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二つの向こう岸
平成17年3月 彼岸会より
お彼岸と言いますとまず思いつくのはご先祖さんが帰ってくる日です。お盆や正月もそうです。正月の方はもともとは村の氏神のお祭りだったそうです。産土神(うぶすながみ)と言って、村の小さな共同体の祭りであり、先祖神のお祭りだったと言って良いのでしょう。この正月の行事が全国に広がり、現在のように全国の神社仏閣に初詣をするようになったのは江戸時代からだと聞いています。
大晦日の夜を除夜と言いますが、この除夜から元旦にかけて寝てはいけないと言われてきたそうです。理由は古くから正子(夜の12時)を過ぎると、村の鎮守に参詣して実り豊かな新年を祈願する習わしがあり、五穀豊穣を祈ったわけです。五穀とは米・麦・栗・豆・黍(きび)の事を言うそうですが、この五穀は当時は生活の基盤ですから、五穀豊穣は村の死活問題でありました。
これが江戸時代になると、村の小さな共同体の枠から飛び出して、一般庶民が様々な寺や神社にこぞって初詣へ行くようになりました。そしてこの初詣が広がるとともに無病息災などの祈願が加わったと言われます。初詣が盛んになるにつれそれ以外にいろんな祈願が混ざり、次第に祈願の内容よりも、とにかく初詣をすると何か良いことがあるかもしれないと、本来の意味から初詣そのものが目的になり、新しい年を迎える新鮮さを感じ取るようになったと言わる方もおられます。いわばレジャー感覚に変わったということでしょう。
しかし、レジャーと言えば響きが良くありませんが、その当時の初詣は時代のトレンドであったわけですから、娯楽感覚だったということも言えるのではないでしょうか。これは江戸時代の時代状況が安定してきたことでありますから、以前よりも生活全体に少し余裕が出たことでもあります。現在の正月の初詣にそういう江戸のパワーを観ることは出来ないようですが、少なくとも江戸時代の民衆パワーはそれまでの村の氏神のお祭りを、初詣という全国規模の一大行事にまで変えていったことになります。最近「心の豊かさ」という言葉が使われていますが、その江戸当時として見る「豊かさ」には何か次のものに繋げていくというような、そしてできればより良きものへと繋げようとしたパワーを内に秘めたものではなかったかと思う時があります。
それではお彼岸はといいますと、この彼岸とは仏教の言葉です。向こう岸という事ですが、向こうの世界であり、覚りの世界です。この向こう岸に対してこちらを此岸といいます。娑婆(しゃば)世界とも言います。娑婆とは煩悩や苦しみが多い世界の事。そして同時にお釈迦様がお救いくださる教化の世界と言われます。言い換えれば、私たちの煩悩や苦しみを目当てにしてお釈迦様が救いとる世界。それを娑婆世界というふうに言っております。
実はこのお彼岸が一般的な習慣として現れるのも江戸時代だと言われます。お彼岸は家族でお墓参りをしてご先祖様を敬う日です。江戸時代から始まり現在もしっかりと続いております。文化という言葉は、私たちは日常ではほとんど使いません。普段の生活が文化だと思って生活してますか。この文化という意味を辞書で調べてみると「社会を構成する人々によって習得、共有、伝達される行動様式の総体、世代を通じて伝承されていくもの」と書いてあります。そういう堅苦しく考えて生活しているわけじゃありませんから自覚はないけども、日本人の文化であることも事実です。だからお正月の初詣も、お彼岸のお墓参りも、江戸時代という時代安定期に始まり現在まで脈々と続く、日本人の立派な文化であると言えます。
しかし、考えるとこの正月と彼岸会は少し違います。お彼岸には正月のようないろんな祈願が混ざっていない。亡くなった人や先祖を敬い、故人に出会い、思い起こす、こういう事が中心の行事です。私たちは楽しい時ばかりでお墓参りはしないでしょう。そういう面では自分が生きて行くということと関係させながらお参りをされています。今は亡き親や夫、妻、子供、近しい方々、そういう人達との関係を思いながらのお参りです。そういう人生の重さや人との繋がりを考える。こういう命のつながりを亡き人においても感じていくことは日本人として尊いことだと思っています。そしてまた、こういう私にとっての向こう岸への思いが、より私を超えたいのちの深さ、尊さ、広さという仏の世界に出会う場所にまでなれば、本当の意味での仏教を背景にした日本人の文化になったのだとも思います。
仏教と言いますとインドが発祥の地です。現在のインドは仏教徒の人口は少ないそうです。大半がヒンズー教です。このヒンズーとは大雑把な地域の名称だそうで、西洋人がインダス川の向こう側に住んでいる人々をヒンズーと呼んだと言われています。インドに生れ住んでいる人の総称でしょう。そこには仏教徒もなくイスラム教徒もない。キリスト教もありません。そういう特定の宗教に属さない人々を称してヒンズーと呼んでいるそうです。だからヒンズー教とは永いインドの歴史に培われた生活様式や社会習慣全体ということで、開祖が誰という事なく経典もない。昔から受け継がれ言い続けられたインドにおける「インドのこころ」のことをヒンズー教と呼ばれているそうです。バーラト・マータ(母なるインド)寺院というヒンズー教の寺院の本尊は、大理石で造られたインド全土の立体地図だそうです。言うなればインド民族の総称を宗教とするものでしょうか。
ガンジス川の沐浴はご存じだと思いますが、沐浴においてべナレス(バナーラス)という地は死ぬまでに一度は訪れたい聖地だそうで、毎年の沐浴者は百万人にのぼると言われます。この聖地の水で沐浴すれば今までの罪が清められる。またこのベナレスで死んで火葬された遺灰をガンジス川に流せば、苦しみの輪廻の世界から解脱すると信じられているそうです。ある日本人の記者が臨終を前にした親子を取材させてもらったそうですが、その取材の返答は誇らしげだったと書いています。親の天寿を全うさせるために10時間かけて家族一同でベナレスまで連れてきたのです。家族で天国に送り出すことが最上の親孝行であり誇りだそうです。
このベナレスの沐浴が最も神聖だと言われる所以は、この地がガンジス川で唯一川の流れが南から北に向いている処だからだそうで、イメージとすれば天に上る場所なのでしょう。そして沐浴はガンジス川の西側だと決まっています。そして火葬は修行僧、妊婦、5歳以下の子供は出来ない。だから水葬にされるそうです。また、火葬はお金がかかるので費用がない人も出てきます。そういった人も水葬だそうです。それらの遺体は2~3日すると向こう岸に流れ着きます。だから向こう岸に住んでいる野良犬はよく太っているそうです。
ここに天に上る向こう岸とガンジス川の向こう岸があります。近年の日本においては「死ねば死に切り」「死んだら終わり」というような言葉がありますが、そこに見えるのは命の切り捨てのような気がします。以前ある先生が、お父さんの葬式について、火葬での思いにこういうことを書かれています。
亡くなられたお父さんの遺骨は脆く頼りなげだった。その時に「要するに、こういう事だな」そんなセリフが頭にあふれていた。「しかしそのうち、次第に白骨の方が大変確かな存在として迫ってくるのを感じました。周囲に集まっている生者の方が、なんとも頼りなげなのです。」そこに白骨の姿を事実として受け止められない、うろたえる自分の姿に気づいたそうです。そうすると「ここから、この俺の白骨から、もう一度、お前のしてることを眺めなおしてみろ」とお父さんの声を聴いた思いがした。「そしてその声とともに、それまで一大事のごとく思っていた多くが、小さなものに思えてきた。」と言われています。
私はこの先生の「要するに、こういうことだな」という言葉が、先ほどのガンジス川の向こう岸の情景と重なりました。それこそ命の切り捨てであります。そしてこの向こう岸から見たベナレスの沐浴は人生の最高の場所としてにぎわっています。その数百メートル離れた岸では野良犬が餌を探している。この二つの情景が重ならない。そして私たちの観る景色は、この向こう岸の野良犬の餌になった死体だけを観てしまっているのではないだろうかという思いです。しかしもう一度ベナレスの沐浴に思いを戻すと、また違う景色が浮かび上がります。それは修行僧、妊婦、5歳以下の幼児は火葬できないという事。中夭(ちゅうよう)と言いまして、中倒れ、辞書では「人生の途中で死ぬこと、思いがけない災難」とあります。修行僧はまだ僧になれない身です。妊婦は母になり切れない。五歳以下の幼児はインドでは人になり切らないということでしょうか。こういう中夭は火葬しない。つまりベナレスで臨終を迎え火葬されて遺灰をガンジス川に流すことは、苦しみの輪廻の世界から解脱することです。ですから、それは大いなるいのちに還ることです。つまり中夭はまだ還れません。だから出直してきなさいという事ですね。そういう思いが脳裏をかすめます。人生の区切り方が単純で分かりやすい。そう思って向こう岸を眺めれば、この沐浴の情景と野良犬の景色の両岸が次第に重なってきます。
ずいぶん前になりますが、教育テレビの「宗教の時間」で仏像の彫り師が出演されました。その時の言葉を一つだけ覚えていますが、「仏像を眺めていると、この作者はここのところを苦労したなと会話ができる。」こんな感じの言葉です。仏像の彫り師だからできる彫り師同士の出会いと会話でしょう。こういう出会い方があるのだなと思いましたが、親鸞聖人も法然上人と本願の中で出会われた。そして法然上人において出会われた本願において、また様々な人とも出会われていきます。こういういのちの連続性を具体的な人間のつながりの中で見て行かれたのだろうとも思います。こういういのちのつながりがなければ「死ねば死に切り」だけで、それこそガンジス川の向こう岸の情景が、ただ不気味なものに見えるだけではないだろうか。
親鸞聖人の教えとともにそこにある歴史観を私たちは学んでいくのですが、そこに何が見えるのかと言うならば、親鸞その人ということでしょう。親鸞その人としての歩みであります。「信不具足」といいまして「道あるを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず」と、こういうお言葉があります。そこに道があることにうなずけても、その道を歩いている人と出会えなければ観念にすぎない。そこに具体的に生きた人間に出会っていくこと。そういう出会いの歴史観でありますが、親鸞聖人は法然上人はもちろんのこと、その出会いをインド、中国、そして日本の高僧とも出会って行かれた。その出会う場所が本願であります。この本願において親鸞聖人がどういう出会いをされたのか、これが私たち真宗門徒である者の最大の関心ごとではないかとも思っています。私たちの向こう岸は、この本願においての出会いであり、そしてそこを歩んだ人との出会い、そういう信心と伝承にあるのではないかと思っている次第です。
コロナに負けるな「不安」編
2010年 その他の原稿から
気がついたら老人でした。気持ちは違いますが、年齢はすでに老人です。証拠もあります。よく老後の人生を考えています。老人になって老後を考えるのは手遅れ気味ではありますが、だいたいがそういうものではないでしょうか。後どのくらい生きるのだろうか。いい人生設計はあるか、できればいい人生でありたい、生きがいがある老後でありたい、などなど・・。
新型コロナウイルスはこの定まっていない老後の人生設計に、新たな課題を、それも強引に付け加えました。それはいかに生き延びるかです。死に方ばかりが気になる老人に、いかに生き延びるかという意義をいやおうなしに押し付けてきたのでした。でも考えてみれば、昔々の人々はこのいかに生き延びるかは最初から生きる前提条件だったはずでした。そんなこんなでまだ老人になる少し前に書いた原稿を見つけだしてみました。もし老人自粛でお暇でしたら読んでいただければ幸いです。若い方も歓迎です。
「不安」という不気味さ。面白い表現です。この不気味さは「居心地の悪さ」という意味でもあるそうです。「脅かし」という不気味さ。これについては様々な対応が考えられますが、こちらの力量が足りませんので一つひとつ取り上げて説明することが出来ません。ただ、人間が辿ってきた歴史は、この周囲からの「脅かし」を心配して、どのような対応が営まれてきたのかその結果でもある、ということは言えないだろうか。国家、民族、文化をそこに描くことが出来そうな気もします。人間の心の動きはそれぞれが違うものだと思われそうですが、こういう観点から観たら特定な方向性が見えてくる。これをハイデガーは気遣いという言葉で表現してます。そして私たちが普通に気遣うのと同質であるともいうのです。
「不気味さ」を背景にして心が動いているのなら、どのような動きとして働くのか考えると思いつくものがあります。それは「集める」ということです。お化け屋敷に何人かで入ると、気づいたらみんなが密になっていた。ギャー、ワーと叫びながら同じ場所で密になる。誰が集めたわけじゃないのに集まる。それは怖さや「不気味さ」が集めるのです。人間関係もこういう「不気味さ」に対する心の動きによって私を動かす。そう考えると身近なものになります。そして私たちの生活現場である様々な関係においてもこの「不気味さ」がいつも顔を出している。こういったことを考えながら生活する人はあまりいないと思いますが、それでも普段とは違った風景がそこに現れることでもあります。皆さんがいろんなところで気遣う背景には、こういう「不気味さ」を背負っておられる。
そういえば背後霊なども、こういう感覚を昔の人が何処かで感じていたからかもしれませんよ。外では蝉も泣き出したようですから、サービスで涼しくしました。で、ハイデガーはこの気遣いをとおして人間の心の動きやそこに現れる現象を分析した人です。
「居心地の悪さ」は何処からくるのか。それはその場に対する不気味さであるという事になりますが、だからといってその場所が不気味で居心地が悪いということじゃありません。何故なら気遣いは居心地を良くしようと動くのですから、それではこの「居心地の悪さ」は居心地が良くなる前の状況になります。しかしそういう状況の前後を言っているのではありません。私がそこを居心地良くしようと気遣う時に常に同席するもの。同席と言えば誰か他に居るみたいですが、そうではない。気遣いがある時にいつも同席するということで、隣にいつも何かあるということですね。妖怪ウォッチみたいになってしまいますが、気にせず先に進みます。
パソコンで原稿を書くのですが、文章の入れ替えも簡単ですし、誤字の訂正もしてくれます。領域設定して文章ごと入れ替えることも簡単です。で、この領域設定をここでいう気遣いに当てはめてみることにしました。そうすると気遣いは何かの目的があるから気遣うのでしょう。だから気遣いはその人の目的に応じてその都度に領域設定がされ、それにともなうその人の目的を持った気遣い方になるのですが、こういう意図的な気遣いもそうですが、とっさの雰囲気での気遣いも同じだという事になります。その時に同席するものです。何か得体の知れないものがあるという訳です。これを「不安」という言葉で表して、それは「居心地の悪さ」だというのです。しかしそれにしても、この「不気味さ」というのは何だろうか。ハイデガーは、それは無だと言います。私が何かを気遣う時に無もそこにあると言うのです。
