観経疏の発菩提心 そのⅡ

令和3年6月  永代経法要より

「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり、また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。ゆえに発菩提心というなり。」

  去年の報恩講で躓いたところです。半年前の話ですからもう忘れておられると思いますが、ホームページのブログでは「観経疏の発菩提心」の続きになっていますので続けて読んでいただければ何とか繋がっているかなとも思います。あの時は突然壁が現れたイメージになり先に行けなくなりました。それがこの発菩提心の処です。この「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり」という言葉に何故躓いたのかといいますと、菩提はたしかに悟りという意味ですから、仏そのものの意味ではあります。しかし菩提心は単にそういう仏を現わす語と言うよりも、私達が何処かに思いえがく向上心のような上りゆくといったようなものが何処かにありませんか。それがここにおいては菩提心から菩提という語だけを取り出して、仏果であるとわざわざ言わなければならないのは何故なのか。すごく違和感があるのですね。

 そして「また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。」ですから、心はあくまで衆生の心です。菩提は仏果、心は衆生、つまり菩提は仏そのものですから初めから仏であり、衆生は何処までも衆生です。言い方を変えるならば、菩提はずっと菩提であり続けるのであるし、衆生は何処までも凡夫であり続ける。菩提と衆生は何処までも平行線をたどるのであり交差しない。もし衆生能求の心が菩提心であるならばそれはすでに衆生能求の心ではなくて菩提そのものである。

 普通ならば菩提心がいつか成就することを願うのであり、まあ成就するかどうかは別問題としても、いつかどこかでひょっとすると叶うかもしれない、そういう先をイメージするような淡い期待感がありますね。しかし「菩提は仏果の名なり」といきなり言い切られた場合には、衆生においてそういう成就は無いのだと断言するのと同じではないですか。これを念頭において菩提心を発しなさいというのがこの「発菩提心」ですね。これね、普通考えると分からないですよ。でも、今回はこの訳が分からないところを中心にしてもがいて行ければと思い、躓いた処であるこの「発菩提心」を再びテーマにしました。御聞き苦しいかとも思いますが宜しくお願い致します。

 まず『観経疏』「序文義」の終わり辺りにこの「発菩提心」が登場します。お釈迦様の前で韋提希は阿弥陀仏の浄土を願います。その時の願いを「教我思惟、教我正受」と言いまして、この「教我思惟、教我正受」とは浄土への手立てである思惟の仕方を教えて下さい、またそれが正しく受けとれることがどういうことか教えて下さい、と言うような事かなと思いますが、で、この韋提希の願いによってお釈迦様がまず定善観を説かれます。ただ、韋提希はまだ阿弥陀仏の浄土を願いはするが、それを自ら受けとる準備が出来ていない。それで浄土への韋提希の基礎認識にあたる三福を説かれます。その最後にこの「発菩提心」が出て来ます。「発菩提心というは、これ欣心大に趣くことを明かす。浅く小因を発すべからず、広く弘心を発(おこ)すにあらざるよりは何ぞよく菩提と相会することを得ん。たゞ願わくは、我が身、身は虚空に同じく心は法界に斉しく、衆生の性を尽くさん。」と書かれています。今回はこの文章を解読することになりますが、まあ、とにかく先に進んで行きたいと思います。

 まず「欣心大」の欣心(ごんしん)とは願い求める心だと言います。「大」は私を超えているものですから仏のはたらきという事ですね、だからこの場合の「大」は阿弥陀仏でありまた阿弥陀仏の浄土という事でいいのでしょう。するとこの「欣心大に趣く」は阿弥陀仏の浄土を願い求める心に趣くという事になります。次に「浅く小因を発すべからず、広く弘心を発すにあらざるよりは何ぞよく菩提に相会することを得ん」ですから、阿弥陀仏の浄土を願い求める心に趣くとはどういうことか、この発菩提心においてこの「浅く小因を発す」と「広く弘心を発す」との違いを見るのですね。で、どこまでが浅く小因を発すことなのか、またどこからが広く弘心を発すというのか、この事についてまず解かなければなりません。

 以前、佐賀城後に行った時のことですが、いつも鉄道沿線に沿って南北ばかりを往来していたので、たまには違う処にも行ってみようということで佐賀方面に出かけて行ったのですね。佐賀市内は久しぶりで勝手もよく分からずとにかく有名なところへ行こうと佐賀城後の本丸御殿に行きました。佐賀市内は県庁所在地でもありそれなりに歴史と街並みがしっかりした処ですね。で、普通天守閣というのは城郭の中央部にあると思いますが、この佐賀城は天守閣が城郭部分に建ててあるようでした。変わった建て方だというのが印象です。ご存じのように佐賀藩は薩長土肥といいまして明治維新を推進した薩摩、長州、土佐、肥前(佐賀)の四藩の一つですね。大隈重信や江藤新平などを輩出した藩です。本丸御殿には藩校の弘道館の様子も沢山紹介してありました。西洋を見据えながら日本の将来に大志を抱く若者も沢山おられたでしょう。こういう世界に広く視野を向けるのをでは弘心というのだろうか。普通に考えたらそういうものを「広く弘心を発す」と言うのじゃないですか。

 それじゃあ、浅い小因とは何でしょう。この幕末当時においてこの地ではすでに石炭は採掘されています。石炭採掘はつねに水処理の問題が障害になっていたようで、炭坑工夫同士の水争いから、鉱山の水没まで水処理の問題は深刻だったと聞いています。明治以後西洋のポンプ導入でようやう収まったそうですが、では、こういう炭坑の話は「広く弘心を発す」内容にはならないだろうか。それとも「浅く小因を発す」ところの類だろうか。石炭産業は当時の日本の近代産業からすればけして浅く小さなものではないと思いますが。それでも時代の変換からすれば中途半端でもありますね。では、いったいどの辺りから広いと言うのだろうか、そしてまたどこからが浅い小因というのだろうか。私事は他人から見ればちっぽけな出来事ですね。だから浅い小因ですか。でも、私事は私自身からしたらこれほど大きい問題はありませんよ。では、この浅く小因というものと、広く弘心ということの違いは何かといいますと、ここでは「欣心大に趣く」ですから、阿弥陀仏の浄土を願っているかどうかです。すると佐賀藩の弘道館も炭坑の水処理もどちらも浄土を願ったものではありませんし、私事も阿弥陀仏の浄土を願った問題かといえばそうじゃない。するとここにある全部が広い弘心ではないのかもしれない。

 私たちは生きていると色んな事がありますから、毎日何かにつれ悩んだり、喜んだり、怒ったり、横着になったり、自分を卑下することもあります。そんな自分の心をよくよく見つめてみると、よろしくないものも結構あるようです。そんなこんなを本音として持っております。いやいやおれはそんなものは全然持っていないぞとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、なるだけそういう方には近づかないようにしております。また、人間関係に悩んでおられる方も多いでしょう。そういう心の問題ですが、この菩提心とは仏になりたいと願う心ですね。ただ何となく願うのではない。強くそうなりたいと願うのでして、健康を願うとか、子供が幸せになってくれることを願う、宝くじが当たる事を願う、こういう願いなら強く願えますが、私は仏になりたいと強く願われる方がどれだけおられるのだろうか。今日の発菩提心はそういう話なのですが、現実的ではないといえばそれまでですが、また人間の深い処での話かとも思います。普段の我々ではあまり考えない事ではありますが、韋提希には人生において、いま、のっぴきならない事が起きているのですね。そこに私自身の耳を傾けて聞いていくのも大事なことだと思います。

 『観経疏』の冒頭に「帰三宝偈」という偈文が書かれています。この偈文の最初の処です。「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣 共発金剛志 横超断四流 願入弥陀界 帰依合掌礼」

 この「道俗時衆等」の「道」は出家した人、「俗」は在家の人という意味です。だから「僧も在家も各々この上ない心を発しても、生まれ死んで行く私たちは、生きることへの執着は甚だ厭(いと)いがたく、仏法をよろこぶことも復困難である。共に金剛志を発(おこ)して、横さまに四流を超断せよ。弥陀界に願入して、帰依し合掌したてまつれ」多少アレンジが入ってますが、だいたいこういう内容かなと思います。で、この二句目の「各発無上心」ですが、これを次の文脈との関連で読むと二つの読み方があります。まず今読んだように「おのおの無上心をおこせども」という読み方です。もう一つが「おのおの無上心をおこしなさい」と読みます。初めの読み方では、それぞれが無上心をおこしても困難だから、共に金剛志をおこしてという意味ですね。次の読み方は「おのおの無上心をおこしなさい、なぜなら生きる事の執着は甚だ厭い難く、仏法をよろこぶことも復難しい。共に金剛志をもって」となります。どちらも一人じゃ困難なので共になっておこせとなりますから、両方とも同じ意味になります。ただこの読みでは「無上心」と「金剛志」は同じ意味ですね。

 で、初めの「道俗時衆等」には「時」の字が措かれていますね。するとこの出家と在家はその時の衆等でしょう。衆等は衆生等ですからその時の衆生等です。この観無量寿経の登場人物では僧は阿難尊者になります。お釈迦様の十大弟子の一人です。そしてこの観無量寿経で韋提希と共にお釈迦様から教えを頂くもう一人の人物です。だからこの時の衆生等は『観無量寿経』からすれば韋提希と阿難ということになります。では、この時とはどんな時でしょうか。先ほどから言っていますように、お釈迦様が韋提希に阿弥陀仏の浄土を説かれる時です。すると「阿難(道)韋提希(俗)もおのおの無上なる心をおこせども、生きる事への執着は甚だ厭い難くして、仏法をよろこぶことも復難しい。共に金剛志をおこして、横さまに四流を超断せよ。弥陀界に願入して、帰依し合掌したてまつれ」と、こういう読みになります。

 この「無上心」とはこの上ない心であり、またこの上ない願心であるという意味ですが、それ以上の事は分かりません。しかしこの無上心をこの二人に限定するならば、阿難の無上心はお釈迦様と同じ境地になる事です。韋提希にとっては阿弥陀仏の浄土への願いが叶うことでしょうか。二人はそれぞれ違う願いですが、お釈迦様からみたらおそらく同じ願いなのでしょう。そして、「共に金剛志をおこして、横さまに四流を超断せよ」です。

 さて、それではこの金剛志とは何でしょうか。サケは生まれ故郷の川に帰って産卵して、サケの一生を終えるでしょう。こういう習性がある生き物は他にも多くいると思います。では人間はどうでしょうか。人生の晩年に故郷の田舎に帰って過ごそうと思われる方はわりと多いかもしれません。そういう晩年の過ごし方もこの習性とどこか似たものがあるのでしょう。比較的奥さんの里に帰られるのが多いようですが。また、沖縄では、お墓の形が女性の子宮を模っていると言われます。毎年お墓で親族が集まり飲んだり食べたりする習慣があるそうですね。お墓が一族のコミュニケーションの場であり、最後はみんなが還っていく処でもある。これもお墓に故郷というワードがあるような気がします。

