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『浄土論註』我依修多羅 真実功徳相から
令和5年3月21日 春彼岸会より
前回の作願門で『論註」をひとまずお休みすると言っておりましたが、作願門上巻の次に「我依修多羅 真実功徳相 説願偈摠持 与仏教相応」の四句があります。ここまでを一区切りにしたいので、今日はこの「我依修多羅 真実功徳相」をテーマにしてお話をさせていただこうと思っています。で、今日のテーマは「我れ修多羅の真実功徳の相に依って 願偈を説いて摠持して仏の教えと相応す」ということになります。今回は少しずつ分けて読んでいきますのでよろしくお願い致します。
【 次に優婆提舎という名を成立させ、上の三門を全うして以下の偈を起こす。「我れ修多羅の真実功徳の相に依って願偈を説いて摠持して仏の教えと相応す」この一行はどのようにして優婆提舎という名を成立させ、どのようにして上の三門を全うして下の二門を起こすのであろうか。偈に「我れ修多羅に依りて仏の教えと相応す」といわれている。修多羅とは仏の経を呼ぶことばである。「私は仏の説かれたこの経を論述し、経の意に応じていささかの相異もなく、まったく仏法のまことの相と一致しえたから、この論偈を優婆提舎と名づけることができるのである」というのである。これで名を成立させおわった。どのようにして上の三門を全うして、下の二門をおこすかというに、「依る」ということには、何に依るのか、なぜ依るのか、どのように依るのか、ということがある。】
まずはここまでですが、この文の最初のところに「優婆提舎という名を成立させ、上の三門を全うして以下の偈を起こす。」という文言がありますね。この『浄土論註』の初めに優婆提舎を説明されているところがありますので、まずその個所を読んでみます。「仏の説かれた十二部経の中に、論議経というのがあって、これは優婆提舎と名づけられる。さらに仏の弟子たちが仏の説かれた経の教えを解釈した、それが仏の教えの意(こころ)にかなっていれば、仏はそれを優婆提舎と名づけることを許された。それが仏法の相(すがた)を得ているからである。」
こう書かれているわけですが、この論議経を調べると優婆提舎のことだと書いてあります。では今度は優婆提舎を調べると、それは論議経だということです。で、よく分かりませんが、とにかく仏弟子たちにより論議されたものだということのようです。
また、天親菩薩もこの論議経を「私は仏の説かれたこの経のいわれを論述し、経の意に応じていささかの相異もなく、まったく仏法のまことの相と一致しえたから、この論偈を優婆提舎と名づけることができる」と書かれているわけですが、しかし、この作願門の後にこのように言われるのなら、上の三門の礼拝・讃嘆・作願門がこの経の意(こころ)に応じていて、いささかの相異もないといわれていることになります。すると、作願門においてこの優婆提舎は成立したことになりますね。だから「上の三門を全うして」と書いてあります。そしてこの優婆提舎は下の二門である観察・回向門とどのように関係するかということを次に書いてあることになります。
そこで、上の二門との関係として、次の二門を起こすのはどういうことかといえば、それは「依る」ということがあるからだということになるのですね。そして、この「依る」ということを、何に依るか、なぜ依るか、どのように依るかと、三つに分けておられます。
では、次の文を読んでみます。
【 何に依るかといえば、修多羅に依る。なぜ依るかといえば、如来はとりもなおさず真実功徳の相であるからである。どのように依るかといえば、五念門を修することによって、如来の真実功徳の相に相応することができるからである。これで上を全うして下を起こすことをおわった。修多羅とは、十二部経の中で仏が直接説かれたものを修多羅という。つまり四阿含の三蔵などがこれである。三蔵以外の大乗の諸経もまた修多羅と名づける。この偈の中で修多羅に依るというのは、三蔵以外の大乗の修多羅であって、阿含などの経ではない。】
まず初めの「何に依るか」ということですが、それは修多羅に依るのだということですね。そしてこの修多羅とは何かというと、この偈は無量寿経優婆提舎願生偈が正式名ですから、無量寿経をその修多羅とするのです。そしてその修多羅とは何かを下の文に説明してあります。そのまま読むと「修多羅とは十二部経の中で仏が直接説かれたものを修多羅という、つまり四阿含の三蔵などがこれである。三蔵以外の大乗の諸経もまた修多羅と名づける。この偈の中で修多羅に依るというのは、三蔵以外の大乗の修多羅であって、阿含などの経ではない。」と、このように書いてあるでしょう。
この説明では、無量寿経を三蔵以外の大乗の修多羅とするというのが曇鸞大師の説になりますが、この三蔵というのは経蔵・律蔵・論蔵をいうのだそうでして、いわば仏教における教えの体系のことだろうと思います。すると、この無量寿経を修多羅とするというのは、無量寿経を三蔵のように仏教の教えの体系には位置付けないということになります。そして、次に「阿含などの経ではない」とも言われていますね。
阿含は初期仏教の経典をさしますので、この無量経は、時代的に後起こる大乗仏教の歴史に登場する経典ですから、初期仏教に無量寿経の原型があるのか知りませんが、しかしですね、だからといってここで阿含などの経ではないとわざわざ述べる必要があるのかということですね。なぜならば、ここは阿含経と無量寿経を比較する場所ではないと思うからです。
つまり、ここで言われる優婆提舎というのは、仏教の体系を論じたものではなくて、また、阿含などのような仏陀の直接の言葉でもないというニュアンスがあります。修多羅ということで曇鸞大師はこういう表現をされていることになりますが、不思議な表現だなあと思いますよ。
そこで、以前に話しました「我一心について」に戻らなければなりません。この「我一心」とは何かということですが、上巻の初めのほうに書いてあります、「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは、無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。」と、このように表現されています。この天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばであるということですが、この「ひきい」の原文である「率」は、ひきいる、ひきつれる、退く、引きこもるという意味もあります。天親菩薩は「我一心」において、自らが進んで率いですから、自ら進んで退き、そして我一心であると言われます。
つまり「我一心」とは天親菩薩が自らが進んで退いて、そして正された言葉である。その我一心を「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないこと」だと言われる、そしてこれが「我一心」の心ですね。だからこの「我一心」は、天親菩薩ご自身の言葉というよりも、「我一心」そのものを言われている。そしてその「我一心」の展開する様子を礼拝・讃嘆・作願門と観てきたわけですね。そして作願門において「我一心」がついに「一心」をもって完結した。それではその「一心」とは何であったかといいますと、それは阿弥陀如来の浄土の相(すがた)である、そしてその浄土の相(すがた)がそのまま「一心」としての菩提の相(すがた)であるというのが作願門までの内容でありましたね。
だからこの三門が全うするとは、「我一心」が「一心」に完結することですから、この「我一心」が「一心」に完結することをもって、優婆提舎が成立していると言われている、と、そう思うのですね。しかしながら、そうすると、ここに言われる修多羅は、お釈迦様が説かれた経でありながら、お釈迦様が自らすすみ、ひきい、そして正された言葉であるということですね。だからお釈迦様が直接お説きなにられた阿含などの経ではないといわれている。何故なら、この修多羅は「我一心」がついには「一心」である菩提の相(すがた)をもって完結する経だからだということでしょう。そしてこれをもって無量寿経の優婆提舎が成立したといわれているわけです。
では、この上の三門である礼拝・讃嘆・作願門が全うされたら、下の二門を起こすのは何故かということとですが、それが「修多羅に依る」からだということですね。そこで、この修多羅は上の三門が全うされることで下の二門を起こすことになりますから、下の二門である観察門と回向門がその依るところの修多羅だということになります。しかしですね、そうなりますと、上の三門の礼拝・讃嘆・作願門はどうなるのかということでしょう。ところが、しかし、上の三門もまた修多羅であるということです。
そこでこの上の三門と下の二門の修多羅の関係を、ここでは「依る」ということでいわれています。おそらくこれは、上の三門と下の二門はリンクしていると言われているのではないかと思います。リンクとは連動するとか連結するといった意味になります。そこで上の三門と下の二門のリンクする様子を見ていくことにしますと、『浄土論註』の「我一心」とは天親菩薩の「我一心」ですが、この修多羅では釈迦様の「我一心」になりますね。だからお二人それぞれの「我一心」ということになりますから、ここに複数の「我一心」が登場しているわけです。そしてそのそれぞれの「我一心」が完結する相が「一心」ということでありますから、この「一心」においては、すでにもうそれぞれというのはないと、こういう意味が含まれているのではないかと思います。しかしそうなりますと、これは天親菩薩とお釈迦様お二人だけの問題ではないでしょう。私たちにも何か関係してくるような気がしますね。
しかしですね、いくら何でも、お釈迦様や天親菩薩と並べたらだめじゃないかということが当然あります。しかし、ここはそういうレベルの違いを述べる所ではありませんから、あえて言えば、上の三門において「我一心」がどれだけあろうとも「一心」は同じであるということでしょう。そして、上の三門は「我一心」から「一心」までの展開をあらわし、下の二門では「一心」を展開する。修多羅にはこういう二つの展開があるということではないかと思います。
それで、次の「なぜ依るか」ということになりますが、これを「如来はとりもなおさず真実功徳の相であるからである。」と言われます。とりもなおさずとは、同じ内容を違う言葉で言い換えることだそうですから、すなわちという意味ですね。すると如来はすなわち真実功徳の相であるということになります。これをまた言い換えれば、真実功徳の相はすなわち如来であり、その如来である真実功徳の相に二種あると書いてあることになります。
それでは、次の処を読んでみましょうか。
【 真実功徳相とは、功徳に二種ある。一には煩悩にとらわれた心より生じ、存在の道理にしたがわないもの。いわゆる凡夫の世界の諸々の善根、それによって起こる結果は、因であれ果であれ、みな本末を顛倒し、みな虚偽である。だからこれを真実でない功徳というのである。】
ここに「凡夫の世界の諸々の善根」とありますが、この凡夫の世界とは何だろうかと思うのですよ。この凡夫の世界ということでさんざん考えました。はっきりした結論のようなものはありませんが、とにかくどういったものかと自分なりの考えを述べようと思います。
で、この凡夫の世界とは、ようするに私たちの普通に思うところの世界だと思うのですね。この場合は世間といった方が分かりやすいかもしれませんが、まず、世界という場合は私たちが見る所の世界ですから、私の思いが見ている世界であり、主観というようなものかなと思います。それに対して世間は私たちの生活における身近な環境でしょう。家族や子育て、また親せきや友達関係、ご近所との関係、仕事関係者とのお付き合い、これら実際の生活環境でどのように生きているか、その様子が凡夫の世界だと思うのですね。ここには私の思いだけがあるのではなくて、世間はさまざまな思いの集合体ですから、いろんなものが溢れていますよね。
すると私の悩みというのは、そのほとんどがこの世間での悩みですね。で、それをここでは煩悩にとらわれた心より生じたものだと言われています。こういう言い方をすれば、もうこれ以上の説明はいらないのじゃないかという気もしますが、では、その次の存在の道理にしたがわないものとはどういうことでしょうか。
私たちは比較しながら生きているでしょう。誰かと比較する、何かと比較する、こういうことは日常茶飯事ですね。鏡を見てこんなはずじゃないと鏡の中の自分とも比較します。自分の存在を観ようとするときは、そのほとんどが何かと比較している時です。そしてそういうことをしょちゅう繰り返しながら生きているわけですね。しかしですよ、そういう比較ばかりしている私は本当の私ではないと、心のどこかで感じている、と、そんな気もする。どうでしょうか。
で、世間ということで話をもどしますが、誰もわざわざ悪だくみをしながら世間に生きているわけではありませんが、それでもときどきはそういう悪だくみの中で生きている人もいる。それでもですね、だいたいにして多くの人が善良に生きようとしておられる方ですね。そして自分に良かれと思いながら生きている。それを諸々の善根というのだろうと思いますよ。しかしながら、この悪だくみをしながら生きている人においても、すくなくとも、その人自身にとって良かれと思い悪だくみをしているわけですよ。だからこの悪だくみの者も「凡夫の世界の諸々の善根」に入るかどうかということですが、本人の都合で良かれと思っているのなら入るのではないですか、どんなものでしょうね。まあ、それもこれもで、そして、自分をとりまくさまざまな人間模様や社会的制約とともに法律が混ざり合い、それぞれに結果が生れていく、そして、その結果においてまたそれぞれの思いが生れていくわけですね。