そして気遣いは何かを目的にする時にあるもの。その気遣っているところの視点でありますから、言うなればそれを気遣おうとする主体です。これを現存在というのだと思っております。そうなりますと、その領域設定されるところのものは、現存在から領域設定された世界ですから現存在における世界内存在だということです。ハイデガーの現存在・世界内存在をこういうふうに考えていきます。
現存在が無とともにあるという事ならば、無という足場のない場所が常に世界内存在の場所でもある。これを感覚的に表現されたときに、何か全体に得体の知れない「不気味さ」があるということになるのでしょう。ただ困ったことに、こういう「不気味さ」における対処法がないということです。私の意識がある時は常に現存在とその世界内存在なのですから。
晩年にハイデガーはこの「不安」を「呼び求める促し」と説明しています。ぼくはまだ晩年だとは思っていませんので、横着にこれを単に「呼び戻し」と言っていますが、ではいったい何処から呼び戻されるのか、それは本来から呼び戻されるということです。それでは何処にその本来があるのか。しかしそれはただ漠然とした無の空き地状態があるだけなのです。
この世界内存在から現存在は出ることは出来ませんが、しかし、ある特異な場所を設定することで一時的に出ることがあるのです。それはある場所へ「ずれる」ということですが、では何処へずれるのかと言えば無へずれるのですね。移行するとも言います。実際にこういう世界内存在や気遣いの世界がどういうものか知るには外から全体的を観ることが必要ですが、気遣っている自分そのものを観ることですから、現存在である限り観ることは出来ません。だから視点に何かのずれが生じないかぎりこの気遣いとしての現存在と世界内存在の関係全体を見ることは出来ないのです。それで、この現存在と世界内存在の関係自体を観るためにこのずれることを述べています。それをハイデガーは世界内存在が事物的存在に移行すると言っています。つまりここで言えば事物的存在にずれるということになります。
「不安」というものは自分の存在に対するゆらぎなのでしょう。足場が抜け落ちるような不確かな状態です。だから確かなものへと呼び戻されるのです。しかしながら、その確かなものが何処にあるというのでしょうか。何処を探しても無いのです。ハイデガーはこの「気遣い」を頽落と言って、良い言葉では使っていません。何故でしょうか。この気遣いというのが「世人に没する」という言葉で示されているからですが、この気遣いは自分を表現するものであるにも関わらず、常に偽装されているというのです。装っているといえば分かりやすいでしょうか。もともと気遣いはその「不安」に対するものを背景にしていますから、いくら気遣う内容が変わっても「不安」に対する心の動き方としては同じなのですね。だから気遣う相手の対応は、心の動きを元にすると、現存在がその存在者(私)を通してその世界内存在に対する動きですから、その世界内存在におけるものは気遣うための道具としての存在になるのです。本質が不安に対するものですから、世界内存在は常にそのための道具の世界なのです。だから世界内存在の気遣いは本質のための二次的なものなので、そういう観点からすれば世界内存在の気遣いは常に偽装されていて、そしてこの見せかけからは離れられない。
それではこの「不気味さ」から逃避するにはどうすればいいのか。いろんな人のその人なりの建設的な捉え方があるかもしれませんが、この不気味さから逃避することは出来ません。そして良いも悪いも全て現存在と世界内存在の出来事なのです。こういう感覚で捉えられると何もかもが偽装の五十歩百歩なのですね。気遣いをこの不気味さに対する態度だとすればそういう言い方になります。それでこれを頽落という言葉で表現します。
次に「共現存在」という言葉が登場します。これは少し説明をつけ加えると分かります。その人の世界内存在は無機質ではないのですから、当然いろんな人がその世界内存在に関わっています。だからその場は幾重もの世界内存在になっているわけです。それぞれの世界内存在がそれぞれの人の現存在としての世界内存在なのです。
それでは、この世界内存在は何によっての世界内存在なのか。それは私の過去の経験がその世界内存在の内容なのです。言い換えれば、私の過去の経験がその世界内存在の内容を見せているのだから、この現存在が観る世界内存在は過去の経験が投影されたものだと言うのです。その世界内存在に現存在が可能性を見つけて、その世界内存在に自らを没入させるという言い方になります。可能性は当然未来を見つめたものですが、実際は何処に向かって可能性に没入するかと言えば、もちろん世界内存在ですから、私の過去の経験が投影されたものへと投げかけられたものであるのです。つまり過去に向かって未来に没入するという形になります。論理的に言えばすごく不自然でしょう。私たちは何かにつれよく行き詰まったりしますが、こういう不自然さに立っているのなら、何事もスムーズに進んでいかないことの方が当たり前な気がします。
考えてみると、いろんな壁を乗り越えたり、壁から引返したり(これを挫折というのでしょうか)しながら年取っていくわけです。自分なりに歩こうとすればそれなりの壁が有ります。こういう普通に私たちが経験することを、現存在と世界内存在に吟味してみると、私の意識よりも先にすでに何か命の生成というものがあって、その生成する姿を元にすれば、すでに私の意識下において特定の動き方が備わっていたということだろうと思います。それを現存在と気遣いの仕方で表現したのでしょう。生きるという事をこういう観点から見つめるのです。
さて「不安」に戻ります。「不安」は私たちには微妙な感覚ですが、それは「居心地の悪さ」であり足場の無いところからの呼び戻しである。こういうことは、おそらく、日常的には漠然としていて捉えどころがないでしょう。だから私たちがこの日常と思っている何気ない時間が崩れ落ちて、非日常的なものに出くわした時、この「不安」が一気に湧き上がってくる。この非日常な時こそ死だというのです。
死をこういう観点で捉えるのはよく分かるのですね。しかしここでいう処の死は具体的に現前する死を前提にするのですが、よく考えると死ぬちょっと前の状態です。といっても死にかけて意識が朦朧とした状況ではありません。はっきりした意識でこの死の崖っぷちに立っている状態です。ハイデガーはこういう死のシチュエーションを強調します。つまり世界内存在は私の過去の経験が内容だから、死んだ経験がない私にとって没入しようがないのです。たしかに近しい人の死に接することはあります。しかしたとえ身近な人が亡くなってもそれはあくまでも外の経験であり、自らの経験にはなりえない。こういう世界内存在が成立できない死のがけっぷち状態をもって、日常が崩れ落ちる場所として究極であるとする。その場所こそが、気遣いそのものを浮き上がらせ頽落の全体像が現れてくるというのでしょう。これが「無」へずれるという事の説明ですが、ハイデガーの世界内存在が事物的存在に移行するといのはこういうことを言うのでしょう。
このあたりの個所を『存在と時間』から引用してみましょう。(第69節世界内存在の時間性と、世界の超越の問題)
「(おのれの外へ抜け出している脱自)の統一は、おのれの「現」として実存する或る存在者が存在しうることのための可能性の条件なのである。現にそこに開示されている現存在という名称を担っている存在者は、明るくされている。現存在がこのように明るくされていることを構成している光は、この存在者が時おり出来(しゅったい)して照射する明るさの、存在的に事物的に存在する力や源泉ではない。現存在というこの存在者を本質上明るくするもの、言い換えれば、この存在者をそれ自身にとって「開いた」ものにするとともに「明るい」ものにもするものは、すべての「時間的な」学的解釈に先立って、気遣いとして規定されていた。この気遣いのうちに現に完全な開示性がもとづいている。こうした明るくされていることが、すべての照明や開明を、また、何ものかを承認し、「見てとり」、所有したりするあらゆるはたらきを、はじめて可能にするのである。この明るくされていることの光をわれわれが了解するのは、われわれが、植えこまれている、事物的に存在しているなんらかの力を探し求めずに、むしろ、現存在の全体的な存在機構である気遣いを問題にして、この気遣いの実存論的な可能性の統一的根拠いかんを問い求めるときだけである。脱自的な時間性が現を根拠的に明るくする。」
この難解な文章を、こうして申し訳ないぐらいかいつまんでいますが、この「脱自」が無にずれた状態です。そして「頽落の全体が現れてくる」がこの引用文の全体になります。特徴的なのはこの「明るくされている」ということですが、説明では「照射されるような明るさや、物質的な明るさの根源ではない」という事です。この(無にずれた)脱自は何かを統一しているのですが、それは私を含めた現存在が世界内存在で頽落する姿そのものであり、また共現存在のそれぞれの世界内存在が幾重にも重なる世界そのものなのでしょう。この頽落の全体が開示されて、そのことで明るくされているということになります。そしてこの気遣いそのものが私をして動く心のあり様ですから、この時間性は私よりももっと以前から続いている時間ですが、その時間性がこの「現」というある特定の場所において一時的に収まっているというのでしょう。ハイデガーはこの小タイトルにあるように、この現存在と世界内存在の開示における時間性を世界の超越の問題に繋げようとしたのです。
行巻その⑦の付録「AIに聞いてみたら」
令和8年3月 春彼岸会 法話より
「教行信証」の正式名は「顕浄土真実教行証文類」といいます。「文類」はいろんな文を集めたものということですから、浄土の真実を顕かにした文類ということになります。説明するのは簡単ですが、読もうとしても読めません。難解だからですが、読みかえがすごくて、その理由もよく分からないのですね。
しかし、それはこちらの立場で読もうとするからであり、親鸞聖人はちゃんと筋を通しておられるわけですから、こちら側との視点のズレがあることになります。だから親鸞聖人の描く文脈をこちらが探らなければなりません。
数百年の間、その作業が続けられています。そこでこの際ですから、自分もその作業に加えてさせていただいて、こうして聖教読みを皆さんと一緒に続けております。はたしてどこまで行けるか分かりませんが、まだ行き詰まってはいないと、自分ではそう思っているのでこうして続けています。
現在、教行信証の行巻を読んでいますが、先に証巻を少し読み、そして教巻から行巻に入りました。今回はその行巻の『十住毘婆沙論』から『浄土論』に入るところです。しかし、こうして聖典を読んでいくと、前後関係が当然出てきます。今回はとくにそれが強くて、前の『十住毘婆沙論』が無視できません。
ブログではそのまま読んでいただければ何とかつながるのですが、ここはある面一発勝負なので、なかなかそううまくいかない。今回の原稿をじっと見ていると、これはいくらなんでもこのままじゃ話にならんだろうと思ったわけです。だいたいにしていつもそういうジレンマはありますが、それでも何とかここまで来ました。しかし、今回はそういうわけにもいかないかなと困っていました。
考えた末、こういうふうにすることにしました。今回の課題から一点だけをしぼり、そこをダイジェスト版でお話ししようと考えました。まぁ予告編みたいのもので、タイトルには「付録」と書くことにしました。
で、どこに絞りこむかということですが、それが資料にあります「『浄土論』に曰く」のところです。
我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり、と。
仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぎぐる者なし、よく速やかに 功徳大宝海を満足せしむ、と。
前回は『十住毘婆沙論』の「易行品」の話でしたが、今回もこの「易行品」が登場します。詳しくはブログに載せていますので、興味がある方はそちらも読んでいただければと思います。そして今日はここのところを角度を変えて話してみようと思いますのでよろしくお願い致します。
それで、この『浄土論』の句の中から「遇うて空しく過ぐる者なし」のところをピックアップしました。どうしたかといいますとAIに聞いてみました。最近はこういうことが出来るんですね。AIは時々使いますが、それでも今回はなかなか面白いなぁと思いました。
それでAIに何を聞いたのか。「人生を虚しく過ぎるとはどんなことだろう」と聞きました。するとAIは答えました。
「人生を虚しく過ぎる」という感覚は、言葉にするのが難しいほど静かで、それでいて重たいものですよね。」すごいですね、これが最初の答えです。そして「それは単に「不幸である」ということではなく、「自分の人生に参加していない感覚」に近いかもしれません。具体的には、以下のような状態を指すことが多いようです。」と、このように続きます。
1)「反応」だけで一日が終わってしまう「自分の意志で何かを選び取るのではなく、降りかかる用事や、SNSから流れてくる情報、他人の機嫌に対して「反応」しているだけで時間が過ぎていく状態です。」(自分の手で舵を握っている感覚がなく、ただ川の流れに押し流されているような感覚です。)
2)「いつか」を待ち続けて「今」が空白になる「「もっとお金が貯まったら」「もっと良い環境になったら」と、本番の人生がいつかどこかで始まるのを待っている状態です。(準備運動ばかりを続けていて、結局一度もコートに立たないまま日が暮れてしまうような虚無感です。)
3)心の動かない「効率」に支配される「無駄を省き、合理的に動いているはずなのに、そこに驚きも感動も、あるいは心地よい疲れすらない。(「何のために?」という問いに答えられないまま、スケジュール帳を埋めること自体が目的になってしまう状態です。)
この1から3までを読んでどう思われますか。理解できるような出来ないような、なんとも言えず、反応しづらいと思いますが、こうやって聞いてみるとAIは日本人の感覚を推し量って言っているのではなくて、世界から集めた情報をもって答えているわけですね。だからこの1から3までの答えがそのままスキット届かないようにも思えます。
それどころか、この123は、自分の普段のひぐらしの姿そのものじゃないかと思われる方もおられるのではないでしょうか。これが何故自分の人生を虚しくするのかピンとこない、と、そういう人もいるかもしれませんね。日本人は協調性が高いといわれています。周りに合わせる習慣みたいなものがあるようで、悪く言えば、閉鎖的な島国根性が基本的にあるとも言われているのではないでしょうか。個人的な主張をあまり出そうとしない。そういうことを考えると、この123の答えが何故そうなのか分からなくなる気がします。
それでは4の答えです。4)誰とも分かち合えない「孤立」「たとえ周囲に人がいても、自分の本音や、美しいと感じたもの、痛みを誰とも共有できないとき、人生は急に色褪せて見えます。「自分がいなくても、世界は何も変わらない」という感覚が、虚しさの正体であることもあります。」
