せん」の「偈文」のことになるでしょうか。
その「偈文」に「このゆえに我稽首したてまつる」と、こういう言葉がでてきます。これを「稽首礼」と読むことができるなら、次のところにある「我いま帰命し礼したてまつる」は、「我帰命」とも「帰命礼」とも読めるのではないでしょうか。
『論註』がそもそも「謹んで龍樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云うわく」と始まるので、『十住毘婆沙論』が基になっているわけですね。だから曇鸞大師が『論註』を顕すのに『十住毘婆沙論』のこの「偈文」を視野に入れておられたことは十分考えられることです。
で、とにかくこの行巻の「易行品」のあとにある「偈文」には、「このゆえに我稽首したてまつる」という文言があるということ、それを「稽首礼」と読めば、「我いま帰命し礼したてまつると」もまた「我帰命」「帰命礼」と読むことになるのだと思います。
そしてその次です。「解読」では、「この論の長行の中にも五念門を修すといわれているが、五念門の中で礼拝が一ばんにある」とされていますね。そこでこの「論の長行」とは何かというならば、本来なら『浄土論』では「解義分」のことになりますから、『論註』では「下巻」のことになります。
しかしこの文脈からすれと、「讃嘆する文」とは龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』の「偈文」のことになるので、この「論の長行」もまた『十住毘婆沙論』の中の長行だということになるでしょう。つまりは「入初地品」「地相品」「浄地品」「易行品」の四品がその「長行」だということになるわけです。この辺りは『論註』と『十住毘婆沙論』がすごく交差するわけです。
そして、もしそういうことなら、この『十住毘婆沙論』の中にも五念門が説かれていることになりますね。そこで「五念門の中で礼拝が一ばんにある」のはいったい何処なのか。『十住毘婆沙論』の一ばんは「入初地品」です。その「入初地品」にこの五念門の礼拝が述べられているこになります。そこで再び『十住毘婆沙論』の「入初地品」に戻ることになります。
『十住毘婆沙論』「入初地品」より
➀「ある人の言わく、「般舟三昧および大悲を諸仏の家と名づく、この二法よりもろもろの如来を生ず。」この中に般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。また次に、般舟三昧はこれ父なり、無生法忍はこれ母なり。『助菩提』(菩提資糧品)の中に説くがごとし。「般舟三昧の父、大悲の母、一切のもろもろの如来、この二法より生ず」と。家に過咎なければ家清浄なり。かるがゆえに「清浄」は六波羅蜜・四功徳処なり。方便般若波羅蜜は智慧なり。般舟三昧・大悲・諸忍、この諸法清浄にして過(とが)あることなし。かるがゆえに「家清浄」と名づく。この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。」
②「世間道を転じて出世上道に入るものなり。「世間道」をすなわちこれ「凡夫所行の道」と名づく。転じて「休息」と名づく。凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死に往来す。これを「凡夫道」と名づく。「出世間」は、この道に因って三界を出ずることを得るがゆえに、「出世間道」と名づく。「上」は妙なるがゆえに、名づけて「上」とす。「入」は、正しく道を行ずるがゆえに、名づけて「入」とす。この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づく、と。」
「入初地品」の初めのところですが、かなり難しい表現をされています。で、まず➀は前回「家清浄」として話しておきました。ご覧の通りにとても難解なので、理解できないところも多くありましたが、それなりに話したつもりです。で、今日は②の方ですね。実はここもお手上げ状態でした。しかし読んで行かなければならない処なのだなとそう感じております。
それでは、ここに何が言われているのか。おそらく「歓喜地」とは何かではないでしょうか。まず「「世間道」をすなわちこれ「凡夫所行に道」と名づく。」と、こう言われていますので、ここから見ていこうと思います。「「凡夫所行の道」が「転じて「休息」と名づく」ですから、言い換えれば「凡夫所行の道」は転じても「休息(くそく)」であるとする、と、こういう言い方もできるのではないでしょうか。
つまり「休息」は仏の境地ではありません。それではこの「休息」とは何かということになるわけですね。そこでまずこの「休息」の理由が、凡夫道は涅槃に至ることがなくて、常に生死を往来するからだと、このようになっています。そこでこの「休息」を「一休み」と読むなら、要は、そこは世間道という凡夫道ですから、地獄・餓鬼・畜生とさまざまなものがうごめいている世界のことですね。この凡夫の世界の激流においても「一休み」する場所をいただく。これだけでも今日のようなストレス時代には有難いし魅力的ですね。まぁ、いつの世も凡夫が生きている世界だというなら、その全てがストレス時代かもしれませんが、しかし単にそういうことだけなら、わざわざここに「休息」と示される必要はないと思うわけです。もっと違う意味が示されているのではないでしょうか。
そこで「凡夫所行の道」が「休息」と名づけられるときに、それは「歓喜地」であるということです。そしてこの「歓喜地」は「出世間道」であり、「出世間道」は、この道に因(よ)って三界を出ることを得るがゆえに、「出世間道」と名づく。「上」は妙なるがゆえに、名づけて「上」とす。と、こういうことになるのではないか。そして次に「「入」は、正しく道を行ずるがゆえに、名づけて「入」とす。」と、このようになっています。
ここをどういうふうに読めばいいのでしょうか。
そこでまず言えることは、ここは「家清浄」の続きだということですね。だから「無量寿の門」が深く関わっているので、ここにおいても、すでに「易行品」で顕された循環する、動的な無量寿の展開の相があることになります。そして「「上」は妙なるがゆえに、名づけて「上」とす。」です。この上下は当然私たちが考える上下のことではありませんね。そして「妙」です。ではこの「妙」とは何でしょうか。調べたら「字義」(こまかく巧みなこと。善美の極致。言い表せないこと。不思議。)と書いてあります。
「主世間道」は「上」は「妙」なるがゆえに、名づけて「上」とす、ということですから、まず「世間道」は「休息」である。そのとき「出世間道」は「妙」なるがゆえに「上」であり、そして「入」である。「この心をもって初地に入るを「歓喜地」と名づく。」と、このようになると思うので、ここに顕そうとされる「歓喜地」とは、「世間道」「出世間道」「無量寿の門」が正しく循環する動的な相を俯瞰されていて、そしてこの相をもって「歓喜地」となし、礼拝門とする。このように「入初地品」を読んで行くことになると思います。
そこでこの辺りをもう少し掘り下げてみますと、この「入初地品」において、その次には「菩薩この地を得れば、心常に歓喜多し。自然に諸仏如来の種を増長することを得。このゆえに、かくのごとき人を「賢善者」と名づくることを得」となっていますので、「入初地品」を前回の続きとして読んでみると「(家清浄のこの)菩薩、(その人の初果に)この地を得れば、心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得。このゆえに、かくのごとき人を「賢善者」と名づくることを得、」となるので、これを今日の時点でまた言い直すとどうなるでしょうか。
「(家清浄のこの)菩薩(である「一心」が、バソバンズ菩薩の初果に)この地を得れば、心常に歓喜多し、自然に諸仏如来の種を増長することを得。このゆえにかくのごとき人を「賢善者(天親菩薩)」と名づくることを得。」と、このような言い換えもできるでしょうか。そして、「一心」は「我一心」へ相続され「世間道」は「出世間道」となり「上」なる「無量寿門」へと「入」る。そしてこの相が「妙」なるがゆえに「上」とす、と、このようになりますが、天親菩薩におけるこの相とは、そのことが俯瞰さた相のことであり、その相(かたち)が「妙」なるがゆえに「上」とすとも読めるのですね。まだよく分からないところです。で、ここまでにして『論註』の話に戻すことにします。
