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『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門
令和4年6月 永代経法要より
礼拝門・讃嘆門から
[ どのように礼拝するのか、身の業(わざ)をもって、阿弥陀如来・応・正遍知を礼拝したてまつるのである。諸仏如来の徳は無量だから、その徳をたたえる号(みな)もまた無量である。もし、それらについてことごとく語ろうとすれば、とても紙や筆でかきしるせるものではない。だから、いろいろの経典に、十名をあたり、三号をのせたりしているが、およそこれらは、最も重要なものだけであって、どうして(仏の徳が)それだけでつくせることがあろうか。ここでいわれている三号は、すなわち如来と応と正遍知とである。
如来とは、ものの相(すがた)そのままに説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたように、この阿弥陀仏もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「 如( より ) 来(る)」というのである。応は応共(おうぐ)である。仏は煩悩をことごとくのぞきつくして、あらゆるのもに通達した智慧をえて、一切の天地の生きとし生けるものの供養を(真実に)受けるに応(ふさわ)しい唯一のかたである。だから「応」というのである。
正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相は)心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(の実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変らないのである。だから「正遍知」というのである。(論に阿弥陀とかいてあるのは無碍光ということであるが)無碍光という意味は、前の偈のところで解釈したとおりである。
その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意(こころ)をなさんがためである。
どうしてこういわれるかといえば、菩薩の法では、つねに昼三時夜三時に、十方のすべての仏たちに礼拝するが、これは必ずしも願生せんとの意(こころ)があるからではない。つねに願生の意(こころ)をなすべきであるからこそ、阿弥陀如来(一仏)を礼拝したてまつる、というのである。
どのように讃嘆するのか。口の業(わざ)をもって讃嘆したてまつるのである。讃はほめあげる、嘆ははうたいたたえることである。讃嘆は(人間においては)口でなければのべあらわされない。だから「口の業」というのである。彼の如来のみ名を称え、彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義(いわれ)のごとく、その実のごとくに修行して相応しようとおもうからである。「彼の如来のみ名を称える」とは、無碍光如来のみ名を称えることである。「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに」とは、仏のひかり明るいかがやきは智慧の相(すがた)である。この光明は、あらゆる世界を照らすにさまたげられることなく、よく生きとし生けるものの無明の(黒)闇をとりのぞくのである。それは、日や月や珠のひかりが、ただ空穴(へや)の中の闇を破るだけのような(小さな)ものではない。「彼の(如来の)み名の義(いわれ)のごとく、実(まこと)のごとくに修行して相応しようとおもうからである。」とは、彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。
しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは(如来の)実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことによるからである。どうして実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことになるかといえば、(この無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生のためにこそ(仏になられたところの)身である、ということを知らずにいるからである。
また、三種の不相応がある。一には、信ずる心が純朴でない。信じたり疑ったりするからである。二には、信ずる心が(専)一でない。決定がないからである。三には、信ずる心が継続しない。ほかの念(おもい)がまじるからである。この三つは、たがいに展開しあってなりたっている。つまり、信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しないのである。また念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でないのである。これと逆なのを「実(まこと)のごとくに修行し相応する」というのである。だからこそ、論主はまっさきに「我れ一心に」と宣言されたのである。]
長い引用文になりましたが、前回は、上巻の礼拝門と讃嘆門でしたので、今回は下巻の礼拝と讃嘆を話そうかと思っております。分けて話すことも考えましたが、内容的にあまりよろしくないと思い、両方一緒に話すことにしました。引用が長いぶん話も長くなりますが、勘弁していただいてお付き合い願えれば幸いです。
で、まずこの下巻の概要を簡単に述べてみたいと思いますが、この礼拝門は、今読みましたように、三号を礼拝すると書かれております。で、その三号とは何かといいますと阿弥陀如来と応と正遍知とである、ということでした。これを身の業(わざ)をもって礼拝する。これが礼拝門の内容です。そして讃嘆門はその三号を讃嘆する。こういう事になっているようです。
礼拝門では三号ということが説明されていて、讃嘆門においてはその三号を口業の念仏でどのようにとらえていくのかが、ここの問題になっているような気がします。礼拝門の終わりの処に「その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意(こころ)をなさんがためである。」と書いてありますが、この文章が礼拝の終わりに措かれてありまして、そして次の讃嘆門が始まるわけです。おそらくですが、この文章は讃嘆門へのつなぎの役をしているのではないかと思っております。下巻の礼拝門は三号のそれぞれを説明するだけで終わっていますので、讃嘆門はその三号を口業の念仏において主体的にあらわそうとされている。簡単な概要でありますが、そういう事ではないかと思っております。
それではまず、礼拝においての三号の最初であります阿弥陀如来から話をすることにします。この阿弥陀如来ということですが、こうして読んでみると「如来とは、ものの相(すがた)その如(まま)に説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたように、この阿弥陀如来もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「如(より)来(る)」というのである。」と、こう書かれています。阿弥陀如来だと言いながら、内容は如来とは何かということが主であるわけです。ここでの阿弥陀如来をずっと考えていたわけですが、困ったことにこの阿弥陀如来も次の応もまだよく分からないのが正直なところでして、特に正遍知などはてんで分からない事になってしまうのですね。しかし、礼拝の内容がこの三号の説明でありますから、ただ分かりませんでは事がすまされない。それで至らぬ見解ではありすが、現時点における見解を少し述べさせていただいて、話に代えさせていただこうと思っております。宜しくお願い致します。
それではこの阿弥陀如来ですが、ここでは「ものの相そのままに説いて、安穏の道より来られ、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから如来というのである」と書かれています。で、ここにおける阿弥陀如来を話す前に、上巻の讃嘆門に「なぜ阿弥陀と名づけるのか」という処がありますのでまずそこを読んでいきたいと思います。資料をご覧ください。
讃嘆門上巻 [ なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であると知れるかといえば、あとの長行(下巻の讃嘆門)にいわれている。どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名の意義のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめられるからである、と。釈尊が舍衛国で、お説きになられた『無量寿経』(阿弥陀経)によれば、仏自ら阿弥陀如来の名号の心をあきらかにしておられる。即ち、なぜ阿弥陀となづけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏たちをはじめ、そのみもとにある人々の寿命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と ]
上巻では、阿弥陀如来とは名号であり、その名号の心をあきらかにしておられると言われています。ただし、礼拝門は身業におい礼拝するのですから、名号はまだ出てきません。また、名号というのは、南無阿弥陀仏の六字の名号のことでしょう。南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏に南無するということ、南無と帰命とは同じ意味ですから、帰命尽十方無碍如来は、私たちが称えるところの口業の念仏になりますと南無阿弥陀仏を称えることになり、その南無阿弥陀仏を名号というわけですね。
それでは、また下巻の礼拝にもどりますが、三号の阿弥陀如来とは何か。「如来とは、ものの相(すがた)その如(まま)に説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたとうに、この阿弥陀如来もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「如(より)来(る)」というのである。」この如より来るの、如とは、言葉にあらわすことができない、言葉を超えているという意味があります。しかし、この言葉では表現できないものをあえてイメージすることはできないか。浦島太郎の話にある竜宮城が絵にも描けない美しさであるとしても、それぞれが竜宮城を何となくイメージしているでしょう。このイメージというのはそういう漠然としたものから、姿かたちがハッキリしたものまで幅が広いわけですが、三号におけるこの阿弥陀如来をあえてイメージするということで考えると、少しは話が出来るのではないかと思うのですね。では、阿弥陀如来をどのようにイメージするのか。それが今読んだ「なぜ、阿弥陀と名づけたてまつるのか」というところですね。その阿弥陀とは「彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない」この光明無量の阿弥陀如来のひかりをイメージできるかということでしょう。別にイメージできなくてもいいのですよ。
で、その光明は十方の国々を照らすに少しのさわりもなく、そして彼の仏たちをはじめ、そのみもとにある人々の寿命が永遠である。こういうイメージがそのままにして壊れることがなく、その相をそのままに顕すような手立てとは何かということですね。私たちの思慮分別では捉えることができない、言葉を超えている世界ですが、その世界である光明無量をあえてイメージして、そのイメージのままに光明無量という言葉に置き換える、そして、それを阿弥陀と名づけた。これを「なぜ、阿弥陀と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。」と、阿弥陀と名づけることによって、阿弥陀の光明無量の相がそのまま言葉の仏となってもどることがない。この言葉の仏を阿弥陀如来といわれる、こういう意味があるのではないかと思うのです。