こういうものを凡夫の世界というのかなと思うのですが、ではなぜこれが本末転倒しているのかということになります。これは私の心というのは分別心のことですから、この分別心とはまた私の自我であり、私の執着心のことでもあります。この分別心が本末転倒した虚偽の心であると言われるのですね。
私たちは何かことがあると、まるでそこに我があるかのごとくに、おれはおれはとふるまう、これを執着心というのだろうと思います。そのもとにあるのを分別心というのですが、この分別心とは何かといいますと、分け隔てする心ですね。おれとおまえ、おれとあの事とか、おれをあの時おまえはどうしたとか、だんだんめんどうくさくなってきますが、このような分別心が何かの縁で、何かにとらわれていく、そして何かが起きていく。その結果の集合体が今の私の世間ということだろうと思います。だから私たちが普段思っているところの我とは、この分別心のことになるわけです。この分別心をもって生きていることが、世間を生きていくことですから、ごく普通の私たちの姿でしょう。しかし、それは存在の道理からすれば本末転倒であるということですね。
で、ここからが難しくなります。この本末転倒しているとか、虚偽だとかいわれるのは、なんとなく分かる気がします、だって他人と比べて有頂天になったり、嫉妬や妬みにさいなまれて生きることが良いとは思わないでしょう。他人と比べない本当の自分自身でありたいと思ったりしますよね。だから、わざわざ執着心だとか分別心だとか言わなくても、比較ばかりしてはだめだなあと思ったりしますよ。しかしですね、それが、ここに言われているように、これを「真実でない功徳である」というのはどういうことかということです。このように「真実でない功徳である」と言い切れるのは、これは分別心を超えた、それこそ真実を背景にして、はじめて言い得ることでありますから、私の分別心には無いものでしょう。しかしですね、だからといって何となくは分からないではない、と、どこかではそう思えることもある、と、まあ、えらくあいまいな表現ですが、感覚としたら分からないではないでしょう。
こういう漠然とした感覚は、実は私たちが死の問題を抱えているからだと思うのですね。なぜならば私の思いとは、私の生において生じる分別心ですから、その生の対極にある死は、生における分別心には入りません。だから、死はいつも私の生の影のように存在するのですね。だとすると、死を感じながら生きるとは、私の分別心を超えた何かを感じながら生きていることになるでしょう。天親菩薩はこの分別心を超える何かを、自らひきい、そして正して「我一心」の心をもって顕されたと思います。つまり、「我一心」からすれば、私の分別心は本末転倒であり虚偽なのです。これを「真実でない功徳」だと言われるのではないかと思います。
それでは、その二つめの真実功徳相です。
【 二には、菩薩の智慧による清浄の業にもとづいて、仏の衆生教化の事業を立派に行われた功徳である。これは存在の道理にしたがい、清浄の相にかなっている。この法は顛倒せず、虚偽がない。これを真実の功徳というのである。どのように顛倒せず、虚偽がないかといえば、存在の道理にしたがい、二諦に順じているからである。どうして虚偽がないかといえば、衆生をつつみいれて、もはや変わることのない清浄に必ず入れるからである。】
これまで、この上の三門の礼拝・讃嘆・作願門を、「我一心」がついには「一心」において完結することを見てきたわけですが。二つめの真実功徳相ではそれを「菩薩の智慧による清浄の業にもとづいて」そして「仏の衆生教化の事業が立派に行われた」と書いてありますね。つまり、「我一心」から「一心」への完結を、ここでは菩薩と仏のはたらきとして言われていることになろうかと思います。では、その菩薩の智慧による清浄の業と仏の衆生教化の事業がどのようなはたらきであったのかといいますと、それが一つめの「真実でない功徳」である真実功徳相です。真実でないというのは、私には分別心しかないということですから、つまり分別心が私であるということになります。この私が分別心であるという、この顛倒した虚偽の姿をそのまま衆生の姿としていただくのですね、これが仏からすれば衆生教化の事業ですね。この衆生の姿を頂くことこそが存在の道理にしたがっている清浄の相であると、そして、それを「二諦に順じている」のだといわれています。
ここに二諦という言葉がでてきます。この二諦というのは龍樹菩薩の世俗諦と勝義諦のことだと思いますが、また真諦門と俗諦門とも言われています。この二諦の教えは龍樹菩薩の教えとして有名ですが、実際のところはまだ定説とはなっていないとも聞きます。それをですね、ここで詳しく述べることなど当然できないわけですね。しかしながら、ここに述べられている「二諦に順じている」ということがどういうことかというのは、ここの内容の他にはないことにもなるので、ここにおける内容から曇鸞大師の「二諦に順ずる」とは何であるのかを自分なりに見て行くことは出来るのかなとも思いますので、少しこの二諦について考えてみたいと思います。
で、この文脈からすると、二諦とはやはりさきほどから言いますように「菩薩の智慧による清浄の業にもとづいて、仏の衆生教化の事業を立派に行われた功徳」を二諦に順じているといわれるのだと思いますね。で、まず菩薩の智慧による清浄なる業が、私たち凡夫の世界にはたらきかけているとしても、いきなり凡夫が衆生の姿を成就することなどはないからですね。上の三門は凡夫が衆生の姿へと成就するまでの過程をいわれているのですから、凡夫が衆生の姿へと完結するまでのお育て期間ですね。するとこの「二諦に順じている」とは、凡夫が衆生の姿へと成就するまでを菩薩のはたらきとするのですから、それを「菩薩の智慧の清浄の業にもとづいて」といい、そして、凡夫が衆生の姿として完結するまでの期間を俗諦という。そしてその俗諦は、裏を返せば、仏の衆生教化の事業が立派に行われている功徳ですから、それを真諦という。真諦はこのように俗諦に基づいているから、このような真諦と俗諦の関係を「二諦に順じている」といわれるのではないでしょうか。これ以上に深く掘りさげることは出来ませんが、とにかくこの二諦の問題を、ここでさらっと述べられている、そういうことかなと思ったりしております。
そして最後の文になります。
【「願偈を説いて摠持して、仏教と相応す」とは、持は散せず、失わないことをいう、摠は少によってつつみとることをいう。偈とは五言の句をいくつかつらねた韻文である。願とは往生をこい楽(ねが)うことをいう。説とは諸々の偈と論とをとくことをいう。まとめてこれをいえば、往生を願う偈を説くことによって、仏の経をまとめて身につけ、仏の教えと相応するのである。相応とは、たとえが函と蓋とがぴったりあうようなものである。】
この最後の文はそのまま読んだ方がいいかと思います。これは偈を摠持すると書いてありまして、摠持とは記憶して忘れないようにすることですから、読誦することで、暗記して、空でもこの偈をあげるくらいに身につけるということですね。私たちの日常のお念仏と同じ感覚でしょう。そうすると、次第にこの願生偈の意味と相応してくる、まるで函と蓋とがぴったり合うようになるということでしょう。
ところで、これは余談になりますが、ここに函と蓋が出てきますね。この函と蓋の事で少し話をもどしてみたいと思います。さきほど「二諦に順じている」ということで、「衆生をつつみいれて、もはや変わることのない清浄に必ず入れしめるからである」とありましたね。この言葉をあえて函と蓋で言い表すとすると、「衆生をつつみいれて」ですから、衆生はそのつつみいれられるものです。だから函とは衆生をつつみいれる清浄の函ですね。すると、その函につつみ入れられることが「もはや変わることのない清浄にかならずいれしめるからである」ということですから、この函とは菩薩の智慧による清浄の業にもとづいている函ですね。そして蓋をその果とするならば、仏の衆生教化の事業が立派に行われた結果だということになります。つまり、この二諦に順じているということを、ここでは函と蓋でいい表わされようとしているということです。
もしこのような解釈ができるならば、この函とは衆生を入れる器であり、その衆生はどこまでもひろがる凡夫の世界でしょう。函は衆生の数だけあり、その数がどれだけあろうとも足らないことはない、こういう含みがあります。そして「我一心」から「一心」までをお育て期間などと言いましたが、この函と蓋がぴったり合うのは「一心」においてですね。だからそれまでの期間の函と蓋とが、二諦に順じながら成立していくといった表現をされているのだろうと思います。
しかし、それでもですね、このあたりの「我一心」のとらえかたが少しめんどうでして、このお育て期間を単なる時系列で考えるとぼやっとしたものになり、もうひとつ釈然としなくなる。しかし、もともと「我一心」は刹那的ですから、この上の三門の「我一心」を、その時々における刹那的な「我一心」は、二諦に順じながら、そしてついに「一心」に完結する、と、このように解釈するのではないかと思っています。この『浄土論註』が顕そうとするのは、単なる時間軸を表現しようとしたものではないことは、何となくですが分かります。例えば、この「我一心」は刹那的でありながら、単なる時間の断片的なものではなくて、刹那的であることによって、そこにふれることが時をも超えているというような内容があります。
今回でこの『浄土論註』はお休みするつもりです。そして今度は親鸞聖人の書物から、またこの『浄土論註』の続きを眺めていきたいと思っています。
『浄土論註』下巻 作願門
令和4年12月 御正忌報恩講より
『浄土論註』下巻 作願門
どのように作願するのか。心につねに願いをなしつづけるのである。一心に専ら(阿弥陀如来を)念じて、ついに必ず安楽国土に往生して、実(まこと)の如(まま)に奢摩他(しゃまた)を修業したいとおもうからである。奢摩他を訳して「止」という。止とは、心を一つ処に止めて、悪をなさないことである。
この訳名は、おおよそその意味にたがうことはないけれど、まだその意味において充分ではない。なぜかといえば、心を鼻の端(さき)に止めるような[観法]をも止と名づけるし、不浄観[法]は貪[欲」を止め、慈悲観[法]は瞋(いかり)を止め、因縁観[法]は[愚]痴を止めるが、このようなものもまた止と名づける。人が(どこかへ)行こうとして、行かないような場合もまた[中]止という。
これで、止という、[訳]語は漠然としていて、正確に奢摩他という名をあらわしたとはいえないことがわかる。たとえば、椿やクワや楡や柳のようなものはみな木と名づけるが、もし単に{木}といっただけでは、どうしてそれが楡や柳か決めることができようか。
ここで奢摩他を止というについては、三つの義(わけ)がある。
一には、一心に専ら阿弥陀仏を念じて、彼の[国]土に生れたいと願えば、この如来の名号及び彼の国土の名号が、よくすべての悪を止めるのである。
二には、彼の安楽[国」土は、三界の道をこえているから、もし人が彼の国に生れれば、自然に身や口や意(こころ)の悪を止(や)むのである。
三には、阿弥陀如来の正覚の、しっかりと衆生をとらえてはなさない力によって、自然に声聞・縁覚[の利己的なさとり]を求める心が止むのである。
この三種の止は、如来の実(まこと)の如(まま)の功徳より生ずる。だから、「実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業したいとおもうから」といわれるのである。
― 御正忌報恩講より 『論註』下巻 作願門について ―
相変わらず、何となく読んでいけば、それはそれでよく分からないまま通り過ぎてしまう文章なのですが、目を凝らして読み込もうとすると、また違う景色が表れるのですね。この作願門の文を読むと、一年前のちょうどこの御正忌報恩講で話した「我一心について」を思い出します。この文の初めの「心につねに願いをなしつづけるのである。一心に専ら(阿弥陀如来を)念じて、ついに必ず安楽国土に往生して」と書いてあるところなど、そのままその「我一心について」とかなり類似しておりまして、ブログの「我一心について」の方を読んでいただいた方が、これから簡単に説明するよりもよほどいいのではないかと思ってしまいます。ただし、ここに書いてあるのは、「我一心」ではなくて「一心に専ら(阿弥陀仏を)念じて」とありますように「一心」ということです。
では、「我一心」とこの「一心」とは同じものかそれとも違うのか、と、こういう問題がまずある訳ですが、「我一心について」の、自分なりの理解からするなら同じになろうかと思います。この「我一心」の「我」は、「一心」との関係において成立する「我」ですから、単に「一心」といいましても、これもまた「我一心」における「一心」である、ということではないかと思っています。すると、今回の作願門(下巻)を読ませていただくと、まず「一心に専ら(阿弥陀如来を)念じて」と書いてあります。だからすでに「我一心」においての「一心」ですから、あえて「我」は除いてあるのだろうと思う。しかし、もしそうならば「我一心」とそのまま書いておればいいじゃないか、という疑問もおこるでしょう。