 また人間は心の生き物ですから、心の故郷もあるかもしれないでしょう。芥川龍之介の作品で『河童』は今度生まれる所を選べる世界だそうです。洒落た世界です。「おっ、予定通りの場所に出て来たぞ、しめしめ」選びの無い私たちの生を、芥川は皮肉を交えて描くのでしょうか。お腹の赤ちゃんがそんな事を考えているとは思えませんが、だからといって何か意識に似たものがないとも言えないですね。お腹の中で動く仕草にはそれぞれすでに個性があるかのように見えます。ではそれよりももっと前、それこそ生の始まりである、私と言うよりも生物的でありますが精子と卵子が結合する時ですが、その時に意識的なものはあるでしょうか。いくらなんでもある訳がないだろうと思うでしょう。しかし、では無いとしたら何故そこから意識が発祥するのだろうか。これは科学者の方にお聞きするしかないと思いますが、お聞きしても分からないかもしれない。ただ何もない所から何かが始まるというよりも、何かのきっかけで何かが始まらなければ説明は出来ませんね。生物学的にまた科学的にはどうだという事ですが、少なくともそこには何かの機能が始まっているという事ではないかと思います。「自の業識」ということを善導大師は言われますが、この自の業識にそれこそ私としての生が始まるその時を見られている。意味としては生きんとする意志と言われています。善導大師においてはこの自の業識が最初の場所であり、私の生の始めです。だからそこは私の心が始まる場所でもある。生きんとする意志は生への意志であり、また自の業識としては心の故郷である。

 「生死甚難厭」韋提希は世俗に生きることを嫌いながらも、生きることへの執着を厭い離れることが出来ない。「仏法復難欣」阿難は仏法に生きる僧でありながら、お釈迦様を拠り所にするあまり本来の仏法をよろこぶ身になれないでいる。そして「共発金剛志」ですね。この「共発金剛志」の金剛は迷いがない、揺るぎのない、変わらないというような意味でしょう。貴方は何事にも揺るぎのない心の持ち主ですかと聞かれたら、いいえそんな心は持ち合わせておりませんと即答致します。もう何事にも揺らぎっぱなしの自分でして、あっちふらふら、こっちふらふら。情けないですが小心者として胸をはってきっぱりと発言させてもらいます。だから自分にはそのような金剛なる心などありません。ただこの金剛志とは変わらず揺るぎのない意志ですから、私のこの心が揺らぐかどうかではなくて私の身にそのような金剛志があるかどうかでしょう。

 韋提希と阿難においてこの金剛志を発して「横さまに四流を超断せよ」です。「横超断四流」の四流は四暴流のことです。暴流とは氾濫した川のような激流の意味だと思いますが、欲暴、有暴、見暴、無明暴を四暴と言いまして、まず欲暴流は欲に激しく流されること、何かのきっかけで途端に暴走する。むさぼりや妬みものそうでして、なかなかこの激流は日常的です。分かりやすいのは瞋恚(しんに)だと言われます。怒りや憎しみ恨みなどがそうです。腹が立つとパッと顔に出るでしょう。生きて行く中でこの欲望流にどれだけ流されるでしょうか。

 そして有暴流です。この辺りから難しくなります。この有暴流からは、実は調べても思うような回答が見つかりませんので、とにかく自分の思う処を申し上げるしかないのですが、まず生物学的に言うと人体の細胞はおよそ半年で全てが入れ替わるのだそうですね。脳細胞からすべての細胞が入れ替わるのだから、半年後は今とは全くの別人なのだそうです。でも、そんなことを言われてもこうして自分はここに居るのだし実感などもありませんね。たとえ科学的に実証されようがこの自分は自分でしかないと普通は考えるじゃないですか。だけど生物学的に言えば無いものを有るものとしている訳でしょう。森羅万象すべて変化の中である。格好つけて言うとそういう事ですね。これ仏教でいう諸行無常という意味です。川の流れをそのまま握ることが出来ますか。川の水を手ですっくてみても、それはすでに川の流れではありません。そしてすくった水を見る私たちもまた諸行無常の存在です。私も変化の中であり捉えようとする対象も変化の中ですね。そういう状況で自分はここに有り、そして対象はそこに有るとする物の捉え方は、本来をそのままに捉えていない事になります。しかしそうは言ってみてもですよ、実際の処はこの私がいてそして貴方がいる。私が有りそしてそこに何かが有る。こういう事でしか物事を測れないでしょう。辞書で認識という語を調べると「物事を見分け、本質を理解し、正しく判断すること。またそうする心のはたらき」だと書いてあります。だから認識するとは、普通にまず考える私がいてそして見ている対象があり、それを私がどのように考えるかということです。

 すると仏教でいうところの本質を知るというのは、一般的にいう物を認識するのとは違うのでしょうね。この有暴の有とはそういう点からして私が普通に考えるところの認識作用の類になりますが、その有に暴流をつけて有暴流ですから、このような様々な有への執着が何かのきっかけで激流のごとくに暴走する様子でしょうか。こうなると思い当たる事がどんどんと出て来ませんか。細かいことはここでは申し上げませんが、いたる所で展開される様々なドラマがこの有暴流の出来事かなとも思います。これらは最初の欲望流とすごく近くて、欲望流が結果なら有暴流はその因となる心の作用なのでしょう。

 次が見暴流ですが、ここで言う見とはこのような有を促す発動のようなものではないかと思っています。有を認識作用とするなら、見はその認識作用へと促すはたらきといいますか、具体的に何かそういう器官が身体にありそれが促すと言うようなことじゃなくて、単に促すところのものということです。これは自分がそう考えているだけですが、自の業識でいう生きんとする意志は私が母親の胎内に宿る時、つまり具体的な生が始まる時を言うのですが、この見はそういう生命の領域に限らないところの促しという事そのもの。そういうふうに考えています。

 そして無明暴ですが、この欲望も有暴も私の心の中の出来事です。そして見暴が私の心そのものを促すものだとしても、これらのことを私は心で捉えようとするのですから、いくらこのような観察をしても私の心から私は出ることは無いのですね。私の心を見るには心の外を通してから見なければ私の心は見えません。『浄土論註』に「蟪蛄(けいこ)春秋を識らず、伊の虫,豈(あ)に朱陽之節を知らん乎、と言うが如し。」という有名な言葉があります。蟪蛄とはひぐらしの事だと言われます、蝉は夏に生れて夏に死んで行くから春秋を知らない、この虫がどうして夏という季節を知ることができるだろうか。私の心が私を測り、その心に私を見る。私の心は私の生きることと共にあります。生まれてから死ぬまでずっと心が私を考えるのですから、心から私は出ることはないのです。だから私の心は私が一番知っているつもりでいながら本来を知らないと言います。この事を無明と言うのですね。この無明であるがゆえに、あるちょっとしたはずみでバランスを崩し、見が暴走して、有にしがみつき、欲が濁流のごとくに貪りだす。こういうシステムになっております。そのままが私の生きて行くところの姿であります。四暴流を簡単ではありますが自分なりに説明してみました。また違う見解も当然あるはずです。

 そして「横超断四流」ですね。このように四暴流は心の産物でありますが、自の業識というのは先ほどからも言いますように、身体に属しながらも私の意識の外にある処の生きんとする意志ですね。言うなれば我が心の外に属しながら、なお且つ身体に備わる変わらない意志でしょう。金剛志を発せとは、この変わらない意志に帰れということではないでしょうか。もしそうならば、それは自の業識へと帰れという事でもあるのです。そして、金剛志が身体に備わるところの意志であるならば、心の産物である四暴流の外でありますから、この金剛志を発すことはすでに四流を横さまに超えているのだというのでしょう。

 「願入弥陀界」はこの「横超断四流」をもって弥陀界に願入せよということです。しかしまた、この『観経疏』では「一切の往生を欲(ほっ)せん知識ら、善くみずから思量せよ。むしろ今世の錯(あやまり)を傷みて仏語を信ぜよ。」と言われています。「往生を欲せん知識ら」という表現が面白いですね。この往生を欲せん知識らとは、知識でこの弥陀界に入ろうとする者のことでしょう。錯はまちがえるということですから、まちがって自分の知識や裁量で弥陀界に入ろうとしても心の中でもがくだけだという事です。そして仏語を信ぜよとは、自らのその錯と傷みの中で帰って来いという阿弥陀仏の願いに気づくことでしょう。ここにおいて「願入弥陀界」「帰依合掌礼」です。そしてこの「帰依合掌礼」の姿がそのまま「横超断四流」の姿であるというのでしょうね。取り急ぎ『帰三宝偈』の「道俗時衆等」から「帰依合掌礼」までを話してみました。

 それでは発菩提心に戻ります。「発菩提心というは、これ衆生の欣心大に趣くことを明かす。」これはもういいでしょう。次の「浅く小因を発すべからず」は心の内なる世界で発すべからず。いくら広い視野でも自分の心から出ることは無いのです。だから「広く弘心を発す」とは私の心よりも広い、広大な外にそのままにしてつながる変わることがない意志に帰ることである。この金剛志を求める心が菩提、つまり仏と相会するのであると言われるのでしょう。「我が身、身は虚空に同じく、心は法界に斉しく、衆生の性を尽くさん」は、我が身は無限に広がる法界にあり、心は金剛志を求める心となり、その心もまた法界に斉しい。ここをもって、ただ願わくは、我ら衆生としてのこの一生を尽くしていこう。

 「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり。また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。ゆえに発菩提心というなり。」この菩提と心を何故わざわざ分けられて言われたのだろうか。消化不良は未だなお継続しますが少しはほぐれて来たかなあとも思います。

 

 

  

「帰去来」

令和3年3月 春の彼岸会より

今日は善導大師の『帰去来』を話そうと思います。

まずは北原白秋の『帰去来』から。

山門(やまと)は我が産土(うぶすな)

雲騰(あが)る南風(はえ)のまち、

飛ばまし、今一度(ひとたび)。

筑紫よ、かく呼べば戀しよ潮の落差、

日照沁む夕日の潟。

盲(し)ふるに、早やもこの眼、見ざらむ、

また葦かび、籠飼(ろうげ)や水かげろふ。

帰らなむ、いざ鵲(かささぎ)かの空や櫨(はじ)のたむろ、

待つらむぞ今一度(ひとたび)。

故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ。

【大意】大和柳川は私を生んだ大地だ。南風に吹かれて雲がひるがえる、美しい場所(まほろば)だ。ああ鳥となってもう一度飛んで帰りたい。筑紫よ、この名前を呼べば恋しく思い出される。干潟の差の激しいその海が夕日に赤く染まる海の景色、今や私の視力は衰え見えなくなってしまった。たとえ故郷に帰っても葦の群生や籠飼、水かげろうといった懐かしい風物を見ることはできないのだ。それでも帰りたい。カササギの舞う櫨の木が群生する懐かしい故郷柳川に。きっと私をまっているだろう。故郷も当時遊んだ友達も年老いて遠ざかってしまった。それなのに子供のようにこんなにも心がひかれるのはどういうわけだろう。