「この論の長行の中にもまた「五念門を修す」といわれているが、五念門の中で礼拝が一ばんにある。天親菩薩はすでに往生を願われている。どうして礼拝せずにいられようか。だから帰命は即ち礼拝であると知れるのである。しかし礼拝はただうやうやしく拝したてまつるこことであって、必ずしも帰命を意味しない。しかし帰命は必ず礼拝のすがたをとる。もしこれによって帰命をおもえば、礼拝より意味は重い。偈は意味を解釈するのだから、ひろく礼拝について語っている。」
『論註』といいながらも龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』に依っていて、「一心」が「我一心」へ相続することがここでは主題になているということですね。当然、そこには天親菩薩の讃嘆門も含まれています。これで二つの引用文の話は終わりにさせていただきます。
行巻その⑦の付録「AIに聞いてみたら」
令和8年3月 春彼岸会 法話より
「教行信証」の正式名は「顕浄土真実教行証文類」といいます。「文類」はいろんな文を集めたものということですから、浄土の真実を顕かにした文類ということになります。説明するのは簡単ですが、読もうとしても読めません。難解だからですが、読みかえがすごくて、その理由もよく分からないのですね。
しかし、それはこちらの立場で読もうとするからであり、親鸞聖人はちゃんと筋を通しておられるわけですから、こちら側との視点のズレがあることになります。だから親鸞聖人の描く文脈をこちらが探らなければなりません。
数百年の間、その作業が続けられています。そこでこの際ですから、自分もその作業に加えてさせていただいて、こうして聖教読みを皆さんと一緒に続けております。はたしてどこまで行けるか分かりませんが、まだ行き詰まってはいないと、自分ではそう思っているのでこうして続けています。
現在、教行信証の行巻を読んでいますが、先に証巻を少し読み、そして教巻から行巻に入りました。今回はその行巻の『十住毘婆沙論』から『浄土論』に入るところです。しかし、こうして聖典を読んでいくと、前後関係が当然出てきます。今回はとくにそれが強くて、前の『十住毘婆沙論』が無視できません。
ブログではそのまま読んでいただければ何とかつながるのですが、ここはある面一発勝負なので、なかなかそううまくいかない。今回の原稿をじっと見ていると、これはいくらなんでもこのままじゃ話にならんだろうと思ったわけです。だいたいにしていつもそういうジレンマはありますが、それでも何とかここまで来ました。しかし、今回はそういうわけにもいかないかなと困っていました。
考えた末、こういうふうにすることにしました。今回の課題から一点だけをしぼり、そこをダイジェスト版でお話ししようと考えました。まぁ予告編みたいのもので、タイトルには「付録」と書くことにしました。
で、どこに絞りこむかということですが、それが資料にあります「『浄土論』に曰く」のところです。
我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり、と。
仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぎぐる者なし、よく速やかに 功徳大宝海を満足せしむ、と。
前回は『十住毘婆沙論』の「易行品」の話でしたが、今回もこの「易行品」が登場します。詳しくはブログに載せていますので、興味がある方はそちらも読んでいただければと思います。そして今日はここのところを角度を変えて話してみようと思いますのでよろしくお願い致します。
それで、この『浄土論』の句の中から「遇うて空しく過ぐる者なし」のところをピックアップしました。どうしたかといいますとAIに聞いてみました。最近はこういうことが出来るんですね。AIは時々使いますが、それでも今回はなかなか面白いなぁと思いました。
それでAIに何を聞いたのか。「人生を虚しく過ぎるとはどんなことだろう」と聞きました。するとAIは答えました。
「人生を虚しく過ぎる」という感覚は、言葉にするのが難しいほど静かで、それでいて重たいものですよね。」すごいですね、これが最初の答えです。そして「それは単に「不幸である」ということではなく、「自分の人生に参加していない感覚」に近いかもしれません。具体的には、以下のような状態を指すことが多いようです。」と、このように続きます。
1)「反応」だけで一日が終わってしまう「自分の意志で何かを選び取るのではなく、降りかかる用事や、SNSから流れてくる情報、他人の機嫌に対して「反応」しているだけで時間が過ぎていく状態です。」(自分の手で舵を握っている感覚がなく、ただ川の流れに押し流されているような感覚です。)
2)「いつか」を待ち続けて「今」が空白になる「「もっとお金が貯まったら」「もっと良い環境になったら」と、本番の人生がいつかどこかで始まるのを待っている状態です。(準備運動ばかりを続けていて、結局一度もコートに立たないまま日が暮れてしまうような虚無感です。)
3)心の動かない「効率」に支配される「無駄を省き、合理的に動いているはずなのに、そこに驚きも感動も、あるいは心地よい疲れすらない。(「何のために?」という問いに答えられないまま、スケジュール帳を埋めること自体が目的になってしまう状態です。)
この1から3までを読んでどう思われますか。理解できるような出来ないような、なんとも言えず、反応しづらいと思いますが、こうやって聞いてみるとAIは日本人の感覚を推し量って言っているのではなくて、世界から集めた情報をもって答えているわけですね。だからこの1から3までの答えがそのままスキット届かないようにも思えます。
それどころか、この123は、自分の普段のひぐらしの姿そのものじゃないかと思われる方もおられるのではないでしょうか。これが何故自分の人生を虚しくするのかピンとこない、と、そういう人もいるかもしれませんね。日本人は協調性が高いといわれています。周りに合わせる習慣みたいなものがあるようで、悪く言えば、閉鎖的な島国根性が基本的にあるとも言われているのではないでしょうか。個人的な主張をあまり出そうとしない。そういうことを考えると、この123の答えが何故そうなのか分からなくなる気がします。
それでは4の答えです。4)誰とも分かち合えない「孤立」「たとえ周囲に人がいても、自分の本音や、美しいと感じたもの、痛みを誰とも共有できないとき、人生は急に色褪せて見えます。「自分がいなくても、世界は何も変わらない」という感覚が、虚しさの正体であることもあります。」
この4の答えは何となく分かりますね。しかしながら、私たちには周囲と同じになることを目的化する人もいるし、まわりと同じ色になっていないと不安な人もいる。でも、それはそれで、ただそのことだけなら自分自身はないのですから、みんなの中にいながらも、その孤独さには気づいている、と、こういうこともあるでしょう。
夏目漱石が言っています。「智に働けば角が立つ」自分の知識を出せば周囲と衝突する。ヨーロッパに留学した漱石は、当時の個人主義を目の当たりにします。その眼(まなこ)に日本人がどのように映ったでしょうか。「情に棹させば流される」だからといって、相手に合わせると流されてしまう。「意地を通せば窮屈だ」。かといって、自分の意思を通そうとすると息苦しくなる。「とかくに人の世は住みにくい」と、当時の日本の世間体を表現しました。
漱石は明治時代、この日本の世間体と近代ヨーロッパの個人主義の狭間で葛藤した人だと言われています。それから百数十年が過ぎました。今の私たちが漱石が見た世間体と個人主義の中で葛藤しているかどうか分かりませんが、この「人生を虚しく過ぎる」の答えの1から3がしっくりこないのは、やはり日本人のこの感覚がどこかで生きているのかもしれませんね。しかし、だからといって昔のような世間体を生きているとか、西洋の個人主義を生きているというのとは違う気がするでしょう。