こちらの願い(南無)に応じて如より来る阿弥陀如来ですから、南無阿弥陀仏、この南無阿弥陀仏をもって如来の名号だというのでしょう。これすごく難しい問題を言っておりまして、このへんで無理に説明することはやめにしたいと思いますが、ひとまず、この三号の阿弥陀如来を説明するにおいては、こういう捉え方があるのではないかと思うわけです。ただし、礼拝は身業をもって礼拝するのですから、言葉の仏というよりも、どちらかといえばそれは阿弥陀如来像であり、その阿弥陀如来の姿とその光明無量なる世界観といったようなものが礼拝においての阿弥陀如来のイメージではないかと思います。
では、次は応です。「応は応共(おうぐ)である。仏は煩悩をことごとくのぞきつくして、あらゆるものに通達した智慧をえて、一切の天地の生きとし生けるものの供養を(真実に)受けるに応(ふさわしい)唯一のかたである。だから「応」というのである。」この応もまた阿弥陀如来ですね。礼拝の阿弥陀如来は姿かたちの如来ですから、その阿弥陀如来像に人格的な徳を顕すのでしょう。だから、三号の阿弥陀如来と応はどちらも阿弥陀如来ですが、応は如来の姿にその徳を思いはかり、阿弥陀如来の姿に光明無量のひかりの徳をいただく、つまり礼拝の対象となる如来の姿に、その如来となられた背景をも観じていくということではないかと思います。
それでは次は正遍知です。「正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相)は心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(の実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変らないのである。だから「正遍知」というのである。」ここで諸法の実相ということをいわなければならないわけですが、どうしたらいいのでしょうか。これが分かればそれでいいわけですけど。ま、とにかく、この三号は阿弥陀如来と応であり、そしてこの正遍知であるということですね。阿弥陀如来と応は何となくでも分からなくはないでしょう。そんな気がしませんか。ところがこの正遍知が三号の阿弥陀如来と応とともに言われているわけですね、こうなると分からない。ただこの実相の問題は後程出て来ますので、ここではこのままにしておきたいと思います。
それでは次は讃嘆門ですが、この讃嘆が始まる前、つまり礼拝の終わり部分ですね、「その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意をなさんがためである。」と言われているところですが、礼拝は三号を説明されるだけで終わりますので、次の讃嘆へのつなぎがここで添えられているのではないかと思うヵ所です。そしてその礼拝での三号の説明に対して、今度は讃嘆において口業の念仏にその三号を主体的に説かれようとする、そういうことかなと思います。
で、まず「彼の如来のみ名を称え、彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義(いわれ)のごとく、その実のごとく修行して相応しようとおもうからである」と言われます。この短い文章に先ほどの三号が述べられていると思います。で、そのどこが三号の阿弥陀如来であり、どこが応なのか、そして正遍知なのかということになりますが。
まず、「彼の如来の名を称え」のところがおそらく阿弥陀如来でしょう。この「彼の如来のみ名」は、無碍光如来が阿弥陀如来という言葉の仏になられたみ名ですから、その阿弥陀如来のみ名を称えるとは、南無阿弥陀仏の名号を称えることですね。だからこの「彼の如来のみ名を称え」が三号の阿弥陀如来だと思うのです。
すると、次の「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義のごとくに、その実のごとく修行して相応しようとおもう」までが応ではないでしょうか。礼拝では阿弥陀如来の徳を思いはかるのですから、讃嘆の応は名号の徳を思いはかる。それではその南無阿弥陀仏の徳とは何かといいますと、次に書いてある「彼の如来のひかり明るい智慧の相」が阿弥陀如来の徳ですね。そして「彼のみ名を義(いわれ)のごとく修行して相応しようとおもう」までが、阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の六字の名号になられた義(いわれ)を、私が念仏において主体的に思いはかり相応しようと思うと、そういうふうにも読めます。
しかしこの両方の説明をその後に載せてありまして、そこには何と書いてあるかといえば、まず「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに」のところは、「あらゆる世界を照らすにさまたげられることなく、よく生きとし生けるものの無明の(黒)闇をとりのぞくのである。それは、日や月や珠のひかりが、ただ空穴の中の闇を破るだけのような(小さな)ものではない」と、言われますように、光明無量とは、まず普通考える照明のような物質的なひかりではなくて、私の心の無明の闇を破る智慧をひかりだといわれる。
そして次が問題でありまして、次に何と書いてあるかといいますと、「彼の(如来の)み名の義のごとく、実のごとく修行して相応しようとおもうからである。」とあります。この名号の徳を思いはかりながら、その義のごとく実のごとく修行してと、私が思いはかりながら修行するのだと読んでいくと、読めなくなっていきます。
それでは、その次はどういうふうに書いてあるかといえば、「彼の無碍光如来の名号は」と書いてある。だから、阿弥陀如来の智慧のひかりが言葉の仏になり、その言葉の仏であるところの「彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるものの無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。」となっているでしょう。阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の名号となられたときに、いつの間にか名号が主体であって、称えている私は、この無碍光如来の名号により、「よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させる」ところの、その一人としての私である、というふうになるのではないですか。称える私が主体だったはずが、名号が主体となり、私が客体である。主客が逆転しているでしょう。
讃嘆では、阿弥陀如来の徳を思いはかるとことが、名号において、阿弥陀如来の光明無量のひかりが私の方に入ってくる、そういうことを言われているのではないかと思うのですね。なかなかよう分からんようなことですが、この彼の(如来の)み名を義(いわれ)にはこういう主客の逆転が込められているのではないでしょうか。この讃嘆門の応による主体の逆転を通して後に正遍知というものがある、そういう事ではないかと思っております。
それでは正遍知です。このみ名の義(いわれ)を知って念仏申す身になった。それで何がどうなったのか。「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜか」と、こういう疑問が出てきた。それが次の段です。
「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは(如来の)実のごとく修行しないのと、み名の義に相応しないことによるからである。どうして実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことになるのかといえば、(この無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生のためにこそ(仏になられたところ)の身である、ということを知らずにいるからである。」
私が称えるところの念仏は、たとえこの名号の義(いわれ)を理解して称えたとしても、無明はなおあり、願いは満たされない。それはなぜかということですね。それに対して如来の実(まこと)のごとく修行しないのと、み名の義(いわれ)に相応しないことによるからだと言われます。この「(如来の)実のごとく修行しない」というのは、さきほどの「彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させる」はずが、実のごとくに修行しないから、そうならないのだということでしょう。彼の無碍光如来の名号が主体ですから、その主体が実のごとくに修行しない。そしてまた、「み名の義(いわれ)に相応しない」というのは、このみ名の義とは名号の義のことですから、その名号が主体となり、私が無碍光如来の智慧のひかりに入ることが分からないからだ、と。だから「(如来の)実(まこと)のごとく修行しないのと、み名の義(いわれ)に相応しないことによるからである。」といわれるのではないでしょうか。
で、なぜこういう問題が起こるのかといえば、それは「(無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生にためにこそ(仏になられたところ)の身である、ということを知らずにいるからである。」とここに、三号の正遍知でいわれていた実相が出て来ます。そして実相の身であり、(為物)衆生のためにこそ(仏になられたところの)身であることを知らないからだと言われる訳です。「如来は是れ実相の身なり、是れ物の為の身なりと知らざるなり。」ここでいわれてる実相が正遍知でいわれる実相のことでしょう。困ったことにここでこの正遍知を自分なりにでも通らなければならないわけです。
まずここにいわれている衆生ということですが、これを衆生性ということで話が出来ないかと思いますが、調べるとそんな言葉はありませんでした。だから造語になると思いますが、この性という言葉には根性という意味もありますね。だから衆生根性と言えばいいのかもしれませんが、とにかく衆生性という言葉を使って少し話そうかと思います。身口意(しんくい)という言い方がありますね、身は身体のことで私たちの日ごろの動作もそこに入るかと思います。口は言語であり言葉でしょうか。そして意は心ですね。すると、私の心が私の動作や振る舞いに現れ、私の心が言葉になって表現されていくのですね、そしてこの状態が私の生活になるわけでしょう。周りとの関係にこの身口意で関わることにより私の日々の生活がある。その積み重ねを業というのだろうと思うのですよ。だからそれを業というならば、私の生活基盤は、私が生れる前からすでに始まっているわけですから、私よりもこの業の方が古いことになりますね。で、この身口意というのは私の事でありますが、この身口意に先ほど言った衆生性を見るということです。単に身口意を生きているわけではないですから、当然その身口意なるものには何かの根性があるだろうと思ったりするのですね。その根性を衆生性という言葉で説明しようとしている訳です。
今回はこの衆生性の根性論を通して、「衆生の為に仏になられたところの身である」といわれる為物身の問題を考えてみます。で、この身口意も私の心が思う処の身口意ですから、この身口意を思う私の心がどうしても入ってしまう。心が私ですから、私は心から出ることはありません。だから身口意といっても心が捉えた私の身口意であり、私の心はいつもそこから外れて行きます。衆生というのも同じことで、私の心で私を衆生だといくら思ってみたところで、私そのものの衆生性を自覚することは出来ないですね。私は根性が悪いですくらいは言えますよ。しかし、根性そのものが私なら、衆生性を自覚することなど出来ないでしょう。自覚しているという私がおるのだから、阿弥陀如来のひかりに入り私の闇が破られるといってもですね、そう思っている私もそこにいるのでして、そしてそう思っている私がこの衆生性という根性でもあるということですね。阿弥陀如来の名号の義を聞いて、私のこの根性の闇が破られることは分かった。そして、それに感動して念仏申す身にもなった。しかし、実際のところは、そう思っている私の衆生性という根性は残っている。そしてそれが私である。その私には念仏の実感もなければ満足感もない。
するとこの(為物身である)衆生のためにこそ(仏になられたところ)の身とは何かというと、如来からたまわるということにおいてはじめて成立するところの衆生の相(すがた)だと思うのです。それが純粋な衆生の自覚ということになるのでしょう。如来の智慧のひかりに入ることで、私に衆生の身をたまわる、その衆生の相(すがた)がそのまま如来の智慧の相であるということではないでしょうか。「是れ如来は実相の身なり、是れ物(衆生)の為の身なりと知らざるなり。」をこういうふうい受け取らせていただいております。