  

善導大師の『帰去来』

帰去来(いざいなん)、

魔郷には停まるべからず。

曠劫より来(このかた)、

六道に流転して、ことごとくみな経たり。

到る処に余の楽なし、

たゞ愁歎の声を聞く。

この生平を畢(お)えてのち、

かの涅槃の城(みやこ)に入らん。

  観経疏における「帰去来」の位置ですが、定善観第二の「水観」にあります。この「水観」は複雑な構成になっていまして、「水観」の中に「氷想観」があり、その「氷想観」が「瑠璃地の下」と「瑠璃地の上」に別れています。「水観」から「氷想観」へと連続するのではなくて、「水観」の中に「氷想観」があるという独特な様相です。そしてこの「水観」の全体に六首の讃が措かれています。まず「水観」には天親菩薩の『浄土論』から一首。そして「瑠璃地の下」に三首、「瑠璃地の上」に二首とそれぞれに措かれています。「帰去来」は「瑠璃地の下」の三首目にありまして、「瑠璃地の上」へとつながるような、ジョイントの役目をしてるかのように見えます。

  内容も少し変わっていますね。「帰去来」は本来ならば北原白秋のように故郷に帰る歌ですが、ここではその故郷は魔郷だという。そしてその理由が次に述べてあります。「曠劫より来、六道に流転して、ことごとくみな経たり」。六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の事ですが、詳しい説明はありません。ただ六道流転とだけ書かれています。そしてこれが魔郷には停るなという理由ですね。解説としたらすごく大雑把な表現です。また、この「曠劫より来、六道に流転して、ことごとくみな経たり」も奇妙な表現です。「みな経たり」ですから、すでに過ぎたという言い方です。いったいどこでそんなことが分かるのだろうか。そしてこの「到る処に余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。」まで、何気なく気分だけで読んでしまうとそんなものかと思いがちですが、気になりだすと何ともおかしい内容です。また、この「曠劫」は極めて長い時間を現わす単位ですが、では実際にどのくらいの時間なのかといえばはっきりしたものは無いようです。10年は一昔と言いますから、では100年は、1000年はというような、そういう時間の捉え方ではおそらくないのでしょう。

  永遠という言葉がありますが、この永遠というのは「あなたの永遠は後どのくらいで終わりますか」というパラドックスが含まれていると言われます。永遠なのだから終わらないはずですが、実際にどこまでかと聞かれるとよく分かりませんね。「曠劫」という時間の概念をこの永遠と同じように考えるとすると、「永遠」の対義語は「瞬間」でありますから、この永遠と瞬間の関係を考えるべきかもしれません。

  最近は宇宙開発が盛んに行われているそうです。そう言った事を時々耳にしますが、この宇宙を地球から見れば満天の星が宇宙の世界でしょう。まじかに見えるのはお月さんですね。金星や火星なども教えてもらうと、あゝあれかなと思ったりします。以前読んだ『宇宙からの帰還』(立花隆著)は、アポロ計画で月に行った宇宙飛行士にインタビューされたものでした。新鮮な感覚で宇宙を肌で感じた事などが取材されています。その時の宇宙と地球との狭間で神をも感じた飛行士もおられたそうです。宇宙から地球を見た時に、地球が単に一個の星にすぎず、自転を繰り返すだけの時間も存在しないような星ではなく、また天候などを観察するくらいの近距離でもない。地球全体が俯瞰されていて、なおかつ自転することに時間の経過を思い、人類の歴史をも感じるくらいの距離があるとするならばどのくらいのものだろうか。 この距離から俯瞰された地球は、一目で観た地球でもありますから、瞬間的な感覚がそういう地球を捉えたという事でしょう。そこには生きている人々の姿や自然の風景、そして過ぎていく時間の感覚もある。もしそう言う距離とその時があるのならば、その俯瞰の時は時間を超えているという事はないでしょうか。

  時間を長さで考えると過去・現在・未来。前・今・後。こういった連続性が前提にされますが、このような俯瞰された時間ならば、その時間は瞬間的に内包されていて始めもなく終わりもない。瞬間に永遠を観るといった場合には、このような内包された時間の永遠性を観るのであり、そう感じたのではないかと思います。永遠と瞬間の関係を何か言葉で表現しようとしたら宇宙の話になってしまいましたが、普通に私たちにも一瞬に何やら永遠なものを感じるような経験があるかとも思いますが、こういう瞬間と永遠の関係もあるのではないかと思うわけです。

  「曠劫」をこういう一瞬に収まる永遠性と読む場合。その曠劫に見た六道に流転する我が身は、そのまま我が身を超えていて、六道が流転する丸ごとの世界観でありますから、六道はことごとくみな経ていながらも、何処にも六道流転でないものは無い。愁歎の声が響いているだけである。と、そういうような意味になるのではないでしょうか。

  「瑠璃地の上」の初めの讃に「処々の光明十方を照らす」とあります。これも興味深い表現です。一瞬に収まる永遠性であるがゆえに、それは光と共に記憶されていくという事でしょう。そしてその光があちこちにあるということですね。だから今度はその光の彩を分析して「瑠璃地の上」を現わす。『帰去来』の「いざいなん」は、この「瑠璃地の上」の光の彩りへと歩き出す時のことを言うのだろうと思います。だからすぐさまこうなりましたと言ったものではなくて、何度も分析を繰り返しながら深まっていくところのものだという訳です。

  この「水観」の前が「日観」です。「日観」はまず真西に太陽が沈む光景を観想します。つまり、今日のように彼岸に中日の事です。その夕日が今まさに沈まんとする時を思い浮かべながら心を整えます。その心は静かに、そして心が身体の一部としてあり、心と身体に隔たりがないかのように整えていきます。そして次にその身体と自然とが一体になるように心をもっと整えます。このように心と身体そして自然が一体になるような観想を行う。この観想の方法をまず身に着ける。そしてこの観想を尺度にして、我が心をそこに映し出すようにする。すると自分が何を思って生活しているか、何を悩んでいるか、心の内面の在り方が見えてくる。この観想の鍛錬からできた尺度は、自分の心の在りようを映し出し、その心が知れる度に、いかに自分の心の在りようが観想から外れているのかが分かってくる。つまり自分の心の在りようをまるごとこの観想に浮き上がらせると言うのですね。

  この「日」を観ずるというのは、私の心の在りようがちょうど鏡に映し出されるように見えるという事です。と、そこに今まで見えなかった、気がつかなかった私の心がそのまま見えることで、光が差すと言います。そしてこの心の在りようが事細かく明らかにされるほどにその光は大きくなり、ついには何千倍もの日輪となる。この日輪が真西に沈む夕日と重なり、「その日正東より出でて直西に没す。弥陀仏国は、日没の処にあたって、直西に十万億の刹を超過する」と、弥陀の浄土の方向が示されて行きます。

  ところで、この「日観」には、「浄心の境を障蔽(しょうへい)して、心をして明照ならしむること能わず」という文言がありまして、この浄心の境を覆い遮るものがこの心の在りようであるという、つまり、心の在りようを映す鏡をここでは浄心の境というのだろうと思いますので、どちらかと言うならば、この浄心の境を明らかにすることを持って「日観」の意義としている。で、この「日観」をもって、次の「水観」に続く訳ですから、この鏡に映る心の在りようの永遠性が「瑠璃地の下」に表現されたのではないでしょうか。そしてそれは瞬間に収まるからこそ、その永遠性に六道流転の世界観を観た。それが「ことごとくみな経たり」であり、「到る処に余の楽なし、たゞ愁歎の声を聞く。」と善導大師に言わしめるのでしょう。そしてその「瑠璃地の下」から「瑠璃地の上」へと「帰去来」いざいなん、です。

  これはお釈迦様が韋提希の願いに立って、阿弥陀仏の浄土を明らかにされる最初の処で、浄土の入り口になります。普段何気なく暮らしている私たちにとって、この「帰去来」に何か意味があるのかよく分かりませんが、どこか胸にしみるのは、生きることの足元にある命の深さをどこかで感じるからだろうかと思います。今日は善導大師の『帰去来』を話しました。親鸞聖人もこの「帰去来」を引用されています。親鸞聖人独自な引用の仕方でもあります。いつか話すことが出来ればいいなと思っています。

  

  

歎異抄第3条

令和2年9月 秋彼岸会より

  今日は歎異抄第3条を話すことにしております。この条の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉はすごく有名です。今回どのような話をしようか考えていたら、昔の原稿に面白い言葉がありまして、それを取り上げながら話すことにしました。で、それは誰の言葉かといいますと立松和平氏の言葉だと書いてあります。自分で書いて忘れておりますが、原稿が平成19年のものですから覚えてないのも仕方がないかなと思います。

  「強力な先祖に縛られているのも苦しいが、祖先の物語を忘れて神話を喪失してしまったら、自分が何者であり、何故ここにいるのか分からなくなってしまう。」

  この言葉はイースター島のモアイ像について書かれたものです。イースター島はかって島民が滅んでしまったという説がありまして、その島民が滅ぶ原因とモアイ像の関係をイメージして書かれた時の言葉です。今はインターネットでモアイ像と検索すると最新情報が出ますので、興味がある方は検索していただく事にして、立松和平氏のこの言葉だけを引用して、歎異抄第3条を考えることにしました。

  ところで、私たちは立松氏が言われるような強力な先祖を持っているでしょうか。現在はなくても以前はそういう強力な先祖に縛られていたことがあったでしょうか。もしかってはあったとすれば、それはいつ頃なのか、そしてどのような様子でそれは存在しただろうか。

  現在の日本では無宗教が常識のように言われますが、実はこの何となくでも無宗教的だと言われているのは戦後からでして、それ以前はかなりの宗教の国だったと思っています。たしかに戦前・戦中における国家神道を例に挙げればそうなるわけですが、しかし突然降って湧いたように文化がガラッと変わることはないのですから、そういう国家的な宗教観もまた、庶民の宗教的な素地がなければ簡単には染まらないものだとも思います。そういう面では日本においての宗教観が習俗化していくのはもっと以前ではないでしょうか。少なくとも江戸時代頃までに定着していったのじゃないかと思っています。そういう日本において、またこの近年の日本において、先祖とすごく近い時期があったなら、それはいつ頃まであっただろうか。そして何故今はないのか。