次に、「ついに必ず安楽国土の往生して」と、その往生への願いがついには成就することが書いてある。この、「必ず」と書いてあるのは、すでに往生は決まっているという意味でありまして、おそらく決まるだろうという意味ではありません。ほとんど決まっているというならば、それは、もしかしたらその願いは叶わぬかもしれないでしょう。だから、ここに必ずとあるのは、それは決定していると言われていることになります。しかし、私たちからしたら、大体にして大丈夫じゃないかといった方が、どちらかというと意味が通りそうです。では、このもう決定しているというのは、いったいどういうことなのかと、ここにも疑問がある。
そしてまた、この必ずという文字の前に「ついに」という言葉までが添えられています。この「ついに」ということが、ついにそこまで行けばという意味なら、「一心」がついにそこまで成れば必ず安楽国土に往生して、と、こういうことになるでしょう。すると、まだそこまでの過程が残っているということですね。で、その過程を通り越すと、それこそついに必ず安楽国土に往生する。しかし、ついに必ず安楽国土に往生するのなら、今はまだ往生はしていないのではないか、それともすでに往生をしているのか、と、こういうような疑問もあります。
そして、ついにその安楽国土に往生すれば、そこからいったい何が始まるのか。それは、実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業することが始まるのだ、ということでしょう。こうまでして安楽国土に何をしに行くのかといえば、それは、実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業するために行くのだ、と、言われていることになるでしょう。
この作願門を読んで、いくつか疑問を作ってみました、こうしてみると、どれもこれもよく分からないし腑に落ちないものばかり。
で、この作願門にあります「止」は奢摩他といいまして「止観」の「止」の事です。仏教のさとりを「止観」という言葉で現わすのですが、その「止観」の「止」の方が今回のテーマであります。この「「止」の意味が次の文にありますので、まず読んでいきますと、「奢摩他を訳して「止」という。止とは、心を一つ処に止めて、悪をなさないことである。」と、こう説明されています。まずこの「止観」ですが、調べてみたら「止」は「三昧」、「観」は「智慧」だと言われているようです、が、それ以上にはっきりした回答は見つかりませんでした。しかし、とにかくこの「止」を「三昧」で調べると次のようになっております。
定、正受、調直定、正心行処、息慮凝心、の五つが出て来ます。まず定は、心を一処に定めて動くことがない。正受は、正しく処観の法を受けるとありますから、正しくその観法を受けるという意味だと思います。調直定は、心に暴を調え、心の曲がるのを直し、心が散るのを定める。正心行処は、心の動きを正して、法に合わせるための依処である、とあります。そして息慮凝心については、縁慮を止めて心念を凝結すると書いてありまして、この縁慮というのは対象を捉えようとする心だそうです。また、心念を凝結するとは心を一つに定めることですから、息慮凝心は物事を捉えようとする心を止めて、静かに心を一つに定めることかなと思います。
で、この説明に従って考えるならば、どれが作願門における「止」なのかということになりますが、「止とは、心を一つ処に止めて、悪をなさないことである」という意味なら、「三昧」のどれもがこの「止」に当てはまるのではないでしょうか。
次に、この「止」を「不浄観」と「慈悲観」と「因縁観」で説明しておられますね。そして、それだけではこの奢摩他をあらわしつくしていないといわれる。まず「不浄観」ですが、これは死の問題でありまして、人が死んでから腐敗していくまでをじっと観想する。どんなに容姿端麗や美貌の持ち主であっても、その死体は腐敗し、そしてついには骨だけになってしまう、そういう情景を観想して、むやみな欲を止めるということです。
「慈悲観」は少し難しいですね。仏の慈悲の前では全てが平等であるというような観法だと思いますが、この「平等」という言葉はすぐに賛同される言葉ですが、実際具体的になると、何をもって平等とするかという難問にぶつかる。あちらを立てればこちらが立たぬ、余すことなく平等だというのは、理念としたら魅力的ですが、具体性からすれば不可能に近いと思いますね。で、この「慈悲観」は難しいので少し措いておきます。
次の「因縁観」ですが、因果応報といいまして、原因がありその結果がある、当たり前のことですが、その因に何かの縁が関わり結果が生じる。こういう道理を因果応報というのだろうと思いますし、そしてこのことを「因縁観」ともいうのだと思います。この「因縁観」は、私たちの人生といいますか、この私が生きるということにおいては業の問題になるのではないでしょうか。業の問題は一人称の問題でありまして、この私が、ここにこうして生きていることにおいての私の業ですから、良いも悪いも今の私は、この私の業において生きているということですね。こういう状況や環境で、こうして来たからこうなったのだという、この道理は当たり前であるがゆえに、大きな尺度にもなると思います。
信仰ということにおいてもですね、人間がするものですから、その信仰が何かのきっかけで暴走することもある。だから、信心の吟味においても、この因果因縁の道理は大きな物差しになる。物差しとは迷ったときにもとに戻る目安でしょう。いつも気持ちはあっちこっち飛んでいきます。何でも度が過ぎてしまう、信仰や信心も同じです。そういう私たちに足るを知ることを教える。これね、分かっちゃいるけどなかなかそうならない訳ですが、このなるようにしかならないという因果因縁の道理が、今の私の尺度になり、ああそうだったなと何となくでも気持ちを落ちつかせる。ただ、しかしそういう「因縁観」もまた、この作願門の奢摩他をあらわすには正確ではないといわれるのでしょう。
まず一通りですが、このように「不浄観」「慈悲観」「因縁観」を話してみました。で、しかしながら、何故ここにこういう観法が載せてあるのだろうかと考えてみた訳ですよ。少し気になる事があるものですから、あえてこの観法を自分なりに踏み込んでみようと思います。そういうことは、この何処にも書いてないのですが、こういうことも言えるのではないかと思いますので、違うかもしれませんが、とにかく話そうと思います。で、どういうことかといいますと、まず、この「不浄観」ですが、「不浄観」は死の観法ですね、すると、自らの死における観法とは何かというと、これは私が死ぬ時ですから「臨終時」のことですね。「慈悲観」はその自らの臨終の時における阿弥陀仏の「慈悲観」ではないか。では、その阿弥陀仏の慈悲とは何かということですが、それは衆生への「平等観」だということです。衆生一人ひとりにそそがれる阿弥陀仏の慈悲の心であります。
そして、次の「因縁観」が私の業の問題ならば、阿弥陀仏の慈悲はそれぞれの業の深さにあわせて臨終が変わります。三三九品といいまして、上品から下品までの上中下と、そのそれぞれにまた上中下の三種の臨終の様子と往生が説かれています。上品上生から下品下生まで全部救うぞというのが『観無量寿経』の「散善義」ですね。『観無量寿経』は「定善観」とこの「散善義」の二つが説かれていまして、その「散善義」にこういう臨終時の「慈悲観」が阿弥陀如来の来迎として説かれています。この『観無量寿経』の阿弥陀如来の来迎については、今の私たちにはあまりピンときませんが、時代をさかのぼるとかなり宗教的には影響があったのですよ。
しかし、この「慈悲観」については、実は『観無量寿経』の「定善観」の中の「真身観の仏」に説かれています。仏のはたらきを智慧と慈悲といいまして、阿弥陀仏の智慧の世界とは余すところなく広がる光明の世界観ですね。私たちが良いとか悪いとかいう知恵ではありません。そして、阿弥陀如来の余すところなく広がるその智慧の光は、一人も除くことのない光明の世界ですから、それはそのまま平等の世界観でしょう。その光明の世界観が私一人においても、と、いう時に、智慧の光明はそのまま阿弥陀如来の慈悲心であるということを、この「真身観の仏」に説かれていると思います。なるだけ多くの人に優しくしたいと思っておられる方も多いかと思いますが、また、そういう心がなければこのような阿弥陀如来の慈悲観にも気づかないのでしょうが、仏の慈悲というのは、普通私たちが思う処のやさしさと同じものではありません。
この『観無量寿経』における「真身観の仏」が阿弥陀仏の「智慧と慈悲」の世界観を顕している。だから『観無量寿経』は「定善観」と「散善義」が説かれているのですから、どちらも阿弥陀仏の「慈悲観」が説かれていることになります。「定善観」は世界観として、そして「散善義」では臨終行儀として。で、この作願門の次は観察門です。その「観察門」にこの「定善観」が関わっているのですね。すると、こういうふうに見て行きますと、『観無量寿経』の「散善義」は、奢摩他の「止」をあらわすにはまだ正確ではないと、こういうふうになるのですね。気になるものですからこういう観点を付けくわえさせていただきました。
で、この奢摩他の「止」については、次に三つの義(わけ)を言われています。その最初に、「一には、一心に専ら阿弥陀仏を念じて、彼の「国」土に生れたいと願えば、この如来の名号及び彼の国土の名号が、よくすべての悪を止めるのである」と、ここに「一心に専ら阿弥陀仏を念じて」とありますが、この「一心」と「我一心」が違うのかそれとも同じなのかというのが初めに出しておいた問でありました。
上巻の作願門では「どうして天親菩薩は願生といわれるのか」と、願生ということで言われています。この願生とは阿弥陀仏の国土に生れたいとう願いですが、この願うという場合には、そこに願う処の主体がなければならないでしょう。誰がそう願うのだということですね。私が願う場合は、私の心(我)が願うのだから、私の心(我)が願生するということになります。では、その私の心(我)が本当に願生の主体なのか。このことを上巻では、我とは無生(空)であり虚空のようなものであると言われる。だから私の心(我)といってもそれは亀の甲羅に毛が生えていると思っているようなもので、それは錯覚である。そういう無生(空)のごとき私の心(我)には願生する主体などないぞ、というのが問いかけだったわけですね。
私たちは漠然とここに願生といわれた場合に、まるでその主体が自分にあるかのごとく思ってしまっているわけですが、そういう私の心というものが錯覚の代物だというのが上巻の説明でした。それじゃあ何がその願生の主体なのかということになります。そこに天親菩薩は「因縁」に願生の主体をおくのだといわれたわけです。ではその「因縁」というのはいったい何だったのか、これが上巻の問いに対する内容でありました。
先ほどの「三昧」についての説明ですが、その「定、正受、調直定、正心行処、息慮凝心」のすべての主体は私の心であります。つまり、私の心を一処に定める。私の心に正しく処観の法を受ける。私の心に暴を調え、私の心が散るのを定める。私の心の動きを正して、法に合わせるための依処である。私の心の縁慮を止めて私の心念を凝結する。これすべて主体は私の心であり、その心の作用ですね。それに対して上巻では無生(空)をもって私の心の主体を否定されたのですね。そして「因縁」をもってその主体とするといわれます。
ここで上巻のその「因縁」を思い出していただいて、もう一度作願門の因縁をおさらいしなければならん訳ですが、さあ記憶をたどってくださいてと言ってもですね、これは無理な話なので、よければ後からでも上巻の「因縁」を読んでいただければなと思っております。
では、端折ってもう一回その因縁とは何かをお話ししますと、この因縁とは身体に属する心の在りようであり、その心の在りように映る私の業の姿でありました。そのどちらが因であり縁なのか分かりませんが、おそらく身体の方が鏡だろうと思っています。そこにそれぞれの私の業が縁として映る。つまり鏡とそこに映る業の関係になります。では、その私の業の姿とは何か、それは私の心である思慮分別心の中でしか生きられないという私の業の姿でありまして、そして、この私にまでになった業の歴史そのものであります。そしてその業の姿こそが名号の義(いわれ)によって、阿弥陀如来の光明に顕かにされた衆生の姿であり、阿弥陀如来が救わなければならない衆生の姿に他なりません。
この阿弥陀如来の光明とその衆生の関係がついには、阿弥陀如来の正覚の相にまで成就すれば、阿弥陀如来の正覚が成就する相はそのまま衆生の姿でありますから、その衆生の姿も阿弥陀如来の正覚の相に他ならないのであります。名号の義(いわれ)によって、その衆生の姿が成就する。その姿こそが「我一心」の「我」ですね。この「我」を拠り所にする「一心」でありますから「一心」もまた私の思いを超えた「一心」であります。しかし、こういうことはすごく難しい問題でありまして、人間の思慮分別を超えたものを、あえて分かったつもりで整理しようとしているだけですから、実際の信心というわけにはいなかいのですが、こういうことではないかと思います。で、この思慮分別を超えた阿弥陀如来の正覚のときに「一心」であるということですね。