この4の答えは何となく分かりますね。しかしながら、私たちには周囲と同じになることを目的化する人もいるし、まわりと同じ色になっていないと不安な人もいる。でも、それはそれで、ただそのことだけなら自分自身はないのですから、みんなの中にいながらも、その孤独さには気づいている、と、こういうこともあるでしょう。
夏目漱石が言っています。「智に働けば角が立つ」自分の知識を出せば周囲と衝突する。ヨーロッパに留学した漱石は、当時の個人主義を目の当たりにします。その眼(まなこ)に日本人がどのように映ったでしょうか。「情に棹させば流される」だからといって、相手に合わせると流されてしまう。「意地を通せば窮屈だ」。かといって、自分の意思を通そうとすると息苦しくなる。「とかくに人の世は住みにくい」と、当時の日本の世間体を表現しました。
漱石は明治時代、この日本の世間体と近代ヨーロッパの個人主義の狭間で葛藤した人だと言われています。それから百数十年が過ぎました。今の私たちが漱石が見た世間体と個人主義の中で葛藤しているかどうか分かりませんが、この「人生を虚しく過ぎる」の答えの1から3がしっくりこないのは、やはり日本人のこの感覚がどこかで生きているのかもしれませんね。しかし、だからといって昔のような世間体を生きているとか、西洋の個人主義を生きているというのとは違う気がするでしょう。
西洋の個人主義はキリスト教を背景にした個人主義だそうです。日本の個人にはそのようものはないですね。だからといって、じゃあ日本人の個人主義は何だと聞かれても、ちゃんと答えられる人がどれだけいるでしょうか。しかしこの4の答えにある「誰とも分かち合えない孤立・孤独」は、世間体の中であれ個人主義であれ、そのどちらにおいても通じる「空虚感」ではないでしょうか。
そしてAIは最後に「一つの視点」でこう言いました。「「一つの視点」哲学者パスカルは「人間は自分が死ぬことや惨めであることを考えないようにするために、常に何かに没頭し気晴らししようとする」と言いました。もしかすると「虚しい」と感じる瞬間は、その忙しい気晴らしから一瞬脱却して、自分の生に誠実に向き合おうとしているサインかもしれません。」
AIが出したこれらの答えが、そのまま自分に合ったものかどうかは別にして、この「虚しい人生」というものの正体は何かと考えたら、やはりこの誰とも分かち合えない「孤立感」や「孤独感」に見る、人としての「虚しさ」、そして「死」における「孤独」の問題でしょう。世間体や個人主義といった、生活の表層的なのものから、もっと深いところにある、人間の心の芯のところの、この「孤独感」と「死」の問題は、人間の存在性として共通するのではないかと思います。
とにかく、この1から4までがAIが出した最初の回答です。もっと話しましょうと言っていましたが、こちらがすでにオーバーフロウ気味なので止めました。すごい時代になってきたなと思いましたね。
それで今度は「虚しい」と「空しい」の違いは何かを調べました。「「虚しい」と「空しい」はどちらも「むなしい」と読み、内容がない、無駄である、はかないという意味では共通していますが、ニュアンスに違いがあります。「虚しい」は精神的な空虚さや心が満たされない状態を、「空しい」は物理的なからっぽさや努力が無駄に終わるはかなさに使われます。」また「「使い分けとしたら、「虚しい」は「心」「気持ち」が「虚しい」、「空しい」は「努力」「時間」が「空しい」で、「存在そのもの」が希薄な場合は「虚しい」の方を使う」と、こういう答えもありました。
この『浄土論』では「空しく過ぐる者なし」ですから、心の虚しさよりも「空しく過ぎないのだ」というどこか主体的なところがある。それがこの「空しく過ぐる者なし」だと思うわけです。そしてこの「虚しく過ぎない」と「空しく過ぎない」の二つは必ずしも同じではありませんが、繋がっているのではないかということですね。
AI が最後に言った「一つの視点」がありましたね。「「哲学者パスカルは人間は自分が死ぬことや惨めなことを考えないようにするために、常に何かに没頭して気晴らししようとする」もしかすると「虚しい」と感じる瞬間は、その忙しい気晴らしから一瞬脱却して自分の生に誠実に向き合おうとしているサインかもしれません。」
ぼくは「存在の希薄さ」と、AIのこの最後の言葉がリンクします。掴もうとしても掴めず、自分の手からスッと抜け落ちていくうようでいて、しかしいつもそこに感じているような「存在の希薄さ」ですね。この言葉はすごいなあと思いますね。
それで、この「『浄土論』に曰く」と言われ、そして「願生偈」から二の句が載せられています。
我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり、と。
仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし。よく速やかに 功徳の大法海を満足せしむ、 と。
この二つの句は『浄土論』では全く別のところにあります。それを単に二つ並べられて「『浄土論』に曰く」と親鸞聖人は述べられますが、しかしこれだけでは『浄土論』だと言われても意味がとおりません。そしてその句の中に「真実功徳相に依って」とあるわけですね。真実功徳の相ですから、相は姿かたちであり、またその世界観でもあります。厳密にいえば言葉もそうなると思いますよ。言葉ひとつで何か見えたりするでしょう。他人には見えなくても自分には見えたりします。
とにかく、この真実功徳の相は、この「存在の希薄さ」とすごく関係していて、その心の芯の部分を目指して現れてくると思っているわけです。
そこで「仏の本願力を観ずるに」ということがその次に問題になります。私たちは人の「孤独感」や「孤立感」は理解できるでしょう。みんなそれぞれ何処かに持っているのではないですか。だからそれに対して気晴らしや、うさばらしなら出来ると思いますよ。しかしその他に何か出来るでしょうか。
まして、この「存在の希薄さ」などはフトそう感じることはあっても見えない。鋭い感性の持ち主なら見えるかもしれませんが、私たちのような普通の人には見えるどころか、気づかないまま一生が終わる人だっているはずですね。しかし、そこにこそ私たちが真にそして誠実に求めていることがあるということだと思うわけです。
だからこそ、ここに「真実功徳相」を顕すのだということでしょう。そしてこの「真実功徳相」が、私たちには見えなかったはずの「存在の希薄さ」の意味を見せ、そして気晴らしの他になすすべがない「孤独感」や「孤立感」さえ丸ごと見せる。
私の心の深い処にこの「真実功徳相」を顕して、そこに私の心のありよう映し出す。仏教的にいえば「真実功徳相」によって私の煩悩を丸ごと映す。この「真実功徳相」が『十住毘婆沙論』の「易行品」だということでした。
そして「仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし」です。この空しく過ぎないというのは、この仏の本願力を観じて、そしてその本願の本意に遇うことができたということではないでしょうか。相はすがた形のことですから、その真実功徳のすがたである、阿弥陀仏の浄土のすがたに遇うことができたということだと思います。そしてこの阿弥陀仏の浄土である真実功徳相に観た、その仏の本意に遇うて空しく過ぐる者なしです。このように読ませていただきました。
行巻その⑦ 『浄土論』と『論註』の関係について
令和8年3月 春彼岸会より 行巻 『浄土論』そして『論註』へ
・行巻の『十住毘婆沙論』「易行品」のおわりから
「いま当につぶさに無量寿仏を説くべし。世自在王[乃至その余の仏まします]、この諸仏世尊、現在十方の清浄世界に、みな名(みな)を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくのごとし。もし人、我を念じ名を称して自ずから帰すれば、すなわち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得、このゆえに常に憶念すべしと。偈をもって称讃せん。」
これは「易行品」の最後のところですが、その前に問答が載っています。
「問うて曰く、ただこの十仏の名号を聞きて執事して心に在けば、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を退せざることを得。また余仏・余菩薩の名(みな)ましまして阿惟越致に至ることを得とやせん。答えて曰く、阿弥陀等の仏および諸大菩薩、名を称し一心に念ずれば、また不退転を得ることかくのごとし。阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称すべし。」
はじめの「十仏」は、東西南北の四方とその間で八方、そして上下の二方を合わせて十方ということだと思うので、つまりは、中心からの全方位の仏を「十仏」と言われていると思いますが、その「十仏の名号を聞きて」ですから、おそらく『阿弥陀経』の念仏三昧がこのように顕されたのではないかと思います。
そして次に「執事して」です。そのことを心にしっかり保っておれば、阿耨多羅三藐三菩提を退かないのに、どうしてまた、この全方位の仏の外に、仏や菩薩の名があって、阿惟越致(不退転)に至ろうとするのか、と、このような問いになるでしょうか。
つまり、念仏三昧で仏の無上の悟りを退かないでおれるのに、なぜ不退転へと下方修正するのかと、こういう問いなると思います。そして、それについて「答えて曰く」です。
そこでまずこの「阿弥陀等の仏」ということですが、これは全方位の仏の外に見る複数の阿弥陀仏ですから、「阿弥陀等の仏」とこう言われているのではないでしょうか。
「諸大菩薩」については、おそらく観音勢至の二大菩薩のことになるでしょうか。そうすると、この大菩薩を『観無量寿経』「定善観」では第十観と十一観の「観音観」「勢至観」に説かれています。第七観から九観までが無量寿仏。そのあとに観音勢至観が説かれます。『観無量寿経』ですから、心象的に説かれた阿弥陀仏とこの菩薩等をもって、浄土の相(すがた)が顕されているわけですね。その中でも九観の「真身観」は、浄土の相(すがた)というよりも、その相に現れる平等心と大慈悲心を説かれたところですね。
そうすると、これはそれぞれに顕わされた浄土であり、それらの諸仏が、それぞれ恭敬礼拝し念じあう相をもって、無量寿仏の「その名を称し一心に念ずれば、また不退転を得ることかくのごとし」と、このようになるので、次に「阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称すべし」と続いているのだと思います。
そこでまず、この「答えて曰く」のところに「一心」が説かれていますね。この「一心」をもって「阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称すべし」と、こういうことですから、つまりは「一心」は全方位の仏を超えていてその全てに行きわたり、この「一心」において諸仏がそれぞれ名号を称し、阿弥陀仏を恭敬礼拝しているという、そのことに不退転の言葉が充てられていることになるでしょうか。そしてこの不退転をもって「易行品」の最後、さきほど読みました「いま当につぶさに無量寿仏を説くべし」とはじまることになります。
その次が「世自在王仏 [乃至その余の仏まします] 、現在十方の清浄世界に、名(みな)を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくごとし」になりますが、世自在王仏がまだよく分からないので、知ったふりもできず、このままにさせていただく事にしました。
そして次に「もし人、我を念じ名を称して自ずから帰すれば、すなわち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得、このゆえに常に憶念すべしと。偈をもって称讃せん」と、ここで「易行品」が終わります。そこでまず、今回の話はこの最後のところ「偈をもって称讃せん」についてです。
無量光明慧、 身は真金の山のごとし。
我いま身口意をして、 合掌し稽首し礼したてまつると。乃至
人よくこの仏の、 無量力功徳を念ずれば、
即の時に必定に入る。 このゆえに我常に念じたてまつる。乃至
もし人、仏に作らんと願じて、 心に阿弥陀を念じたてまつれば、
時に応じてために身を現じたまわん。 このゆえに我、
かの仏の本願力を帰命す。 十方のもろもろの菩薩も、
来りて供養し法を聴く。このゆえに我稽首したてまつると。乃至
もし人善根を種えて、 疑えばすなわち華開けず。
信心清浄なる者は、華開けてすなわち仏を見たてまつる。
十方現在の仏、 種々の因縁をもって、
かの仏の功徳を嘆じたまう。 我いま帰命し礼したてまつると。乃至
かの八道の船に乗じて、 よく難度海を度す。
自ら度しまた彼を度せん。 我自在人を礼したてまつる。
諸仏無量劫に、 その功徳を讃揚せんに、
なお尽くすことあたわじ。 清浄人を帰命したてまつる。
我いままたかくのごとし。 無量の徳を称讃す。
この福の因縁をもって、 願わくは仏、常に我を念じたまえ、と。妙出
「『浄土論』に曰く」
我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり、と。
仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし。よく速やかに 功徳の大法海を満足せしむ、 と。
龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』から、引き続き天親菩薩の『浄土論』、そして曇鸞大師の『論註』に入ろうと思いますが、「易行品」と『浄土論』の間に、「偈をもって称讃せん」と「偈文」が称讃されています。それが「無量光明慧、身は真金の山のごとし」から始まるこの偈文です。
まず『浄土論』から言いますと、「願偈摠持」の願偈は、「『浄土論』ですから、当然「願生偈」のことです。「摠持」はしっかり心に保てということで、この「願生偈」をしっかり心に保ちなさいという意味になります。
しかしこの行巻には『十住毘婆沙論』の「入初地品」「地相品」「浄地品」「易行品」の四品が説かれていて、「易行品」の最後にも「偈をもって称讃せん」とありまして、偈を「称讃」されているわけですね。
そしてその次に『浄土論』と『論註』に入っていきます。実は、これらは別々に読んで行くものだと考えていました。しかし読んで行くうちに、どうもそういうことではないのじゃないかと思い始めたわけですね。まずはそのまま読んでいきます。
それでは「『浄土論』に曰く」から始めますが、この偈文は『浄土論』の「願生偈」の中の「作願門」の最後と、「観察門」の中の「仏荘厳」の最後の二つの句で出来ています。この句をもって親鸞聖人は「『浄土論』に曰く」とされています。
そこでまず、ここに「『浄土論』に曰く」と言われていますが、どうもこのニュアンスに、この二つの句をもって『浄土論』だという響きを、自分としては考えてしまうのですね。なぜそういうふうに思うのかと言いますと、この二つの句は全く別の処にあり、ただそれを並べただけのものです。だからこの句を並べてみても繋らないし意味は通りません。しかし親鸞聖人はこの二つ句を並べておいて、さぁ『浄土論』だとこう言われているようにも思えるわけです。だとしたら、その理由を探らなければならないわけですね。