  まず、戦後教育があるでしょう。まさしく自分が受けた授業そのものですが、先祖についての授業を受けた記憶はありません。家では両親や祖父母あたりまでが生活の現場ですから、当然、両親やおじいちゃんおばあちゃんを大事にしましょうなどといった話はあったでしょう。しかし、それよりも以前、それも何処まで遡るか分からないほどの祖先をどうしろと言った話はなかったように思います。

  昭和20年、1945年が終戦の年です。それから2年後、昭和22年に家長制度が廃止されました。それまでは家の長を戸主と言うそうですが、それ以外を家族と言ったそうです。戸主と家族という形ですね。代々長男が戸主になり一家を統率する習わしが家長制度です。そこには全財産の相続権もその戸主にありました。次男や三男には相続権はなかった。娘にいたっては嫁入りの費用がかさむのでいろいろと制約もあったそうです。また女子の家長も認められたそうですが、暫定的であり、あくまでも男子家長が原則だったようです。

  家長制度ですから家が中心の制度ですね。家族と言っても今の家族構成などとはイメージが違うものでしょう。そしてその家の家督相続で戸主が全てを受け継ぐのですから、戸主はその家の歴史も一手に担うことになります。それはそのまま家の祖先を受け継ぐことでもあったでしょう。この家長制度が廃止されたのが終戦から2年後1947年です。

  日本において強力な先祖に縛られている姿が、この家長制度の戸主と家族に見えるといえば大げさかもしれませんが、案外そういうことかもしれないなと思います。この家長制度は明治に始まったそうですが、もともとそれまでの習わしが制度化されたのでしょうから、それまで先祖代々受け継がれた日本の風土を明治時代に制度化したといってもいいと思います。当然かなりの弊害があったことも想像できますね。

  昭和22年にこの家長制度が廃止されて祖先との呪縛も無くなり、遺産相続などは様変わりして現在にまで至っているわけですが、では、この文にある「祖先の物語を忘れて(祖先の)神話を喪失してしまったら、自分が何者であり、何故ここにいるのか分からなくなってしまう。」という言葉はどうなったでしょうか。

  現在は祖先という言葉はほとんど死語になっています。誰も考えていないでしょう。優しくしてくれたおじいちゃんやおばあちゃんくらいまでではないですか。しかし、それだけでは自分が何者でありどこから来たのかといったような、アイデンティティーというものは出てこない。ところが、私が気がつかないまでも、そういった日本の風土や歴史を自分の血や肉として、何がしら背負っていることも間違いないのでしょう。そうじゃなかったらここに居ませんから。

  今日お参り下さっている皆さんも全くの偶然でここにお参りされているわけじゃありません。何かの縁がこうしてお参りされている背景にあるのでしょう。背負っていても自分では気がつかない。それほど近いもの、見えないもの。そういうものとして祖先がある。見たこともないし、肌で感じる訳でもない。あるのかどうかも分からないが、だからといって無いのではない。その人その人が持っている感じ方や考え方に癖があるように、そのくらい近いものとして祖先がある。

  これが歎異抄の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の言葉ににある善悪の問題だろうと思います。でもね、いきなりこれが歎異抄の善悪の問題だと言っても何のことか分からないですね。しかし、善悪とは、あなたにとっての善悪であり、私にとっての善悪ですから、私にとっての善は善きもの、私にとっての悪は悪きものです。当たり前のようですが、善い悪いは自分の都合できまる。

  もうひとつ、客観的な善いもの悪いものとされるものがある。法律や社会性で善いとされるものや悪とされるものがあるでしょう。戦前の家長制度は長男が家督相続する法律ですね。女の子が先に生まれても長男が継ぎます。では、女の子しか出来なかった場合はどうなるでしょうか。その時はおそらくですが、長女が継ぎます。ただし婿養子が来たらその時点で婿養子が戸主だそうです。女子はそれまでのつなぎですね。

  じゃあ、男も女もいない場合はどうだといえば、戸主は親族会議で決めるようです。親せきからそこの家に戸主が来たのでしょうか。家同士のつながりが現在とかなり違っているようです。長男は生まれた時から家督相続の対象で、その家の歴史もろとも全部担う。その代わりに次男や三男は何も継げません。詳しい財産分与の仕方は調べないとよく分かりませんが、今とはかなり違ったものだったでしょう。

  これは想像ですが、戦前にこの炭坑の地に地方から働きに来た人たちはおそらく次男や三男でしょうね。で、この家長制度を考えると、その人たちは稼いだ賃金はどうしたと思いますか。自分で使ってしまったでしょうか。酒飲んで博打してその日暮らしで暮らしたでしょうか。男の場合はそういう想像もたやすく出来ますが、炭坑には女子もかなり就労しています。これはどう思いますか。里の家に仕送りをしていなかっただろうか。田舎には戸主が家族を養っています。その子供たちがこの炭坑に働きに来ているとしたらどう思われます。

  家長制度の時代に生きた人々は、家のために懸命に働き、その賃金のほとんどを里の家に仕送りするのが当たり前だったかもしれないでしょう。今私たちが生きている世界など知らないのですから、そこに生きた人はそれが当たり前だと思い、それが善だと思った。しかし、今生きる人から見てそれはやりすぎだと思うなら、それは善ではない事になる。まして自分の体がぼろぼろになるまで働いて、その賃金の全てを仕送りするなら、それは社会的においてもおかしいと思う。そうするとそれは悪になる。

  時代において善と悪が変化するでしょう。家長制度に何も異議を感じない人は善人だったのか悪人だったのか。考えていくとなかなか難しい問題です。それぞれの時代には何がしらの善悪があって、そしてその時代状況に生きた人たちがいたということですね。そしてそれを今の自分が外から見て善や悪だという。また、当時の法律や社会性においても、善いとされるものが一個人においては必ずしもそうはならない事があったはずです。まして戦時中ならめまぐるしく善悪の価値観が変わるのではないですか。

  こういう時代状況の違いや社会性の違いの中でもずっと変わらずに続いているものは何だろうか。それは、あれが善だとか悪だと自分の都合で見たり決めたりしてきた、それぞれの時代を通して繰り返されたそれぞれの人のこころの在りようである。そのこころを分別心というのですが、その繰り返される分別心の歴史に、自らの姿を見る。そういう人を歎異抄では悪人と言っています。だから他人を悪人だとかとやかく言うのではなくて、そういう自らの姿を言っているのですね。

  そして善人とは自力作善の人です。自らの分別心を頼りにする人でしょうか。考えてみると、この分別心を頼りに生きるというのは、自分の経験値を生かすことでしょう。状況を読み、何をなすべきか。今日の話の家長制度で言うならば、戸主が家族のためにある状況下で何をするべきか考えて行動する。言い方を変えたら、自分の力で自分が思う処の善をなすです。まさしく善人じゃないですか。じゃあこの善人である自力作善は何故いけないのでしょうか。

  それでは、この辺りで歎異抄第3条を読んでみましょうか。歎異抄第3条全文になります。 

 【 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや。」この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころのかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからずを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。】

  歎異抄は悪人が善人より優れているぞとは言っていません。善人は本願の意趣に背いていると言っています。何故本願の意趣に背いているのかここに書いてあります。他力をたのむこころがかけているからだ、という訳です。

  自分の人生の経験値が自分の全てだとする方もおられるでしょう。しかし、生まれた環境や血筋などもありますから、一概に自分の経験値だけが全てだと思わないまでも、自分の努力を考慮したらやはり自分の経験値がものをいうのだというのが、だいたいにして普通の見解じゃないですか。

  そこまでは理解できますが、その自分の経験値を描くこころのキャンバスの素地においても、すでに祖先の血の模様が描かれているというような表現はなかなかしない。私にまでなった祖先の歴史とは、私が思い感じるところのこころの背景にまでおよぶということですから、私が何かを見て考えるとして、その私が何をどういうふうに考えるか、その癖においても祖先の歴史が関わっているという事ですね。その全てに祖先の分別心が繰り返され続けた歴史模様がある。

  例えばここに黒板がありますね。今日の話を黒板にいろいろと書いていますが、この書いている文字が現在までの自分の経験値だとするでしょう。今話しているのはこの文字を書いている黒板自体のことを言っていることになります。黒板と言いながら実際の色は深緑ですが、その黒板にチョークで経験値を描いていくとする。するとその黒板自体は無色であるという約束事がどこかにあるでしょう。しかし実際は色はちゃんと付いています。この黒板の色の事を言っているのでして、無色であるという約束は勝手に自分がそう決めているだけであって、黒板そのものにすでに模様が描かれている。その模様が祖先の歴史という模様です。自分の経験値はそこに上書きされているという事ですから、そこに描かれた文字は黒板の模様とのコントラストでありながら、その全体がそのまま自らであるといった表現になると思います。

  この黒板は私のこころの領域なのか、それともこころの領域を超えたものなのか。こころには無意識の領域があるといえばそれがこころの領域にも聞こえますし、また無意識は身体的な領域にあるといえばそれもそれなりに聞こえます。総じて専門の学者じゃありませんから分からないのですね。ただ意識が何かを素地にして現れるのなら、たとえ意識が無になっても素地はそのままです。

  このこころの領域を、私の血となり肉となった分別心の永い歴史として見て、それをここでは生死といっているのではないでしょうか。第3条のこの「煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからず」という言葉は、そのことを言っているようにも思えます。それでは、何故それを悪とおさえるのかという問題がありますね。これは分別心の捉え方によるものですが、また別の機会に話したいと思います。

  仏教では善因善果・悪因悪果です。しかし善悪がどのような状況でも同じかと言えば変わってくるでしょう。親鸞聖人は善因善果・悪因悪果というよりも、「因浄なるがゆゑに果また浄なり」と言われますように浄因浄果です。因が浄であるからこそ果もまた浄である。親鸞聖人は浄土往生を問題にされますので、それについての善悪ですから、悪というのは浄土の因に非ずという事ですね。何故なら悪は浄ではないからでしょう。だから私において往生浄土の因がないということは浄にあらずであって、それは悪人としての自覚がそういわせているのです。しかしその悪人の自覚こそが浄土往生の正因に他ならない。何故なら本願の本意は悪人成仏にためだからだということになります。

  今日このように歎異抄第3条を読んでみて感じることは、この善人悪人は二人を並べ比べたものじゃなくて、一人の人間が生きることにおいての生と死の問題だと思いました。精一杯に生きてもそれが自分が納得するものになるかといえばそういうわけではない。また、さぼれば身になるというような都合のいいものでもない。そういう中でのいうなれば人生の謳歌と躓きじゃないかと思います。自力作善と書いてありますが、自分の力で出来ると思っている人は自分を謳歌しているのでしょう。

  また、朝起きて顔を洗いに行くでしょう。鏡の前でまず躓きます。みなさんはまだ大丈夫ですか。老というのは何やかや言っても躓きじゃないだろうか。そしてもうすぐ死です。人生の謳歌は振り返ればけっこうあったような気がしますが、その最中はなかなか気づかいないものですね。しかし躓きはその瞬間で分かります。往生浄土はこの瞬間の問題かなとふと思ったりします。