この阿弥陀如来の光明に明らかにされた衆生の姿と、阿弥陀如来の正覚が不二の関係であるといのが阿弥陀如来の正覚の相でありますが、それを思慮分別を超えた実(まこと)の相だというのですね。その実(まこと)の相においてこの「一心」もまた不二の関係だというのがここで言われようとされる処ではないでしょうか。つまり、阿弥陀如来の正覚の相は、衆生との不二の関係であると共に「一心」においても不二の関係であるということです。衆生と阿弥陀如来の関係を安楽国土としてあらわすときは、おそらく場所としての関係でしょう。そして「一心」においては「実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業したいとおもう」ということですから、「一心」は阿弥陀如来の正覚におけるところの菩提の相になります。この場合は時間の相です。
そして、この菩提の相が何を欲しているのかというのが最後の文になります。「実(まこと)の如(まま)に奢摩他を修業したいとおもい、ついには必ず阿弥陀如来の正覚の成就された安楽国土に往生したい」と欲するのだ、といわれているのですね。「月を指さす」という言葉でいいますと、このときの「月」が安楽国土ですね。そして「指さす」が、今日話しました「一心」です。するとこのときの月は阿弥陀如来の安楽国土であり、阿弥陀如来の正覚の相でしょう。ところが、指さす「一心」も阿弥陀如来の正覚の相です。この「月を指さす」といった場合の月と指の関係は、指さす「一心」があるときに月「安楽国土」ありですね。そして「一心」がないとき月はない。ここにもまた「月を指さす」という場合の不二の関係があります。指さすこちらも安楽国土、指さした月も安楽国土、こういう表現が出来るかなと思いますが、この場合の指と月は離れていますか、それとも離れていませんか。
こういう話をすると、科学に少し興味がある方はオヤっと思われるでしょうか。こちらに明かりがともると同時にあちらにも同じ明かりがともる。これ「量子もつれ」という現象だそうです。量子力学の「量子もつれ」はすでに実証されています。まだ解明はされていないと聞きますが、何か関係があるのかなとも考えています。物理学を専門に学んだこともありませんので、詳しいこことは分かりません。以前は宗教哲学といいまして、この二つは同じ領域で扱われています。それが最近は科学との境界もなくなりつつある、そういう思いはしております。
しかし、それにしてもこの下巻の作願門は不思議な終わり方です。五念門の途中なのに完結している。勿論、曇鸞大師が「量子もつれ」を知っていたはずがありませんから、不可解な事だと感じておられたのではないかと、勝手に想像しているわけです。こういう解釈に対して、それはお前の読み違いじゃないかといわれるかもしれませんが、自分としてはこの「月を指さす」という関係は今後も観て行きたいと思います。
で、いったい次の本論である観察門はどうなったのでしょうか。自分なりに一生懸命考えてみました。おそらくですが、すでにこの観察門らしきものを通ってきたのではないかと思うのですよ。あくまでもそれなりにですが、模擬的にひととおり通ってきた、模擬というのは本物ににせて行うことだそうです。それが一年前の「我一心について」から「礼拝門と讃嘆門」の上下巻をとおして、模擬的にでも観察門を通過してきたのじゃないかと思うのですね。今日はこの辺りで終わらせていただきますが、私たちからみれば、この模擬的な場所からすでに本論ではないだろうかとも思います。次回は親鸞聖人の書物から角度を変えて、この『浄土論註』を訪ねてみたいと思っております。
『浄土論註』上巻 作願門
令和4年9月 秋彼岸会より
『浄土論註』上巻 作願門
「 願生安楽国とは、この一句は作願門である。天親菩薩の帰命の意をあらわしている。安楽の意味はあとの観察門の中にくわしくのべられている。
問う。大乗の経論の中には、処々に衆生はつづまるところ無生(空)であって、虚空のようなものだと説いている、であるのに、どうして天親菩薩は願生といわれるのか。
答う。衆生は無生であって虚空のようだと説くのに二種ある。
一には、凡夫が思っているような実体的な衆生、凡夫が見ているような実体的な生死というもの、そのような事実はけっきょくあることないもので、ちょうど年老いた亀の甲に毛があると錯覚するようなものでしかないから、虚空のようだというのである。
二には、諸々の存在は因縁によって生じているものであるから、とりもなおさず不生である。だからあることがないのは虚空のようだというのである。
天親菩薩が願われる生は因縁の意味である。因縁の意味だから仮に生と名づけるのである。凡夫が、実の衆生あり実の生死ありというがごときものではない。
問う。どのような意味で往生を説くのか。
答う。この国の人々の中にあって、五念門を修するという場合、前念は後念に対して因となる。この娑婆世界の人間(因)と浄土の人間(果)とは、まったく同一ではない。しかしまったく異なるものでもない。五念門を修する場合の前心と後心も、またこのようである。
どうしてかといえば、もし同一であれば、因果がないことになるし、さればとて異なるなら娑婆の世界の人間と浄土の人間とは連続していないことのなるからである。この意味は一異を観ずる論に中にくわしくのべてある。
第一行の三念門の解釈をおわる。」
ー 令和4年9月23日 秋彼岸会より ー
今日は論註上巻の作願門をお話ししようかと思っております。前回の下巻の讃嘆門でかなり一杯いっぱいでしたので、はたしてうまく読むことができるか心配ですが、とにかく話すことに致します。相変わらずお聞き苦しいかとも思いますが、宜しくお願い致します。
作願門をこうして読んでみると、相変わらず難解であります。また、年を取った亀の甲羅に毛があると思ったことがないし、甲羅に毛があるようなことも知らなかったし、それが錯覚だとも思ったことがないものですから、このたとえそのもがピンとこない。論註には様々なたとえが説かれてありまして、何のことか分からないものや戸惑うものもあります。国の違いや曇鸞大師の生きてこられた時代背景もあるでしょう。それも含めて言わんとされるのは何か、それが問題である、などと偉そうに言ってみてもですね、実際の器量もありますから察しようと思ってもそうは問屋が卸さないことも重々分かっているつもりです。でも、これが最近の法話のテーマでありますから、それも含めて話が出来ればと思います。で、すでにこの年寄りの亀の甲羅に毛があるか無いかで戸惑っているわけです。
曇鸞大師が生きておられた時と処を同じように体験することは出来ないのでして、そういう面では親鸞聖人も鎌倉時代のお方ですから、現在の私たちの感じる感覚とはまた違うはずです。しかし、それでも人間としての芯が違うかと言えば同じだといっても差し支えないのではないでしょうか。
この前、ご法事の中休みにご親族の方と世間話をしていました。「007シリーズの最新版、ノータイムダイ」が来ているから観に行きたいと話しておりました。そうしたらですね、二十代の男性が何やらニヤニヤされている。で、そう思いませんかと尋ねてみました。するとわりとキッパリそう思いませんと返事をされるのですよ。しかし、ああいう映画は大きいスクリーンで観た方が面白いでしょうと聞き直すと、またかすかに笑われる。要するに入場券を買ってまで観ようと思わないということでして、ビデオで観ればいいから、それはそれでそういうものかと思いました。それで、また聞き直して、では「鬼滅の刃 無限列車遍」なら観に行くかと尋ねると、それは行きたいと答えられる。こちらは「鬼滅の刃」こそそうまでして観に行こうとは思わない。映画館で館内を見渡すと大体が同じ世代の人が多いですね。世代が違うと映画の嗜好も変わってくるようで、自分はどう考えても「鬼滅の刃」より「007シリーズ」の方が観たい映画である。これ、世代を代表する意見といえるかどうかですが、けっこうそう言えるのではないですか。
私が育った時代は科学の時代、今も科学の時代ですが、私が育った時代は科学信奉の時代で、科学がまず一番先にあった時代。科学的でないのは迷信である。科学の研究者はそうは言わなかったかもしれませんが、科学を何となく思っている程度の人は、科学的でないのは迷信であると思っていた。
以前は、49日は三ヵ月かかるといけないのですかと、ご門徒さんが心配して聞かれると、それは迷信ですと答える。しかし、どうも受け答えがかみ合わないことも何となく分かっていました。すると、迷信とは雑草と同じような意味だと考えるようになる。雑草などという草はないのですから、迷信もまた何かの意味があるのではないかと、考える人が出てくる。そうすると、それは俗信ですと答えるようになる。俗信を、その地域に根付いた生活と密接に関係がある習俗だとすると、そこに何かの理由で禁句というのが出来て、そしてそれを禁ずることで周囲が調和することですね。この指とまれで、村社会や地域性に禁ずるものをもうけて、それによってその周辺が団結するということですが、これは生活の知恵ではありますが、また閉鎖性がつよくなることもある。現在でもよく聞きますいじめ問題もこういう深層的なものが何処かにあるのかもしれないでしょう。
迷信をひとくくりにしないで、それぞれの成り立ちにスポットライトをあてていく、いわば迷信の細分化ですが、これを科学というのかといえば、これも科学的ではないでしょうか。で、今も科学の時代ですが、科学と魔法が同じ場所にあるような気がする時代、これが現在ではないかと思ったりしております。「ハリー・ポッター」のように魔法の杖ひとつでいろんな事が出来るなんて思わなくても、何となく科学が全てではないと何処かで思って入る時代。そんな気がしませんか。しかしこう言いましてもですね、おそらく私たちの世代はそれほどは強くはそう思わない、違いますか。これは若い方に聞いた方がいいと思いますが、どこか私たちの感覚と違うものがあるのではないかと思いますよ。「007」と「鬼滅の刃」の違いですね。
私たちはしょせんマンガじゃないか、ということから「鬼滅の刃」を観る。そして内容はなかなかよく出来ていて、けっこうおもしろいと思う。では、若者はどう思うのか。若者でもないものが察しても仕方がないのですが、あえて言えば、科学信奉でないならば、しょせんマンガじゃないかという発想はなくて、内容が充実しているならそれでいいのですね。そしてこの科学信奉という偽りをどこかで気づいているのかもしれない。情報過多の時代に生きている中で、この盲目的な科学信奉は嘘っぽい、そういう空気をすいながら大きくなってきたのではないかと、もう若くないというか、年寄りがそう考えるわけです。年寄りは漫画だから嘘っぽいと思い、若者は科学信奉が嘘っぽいと感じている。で、この両方のどちらが正しいかといえば、どっちもどっちだというのが大体の答えになりそうですね。
じゃあここに何があるのだろうかといいますと、空気の流れのような時代の変遷でしょう。その時々の時代に流されて生きているものだから、何処からどこまでが自分で、何処からが時代の空気なのかよく分からない。すると、オレがオレがと思っていたら何処までがこのオレなのか分からなくなる。こういう点では老人も若者も同じかもしれないでしょう。この『浄土論註』が顕された時代は、現在のような科学的な見識などほとんどなかったでしょうね。今の私たちの日常から科学を消してしまって、そのうえで生活しようとしたらどうなるでしょう。とうてい考えられないというのがほとんどの方の答えではないかと思います。
しかし、それでは人間というものに何か芯というものがあって、その芯も時代の移り変わりと共に違っていくのかというなら、きっと変わらない芯があるはずだと答える自分がいます。だから曇鸞大師が気になるのだし、親鸞聖人が何を説こうとされてきたのか知りたいと思う。
年を取った亀の甲には毛があるのは錯覚であるという話が長くなっていますが、たしかに亀の甲羅に毛があるなどとは考えたことがありませんが、年を取ることが時代の空気に染まり続けるということならば、その空気の色や臭いがしみこんだ私という年寄りの見識はまた、この私が自分だと思っている漠然とした、モヤモヤっとして、いわば年取った亀の甲羅に生えた毛のようなものかもしれないですね。
この作願門は天親菩薩の帰命の意をあらわしている、というのがこの上巻の作願門の初めの言葉です。そこにふたつの問を出されています。その最初の問いが「大乗の経論の中には、処々に衆生はつづまるところ無生(空)であって、虚空のようなものだと説いている。であるのに。どうして天親菩薩は願生といわれるのか。」この願生の問いは、そこに願が生じることですから、衆生が無生(空)であるならば、それを願生するところの発露といいますか、そういう起点がはたして衆生にあるのかということではないかと思います。
この問いに答えられるときに、この亀の甲に毛があると錯覚するという話が登場するわけですね。実体的な自分というものが分からないなら、外に見るものも実体性に欠けてくる。この衆生が無生であり虚空のようだということを自分なりに話した次第です。
そしてもう一つの答えが因縁生ということですね。「諸々の存在は因縁によって生じているものであるから、とりもなおさず不生である。だからあることがないのは虚空のようだというのである。」この因縁生というのは、前回讃嘆門の下巻で話しました衆生性にける根性論をそのまま持ってくればいいかと思いますが、因縁生とは業の問題だと思います。亀の甲の毛は時代という空気の問題ですから、生活と環境とその流動性。これに対して因縁生は業の問題でしょう。