そこでまず、この「我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり」のところを、角度をかえて考えてみることにしました。この「我修多羅」の「修多羅」ですね。『浄土論』は『無量寿経優婆提舎願生偈』が正式名ですから、「修多羅」とは『無量寿経』のことになります。しかし「教行信証」では、教巻に「真実の教を顕さば、すなわち『大無量壽経』これなり」と言われています。だからこの修多羅は『無量寿経』ではなくて、『大無量寿経』とするのではないかと思うわけですね。
そうすると、この「我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり」は「我大無量寿経 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり」となるので、その場合の「願偈」とは何かということですね。
「『浄土論』に曰く」ですから、本来なら「願生偈」です。しかし親鸞聖人はこの二つの句をもって「『浄土論』に曰く」と言われていて、それ以外に何も述べられていません。そして先ほども言ったように、この二句は「願生偈」ではつながらず、ただ並べただけです。
そこで、この「願偈摠持」の「願偈」とは何かということになるので、それをこの行巻から見るとすると「易行品」の最後、さきほどの「偈をもって称讃せん」の「偈文」がその「願偈」ではないか。そうであるなら、文脈からすると「我修多羅」の次の「真実功徳相」とは、『十住毘婆沙論』の最後の「易行品」になるのではないかと思うのですね。
この『十住毘婆沙論』は「入初地品」から「易行品」までの四品をもって、初歓喜地の菩薩のことが説かれています。まず初歓喜地の菩薩を「この菩薩」と「その人」の初果の関係で顕され、いわば「初果」を中心にした「その人」と「この菩薩」という人格的な表現をもって顕されました。この人格的に顕された初歓喜地の菩薩が「易行品」で「信方便の易行道」として顕されていきます。
「易行品」には、「この菩薩」と「その人」の関係が、阿惟越致と不退転の関係で説かれ、ついには菩薩の「一心」を明らかにする。その「一心」は無量寿の門よりすべての凡夫へと行きわたり、ふたたび「その人」の初果へと向かい、ふたたび「初歓喜地の菩薩」となる。そしてふたたび無量寿の門へと従っていくとう、このような「一心」から「この菩薩」、そして「初歓喜地の菩薩」となり、無量寿の門を経て「一心」に還るという、この循環の相をもって、立体的な世界観を顕されているということですね。
そうすると、この「易行品」のこの相を「真実功徳相」だと、こう述べられているのではないかと思うわけです。そうすると、「偈をもって称讃せん」の次の「偈文」が、「『浄土論』に曰く」の句にある「願偈」のことだということになりまして、そして「仏教と相応せり」です。そうすると「易行品」のこの「真実功徳相に依って、仏教と相応せり」となるので、「易行品」に観るこの循環する動的な相に依って「仏教と相応せり」とこう言われていることになります。
そこでまず、『十住毘婆沙論』のはじめの「入初地品」に戻りますが、「家清浄」がそのままになっています。せっかくですのでこの「家清浄」のことを少し尋ねてみます。
「『十住毘婆沙論』(入初地品)に曰く、ある人の言わく、「般舟三昧および大悲を諸仏の家と名づく、この二法よりもろもろの如来を生ず。」この中に般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。また次に、般舟三昧は三昧はこれ父なり、無生法忍はこれ母なり。『助菩提』(菩提資糧論)の中に説くがごとし。「般舟三昧の父、大悲無生の母、一切のもろもろの如来、この二法より生ず」と。家に過咎なければ家清浄なり。かるがゆえに「清浄」は六波羅蜜・四功徳処なり。方便般若波羅蜜は善慧なり。般舟三昧・大悲・諸忍、この諸法清浄にして過(とが)あることなし。かるがゆえに「家清浄」と名づく。この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。世間道を転じて出世上道に入るものなり。」
長い引用ですが、「家清浄」をこのように書いてあります。難解なので触らずにいました。勿論今もよく分かりません。しかし概ね述べられているのは「家清浄」を父と母の関係であらわされています。般舟三昧(はんじゅざんまい)が父で、大悲が母ですね。そこでこの「般舟三昧」を調べると「現在の諸仏がことごとく行者の前に立つ」ことだとあります。つまり十方諸仏の現前三昧ということですね。この場合の「十方諸仏」は全方位ということで、これはひとつの視点から見た世界観ですね。
「般舟三昧」は、説明では「行者の前に立つ」となっていますが、この場合は「般舟三昧」が父です。「行者」は当事者のことなので父というわけにはいきませんから、そうすると、この「父」とされているのは何かということですね。「諸仏の現前三昧」を父とするですから、つまりは、この現前三昧という心象的な相をもって父だとこう言われているのではないかということですね。相ですから現れた世界観であり、そのすがた形です。そして母はこの三昧に見る大悲の心である。この心象に、現れずにおれない心を観る。その心である大慈悲心を母とする。この父と母をもって「家清浄」とこう顕されているのではないかと思います。
そうすると、「家清浄のこの菩薩」、「その人」の初果を地に「初歓喜地の菩薩」となり、そして無量寿の門へ従い「一心」へと循環するという、この動的な相をもって「真実功徳相」だということになります。つまり無量寿の門に顕現する諸仏の世界とその大悲心である「家清浄」の「この菩薩」、「その人」の初果を地に「初歓喜地の菩薩」となり、ふたたびこの無量寿の門である「家清浄」へと従い、そして「一心」へと還るのだと、こういうことになります。そして、「(この)仏の本願力を観ずるに 遇(もうお)うて空しく過ぐる者なし」と続いていくわけですね。
そこで、この「仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし。速やかに 功徳の大法海を満足せしむ」の句が、「願生偈」のどこにあるのかといいますと、「仏荘厳」の最後にあります。「菩薩荘厳」へと入るところです。『浄土論』の五念門は「礼拝門」「讃嘆門」「作願門」「観察門」「回向門」です。その中の「観察門」は、まず「国土荘厳」つまり阿弥陀仏の国土ですから仏国土、つまり阿弥陀仏の浄土が説かれていて、その次の「仏荘厳」には阿弥陀仏が荘厳されています。その「仏荘厳」の最後の句になります。
それで、前の「我修多羅 真実功徳相に依って、願偈摠持を説きて、仏教と相応せり」の方は、五念門の「作願門」の終わりにあって、次の「観察門」へと入るところですね。だからこの二句の間には「観察門」の「国土荘厳」と「仏荘厳」がごっそり抜けていることになります。だからこの二句だけでは『浄土論』は繋がりません。
しかしこれまで述べてきましたが、『十住毘婆沙論』の「易行品」がその「真実功徳相」ならば、その抜けている「国土荘厳」と「仏荘厳」がそこに納まっていることになります。しかし、問題は何故このようになるのかということですね。そこで「仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし」の「空しく過ぎる者なし」というフレーズですが、このフレーズがすごく気になるわけですよ。やはりいつか命は終わるわけですから、自分の命が、この私が、今生きているということが空しく過ぎないというのはどういうことだろうか。そこにどこか胸を打つものがあると思うのですよ。
その「空しく過ぎない」という言葉がこの句にあるわけです。しかしですね,、次に「よく速やかに 功徳の大法海を満足せしむ、と。」ありますが、こちらの方は「易行品」の中でも窺えると思いますね。そうすると、この二つの句では「『浄土論』に曰く」と言いながらも、そのほとんどが『十住毘婆沙論』であって、その中でこの「仏の本願力を観じて 遇うて遇うて空しく過ぐる者なし」のところだけが『十住毘婆沙論』には見当たらないのです。
『十住毘婆沙論』の四品をもって、「『浄土論』に曰く」と言われ、その最後の「易行品」がこの二句に納まっていることになります。言い換えれば『浄土論』の「国土荘厳」と「仏荘厳」がこの「易行品」における動的な相に納まっていることになるわけですね。その中でこの「仏の本願力を観ずるに 遇うて空しく過ぐる者なし」のヵ所が、「『浄土論』に曰く」として響いてくるのです。
『十住毘婆沙論』では初歓喜地の菩薩を顕され、その中の「易行品」で「信方便の易行」をひとつの相として顕されました。つまり循環する動的な世界観をもってその相とするとされたことになります。そうすると、そのときの「我修多羅」の「我」とは何かといえば、これは「家清浄のこの菩薩」のことになり、そして「初歓喜地の菩薩」であり、「一心」であるという、この一連の主体をもって「我」とされたのではないかということです。
仏の方と凡夫の方、表裏一体だが交差しない。これは証巻を読んだときにそう感じたわけですが、ずっとこのことがテーマになっています。そして、ここにおいてもまたこの問題が登場することになりました。「家清浄のこの菩薩」とこう言われていますが、この菩薩は仏の領域の菩薩ですから、「『浄土論』に曰く」の二句もまた仏の領域です。その仏の領域において、この「我」は「家清浄のこの菩薩」であり、「初歓喜地の菩薩」である。そして無量寿の門より「一心」であるという、「この菩薩」は仏の領域でありつづけ交差しない、と、こういうことになります。
そしてここから「『論の註』に曰く」に入ります。「謹んで龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』を案ずるに、云わく、菩薩、阿毘跋致を求むるに、二種の道あり。一つには難行道、二つには易行道なり。」と『論註』がそのまま載っていますが、まずこの場合の「阿毘跋致」は「不退転」のことですから、「易行品」では菩薩の「阿惟越致」のことですね。そしてここに登場する菩薩は「家清浄のこの菩薩」」ということになりますから、「この菩薩」は仏の領域の菩薩です。そして「この菩薩」が「その人」の初果を地にして「初歓喜地の菩薩」となる。ここにおいてはじめて、「この菩薩」と「その人」に「一心」の具体性がはじまることになります。そうすると、『論註』の「菩薩、阿毘跋致を求むるに二種の道あり」の内容とかなりニュアンスが違ってくるわけです。
この『論註』の引用文の終わりのほうに「無量寿というは、安楽浄土にまします如来にかぎっての名である。釈迦牟尼仏は王舎城及び舎衛国にましまして、大衆の中でこの無量寿仏の荘厳の功徳をお説きになられ、無量寿仏の名号をもってこの経の体とあきらかにされたのである。後の聖者バスバンズ菩薩は、如来の大悲の教えを身にいただいて、『無量寿経』にもとづいて願生の偈をつくられた。」(『解読浄土論註」より)と締めくっておられます。
この文の「聖者バスバンズ菩薩は、如来の大悲の教えを身にいただいて、『無量寿経』にもとづいて願生の偈をつくられた」のところを、これまでの流れをそのままにするなら、(バスバンズ)天親菩薩は、「家清浄のこの菩薩」、天親菩薩のその身の「初果」を地にして、「初歓喜地の菩薩」となり、「『無量寿経』にもとづいて願生の偈をつくられた」と、このような言い方も出来るのではないかと思うわけですね。そしてここから「我一心」です。
「「我一心」は、天親菩薩の自督の詞なり」と、ここから『論註』に入っていくことになると思います。しかしながら、そうするとですね、「『浄土論』に曰く」と言われながらも、そこには「易行品」の「一心」が顕されていいて、次の『論註』の途中から「我一心」が始まることになるわけです。そしてこの「我一心」においてもまた、「この菩薩」は仏の領域だということですね。つまりは「初歓喜地の菩薩」の「その人」の方、凡夫の領域が抜けていることになります。
しかし、たとえ凡夫の領域が抜けているとしても、「この菩薩」が「その人」の初果を地にするとき「初歓喜地の菩薩」ですから、このことはいづれ顕かになるのではないかと思いますが、まだ途中です。
行巻その⑥ 龍樹(十住毘婆沙論)Ⅳ(後)
令和7年12月 御正忌報恩講より 「易行品」 (後)
前回に引き続き「易行品」を読んでいきます。
「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし。もし菩薩この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし。名号を称すること『宝月童子所問経』の「阿惟越致品」の中に説くがごとしと。乃至」
ここは再三考えた処です。そこでひとつの確認をしておこうと思います。「不退転」と「阿惟越致」という言葉がありますね。この二つの使い分けがここのテーマではないかということです。当然、自分がそう思っているだけですが、考えた末のことですので、ご意見は後程お聞きすることにして、そうことで話を進めていくことにします。
まず「不退転」も「阿惟越致」も意味は同じです。屈することなく退かない意志ということです。そこで、この二つをどのように使い分けておられるのかと言うことですが、不退転は「人」について言われているということ。そして「阿惟越致」は菩薩について使われているということです。このようにして読んでいくことになります。
「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば」の「もし人」とは、文字通り「人」について述べられていて、ここには不退転地と書いてあります。しかし、この不退転地には、その前に不退転があるはずで、その不退転が地に着くことによって不退転地であると、こうなると思いますが、ここではそうはなっていません。いきなり不退転地から始っているので不退転のことは書いてありません。
だから、この文に不退転を付け加えてみます。そうすると「もし(不退転のその)人(が)疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心を持って執持して名号を称すべし。」と読みやすくなります。その次の「もし菩薩」の方もこれと同じようにして、「もし菩薩(その人の)この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当に十方諸仏を念ずべし」と、ここでは(その人の)を加えると読みやすくなります。
恭敬心というのはつつしみ敬う心ですね。執持とは心にとめて忘れないということですから、この「疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし」のことろも、もう少し柔らかくします。そうするとどうなるでしょうか。「もし(不退転のその)人(が)疾く不退転地に至らんと願うなら、(そのことを)つつしみ敬い心にしっかりたもち名号を称えなさい」と、このようになりますね。ここにも(そのことを)を付け加えて読みやすくしました。単に読みやすくなれば正解だということではありませんが、まずは意味が通るように読んでみたらこのようになるのかなということですね。