  今日の話は歎異抄の善悪の問題がまだ不十分だということは分かっていますが、今日話したところの善悪もまた歎異抄の中のものであります。

  で、最後に話をまた立松氏の言葉に戻しますが、「祖先の物語を忘れて、神話を喪失してしまったら自分が何者であり、何故ここにいるのか分からなくなってしまう。」この言葉に自分の考えを添えて終わろうかなと思います。この立松氏の言葉が何故気になったのかというと、この神話を喪失すると自分が分からなくなるということですが、この神話の喪失と自己の喪失がどういうものなのか。

  ご存じのように、真宗にも法蔵菩薩という神話があります。神話と言っていいのか分かりませんが、神話だといえばそうかもしれない。そういう神話だとか違うとかいうのではないけれど、この言葉にある神話の喪失とアイデンティティーの喪失、つまり自己の喪失ということを、立松氏はどのような意味で言われたかなと気になったものですから取り上げました。

  イースター島においてこの神話とは何だったのか、まだ謎のままです。しかし地図で眺めてみると、イースター島は南太平洋の絶海の孤島ですから、逃げ場のない海に囲まれた小さな範囲での神話です。そこにある神話は天と地が垂直に関係した神話ではないだろうか。それこそ垂直に先祖・祖先がそのまま神話化している。自らがそこにいることにおいての垂直的なものを神話と言われているのかなと感じた次第です。だからこういうのを垂直型と言わせてもらいますが、こういうタイプはおそらく東洋的じゃないかもしれない。

  じゃあ東洋的とは何だといいますと、あやかるといいますか、そこに行けばパワーを貰えるというようなパワースポット。神社仏閣のご神木に触れたり側にいたりすると、自分までいい風が当たってくるというような、あやかり型じゃないかと思うのですね。だから東洋的な神話というのは、直接自分に関わりはないけど、しかしその神話は日本の国造りの物語だったりする。だからお伊勢参りをすれば何やら神話のパワーも頂く気がするというようなものじゃないでしょうか。専門的な見解ではないですから、そんな感じじゃないかなと思いますが、それに対して西洋哲学は自分をとことん掘り下げて、ついにはそこに神までを見出そうする垂直型ではないかと思います。

  そういう中で、法蔵菩薩はどちらだろうかと考えるのですね。そういうことを常々考えていますのでこういう言葉が気になったのだろうと思います。まだ答えはありませんが、真宗のご信心には法蔵菩薩がおられます。そういうことも気に留めていただければと思い、ついでと言っては何ですが最後に少しばかり話した次第です。

  

  

  

コロナに負けるな「不安」編

 2010年 その他の原稿から 

  気がついたら老人でした。気持ちは違いますが、年齢はすでに老人です。証拠もあります。よく老後の人生を考えています。老人になって老後を考えるのは手遅れ気味ではありますが、だいたいがそういうものではないでしょうか。後どのくらい生きるのだろうか。いい人生設計はあるか、できればいい人生でありたい、生きがいがある老後でありたい、などなど・・。

  新型コロナウイルスはこの定まっていない老後の人生設計に、新たな課題を、それも強引に付け加えました。それはいかに生き延びるかです。死に方ばかりが気になる老人に、いかに生き延びるかという意義をいやおうなしに押し付けてきたのでした。でも考えてみれば、昔々の人々はこのいかに生き延びるかは最初から生きる前提条件だったはずでした。そんなこんなでまだ老人になる少し前に書いた原稿を見つけだしてみました。もし老人自粛でお暇でしたら読んでいただければ幸いです。若い方も歓迎です。

  「不安」という不気味さ。面白い表現です。この不気味さは「居心地の悪さ」という意味でもあるそうです。「脅かし」という不気味さ。これについては様々な対応が考えられますが、こちらの力量が足りませんので一つひとつ取り上げて説明することが出来ません。ただ、人間が辿ってきた歴史は、この周囲からの「脅かし」を心配して、どのような対応が営まれてきたのかその結果でもある、ということは言えないだろうか。国家、民族、文化をそこに描くことが出来そうな気もします。人間の心の動きはそれぞれが違うものだと思われそうですが、こういう観点から観たら特定な方向性が見えてくる。これをハイデガーは気遣いという言葉で表現してます。そして私たちが普通に気遣うのと同質であるともいうのです。

  「不気味さ」を背景にして心が動いているのなら、どのような動きとして働くのか考えると思いつくものがあります。それは「集める」ということです。お化け屋敷に何人かで入ると、気づいたらみんなが密になっていた。ギャー、ワーと叫びながら同じ場所で密になる。誰が集めたわけじゃないのに集まる。それは怖さや「不気味さ」が集めるのです。人間関係もこういう「不気味さ」に対する心の動きによって私を動かす。そう考えると身近なものになります。そして私たちの生活現場である様々な関係においてもこの「不気味さ」がいつも顔を出している。こういったことを考えながら生活する人はあまりいないと思いますが、それでも普段とは違った風景がそこに現れることでもあります。皆さんがいろんなところで気遣う背景には、こういう「不気味さ」を背負っておられる。

  そういえば背後霊なども、こういう感覚を昔の人が何処かで感じていたからかもしれませんよ。外では蝉も泣き出したようですから、サービスで涼しくしました。で、ハイデガーはこの気遣いをとおして人間の心の動きやそこに現れる現象を分析した人です。

  「居心地の悪さ」は何処からくるのか。それはその場に対する不気味さであるという事になりますが、だからといってその場所が不気味で居心地が悪いということじゃありません。何故なら気遣いは居心地を良くしようと動くのですから、それではこの「居心地の悪さ」は居心地が良くなる前の状況になります。しかしそういう状況の前後を言っているのではありません。私がそこを居心地良くしようと気遣う時に常に同席するもの。同席と言えば誰か他に居るみたいですが、そうではない。気遣いがある時にいつも同席するということで、隣にいつも何かあるということですね。妖怪ウォッチみたいになってしまいますが、気にせず先に進みます。

  パソコンで原稿を書くのですが、文章の入れ替えも簡単ですし、誤字の訂正もしてくれます。領域設定して文章ごと入れ替えることも簡単です。で、この領域設定をここでいう気遣いに当てはめてみることにしました。そうすると気遣いは何かの目的があるから気遣うのでしょう。だから気遣いはその人の目的に応じてその都度に領域設定がされ、それにともなうその人の目的を持った気遣い方になるのですが、こういう意図的な気遣いもそうですが、とっさの雰囲気での気遣いも同じだという事になります。その時に同席するものです。何か得体の知れないものがあるという訳です。これを「不安」という言葉で表して、それは「居心地の悪さ」だというのです。しかしそれにしても、この「不気味さ」というのは何だろうか。ハイデガーは、それは無だと言います。私が何かを気遣う時に無もそこにあると言うのです。

  そして気遣いは何かを目的にする時にあるもの。その気遣っているところの視点でありますから、言うなればそれを気遣おうとする主体です。これを現存在というのだと思っております。そうなりますと、その領域設定されるところのものは、現存在から領域設定された世界ですから現存在における世界内存在だということです。ハイデガーの現存在・世界内存在をこういうふうに考えていきます。

  現存在が無とともにあるという事ならば、無という足場のない場所が常に世界内存在の場所でもある。これを感覚的に表現されたときに、何か全体に得体の知れない「不気味さ」があるということになるのでしょう。ただ困ったことに、こういう「不気味さ」における対処法がないということです。私の意識がある時は常に現存在とその世界内存在なのですから。

  晩年にハイデガーはこの「不安」を「呼び求める促し」と説明しています。ぼくはまだ晩年だとは思っていませんので、横着にこれを単に「呼び戻し」と言っていますが、ではいったい何処から呼び戻されるのか、それは本来から呼び戻されるということです。それでは何処にその本来があるのか。しかしそれはただ漠然とした無の空き地状態があるだけなのです。

  この世界内存在から現存在は出ることは出来ませんが、しかし、ある特異な場所を設定することで一時的に出ることがあるのです。それはある場所へ「ずれる」ということですが、では何処へずれるのかと言えば無へずれるのですね。移行するとも言います。実際にこういう世界内存在や気遣いの世界がどういうものか知るには外から全体的を観ることが必要ですが、気遣っている自分そのものを観ることですから、現存在である限り観ることは出来ません。だから視点に何かのずれが生じないかぎりこの気遣いとしての現存在と世界内存在の関係全体を見ることは出来ないのです。それで、この現存在と世界内存在の関係自体を観るためにこのずれることを述べています。それをハイデガーは世界内存在が事物的存在に移行すると言っています。つまりここで言えば事物的存在にずれるということになります。

  「不安」というものは自分の存在に対するゆらぎなのでしょう。足場が抜け落ちるような不確かな状態です。だから確かなものへと呼び戻されるのです。しかしながら、その確かなものが何処にあるというのでしょうか。何処を探しても無いのです。ハイデガーはこの「気遣い」を頽落と言って、良い言葉では使っていません。何故でしょうか。この気遣いというのが「世人に没する」という言葉で示されているからですが、この気遣いは自分を表現するものであるにも関わらず、常に偽装されているというのです。装っているといえば分かりやすいでしょうか。もともと気遣いはその「不安」に対するものを背景にしていますから、いくら気遣う内容が変わっても「不安」に対する心の動き方としては同じなのですね。だから気遣う相手の対応は、心の動きを元にすると、現存在がその存在者(私)を通してその世界内存在に対する動きですから、その世界内存在におけるものは気遣うための道具としての存在になるのです。本質が不安に対するものですから、世界内存在は常にそのための道具の世界なのです。だから世界内存在の気遣いは本質のための二次的なものなので、そういう観点からすれば世界内存在の気遣いは常に偽装されていて、そしてこの見せかけからは離れられない。

  それではこの「不気味さ」から逃避するにはどうすればいいのか。いろんな人のその人なりの建設的な捉え方があるかもしれませんが、この不気味さから逃避することは出来ません。そして良いも悪いも全て現存在と世界内存在の出来事なのです。こういう感覚で捉えられると何もかもが偽装の五十歩百歩なのですね。気遣いをこの不気味さに対する態度だとすればそういう言い方になります。それでこれを頽落という言葉で表現します。

  次に「共現存在」という言葉が登場します。これは少し説明をつけ加えると分かります。その人の世界内存在は無機質ではないのですから、当然いろんな人がその世界内存在に関わっています。だからその場は幾重もの世界内存在になっているわけです。それぞれの世界内存在がそれぞれの人の現存在としての世界内存在なのです。  