讃嘆門では、衆生性の根性論という言葉を使って話しましたが、身口意の身とは身体のことですから、日常の具体的な振る舞いもはいるでしょう。口は言葉です。会話でいろんなことが起こります。意は心ですから何を思い、そして何を考えているか。こういうふうに言ってみると、どうも良い事のほうがあまり浮かばないのはじぶんだけでしょうか。何を考えているかといえば、不安だったり、心配したり、うらやましがったり、愚痴ったりで、だいたいろくなことは出てこない気がする。根性が悪いからでしょうか。そしてこの身口意をもって生活があるのですが、他人との関係でもこの身口意をもって関わりますから、そこに当然様々な関係が生じて行きます。これを業というのだろうと思います。
ただ、そこに私として連続する同一のものは何かというと、そこに私の根性がある。もっといいものが出ればいいのですが、じっと考えると根本には私の得体の知れぬ根性がある。性格もそうだし、そういう根性というものが深く私の業を作っていることはよく分かるのですね。しかし、ではその根性というものが実体的に有るかといえば、あるようないような。こういうふうに考えていくと私という個としての存在が段々と不確かになってきませんか。当たり前と思っていた私というものが、状況次第で、風に吹かれれてふらふらとさまよう根無し草のように思えてくるなら、それは様々な因縁により生まれ、また因縁により変化するようなものである。それは、私という主体性があるとも言えないし無いとも言えない虚空のようなものである。
この二つの虚空をまずあげられて、そして「天親菩薩が願われている生は因縁の意味である。」と言われますね。じゃあ、天親菩薩はこの二つめの虚空である因縁生を願われるのかいうと、そいうことではないですね。この場合は、おそらく因縁にみることろの人間の心のメカニズムでしょう。どこのだれかの因縁がどういうものかというのではなくて、どこの誰でもの生であるところの心のメカニズム、このメカニズムということが分かりにくいなら、その時々の心の在りようは、状況次第でおおよそ同じような動きをするということでしょうか。「みんな違ってだいたい同じ」、最近聞いた言葉ですが、これはアフリカ人の方が日本人と一緒に物を考えたりしたときに紹介された言葉ですが、様々な環境や状況の違いがあっても、そのアフリカ人と日本人の基本的な心の思考方法はおおよそ同じだったということですね。このような心のメカニズムは個人を超えて一般的ではありますが、その人がそこにどのような環境で具体的に生きて来たかということにおいては、その人ならではの心でありその人の個性でしょう。
こういう心の在りようは、私の心といっても、どちらかといえば身体的な側面をいわれているのではないでしょうか。内臓機能を自分の気持ちで止めることができないように、心の在りようが身体に属しているなら、自分の心でありながら、把握しようとしてもとらえ切れることは出来ません。しかしまた、その機能としての心の在りようもまた自分であることに他ならない。では、この「天親菩薩が願われる生は因縁の意味である。」ということはどういうことでしょうか。私自身からしたら亀の甲羅に生えた毛こそが自分であり、こうして自らを生きてきた業こそが私の証であります。しかしながら、この心の在りようからすれば、それはたまたまそこに生えた毛のようなものであり、しかもそれが自分だと言い張っている私の姿がそこに有るだけです。しかし、だからといってそれ以外に何かある訳でもないですね。
機能としての心の在りようがあるじゃないかといいましても、その心はこの私の思いが実有だと思いこんでいる、私という衆生の姿を映す鏡にはなれ、この私の思いに収まるものではないですね。この心の在りようの鏡とそこに写された衆生の姿との関係を、ここに因縁といわれているのだろうか。そしてそこに天親菩薩が願われる生の立ち位置があるのかなと、そう読ませていただいております。
で、次に往生の問題が出てまいります。「問う、どのような意味で往生と説くのか。」この答えに、まず「この国の人々のなかにあって」と書いてありますが、この国とは、一応は浄土のことでしょうね。だから浄土の国の人々の中にあってと読むのだろうと思います。作願門は五念門の第三番目の門ですから、礼拝門からすでに浄土の門は始まっています。浄土の玄関まで来ているわけです。それが作願門でいよいよ浄土の玄関から奥に入る。私たちも便乗してここまで来ました。
すると次に「五念門を修するという場合、前念は後念に対して因となる。」と書かれています。五念門の真ん中にあるのがこの作願門ですが、前念と後念をどこで分けるかといえばこの作願門である。この作願門の最初の問いが無生(空)がテーマになっています。この無生(空)であるところの虚空を立ち位置にして願生でありますから、礼拝門と讃嘆門がこの無生(空)の前念になりますね。それを「娑婆世界の人間(因)」と言われている。すると、後念は作願門を立ち位置にした第四門の観察門であり、それを「浄土の人間(果)」と言われていることになろうかと思います。しかしここに言われる「娑婆世界の人間」は、讃嘆門ですでに阿弥陀如来の名号の義(いわれ)を理解しているのだから、一応はこの浄土の国の人々である。しかしまだ虚空を実体と思いこんで生活しているから「娑婆世界の人間」だということでしょう。
それでは「浄土の人間」とは何かといえば、この二つの虚空を実体と思いこむことでしか生きられない自らの姿を自覚していく人ではないですか。そしてその姿が名号の義(いわれ)とともに阿弥陀如来の光明に映されて、私に衆生の姿を賜るのでしょう。だから娑婆世界の人間であることが、そのまま浄土への人間を生んでいくということですね。門というのは出たり入ったりする場所ですから、行ったり来たりする。そして行ったり来たりしながら深まっていくのだろうと思います。
五念門には前門と後門とにこの作願門という大きな門がある。そしてその作願門に「五念門を修する場合の前心と後心も、またこのようである」と述べられますが、この前心と後心といいますのも、この娑婆世界の人間の心と浄土の人間の心を、前心と後心とで言われているのではないでしょうか。その前心と後心が行ったり来たりする。それがそのまま、一ならず異ならずといった、不一不異を観じながら、少しずつ深まっていく世界であるといわれているのではないかと思っております。
上巻の作願門をこういうふうに読ませていただく訳ですが、こういう読み方が的を射たものならば、この五念門は礼拝門から讃嘆門、そして作願門です。その次が本論の観察門で、最後が回向門です。本来ならばこの作願門は次の観察門の通路ですね。当然その観察門には入っていくのですが、この上巻の文を読みますと、作願門を行ったり来たりする。そして内容的には讃嘆門に納まるような気がするのですね。どういうことかなと、今後の課題にさせて頂くつもりです。で、今後の予定ですが、次の下巻の作願門をもってひとまず論註は終了しまして、その次からは親鸞聖人の御書物を中心にしてこの論註を訪ねて行きたいと思っております。
『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門
令和4年6月 永代経法要より
礼拝門・讃嘆門から
[ どのように礼拝するのか、身の業(わざ)をもって、阿弥陀如来・応・正遍知を礼拝したてまつるのである。諸仏如来の徳は無量だから、その徳をたたえる号(みな)もまた無量である。もし、それらについてことごとく語ろうとすれば、とても紙や筆でかきしるせるものではない。だから、いろいろの経典に、十名をあたり、三号をのせたりしているが、およそこれらは、最も重要なものだけであって、どうして(仏の徳が)それだけでつくせることがあろうか。ここでいわれている三号は、すなわち如来と応と正遍知とである。
如来とは、ものの相(すがた)そのままに説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたように、この阿弥陀仏もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「 如( より ) 来(る)」というのである。応は応共(おうぐ)である。仏は煩悩をことごとくのぞきつくして、あらゆるのもに通達した智慧をえて、一切の天地の生きとし生けるものの供養を(真実に)受けるに応(ふさわ)しい唯一のかたである。だから「応」というのである。
正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相は)心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(の実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変らないのである。だから「正遍知」というのである。(論に阿弥陀とかいてあるのは無碍光ということであるが)無碍光という意味は、前の偈のところで解釈したとおりである。
その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意(こころ)をなさんがためである。
どうしてこういわれるかといえば、菩薩の法では、つねに昼三時夜三時に、十方のすべての仏たちに礼拝するが、これは必ずしも願生せんとの意(こころ)があるからではない。つねに願生の意(こころ)をなすべきであるからこそ、阿弥陀如来(一仏)を礼拝したてまつる、というのである。
どのように讃嘆するのか。口の業(わざ)をもって讃嘆したてまつるのである。讃はほめあげる、嘆ははうたいたたえることである。讃嘆は(人間においては)口でなければのべあらわされない。だから「口の業」というのである。彼の如来のみ名を称え、彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義(いわれ)のごとく、その実のごとくに修行して相応しようとおもうからである。「彼の如来のみ名を称える」とは、無碍光如来のみ名を称えることである。「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに」とは、仏のひかり明るいかがやきは智慧の相(すがた)である。この光明は、あらゆる世界を照らすにさまたげられることなく、よく生きとし生けるものの無明の(黒)闇をとりのぞくのである。それは、日や月や珠のひかりが、ただ空穴(へや)の中の闇を破るだけのような(小さな)ものではない。「彼の(如来の)み名の義(いわれ)のごとく、実(まこと)のごとくに修行して相応しようとおもうからである。」とは、彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。
しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは(如来の)実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことによるからである。どうして実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことになるかといえば、(この無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生のためにこそ(仏になられたところの)身である、ということを知らずにいるからである。
また、三種の不相応がある。一には、信ずる心が純朴でない。信じたり疑ったりするからである。二には、信ずる心が(専)一でない。決定がないからである。三には、信ずる心が継続しない。ほかの念(おもい)がまじるからである。この三つは、たがいに展開しあってなりたっている。つまり、信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しないのである。また念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でないのである。これと逆なのを「実(まこと)のごとくに修行し相応する」というのである。だからこそ、論主はまっさきに「我れ一心に」と宣言されたのである。]
長い引用文になりましたが、前回は、上巻の礼拝門と讃嘆門でしたので、今回は下巻の礼拝と讃嘆を話そうかと思っております。分けて話すことも考えましたが、内容的にあまりよろしくないと思い、両方一緒に話すことにしました。引用が長いぶん話も長くなりますが、勘弁していただいてお付き合い願えれば幸いです。
で、まずこの下巻の概要を簡単に述べてみたいと思いますが、この礼拝門は、今読みましたように、三号を礼拝すると書かれております。で、その三号とは何かといいますと阿弥陀如来と応と正遍知とである、ということでした。これを身の業(わざ)をもって礼拝する。これが礼拝門の内容です。そして讃嘆門はその三号を讃嘆する。こういう事になっているようです。
礼拝門では三号ということが説明されていて、讃嘆門においてはその三号を口業の念仏でどのようにとらえていくのかが、ここの問題になっているような気がします。礼拝門の終わりの処に「その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意(こころ)をなさんがためである。」と書いてありますが、この文章が礼拝の終わりに措かれてありまして、そして次の讃嘆門が始まるわけです。おそらくですが、この文章は讃嘆門へのつなぎの役をしているのではないかと思っております。下巻の礼拝門は三号のそれぞれを説明するだけで終わっていますので、讃嘆門はその三号を口業の念仏において主体的にあらわそうとされている。簡単な概要でありますが、そういう事ではないかと思っております。