西洋の個人主義はキリスト教を背景にした個人主義だそうです。日本の個人にはそのようものはないですね。だからといって、じゃあ日本人の個人主義は何だと聞かれても、ちゃんと答えられる人がどれだけいるでしょうか。しかしこの4の答えにある「誰とも分かち合えない孤立・孤独」は、世間体の中であれ個人主義であれ、そのどちらにおいても通じる「空虚感」ではないでしょうか。
そしてAIは最後に「一つの視点」でこう言いました。「「一つの視点」哲学者パスカルは「人間は自分が死ぬことや惨めであることを考えないようにするために、常に何かに没頭し気晴らししようとする」と言いました。もしかすると「虚しい」と感じる瞬間は、その忙しい気晴らしから一瞬脱却して、自分の生に誠実に向き合おうとしているサインかもしれません。」
AIが出したこれらの答えが、そのまま自分に合ったものかどうかは別にして、この「虚しい人生」というものの正体は何かと考えたら、やはりこの誰とも分かち合えない「孤立感」や「孤独感」に見る、人としての「虚しさ」、そして「死」における「孤独」の問題でしょう。世間体や個人主義といった、生活の表層的なのものから、もっと深いところにある、人間の心の芯のところの、この「孤独感」と「死」の問題は、人間の存在性として共通するのではないかと思います。
とにかく、この1から4までがAIが出した最初の回答です。もっと話しましょうと言っていましたが、こちらがすでにオーバーフロウ気味なので止めました。すごい時代になってきたなと思いましたね。
それで今度は「虚しい」と「空しい」の違いは何かを調べました。「「虚しい」と「空しい」はどちらも「むなしい」と読み、内容がない、無駄である、はかないという意味では共通していますが、ニュアンスに違いがあります。「虚しい」は精神的な空虚さや心が満たされない状態を、「空しい」は物理的なからっぽさや努力が無駄に終わるはかなさに使われます。」また「「使い分けとしたら、「虚しい」は「心」「気持ち」が「虚しい」、「空しい」は「努力」「時間」が「空しい」で、「存在そのもの」が希薄な場合は「虚しい」の方を使う」と、こういう答えもありました。
この『浄土論』では「空しく過ぐる者なし」ですから、心の虚しさよりも「空しく過ぎないのだ」というどこか主体的なところがある。それがこの「空しく過ぐる者なし」だと思うわけです。そしてこの「虚しく過ぎない」と「空しく過ぎない」の二つは必ずしも同じではありませんが、繋がっているのではないかということですね。
AI が最後に言った「一つの視点」がありましたね。「「哲学者パスカルは人間は自分が死ぬことや惨めなことを考えないようにするために、常に何かに没頭して気晴らししようとする」もしかすると「虚しい」と感じる瞬間は、その忙しい気晴らしから一瞬脱却して自分の生に誠実に向き合おうとしているサインかもしれません。」
ぼくは「存在の希薄さ」と、AIのこの最後の言葉がリンクします。掴もうとしても掴めず、自分の手からスッと抜け落ちていくうようでいて、しかしいつもそこに感じているような「存在の希薄さ」ですね。この言葉はすごいなあと思いますね。
それで、この「『浄土論』に曰く」と言われ、そして「願生偈」から二の句が載せられています。
我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり、と。
仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし。よく速やかに 功徳の大法海を満足せしむ、 と。
この二つの句は『浄土論』では全く別のところにあります。それを単に二つ並べられて「『浄土論』に曰く」と親鸞聖人は述べられますが、しかしこれだけでは『浄土論』だと言われても意味がとおりません。そしてその句の中に「真実功徳相に依って」とあるわけですね。真実功徳の相ですから、相は姿かたちであり、またその世界観でもあります。厳密にいえば言葉もそうなると思いますよ。言葉ひとつで何か見えたりするでしょう。他人には見えなくても自分には見えたりします。
とにかく、この真実功徳の相は、この「存在の希薄さ」とすごく関係していて、その心の芯の部分を目指して現れてくると思っているわけです。
そこで「仏の本願力を観ずるに」ということがその次に問題になります。私たちは人の「孤独感」や「孤立感」は理解できるでしょう。みんなそれぞれ何処かに持っているのではないですか。だからそれに対して気晴らしや、うさばらしなら出来ると思いますよ。しかしその他に何か出来るでしょうか。
まして、この「存在の希薄さ」などはフトそう感じることはあっても見えない。鋭い感性の持ち主なら見えるかもしれませんが、私たちのような普通の人には見えるどころか、気づかないまま一生が終わる人だっているはずですね。しかし、そこにこそ私たちが真にそして誠実に求めていることがあるということだと思うわけです。
だからこそ、ここに「真実功徳相」を顕すのだということでしょう。そしてこの「真実功徳相」が、私たちには見えなかったはずの「存在の希薄さ」の意味を見せ、そして気晴らしの他になすすべがない「孤独感」や「孤立感」さえ丸ごと見せる。
私の心の深い処にこの「真実功徳相」を顕して、そこに私の心のありよう映し出す。仏教的にいえば「真実功徳相」によって私の煩悩を丸ごと映す。この「真実功徳相」が『十住毘婆沙論』の「易行品」だということでした。
そして「仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし」です。この空しく過ぎないというのは、この仏の本願力を観じて、そしてその本願の本意に遇うことができたということではないでしょうか。相はすがた形のことですから、その真実功徳のすがたである、阿弥陀仏の浄土のすがたに遇うことができたということだと思います。そしてこの阿弥陀仏の浄土である真実功徳相に観た、その仏の本意に遇うて空しく過ぐる者なしです。このように読ませていただきました。
行巻その⑦ 『浄土論』と『論註』の関係について
令和8年3月 春彼岸会より 行巻 『浄土論』そして『論註』へ
・行巻の『十住毘婆沙論』「易行品」のおわりから
「いま当につぶさに無量寿仏を説くべし。世自在王[乃至その余の仏まします]、この諸仏世尊、現在十方の清浄世界に、みな名(みな)を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくのごとし。もし人、我を念じ名を称して自ずから帰すれば、すなわち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得、このゆえに常に憶念すべしと。偈をもって称讃せん。」
これは「易行品」の最後のところですが、その前に問答が載っています。
「問うて曰く、ただこの十仏の名号を聞きて執事して心に在けば、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を退せざることを得。また余仏・余菩薩の名(みな)ましまして阿惟越致に至ることを得とやせん。答えて曰く、阿弥陀等の仏および諸大菩薩、名を称し一心に念ずれば、また不退転を得ることかくのごとし。阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称すべし。」
はじめの「十仏」は、東西南北の四方とその間で八方、そして上下の二方を合わせて十方ということだと思うので、つまりは、中心からの全方位の仏を「十仏」と言われていると思いますが、その「十仏の名号を聞きて」ですから、おそらく『阿弥陀経』の念仏三昧がこのように顕されたのではないかと思います。
そして次に「執事して」です。そのことを心にしっかり保っておれば、阿耨多羅三藐三菩提を退かないのに、どうしてまた、この全方位の仏の外に、仏や菩薩の名があって、阿惟越致(不退転)に至ろうとするのか、と、このような問いになるでしょうか。
つまり、念仏三昧で仏の無上の悟りを退かないでおれるのに、なぜ不退転へと下方修正するのかと、こういう問いなると思います。そして、それについて「答えて曰く」です。