それでは、ここにある(そのことを)とはいったい何を言っているのだ、と、疑問がでてくるわけですね。これを結論から先にいうことになる訳ですが、ぼくはこの(そのことを)とは(初歓喜地の菩薩のことを)だと考えています。それでこの(そのことを)というのを、この「易行品」には何と書いてあるのかといえば、これは「易の菩薩」の「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」のところになるので、まずは、そういうことにしておいて、この辺りを読んでみます。
「もし(不退転のその)人(が)疾く不退転地に至らんと欲わば、(信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者ありという、この初歓喜地の菩薩のことを)恭敬心をもって執持して名号を称すべし」と、多少ゴチャゴチャとしますが、全部を書くとこうなる訳です。
それでは、ここに登場する「もし人」というのは、いったい誰のことを指しているのかいえば、この「易行品」の場合では、「菩薩の道」の「易の菩薩」のところですから、つまりは初歓喜地の菩薩のことですね。その初歓喜地の菩薩のときの「その人」が、ここで言われている「もし人」のことですから、「その人」とは「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」と言われている「その人」のことですね。
ところが、ここには「阿惟越致に至る者あり」と書いてあります。前に言いましたように「人」は不退転であり、「菩薩」は阿惟越致です。しかしここではそうなっていません。そうすると、ここもまた見直さなければならなくなります。それでは、これをどのように見直せばいいのかといいますと、「信方便の易行をもって(菩薩の)疾く阿惟越致に至る(ことにより不退転の)者あり。」と、ここに菩薩と不退転を加えることで、人は不退転、菩薩は阿惟越致が成立するわけです。勿論これはぼくの独断でありますが、このような読み方になると思っています。
なかなか面倒なところに入っていきます。それで、これを角度を変えると、まず「名号を称すべし」という、この称名念仏の前に少しの時間のズレがあるわけですね。それが「疾く」です。そのズレに「菩薩」は阿惟越致に至り、「その人」は不退転であるということですから、名号を称すべしの前に「疾く」という時間のズレがあり、そのズレに菩薩は阿惟越致に至っていて、(その人)は不退転であるということになります。
そうすると、その次が「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば、この身において(菩薩の疾く阿惟越致に至ることにより不退転の者ありという、この初歓喜地の菩薩のことを)恭敬心をもって執持して名号を称すべし」と、文脈としたらこのようになるかなと思います。しかしここにも不退転地の前に「疾く」という字が付いています。そうすると、ここもまたひとつの特異点があるのではないかということですね。
前の「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」の場合では、「疾く阿惟越致に至る」だから、この「疾く」は菩薩についているわけです。だから「菩薩」が疾く阿惟越致に至るとき「その人」は不退転であると、このようになります。それで、こちらもそれと同じようにすると「菩薩が(その人の)この身において阿惟越致地に至ることを得」たとき、その人も疾く不退転地であると、こういうことですから、菩薩が阿惟越致地に至ることで、(その人も)疾く不退転地に至っていると、一応はこれで納まるわけです。
しかし、菩薩の方は(その人の)この身において阿惟越致地に至ることを得、「阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当に十方諸仏を念ずべし」と続いていますので、この「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば」のところは、この菩薩が阿惟越致地に至ることで(その人が)不退転地に至るのではなくて、この菩薩が「阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」までをもって(その人の)不退転地であると述べられていることになります。
そしてこの「疾く不退転地」の「疾く」は、不退転だから(その人)に付いていて、この「(菩薩の)阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」のところまでをもって(その人の)不退転地であるということになっているので、そのときの時間の短さをここで「疾く」と言われていることになるでしょうか。つまり「名号を称すべし」の前後に、菩薩と人に「疾く」という時間のズレを顕されていることになります。これがどういうことなのか面倒な話になっていきますが、ここのところはひとまずこの辺で終了することにします。
「西方の善世界の仏を無量明ろ号す。身光智慧明らかにして、照らすところ辺際なし。それ名を聞くことある者は、すなわち不退転を得と。乃至」
啐硺同時という言葉があります。ヒナが殻から生れ出るときに、親鳥がそこを突いてヒナのいのちを生み出す。こういういのちの誕生をいいますが、初歓喜地の菩薩において、「人」は「不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし」です。「菩薩」はその人の「この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」です。この「不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし」の(その人)と、「阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし」の(この菩薩)に、「西方の善世界の仏を無量明と号す」と「無量寿の門」は開いているということでしょうか。
「過去無数劫に仏まします、海徳と号す。このもろもろの現在の仏、みな彼に従って願を発せり。寿命量りあることなし。光明照らして極りなし。国土はなはだ清浄なり。名を聞きて定んで仏に作らん、と。乃至」
― 私という存在がどこか底が抜けていて、深く暗い海に漂っている感じがある。しかし、この得体の知れない不安が、実は自らの身体からだと知ったとき、私の心の全てが、この身体に浮かぶ小島のようなものだと分かった。今このことを想い、この心が何処から来たのか、自らの心を静かにして身体にそれを感じてみる。すると、私の身体には、過去からの無数の人たちがいて、その人たちは、この深い闇の中で、それぞれに自らを輝かせ、まるで仏のごときであった。―
「過去無数劫に仏まします、海徳と号す」を、善導大師の『観経疏』「水想観」と「瑠璃地の下」をもって、自分なりにアレンジしました。前回でも言ったように、不純物がかなり混ざっておりますので、確かな内容かどうかは疑わしいわけですが、それでも何とかそれなりにはなっているかなとは思っています。勉強の途中でありますので、いろいろと教えていただければ幸いです。
それで「瑠璃地の下」は私の身体の過去の意味ですね。つまり我が身体に見た深い過去です。この身体の海徳から発するもの、これを「海徳と号す」と言われていることになりますが、この「号す」ということ、これはその「海徳」に見る「いのちの願い」だと、そういうことだと思っています。これを善導大師は「生きんとする意志」だと言われます。
そして今、この深い闇に漂うその他の小島もまた、実はそれぞれの海徳に漂よう現在の仏たちであると気づいたとき、無量寿の門はその全てに開かれていた。そしてその全ての海徳から、彼の「無量寿の門」に従って願いを発しているのだ、と、このような解釈になります。
「問うて曰く、ただこの十方の名号を聞きて執事して心に在けば、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を退せざることを得。また余仏・余菩薩の名ましまして阿惟越致に至ることを得とやせん。」
「十方」とは、東西南北で四方、その四方の間を足して八方。それに上下を合わせて十方。私の全方位ということでしょう。「この十方の名号を聞きて」は、私の全方位の仏が名号を聞く姿を、心にとめて忘れないなら、それが阿耨多羅三藐三菩提を退かないことを得、また余仏・余菩薩が阿惟越致に至ることになるのだろうか。表現が難しいので自分なりに訳していますが、こういうことかなと思います。
「答えて曰く、阿弥陀等の仏および諸大菩薩、名を称し一心に念ずれば、また不退転を得ることかくのごとし。阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称すべし」
ここでは「一心」について話すことにします。この「一心」とは何ぞや、ということですね。海徳から私をして無量寿の門に従い、凡夫がこの不退転地に至らんと願う心を、こうして「一心」と言われています。この「一心」が、もし心身から発せられるのであれば、それは私一人の問題であります。しかし、心身から骨体へと徹入するとき、この「一心」は心身から外へととき放たれ、無量寿の門はその全てに開かれていることになるわけです。そのとき「一心」は、その全ての海徳から発せられているのだということでしょう。
してみれば、この「一心」とは私の心身以前のことであり、身心からとき放たれた「菩薩」の心だということになるでしょうか。この「菩薩」の心は、その人の初果を地にするとき初歓喜地の菩薩となり、その「人」の不退転地とともに阿耨多羅三藐三菩提を成らんと、十方諸仏を念ずる心です。このことを「恭敬心をもって執持して名号を称すべし」と言われているのではないでしょうか。
この「易行品」については、「信方便」が常にテーマにありました。自分なりの予測も一応ありましたが、どうも当てはまらなかったようです。こういうことはよくあるわけですが、しかしそれも聖典を読むときの醍醐味でもあります。そこで、この「易行品」を終了するにあたり、改めてこの「信方便」について少し感想を述べてみることにしました。
この「信方便の易行」とは、それは、「仏法に無量の門あり」から「乃至」で連なりながら、「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば」へ、そして「菩薩の阿惟越致地に至ること得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当に十方諸仏を念ずべし」となり、「西方に善世界の仏を無量明と号す」が、「過去無数劫に仏まします、海徳と号す」と続いていくこの一連が、初歓喜地の菩薩とともに循環される「信方便の易行」の道であったということです。そして「問うて曰く」から始まる問答は、その菩薩の心である「一心」を顕かにし、その「一心」が心身からとき放たれたとき、菩薩の心は、全ての凡夫の「世間の道」に満ちていて、その全てに無量寿の門は開かれているのだと、そういうことではなかったかということでした。
行巻その⑤ 龍樹(十住毘婆沙論)Ⅳ(前)
令和7年12月 御正忌報恩講より 「易行品」 (前)
「また曰く、仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸路の歩行はすなわち苦しく、水道の乗船はすなわち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり。乃至
もし人疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし。もし菩薩この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲わば、当にこの十方諸仏を念ずべし。名号を称すること、『宝月童子所問経』の「阿惟越致品」の中に説くがごとしと。乃至
西方に善世界の仏を無量明と号す。身光智慧明らかにして、照らすところ辺際なし。それ名を聞くことある者は、すなわち不退転を得と。乃至
過去無数劫に仏まします、海徳と号す。このもろもろの現在の仏、みな彼に従って願を発せり。寿命量りあることなし。光明照らして極りなし。国土はなはだ清浄なり。名を聞きて定んで仏に作らん、と。乃至
問うて曰く、ただこの十仏の名号を聞きて執事して心に在けば、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を退せざることを得、また余仏・余菩薩の名ましまして阿惟越致に至ることを得とやせん。答えて曰く、阿弥陀等の仏および諸大菩薩、名を称し一心に念ずれば、また不退転を得ることかくのごとし。阿弥陀等の諸仏、また恭敬礼拝し、その名号を称べし。
いま当につぶさに無量寿仏を説くべし。世自在王(乃至その余の仏まします)、この諸仏世尊、現在十方の清浄世界に、みな名を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくのごとし。もし人、我を念じ名を称して自ら帰すれば、すなわち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得、このゆえに常に憶念すべしと。偈をもって称讃せん。」
龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』はこの「易行品」で最後になります。全文載せていますが、少しだけ手を加えています。お分かりのように「乃至」という字が多くありますね。数えたら五カ所ありました。まぁ最後の「乃至」は少し角度が違うかなと思いますが、それでも、それ以外は同じ使い方だと思いましたので、本来は連読している文脈ですが、ここでは「乃至」のごとに行を区切っています。番号も付けようかとも考えましたが、そこまで拘っても仕方がないので、単に区切っているだけです。今回はなるだけその区切りごとに見て行こうと思っています。そしてまた、この「易行品」については、この行巻の「入初地品」「地相品」「浄地品」を含めながら読んで行きたいと思っていますのでよろしくお願い致します。
それではまず「また曰く、仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸路の歩行はすなわち苦しく、水道の乗船はすなわち楽しきがごとし。菩薩の道もかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり。乃至」から。
最初の「また曰く」は、おそらく前の「浄地品」の続きの意味だと思うので、そのことを念頭におきながら、まず「仏法に無量の門あり」から始めます。それでこの「仏法に無量の門あり」を「仏法に無量(寿)の門あり。」とこう読んでみます。すると、ここの所は「仏法に無量寿(阿弥陀仏)の門あり。世間の道に難あり、易あり」となりますから、無量寿つまり阿弥陀仏の門において「世間の道」となり、その世間の道において「難の道」と「易の道」があると、こういうことになります。そして「難の道」は「陸路の歩行はすなわち苦しく」、「易の道」は「水道の乗船はすなわち楽しきがごとし」だと、こうなるでしょうか。