  それでは、この世界内存在は何によっての世界内存在なのか。それは私の過去の経験がその世界内存在の内容なのです。言い換えれば、私の過去の経験がその世界内存在の内容を見せているのだから、この現存在が観る世界内存在は過去の経験が投影されたものだと言うのです。その世界内存在に現存在が可能性を見つけて、その世界内存在に自らを没入させるという言い方になります。可能性は当然未来を見つめたものですが、実際は何処に向かって可能性に没入するかと言えば、もちろん世界内存在ですから、私の過去の経験が投影されたものへと投げかけられたものであるのです。つまり過去に向かって未来に没入するという形になります。論理的に言えばすごく不自然でしょう。私たちは何かにつれよく行き詰まったりしますが、こういう不自然さに立っているのなら、何事もスムーズに進んでいかないことの方が当たり前な気がします。

  考えてみると、いろんな壁を乗り越えたり、壁から引返したり(これを挫折というのでしょうか)しながら年取っていくわけです。自分なりに歩こうとすればそれなりの壁が有ります。こういう普通に私たちが経験することを、現存在と世界内存在に吟味してみると、私の意識よりも先にすでに何か命の生成というものがあって、その生成する姿を元にすれば、すでに私の意識下において特定の動き方が備わっていたということだろうと思います。それを現存在と気遣いの仕方で表現したのでしょう。生きるという事をこういう観点から見つめるのです。

  さて「不安」に戻ります。「不安」は私たちには微妙な感覚ですが、それは「居心地の悪さ」であり足場の無いところからの呼び戻しである。こういうことは、おそらく、日常的には漠然としていて捉えどころがないでしょう。だから私たちがこの日常と思っている何気ない時間が崩れ落ちて、非日常的なものに出くわした時、この「不安」が一気に湧き上がってくる。この非日常な時こそ死だというのです。

  死をこういう観点で捉えるのはよく分かるのですね。しかしここでいう処の死は具体的に現前する死を前提にするのですが、よく考えると死ぬちょっと前の状態です。といっても死にかけて意識が朦朧とした状況ではありません。はっきりした意識でこの死の崖っぷちに立っている状態です。ハイデガーはこういう死のシチュエーションを強調します。つまり世界内存在は私の過去の経験が内容だから、死んだ経験がない私にとって没入しようがないのです。たしかに近しい人の死に接することはあります。しかしたとえ身近な人が亡くなってもそれはあくまでも外の経験であり、自らの経験にはなりえない。こういう世界内存在が成立できない死のがけっぷち状態をもって、日常が崩れ落ちる場所として究極であるとする。その場所こそが、気遣いそのものを浮き上がらせ頽落の全体像が現れてくるというのでしょう。これが「無」へずれるという事の説明ですが、ハイデガーの世界内存在が事物的存在に移行するといのはこういうことを言うのでしょう。

  このあたりの個所を『存在と時間』から引用してみましょう。(第69節世界内存在の時間性と、世界の超越の問題)

「(おのれの外へ抜け出している脱自)の統一は、おのれの「現」として実存する或る存在者が存在しうることのための可能性の条件なのである。現にそこに開示されている現存在という名称を担っている存在者は、明るくされている。現存在がこのように明るくされていることを構成している光は、この存在者が時おり出来(しゅったい)して照射する明るさの、存在的に事物的に存在する力や源泉ではない。現存在というこの存在者を本質上明るくするもの、言い換えれば、この存在者をそれ自身にとって「開いた」ものにするとともに「明るい」ものにもするものは、すべての「時間的な」学的解釈に先立って、気遣いとして規定されていた。この気遣いのうちに現に完全な開示性がもとづいている。こうした明るくされていることが、すべての照明や開明を、また、何ものかを承認し、「見てとり」、所有したりするあらゆるはたらきを、はじめて可能にするのである。この明るくされていることの光をわれわれが了解するのは、われわれが、植えこまれている、事物的に存在しているなんらかの力を探し求めずに、むしろ、現存在の全体的な存在機構である気遣いを問題にして、この気遣いの実存論的な可能性の統一的根拠いかんを問い求めるときだけである。脱自的な時間性が現を根拠的に明るくする。」

  この難解な文章を、こうして申し訳ないぐらいかいつまんでいますが、この「脱自」が無にずれた状態です。そして「頽落の全体が現れてくる」がこの引用文の全体になります。特徴的なのはこの「明るくされている」ということですが、説明では「照射されるような明るさや、物質的な明るさの根源ではない」という事です。この(無にずれた)脱自は何かを統一しているのですが、それは私を含めた現存在が世界内存在で頽落する姿そのものであり、また共現存在のそれぞれの世界内存在が幾重にも重なる世界そのものなのでしょう。この頽落の全体が開示されて、そのことで明るくされているということになります。そしてこの気遣いそのものが私をして動く心のあり様ですから、この時間性は私よりももっと以前から続いている時間ですが、その時間性がこの「現」というある特定の場所において一時的に収まっているというのでしょう。ハイデガーはこの小タイトルにあるように、この現存在と世界内存在の開示における時間性を世界の超越の問題に繋げようとしたのです。

  

宝樹観

平成26年3月  彼岸会より

  観経疏の定善観第四の宝樹観です。宝の樹ということですが、まずこの樹は一本の木ではありません。イメージすれば林や森の類になると思っております。森に入って森を観ずということもありますが、皆さんも樹といいますかそこら辺りにもありますので木といったり樹というものはご覧になるわけですが、ここで言われる宝樹というのはそういうものではありません。阿弥陀仏の浄土の特徴を樹というものに例えてある。その宝樹を観想することで浄土を知らしめようとされる個所です。

  浄土を樹木として感想するのかということですが、皆さんが思われる樹木はどんなイメージをお持ちでしょうか。大きな寺や神社にはご神木がありますね。寺はご神木という訳にはいきませんが、境内に大きな木があるお寺さんもあります。パワースポットなどと言って触ったりする人も多いでしょう。また小学校の校庭にも木が立っていた。自分が大きくなるので思い出の木や校庭が意外に狭く思えることも経験します。

  自分はずっと心に残っているものがあります。いろいろと樹は観ましたが、その中でも結構印象的だったのでしょう。比叡山の根本中堂を下りまして、そこからどういうふうに行ったのか覚えていませんが、もっと下ります。おそらく阿弥陀堂だろうと思います。とにかく山の中へと歩いていくと、その山道の脇に大きな樹木が現れてきました。その木々の大きさがずっと印象に残っています。比叡山という事で親鸞聖人もそこでご修行されたのだなという感覚もありました。京都におりました頃は比叡山はそれほど遠いものではなかったので、こういう処にこんな樹々がと、人の出入りがない山中にそびえ立つ様子を観たものですから、宗教的な感覚とその意外性が混ざり合い印象深くなったのだろうと思っています。校庭の懐かしい樹もあるし、そういう何か得体の知れない場所で出会う樹木もあるのでしょう。

  この樹を観るというのは、その樹の歴史を観るようなものがあると思うのですね。では花はどうだろうか。花の歴史を観る人はあまりいないでしょう。ああこの花はここで何代も咲き続けたのかと感慨深く思ったりはあまりしない。可憐に咲く花に感情移入して慰めらる人はおられるでしょうが、樹への感情移入とは少し違うでしょう。樹に対しての感情移入はやはりその樹にまつわる時間性ではないでしょうか。その樹の歴史を映し鏡にして、何かの時間性といいますか、たとえば自分の生きてきた時間とその樹の時間とがタイアップしていくような感覚のようなものです。

  この宝樹といいますのは仏様の樹ということですが、仏様のいのちをそして仏様の国をこの宝樹として感ぜよというのが宝樹観であります。特徴としては樹を観る時にその樹を観る私をも映しているということです。つまりその樹を観ずることにおいて私の姿も観ているのだということを気づかされて行く。そういうことを込められています。花をよく育てられる方は、花は裏切らないとよく言わる。すればちゃんとそれに花が応えようとする。花が好きな人からよくこういう事を聞きます。そこにも花を観ながら自分の生活や生き方が映し出されている。

  壽命という言葉がありますが、この壽はおめでたい時に使いますが、いのちという意味です。壽命というといのちいのちという意味になります。で、この壽と命との違いはといいますと、まず命は私のいのちです。いつまで生きるか分からんいのち。いつかお別れしなければならないいのちです。限られたいのちである。命が限られたいのちなら壽は限られていないいのち。つまりあり続けるいのちということになりますでしょうか。この壽と樹の問題。洒落みたいですがこの壽がここでいう樹であります。

  この壽なるいのちですが、なかなか捉えようがない。しかしこの壽をいのちと言いそして壽を樹として感じろというのは、何となくでもうなずけるのではないでしょうか。昔からずっと流れているようなもの、続いているようなもの。そういうのを何処か思うことはないですか。最近は聞きませんが昔は大和魂と言われたのでしょうね。こういう魂という言葉にある時間的な感覚は私個人の魂というものではなくて、日本人として流れている、民族が歩いて来た時間性といいますか、そういうもを言うのかもしれません。これをもっと身近に言えばご先祖様もそうです。血筋というのもあります。国の歴史もあるし地域の歴史もある。

  では、仏教でいうところの壽とはどのようなものか。この宝樹観にあります樹を観るということは、先ほどいいましたが、観るこちらの方への映し鏡が説かれています。仏教の特徴だと思っているのですが、この「観」るという字がある。また「見」るもあります。観るという場合は観る側と観ているものとの距離があるときに使われる。それに対して見るは距離がない状態です。距離がないのにどうして見るというのかという疑問が当然出てきますね。目を寄せてひんがらにしても対象との距離はあります。でもこの見るは距離がない状態を見る場合なのです。

  樹を観る場合は、大和魂でもご先祖様でもいい。そういう私と共にあるのでですがまだ距離があるもの。感じるけど一つという事ではない。やはり壽であるが壽命の壽でしょう。二つ並んでるのですね。しかしこれが見るになるとそこには距離はないのですから、いったいどうなっているのでしょうか。月を観るというのはお月さんを観ていることでしょう。じゃあお月さんを見るという場合はどうでしょうか。お月さんが自分の心にどう映っているかではないでしょうか。対象とされたお月さんではなくて、自分の心にそのお月さんがどのように映りそれをどう感じているか。そこには具体的な距離はないでしょう。お月さんと私との距離は無くなっています。

  仏教はそういう癖があるのではないかと思うわけです。常に自分というものとの関係を外さない。花を見て、その花が自分にどう話しかけているか。心に捉えた花と会話をしているのだとしたら、それも心に映る花との関係でしょう。樹にしてもですね、そこに樹の時間性を見るなら、それは見ている私の心にその樹の時間を感じているのでしょう。