そこでまずこの「阿弥陀等の仏」ということですが、これは全方位の仏の外に見る複数の阿弥陀仏ですから、「阿弥陀等の仏」とこう言われているのではないでしょうか。
「諸大菩薩」については、おそらく観音勢至の二大菩薩のことになるでしょうか。そうすると、この大菩薩を『観無量寿経』「定善観」では第十観と十一観の「観音観」「勢至観」に説かれています。第七観から九観までが無量寿仏。そのあとに観音勢至観が説かれます。『観無量寿経』ですから、心象的に説かれた阿弥陀仏とこの菩薩等をもって、浄土の相(すがた)が顕されているわけですね。その中でも九観の「真身観」は、浄土の相(すがた)というよりも、その相に現れる平等心と大慈悲心を説かれたところですね。
そうすると、これはそれぞれに顕わされた浄土であり、それらの諸仏が、それぞれ恭敬礼拝し念じあう相をもって、無量寿仏の「その名を称し一心に念ずれば、また不退転を得ることかくのごとし」と、このようになるので、次に「阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称すべし」と続いているのだと思います。
そこでまず、この「答えて曰く」のところに「一心」が説かれていますね。この「一心」をもって「阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称すべし」と、こういうことですから、つまりは「一心」は全方位の仏を超えていてその全てに行きわたり、この「一心」において諸仏がそれぞれ名号を称し、阿弥陀仏を恭敬礼拝しているという、そのことに不退転の言葉が充てられていることになるでしょうか。そしてこの不退転をもって「易行品」の最後、さきほど読みました「いま当につぶさに無量寿仏を説くべし」とはじまることになります。
その次が「世自在王仏 [乃至その余の仏まします] 、現在十方の清浄世界に、名(みな)を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくごとし」になりますが、世自在王仏がまだよく分からないので、知ったふりもできず、このままにさせていただく事にしました。
そして次に「もし人、我を念じ名を称して自ずから帰すれば、すなわち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得、このゆえに常に憶念すべしと。偈をもって称讃せん」と、ここで「易行品」が終わります。そこでまず、今回の話はこの最後のところ「偈をもって称讃せん」についてです。
無量光明慧、 身は真金の山のごとし。
我いま身口意をして、 合掌し稽首し礼したてまつると。乃至
人よくこの仏の、 無量力功徳を念ずれば、
即の時に必定に入る。 このゆえに我常に念じたてまつる。乃至
もし人、仏に作らんと願じて、 心に阿弥陀を念じたてまつれば、
時に応じてために身を現じたまわん。 このゆえに我、
かの仏の本願力を帰命す。 十方のもろもろの菩薩も、
来りて供養し法を聴く。このゆえに我稽首したてまつると。乃至
もし人善根を種えて、 疑えばすなわち華開けず。
信心清浄なる者は、華開けてすなわち仏を見たてまつる。
十方現在の仏、 種々の因縁をもって、
かの仏の功徳を嘆じたまう。 我いま帰命し礼したてまつると。乃至
かの八道の船に乗じて、 よく難度海を度す。
自ら度しまた彼を度せん。 我自在人を礼したてまつる。
諸仏無量劫に、 その功徳を讃揚せんに、
なお尽くすことあたわじ。 清浄人を帰命したてまつる。
我いままたかくのごとし。 無量の徳を称讃す。
この福の因縁をもって、 願わくは仏、常に我を念じたまえ、と。妙出
「『浄土論』に曰く」
我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり、と。
仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし。よく速やかに 功徳の大法海を満足せしむ、 と。
龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』から、引き続き天親菩薩の『浄土論』、そして曇鸞大師の『論註』に入ろうと思いますが、「易行品」と『浄土論』の間に、「偈をもって称讃せん」と「偈文」が称讃されています。それが「無量光明慧、身は真金の山のごとし」から始まるこの偈文です。
まず『浄土論』から言いますと、「願偈摠持」の願偈は、「『浄土論』ですから、当然「願生偈」のことです。「摠持」はしっかり心に保てということで、この「願生偈」をしっかり心に保ちなさいという意味になります。
しかしこの行巻には『十住毘婆沙論』の「入初地品」「地相品」「浄地品」「易行品」の四品が説かれていて、「易行品」の最後にも「偈をもって称讃せん」とありまして、偈を「称讃」されているわけですね。
そしてその次に『浄土論』と『論註』に入っていきます。実は、これらは別々に読んで行くものだと考えていました。しかし読んで行くうちに、どうもそういうことではないのじゃないかと思い始めたわけですね。まずはそのまま読んでいきます。
それでは「『浄土論』に曰く」から始めますが、この偈文は『浄土論』の「願生偈」の中の「作願門」の最後と、「観察門」の中の「仏荘厳」の最後の二つの句で出来ています。この句をもって親鸞聖人は「『浄土論』に曰く」とされています。
そこでまず、ここに「『浄土論』に曰く」と言われていますが、どうもこのニュアンスに、この二つの句をもって『浄土論』だという響きを、自分としては考えてしまうのですね。なぜそういうふうに思うのかと言いますと、この二つの句は全く別の処にあり、ただそれを並べただけのものです。だからこの句を並べてみても繋らないし意味は通りません。しかし親鸞聖人はこの二つ句を並べておいて、さぁ『浄土論』だとこう言われているようにも思えるわけです。だとしたら、その理由を探らなければならないわけですね。
そこでまず、この「我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり」のところを、角度をかえて考えてみることにしました。この「我修多羅」の「修多羅」ですね。『浄土論』は『無量寿経優婆提舎願生偈』が正式名ですから、「修多羅」とは『無量寿経』のことになります。しかし「教行信証」では、教巻に「真実の教を顕さば、すなわち『大無量壽経』これなり」と言われています。だからこの修多羅は『無量寿経』ではなくて、『大無量寿経』とするのではないかと思うわけですね。
そうすると、この「我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり」は「我大無量寿経 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり」となるので、その場合の「願偈」とは何かということですね。
「『浄土論』に曰く」ですから、本来なら「願生偈」です。しかし親鸞聖人はこの二つの句をもって「『浄土論』に曰く」と言われていて、それ以外に何も述べられていません。そして先ほども言ったように、この二句は「願生偈」ではつながらず、ただ並べただけです。
そこで、この「願偈摠持」の「願偈」とは何かということになるので、それをこの行巻から見るとすると「易行品」の最後、さきほどの「偈をもって称讃せん」の「偈文」がその「願偈」ではないか。そうであるなら、文脈からすると「我修多羅」の次の「真実功徳相」とは、『十住毘婆沙論』の最後の「易行品」になるのではないかと思うのですね。
この『十住毘婆沙論』は「入初地品」から「易行品」までの四品をもって、初歓喜地の菩薩のことが説かれています。まず初歓喜地の菩薩を「この菩薩」と「その人」の初果の関係で顕され、いわば「初果」を中心にした「その人」と「この菩薩」という人格的な表現をもって顕されました。この人格的に顕された初歓喜地の菩薩が「易行品」で「信方便の易行道」として顕されていきます。