そこでまず、ここに言われている「世間」ということですが、これはどういう事かと調べたら幾つか出てきました。意味としたら「人々が互いにかかわりあって生活している場」だと言うことで大体納まるようです。この「世間」を「世界」と言い換えても差し支えないとは思いますが、世界ではちょっと広すぎる感じがある。要は、私の視野に納まるぐらいの世界だと、このようになるのかなと思っています。私たちが聞きなれている世間とは向こう三軒両隣両隣のことで、これはご近所さんのことですね。
しかしここでは、この世間を、今この私の視野に納まるくらいの世界だとする。言い換えれば、この私の観点から見る生活範囲ということになるでしょうか。現在のようなネット社会では、情報過多や人間関係の遠近化で、昔とずいぶん違っているかもしれませんが、この私をして見ているところの私の小世界という意味では今も昔も変わりはないと思います。
子供のころにも当然私の生活範囲はありました。小学校や中学校の生活。親と旅行したり、親せきの家に遊びに行ったりした。これらは子供のときの私の生活範囲でしょう。そして大人になれば生活範囲は変わっていきますね。仕事関係や家族構成、またご近所さんとの付き合い。老後になれば介護の方とのお付き合い始まるでしょう。たとえずっと同じ場所にいたとしても、私の生活範囲というのは変わっていきます。
仏教にも「世間」という表現があります。「世間」に対する概念みたいなものは同じだと思いますが、仏教で言う「世間」とは、仏教の教理を中心にすえた視野ですから、さっき言ったような、この私という視点を中心におきながらも、なをそこを超えている「いのち」という大きなテーマを持っています。この「大いなるいのちの世界」において、仏教で言う「世間」をどのように見るのか、このような問題があるわけです。
すると、仏教で言う「世間」とは、この私の小世界にとどまらず、私を超えた「いのちの世界」を視野にして、そこにいのちの広がりや深さをおさえていくのだということになります。この「易行品」で言われている「世間」もまた、このような仏教の教理にそって言われているわけですから、当然ここにも仏教的視野をもって「世間」と言われていることになりますが、しかし同時にこの私の見る「世間」もそこにあるわけですね。この同時性において「仏法に無量寿の門あり。世間の道に難あり、易あり」と、このように言われているのだと思います。
昔テレビで「ひょっこりひょうたん島」という番組がありましたね。「ひょうたん島」というちっちゃい島の物語でした。なぜかこの島は海を漂流しています。その島には村長もいて、トラひげという怪しげな海賊もいました。子供たちもいて、その中には博士という名の子もいた。そしてこの島にいろんな事件が巻き起こるわけですね。
この小島のような世界を、私の小世界である「世間」に例えた場合、ここには他の住人もいて、それぞれがこの島の中で、それも多層的にこの私に関わってくるわけです。それが私の生活範囲ということですから、人間関係が多ければそれだけ物事も複雑になるでしょう。このような観点から見る生活範囲を、私の「世間」だとしたらどうなるかなということですね。
そうすると、この「世間の道に難あり」で言われている「陸路の歩行」とは、実は、私の「世間」内を陸路で歩行しているという、私の「世間」の中の出来事になってしまいます。それ以外に私の「世間」は何処にもないのだから、「陸路」と言ってみたところで、私の「世間」の中をうろうろと歩き回っている姿にしかなりません。
それでは、今度は「易あり」の「水道の乗船」の方はどうなるでしょうか。するとこちらも同じで、「水道の乗船はすなわち楽しきがごとし」と書いてありますが、これもまた私の「世間」の中の出来事です。あるのは「陸路の歩行」と「水道の乗船」の違いだけで、どちらも私の「世間」に中の経験です。では、この「易行品」で言われている難と易の違いとは、いったいこのどこにあると考えるべきでしょうか。
こういうふうに考えると、それはこの「世間」に対するその人の感覚の違いだと、こういう事になるのだろうと思います。それでは、その感覚とはどういうことであり、そしてその違いとは何かということになりますね。ある人は、この私の「世間」が何となく浮いた感じだと、さっき話しました、海に漂流するひょうたん島のように、何か浮いた感じがある。言い方をかえれば、私のこの「世間」というものに不安定さを感じているということ。こういう表現が適切かどうか分かりませんが、なにかしら地に足が着いてないような気分ですね。
そうすると、私のこの「世間」をもっと良くして安心できるようにしたいと思うでしょう。しかし私たちの目は外へ向いていますから、それを他人と比較して安心しようとします。当然どちらが良いか比べる訳ですね。放っておくとそうなっていきますよ。よく出てくるでしょう、優越感と劣等感です。しかしもうひとつある。それが私の心のもっと深いところ、そこにこの私であるというありようが、不確かな、地に足が着いてないような不安定な感覚、そういうものは感じていないか。
こんなことは、言われなければ、あぁそうかも知れんなとはなかなか思わないわけですが、それでも何処かでみんなが感じているものではないかなとも思いますよ。そしていのちの問題は、どちらかと言えばこちらの方に重きがあるのではないでしょうか。そうすると「世間の道に難あり、易あり」の中の「易あり」の人とは、この私の居場所である、私の「世間」において地に足が着いてないような、漠然とした不安を持っている人だということになりますから、こういう感覚を持っているかいないかが「難」と「易」の違いであるということになります。
そしてその次に「菩薩の道もかくのごとし」と書いてあります。菩薩もこれと同じだということですね。しかし菩薩と書いてありますように、菩薩はこの心の深い部分から一歩踏み出そうとしている人でしょうね。しかしながら、たとえそこから踏み出したとしてもまた、その道には難と易があるということです。
この「菩薩の道」の難を、ここでは「勤行精進のもの」だと、こういうふうに言われています。この「勤行精進のもの」を、先ほどの延長線で言えば、つまりはこの違和感に対して何か意義を持っている人であり、そのことについて「勤行精進のもの」だとこう言われていることになるわけですが、それでは、その次の「菩薩の道」の易についてはどのように書いてあるでしょうか。それが「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり」ですね。これはいったいどういうことでしょうか。とにかく阿惟越致の前の「疾く」という字はすごく短い間にという意味です。一応このことは覚えておいてください。
で、この菩薩については、「地相品」にも書いてあります。「凡夫人の未だ無上道心を発せざるあり、あるいは発心する者あり、未だ歓喜地を得ざらん。この人諸仏および諸仏の大法を念ぜんと、必定の菩薩および希有の行を念じて、また歓喜を得ん」内容が難しくて詳細は説明できませんが、まず初めの「未だ無上道心を発せざるあり」のところは、この人は凡夫人ということですね。だから未だ無上道心を発していないものだと書いてあります。
次に「あるいは発心する者あり」と書いてあるでしょう。この人が菩薩のことですから、菩薩として「無上道心を発する者あり」です。しかし「未だ歓喜地を得ざらん」人ですね。この菩薩のことを「菩薩の道」の難だと言われていることになります。「地相品」にはもうひとつあります。それが「菩薩初地を得ば、その心歓喜多し」です。このことが「易行品」では「菩薩の道」の易のところになるので、つまりは、この「菩薩の道」の易とは初歓喜地の菩薩のことです。
そして「地相品」で言われている無上道心を発心するものが、「易行品」の「勤行精進のもの」ですから、初歓喜地の菩薩のことを、「易行品」では「信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者」だと、このように言われていることになります。この初歓喜地の菩薩のことは『十住毘婆沙論』の中で、菩薩とその人の特定な関係をもって表現されていますので、「易行品」でその関係性をこのように顕されたことになるでしょうか。
それで一応ここまでにしておいて、ぼくはこれまでに一つ問題があると思っていまして、先ほどから言っております「世間の道に難あり、易あり」で、ひょうたん島の譬えを出しました。そしてこの「世間の道」の「難」とは、この私の「世間」である小島しか知らずに、その中をぐるぐると歩きまわっている人だと言いました。それに対して「易」とは、この私の「世間」について、たとえそれが意識にまで上がらないとしても、何処かで言い知れない不安感を持っている人のことだと言いました。
しかし、もしも、このことが「易行品」の「易」について的を射ているのなら、その次の「菩薩の道もかくのごとし」にすっと繋がらないと思うわけです。この「世間の道」の「易」の説明が、何やらボヤっとして中途半端なんですね。そう思いませんか。なら、それは的外れではないか、と、こういうことになるのですが、これ、どういうことかと言いますと、「地相品」では「菩薩の難」とは「発心するもの」ですから、発心する動機がそこにある訳です。曇鸞大師の『論註』にこの『十住毘婆沙論』が載っています。おそらく同じ処だと思います。
「謹んで龍樹菩薩の造られた『十住毘婆沙論』をひもといてみるに、次のようにいわれている。菩薩が不退転を求めるのに二種の道がある。一つには難行道、二つには易行道である。」『論註』では「菩薩が不退転を求めるのに」と、いきなり菩薩の難行道易行道から始まりますが、「易行品」の初めでは「仏法に無量の門あり」です。ぼくはこれを「仏法に無量寿の門あり」と読みました。そしてその次が「世間の道に難あり、易あり」となっています。『論註」にはここがないわけですね。だから『論註』の「陸路の歩行」は菩薩の難行道のとこであり、「水道の乗船」は菩薩の易行道のことだとすっきりしています。
ところが「易行品」では、ここのところが「世間の道に難あり、易あり」となっているので、それをこうして説明しようとすればすごく中途半端になるのですね。そうするとこの「世間の道」の「易」のところが宙に浮いているわけです。「陸路の歩行」は何とか理解できるが「水道の乗船」との違いが分からない、と、こういう事だろうと思いますが、実はこの宙に浮いている場所にこそ、この「易行品」の始めの、「仏法に無量寿の門あり」の言葉があるのではないかと考えています。
でも、親鸞聖人はこの行巻で、「入初地品」「地相品」「浄地品」を通されて、そのままこの「易行品」を顕そうとされているわけですから、ぼくのような訳の分からないことは考えておられないと思いますよ。すっきりと「易行品」までを通されているはずです。しかし、ひょっとしたら、わざとそういうふうにされているかもしれない。
問題はこちらの方です。これは純度の問題であって、こちらの純度が粗悪だから、そこにさまざまに不純物が混ざっているわけですね。だからすっとそこが通らない。それでも、ここで言われている「世間の道に難あり」は何とか理解はできる。しかしこの私という存在が、どこか底が抜けていて、地に足が着いてないような、漠然とした不安があるということ。つまり自分の存在のありように自信がないということですが、実はそこに不純物がいっぱい混ざっているのではないかということですね。
私たちは物心ついてから今日まで何をしてきたかといいますと、いろんな経験をしてきましたね。しかしそれは考えてみれば、他人との比較ではなかったですか。そうしないと自分の経験がどのくらいのものか分からないでしょう。当然そこには優劣が生れます。優越感と劣等感ですね。しかし優越感や劣等感といってもひとそれぞれ千差万別です。強い人もいればさほど感じない人もいるでしょう。しかし全くない人はいないのではないでしょうか。
私たちの生きている社会がこういう優劣の世界だから、そこを生きて行くには、この優劣の思いからは逃げられないですよ。そういう私たちに、生きて行くための気持ちの持ちようが何かあるなら、それは自分に自信を持つということでしょう。そのために一生懸命になっているのかもしれないですね。そういう中においてもなお、今、この私の生活範囲に、どこか地に足が着いてないような不安なものを感じているということ。それは私のこの優劣の感情よりももっと深い、心の底から来るものですから、たとえどんなに生活が充実しているとしても付いてくる感覚ですね。いま生活が充実しておられる方がここにどのくらいおられるのか知りませんが、そうでない方ならなおさらではないでしょうか。
それで話を戻しますと、「菩薩の道」の難の菩薩を「発心する者」と言われていますから、その菩薩は、そこに発心する動機があるわけです。しかし「未だ歓喜地を得ざらん」菩薩であると言われています。これを「易行品」には「勤行精進のもの」だと端的に表現されていることになります。それでは今度は、私たちの立ち位置ですが、いったいその何処にあるのかということですね。そうするとやはり、それは今のこの私の「世間の道」にあり、その「易」においてであると、こういうことになるのではないかと思うのです。そしてその私の「世間の道」の「易」において、ここに「仏法に無量寿の門あり」と述べられている、と、そういうことかなと受け取っています。
行巻その④ 龍樹(十住毗婆沙論)Ⅲ
令和7年9月23日 秋彼岸会より 「浄地品」
今回は『十住毘婆沙論』の「浄地品(ぼん)」です。短い引用なので全文を載せています。まず読んでみましょうか。
「また云わく、「信力増上」はいかん。聞見するところありて、必受して疑いなければ「増上」と名づく、「殊勝」と名づくと。問うて曰く、二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり。今の説なにものぞ、と。答えて曰く、この中の二事ともに説かん。菩薩初地に入ればもろもろの功徳の味わいを得るがゆえに、信力転増す。この信力をもって諸仏の功徳無量深妙なるを籌量(ちゅうりょう)して、よく信受す。このゆえにこの心また多なり、また勝なり。深く大悲を行ずれば、衆生を愍念すること骨体に徹入するがゆえに、名づけて「深」とす。一切衆生のために仏道を求むるがゆえに、名づけて「大」とす。「慈心」は、常に利事を求めて衆生を安穏す。「慈」に三種あり。乃至」
まずこの「浄地品」の感想ですが、何がどうなっているのかサッパリ分かりませんでした。当然自分の至らなさでありますが、自分なりに悪戦苦闘していろいろと考えました。今日はその結果をここでお話しします。それでは始めます。
それではまず最初の「また云わく」から。これは前回の「地相品」を「また云わく」ということですね。じゃあその「地相品」には何が書かれていたかといいますと、「初歓喜地の菩薩」のことが書いてあります。だからこの場合の「また云わく」は、初歓喜地の菩薩について「また云わく」と、こういうことになります。
それからもうひとつ、この「浄地品」の途中に「今の説なにものぞ」というヵ所があるでしょう。この「今の説なにものぞ」に今回は焦点をあてて話を進めて行こうと思っています。つまりこの「今の説」が、この中の何処を指しているのだろうか。この観点から「浄地品」に入ることにします。