そしてまた、此れがあるとき彼があり、此れがないとき彼はない。この龍樹菩薩の不二の論理は以前話しましたが、この不二の論理であります不一不異を、この実相身為物身の問題に置き換えますと、実相の身あるとき為物の身あり、実相の身がないとき為物の身はない。実相身為物身は是れ、一ならず異ならず、この不一不異の論理が実相身為物身において展開されているのではないかと思います。
三号の正遍知は「正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相は)心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変わらないのである。だから「正遍知」というのである。」と、この正遍知にたいして、奥行のない薄っぺらな自分なりの実相についての感想ですが、現時点で精一杯背伸びしてみて、こういうことかなと思っている次第です。
そして、最後になりますが、もう一つ付け加えられています、それが三種の不相応ですね。
[ 一には、信ずる心が純朴でない。信じたり疑ったりするからである。二には、信ずる心が(専)一でない。決定がないからである。三には、信ずる心が継続しない。ほかの念(おもい)がまじるからである。この三つは、たがいに展開しあってなりたっている。つまり、信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しないのである。また念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でないのである。これと逆なのを「実のごとくに修行し相応する」というのである。」
この三信三不信を実相身為物身の次に言われているのですが、これもまた、正遍知での疑問である、「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは」、という問いに対して、この三信三不信を述べられていると思います。
この実相身為物身のみではまだ不足分があったのではなかろうかと思う処ですね。この為物身であるところの衆生の相を、ここでは信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しない、念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でない。この展開に衆生の相をいわれていると思うわけですが、この衆生の展開こそが為物身の相であり、それと「逆なのを実のごとくに修行し相応する」という処に、先ほどの実相身を見て行かれるのであれば、その実のごとくに修行し相応する相が、信じたり疑ったりせず、他の思いがまじらず、そして継続して止まない心であるとするならば、それは我一心で言われている「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」願心である、この願心をもって実のごとく修行し相応するといわれている処ではないでしょうか。
[「彼の(如来の)み名の義のごとく、実のごとくに修行して相応しようとおもうからである」とは、彼の無碍光如来のみ名は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。] と言われている、無碍光如来の智慧のひかりに映る衆生の相において、この三信三不信における願心をも見ておられるのでしょうから、この 讃嘆門の最後に [ だからこそ論主(天親菩薩)はまっさきに「我れ一心に」と宣言されたのである。] と、述べられたのではないかと読ませていただく訳です。
「浄土論註」上巻 礼拝門・讃嘆門
令和4年3月 春彼岸会より
「浄土論註」上巻 礼拝門・讃嘆門
「帰命尽十方無碍光如来というのは、帰命は礼拝門、尽十方無碍光如来は即ち讃嘆門である。
なぜ帰命が礼拝であると知れるかといえば、龍樹菩薩が阿弥陀如来を讃嘆する文をお造りになった中で、あるいは「稽首礼」といい、あるいは「我帰命」といい、あるいは「帰命礼」といわれている。この論の長行の中にもまた五念門を修するといわれているが、五念門の中で礼拝が一ばんにある。天親菩薩はすでに往生を願われている。どうして礼拝せずにいられようか。だから帰命は即ち礼拝であると知れるのである。しかし礼拝はただうやうやしく拝したてまつることであって、必ずしも帰命を意味しない。しかし帰命は必ず礼拝のすがたをとる。もしこれによって帰命をおもえば、礼拝より意味は重い。偈は自らの心を表白するのだからよろしく帰命というべきである。論は偈の意味を解釈するのだから、ひろく礼拝について語っている。偈と論とが互いに呼応して、意義をいよいよ顕かにしているのである。
なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であるかといえば、あとの長行にいわれている。どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名の意義のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめられるからである、と。
釈尊が舍衛国でお説きになられた『無量寿経』(阿弥陀経)によれば、仏自ら阿弥陀如来の名号の心をあきらかにしておられる。即ち,なぜ阿弥陀と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しもさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏をはじめ、そのみもとにある人々の壽命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と。
問う。無碍光如来の光明が無量であって、十方の国土を照らしたもうに少しもさわりがないというのなら、この国の衆生はどうしてその光をこうむらないのか。光が照らさないところがあるのなら、どうしてさまたげがないといえようか。 答う。さまたげは衆生の側にあるのである。光にさまたげがあるのではない。譬えば日の光が四天下にあまねくふりそそぐが、盲目の人には見えないようなものである。これは太陽の光がゆきわたらないのではない。またふかくたれこめた雲が大雨をふらせても、かたい石にはしみこまないようなものである。これは雨がうるおさないのではない。
もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の中の説である。
天親菩薩がいま尽十方無碍光如来といわれるのは、とりもなおさず彼の如来の名によって、彼も如来の光明のはたらきたる智慧の相のごとくに讃嘆するのである。だから、この句は讃嘆門であると知れるのである。」
前回は「我一心」について話しましたので、今回は「帰命尽十方無碍光如来」をテーマにした話ということになります。礼拝門・讃嘆門・作願門・観察門・回向門を五念門と言いますが、この五念門は天親菩薩が『浄土論』に顕されました。その中から、今回は礼拝門と讃嘆門を話すことになります。
前回の我一心から今回の帰命までが礼拝門になるかと思います。そして尽十方無碍光如来が讃嘆門になりますから、ここでは「帰命尽十方無碍光如来の帰命はすなはち礼拝門、尽十方無碍光如来は即ち讃嘆門である。」と書かれてあります。
この上巻の初めのところに「天親菩薩はすでに往生を願われている。どうして礼拝せずにいられようか。だから帰命は即ち礼拝であると知れるのである。」とありますが、これは「我一心」をうけて言われているわけですから、前回も「我一心」の観点から考えなければなりませんので、それをふまえて聞いていただければいいかなと思います。
で、前回の「我一心」には「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは、無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。」と書かれていまますが、この「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」というヵ所が、この礼拝門の「天親菩薩はすでに往生を願われている。」と同じ意味になりますので、「我一心」からの帰命が礼拝門となるのではないでしょうか。そして、「我一心」は「無我」のことだろうというのが前回までの内容でした。
そして「なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であると知れるかといえば、」から讃嘆門になります。礼拝讃嘆をとおした帰命尽十方無碍光如来と南無阿弥陀仏とは同じ意味になりますから、帰命は南無のことであり、尽十方無碍光如来は阿弥陀仏ということになります。私たちが普段に称える南無阿弥陀仏は、この論註においては南無が礼拝で、阿弥陀仏が讃嘆であるということになります。
しかし、私たちは普通こういうふうに分けて念仏を称えることはないと思いますが、ここでははっきり分けておられるようです。そしてこの帰命を礼拝門とするのは何らかの意味があるのでしょうね。通常は合掌礼拝ですから、私たちは手を合わせ礼拝します。別に言われなくても誰でもがする仕草でしょう。
ところが「世尊我一心」の「我一心」を受けて礼拝するのですから、私たちの普段の合掌礼拝とは次元が違うのでしょうね。で、この礼拝門の初めにあります「なぜ帰命が礼拝であると知れるかといえば、龍樹菩薩が阿弥陀如来を讃嘆する文をお造りになった中で、あるいは「稽首礼」といいあるいは「我帰命」といい、あるいは「帰命礼」といわれている。」と、こういう文で礼拝を説明されています。この「稽首礼」ですが、おそらく礼拝作法を言われているのではないでしょうか。例えば膝をつき手のひらを上にして深く額づきながら礼拝する五体投地のような作法だと思うのですね。つまり身業としての礼拝ですね。
それが讃嘆門の方では「どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめるからである、と。」というような、不思議な文章になっています。この讃嘆門における礼拝は、身業の作法というよりも「彼の阿弥陀如来の名をとなえ」といわれるように、口業としての念仏になっています。
「我一心」を背景にした礼拝は、讃嘆門において身業の礼拝から口業になり、その口業の念仏において「彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、」られている、と、いうような意味になっています。
啐硺同時という言葉がありまして、ヒナが自らの殻を破って孵っていくときに親鳥が同じ処をつついてやる。そういう意味で使われていますが、「我一心」の「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」このヒナの願いである「我一心」に応ずるがごとくに、親鳥の阿弥陀如来が光明の智慧の相として顕れている姿。その啐硺同時を口業の念仏に収められているというのがこの讃嘆門の内容ではないでしょうか。
その阿弥陀仏の智慧の相が、次の「なぜ阿弥陀如来と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しもさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏をはじめ、そのみもとにある人々の壽命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と。」ありますね。これは、まずは稽修礼としての儀礼的な礼拝が、讃嘆門では口業の念仏にすっと代えられていることになる。この礼拝門と讃嘆門の解釈は下巻に書かれていまして、上巻にはほとんど書いてありません。
しかし、上巻のこの阿弥陀如来と我一心の関係が口業に収まることを、今度は下巻で詳しく展開されるのではないと思うわけです。で、この上巻で私たちがとにもかくにも関われるのは、この口業の念仏だけなんですが、なぜなら阿弥陀如来も我一心もこの私の心を超えたものでしょう。私は私の心から出ることは出来ないのですから、もしも無我を私の心に留めたとしたらその時はすでに無我ではないのですね。そして、無我である「我一心」に応じて阿弥陀如来が真実の相を顕すとするならば、私が具体的に関われるのはこの口業の念仏だけなんでしょう。