「易行品」には、「この菩薩」と「その人」の関係が、阿惟越致と不退転の関係で説かれ、ついには菩薩の「一心」を明らかにする。その「一心」は無量寿の門よりすべての凡夫へと行きわたり、ふたたび「その人」の初果へと向かい、ふたたび「初歓喜地の菩薩」となる。そしてふたたび無量寿の門へと従っていくとう、このような「一心」から「この菩薩」、そして「初歓喜地の菩薩」となり、無量寿の門を経て「一心」に還るという、この循環の相をもって、立体的な世界観を顕されているということですね。
そうすると、この「易行品」のこの相を「真実功徳相」だと、こう述べられているのではないかと思うわけです。そうすると、「偈をもって称讃せん」の次の「偈文」が、「『浄土論』に曰く」の句にある「願偈」のことだということになりまして、そして「仏教と相応せり」です。そうすると「易行品」のこの「真実功徳相に依って、仏教と相応せり」となるので、「易行品」に観るこの循環する動的な相に依って「仏教と相応せり」とこう言われていることになります。
そこでまず、『十住毘婆沙論』のはじめの「入初地品」に戻りますが、「家清浄」がそのままになっています。せっかくですのでこの「家清浄」のことを少し尋ねてみます。
「『十住毘婆沙論』(入初地品)に曰く、ある人の言わく、「般舟三昧および大悲を諸仏の家と名づく、この二法よりもろもろの如来を生ず。」この中に般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。また次に、般舟三昧は三昧はこれ父なり、無生法忍はこれ母なり。『助菩提』(菩提資糧論)の中に説くがごとし。「般舟三昧の父、大悲無生の母、一切のもろもろの如来、この二法より生ず」と。家に過咎なければ家清浄なり。かるがゆえに「清浄」は六波羅蜜・四功徳処なり。方便般若波羅蜜は善慧なり。般舟三昧・大悲・諸忍、この諸法清浄にして過(とが)あることなし。かるがゆえに「家清浄」と名づく。この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。世間道を転じて出世上道に入るものなり。」
長い引用ですが、「家清浄」をこのように書いてあります。難解なので触らずにいました。勿論今もよく分かりません。しかし概ね述べられているのは「家清浄」を父と母の関係であらわされています。般舟三昧(はんじゅざんまい)が父で、大悲が母ですね。そこでこの「般舟三昧」を調べると「現在の諸仏がことごとく行者の前に立つ」ことだとあります。つまり十方諸仏の現前三昧ということですね。この場合の「十方諸仏」は全方位ということで、これはひとつの視点から見た世界観ですね。
「般舟三昧」は、説明では「行者の前に立つ」となっていますが、この場合は「般舟三昧」が父です。「行者」は当事者のことなので父というわけにはいきませんから、そうすると、この「父」とされているのは何かということですね。「諸仏の現前三昧」を父とするですから、つまりは、この現前三昧という心象的な相をもって父だとこう言われているのではないかということですね。相ですから現れた世界観であり、そのすがた形です。そして母はこの三昧に見る大悲の心である。この心象に、現れずにおれない心を観る。その心である大慈悲心を母とする。この父と母をもって「家清浄」とこう顕されているのではないかと思います。
そうすると、「家清浄のこの菩薩」、「その人」の初果を地に「初歓喜地の菩薩」となり、そして無量寿の門へ従い「一心」へと循環するという、この動的な相をもって「真実功徳相」だということになります。つまり無量寿の門に顕現する諸仏の世界とその大悲心である「家清浄」の「この菩薩」、「その人」の初果を地に「初歓喜地の菩薩」となり、ふたたびこの無量寿の門である「家清浄」へと従い、そして「一心」へと還るのだと、こういうことになります。そして、「(この)仏の本願力を観ずるに 遇(もうお)うて空しく過ぐる者なし」と続いていくわけですね。
そこで、この「仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし。速やかに 功徳の大法海を満足せしむ」の句が、「願生偈」のどこにあるのかといいますと、「仏荘厳」の最後にあります。「菩薩荘厳」へと入るところです。『浄土論』の五念門は「礼拝門」「讃嘆門」「作願門」「観察門」「回向門」です。その中の「観察門」は、まず「国土荘厳」つまり阿弥陀仏の国土ですから仏国土、つまり阿弥陀仏の浄土が説かれていて、その次の「仏荘厳」には阿弥陀仏が荘厳されています。その「仏荘厳」の最後の句になります。
それで、前の「我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり」の方は、五念門の「作願門」の終わりにあって、次の「観察門」へと入るところですね。だからこの二句の間には「観察門」の「国土荘厳」と「仏荘厳」がごっそり抜けていることになります。だからこの二句だけでは『浄土論』は繋がりません。
しかしこれまで述べてきましたが、『十住毘婆沙論』の「易行品」がその「真実功徳相」ならば、その抜けている「国土荘厳」と「仏荘厳」がそこに納まっていることになります。しかし、問題は何故このようになるのかということですね。そこで「仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし」の「空しく過ぎる者なし」というフレーズですが、このフレーズがすごく気になるわけですよ。やはりいつか命は終わるわけですから、自分の命が、この私が、今生きているということが空しく過ぎないというのはどういうことだろうか。そこにどこか胸を打つものがあると思うのですよ。
その「空しく過ぎない」という言葉がこの句にあるわけです。しかしですね,、次に「よく速やかに 功徳の大法海を満足せしむ、と。」ありますが、こちらの方は「易行品」の中でも窺えると思いますね。そうすると、この二つの句では「『浄土論』に曰く」と言いながらも、そのほとんどが『十住毘婆沙論』であって、その中でこの「仏の本願力を観じて 遇うて遇うて空しく過ぐる者なし」のところだけが『十住毘婆沙論』には見当たらないのです。
『十住毘婆沙論』の四品をもって、「『浄土論』に曰く」と言われ、その最後の「易行品」がこの二句に納まっていることになります。言い換えれば『浄土論』の「国土荘厳」と「仏荘厳」がこの「易行品」における動的な相に納まっていることになるわけですね。その中でこの「仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし」のヵ所が、「『浄土論』に曰く」として響いてくるのです。
『十住毘婆沙論』では初歓喜地の菩薩を顕され、その中の「易行品」で「信方便の易行」をひとつの相として顕されました。つまり循環する動的な世界観をもってその相とするとされたことになります。そうすると、そのときの「我修多羅」の「我」とは何かといえば、これは「家清浄のこの菩薩」のことになり、そして「初歓喜地の菩薩」であり、「一心」であるという、この一連の主体をもって「我」とされたのではないかということです。
仏の方と凡夫の方、表裏一体だが交差しない。これは証巻を読んだときにそう感じたわけですが、ずっとこのことがテーマになっています。そして、ここにおいてもまたこの問題が登場することになりました。「家清浄のこの菩薩」とこう言われていますが、この菩薩は仏の領域の菩薩ですから、「『浄土論』に曰く」の二句もまた仏の領域です。その仏の領域において、この「我」は「家清浄のこの菩薩」であり、「初歓喜地の菩薩」である。そして無量寿の門より「一心」であるという、「この菩薩」は仏の領域でありつづけ交差しない、と、こういうことになります。
そしてここから「『論の註』に曰く」に入ります。「謹んで龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』を案ずるに、云わく、菩薩、阿毘跋致を求むるに、二種の道あり。一つには難行道、二つには易行道なり。」と『論註』がそのまま載っていますが、まずこの場合の「阿毘跋致」は「不退転」のことですから、「易行品」では菩薩の「阿惟越致」のことですね。そしてここに登場する菩薩は「家清浄のこの菩薩」」ということになりますから、「この菩薩」は仏の領域の菩薩です。そして「この菩薩」が「その人」の初果を地にして「初歓喜地の菩薩」となる。ここにおいてはじめて、「この菩薩」と「その人」に「一心」の具体性がはじまることになります。そうすると、『論註』の「菩薩、阿毘跋致を求むるに二種の道あり」の内容とかなりニュアンスが違ってくるわけです。