これは普通に読めば、この「今の説」は、その前の「問うて曰く、二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり」のことだと思いますが、しかしながらそのつもりで読んでも、どうも前後の繋がりがないように思えまして、腑に落ちないわけですね。この「問うて曰く、二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり」の方が、どちらかといえば唐突に出てくる気がするわけです。
そのことをふまえながら、最初のところから読んでみますと。「また云わく、信力増上はいかん、聞見するところありて、必受して疑いなければ「増上」と名づく、「殊勝」と名づくと。」これが初めのところですね。そして「問うて曰く、二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり」ですね。そしてその次に「今の説なにものぞ」と、こういうふうに続いているわけですが、この「今の説」がこの中の何処を指しているのか。
それでまず「信力増上」ということですが、この「信力増上」には二つの顔があるということでしょう。そのひとつが「増上」です。そしてもうひとつが「殊勝」ですね。だから初歓喜地の菩薩のとき、「信力増上」は「増上」と「殊勝」というふたつの顔があるということになります。
そうすると、この文をもう少しかみ砕くと、初歓喜地の菩薩のとき、「信力増上」という徳がある。その徳をよく理解して、しっかり受け取り疑いがないなら、この「信力増上」は「増上」と名づけ、また「殊勝」と名づけるのだ、と、こういう事になるのではないかと思います。
「勝」というのは、これは仏の方のことで、仏の勝れたはたらきを言いますから、ここで言われている「殊勝」も同じく仏の方のはたらきのことをいいます。しかもそれは殊に勝れているということですね。そうするとこの「信力増上」とは、仏の方の、それも殊に勝れた「増上」であるということになります。
それから、次に「問うて曰く」です。ここに「二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり」があります。ここでは「二種の増上」だと言われいて、そのひとつが「多」であり、もうひとつが「勝」ですね。
ではこの「多」は何かというと、おそらく「地相品」の、初歓喜地の菩薩の徳である「多歓喜」のことでしょう。その「多歓喜」がここでは「多」と省略されていることになりますが、この「多」が「二種の増上」の一つですね。そして二つめが「勝」です。「信力増上」の方は「増上」と「殊勝」で、「二種の増上」の方は「多」と「勝」です。
それではまず「二種の増上」から話すことにしますが、この「二種の増上」にはまず信力という字が抜けていますね。「地相品」の方には、初歓喜地の菩薩の徳を多歓喜と言われていましたが、ここでは「多」と言われていて、その「多」は「増上」すると言われているわけですね。そしてまた、そのとき「勝」の方も増上する。つまり仏のはたらきの方も増上している、と、こういうことになります。
「多歓喜」はより「多歓喜」へと増上し、その時に「勝」はより「勝」へと増上する。ではこの「多歓喜」を「地相品」でどのように説かれていたかということですが、要約すれば、まず多歓喜は初歓喜地の菩薩のときの徳であるということですね。そして、その徳とは何かといえば、諸仏の世界を顕していて、その地を歓喜地といい、その歓喜地に念ずる諸仏の全一人称の相を見る。このこともって多歓喜であるということだと思いますが、それに加えて、この「浄地品」には「多」は増上すると、このように多歓喜の増上する相を言われていることになります。
そのときもう一つの「勝」は、この「多歓喜」の増上する相を仏の方から顕したものだと思うわけですね。つまり初歓喜地の菩薩のとき、諸仏の徳である多歓喜は増上し、仏の慈悲もより増上し深くなる、と、あえてここに「深く」と付け加えておりますが、このようになるのではないでしょうか。つまり「多」はより増上し、「勝」はより深くなるということですね。そうするとこの「二種の増上」は動的であるということになります。
だから、ここで言われている「多」は「増上」する「多」ですから、初歓喜地の菩薩のときの「多歓喜」は増上するのであり、そのとき仏のはたらきもまた増上していると、このように言われるわけでしょう。さて、そこで疑問ですが、この「信力増上」の「殊勝」と、「二種の増上」の「勝」とではどちらが勝れているでしょうか。
「浄地品」のはじめのところに、「「信力増上」はいかん。聞見するところありて、必受して疑いなければ」と書いてあります。ここに「疑いなければ」とあるでしょう。そして今ここに「信力増上」の「殊勝」に疑問がある。つまり疑っているわけですね。するとここにちゃんと書いてあります。
もう一回言いますが、この「信力増上」に疑いがないなら、「信力増上」は「「増上」と名づけ、「殊勝」と名づく、です。そしてその次が「問うて曰く」ですから、ここに疑いがあると書いてある。それがこの「問うて曰く」ですね。こういうふうになると、「今の説」がこの文のいったい何処を指しているのかといえば、それは初めの「「信力増上」はいかん。聞見するところありて、必受して疑いなければ「増上」と名づく、「殊勝」と名づくと」のところですね。
そして今、ここにも疑いがある。その疑いが何かといえば、この場合は「二種の増上」の「勝」と、「信力増上」の「殊勝」の違いは何ですか、と、こういう疑問ですね。「信力増上」に疑いがないならいいが、この説に疑いが生じているわけですね。お分かりのように、こちらも無理やり「問い」をつくりました。
そこでまず「信力増上」に「聞見するところありて」と書いてありますね。「聞見」とはよく理解してと読むのだと思いますから、そのことをよく理解して、そしてしっかりと受け取り、疑いがないならば、それは「「増上」と名づく、「殊勝」と名づくと、このようになるわけです。
「浄地品」では、唐突に「問うて曰く、二種の増上あり、一つは多、二つは勝なり」です。こちらは「二種の増上」までを読んでみて、「問うて曰く」、「殊勝」と「勝」との差別化は何ですかといっていることになります。反対に、「信力増上」という「今の説」に何も疑問がないなら、初歓喜地の菩薩のとき、その「信力増上」を聞見し、必受して疑いがないからだ、と、こういうことにもなるでしょうか。
しかし今ここに疑いがある。だから「信力増上」の「今の説」にこちらも疑問が起きているわけです。で、その疑問とは何かといえば、それは「殊勝」と「勝」の差別化は何故かということですね。だから他にも疑問はあると思いますよ。しかし、少なくとも今、ぼくにはそういう疑問がある。そしてこの疑問について次に「答えて曰く」です。
きっと他にも疑問があるはず。この文の「二種の増上あり」もその疑問のひとつでしょう。しかしそれらについても「答えて曰く」ということになりますから、疑問はいろいろあるが、しかし「答えて曰く」からはみな同じだという、実に不思議な文章になります。そしてその答えが、次の「この二事ともに説かん」ですね。そうすると、ここにまた新たな問題が出てくるわけです。
「この二事ともに説かん」の二事とは何か。このどこにその「二事」があるのか、と、こういう問題ですね。普通に考えるなら、この二事とは「信力増上」と「二種の増上」の事になりますが、しかし、一応この「二事」については、しばらくそのままにして先に進みたいと思います。
「菩薩初地に入ればもろもろの功徳の味わいを得るがゆえに、信力転増す」。まずここでは「信力増上」が「信力転増」に変わっています。それで、この「菩薩初地に入れば」とは、初歓喜地菩薩のときをそう書いてあるのでしょう。すると、初歓喜地の菩薩のとき、「もろもろの功徳の味わいを得るがゆえに」とこのようになり、そのときの「もろもろの功徳の味わい」を、この「浄地品」には「信力増上」だと言われているわけですから、ここに言われているもろもろの功徳とは「信力増上」の「増上」と「殊勝」のことになるでしょう。
それでは、この初歓喜地の菩薩のときのもろもろの功徳を、今度は「地相品」の方に見てみると、まず初歓喜地の菩薩のとき、その菩薩の地は諸仏が現前する多歓喜の地であるということでしたね。それをここでは「多」と言われています。そして「多」はまた「勝」であると。この二種の増上する相(すがた)が、初歓喜地の菩薩の功徳の味わいであるとこのように言われています。
初歓喜地の菩薩のときの徳を、「浄地品」では「信力増上」だと言われていてますが、今話しているのは「地相品」の「二種の増上」のことを話しているわけですね。ここに「信力増上」と「二種の増上」が重なってしまいます。そこで、私たちがこれまで見てきたのは、そのどちらの方かと言えば、それは「地相品」の「二種の増上」の方ですね。それを「浄地品」では「多」と「勝」といわれていて、動的に顕されています。
「浄地品」では、まず「信力増上」です。そうすると考えられるのは、初めに「浄地品」とは何かが書いてある。で、それは「信力増上」ということだと、このように初めに措いてある。だから「「信力増上」はいかん」です。そしてこの「信力増上」を「聞見するところありて、必受して疑いなければ「増上」と名づく、「殊勝」と名づくと」このようになります。それでは唐突に現れた「問うて曰く、二種の増上あり」はいったい何処から来たのかといいますと、それは、前の「地相品」の、初歓喜地の菩薩のときを背景にしている。そして「問うて曰く」です。
「地相品」からすれば「二種の増上」は「多」と「勝」だと。だから「浄地品」の「信力増上」の「増上」と「殊勝」という「今の説」はなにものぞ、と、このように読むのだろうと思います。他にも「浄地品」についての読み方があるでしょうね。真偽はともかくとして、先を読みながら考えて行くことにします。
それで、次に「信力増上」が「信力転増」に変わっていますね。この「信力増上」は転増する「信力増上」だと、このように言われていますが、ここに「転増」という新しい言葉が登場するわけです。意味としては前の信力増上と違うということでしょうか。
「信力増上」の本質はそのまま、しかし前とは違うということですから、するとそれは前後の問題です。この前後の問題が次の文になります。「諸仏の功徳無量深妙なるを籌量(ちゅうりょう)して」のところです。ここに「深妙」という言葉が新しくあります。この「深妙」の意味は、妙なる仏力によってより深まっていくということでしょう。
「信力増上」の本質は同じです。しかし深さが違う。その深さに諸仏の無量功徳の深妙さを見るということ。この深妙なる功徳無量を、殊勝なる仏力である、つまり殊に勝れた阿弥陀仏の力によるのだと籌量する。籌量とは数え思い計るということだそうです。だから、この諸仏の功徳無量の深妙を、初歓喜地の菩薩のとき、その時々に思い計るということですね。「ますます深まっていくなぁ」と諸仏の功徳無量を思い計るということになります。この殊勝なる仏力である阿弥陀仏のはたらきを、初歓喜地の菩薩のときに信受する。このことを「諸仏の功徳無量深妙なるを籌量して、よく信受す」とこう述べておられるのではないでしょうか。
さて、ここでまた問題です。どうもこの「浄地品」は問題だらけでありまして、よく問題が出てきます。それで、問題です。この「もろもろの功徳無量」を信受するのは誰ですか。
初歓喜地の菩薩のとき、諸仏の功徳無量を、殊に勝れた阿弥陀仏の力だと信受する人がそこにいることになりますね。それがその次の「このゆえにこの心また多なり、また勝なり」のところになりますから、この文は「このゆえにこの(人の)心また多なり、また勝なり」となって、「この心」に(人の)を入れます。そうすると信受する人がそこにいることになります。この(人の)心とは、つまりは人の心ですから、人の心であるがゆえに、その心は煩悩の心です。しかし「信力増上」は初歓喜地の菩薩のときを言うのであり、これは仏の方の出来事なのですね。
それでおさらいをします。「家清浄」のこの菩薩、この人の初果を地にするとき、この菩薩を初歓喜地の菩薩だとこのように言われます。この初歓喜地の菩薩のとき、そのとき「この人」の心は煩悩の心でありながら、初歓喜地の菩薩の「信力増上」である功徳無量深妙を籌量する。その(人の)心もまた「多なり、また勝なり」です。
だからこのときの「多」と「勝」は、初歓喜地の菩薩のときに、この(人の)心も同時に含んでいることになります。まあ、これでいいのかどうか分かりませんが、今のところそういうことだと思っている次第です。それで、この功徳無量深妙を籌量するとは、この(人の)心においても、その時々の深さが違うということですね。そしてまた「地相品」では、初歓喜地の菩薩のとき、諸仏の功徳無量は、そのまま諸仏全一人称の心でありましたが、「浄地品」では、この功徳無量深妙の阿弥陀仏の宇宙観を、さらに動的に述べられようとしていると、そういう事ではないでしょうか。
そして、ぼくはこの事が「信力増上」の一事だと思っていまして、そうするともう一事が残っていることになります。それでは次に「深く大悲を行ずれば、衆生を愍念すること骨体に徹入するがゆえに、名づけて「深」とす。」に入ります。
ここに「深」という字があります。愍念(みんねん)はより深い慈しみという意味だそうです。すると、この「深く大悲を行ずれば、衆生を愍念すること骨体に徹入するがゆえに」というのはどういうことになるでしょうか。ぼくはこの「骨体に徹入する」というヵ所に注目しています。骨体ですから骨の問題です。骨体と身体とでは表現は似ていますが、何故骨体なのかに拘っています。骨体に対しては身心ではないか。つまり身体において身心と骨体です。その中の「骨体に徹入す」と、このようになります。
私たちは普段、頭が良いとか悪いとか言っていますが、これは要するに脳の良し悪しを言っているわけですね。頭が良いからといって、性格も良いとは限りません。頭が良くてもずる賢い人もいます。頭は回転次第で良くもなり悪くもなる。そして私たちの生活は、そのまま人間の集合体ですから、さまざまな人間関係の中で生きているわけですね。まあ、それでも頭が良いにこしたことはありませんが、ここで言いたいのは頭の良し悪しではなくて、骨である頭蓋骨の問題です。
でもね、頭を単に頭蓋骨と見て、それを自分の人生に直結される人はそうはおられないでしょう。頭蓋骨が小さかったら小顔になるわけです。それで生き方が多少変わるかもしれませんが、だからといってそれを頭蓋骨のせいだとは言わないわけですね。考えてみれば、頭蓋骨と脳は触接に繋がっているでしょう。直接といっても間に間膜はありますが、脳は内臓であり頭蓋骨は骨です。この脳と頭蓋骨の関係をもっと広げると、私たちの身体は、片方では身心として心に繋がりながら、同時に骨と繋がっているわけでしょう。そしてその身体がまるごと周囲の環境にあり、私たちの生活、そして人生になっています。
私のこの身体は体脂肪や内臓の調子によっても心に関わりますよね。体調が悪ければ気持ちも悪くなる。同じように骨が折れたら大変です。要は私の身体は身心にも骨体にも関わりながら、周囲の環境に身をおいている。そして、心はその中でいろいろと動きながら、今こうしてそれぞれが生きていることになります。