そして、曇鸞大師がなぜ上巻において、礼拝についてわざわざ礼拝作法から述べられているのか。それは具体的な身業ということではないかと思うのですね。たとえ礼拝と讃嘆が阿弥陀如来の光明の智慧の相であっても、そこに具体的な「身業」がなければ観念の域から出ることはない。この具体的な身の事実に立つということをまず礼拝門で顕されようとされたのではないかと思います。そしてこの礼拝が讃嘆において口業の念仏になる、つまり称名念仏であるときに、今度はその称名念仏する私たちの問題にまで広がるのですね。この念仏によって私たちそれぞれが十方の国土を照らす阿弥陀如来の光明に入っていくのです。そんな実感はないと思いますが、それは私たちの衆生としての方に問題があるからなんでしょう。
この文の最後にあります「もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。」という言葉が、無我である「我一心」のときに、その「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願いう心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」願心は、今、この私たちの最も深い場所における「我一心」と呼応しているのでしょう。ただ、それが私たちには見えないし分からないのであります。しかし、天親菩薩はそれを「我一心」として顕し、自らをすすめ、ひきい、正されて「帰命尽十方無碍光如来」と礼拝・讃嘆されているというのが今回お読みしました処だと思います。
今回の『論註』上巻の礼拝門・讃嘆門について話をさせていただきまして、自分なりに思う処は、曇鸞大師の身業の捉え方でありました。親鸞聖人の身業の見方とは少し違っているのかなというのが正直な感想ですが、それでは親鸞聖人の身業とは何かと言われましても返答は出来ないわけですが、共々に今後の課題にさせていただこうと思っております。
「我一心」について
令和3年12月 御正忌報恩講
真宗の教義は三経一論といいまして、教行信証の教の巻きに「真実の教を顕さば、すなわち『大無量壽経』これなり。この経の大意は、弥陀、誓いを超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす。」と書かれてあります『大無量寿経』を始め、『阿弥陀経』そして『観無量寿経』を三経とします。一論とは『大無量寿経』を釈された天親菩薩の『浄土論』のことをいいます。また、この『浄土論』を曇鸞大師が註釈を施された『浄土論註』と、善導大師の『観無量寿経』を訳された『観経疏』は、親鸞聖人のご信心に大きく影響を与えたものだとも言われています。
今日は「我一心」ということで話そうかと思っていますが、「我一心」を少し説明する程度でおそらく終わるのかなとも思います。とにかくこの原稿を書き始めてからずいぶんと時間がかかりました。とうとうこの御正忌報恩講まで執筆を繰り返した始末です。だからといってたいした話も出来ませんが、まずは『浄土論註』の最初を読むことから始めたいと思っております。資料を一緒に読んでいきますのでよろしくお願いいたします。
「謹んで龍樹菩薩の造られた『十住毗婆沙論』をひもといてみるに、次のようにいわれている。菩薩が不退転を求めるのに二種の道がある。一には難行道、二には易行道である。難行道とは、濁乱の世、仏ましまさぬ時に不退転をもとめることを難という。この難であるということの相にはいろいろあるが、今は略してそのいくつかをあげて、難といわれるわけを説明することにする。
一には、外道の見せかけの善行は、菩薩の法を乱す。二には、自分だけさとって、それで足れりと執することが、仏の大きな慈悲を障げる。三には、自らの悪を反省しない人は、他の人の勝れた徳をも破壊する。四には、目前の利益にまどわされて、まじめに努力してきた効果をうしなってしまう。五には、道を求めてもただ自力ばかりをたのんで、他力にもたれることがない。
このようなことなど、目に見えるものすべて難というべきものである。この難行道は、たとえば陸路の歩行が苦しいようなものである。易行道は仏を信ずることのみをよすがとして浄土に生れんと願えば、仏の願力に乗じて、容易に彼の清浄の国土に往生することができ、仏の本願の力に支えられて、大乗の正定をえた人々の仲間に入ることができる。この正定とは即ち不退転のことである。この易行道をたとえれば、水路を船に乗って行けば楽しいようなものである。この『無量寿経優婆提舎』(浄土論)は、およそ大乗の極致であり、順風を帆にうけて航海する大船にもたとえられるべきものである。」
まず、「仏ましまさぬ時」ですが、仏教では釈迦滅後に次第に教えが衰えていくという思想がありまして、これを正法の時と像法の時、そして末法の時に分けて言われております。釈迦滅後から500年を仏の教えがそのまま生きている正法の時、次の500年を仏の教えを実践修業する者はいても真の証果に達成する者のない像法の時、その後を教法だけは存在するが、修業する者も悟りを開く者もいない末法の時。こういった区分をされるのですが、この500年を1000年だとする説もあるようで、詳しいところは分かりません。日本では1052年に末法時代に入ったと最澄が「末法灯明記」に記しています。
『論註』ではこの「仏ましまさぬ時」を正像末のどこに位置付けられているかといいますと、像法の菩薩として天親菩薩を言われています。また、「不退転」ということですが、簡単にいってしまえばへこたれないということ、菩薩も七地において仏道を求める意志が消えていくと言われます。「十方諸仏の求むべきを見ず、下に衆生を度すべきを見ず」といわれ、これを七地沈空の難などともいわれます。ここでは七地の菩薩がこの難所を超えて八地以上の菩薩として真の証果をもたらす仏果へと趣くことを「不退転」と表されているわけです。菩薩には十地の階位があるといわれておりまして、それがこの七地において危機に陥る。この難所を超えるのに難行道と易行道があるというのが『論註』の初めに書かれてあります。
ところで、他力本願という言葉は今でもよく言われます。主に他人まかせとか他人のふんどしで相撲を取るなどと言った意味で使われているようですね。それは他力本願本来の意味としては間違っておりますが、この自力他力という言葉をもって仏教の教えを説かれたのが曇鸞大師だと言われております。ちなみにこの他力本願とは自力の執心に対していわれるのでして、自力の執心の姿が他力本願により顕かになるということ。自力とは自分の思慮分別をもって自らの力とするものでしょう。しかしこの思慮分別は、わたし(我)という処から始まる思いですから、その我心に執着してしまい、ついには自らの執着心でがんじがらめになっていくといわれます。ちょうど蚕が自らを守るために糸を巻き付けて、その糸が作った繭が完成した時、熱湯につけられて自らは滅ぼしていくように。おれがおれがと、また、おれがああしたのに、おれがそうしたのにとか、おれがこういわれたと、我心の執着を重ねて続けてついにはどの自分が本来の自分なのかも分からなくなってしまう。私たちそれぞれどこか身に覚えがあるようなものではなですか。大きい小さい出来事を含めてみれば、これまで生きてきた時間がこういうことだったということはなかったですか。それでもこうやってひとまずは元気で生きておるわけですから、それだけでも感謝しなければならないのかもしれないですね。こういう自力の執心の心が次第に見えてくる、お念仏しながら少しずつ見えてくるのですね。するとおかげさまでこうして静かな自分を頂いていますとお念仏の続きを称える。一回だけ称えるのも念仏、乃至十念も念仏です。こういうお念仏から頂いた私を、他(阿弥陀仏)力本願により自力の執心が見える私になりましたというのだと思います。他人まかせとは違います。
『論註』の冒頭でいわれるのは、こういう凡夫としての私たちの姿をいわれているのではなくて、七地の菩薩であってもこういう執心に陥るのだということですね。「十方諸仏の求べきを見ず」この十方諸仏という言葉がよく出て来ますが、菩薩とこの十方諸仏とは深い関係があるのでしょうね。とにかくこの十方諸仏に甘んじるのをここでは「十方諸仏の求むべきを見ず」と言われるようです。そして「下に衆生を度すべきを見ず」です。つまり現在に甘んじてなすことが見えない。厳しい修行があればこそ菩薩も七地まできた。その七地まで来てやれやれと、これ以上やる気もないし、これでいいやとそこに座り込めば、これまでのこともなくなる。菩薩の死だといいいます。そこに易行道である『浄土論』の「願生偈」をもって「仏の願力に乗じて、容易に彼の清浄の国土に往生することができ、仏の本願の力に支えられて、大乗の正定をえた人々の仲間に入ることができる。」と仏の本願力を顕かにされて、七地沈空を超えた八地以上の菩薩に入るのでしょう。
それでは、この「願生偈」の初めの四句ですが、ここに今日のテーマであります「我一心」が出て来ます。「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」読み方は「世尊、我一心に、尽十方 無碍光如来に帰命して 安楽国に生れんと願ず」この「世尊」とはお釈迦様ですね。そして今日のテーマの「我一心」ですが、この「我一心」が大きな問題になって行きます。この「我一心」のところを『論註』に書かれていますので読んでみましょうか。
「世尊とは諸仏に共通の呼び名である。その智慧についていえば、あわゆる道理に通達し、迷いを断つという点では、煩悩の余習(なごり)さえとどめていない。このように智と断とが完全にそなわって、よく衆生を利益し、世のために尊重すべきものとして尊ばれる。だから世尊というのである。ここで世尊といわれるのは釈迦如来に帰命する意味である。どうしてそうわかるかというと、下の句に「我れ修多羅に依る」といわれているからである。天親菩薩は釈迦如来の像法の余にあって、釈迦如来の経の教えにしたがえばこそ、往生を願われた。その往生の願いにはもとづくところがあるのである。だからこそ世尊ということばは、釈迦如来に帰依する意味だとわかるのである。 (中略) 我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。 問う。仏法の中には我がない。ここではどうして我というのか。 答う。我ということばには三つの根本的な用例がある。一には邪見によっていう我、二には自分を他よりすぐれたものと主張する我、三には普通一般に他と区別していう我である。今ここで我といわれたのは、天親菩薩が自分をさしていわれたことばであって、普通一般の用例で我といわれたので、邪見や自分を主張して我といわれたのではない。」
まずはじめの「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。」の「ひきい」ですが、原文は「率」と書かれています。この「率」はいくつかの訳がありまして、ひきいる、したがえる、あるがままなどです。ここではひきいですから、ひきいる(率いる)の意味で使われたのでしょう。意味としまして、大勢を引き連れる、指揮をとるなどがあります。また退く、引きこもるなどにも使われるようです。
その次が「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」ですね。ここまでさっと読むとそのままなんとなくそういうことかなと思うだけで聞き流すところです。しかし私たちはこの「無碍光如来を念じる」ことも、「安楽国土に生れたい」ことも、「願う心ががかぎりなく続く」ということも、「雑念が少しもあざらない」ということも、どこもかしこも分からないのですね。
それでいきなり例をあてはめるのも何だとは思いますが、壽命という言葉があるでしょう。これは「壽」が限りの無いいのちを意味して、「命」は私たちの限りある命を意味するといわれるようです。私たちはこのふたつのいのちを生きているということでしょうね。いつ死ぬか分からない私の命と、私を超えて続いていくいのち。こういう二重のいのちを生きる感覚は現代の日本にはあまりないかもしれませんが、昔はこの「壽命」の感覚がしっかりと生きていたのではないですか。
で、まず「我一心」の「一心」ですが、普通なら私の心が「一心」になってと読む訳です。しかしよく読んでいきますと「壽命」の「壽」の意味ではないかと思うのですね。するとこの限りないいのちを「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」ところのいのちだといわれていることになります。これは文脈として無理な読み方ですが、とにかくそういうことにしておきたいと思います。