この『論註』の引用文の終わりのほうに「無量寿というは、安楽浄土にまします如来にかぎっての名である。釈迦牟尼仏は王舎城及び舎衛国にましまして、大衆の中でこの無量寿仏の荘厳の功徳をお説きになられ、無量寿仏の名号をもってこの経の体とあきらかにされたのである。後の聖者バスバンズ菩薩は、如来の大悲の教えを身にいただいて、『無量寿経』にもとづいて願生の偈をつくられた。」(『解読浄土論註」より)と締めくっておられます。
この文の「聖者バスバンズ菩薩は、如来の大悲の教えを身にいただいて、『無量寿経』にもとづいて願生の偈をつくられた」のところを、これまでの流れをそのままにするなら、(バスバンズ)天親菩薩は、「家清浄のこの菩薩」、天親菩薩のその身の「初果」を地にして、「初歓喜地の菩薩」となり、「『無量寿経』にもとづいて願生の偈をつくられた」と、このような言い方も出来るのではないかと思うわけですね。そしてここから「我一心」です。
「「我一心」は、天親菩薩の自督の詞なり」と、ここから『論註』に入っていくことになると思います。しかしながら、そうするとですね、「『浄土論』に曰く」と言われながらも、そこには「易行品」の「一心」が顕されていいて、次の『論註』の途中から「我一心」が始まることになるわけです。そしてこの「我一心」においてもまた、「この菩薩」は仏の領域だということですね。つまりは「初歓喜地の菩薩」の「その人」の方、凡夫の領域が抜けていることになります。
しかし、たとえ凡夫の領域が抜けているとしても、「この菩薩」が「その人」の初果を地にするとき「初歓喜地の菩薩」ですから、このことはいづれ顕かになるのではないかと思いますが、まだ途中です。
行巻その⑥ 龍樹(十住毘婆沙論)Ⅳ(後)
令和7年12月 御正忌報恩講より 「易行品」 (後)
前回に引き続き「易行品」を読んでいきます。
「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし。もし菩薩この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし。名号を称すること『宝月童子所問経』の「阿惟越致品」の中に説くがごとしと。乃至」
ここは再三考えた処です。そこでひとつの確認をしておこうと思います。「不退転」と「阿惟越致」という言葉がありますね。この二つの使い分けがここのテーマではないかということです。当然、自分がそう思っているだけですが、考えた末のことですので、ご意見は後程お聞きすることにして、そうことで話を進めていくことにします。
まず「不退転」も「阿惟越致」も意味は同じです。屈することなく退かない意志ということです。そこで、この二つをどのように使い分けておられるのかと言うことですが、不退転は「人」について言われているということ。そして「阿惟越致」は菩薩について使われているということです。このようにして読んでいくことになります。
「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば」の「もし人」とは、文字通り「人」について述べられていて、ここには不退転地と書いてあります。しかし、この不退転地には、その前に不退転があるはずで、その不退転が地に着くことによって不退転地であると、こうなると思いますが、ここではそうはなっていません。いきなり不退転地から始っているので不退転のことは書いてありません。
だから、この文に不退転を付け加えてみます。そうすると「もし(不退転のその)人(が)疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心を持って執持して名号を称すべし。」と読みやすくなります。その次の「もし菩薩」の方もこれと同じようにして、「もし菩薩(その人の)この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当に十方諸仏を念ずべし」と、ここでは(その人の)を加えると読みやすくなります。
恭敬心というのはつつしみ敬う心ですね。執持とは心にとめて忘れないということですから、この「疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし」のことろも、もう少し柔らかくします。そうするとどうなるでしょうか。「もし(不退転のその)人(が)疾く不退転地に至らんと願うなら、(そのことを)つつしみ敬い心にしっかりたもち名号を称えなさい」と、このようになりますね。ここにも(そのことを)を付け加えて読みやすくしました。単に読みやすくなれば正解だということではありませんが、まずは意味が通るように読んでみたらこのようになるのかなということですね。
それでは、ここにある(そのことを)とはいったい何を言っているのだ、と、疑問がでてくるわけですね。これを結論から先にいうことになる訳ですが、ぼくはこの(そのことを)とは(初歓喜地の菩薩のことを)だと考えています。それでこの(そのことを)というのを、この「易行品」には何と書いてあるのかといえば、これは「易の菩薩」の「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」のところになるので、まずは、そういうことにしておいて、この辺りを読んでみます。
「もし(不退転のその)人(が)疾く不退転地に至らんと欲わば、(信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者ありという、この初歓喜地の菩薩のことを)恭敬心をもって執持して名号を称すべし」と、多少ゴチャゴチャとしますが、全部を書くとこうなる訳です。
それでは、ここに登場する「もし人」というのは、いったい誰のことを指しているのかいえば、この「易行品」の場合では、「菩薩の道」の「易の菩薩」のところですから、つまりは初歓喜地の菩薩のことですね。その初歓喜地の菩薩のときの「その人」が、ここで言われている「もし人」のことですから、「その人」とは「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」と言われている「その人」のことですね。
ところが、ここには「阿惟越致に至る者あり」と書いてあります。前に言いましたように「人」は不退転であり、「菩薩」は阿惟越致です。しかしここではそうなっていません。そうすると、ここもまた見直さなければならなくなります。それでは、これをどのように見直せばいいのかといいますと、「信方便の易行をもって(菩薩の)疾く阿惟越致に至る(ことにより不退転の)者あり。」と、ここに菩薩と不退転を加えることで、人は不退転、菩薩は阿惟越致が成立するわけです。勿論これはぼくの独断でありますが、このような読み方になると思っています。
なかなか面倒なところに入っていきます。それで、これを角度を変えると、まず「名号を称すべし」という、この称名念仏の前に少しの時間のズレがあるわけですね。それが「疾く」です。そのズレに「菩薩」は阿惟越致に至り、「その人」は不退転であるということですから、名号を称すべしの前に「疾く」という時間のズレがあり、そのズレに菩薩は阿惟越致に至っていて、(その人)は不退転であるということになります。
そうすると、その次が「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば、この身において(菩薩の疾く阿惟越致に至ることにより不退転の者ありという、この初歓喜地の菩薩のことを)恭敬心をもって執持して名号を称すべし」と、文脈としたらこのようになるかなと思います。しかしここにも不退転地の前に「疾く」という字が付いています。そうすると、ここもまたひとつの特異点があるのではないかということですね。