  良寛に「なにものが苦しきことと 問うならば ひとをへだつる心と答えよ」という歌があります。ひとを隔てる心とは、私とあなた。いつも「と」がある。その「と」にはいろんなものが含まれています。あれがいいぞ。これがだめ。妬み、そしり、高慢。こういうものが「と」にいっぱい詰まってますね。こういう良い悪いで生きる心を仏教では分別心といいます。これはかなり手ごわいんです。植木等さんがすーだら節で歌ってました。わかっちゃいるけどやめられない。ああまたこういう心で過ごしてしまったと反省することもあれば、そんな反省じゃあ止まらない憤懣やむことなしの時もある。こういう怒る、謗る、愚痴る心の根にあるものが分別心だというわけです。だからその分別心を取り除いて素直に物事を見れたら充実した日々が送れるだろうなと思いますね。そういう立派な人になれたらこしたことはないですね。

  ところが、そういう自分の失態を見て、ああ自分はダメな人間だなあと思うのも分別心です。分別心は良い悪いの心ですから、良いほうも分別心なのですね。悪い方を除いても良い方の分別心があります。自己満足などもこちらの類でしょうか。オレはこうまでしてきたぞという自負心もそうだという事です。これら総じてもって分別心といいます。つまり私の心そのものです。これは分からないでしょう。自分で自分の心そのものは見えないです。

  この分別心と阿弥陀仏の本国とを対比して説かれたのが宝樹観ですが、この宝樹観で説かれるところの樹のいのちが、こちらのどのような心との関りの中にあるべきかを説かれてあるのです。まず結論を申しあげますと、宝というのは無分別ということでしょう。宝樹は宝(無分別)樹だから、無分別/樹で宝樹ですね。分別心のない心において初めて阿弥陀仏の本国である浄土が映るということです。この無分別と樹の関係を観ぜよというのが宝樹観になります。樹だけなら何となくでも分かるが、こうなるとかなり難しい。そして弥陀の浄土はこの宝樹観で次第に立体感をもって説かれていきます。

  その弥陀の本国を表されている最初のあり様を樹といい、そして壽といういのちの時間性、いのちの歴史として現わされております。しかし時間性といいましても阿弥陀仏の本国の時間ですから、私たちが持っております時間的な感覚でとらえるようなのもではなくて、私たちの思慮分別を超えたものであるということです。阿弥陀仏の本国である浄土においてはこの思慮分別を超えた時間性を量という字で現わされています。分別心のない心だけが量としての弥陀の本国を映すのですから、この宝樹観に説かれる内容は難しいし深いといいますか、そういう内容になっております。そしてまたこの分別心がないということと弥陀の本国のいのちのあり様の関係が説かれながら、同時に分別心と無分別の関係も説かれる。無分別にける宝樹の関係および分別心と無分別の関係、双方の関係と両方を宝樹観で現わされる。複雑ではありますが宝樹観はこういう浄土の取扱書的な役割をもったものではないでしょうか。

  ところで私たちの分別心はある面分かりやすいでのすが、また奥も深いのでしょう。自分の心が深いとは思いませんが、大きく言えば日本国という歴史や世界の歴史もそれぞれの人たちがそれぞれの時間の中で試行錯誤されたのだから、それは裏を返せば分別心が繰り返された出来事でしょう。そして私たち一人ひとりもまた限られた時間で分別心に生きる者です。しかし分別心がなければ無分別もないのです。無分別だけがぽつんとあるわけではない。弥陀の浄土が無分別と樹の関係なら、分別心も弥陀本国で言われるところの樹の時間性や深さとともにあるのですね。だから分別心を中心にして言うならば、限られた時間に生きる私の人生はその歴史を背負っていまこうして生きているのだという事でもあるでしょう。これを衆生としての歴史と言っていいのか分かりませんが、個人的にはそういうふうに考えております。

  ところで宝樹観の初めに七重行樹という言葉がありますが、それぞれの樹には根、茎、枝、小枝、葉、華、菓(このみ)の七層の輝きがあると書かれています。行樹はそれぞれが乱雑なく整然としている状態です。分別心を負として捉えらるしかない衆生の歴史は、この宝樹観においては七重行樹の輝きを観るとも言われています。

  

  

  

  

宝池観

平成26年9月 彼岸会より   

  前回の宝樹観は浄土を感ずるところでしたが、宝池観はその奥へと入る過程を述べています。つまり阿弥陀仏の浄土に入ったところです。お釈迦様は韋提希に十方国土の諸仏の浄土をお見せになりましたが、韋提希はその諸仏の浄土を自らが望む浄土ではないとして、阿弥陀仏の浄土に生まれることを望んだのでした。宝池観はその阿弥陀仏の浄土にまさしく入るところになります。韋提希が諸仏の浄土ではなくて阿弥陀仏の浄土を選び望んだ理由を、善導大師はお釈迦様があえて韋提希に選ばせるためであると言われているようです。親鸞聖人もまた「釈迦韋提をして安養(阿弥陀仏の浄土)を選ばしめたまへり」と書かれてありますから、善導大師と同じ意味になるのではないでしょうか。

  しかし、よく比較すると若干の違いがある。善導大師はお釈迦様が韋提希に選ばせたのだといわれるのに対して、親鸞聖人はお釈迦様のお導きによって韋提希自らが選んだといわれる。つまり親鸞聖人の場合は韋提希の主体を見ておられるわけです。これは教行信証に「斉(ひさ)しく苦悩の群萌(ぐんもう)を救済し」と書かれていますが、この群萌というのは萌え出るところのものですから、苦悩にあえぎながら萌え出でようとする衆生をいうのでしょう。自らの願いで阿弥陀仏の浄土を願った韋提希の姿を通してその群萌を見ている。そういう違いがうかがえると思います。これは今日申し上げる内容ではありませんから、後の課題にさせていだきます。

  で、宝樹観は阿弥陀仏の浄土を観察するにおいて樹木を観ぜよいわれます。この樹木は壽木であり、阿弥陀仏の壽(いのち)木です。つまり私の命を超えた阿弥陀仏のいのちの時間です。そしてその奥に今回の宝池観があります。宝樹観ではそれぞれの樹木の枝は空中で重なり合いまるで天蓋のようであると記されます。そして宝池観ではその樹木の下に八の功徳の池がある。八功徳水といわれる池です。この功徳の水がそれぞれの樹木に流れいり、天蓋まで遍満する世界を宝池観に表現されます。そしてその八功徳水が木々に遍満する水のせせらぎは、浄土全体を覆いつくすかのように仏法の徳を行き渡らせている。つまり八功徳水が行きわたって一切の仏法の功徳ではないものはない。そういう世界として言われます。混じりっけのない功徳そのものの世界を表現されている。

  幻想的な世界でありますが、宝池観の内容をいうならばこのような表現になるかと思います。こういう八功徳水の世界観は阿弥陀経にも説かれています。阿弥陀経にはこの八功徳水は阿弥陀仏の浄土の一部として説かれていますので、浄土の全部をとらえたものではないのでしょう。観経においてもその次が宝楼観でありますから、まだ途中であるということです。玄関に立ったところが宝樹観なら、玄関から奥に入る過程を宝池観ということになるではないでしょうか。

  阿弥陀経には「一心不乱」という言葉が出てきますが、これは阿弥陀仏の浄土にどうしたら行けるかということにおいて、一心不乱に念仏せよと説かれるところです。舎利弗は知恵第一の弟子だと言われた人ですが、その舎利弗に一心不乱に念仏せよといわれるのはどういう事だろうか。次にその意味が書かれています。「一心に乱れざればその人(舎利弗)命終のときに臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と現じてその前にましまさん」この命が終わるときですから死ぬときです。仏教ではよくこういう臨終という言葉を聞きますが、ではこの臨終は死んだ後なのか、死ぬ寸前なのか。こだわるとこういう死の前後も考えなければなりません。医者からご臨終です言われるのは亡くなられたということですが、まだ死後という訳ではないでしょう。お通夜の時に親族にご臨終されまして残念なことでしたとは言わない。お亡くなりになってお寂しいことでしょうが正しい言葉です。何を言いたいのかというと、臨終は死の前後ではなくて死ぬ時の刹那的なものですね。まさしく死に臨むその状況を臨終というのではないでしょうか。阿弥陀経の「命終のときに臨みて」も同じ意味でしょう。その命終のときに臨みて阿弥陀仏がもろもろの聖衆とともに現れると説かれている。聖衆は浄土の住人だと思いますが、その聖衆を連れて阿弥陀仏が現れる。この一心不乱の念仏を知恵第一舎利弗に説かれるのです。

  これは阿弥陀仏の浄土がまじりっけがない徳そのものの世界であり、どんなに舎利弗が知恵第一であろうとも、その知恵を浄土は一切受け付けない。阿弥陀仏の浄土には人間の知恵はないのだということでして、人間の知恵では浄土の門は開かないのです。それを教えるのがこの一心不乱に念仏するという事だろうと思うのですね。この一心不乱ということは簡単なようでありますが、そういう事でもない。オレは今一心不乱だと思えばすでに一心不乱ではないわけです。たとえ少し前に一心不乱になったとしてもですね、すでにその一瞬は過ぎたものです。あ、今一心不乱になったかもしれないじゃ一心不乱じゃないでしょう。これは無心といわれたり無我の境地と言われるものですからそう簡単ではない。つまり無我の境地で念仏せよということでしょう。そうすればその念仏が浄土の門を開いていくのだということではないでしょうか。

  宝樹観もこの無我のまなこで観ぜよと言われます。また宝池観においても無我の境地で八功徳水を観ぜよと言われる。矛盾しているといえば矛盾しています。観察するまなこが無いのですから観察しようがないですね。そういう状態の臨終であります。こういう刹那的な臨終と広大な阿弥陀仏の浄土が重なっている。次の宝楼観も同じです。宝樹観から宝楼観までの宝はこの無我を表しています。無分別とも言いますが、この無分別による浄土の樹木であり池である、そして浄土の家と住人の宝楼観に進むのです。

  この宝池観の初めに「極楽荘厳安養国」と書かれています。ここからが阿弥陀仏の浄土であるということです。浄土の玄関から奥に入るところであるという事でもあります。そして宝池観の最後には「だたちに闇を破し昏を除くのみにあらず、到ところに能く仏事を施す」とあります。阿弥陀の浄土は闇を破ると書かれているのですが、舎利弗ほど知恵があるとは思わないでも人間の知恵によりながら生きている生活が私たちの姿です。しかし一度阿弥陀仏の浄土に入ればその生きる姿そのものが照らし出されるのでしょう。そしてその姿がどのようなものかというならば、人間の知恵の中でしか生きられない姿そのものです。闇で暗いから見えないのではない。自分の姿そのものが見えないという闇ですね。照らされることで初めて見えるその姿は、闇でしか生きられない姿であるということでしょう。そして「到ところに能く仏事を施す」は、そういう気づきの世界がこれから始まるのだという意味ではないでしょうか。こういう仏事のちえを智慧とかいて、普段使うところの私たちの知恵と区別します。

  

  

  

  