今度は「我」の方はといいますと、ここには「普通一般の用例で我といわれた」と書いてあります。比較も無く、優劣も無い、自分の主張も無い「我」とはいったいどんな我でしょうか。そんな我が自分にありますか。何も考えないでぼーっとしている時や、うたた寝をするちょっと前がそんな我でしょうか。でもね、ここでは「我一心」ですから何かしらの気持ちが入ってるわけでしょう。単にぼーっとしているわけではないですね。仏教では「無我」だといいます。しかしここでは無我ではないといわれて「普通一般の用例で我といわれた」と書かれています。つまり「無我」ではなくて単なる「我」だということですね。で、この「無我」ではない「我」と、まだ文脈が整わない「一心」ですが、これをあわせて「我一心」です。
ぼくはこの「我一心」を「我」と「一心」の相関関係だと考えています。相関関係とは「一方が変化すればそれにつれて他方も変化する」関係だと言われ、二つの物事が深く関わり合う関係だとも言われています。「一心」において「我」は邪見も主張もない、その「我」を拠り所に「一心」はみずからの一心を明かにしている。こういう関係だと思うのですね。だから『論註』では「我」を無我とは言わないで「一般の用例で我といわれた」というのは、「我」と「一心」の相関関係において「無我」であるからだということだと思うのです。
例えるなら「誰か風を見たことがあるか」という言葉がありますが、風なんてそこらじゅうに吹いているじゃないか、木の葉が揺れたり、風が肌にあたり風が吹いていると感じるから、どこにも風がある事ぐらい誰でも分かるのです。たしかに風に影響される風景はどこにもあります。しかし風は空気の動きですから、空気の動きが様々なものをとおして風を表現するのであって、風そのものは見たのかという意味です。同じように誰か「一心」を見たことがあるか。「一心」は本来見えるものではない。その見えない「一心」が、ここでいう「我」に依ることで「一心」の相を顕している。だからここでいう「我一心」は、比較も無いし主張もしない「我」に「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」ところの「一心」の相が顕れていると言われているのではないかと思います。そしてこの「我一心」をして無我であるといわれるのでしょう。
すると問題が二つあります。まずこの「一心」に「その願う心がかぎりなく続き」とありますが、ここでいう「我」はその時における「我」ですから、「一心」にいう永遠といったような継続性はないでしょう。だから「我一心」は継続的なものではなくて断片的なものです。しかしその断片的な時間に「我一心」として安楽国土に生れたいと願わう心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないいのちが収まっていることになります。「一心」に「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう」いのちを述べながら、それが「我」に顕された時間の短さを言われる。こういうのを昔は「不連続の連続」といわれていたと思いますが、最近はあまり使われなくなりました。
次に、この「我一心」は「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである」と初めに読みましたが、この「ひきい」か退くという意味もありますから、天親菩薩自らを退き「一心」を正しく率いるところに「我一心」の意味を措かれています。こういう天親菩薩と「我一心」の前後の関係を正しく顕すのだということです。この正しくというのが大事なのでしょうね。
この二つをまとめると、「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう」「一心」は、天親菩薩自らが退いたところの普通一般の用例である「我」に顕現して「我一心」を成就する。このことを「無我」だと言われるのではないかと思います。そしてまた天親菩薩自らが退かれてもなお、天親菩薩の人格的なイメージが残像として残されて「我一心」が表現されているという事だと思うのです。これが「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう」「我一心」の意味になっている。この解釈が的を射たものかどうかは分かりませんが、こういう読み方をさせていただいております。不思議な書だといえばそうかもしれませんが、この「我一心」は親鸞聖人のご信心に深く関わりますので今後も留意しながら読んでいくつもりです。
ところで、私たちが普通何となく思っている「無我」のイメージですが、どんなものでしょうか。よく分からんが「無我」というくらいだから姿かたちはないだろう、とその程度は思うのですね。ではこの「無我」とは何か。この仏教の根本である「無我」を「空」の思想として論理的に表された方が龍樹菩薩です。で、自分の許容範囲内で話すことしか出来ませんが、簡単にでも少しこの論理を話してみます。私たちは普通に物を考えたりする時には、何かを考えるというわけです。当たり前といえばそうですが、しかしその何かを考える時には、自ずと考えている私がある訳です。考えるとそうだなと思う。しかしこれは人が考える様子を言っているのですから、ものを考えるとはそういうことだと言っているだけです。ここに私が有りそして考えるところの何かが有る。私と何か、私と貴方、私とみんな、私とそれぞれの事柄。この「と」があり、その私「と」何かに考える関係が起こっている。私とあなたに友情がうまれる、または喧嘩する。私とみんなに和ができる、またはいがみ合う。私と何か、私とあなた、私とみんあ。これずっと広がります。私と国家、私と世界もある。
私たちの思考回路はそういうふうに出来ているようで、これ気づかないとずっとこういう物の考え方しかありませんが、龍樹のいう「空」の思想では、不二の論理といいましてこれらを覆していきます。まず私というものが存在し、そしてそこに何か問題が生じている。こういう物の捉え方は本来ではないというのです。本来とは、何かを考えるときに私とその何かも同時に起こっているのだというのですね。此れがあるとき彼があり、此れがないとき彼もない。こういう言い方をするのですが、ちょうどマキが燃えている状態を例にされます。マキと火の関係ですね。まずマキがあって、そして火が燃えている、これは違うでしょう。マキと燃えている火は別々ではないですね。同じように心もそうだというわけです。
私の心がまず有って、そして何かを考えている対象が有るのではなくて、私が何かを考えている状態がそこにあるだけで、その他に独立した私とする存在は無いというのが不二の論理だと思います。哲学的な思考方法だと思いますが、こういう思考方法をもって様々な事柄を論破されるのです。龍樹の「空」の思想をこのような不二の論理で言い表されているのだと思いますが、この不二の論理が、ここで言われるところの不連続の連続という時間の概念をも言い表したものかどうかは、まだよく分かっていないと思います。この不連続の連続という概念も龍樹の論理にあるという説もあります。しかし仏教における発展経過においてこのような時間的な無我を継承したのは、天親菩薩をはじめとする唯識につよく表れているという説もあります。曇鸞大師は四論宗に学ばれたお方ですので、龍樹を専門に学ばれたことになりますが、天親菩薩の『浄土論』を註釈されたわけがこういう処に見られる気がします。また、この「我一心」ですが、善導大師も別の角度から述べられています。いつかそのことも話ができればいいなと思います。
ただ念仏して
令和3年度 秋彼岸会 令和3年9月23日
歎異抄第二条に「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」というお言葉があります。この「ただ念仏して」ということですが、簡単な事ですね。皆さんもすぐに出来るし、誰でも出来ます。でもね、この「ただ」というニュアンスが曲者ですね。ボケっとしてとは書いていない。どちらかといえば脇目もふらずにということだとは思いますが、でもその脇目をふらずといってもまた、そうかなあと、違うような気がする。どうもこの「ただ」という言葉は分かったようでいてもはっきりしない。
で、この「ただ念仏して」をもっと難しくいえば「乃至十念」ということだと思います。こうなると回数の問題にもなります。乃至十念だから10回程度の念仏だということです。乃至なら5~6回でもいいんじゃないか、とアホなこともいいたくなりますが、実はこの「乃至十念」が歎異抄14条で問題になっているところがあります。「一念に八十億劫の重罪を滅すると信ずべしということ。この条は十悪五逆の罪人、日ごろ念仏を申さずして命終のとき、はじめて善知識のおしえにて、一念もうせば八十億劫の重罪を滅し、十念もうせば、十八十億劫の重罪を滅して往生すといへり。これは十悪五逆の軽重をしらせんがために、一念十念といえるか、滅罪の利益なり。」
一念に八十億劫の十悪五逆の罪が滅するなら、十念は十八十億劫の重罪が滅するのだといわれています。で、このような念仏は我が罪の軽重を知らせんがための念仏だといわれる。歎異抄ではこのような滅罪の念仏は親鸞聖人がいわれるところの念仏ではないといわれています。ましては、一念に八十億劫の罪が滅するから、十念で十八十億劫の罪が滅するという勘定したような念仏ならなおさらでしょう。
この歎異抄14条でいわれている滅罪の十念は『観無量寿経』の「下品下生」に書かれています。今日はこの「下品下生」の念仏を通して少しばかり話をしようと思いますので宜しくお願い致します。ではまず『観無量寿経』の「下品下生」のところを読んでみましょうか。
「仏阿難におよび韋提希に告げたまわく、下品下生というは、あるいは衆生ありて、不善業たる五逆・十悪を作る。もろもろの不善を具せるかくのごときの悪人、悪業をもってのゆえに悪道に堕すべし。多劫を経歴して、苦を受くること窮まりなからん。(かくのごときの悪人、命終の時に臨みて、善知識の、種々に安慰して、ために妙法を説き、教えて念仏せしむるに遇わん。)この人、苦にせめられて念仏するに遑あらず。
〔善友告げて言わく、汝もし念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべしと、かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念念の中において八十億劫の生死の罪を除く。〕
命終の時、金蓮華を見る。猶し日輪のごとくしてその人の前に住す。一念の頃のごとくに、すなわち極楽世界に往生することを得ん。蓮華の中において十二大劫を満てて、蓮華方に開く。観世音・大勢至、大悲の音声をもって、それがために広く諸法実相・除滅罪の方を説く。聞き己りて歓喜す。時に応じてすなわち菩提の心を発す。これを下品下生の者と名づく。これを下輩生想と名づく、第十六観と名づく。」
「下品下生」のヵ所の全文になります。これを一つひとつ押さえて説明できるようなものは持ち合わせておりませんが、ここに〔善友告げて言わく、汝もし念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべしと、かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念念の中において八十億劫の生死の罪を除く。〕とあるでしょう。これが先ほどの十念のことですね。で、その前に(かくのごときの悪人、・・・)と、善知識から進められる念仏があるでしょう。その念仏は心に仏を念じて念仏することを言う訳です。ところが臨終間際で苦しくてその遑さえない。そこで〔汝もし念ずるに能わざるは、無量寿仏と称すべし〕です。これが今日話すところの「下品下生」の口称念仏です。
この称名念仏を「かくのごとく心を至して、声を絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。かくのごとく念念の中において八十億劫の生死の罪を除く」とあります。この念念の中にそれぞれ八十億劫の罪を除くのだから、十念で十八十億劫の罪が除かれるのだということになる。歎異抄ではここのところをいわれていることになりますが、そしてそれを親鸞聖人のお念仏はこのような臨終の際のお救いではなくて、今生きるこの身のお救けでありますから、聖人の教えというわけにはいかないのだというのが、この14条に書かれているのでしょう。
この「下品下生」の十念と滅罪のことを、曇鸞大師も『浄土論註』の上巻末尾にのせられていますので、こちらの方も紹介します。まず、十念から。