前の「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」の場合では、「疾く阿惟越致に至る」だから、この「疾く」は菩薩についているわけです。だから「菩薩」が疾く阿惟越致に至るとき「その人」は不退転であると、このようになります。それで、こちらもそれと同じようにすると「菩薩が(その人の)この身において阿惟越致地に至ることを得」たとき、その人も疾く不退転地であると、こういうことですから、菩薩が阿惟越致地に至ることで、(その人も)疾く不退転地に至っていると、一応はこれで納まるわけです。
しかし、菩薩の方は(その人の)この身において阿惟越致地に至ることを得、「阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当に十方諸仏を念ずべし」と続いていますので、この「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば」のところは、この菩薩が阿惟越致地に至ることで(その人が)不退転地に至るのではなくて、この菩薩が「阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」までをもって(その人の)不退転地であると述べられていることになります。
そしてこの「疾く不退転地」の「疾く」は、不退転だから(その人)に付いていて、この「(菩薩の)阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」のところまでをもって(その人の)不退転地であるということになっているので、そのときの時間の短さをここで「疾く」と言われていることになるでしょうか。つまり「名号を称すべし」の前後に、菩薩と人に「疾く」という時間のズレを顕されていることになります。これがどういうことなのか面倒な話になっていきますが、ここのところはひとまずこの辺で終了することにします。
「西方の善世界の仏を無量明ろ号す。身光智慧明らかにして、照らすところ辺際なし。それ名を聞くことある者は、すなわち不退転を得と。乃至」
啐硺同時という言葉があります。ヒナが殻から生れ出るときに、親鳥がそこを突いてヒナのいのちを生み出す。こういういのちの誕生をいいますが、初歓喜地の菩薩において、「人」は「不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし」です。「菩薩」はその人の「この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」です。この「不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし」の(その人)と、「阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」の(この菩薩)に、「西方の善世界の仏を無量明と号す」と「無量寿の門」は開いているということでしょうか。
「過去無数劫に仏まします、海徳と号す。このもろもろの現在の仏、みな彼に従って願を発せり。寿命量りあることなし。光明照らして極りなし。国土はなはだ清浄なり。名を聞きて定んで仏に作らん、と。乃至」
― 私という存在がどこか底が抜けていて、深く暗い海に漂っている感じがある。しかし、この得体の知れない不安が、実は自らの身体からだと知ったとき、私の心の全てが、この身体に浮かぶ小島のようなものだと分かった。今このことを想い、この心が何処から来たのか、自らの心を静かにして身体にそれを感じてみる。すると、私の身体には、過去からの無数の人たちがいて、その人たちは、この深い闇の中で、それぞれに自らを輝かせ、まるで仏のごときであった。―
「過去無数劫に仏まします、海徳と号す」を、善導大師の『観経疏』「水想観」と「瑠璃地の下」をもって、自分なりにアレンジしました。前回でも言ったように、不純物がかなり混ざっておりますので、確かな内容かどうかは疑わしいわけですが、それでも何とかそれなりにはなっているかなとは思っています。勉強の途中でありますので、いろいろと教えていただければ幸いです。
それで「瑠璃地の下」は私の身体の過去の意味ですね。つまり我が身体に見た深い過去です。この身体の海徳から発するもの、これを「海徳と号す」と言われていることになりますが、この「号す」ということ、これはその「海徳」に見る「いのちの願い」だと、そういうことだと思っています。これを善導大師は「生きんとする意志」だと言われます。
そして今、この深い闇に漂うその他の小島もまた、実はそれぞれの海徳に漂よう現在の仏たちであると気づいたとき、無量寿の門はその全てに開かれていた。そしてその全ての海徳から、彼の「無量寿の門」に従って願いを発しているのだ、と、このような解釈になります。
「問うて曰く、ただこの十方の名号を聞きて執事して心に在けば、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を退せざることを得。また余仏・余菩薩の名ましまして阿惟越致に至ることを得とやせん。」
「十方」とは、東西南北で四方、その四方の間を足して八方。それに上下を合わせて十方。私の全方位ということでしょう。「この十方の名号を聞きて」は、私の全方位の仏が名号を聞く姿を、心にとめて忘れないなら、それが阿耨多羅三藐三菩提を退かないことを得、また余仏・余菩薩が阿惟越致に至ることになるのだろうか。表現が難しいので自分なりに訳していますが、こういうことかなと思います。
「答えて曰く、阿弥陀等の仏および諸大菩薩、名を称し一心に念ずれば、また不退転を得ることかくのごとし。阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称すべし」
ここでは「一心」について話すことにします。この「一心」とは何ぞや、ということですね。海徳から私をして無量寿の門に従い、凡夫がこの不退転地に至らんと願う心を、こうして「一心」と言われています。この「一心」が、もし心身から発せられるのであれば、それは私一人の問題であります。しかし、心身から骨体へと徹入するとき、この「一心」は心身から外へととき放たれ、無量寿の門はその全てに開かれていることになるわけです。そのとき「一心」は、その全ての海徳から発せられているのだということでしょう。
してみれば、この「一心」とは私の心身以前のことであり、身心からとき放たれた「菩薩」の心だということになるでしょうか。この「菩薩」の心は、その人の初果を地にするとき初歓喜地の菩薩となり、その「人」の不退転地とともに阿耨多羅三藐三菩提を成らんと、十方諸仏を念ずる心です。このことを「恭敬心をもって執持して名号を称すべし」と言われているのではないでしょうか。
この「易行品」については、「信方便」が常にテーマにありました。自分なりの予測も一応ありましたが、どうも当てはまらなかったようです。こういうことはよくあるわけですが、しかしそれも聖典を読むときの醍醐味でもあります。そこで、この「易行品」を終了するにあたり、改めてこの「信方便」について少し感想を述べてみることにしました。
この「信方便の易行」とは、それは、「仏法に無量の門あり」から「乃至」で連なりながら、「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば」へ、そして「菩薩の阿惟越致地に至ること得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当に十方諸仏を念ずべし」となり、「西方に善世界の仏を無量明と号す」が、「過去無数劫に仏まします、海徳と号す」と続いていくこの一連が、初歓喜地の菩薩とともに循環される「信方便の易行」の道であったということです。そして「問うて曰く」から始まる問答は、その菩薩の心である「一心」を顕かにし、その「一心」が心身からとき放たれたとき、菩薩の心は、全ての凡夫の「世間の道」に満ちていて、その全てに無量寿の門は開かれているのだと、そういうことではなかったかということでした。
ブログに関するご質問
「易行品」を書き終えて