それではまず、礼拝においての三号の最初であります阿弥陀如来から話をすることにします。この阿弥陀如来ということですが、こうして読んでみると「如来とは、ものの相(すがた)その如(まま)に説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたように、この阿弥陀如来もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「如(より)来(る)」というのである。」と、こう書かれています。阿弥陀如来だと言いながら、内容は如来とは何かということが主であるわけです。ここでの阿弥陀如来をずっと考えていたわけですが、困ったことにこの阿弥陀如来も次の応もまだよく分からないのが正直なところでして、特に正遍知などはてんで分からない事になってしまうのですね。しかし、礼拝の内容がこの三号の説明でありますから、ただ分かりませんでは事がすまされない。それで至らぬ見解ではありすが、現時点における見解を少し述べさせていただいて、話に代えさせていただこうと思っております。宜しくお願い致します。
それではこの阿弥陀如来ですが、ここでは「ものの相そのままに説いて、安穏の道より来られ、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから如来というのである」と書かれています。で、ここにおける阿弥陀如来を話す前に、上巻の讃嘆門に「なぜ阿弥陀と名づけるのか」という処がありますのでまずそこを読んでいきたいと思います。資料をご覧ください。
讃嘆門上巻 [ なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であると知れるかといえば、あとの長行(下巻の讃嘆門)にいわれている。どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名の意義のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめられるからである、と。釈尊が舍衛国で、お説きになられた『無量寿経』(阿弥陀経)によれば、仏自ら阿弥陀如来の名号の心をあきらかにしておられる。即ち、なぜ阿弥陀となづけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏たちをはじめ、そのみもとにある人々の寿命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と ]
上巻では、阿弥陀如来とは名号であり、その名号の心をあきらかにしておられると言われています。ただし、礼拝門は身業におい礼拝するのですから、名号はまだ出てきません。また、名号というのは、南無阿弥陀仏の六字の名号のことでしょう。南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏に南無するということ、南無と帰命とは同じ意味ですから、帰命尽十方無碍如来は、私たちが称えるところの口業の念仏になりますと南無阿弥陀仏を称えることになり、その南無阿弥陀仏を名号というわけですね。
それでは、また下巻の礼拝にもどりますが、三号の阿弥陀如来とは何か。「如来とは、ものの相(すがた)その如(まま)に説いて、仏たちが安穏(さとり)の道より来られたとうに、この阿弥陀如来もまたそのように来られて、ふたたびまよいの世にもどることはない。だから「如(より)来(る)」というのである。」この如より来るの、如とは、言葉にあらわすことができない、言葉を超えているという意味があります。しかし、この言葉では表現できないものをあえてイメージすることはできないか。浦島太郎の話にある竜宮城が絵にも描けない美しさであるとしても、それぞれが竜宮城を何となくイメージしているでしょう。このイメージというのはそういう漠然としたものから、姿かたちがハッキリしたものまで幅が広いわけですが、三号におけるこの阿弥陀如来をあえてイメージするということで考えると、少しは話が出来るのではないかと思うのですね。では、阿弥陀如来をどのようにイメージするのか。それが今読んだ「なぜ、阿弥陀と名づけたてまつるのか」というところですね。その阿弥陀とは「彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない」この光明無量の阿弥陀如来のひかりをイメージできるかということでしょう。別にイメージできなくてもいいのですよ。
で、その光明は十方の国々を照らすに少しのさわりもなく、そして彼の仏たちをはじめ、そのみもとにある人々の寿命が永遠である。こういうイメージがそのままにして壊れることがなく、その相をそのままに顕すような手立てとは何かということですね。私たちの思慮分別では捉えることができない、言葉を超えている世界ですが、その世界である光明無量をあえてイメージして、そのイメージのままに光明無量という言葉に置き換える、そして、それを阿弥陀と名づけた。これを「なぜ、阿弥陀と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しのさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。」と、阿弥陀と名づけることによって、阿弥陀の光明無量の相がそのまま言葉の仏となってもどることがない。この言葉の仏を阿弥陀如来といわれる、こういう意味があるのではないかと思うのです。
こちらの願い(南無)に応じて如より来る阿弥陀如来ですから、南無阿弥陀仏、この南無阿弥陀仏をもって如来の名号だというのでしょう。これすごく難しい問題を言っておりまして、このへんで無理に説明することはやめにしたいと思いますが、ひとまず、この三号の阿弥陀如来を説明するにおいては、こういう捉え方があるのではないかと思うわけです。ただし、礼拝は身業をもって礼拝するのですから、言葉の仏というよりも、どちらかといえばそれは阿弥陀如来像であり、その阿弥陀如来の姿とその光明無量なる世界観といったようなものが礼拝においての阿弥陀如来のイメージではないかと思います。
では、次は応です。「応は応共(おうぐ)である。仏は煩悩をことごとくのぞきつくして、あらゆるものに通達した智慧をえて、一切の天地の生きとし生けるものの供養を(真実に)受けるに応(ふさわしい)唯一のかたである。だから「応」というのである。」この応もまた阿弥陀如来ですね。礼拝の阿弥陀如来は姿かたちの如来ですから、その阿弥陀如来像に人格的な徳を顕すのでしょう。だから、三号の阿弥陀如来と応はどちらも阿弥陀如来ですが、応は如来の姿にその徳を思いはかり、阿弥陀如来の姿に光明無量のひかりの徳をいただく、つまり礼拝の対象となる如来の姿に、その如来となられた背景をも観じていくということではないかと思います。
それでは次は正遍知です。「正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相)は心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(の実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変らないのである。だから「正遍知」というのである。」ここで諸法の実相ということをいわなければならないわけですが、どうしたらいいのでしょうか。これが分かればそれでいいわけですけど。ま、とにかく、この三号は阿弥陀如来と応であり、そしてこの正遍知であるということですね。阿弥陀如来と応は何となくでも分からなくはないでしょう。そんな気がしませんか。ところがこの正遍知が三号の阿弥陀如来と応とともに言われているわけですね、こうなると分からない。ただこの実相の問題は後程出て来ますので、ここではこのままにしておきたいと思います。
それでは次は讃嘆門ですが、この讃嘆が始まる前、つまり礼拝の終わり部分ですね、「その故は、彼の安楽国土に生れたいとの意をなさんがためである。」と言われているところですが、礼拝は三号を説明されるだけで終わりますので、次の讃嘆へのつなぎがここで添えられているのではないかと思うヵ所です。そしてその礼拝での三号の説明に対して、今度は讃嘆において口業の念仏にその三号を主体的に説かれようとする、そういうことかなと思います。
で、まず「彼の如来のみ名を称え、彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義(いわれ)のごとく、その実のごとく修行して相応しようとおもうからである」と言われます。この短い文章に先ほどの三号が述べられていると思います。で、そのどこが三号の阿弥陀如来であり、どこが応なのか、そして正遍知なのかということになりますが。
まず、「彼の如来の名を称え」のところがおそらく阿弥陀如来でしょう。この「彼の如来のみ名」は、無碍光如来が阿弥陀如来という言葉の仏になられたみ名ですから、その阿弥陀如来のみ名を称えるとは、南無阿弥陀仏の名号を称えることですね。だからこの「彼の如来のみ名を称え」が三号の阿弥陀如来だと思うのです。
すると、次の「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに、彼のみ名の義のごとくに、その実のごとく修行して相応しようとおもう」までが応ではないでしょうか。礼拝では阿弥陀如来の徳を思いはかるのですから、讃嘆の応は名号の徳を思いはかる。それではその南無阿弥陀仏の徳とは何かといいますと、次に書いてある「彼の如来のひかり明るい智慧の相」が阿弥陀如来の徳ですね。そして「彼のみ名を義(いわれ)のごとく修行して相応しようとおもう」までが、阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の六字の名号になられた義(いわれ)を、私が念仏において主体的に思いはかり相応しようと思うと、そういうふうにも読めます。
しかしこの両方の説明をその後に載せてありまして、そこには何と書いてあるかといえば、まず「彼の如来のひかり明るい智慧の相のごとくに」のところは、「あらゆる世界を照らすにさまたげられることなく、よく生きとし生けるものの無明の(黒)闇をとりのぞくのである。それは、日や月や珠のひかりが、ただ空穴の中の闇を破るだけのような(小さな)ものではない」と、言われますように、光明無量とは、まず普通考える照明のような物質的なひかりではなくて、私の心の無明の闇を破る智慧をひかりだといわれる。
そして次が問題でありまして、次に何と書いてあるかといいますと、「彼の(如来の)み名の義のごとく、実のごとく修行して相応しようとおもうからである。」とあります。この名号の徳を思いはかりながら、その義のごとく実のごとく修行してと、私が思いはかりながら修行するのだと読んでいくと、読めなくなっていきます。
それでは、その次はどういうふうに書いてあるかといえば、「彼の無碍光如来の名号は」と書いてある。だから、阿弥陀如来の智慧のひかりが言葉の仏になり、その言葉の仏であるところの「彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるものの無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。」となっているでしょう。阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の名号となられたときに、いつの間にか名号が主体であって、称えている私は、この無碍光如来の名号により、「よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させる」ところの、その一人としての私である、というふうになるのではないですか。称える私が主体だったはずが、名号が主体となり、私が客体である。主客が逆転しているでしょう。
讃嘆では、阿弥陀如来の徳を思いはかるとことが、名号において、阿弥陀如来の光明無量のひかりが私の方に入ってくる、そういうことを言われているのではないかと思うのですね。なかなかよう分からんようなことですが、この彼の(如来の)み名を義(いわれ)にはこういう主客の逆転が込められているのではないでしょうか。この讃嘆門の応による主体の逆転を通して後に正遍知というものがある、そういう事ではないかと思っております。
それでは正遍知です。このみ名の義(いわれ)を知って念仏申す身になった。それで何がどうなったのか。「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜか」と、こういう疑問が出てきた。それが次の段です。
「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは(如来の)実のごとく修行しないのと、み名の義に相応しないことによるからである。どうして実のごとくに修行しないのと、み名の義に相応しないことになるのかといえば、(この無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生のためにこそ(仏になられたところ)の身である、ということを知らずにいるからである。」