「問。どれほどの時間を一念というのか。答え。百一の生滅を一刹那といい、六十刹那を一念という。しかし、この『観経』の中に「一念」というのは、このような時間についていうのではない。ただ(ここに一念と)いわれているのは、阿弥陀仏の全体の相なり、各部の相なりを憶念して、そこに感じられてくるままにまかせて、心にほかの想いをいれず、十念が相続するのを、名づけて十念とするのである。ただ口に仏の名号を称えるのも、このようにいえるのである。
問。(十念する)心に、もし他のことを思いうかべれば、これをもとにかえらしめて、仏を念ずる数の多い少ないを知ることができる。(しかし)ただ数の多い少ないを知るだけでも、雑念がまじっていないとはいえない。(かといって)もし心を集中させて、想いを仏にそそげば、こんどはどうやって念ずる数の多い少ないを心にきざむことができるのか。答。『観経』にいうのは、十念とは往生の業が全うしたことを明かすのみで、たとえば、夏ぜみは、春や秋を知らない。してみればこの虫は、いまは夏の季節だということを知るはずもない、というようなものである。春秋を知る者が、いまは夏の季節であるというだけである。十念の業が全うしたというのも、これと同じで(人間の)はかりしれぬ境地に到達したもののみが、十念というのである。(われわれのほうは)ただひとえに念(おもい)を積みつづけ、他のことをおもいうかべないなら、それで充分なのである。そのうえどうして、かりそめにも念ずる数を知る必要があろうか」
この『浄土論註』にある『観経』(観無量寿経)の「下品下生」の段ですが、ここにある十念も数の問題ではないですね。心が一杯になりオーバーフローして念仏が口から溢れだす様子でしょうか。それがこの「阿弥陀仏の全体の相なり、各部の相なりを憶念して、そこに観じられてくるままにまかせて、心のほかに想いをいれず、十念が相続するのを名づけて十念とするのである。」と書いてある訳ですが、このようにあふれ出るような念仏も回数ではなくて心が満ちて雑念が入りようがないということでしょうね。しかし、それはまた、はかりしれない境地に到達したもののみが十念というのであり、われわれはもっとハードルを低くして、余計なことを考えないで阿弥陀仏を想いつづけてただ念仏していくことでも充分なのだといわれます。
それではこの「下品下生」の十念を、善導大師は『観経疏』ではどのように言われているか。「念数の多少、声々間なきことを明かす」とこれだけです。この十念はただひたすら念仏することで、念仏の合間がないことだとあっさりしています。 それでは、今度は滅罪の方です。まずお手元の資料に「十悪五逆」を載せていますのでそこを見て下さい。
十悪とは、殺生、偸盗、邪淫、妄語、綺語、両舌、悪口、貪欲、瞋恚、愚痴または邪見のことです。
次に五逆ですが、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血。
五逆の殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血はなかなか分かりづらいかなと思います。また、この五逆罪はどれか一つでも犯せば無間地獄に落ちると言われるものですが、今日は全体的な雰囲気で見てもらえればそれでいいのかなとも思います。で、ここにある罪ということですが、単に罪だといいましても、たとえ自分がそれを行わなかったとしても、条件さえそろえば自分もしでかすかもしれないと心に罪の意識を持たれる方もいれば、それとは反対に死刑になっても、罪の意識がないまま他人や世間のせいにして死んで行く人まで様々ですが、ここにいうところの十悪五逆の罪というのは、どちらかと言うなら心の問題として取り上げられているのではないかと思うのですね。
この滅罪について『浄土論註』に言われているのは、まず『無量寿経』には五逆罪と謗法罪があるということです。天親菩薩が『無量寿経』を釈された『浄土論』を曇鸞大師が註釈されたのが『浄土論註』ですが、そのもともとの原本である『無量寿経』には五逆罪の他に謗法罪があると、まずこう言われます。そしてその五逆罪と謗法罪を比較して、謗法罪のほうが五逆罪より断然重いのだと言われる。で、なぜ謗法罪の方が重いのかといえば、謗法罪とは法を謗る罪ですね。この場合の法とは仏法のことですから、仏法を謗る罪ということになります。この法を謗ることをいま風にいうならば、生きる本質を知らないままに生きていることへの罪ということだと思いますが、現代に生きる私たちの感覚でそう捉えようとすると何処か分かりにくい。
で、この生の本質を知らないままに過ごしていることを無明といいます。その無明の闇から五逆が生まれるのだというのです。だからこの無明を生きる姿そのままが法を謗ることですから、無明に生きている姿を、真っ暗な部屋に住んでいることとして例えて、その真っ暗な部屋にも一度ひかりがそそげば、千年の闇もたちどころに明るくなる。それと同じように、これまで法を謗る者として生きた姿にひかりがそそげば、謗法罪とともに五逆の罪も我が身の自覚として明らかになるのである。このように五逆罪は謗法罪から始まるので、この謗法罪の抑止を強調されます。だから謗法罪が五逆罪よりも断然に重くて、罪の本質が違うのだという訳です。
ところが、この「下品下生」には五逆罪はあるが謗法罪がない。だから『浄土論註』ではこの「下品下生」の口称念仏は初めから謗法罪が除かれているので、善知識からすすめられた念仏をただひたすら称えることで往生の業が全うするのだといわれているのでしょう。自分なりの読みですが、おおまかこのような意味だと思っています。
では、善導大師の『観経疏』の方はどのようにいわれるのかというと、それは「未造業」だといわれる。この「下品下生」には五逆罪はありますが謗法罪がない。そのことをこの『観経疏』の「玄義分」に「下輩の三人はこれ大乗始学の凡夫にして、過の軽重に随いて分かちて三品となす」とあります。下輩の三人とは「散善義」の三三九品の下品の上生、中生、下生のことですが、上品、中品、下品がありまして、それぞれにまた上生、中生、下生がある。「散善義」にあるランク付けですね。その中でも最下位の下品の上、中、下を下輩の三人といいます。この下輩の三人でも大乗の仏法を志すものならば、法を謗って仏法を志すことはできない。だから仮にも仏法を志すものに謗法はないのだといわれているのですが、そのなかの最下位の「下品下生」は、取りようでは十悪五逆の罪の自覚において、自らを「下品下生」と位置づけているのだともいえるでしょう。
そして、その「下品下生」にはなぜ五逆罪はあるのに謗法罪がないのかと自ら問いを出されます。この答えが「未造業」だというのですね。謗法罪が重罪だというのは同じですが、この五逆罪に謗法罪までが並んでしまえばもう救いようがない。だから「下品下生」の口称念仏で謗法罪を抑止するのだというのです。現代風にいえば大乗仏教を志すものへの、最終おちこぼれセーフティーネットです。このセーフティーネットを「下品下生」の十念にもってくるのですね。最後の土壇場にこの浄土のセーフティーネットが有るからこそ、そこからまた浄土への歩みを始めることができるのだというわけですが、ただし善導大師の「下品下生」の口称念仏は単なるセーフティーネットではありません。それこそ浄土への通門にもなっている。こんなたとえが当たっているかどうかは後にまかせるとして、とりあえず説明するとこういう言い方でしょうか。
で、どちらがどのように違うのか分かりますか。曇鸞大師は信心のハードルを低くされて参加しやすくされますが、善導大師はストイックな生き方でものを見て行かれる、そんな気がしますね。でもね、個性の違いはあるかもしれませんが、善導大師に何かゆずれんものがあるようにも思えます。それがこの『浄土論註』の「下品下生」の十念です。先ほど紹介しました文に「阿弥陀仏の全体の相なり、各部の相なりを憶念して、そこに感じられてくるままにまかせて、心のほかに想いを入れず、十念が相続するのを名づけて十念とするのである。」とありましたが、このようなオーバーフローの十念を避けようとされているような気がするのですね。
これは口称念仏ではなくて観想念仏ではないかということだろうと思いますが、このヵ所を観たら阿弥陀仏の相を憶念したところの念仏ですから、分別心という思いが混ざっているといわれてもしょうがない。 しかし、またその次には「はかりしれぬ境地に到達したもののみが、十念というのである」といわれます。では、そこにいわれる十念とはどういう十念なのか、そして『浄土論註』におけるこの「下品下生」の十念と、歎異抄第二条の「ただ念仏して」がどのように関り遇っていくのだろうか。そういうことを思っています。
観経疏の発菩提心 そのⅡ
令和3年6月 永代経法要より
「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり、また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。ゆえに発菩提心というなり。」
去年の報恩講で躓いたところです。半年前の話ですからもう忘れておられると思いますが、ホームページのブログでは「観経疏の発菩提心」の続きになっていますので続けて読んでいただければ何とか繋がっているかなとも思います。あの時は突然壁が現れたイメージになり先に行けなくなりました。それがこの発菩提心の処です。この「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり」という言葉に何故躓いたのかといいますと、菩提はたしかに悟りという意味ですから、仏そのものの意味ではあります。しかし菩提心は単にそういう仏を現わす語と言うよりも、私達が何処かに思いえがく向上心のような上りゆくといったようなものが何処かにありませんか。それがここにおいては菩提心から菩提という語だけを取り出して、仏果であるとわざわざ言わなければならないのは何故なのか。すごく違和感があるのですね。
そして「また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。」ですから、心はあくまで衆生の心です。菩提は仏果、心は衆生、つまり菩提は仏そのものですから初めから仏であり、衆生は何処までも衆生です。言い方を変えるならば、菩提はずっと菩提であり続けるのであるし、衆生は何処までも凡夫であり続ける。菩提と衆生は何処までも平行線をたどるのであり交差しない。もし衆生能求の心が菩提心であるならばそれはすでに衆生能求の心ではなくて菩提そのものである。
普通ならば菩提心がいつか成就することを願うのであり、まあ成就するかどうかは別問題としても、いつかどこかでひょっとすると叶うかもしれない、そういう先をイメージするような淡い期待感がありますね。しかし「菩提は仏果の名なり」といきなり言い切られた場合には、衆生においてそういう成就は無いのだと断言するのと同じではないですか。これを念頭において菩提心を発しなさいというのがこの「発菩提心」ですね。これね、普通考えると分からないですよ。でも、今回はこの訳が分からないところを中心にしてもがいて行ければと思い、躓いた処であるこの「発菩提心」を再びテーマにしました。御聞き苦しいかとも思いますが宜しくお願い致します。
まず『観経疏』「序文義」の終わり辺りにこの「発菩提心」が登場します。お釈迦様の前で韋提希は阿弥陀仏の浄土を願います。その時の願いを「教我思惟、教我正受」と言いまして、この「教我思惟、教我正受」とは浄土への手立てである思惟の仕方を教えて下さい、またそれが正しく受けとれることがどういうことか教えて下さい、と言うような事かなと思いますが、で、この韋提希の願いによってお釈迦様がまず定善観を説かれます。ただ、韋提希はまだ阿弥陀仏の浄土を願いはするが、それを自ら受けとる準備が出来ていない。それで浄土への韋提希の基礎認識にあたる三福を説かれます。その最後にこの「発菩提心」が出て来ます。「発菩提心というは、これ欣心大に趣くことを明かす。浅く小因を発すべからず、広く弘心を発(おこ)すにあらざるよりは何ぞよく菩提と相会することを得ん。たゞ願わくは、我が身、身は虚空に同じく心は法界に斉しく、衆生の性を尽くさん。」と書かれています。今回はこの文章を解読することになりますが、まあ、とにかく先に進んで行きたいと思います。