一年をかけて龍樹の『十住毘婆沙論』を書き終えた。予定通りに進んで良かったと思う。不明な点は多々あるが、少しは前に向かっている気はする。ところで、この「易行品」を書き終える頃にはちょっぴりと使命感さえあった。おかしく思われるかもしれないが正直そういう感覚である。そして今、この親鸞の顕す『十住毘婆沙論』を終えて思うことは、現象と事実ということである。言うなれば、宗教における一個人の現象とその事実関係ということになるだろうか。純粋現象の意義は大きいが、事実は一個人の現象を超えている。この大きなテーマがあったのが嬉しい。そして龍樹の『十住毘婆沙論』「易行品」を書き終えて思うことは、これもまたひとつのハードルであったということだ。次のハードルに向かって新年が始まる。親鸞は飽きない。
「教巻への一考察」についての感想
「教巻への一考察」をブログに載せてしばらくが経った。書いた直後はあまり見たくないのでそのままにしておいた。読み返すと(いつものことだが)表現の至らなさと内容の乏しさを痛感する。いまさらではあるが、少しばかりこの「教巻への一考察」についての経緯を述べてみようと思う。まず、この「大」と「無量寿」の関係を、それもやや無理やりであったが、ア・プリオリの概念と結び付けた。これは証巻にときにカント(ドイツ観念論)を意識していたので、それならばと、教巻においても同じことが言えるだろうということでア・プリオリの思考を用いた。結果意外なことに変換が必要になる。そしてその変換が観経における浄土と阿弥陀仏の関係を思い起こさせたのは意外だった。カントが親鸞を知っていたとは考えにくいし、もし知っていたならこの変換も必要がなかっただろう。そして親鸞がカントを知っているはずはない。親鸞とカントとの関連は謎のままである。
次に親鸞の語句の読み変えである。意図的な読み変えなのは間違いない。後程この問題は現れてくる気がするが、釈尊その人という具体性がおそらくキーワードではないかと思っている。ブログにもそれを思わせぶりに書いたつもりである。
証巻 正定聚について その② 曇鸞における自性清浄浄土の定義としての考察
エトムント・フッサール著『イデーン』Ⅰ―1 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想
第一巻 純粋現象への全般的序論 渡辺二郎訳
第三章「純粋意識の領域」
第四十八節 「われわれの世界を離れてその外にある世界というものの、論理的可能性と事象的背理」
『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門の編集後記
『論註』に興味のない人にはつまらないものになったかもしれません。引用文が長いのでそれだけで目を通したくなくなりそうなものでもあります。法話としてかなり無理な試みではありますが、この讃嘆門は以前からクリアしたいところでした。当の本人はというと、けっこう満足しております(笑)。問題点は多々ありそうですが、目下のところはこの程度だろうと一息付けた感じです。しかし、少し時間が過ぎて改めて見直した時に、のっぺらぼうな文章が羅列されているだけのようにも感じました。解読としたら、現時点ではこれ以上のものは自分にはありませんが、法話としたら及第点にも至っていないでしょう。ここで一点だけこの讃嘆門を説明したいと思います。三信三不信の問題でありますが、このヵ所は前日まで書けなかったところです。原稿を構成する暇もなくて、法要の当日に加筆し訂正したところもあります。意味そのものが分からずに戸惑っていたときに、これは付け加えられたものだという思いが飛び込んできました。実感としたらそういったものです。実相身為物身の問題はわりと早くから想像はついておりましたが、三信三不信はそこに付け加えられたものだという発想そのものがなかったのです。考えて見れば、「我一心について」で述べたものがここに出てきただけですが、当の本人はそれにぜんぜん気づかずに悪戦苦闘していたわけです。『論註』はすごく難しくていったいどこまで行けるのか分かりませんが、もう少しだけなら行けるかもしれない、そういう感覚で次回も考えております。のっぺらぼうの文章も悪戦苦闘の末にできた荒れ地の跡である、と想像していただければ幸いです。
観経疏の発菩提心に思う事
本来はこういう発菩提心を話す予定ではなかった。この散善顕行縁はどこか素通りしていたので、こういう壁が有ったことが自分としては驚きだった。分かったつもりで過ぎた処にかなり苦しめられて、結局この発菩提心が主題の原稿となった次第である。最後のヵ所は何回も書き直した場所だ。まだ消化不良の多い所であるがひとまず結論的に置くことにした。親鸞聖人が比叡に居られるころに観経疏はすでに読破されていたと考えるのはかなり前からである。ただ、この原稿が法話として成立するかどうかと考えた時に、ずいぶんと乱暴な原稿だなと思う。もっとざっくばらんに書きたかったなあ。
(自灯明・法灯明)と念仏についての考察
この「(自灯明・法灯明)と念仏」は、聖覚法印の『唯信鈔』を意識して、曽我量深選集の歎異抄聴記の第二条を述べたものである。選集第二条における法の引用文をもとに『唯信鈔』を現代タッチに表現しようと思った。理由は、歎異抄第一条と第三条を続けて構成しようとしたら失敗した経緯があり、この第二条は別の角度からのアプローチが必要だと考えたからである。法の深信とは自己規定を法から示されるものなのかもしれない。また規定として示すとは、法との関係において示すのであり、いうなれば関係性という形である。それに対して機の深信は、法との関係によって現れる自己の深まりである。深まりは動詞であり、深まりつつある自己の姿を現すのだろう。第一条からいきなり第三条へと飛べない理由が、この法との関係を前提にしなければ困難だからだと思ったからである。それを『唯信鈔』をもって表そうとしたわけはまだ自分でもよく分からないところであるが『唯信鈔』が元来そういうものだということなのだろうか。しかしながら当初からそいう事を考えて原稿を作成したわけではない。後から考えたらそういうことじゃないだろうかと思っているだけだが、布石という理由で、ひとまず初めに措いておこうとしたのは確かである。
歎異抄第3条の編集語録
彼岸会での原稿を纏めていたら後半が煩雑になっていることに気がついた。意識とこころ、こころと無意識、身体と無意識。不明なことが多い中で話を進めるのが難しかった。なんとか自分なりに纏めたつもりである。法蔵菩薩の問題は第3条から登場するのはある面必然的だと思うので付け加えている。
「気遣い」と「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを」
「不安」編ではハイデガーの『存在と時間』について自分の所見を書いてみた。そこにおける気遣いは、親鸞における善悪の問題と共通点が多い。正像末和讃で「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがほは おおそらごとのかたちなり」と親鸞は述べている。この「よしあしの文字」だが、これを「気遣い」と「不安」の関係に見るなら、それは「気遣い」における意識関係の前後になる。無に対して「不安」「居心地の悪さ」から発して何かを気遣うまでの過程を気遣いの前後とするなら、親鸞における「よしあしの文字もしらぬひとはみな」は気遣う前の段階である。それはハイデガーにおいては、そこにあるのは「不安」における心の動きだけであって、気遣う処の具体的な内容は無い。これをもしこの和讃に当てはめるなら、それが「まことのこころ」であり、ハイデガーでは身体的な機能に属する意識のあり様ということになる。そして「善悪の字」は気遣う内容を言葉にしたものだろうから、それは何かを意識するということであり、「善悪の字」は「気遣い」として見ても「おおそらごとのかたちなり」なのだ。共通するものは他にも多く見ることが出来るかもしれない。だからと言って全てが同じだということでもないだろうが。そしてすでに十数年たっているのでかなり忘れしまった。こういう論理的な構築は様々な所見の取り扱いに対して目安になる事があるのでとりあえず書いておくことにした。