私が称えるところの念仏は、たとえこの名号の義(いわれ)を理解して称えたとしても、無明はなおあり、願いは満たされない。それはなぜかということですね。それに対して如来の実(まこと)のごとく修行しないのと、み名の義(いわれ)に相応しないことによるからだと言われます。この「(如来の)実のごとく修行しない」というのは、さきほどの「彼の無碍光如来の名号は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させる」はずが、実のごとくに修行しないから、そうならないのだということでしょう。彼の無碍光如来の名号が主体ですから、その主体が実のごとくに修行しない。そしてまた、「み名の義(いわれ)に相応しない」というのは、このみ名の義とは名号の義のことですから、その名号が主体となり、私が無碍光如来の智慧のひかりに入ることが分からないからだ、と。だから「(如来の)実(まこと)のごとく修行しないのと、み名の義(いわれ)に相応しないことによるからである。」といわれるのではないでしょうか。
で、なぜこういう問題が起こるのかといえば、それは「(無碍光)如来こそは、実相の身であり、衆生にためにこそ(仏になられたところ)の身である、ということを知らずにいるからである。」とここに、三号の正遍知でいわれていた実相が出て来ます。そして実相の身であり、(為物)衆生のためにこそ(仏になられたところの)身であることを知らないからだと言われる訳です。「如来は是れ実相の身なり、是れ物の為の身なりと知らざるなり。」ここでいわれてる実相が正遍知でいわれる実相のことでしょう。困ったことにここでこの正遍知を自分なりにでも通らなければならないわけです。
まずここにいわれている衆生ということですが、これを衆生性ということで話が出来ないかと思いますが、調べるとそんな言葉はありませんでした。だから造語になると思いますが、この性という言葉には根性という意味もありますね。だから衆生根性と言えばいいのかもしれませんが、とにかく衆生性という言葉を使って少し話そうかと思います。身口意(しんくい)という言い方がありますね、身は身体のことで私たちの日ごろの動作もそこに入るかと思います。口は言語であり言葉でしょうか。そして意は心ですね。すると、私の心が私の動作や振る舞いに現れ、私の心が言葉になって表現されていくのですね、そしてこの状態が私の生活になるわけでしょう。周りとの関係にこの身口意で関わることにより私の日々の生活がある。その積み重ねを業というのだろうと思うのですよ。だからそれを業というならば、私の生活基盤は、私が生れる前からすでに始まっているわけですから、私よりもこの業の方が古いことになりますね。で、この身口意というのは私の事でありますが、この身口意に先ほど言った衆生性を見るということです。単に身口意を生きているわけではないですから、当然その身口意なるものには何かの根性があるだろうと思ったりするのですね。その根性を衆生性という言葉で説明しようとしている訳です。
今回はこの衆生性の根性論を通して、「衆生の為に仏になられたところの身である」といわれる為物身の問題を考えてみます。で、この身口意も私の心が思う処の身口意ですから、この身口意を思う私の心がどうしても入ってしまう。心が私ですから、私は心から出ることはありません。だから身口意といっても心が捉えた私の身口意であり、私の心はいつもそこから外れて行きます。衆生というのも同じことで、私の心で私を衆生だといくら思ってみたところで、私そのものの衆生性を自覚することは出来ないですね。私は根性が悪いですくらいは言えますよ。しかし、根性そのものが私なら、衆生性を自覚することなど出来ないでしょう。自覚しているという私がおるのだから、阿弥陀如来のひかりに入り私の闇が破られるといってもですね、そう思っている私もそこにいるのでして、そしてそう思っている私がこの衆生性という根性でもあるということですね。阿弥陀如来の名号の義を聞いて、私のこの根性の闇が破られることは分かった。そして、それに感動して念仏申す身にもなった。しかし、実際のところは、そう思っている私の衆生性という根性は残っている。そしてそれが私である。その私には念仏の実感もなければ満足感もない。
するとこの(為物身である)衆生のためにこそ(仏になられたところ)の身とは何かというと、如来からたまわるということにおいてはじめて成立するところの衆生の相(すがた)だと思うのです。それが純粋な衆生の自覚ということになるのでしょう。如来の智慧のひかりに入ることで、私に衆生の身をたまわる、その衆生の相(すがた)がそのまま如来の智慧の相であるということではないでしょうか。「是れ如来は実相の身なり、是れ物(衆生)の為の身なりと知らざるなり。」をこういうふうい受け取らせていただいております。
そしてまた、此れがあるとき彼があり、此れがないとき彼はない。この龍樹菩薩の不二の論理は以前話しましたが、この不二の論理であります不一不異を、この実相身為物身の問題に置き換えますと、実相の身あるとき為物の身あり、実相の身がないとき為物の身はない。実相身為物身は是れ、一ならず異ならず、この不一不異の論理が実相身為物身において展開されているのではないかと思います。
三号の正遍知は「正遍知とは、あらゆる諸法は(とこしえに)破壊されることがないのが実(相)であって、増えることも減ることもない、と知れるのである。どのように破壊されないかといえば、(諸法の実相は)心もおよばず、言語もたえたところであって、いわば諸法(実相)は、涅槃の相の不動であるのと少しも変わらないのである。だから「正遍知」というのである。」と、この正遍知にたいして、奥行のない薄っぺらな自分なりの実相についての感想ですが、現時点で精一杯背伸びしてみて、こういうことかなと思っている次第です。
そして、最後になりますが、もう一つ付け加えられています、それが三種の不相応ですね。
[ 一には、信ずる心が純朴でない。信じたり疑ったりするからである。二には、信ずる心が(専)一でない。決定がないからである。三には、信ずる心が継続しない。ほかの念(おもい)がまじるからである。この三つは、たがいに展開しあってなりたっている。つまり、信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しないのである。また念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でないのである。これと逆なのを「実のごとくに修行し相応する」というのである。」
この三信三不信を実相身為物身の次に言われているのですが、これもまた、正遍知での疑問である、「しかし、み名を称え(阿弥陀仏を)おもいつづけることがあっても、無明がなおあって、願いが満たされることがないのはなぜかといえば、それは」、という問いに対して、この三信三不信を述べられていると思います。
この実相身為物身のみではまだ不足分があったのではなかろうかと思う処ですね。この為物身であるところの衆生の相を、ここでは信ずる心が純朴でないから決定がなく、決定がないから念が継続しない、念が継続しないから決定の信がえられず、決定の信がえられないから心が純朴でない。この展開に衆生の相をいわれていると思うわけですが、この衆生の展開こそが為物身の相であり、それと「逆なのを実のごとくに修行し相応する」という処に、先ほどの実相身を見て行かれるのであれば、その実のごとくに修行し相応する相が、信じたり疑ったりせず、他の思いがまじらず、そして継続して止まない心であるとするならば、それは我一心で言われている「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」願心である、この願心をもって実のごとく修行し相応するといわれている処ではないでしょうか。
[「彼の(如来の)み名の義のごとく、実のごとくに修行して相応しようとおもうからである」とは、彼の無碍光如来のみ名は、よく生きとし生けるもののすべての無明を破り、よく生きとし生けるもののすべての志願を満足させるのである。] と言われている、無碍光如来の智慧のひかりに映る衆生の相において、この三信三不信における願心をも見ておられるのでしょうから、この 讃嘆門の最後に [ だからこそ論主(天親菩薩)はまっさきに「我れ一心に」と宣言されたのである。] と、述べられたのではないかと読ませていただく訳です。
「浄土論註」上巻 礼拝門・讃嘆門
令和4年3月 春彼岸会より
「浄土論註」上巻 礼拝門・讃嘆門
「帰命尽十方無碍光如来というのは、帰命は礼拝門、尽十方無碍光如来は即ち讃嘆門である。
なぜ帰命が礼拝であると知れるかといえば、龍樹菩薩が阿弥陀如来を讃嘆する文をお造りになった中で、あるいは「稽首礼」といい、あるいは「我帰命」といい、あるいは「帰命礼」といわれている。この論の長行の中にもまた五念門を修するといわれているが、五念門の中で礼拝が一ばんにある。天親菩薩はすでに往生を願われている。どうして礼拝せずにいられようか。だから帰命は即ち礼拝であると知れるのである。しかし礼拝はただうやうやしく拝したてまつることであって、必ずしも帰命を意味しない。しかし帰命は必ず礼拝のすがたをとる。もしこれによって帰命をおもえば、礼拝より意味は重い。偈は自らの心を表白するのだからよろしく帰命というべきである。論は偈の意味を解釈するのだから、ひろく礼拝について語っている。偈と論とが互いに呼応して、意義をいよいよ顕かにしているのである。
なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であるかといえば、あとの長行にいわれている。どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名の意義のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめられるからである、と。
釈尊が舍衛国でお説きになられた『無量寿経』(阿弥陀経)によれば、仏自ら阿弥陀如来の名号の心をあきらかにしておられる。即ち,なぜ阿弥陀と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しもさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏をはじめ、そのみもとにある人々の壽命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と。
問う。無碍光如来の光明が無量であって、十方の国土を照らしたもうに少しもさわりがないというのなら、この国の衆生はどうしてその光をこうむらないのか。光が照らさないところがあるのなら、どうしてさまたげがないといえようか。 答う。さまたげは衆生の側にあるのである。光にさまたげがあるのではない。譬えば日の光が四天下にあまねくふりそそぐが、盲目の人には見えないようなものである。これは太陽の光がゆきわたらないのではない。またふかくたれこめた雲が大雨をふらせても、かたい石にはしみこまないようなものである。これは雨がうるおさないのではない。
もし一仏が主となって三千大千世界をすべてつつんでいるというならば、これは声聞が論ずる中の説である。もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の中の説である。
天親菩薩がいま尽十方無碍光如来といわれるのは、とりもなおさず彼の如来の名によって、彼も如来の光明のはたらきたる智慧の相のごとくに讃嘆するのである。だから、この句は讃嘆門であると知れるのである。」
前回は「我一心」について話しましたので、今回は「帰命尽十方無碍光如来」をテーマにした話ということになります。礼拝門・讃嘆門・作願門・観察門・回向門を五念門と言いますが、この五念門は天親菩薩が『浄土論』に顕されました。その中から、今回は礼拝門と讃嘆門を話すことになります。
前回の我一心から今回の帰命までが礼拝門になるかと思います。そして尽十方無碍光如来が讃嘆門になりますから、ここでは「帰命尽十方無碍光如来の帰命はすなはち礼拝門、尽十方無碍光如来は即ち讃嘆門である。」と書かれてあります。
この上巻の初めのところに「天親菩薩はすでに往生を願われている。どうして礼拝せずにいられようか。だから帰命は即ち礼拝であると知れるのである。」とありますが、これは「我一心」をうけて言われているわけですから、前回も「我一心」の観点から考えなければなりませんので、それをふまえて聞いていただければいいかなと思います。
で、前回の「我一心」には「我一心とは、天親菩薩が自らをすすめ、ひきい、正されたことばである。これは、無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらないことをいう。」と書かれていまますが、この「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」というヵ所が、この礼拝門の「天親菩薩はすでに往生を願われている。」と同じ意味になりますので、「我一心」からの帰命が礼拝門となるのではないでしょうか。そして、「我一心」は「無我」のことだろうというのが前回までの内容でした。
そして「なぜ尽十方無碍光如来が讃嘆門であると知れるかといえば、」から讃嘆門になります。礼拝讃嘆をとおした帰命尽十方無碍光如来と南無阿弥陀仏とは同じ意味になりますから、帰命は南無のことであり、尽十方無碍光如来は阿弥陀仏ということになります。私たちが普段に称える南無阿弥陀仏は、この論註においては南無が礼拝で、阿弥陀仏が讃嘆であるということになります。
