ブログの「宗教観と信心について」をかいた理由

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 宗教と信心といえば常識的な捉え方ですが、宗教観と信心は必ずしも並ばないものです。しかしもともと親鸞における信は特徴的でもあり、一般的な概念では通用しないものだと思います。このブログはどこかで信心の概念を切り崩して、親鸞の信をとらえようと試みたものです。このブログにある「自の業識」を時と場所に設定出来たのが成果ではないかとも考えています。本来はこういう解説をするつもりはなかったのですが、このワードプレスにおける設定を考慮して書いています。

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