まず「欣心大」の欣心(ごんしん)とは願い求める心だと言います。「大」は私を超えているものですから仏のはたらきという事ですね、だからこの場合の「大」は阿弥陀仏でありまた阿弥陀仏の浄土という事でいいのでしょう。するとこの「欣心大に趣く」は阿弥陀仏の浄土を願い求める心に趣くという事になります。次に「浅く小因を発すべからず、広く弘心を発すにあらざるよりは何ぞよく菩提に相会することを得ん」ですから、阿弥陀仏の浄土を願い求める心に趣くとはどういうことか、この発菩提心においてこの「浅く小因を発す」と「広く弘心を発す」との違いを見るのですね。で、どこまでが浅く小因を発すことなのか、またどこからが広く弘心を発すというのか、この事についてまず解かなければなりません。
以前、佐賀城後に行った時のことですが、いつも鉄道沿線に沿って南北ばかりを往来していたので、たまには違う処にも行ってみようということで佐賀方面に出かけて行ったのですね。佐賀市内は久しぶりで勝手もよく分からずとにかく有名なところへ行こうと佐賀城後の本丸御殿に行きました。佐賀市内は県庁所在地でもありそれなりに歴史と街並みがしっかりした処ですね。で、普通天守閣というのは城郭の中央部にあると思いますが、この佐賀城は天守閣が城郭部分に建ててあるようでした。変わった建て方だというのが印象です。ご存じのように佐賀藩は薩長土肥といいまして明治維新を推進した薩摩、長州、土佐、肥前(佐賀)の四藩の一つですね。大隈重信や江藤新平などを輩出した藩です。本丸御殿には藩校の弘道館の様子も沢山紹介してありました。西洋を見据えながら日本の将来に大志を抱く若者も沢山おられたでしょう。こういう世界に広く視野を向けるのをでは弘心というのだろうか。普通に考えたらそういうものを「広く弘心を発す」と言うのじゃないですか。
それじゃあ、浅い小因とは何でしょう。この幕末当時においてこの地ではすでに石炭は採掘されています。石炭採掘はつねに水処理の問題が障害になっていたようで、炭坑工夫同士の水争いから、鉱山の水没まで水処理の問題は深刻だったと聞いています。明治以後西洋のポンプ導入でようやう収まったそうですが、では、こういう炭坑の話は「広く弘心を発す」内容にはならないだろうか。それとも「浅く小因を発す」ところの類だろうか。石炭産業は当時の日本の近代産業からすればけして浅く小さなものではないと思いますが。それでも時代の変換からすれば中途半端でもありますね。では、いったいどの辺りから広いと言うのだろうか、そしてまたどこからが浅い小因というのだろうか。私事は他人から見ればちっぽけな出来事ですね。だから浅い小因ですか。でも、私事は私自身からしたらこれほど大きい問題はありませんよ。では、この浅く小因というものと、広く弘心ということの違いは何かといいますと、ここでは「欣心大に趣く」ですから、阿弥陀仏の浄土を願っているかどうかです。すると佐賀藩の弘道館も炭坑の水処理もどちらも浄土を願ったものではありませんし、私事も阿弥陀仏の浄土を願った問題かといえばそうじゃない。するとここにある全部が広い弘心ではないのかもしれない。
私たちは生きていると色んな事がありますから、毎日何かにつれ悩んだり、喜んだり、怒ったり、横着になったり、自分を卑下することもあります。そんな自分の心をよくよく見つめてみると、よろしくないものも結構あるようです。そんなこんなを本音として持っております。いやいやおれはそんなものは全然持っていないぞとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、なるだけそういう方には近づかないようにしております。また、人間関係に悩んでおられる方も多いでしょう。そういう心の問題ですが、この菩提心とは仏になりたいと願う心ですね。ただ何となく願うのではない。強くそうなりたいと願うのでして、健康を願うとか、子供が幸せになってくれることを願う、宝くじが当たる事を願う、こういう願いなら強く願えますが、私は仏になりたいと強く願われる方がどれだけおられるのだろうか。今日の発菩提心はそういう話なのですが、現実的ではないといえばそれまでですが、また人間の深い処での話かとも思います。普段の我々ではあまり考えない事ではありますが、韋提希には人生において、いま、のっぴきならない事が起きているのですね。そこに私自身の耳を傾けて聞いていくのも大事なことだと思います。
『観経疏』の冒頭に「帰三宝偈」という偈文が書かれています。この偈文の最初の処です。「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣 共発金剛志 横超断四流 願入弥陀界 帰依合掌礼」
この「道俗時衆等」の「道」は出家した人、「俗」は在家の人という意味です。だから「僧も在家も各々この上ない心を発しても、生まれ死んで行く私たちは、生きることへの執着は甚だ厭(いと)いがたく、仏法をよろこぶことも復困難である。共に金剛志を発(おこ)して、横さまに四流を超断せよ。弥陀界に願入して、帰依し合掌したてまつれ」多少アレンジが入ってますが、だいたいこういう内容かなと思います。で、この二句目の「各発無上心」ですが、これを次の文脈との関連で読むと二つの読み方があります。まず今読んだように「おのおの無上心をおこせども」という読み方です。もう一つが「おのおの無上心をおこしなさい」と読みます。初めの読み方では、それぞれが無上心をおこしても困難だから、共に金剛志をおこしてという意味ですね。次の読み方は「おのおの無上心をおこしなさい、なぜなら生きる事の執着は甚だ厭い難く、仏法をよろこぶことも復難しい。共に金剛志をもって」となります。どちらも一人じゃ困難なので共になっておこせとなりますから、両方とも同じ意味になります。ただこの読みでは「無上心」と「金剛志」は同じ意味ですね。
で、初めの「道俗時衆等」には「時」の字が措かれていますね。するとこの出家と在家はその時の衆等でしょう。衆等は衆生等ですからその時の衆生等です。この観無量寿経の登場人物では僧は阿難尊者になります。お釈迦様の十大弟子の一人です。そしてこの観無量寿経で韋提希と共にお釈迦様から教えを頂くもう一人の人物です。だからこの時の衆生等は『観無量寿経』からすれば韋提希と阿難ということになります。では、この時とはどんな時でしょうか。先ほどから言っていますように、お釈迦様が韋提希に阿弥陀仏の浄土を説かれる時です。すると「阿難(道)韋提希(俗)もおのおの無上なる心をおこせども、生きる事への執着は甚だ厭い難くして、仏法をよろこぶことも復難しい。共に金剛志をおこして、横さまに四流を超断せよ。弥陀界に願入して、帰依し合掌したてまつれ」と、こういう読みになります。
この「無上心」とはこの上ない心であり、またこの上ない願心であるという意味ですが、それ以上の事は分かりません。しかしこの無上心をこの二人に限定するならば、阿難の無上心はお釈迦様と同じ境地になる事です。韋提希にとっては阿弥陀仏の浄土への願いが叶うことでしょうか。二人はそれぞれ違う願いですが、お釈迦様からみたらおそらく同じ願いなのでしょう。そして、「共に金剛志をおこして、横さまに四流を超断せよ」です。
さて、それではこの金剛志とは何でしょうか。サケは生まれ故郷の川に帰って産卵して、サケの一生を終えるでしょう。こういう習性がある生き物は他にも多くいると思います。では人間はどうでしょうか。人生の晩年に故郷の田舎に帰って過ごそうと思われる方はわりと多いかもしれません。そういう晩年の過ごし方もこの習性とどこか似たものがあるのでしょう。比較的奥さんの里に帰られるのが多いようですが。また、沖縄では、お墓の形が女性の子宮を模っていると言われます。毎年お墓で親族が集まり飲んだり食べたりする習慣があるそうですね。お墓が一族のコミュニケーションの場であり、最後はみんなが還っていく処でもある。これもお墓に故郷というワードがあるような気がします。
また人間は心の生き物ですから、心の故郷もあるかもしれないでしょう。芥川龍之介の作品で『河童』は今度生まれる所を選べる世界だそうです。洒落た世界です。「おっ、予定通りの場所に出て来たぞ、しめしめ」選びの無い私たちの生を、芥川は皮肉を交えて描くのでしょうか。お腹の赤ちゃんがそんな事を考えているとは思えませんが、だからといって何か意識に似たものがないとも言えないですね。お腹の中で動く仕草にはそれぞれすでに個性があるかのように見えます。ではそれよりももっと前、それこそ生の始まりである、私と言うよりも生物的でありますが精子と卵子が結合する時ですが、その時に意識的なものはあるでしょうか。いくらなんでもある訳がないだろうと思うでしょう。しかし、では無いとしたら何故そこから意識が発祥するのだろうか。これは科学者の方にお聞きするしかないと思いますが、お聞きしても分からないかもしれない。ただ何もない所から何かが始まるというよりも、何かのきっかけで何かが始まらなければ説明は出来ませんね。生物学的にまた科学的にはどうだという事ですが、少なくともそこには何かの機能が始まっているという事ではないかと思います。「自の業識」ということを善導大師は言われますが、この自の業識にそれこそ私としての生が始まるその時を見られている。意味としては生きんとする意志と言われています。善導大師においてはこの自の業識が最初の場所であり、私の生の始めです。だからそこは私の心が始まる場所でもある。生きんとする意志は生への意志であり、また自の業識としては心の故郷である。
「生死甚難厭」韋提希は世俗に生きることを嫌いながらも、生きることへの執着を厭い離れることが出来ない。「仏法復難欣」阿難は仏法に生きる僧でありながら、お釈迦様を拠り所にするあまり本来の仏法をよろこぶ身になれないでいる。そして「共発金剛志」ですね。この「共発金剛志」の金剛は迷いがない、揺るぎのない、変わらないというような意味でしょう。貴方は何事にも揺るぎのない心の持ち主ですかと聞かれたら、いいえそんな心は持ち合わせておりませんと即答致します。もう何事にも揺らぎっぱなしの自分でして、あっちふらふら、こっちふらふら。情けないですが小心者として胸をはってきっぱりと発言させてもらいます。だから自分にはそのような金剛なる心などありません。ただこの金剛志とは変わらず揺るぎのない意志ですから、私のこの心が揺らぐかどうかではなくて私の身にそのような金剛志があるかどうかでしょう。
韋提希と阿難においてこの金剛志を発して「横さまに四流を超断せよ」です。「横超断四流」の四流は四暴流のことです。暴流とは氾濫した川のような激流の意味だと思いますが、欲暴、有暴、見暴、無明暴を四暴と言いまして、まず欲暴流は欲に激しく流されること、何かのきっかけで途端に暴走する。むさぼりや妬みものそうでして、なかなかこの激流は日常的です。分かりやすいのは瞋恚(しんに)だと言われます。怒りや憎しみ恨みなどがそうです。腹が立つとパッと顔に出るでしょう。生きて行く中でこの欲望流にどれだけ流されるでしょうか。
そして有暴流です。この辺りから難しくなります。この有暴流からは、実は調べても思うような回答が見つかりませんので、とにかく自分の思う処を申し上げるしかないのですが、まず生物学的に言うと人体の細胞はおよそ半年で全てが入れ替わるのだそうですね。脳細胞からすべての細胞が入れ替わるのだから、半年後は今とは全くの別人なのだそうです。でも、そんなことを言われてもこうして自分はここに居るのだし実感などもありませんね。たとえ科学的に実証されようがこの自分は自分でしかないと普通は考えるじゃないですか。だけど生物学的に言えば無いものを有るものとしている訳でしょう。森羅万象すべて変化の中である。格好つけて言うとそういう事ですね。これ仏教でいう諸行無常という意味です。川の流れをそのまま握ることが出来ますか。川の水を手ですっくてみても、それはすでに川の流れではありません。そしてすくった水を見る私たちもまた諸行無常の存在です。私も変化の中であり捉えようとする対象も変化の中ですね。そういう状況で自分はここに有り、そして対象はそこに有るとする物の捉え方は、本来をそのままに捉えていない事になります。しかしそうは言ってみてもですよ、実際の処はこの私がいてそして貴方がいる。私が有りそしてそこに何かが有る。こういう事でしか物事を測れないでしょう。辞書で認識という語を調べると「物事を見分け、本質を理解し、正しく判断すること。またそうする心のはたらき」だと書いてあります。だから認識するとは、普通にまず考える私がいてそして見ている対象があり、それを私がどのように考えるかということです。
すると仏教でいうところの本質を知るというのは、一般的にいう物を認識するのとは違うのでしょうね。この有暴の有とはそういう点からして私が普通に考えるところの認識作用の類になりますが、その有に暴流をつけて有暴流ですから、このような様々な有への執着が何かのきっかけで激流のごとくに暴走する様子でしょうか。こうなると思い当たる事がどんどんと出て来ませんか。細かいことはここでは申し上げませんが、いたる所で展開される様々なドラマがこの有暴流の出来事かなとも思います。これらは最初の欲望流とすごく近くて、欲望流が結果なら有暴流はその因となる心の作用なのでしょう。