話は変わりますけど、臓器移植の問題はかなり前からありますね。ノーベル文学賞を受賞されたカズオ・イシグロ氏の作品「わたしを離さないで」は、臓器移植のために英才教育されたクローン人間の物語でした。クローン人間として生まれ、臓器移植という宿命を背負わされながら、人間として恋愛し、そして臓器移植の現実を突きつけられていくという問題作品でした。この臓器移植の問題は形を変えて今でも多く問題視されています。反面、IPS細胞のような万能細胞の時代にも入ってきました。人間の尊厳と生命は一丁目一番地の問題であることは変わらないと思います。
それで、この臓器ということですが、臓器にも人の心はあるのか。不慮の事故で夫を亡くした妻が、夫の臓器が他人に移植されていくときに、その臓器に夫のいのちを見ていく。このようなことをささやかれたことがあったでしょう。脳が心の全てだと考える人の方が少ないかもしれない。どこか身心という、内臓や肉体にも心は宿ると考えておられる方も多いのではないでしょうか。身体における身心が、このように心と肉体の関係をいうならば、それでは身体における骨はどうだろうということですね。
骨は確かに肉体の一部です。しかし身心のように、心が骨にも関わっていると考える人はそんなにはいないでしょう。最近は膝の手術がすごくよくなったと聞きます。人工関節ですね。骨は内臓と違い、どこか物として見ている。しかし骨もまた幼児から青年へと成長して、老人へと脆くなっていきます。それでもなお心と内臓の関係とはどこか違う。骨もまたその人としての身体でありながらも、どこか物との関係があるのではないですか。
それでは、心を意識とした場合にはどうなるでしょうか。これすごく難しいですね。意識といっても、無意識をも範囲に入れた意識ですから、これだけでも難しいわけですが、とにかく心を意識とした場合、まず直観をいいます。この直観という言葉を意識の一番初めとして使います。目でいえば網膜にそれが映っているとき、つまり脳に伝達するとき、と、このようになるかなと思いますが、ただそれだけのことです。このときを直観といいます。これ、五感の目・耳・舌・鼻・皮膚すべて同じですが、目はそれをそのまま映しているから、直観はこの視覚において言われていると思います。
だから、ただそこにある映像感覚のときということですね。これを直観と言い、この直観から意識が生れていくようすを見ていく。哲学にはこういう思考方法があります。カントはこの直観のところに悟性という概念を持ってきます。そして悟性に意識が生れる根源を見ていきます。仏教の場合にもこのような直観はありますが、カントのような意識のはじめに悟性という概念はなくて、この直観を、映すものと映されるものとの関係として見ます。そして映す方を身体に措き、映されている方を心とする。このとき映す方を器や鏡に例えたりします。
この関係の外に私がいて、そしてそれを見ているという関係ではありません。そういうことではなくて、突き詰めればということですね。そのとき心は、ただ「映すものと映されるもの」の関係であるということです。この関係のとき、鏡に映されているのは、その人の心そのものですから、その心は煩悩だといいます。しかしこの場合の煩悩は、普段私たちが考えるような煩悩とは違います。では何故同じように煩悩という言葉を使うのかといいますと関係があるからです。
それで鏡が澄んでいれば、映る煩悩もはっきりと映るというわけですね。「明鏡止水」をよく言われますが、調べるといろいろと書いてありますね。例としては「何の邪念もなく、静かに落ち着いている心の状態」。また「一つの心境」などと書いてあります。このような鏡と心の関係を見ていくのが仏教の基本だと思いますが、この『十住毘婆沙論』に出てくる初果というのも、この鏡と心の関係だと思いますね。つまり心と身体の問題です。
この心と身体の関係は、『観経』の「定善観」によく顕れていて、善導大師は「水想観」にこの鏡と心の関係を顕しますが、もともと『観経』は心と身体の関係を深く見ていくもので、そこに阿弥陀仏の浄土を顕していきます。
『観経』は、まず韋提希にまつわる事件から始まるわけですね。お釈迦様が「定善観」をお説きになるきっかけが、韋提希の「光台現国」のところです。そのとき、韋提希はお釈迦様の眉間から放たれた光の中に、諸々の諸仏の国土を見せられます。そして韋提希はお釈迦様に懇願します。この辺りを「光台現国」といいます。そして「世尊、このもろもろの仏土は、また清浄にしてみな光明ありといえども、我いま極楽世界の阿弥陀仏の所(みもと)に生れんと楽(ねが)う。唯(やや)願わくは世尊、我に思惟を教えたまえ、我に正受を教えたまえ」と『観経』は続きますが、「定善観」の発端にこの韋提希の「光台現国」がある。この「光台現国」と初歓喜地の菩薩とが深く関係していると、親鸞聖人はそう見ておられるのではないかと、ずっと考えているわけです。
それで、この初歓喜地の菩薩のときとは、これは(家清浄)の「この菩薩、その人の初果を地にしたとき」ということですから、この場合の初果もまた、鏡と心の関係によるのだということでしょう。ただ初歓喜地の菩薩にはこの「映すものと映されるもの」の関係に納まりきれないものがある。この「浄地品」で言われている「増上」の動的もそのひとつですね。
善導大師は「定善観」の「水想観」で、この鏡と心の関係を顕しておられますが、初歓喜地の菩薩という名称はありません。また「水想観」は「定善観」のまだ初歩的なところです。しかしまあ、このことは今後の展開にまた出てくると思いますのでこのくらいにして、とにかくこれらは心と身体の関係である、と、そういう事だと思います。
しかし、身体にはもうひとつ骨体の関係を持っているということですね。じゃあこの骨体とは何か。それが身体における骨と物の関係だということですね。ここで言う物とは、哲学的に言えば「物自体」という言い方になると思いますが、心は身心にあるから、それぞれの心にあります。しかし骨体は骨と物との関係でもあります。心はそれぞれの心の問題ですから、その人の心から出ることはありません。だから、心と身体といった分け方では心と身体は離れません。しかし骨と物との関係は、私という個体に限定されない。だから骨体というのは、心と身体の関係を超えていて、物へと深く、そして広く関係しているということではないでしょうか。
この骨と物の関係をもって、初歓喜地の菩薩のとき、阿弥陀仏は「深く大悲を行ずれば、衆生を愍念すること骨体に徹入するがゆえに、名づけて「深」とす。一切衆生のために仏道を求むるがゆえに、名づけて「大」とす。」と、このように言われるのですから、この「骨体に徹入する」とは、初歓喜地の菩薩のとき、阿弥陀仏は浄土に凡夫と諸仏の関係を開きながら、その凡夫と諸仏の関係とともに、一切衆生をも包みいれるという、阿弥陀仏の深い大悲を、この「浄地品」で顕そうとされているのではないでしょうか。そして、このことが二事のもう一つの事であると思っています。
ブログに関するご質問
「易行品」を書き終えて
一年をかけて龍樹の『十住毘婆沙論』を書き終えた。予定通りに進んで良かったと思う。不明な点は多々あるが、少しは前に向かっている気はする。ところで、この「易行品」を書き終える頃にはちょっぴりと使命感さえあった。おかしく思われるかもしれないが正直そういう感覚である。そして今、この親鸞の顕す『十住毘婆沙論』を終えて思うことは、現象と事実ということである。言うなれば、宗教における一個人の現象とその事実関係ということになるだろうか。純粋現象の意義は大きいが、事実は一個人の現象を超えている。この大きなテーマがあったのが嬉しい。そして龍樹の『十住毘婆沙論』「易行品」を書き終えて思うことは、これもまたひとつのハードルであったということだ。次のハードルに向かって新年が始まる。親鸞は飽きない。
「教巻への一考察」についての感想
「教巻への一考察」をブログに載せてしばらくが経った。書いた直後はあまり見たくないのでそのままにしておいた。読み返すと(いつものことだが)表現の至らなさと内容の乏しさを痛感する。いまさらではあるが、少しばかりこの「教巻への一考察」についての経緯を述べてみようと思う。まず、この「大」と「無量寿」の関係を、それもやや無理やりであったが、ア・プリオリの概念と結び付けた。これは証巻にときにカント(ドイツ観念論)を意識していたので、それならばと、教巻においても同じことが言えるだろうということでア・プリオリの思考を用いた。結果意外なことに変換が必要になる。そしてその変換が観経における浄土と阿弥陀仏の関係を思い起こさせたのは意外だった。カントが親鸞を知っていたとは考えにくいし、もし知っていたならこの変換も必要がなかっただろう。そして親鸞がカントを知っているはずはない。親鸞とカントとの関連は謎のままである。
次に親鸞の語句の読み変えである。意図的な読み変えなのは間違いない。後程この問題は現れてくる気がするが、釈尊その人という具体性がおそらくキーワードではないかと思っている。ブログにもそれを思わせぶりに書いたつもりである。
証巻 正定聚について その② 曇鸞における自性清浄浄土の定義としての考察
エトムント・フッサール著『イデーン』Ⅰ―1 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想
第一巻 純粋現象への全般的序論 渡辺二郎訳
第三章「純粋意識の領域」
第四十八節 「われわれの世界を離れてその外にある世界というものの、論理的可能性と事象的背理」
『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門の編集後記
『論註』に興味のない人にはつまらないものになったかもしれません。引用文が長いのでそれだけで目を通したくなくなりそうなものでもあります。法話としてかなり無理な試みではありますが、この讃嘆門は以前からクリアしたいところでした。当の本人はというと、けっこう満足しております(笑)。問題点は多々ありそうですが、目下のところはこの程度だろうと一息付けた感じです。しかし、少し時間が過ぎて改めて見直した時に、のっぺらぼうな文章が羅列されているだけのようにも感じました。解読としたら、現時点ではこれ以上のものは自分にはありませんが、法話としたら及第点にも至っていないでしょう。ここで一点だけこの讃嘆門を説明したいと思います。三信三不信の問題でありますが、このヵ所は前日まで書けなかったところです。原稿を構成する暇もなくて、法要の当日に加筆し訂正したところもあります。意味そのものが分からずに戸惑っていたときに、これは付け加えられたものだという思いが飛び込んできました。実感としたらそういったものです。実相身為物身の問題はわりと早くから想像はついておりましたが、三信三不信はそこに付け加えられたものだという発想そのものがなかったのです。考えて見れば、「我一心について」で述べたものがここに出てきただけですが、当の本人はそれにぜんぜん気づかずに悪戦苦闘していたわけです。『論註』はすごく難しくていったいどこまで行けるのか分かりませんが、もう少しだけなら行けるかもしれない、そういう感覚で次回も考えております。のっぺらぼうの文章も悪戦苦闘の末にできた荒れ地の跡である、と想像していただければ幸いです。
観経疏の発菩提心に思う事
本来はこういう発菩提心を話す予定ではなかった。この散善顕行縁はどこか素通りしていたので、こういう壁が有ったことが自分としては驚きだった。分かったつもりで過ぎた処にかなり苦しめられて、結局この発菩提心が主題の原稿となった次第である。最後のヵ所は何回も書き直した場所だ。まだ消化不良の多い所であるがひとまず結論的に置くことにした。親鸞聖人が比叡に居られるころに観経疏はすでに読破されていたと考えるのはかなり前からである。ただ、この原稿が法話として成立するかどうかと考えた時に、ずいぶんと乱暴な原稿だなと思う。もっとざっくばらんに書きたかったなあ。
(自灯明・法灯明)と念仏についての考察
この「(自灯明・法灯明)と念仏」は、聖覚法印の『唯信鈔』を意識して、曽我量深選集の歎異抄聴記の第二条を述べたものである。選集第二条における法の引用文をもとに『唯信鈔』を現代タッチに表現しようと思った。理由は、歎異抄第一条と第三条を続けて構成しようとしたら失敗した経緯があり、この第二条は別の角度からのアプローチが必要だと考えたからである。法の深信とは自己規定を法から示されるものなのかもしれない。また規定として示すとは、法との関係において示すのであり、いうなれば関係性という形である。それに対して機の深信は、法との関係によって現れる自己の深まりである。深まりは動詞であり、深まりつつある自己の姿を現すのだろう。第一条からいきなり第三条へと飛べない理由が、この法との関係を前提にしなければ困難だからだと思ったからである。それを『唯信鈔』をもって表そうとしたわけはまだ自分でもよく分からないところであるが『唯信鈔』が元来そういうものだということなのだろうか。しかしながら当初からそいう事を考えて原稿を作成したわけではない。後から考えたらそういうことじゃないだろうかと思っているだけだが、布石という理由で、ひとまず初めに措いておこうとしたのは確かである。
歎異抄第3条の編集語録
彼岸会での原稿を纏めていたら後半が煩雑になっていることに気がついた。意識とこころ、こころと無意識、身体と無意識。不明なことが多い中で話を進めるのが難しかった。なんとか自分なりに纏めたつもりである。法蔵菩薩の問題は第3条から登場するのはある面必然的だと思うので付け加えている。
「気遣い」と「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを」
「不安」編ではハイデガーの『存在と時間』について自分の所見を書いてみた。そこにおける気遣いは、親鸞における善悪の問題と共通点が多い。正像末和讃で「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがほは おおそらごとのかたちなり」と親鸞は述べている。この「よしあしの文字」だが、これを「気遣い」と「不安」の関係に見るなら、それは「気遣い」における意識関係の前後になる。無に対して「不安」「居心地の悪さ」から発して何かを気遣うまでの過程を気遣いの前後とするなら、親鸞における「よしあしの文字もしらぬひとはみな」は気遣う前の段階である。それはハイデガーにおいては、そこにあるのは「不安」における心の動きだけであって、気遣う処の具体的な内容は無い。これをもしこの和讃に当てはめるなら、それが「まことのこころ」であり、ハイデガーでは身体的な機能に属する意識のあり様ということになる。そして「善悪の字」は気遣う内容を言葉にしたものだろうから、それは何かを意識するということであり、「善悪の字」は「気遣い」として見ても「おおそらごとのかたちなり」なのだ。共通するものは他にも多く見ることが出来るかもしれない。だからと言って全てが同じだということでもないだろうが。そしてすでに十数年たっているのでかなり忘れしまった。こういう論理的な構築は様々な所見の取り扱いに対して目安になる事があるのでとりあえず書いておくことにした。