念仏と自灯明・法灯明

2019年3月 彼岸会より

 お釈迦様の晩年のお言葉ですが、「自灯明・法灯明」があります。他を拠り所にせず自らを拠り所にし、法を拠り所にせよという意味になります。このお言葉は晩年といいましても、最晩年、お釈迦様がお亡くなりになるときにお弟子たちに伝えられた教えだと言われています。クシナガラという村で容体が悪くなられてそのまま入滅されました。80歳だと聞いています。二本の沙羅の樹の木陰で静かに亡くなられました。涅槃の様子をそのように伝えられますが、その時、悲しむお弟子たちに告げられた教えがこの「自灯明・法灯明」であるということです。

 また違う説もあります。お釈迦様が病に倒れられ命を落とされそうになったことがあるそうです。幸い快復されるのですが、その時にお世話をした阿難尊者がお釈迦様のご快復をみて、きっと元気になると確信していたことをお釈迦様に話しました。その時に諭されたお言葉が「自灯明・法灯明」であるとも伝えられています。私(お釈迦様)を灯にせず自らを灯にせよ、そして私(お釈迦様)を灯にせずに法を灯にせよと阿難尊者に告げられた。

 この自灯明・法灯明はお釈迦様の入滅以後に大きな道しるべになっていくことになります。この拠り所ということですが、言い換えれば何かを当てにすることでもあります。私たちは何を当てにして生きているでしょうか。そんなことを考えるとこの「自灯明・法灯明」の言葉がまた違う思いで感じられるかもしれません。今回の話のテーマはこの「自灯明・法灯明」とお念仏ということにさせていただこうと思います。

 もうかなり前の事ですが、ある先生から聞いた話です。小学校のPTAである作文が問題視されたそうです。「親孝行」をテーマにした作文だったそうです。その文には「僕が大きくなったら、お父さんお母さんを立派な老人ホームに入れてあげます」と書かれてありました。親子関係を子供がこのようにお金で割り切った表現をすることは教育上問題であるということです。子供の将来にも不安がある。そういうことだったと思います。

 今、この作文を小学生が出したら大騒ぎされるでしょうか。それとも親の事をよく考えた内容だと思われるでしょうか。どちらも極端で大騒ぎされるほどでもないと終わるかもしれません。子供が描く立派な老人ホームとはどんなところでしょうね。考えてみれば、親と子供がつかず離れずそれぞれお互いに自分の生活が出来ればそれが一番いいじゃないか。喧嘩もしなくていいし、親もその場所が老人ホームなら、まして立派な老人ホームなら越したことはないぞと思うかもしれない。

 で、この立派な老人ホームはお幾らくらい掛かるんですか。立派な分だけ費用も掛かるでしょうね。それを見越して立派な老人ホームに入れてあげようと心がげてくれるなら有難いかもしれない。最近こんな子供おりませんよ。

 しかし何処か違和感がある。何か違うでしょう。介護福祉は今は充実しています。病気になれば入院して施設も出なければなりませんが、それでも終の棲家にと思われる方も結構おられるのじゃないですか。介護福祉の向上で何か変わりましたね。こういう施設が多くなる前は孤独死が流行っていました。現在も孤独死の問題はあるでしょうが、以前ほどは聞きません。またその孤独死問題の前は、年取った親たちが子供の家庭にお世話になりに行こうか行くまいか迷っておられた。そんな話をよく聞きました。実際に子供の家庭に入られた方はそれほど多いとは思いませんが、よく出る話でした。成功率がとても低い話でしたね。出来上がった家庭に後からジジババが入ってもそう簡単には馴染みませんよ。

 こんなことを思い出しながら考えますと、この数十年間といっても、知らず知らず私たちの周りの状況は変化しています。最近言うところの老人ホームなど在りましたかねえ。昔は養老院といってどちらかというと姥捨て山のイメージが強かった。現在の高級な老人ホームなどとはかなり違ったものでしょう。私たちはその時々の周囲の環境のなかで物事をとらえますから、この作文のような立派な老人ホームの話についても時期がずれると歯切れが悪くなる。いいのか悪いのかよく分からん。

 この作文が問題視された頃は、問題になったのですからはっきりしていたのです。しかし気づかないうちに物事を見る眼に変化が起きている。自分ではしっかりと物事を見ているつもりでも、実は自分が思うほど一貫性がない。もっと言えば、その時々の状況に流されて考えている。そしてその時々において何かを当てにしてその事を考えたのであり、生きていたことは間違いないでしょう。しかし、じゃあ何を当てにしてきたかと改めて問うてみても、ぼやっとした記憶でしかない。

 若いときは元気が当たり前ですし、知らずに自分の身体を当てにしていた。時間も無限にあるような気がしたかもしれない。年を取ると当たり前の健康が次第に宝物のように感じてくる。時間は無限にあったあの頃は、今じゃ残り時間が後どれだけだろうか、老後のお金は足りるかなと心配事も増えてくる。自分の抱えるものが変化するたびに気持ちも変化するのでしょう。ただその変化にはなかなか気づかないのですね。

 この自灯明ですが、自らを拠り所にしなさいという教えです。どこのどういう自分を拠り所にしなさいと言われるのでしょうか。考えるとなかなか答えが出ない問題です。

 では、この「法」を拠り所にしなさいとはどういうことでしょうか。大谷派の曽我量深師がこの法について書かれていますので紹介します。

『曽我量深選集』より

「法というのは、サンズイに去ると書く。去っていくこと水の如し。淡々として何の執着もない。それが法の意義であります。そして、この法というのは誰にあって何処にあっても、又、何時であっても、又、順境にあっても、逆境であっても、その本性は一貫して変わりがない。それを法という。それは善人にあっても悪人にあっても、変わりがない。仏にあっても凡夫にあっても変わりがない。証った人にあっても迷へる人であっても何ら変わりがない。聖者にあっても増さず、凡夫であっても滅せず、不増不滅である。これを法という。如何なる時によっても、処によっても変わらぬ。人によっても変わらず、環境によってその価値は変わらぬ。仏にあっても我がごとき愚かな者にあっても変わらぬ。どんな者の中にあっても変わらぬ。これを法という。」

 法についてこのように言っておられます。お釈迦様は阿難尊者に法を拠り所にしなさいと言われました。その法をこういうふうに表現されます。何となく興味深いですが、どこをどう捉えていいのかも分かりません。

 親鸞聖人の『教行信証』化身土巻に、「韋提別撰の正意によりて、弥陀大悲の本願を開闡す。」とあります。これは韋提希がお釈迦様に阿弥陀仏の浄土に行ける教えをお願いするところです。ただ、韋提希はこの阿弥陀仏の浄土の前に諸仏の浄土見せてもらっているのですね。韋提希はその諸仏の浄土を丁寧に断り、そして阿弥陀仏の浄土を懇願します。これを韋提別撰の正意と言います。正意ですから正しいい意味。韋提希が正しい意味で諸仏の浄土と阿弥陀仏の浄土を分けていることによって、弥陀大悲の本願が開かれたという意味だと思います。ここに正しく選ぶことが前提にされているわけです。

 それで、ではその諸仏の浄土と阿弥陀仏の浄土はどう違うのでしょうか。正信偈にも書いてありますが、最初の処です。法蔵菩薩は世自在王仏に見せられた諸仏の浄土をことごとく観察して、自らの浄土である阿弥陀仏の浄土建立を誓った。諸仏の浄土とは違う阿弥陀仏の浄土建立です。

 諸仏の浄土とは、法を拠り所にしてそれぞれの諸仏が自らの器量で成仏されたのが諸仏の浄土だと言われます。しかしそんな器があるとも言えずないとも分からない者が、法を拠り所にしてと言われても何が何やら見当もつかない。その時々に様々に執着しながら生きるしか術を知らない者に、執着するな、とどまるな、分け隔てするななどと言われても、そこにしか生きられない凡夫であり愚かな自分にとってどう行けばいいのだろうか。

 それに対して法蔵菩薩が誓った阿弥陀仏の浄土は、そのような我々凡夫をみそなわして、そして阿弥陀仏の浄土において成仏せしめようと誓われた浄土ですね。

 この阿弥陀仏の願いを本願と言います。四十八の願があります。その十八番目の願が念仏往生の願と言います。本願の要です。だから本願とは私に先立って、阿弥陀仏の方から私に向けられた願いである。こう言って差し支えないと思います。では、阿弥陀仏は私に何を願われるのか。わが名を称えよ。これが念仏「南無阿弥陀仏」を称えなさいということです。念仏にはこんなおいわれがあります。いうなれば阿弥陀如来は法より来りて念仏の衆生を摂取する仏様。

 それでは、韋提別撰の正意は何であったのかといいますと、韋提希のつまづきです。詳しい話はいつかできればと思いますが、韋提希は事件に巻き込まれます。その事件の中で別にボケっとして生きていたわけではない。それどころか懸命に事件に向かっていくわけです。しかしその姿がまた仇となり、ますます混迷を深めていきます。韋提希は懸命に取り繕おうとしながらもそれが原因で全てがガラガラと崩れて、最終的には自らの命すら危うくなるのですが、その韋提希の様子を善導大師は「あゝ、哀れなるかな恍惚の間に」と言われる。老人ボケだけが恍惚の人じゃないんですね。そして韋提希はお釈迦様の前で我が身の愚かさに気づくのです。そんな事を通して韋提別撰があります。

 この韋提希の愚かな我が身に対する、自らへの眼が韋提別撰の正意であり、阿弥陀仏の浄土と諸仏の浄土を見分けた眼だったのだということです。

 だからと言って私たちが韋提希のようにつまずかないでもいいのですが、こうして先祖から頂いたお念仏を何気なく称えております。この念仏が自らを「ああ執着していたなあ」「愚かだったなあ」と我が身の愚かさを、そのまま法の方から見せて頂いているのだということを思い出していただければ幸いです。そして、もしそのようなお念仏ならば、それは法を拠り所にした我が身を具体化しているのだということも申し上げたいと思います。日常の生活に念仏を称えることで、次第に法があきらかになっていく。そういう事ではないかと思います。

 年を取らなくていいなら、病気にならなくていいなら、死ななくていいならと言っても、そんな人誰もいないし、何かに執着することでしか生きて行く術がない私と、一切に執着がない、変わることがない法が、どのように関りがあるのだろうか。そして南無阿弥陀仏は私と法との関りにまします仏ではないだろうか。そういう事を考えております。

 信心について「二種深信」というお言葉があります。

・決定して、かの阿弥陀仏、四十八願をもって衆生を摂受したまふ、疑いなく慮りなく、かの願力に乗ずれば、さだんで往生を得と深信せよ。

・決定して、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと深信す。

 上の文が「法の深信」。下の文が「機の深信」です。両方をもって二種深信といいます。今日はこのうち法の深信をもとに、念仏と「自灯明と法灯明」ということで話しました。