しかし、私たちは普通こういうふうに分けて念仏を称えることはないと思いますが、ここでははっきり分けておられるようです。そしてこの帰命を礼拝門とするのは何らかの意味があるのでしょうね。通常は合掌礼拝ですから、私たちは手を合わせ礼拝します。別に言われなくても誰でもがする仕草でしょう。
ところが「世尊我一心」の「我一心」を受けて礼拝するのですから、私たちの普段の合掌礼拝とは次元が違うのでしょうね。で、この礼拝門の初めにあります「なぜ帰命が礼拝であると知れるかといえば、龍樹菩薩が阿弥陀如来を讃嘆する文をお造りになった中で、あるいは「稽首礼」といいあるいは「我帰命」といい、あるいは「帰命礼」といわれている。」と、こういう文で礼拝を説明されています。この「稽首礼」ですが、おそらく礼拝作法を言われているのではないでしょうか。例えば膝をつき手のひらを上にして深く額づきながら礼拝する五体投地のような作法だと思うのですね。つまり身業としての礼拝ですね。
それが讃嘆門の方では「どのようにするのが讃嘆門か。それは彼の阿弥陀如来の名をとなえ、彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、如来の心にかないたいと思わしめるからである、と。」というような、不思議な文章になっています。この讃嘆門における礼拝は、身業の作法というよりも「彼の阿弥陀如来の名をとなえ」といわれるように、口業としての念仏になっています。
「我一心」を背景にした礼拝は、讃嘆門において身業の礼拝から口業になり、その口業の念仏において「彼の如来の光明の智慧の相のごとくに、彼の如来の名のごとくに、真実のごとくに道をおさめ、」られている、と、いうような意味になっています。
啐硺同時という言葉がありまして、ヒナが自らの殻を破って孵っていくときに親鳥が同じ処をつついてやる。そういう意味で使われていますが、「我一心」の「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願う心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」このヒナの願いである「我一心」に応ずるがごとくに、親鳥の阿弥陀如来が光明の智慧の相として顕れている姿。その啐硺同時を口業の念仏に収められているというのがこの讃嘆門の内容ではないでしょうか。
その阿弥陀仏の智慧の相が、次の「なぜ阿弥陀如来と名づけたてまつるのか、それは彼の仏の光明が無量であって、十方の国々を照らすに少しもさわりもない。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである。また彼の仏をはじめ、そのみもとにある人々の壽命は無量であり永遠である。だから阿弥陀と名づけたてまつるのである、と。」ありますね。これは、まずは稽修礼としての儀礼的な礼拝が、讃嘆門では口業の念仏にすっと代えられていることになる。この礼拝門と讃嘆門の解釈は下巻に書かれていまして、上巻にはほとんど書いてありません。
しかし、上巻のこの阿弥陀如来と我一心の関係が口業に収まることを、今度は下巻で詳しく展開されるのではないと思うわけです。で、この上巻で私たちがとにもかくにも関われるのは、この口業の念仏だけなんですが、なぜなら阿弥陀如来も我一心もこの私の心を超えたものでしょう。私は私の心から出ることは出来ないのですから、もしも無我を私の心に留めたとしたらその時はすでに無我ではないのですね。そして、無我である「我一心」に応じて阿弥陀如来が真実の相を顕すとするならば、私が具体的に関われるのはこの口業の念仏だけなんでしょう。
そして、曇鸞大師がなぜ上巻において、礼拝についてわざわざ礼拝作法から述べられているのか。それは具体的な身業ということではないかと思うのですね。たとえ礼拝と讃嘆が阿弥陀如来の光明の智慧の相であっても、そこに具体的な「身業」がなければ観念の域から出ることはない。この具体的な身の事実に立つということをまず礼拝門で顕されようとされたのではないかと思います。そしてこの礼拝が讃嘆において口業の念仏になる、つまり称名念仏であるときに、今度はその称名念仏する私たちの問題にまで広がるのですね。この念仏によって私たちそれぞれが十方の国土を照らす阿弥陀如来の光明に入っていくのです。そんな実感はないと思いますが、それは私たちの衆生としての方に問題があるからなんでしょう。
この文の最後にあります「もし諸仏があまねく十方無量のほとりなき世界をつつんでいるというなら、これは大乗の論の中の説である。」という言葉が、無我である「我一心」のときに、その「無碍光如来を念じて、安楽国土に生れたいと願われ、その願いう心がかぎりなく続き、雑念が少しもまざらない」願心は、今、この私たちの最も深い場所における「我一心」と呼応しているのでしょう。ただ、それが私たちには見えないし分からないのであります。しかし、天親菩薩はそれを「我一心」として顕し、自らをすすめ、ひきい、正されて「帰命尽十方無碍光如来」と礼拝・讃嘆されているというのが今回お読みしました処だと思います。
今回の『論註』上巻の礼拝門・讃嘆門について話をさせていただきまして、自分なりに思う処は、曇鸞大師の身業の捉え方でありました。親鸞聖人の身業の見方とは少し違っているのかなというのが正直な感想ですが、それでは親鸞聖人の身業とは何かと言われましても返答は出来ないわけですが、共々に今後の課題にさせていただこうと思っております。
ブログに関するご質問
「教巻への一考察」についての感想
「教巻への一考察」をブログに載せてしばらくが経った。書いた直後はあまり見たくないのでそのままにしておいた。読み返すと(いつものことだが)表現の至らなさと内容の乏しさを痛感する。いまさらではあるが、少しばかりこの「教巻への一考察」についての経緯を述べてみようと思う。まず、この「大」と「無量寿」の関係を、それもやや無理やりであったが、ア・プリオリの概念と結び付けた。これは証巻にときにカント(ドイツ観念論)を意識していたので、それならばと、教巻においても同じことが言えるだろうということでア・プリオリの思考を用いた。結果意外なことに変換が必要になる。そしてその変換が観経における浄土と阿弥陀仏の関係を思い起こさせたのは意外だった。カントが親鸞を知っていたとは考えにくいし、もし知っていたならこの変換も必要がなかっただろう。そして親鸞がカントを知っているはずはない。親鸞とカントとの関連は謎のままである。
次に親鸞の語句の読み変えである。意図的な読み変えなのは間違いない。後程この問題は現れてくる気がするが、釈尊その人という具体性がおそらくキーワードではないかと思っている。ブログにもそれを思わせぶりに書いたつもりである。
証巻 正定聚について その② 曇鸞における自性清浄浄土の定義としての考察
エトムント・フッサール著『イデーン』Ⅰ―1 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想
第一巻 純粋現象への全般的序論 渡辺二郎訳
第三章「純粋意識の領域」
第四十八節 「われわれの世界を離れてその外にある世界というものの、論理的可能性と事象的背理」
『浄土論註』下巻 礼拝門・讃嘆門の編集後記
『論註』に興味のない人にはつまらないものになったかもしれません。引用文が長いのでそれだけで目を通したくなくなりそうなものでもあります。法話としてかなり無理な試みではありますが、この讃嘆門は以前からクリアしたいところでした。当の本人はというと、けっこう満足しております(笑)。問題点は多々ありそうですが、目下のところはこの程度だろうと一息付けた感じです。しかし、少し時間が過ぎて改めて見直した時に、のっぺらぼうな文章が羅列されているだけのようにも感じました。解読としたら、現時点ではこれ以上のものは自分にはありませんが、法話としたら及第点にも至っていないでしょう。ここで一点だけこの讃嘆門を説明したいと思います。三信三不信の問題でありますが、このヵ所は前日まで書けなかったところです。原稿を構成する暇もなくて、法要の当日に加筆し訂正したところもあります。意味そのものが分からずに戸惑っていたときに、これは付け加えられたものだという思いが飛び込んできました。実感としたらそういったものです。実相身為物身の問題はわりと早くから想像はついておりましたが、三信三不信はそこに付け加えられたものだという発想そのものがなかったのです。考えて見れば、「我一心について」で述べたものがここに出てきただけですが、当の本人はそれにぜんぜん気づかずに悪戦苦闘していたわけです。『論註』はすごく難しくていったいどこまで行けるのか分かりませんが、もう少しだけなら行けるかもしれない、そういう感覚で次回も考えております。のっぺらぼうの文章も悪戦苦闘の末にできた荒れ地の跡である、と想像していただければ幸いです。
観経疏の発菩提心に思う事
本来はこういう発菩提心を話す予定ではなかった。この散善顕行縁はどこか素通りしていたので、こういう壁が有ったことが自分としては驚きだった。分かったつもりで過ぎた処にかなり苦しめられて、結局この発菩提心が主題の原稿となった次第である。最後のヵ所は何回も書き直した場所だ。まだ消化不良の多い所であるがひとまず結論的に置くことにした。親鸞聖人が比叡に居られるころに観経疏はすでに読破されていたと考えるのはかなり前からである。ただ、この原稿が法話として成立するかどうかと考えた時に、ずいぶんと乱暴な原稿だなと思う。もっとざっくばらんに書きたかったなあ。
(自灯明・法灯明)と念仏についての考察
この「(自灯明・法灯明)と念仏」は、聖覚法印の『唯信鈔』を意識して、曽我量深選集の歎異抄聴記の第二条を述べたものである。選集第二条における法の引用文をもとに『唯信鈔』を現代タッチに表現しようと思った。理由は、歎異抄第一条と第三条を続けて構成しようとしたら失敗した経緯があり、この第二条は別の角度からのアプローチが必要だと考えたからである。法の深信とは自己規定を法から示されるものなのかもしれない。また規定として示すとは、法との関係において示すのであり、いうなれば関係性という形である。それに対して機の深信は、法との関係によって現れる自己の深まりである。深まりは動詞であり、深まりつつある自己の姿を現すのだろう。第一条からいきなり第三条へと飛べない理由が、この法との関係を前提にしなければ困難だからだと思ったからである。それを『唯信鈔』をもって表そうとしたわけはまだ自分でもよく分からないところであるが『唯信鈔』が元来そういうものだということなのだろうか。しかしながら当初からそいう事を考えて原稿を作成したわけではない。後から考えたらそういうことじゃないだろうかと思っているだけだが、布石という理由で、ひとまず初めに措いておこうとしたのは確かである。
歎異抄第3条の編集語録
彼岸会での原稿を纏めていたら後半が煩雑になっていることに気がついた。意識とこころ、こころと無意識、身体と無意識。不明なことが多い中で話を進めるのが難しかった。なんとか自分なりに纏めたつもりである。法蔵菩薩の問題は第3条から登場するのはある面必然的だと思うので付け加えている。
「気遣い」と「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを」
「不安」編ではハイデガーの『存在と時間』について自分の所見を書いてみた。そこにおける気遣いは、親鸞における善悪の問題と共通点が多い。正像末和讃で「よしあしの文字もしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがほは おおそらごとのかたちなり」と親鸞は述べている。この「よしあしの文字」だが、これを「気遣い」と「不安」の関係に見るなら、それは「気遣い」における意識関係の前後になる。無に対して「不安」「居心地の悪さ」から発して何かを気遣うまでの過程を気遣いの前後とするなら、親鸞における「よしあしの文字もしらぬひとはみな」は気遣う前の段階である。それはハイデガーにおいては、そこにあるのは「不安」における心の動きだけであって、気遣う処の具体的な内容は無い。これをもしこの和讃に当てはめるなら、それが「まことのこころ」であり、ハイデガーでは身体的な機能に属する意識のあり様ということになる。そして「善悪の字」は気遣う内容を言葉にしたものだろうから、それは何かを意識するということであり、「善悪の字」は「気遣い」として見ても「おおそらごとのかたちなり」なのだ。共通するものは他にも多く見ることが出来るかもしれない。だからと言って全てが同じだということでもないだろうが。そしてすでに十数年たっているのでかなり忘れしまった。こういう論理的な構築は様々な所見の取り扱いに対して目安になる事があるのでとりあえず書いておくことにした。
宝樹観について
数年ぶりに宝樹観を読み直し編集してみたが、迷路に入ったりでとりとめがなくなった気がする。当時の法話原稿とはかなり違ったものになったが、まずはこんな話を黙って聴いていただいた申し訳なさが感想である。これは宝樹観本文全体をまとめた感想を構成としているので、意味内容よりもその関係の仕方が中心になっている。課題の多いヵ所だったことを肝に銘じてひとまず宝樹観を終了することにした。