次が見暴流ですが、ここで言う見とはこのような有を促す発動のようなものではないかと思っています。有を認識作用とするなら、見はその認識作用へと促すはたらきといいますか、具体的に何かそういう器官が身体にありそれが促すと言うようなことじゃなくて、単に促すところのものということです。これは自分がそう考えているだけですが、自の業識でいう生きんとする意志は私が母親の胎内に宿る時、つまり具体的な生が始まる時を言うのですが、この見はそういう生命の領域に限らないところの促しという事そのもの。そういうふうに考えています。
そして無明暴ですが、この欲望も有暴も私の心の中の出来事です。そして見暴が私の心そのものを促すものだとしても、これらのことを私は心で捉えようとするのですから、いくらこのような観察をしても私の心から私は出ることは無いのですね。私の心を見るには心の外を通してから見なければ私の心は見えません。『浄土論註』に「蟪蛄(けいこ)春秋を識らず、伊の虫,豈(あ)に朱陽之節を知らん乎、と言うが如し。」という有名な言葉があります。蟪蛄とはひぐらしの事だと言われます、蝉は夏に生れて夏に死んで行くから春秋を知らない、この虫がどうして夏という季節を知ることができるだろうか。私の心が私を測り、その心に私を見る。私の心は私の生きることと共にあります。生まれてから死ぬまでずっと心が私を考えるのですから、心から私は出ることはないのです。だから私の心は私が一番知っているつもりでいながら本来を知らないと言います。この事を無明と言うのですね。この無明であるがゆえに、あるちょっとしたはずみでバランスを崩し、見が暴走して、有にしがみつき、欲が濁流のごとくに貪りだす。こういうシステムになっております。そのままが私の生きて行くところの姿であります。四暴流を簡単ではありますが自分なりに説明してみました。また違う見解も当然あるはずです。
そして「横超断四流」ですね。このように四暴流は心の産物でありますが、自の業識というのは先ほどからも言いますように、身体に属しながらも私の意識の外にある処の生きんとする意志ですね。言うなれば我が心の外に属しながら、なお且つ身体に備わる変わらない意志でしょう。金剛志を発せとは、この変わらない意志に帰れということではないでしょうか。もしそうならば、それは自の業識へと帰れという事でもあるのです。そして、金剛志が身体に備わるところの意志であるならば、心の産物である四暴流の外でありますから、この金剛志を発すことはすでに四流を横さまに超えているのだというのでしょう。
「願入弥陀界」はこの「横超断四流」をもって弥陀界に願入せよということです。しかしまた、この『観経疏』では「一切の往生を欲(ほっ)せん知識ら、善くみずから思量せよ。むしろ今世の錯(あやまり)を傷みて仏語を信ぜよ。」と言われています。「往生を欲せん知識ら」という表現が面白いですね。この往生を欲せん知識らとは、知識でこの弥陀界に入ろうとする者のことでしょう。錯はまちがえるということですから、まちがって自分の知識や裁量で弥陀界に入ろうとしても心の中でもがくだけだという事です。そして仏語を信ぜよとは、自らのその錯と傷みの中で帰って来いという阿弥陀仏の願いに気づくことでしょう。ここにおいて「願入弥陀界」「帰依合掌礼」です。そしてこの「帰依合掌礼」の姿がそのまま「横超断四流」の姿であるというのでしょうね。取り急ぎ『帰三宝偈』の「道俗時衆等」から「帰依合掌礼」までを話してみました。
それでは発菩提心に戻ります。「発菩提心というは、これ衆生の欣心大に趣くことを明かす。」これはもういいでしょう。次の「浅く小因を発すべからず」は心の内なる世界で発すべからず。いくら広い視野でも自分の心から出ることは無いのです。だから「広く弘心を発す」とは私の心よりも広い、広大な外にそのままにしてつながる変わることがない意志に帰ることである。この金剛志を求める心が菩提、つまり仏と相会するのであると言われるのでしょう。「我が身、身は虚空に同じく、心は法界に斉しく、衆生の性を尽くさん」は、我が身は無限に広がる法界にあり、心は金剛志を求める心となり、その心もまた法界に斉しい。ここをもって、ただ願わくは、我ら衆生としてのこの一生を尽くしていこう。
「また菩提というは、すなわちこれ仏果の名なり。また心というは、すなわちこれ衆生能求の心なり。ゆえに発菩提心というなり。」この菩提と心を何故わざわざ分けられて言われたのだろうか。消化不良は未だなお継続しますが少しはほぐれて来たかなあとも思います。
ブログに関するご質問
「教巻への一考察」についての感想
「教巻への一考察」をブログに載せてしばらくが経った。書いた直後はあまり見たくないのでそのままにしておいた。読み返すと(いつものことだが)表現の至らなさと内容の乏しさを痛感する。いまさらではあるが、少しばかりこの「教巻への一考察」についての経緯を述べてみようと思う。まず、この「大」と「無量寿」の関係を、それもやや無理やりであったが、ア・プリオリの概念と結び付けた。これは証巻にときにカント(ドイツ観念論)を意識していたので、それならばと、教巻においても同じことが言えるだろうということでア・プリオリの思考を用いた。結果意外なことに変換が必要になる。そしてその変換が観経における浄土と阿弥陀仏の関係を思い起こさせたのは意外だった。カントが親鸞を知っていたとは考えにくいし、もし知っていたならこの変換も必要がなかっただろう。そして親鸞がカントを知っているはずはない。親鸞とカントとの関連は謎のままである。
次に親鸞の語句の読み変えである。意図的な読み変えなのは間違いない。後程この問題は現れてくる気がするが、釈尊その人という具体性がおそらくキーワードではないかと思っている。ブログにもそれを思わせぶりに書いたつもりである。
証巻 正定聚について その② 曇鸞における自性清浄浄土の定義としての考察
エトムント・フッサール著『イデーン』Ⅰ―1 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想
第一巻 純粋現象への全般的序論 渡辺二郎訳
第三章「純粋意識の領域」
第四十八節 「われわれの世界を離れてその外にある世界というものの、論理的可能性と事象的背理」
『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門の編集後記
『論註』に興味のない人にはつまらないものになったかもしれません。引用文が長いのでそれだけで目を通したくなくなりそうなものでもあります。法話としてかなり無理な試みではありますが、この讃嘆門は以前からクリアしたいところでした。当の本人はというと、けっこう満足しております(笑)。問題点は多々ありそうですが、目下のところはこの程度だろうと一息付けた感じです。しかし、少し時間が過ぎて改めて見直した時に、のっぺらぼうな文章が羅列されているだけのようにも感じました。解読としたら、現時点ではこれ以上のものは自分にはありませんが、法話としたら及第点にも至っていないでしょう。ここで一点だけこの讃嘆門を説明したいと思います。三信三不信の問題でありますが、このヵ所は前日まで書けなかったところです。原稿を構成する暇もなくて、法要の当日に加筆し訂正したところもあります。意味そのものが分からずに戸惑っていたときに、これは付け加えられたものだという思いが飛び込んできました。実感としたらそういったものです。実相身為物身の問題はわりと早くから想像はついておりましたが、三信三不信はそこに付け加えられたものだという発想そのものがなかったのです。考えて見れば、「我一心について」で述べたものがここに出てきただけですが、当の本人はそれにぜんぜん気づかずに悪戦苦闘していたわけです。『論註』はすごく難しくていったいどこまで行けるのか分かりませんが、もう少しだけなら行けるかもしれない、そういう感覚で次回も考えております。のっぺらぼうの文章も悪戦苦闘の末にできた荒れ地の跡である、と想像していただければ幸いです。
観経疏の発菩提心に思う事
本来はこういう発菩提心を話す予定ではなかった。この散善顕行縁はどこか素通りしていたので、こういう壁が有ったことが自分としては驚きだった。分かったつもりで過ぎた処にかなり苦しめられて、結局この発菩提心が主題の原稿となった次第である。最後のヵ所は何回も書き直した場所だ。まだ消化不良の多い所であるがひとまず結論的に置くことにした。親鸞聖人が比叡に居られるころに観経疏はすでに読破されていたと考えるのはかなり前からである。ただ、この原稿が法話として成立するかどうかと考えた時に、ずいぶんと乱暴な原稿だなと思う。もっとざっくばらんに書きたかったなあ。
(自灯明・法灯明)と念仏についての考察
この「(自灯明・法灯明)と念仏」は、聖覚法印の『唯信鈔』を意識して、曽我量深選集の歎異抄聴記の第二条を述べたものである。選集第二条における法の引用文をもとに『唯信鈔』を現代タッチに表現しようと思った。理由は、歎異抄第一条と第三条を続けて構成しようとしたら失敗した経緯があり、この第二条は別の角度からのアプローチが必要だと考えたからである。法の深信とは自己規定を法から示されるものなのかもしれない。また規定として示すとは、法との関係において示すのであり、いうなれば関係性という形である。それに対して機の深信は、法との関係によって現れる自己の深まりである。深まりは動詞であり、深まりつつある自己の姿を現すのだろう。第一条からいきなり第三条へと飛べない理由が、この法との関係を前提にしなければ困難だからだと思ったからである。それを『唯信鈔』をもって表そうとしたわけはまだ自分でもよく分からないところであるが『唯信鈔』が元来そういうものだということなのだろうか。しかしながら当初からそいう事を考えて原稿を作成したわけではない。後から考えたらそういうことじゃないだろうかと思っているだけだが、布石という理由で、ひとまず初めに措いておこうとしたのは確かである。
歎異抄第3条の編集語録
彼岸会での原稿を纏めていたら後半が煩雑になっていることに気がついた。意識とこころ、こころと無意識、身体と無意識。不明なことが多い中で話を進めるのが難しかった。なんとか自分なりに纏めたつもりである。法蔵菩薩の問題は第3条から登場するのはある面必然的だと思うので付け加えている。
「気遣い」と「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを」
「不安」編ではハイデガーの『存在と時間』について自分の所見を書いてみた。そこにおける気遣いは、親鸞における善悪の問題と共通点が多い。正像末和讃で「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがほは おおそらごとのかたちなり」と親鸞は述べている。この「よしあしの文字」だが、これを「気遣い」と「不安」の関係に見るなら、それは「気遣い」における意識関係の前後になる。無に対して「不安」「居心地の悪さ」から発して何かを気遣うまでの過程を気遣いの前後とするなら、親鸞における「よしあしの文字もしらぬひとはみな」は気遣う前の段階である。それはハイデガーにおいては、そこにあるのは「不安」における心の動きだけであって、気遣う処の具体的な内容は無い。これをもしこの和讃に当てはめるなら、それが「まことのこころ」であり、ハイデガーでは身体的な機能に属する意識のあり様ということになる。そして「善悪の字」は気遣う内容を言葉にしたものだろうから、それは何かを意識するということであり、「善悪の字」は「気遣い」として見ても「おおそらごとのかたちなり」なのだ。共通するものは他にも多く見ることが出来るかもしれない。だからと言って全てが同じだということでもないだろうが。そしてすでに十数年たっているのでかなり忘れしまった。こういう論理的な構築は様々な所見の取り扱いに対して目安になる事があるのでとりあえず書いておくことにした。
宝樹観について
数年ぶりに宝樹観を読み直し編集してみたが、迷路に入ったりでとりとめがなくなった気がする。当時の法話原稿とはかなり違ったものになったが、まずはこんな話を黙って聴いていただいた申し訳なさが感想である。これは宝樹観本文全体をまとめた感想を構成としているので、意味内容よりもその関係の仕方が中心になっている。課題の多いヵ所だったことを肝に銘じてひとまず宝樹観を終了することにした。